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2015年11月の64件の記事

2015/11/30

「スピノザとわたしたち」 アントニオ・ネグリ <2>

<1>からつづく


「スピノザとわたしたち」 <2>
アントニオ・ネグリ/信友建志 2011/11 水声社 単行本 217p
★★★★☆

 なかなか面白い。ネグリ&ハートを「<帝国>」から始めてしまうと、とてつもない重圧としてのしかかって来て、ヘトヘトになってしまう。

 あるいはスピノザを「エチカ」あたりから始めてしまうと、こちらもまたコテンコテンとなって、どうも伸びがない。

 ネグリ&ハートの世界を、この「スピノザとわたしたち」から始めてみるのは面白い。「<帝国>」は抜きだ。「スピノザ」、「マルチチュード」、「コモン(ウェルス)」を三位一体、あるいは三宝と対比してみる。

 「スピノザ」をブッタム、とする。「マルチチュード」をサンガム、とする。そして「コモン」をダンマム、とする。あるいはそう対比してみると、難解究めるこの近代哲学+現代哲学における革命思想に対する、理解の糸口が見えてくるようにも思える。

 「エチカ」を初めとするスピノザを「教祖」、あるいはドグマとし、ネグリ&ハートのようなアジテーターに呼び寄せられた「信徒」たちをマルチチュードと見、そこからオルグナイズされる「コモンウェルネス」を生政治的な共有物と見る。

 以上のような理解のしかたに妥当性があるかどうかは定かではないが、当ブログの解釈上、いいアイディアだとは思う。

 さて、どれでは、スピノザを「ブッタ」と見るかどうかだが、独自性があり、画期的世界を開いているとすれば、注目すべきひとつのピークと見ていいだろう。その全容はまだ理解できないものの、それは老子とかツラトゥストラとかブッタとか、マハビーラ、モハメッドの全容がよく分かっていないのと同じなので、別段にスピノザだけを、全部理解してから位置付ける、なんて遠まわしなことをする必要もなかろう。

 そういう意味では、ネグリもハートもスピノザの弟子筋とみて構わないだろうし、いうところのマルチチュードと見ていいだろう。またこの人々に共鳴を示す流れを具体的なマルチチュードたち、と見ることは可能だろう。

 コモンとコミューンの言葉的な類似性からコモンをダンマムに持ってくるのは、ちょっと苦しいが、それでもやはり、自前の憲法などのアナロジーで言えば、コモンウェルネスをダンマムと持ってくることも、決して的外れではない。

 以上は、この本を読み進める上での個人的な工夫であり、またネグリ&ハートへの理解の示し方のひとつである。そういう仕掛けをこしらえて、この本を読むとなかなか興味深い。

 「スピノザとわたしたち」。文面では「われわれ」ということになっているが、いずれにせよ、ここで語られている「わたしたち」はマルチチュードたちである。「マスター」スピノザを取り囲む「弟子筋」マルチチュードたち。彼らが今、生政治的に「コモンウェルス」を創造している、とそう読み変えてみよう。

<3>につづく 

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2015/11/28

「Googleアナリティクス活用術」 売上アップに貢献するBtoBマーケティング 小針将史他

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「Googleアナリティクス活用術」 売上アップに貢献するBtoBマーケティング
小針 将史(著), 山田 祐司(著) 2015/10 幻冬舎 単行本(ソフトカバー) 266ページNo.3618★★★☆☆  

 図書館の新刊本リストにこのような本があれば、とりあえず取り寄せてみる。類書は他に5~6冊あるらしく、しかもこの1~2年で出版が続いているようだ。たまたまこの本が目にとまったということだろう。

 実は私はGoogleアナリティクスのユーザーだ。毎日毎日その結果がメールで配信されてくる。しかしこの6~7年間、まともに活用したことはない。何故か。

 そもそも、当ブログが始まったのは2006年3月。間もなく10年を経過しようとしている。最初は楽天ブログで始まった。友人多数が同じサービスを利用していた。友人から分からないところはアドバイスをもらったりしていた。

 しかし使っているうちに、不便をいくつか感じるようになった。まずは動画が使えないこと。広告が多すぎること。ジャンクな書き込みが無数につづくこと。そして、アナリティクス機能が弱い、ということであった。

 そこで、ブログの引っ越しを考え、いくつかの無料サービスに登録、ほとんど同時に8つほどのブログを同時スタートしてみた。そして分かったことは、それぞれのブログでアナリティクス機能はあるのだが、それぞれに特徴があり、良い点、悪い点がある、ということだった。

 それで一番気に入った現在のニフティ・ココログに移ってきたのだが、まぁまぁ、それで6年も経過したのだから、まったく満足していないわけではない。しかし、当然のごとく、不満もある。ただ、いまのところ、積極的にここから移動しよう、という理由もまだ見つからない。

 今回この本を読んで、Googleアナリティクスに、あの当時、ブログ引っ越し計画のために、ココログ他7~8つのブログを登録して解析していたことを思い出した。当時のブログは、スタート地点で留まったままで、活用されていないのだが、改めて、彼らの活用方法を考えねば、と思った次第。

 この本は、B2B、つまりビジネスtoビジネスだから、製造業者が卸業者を探すような、商売向きに書かれている本で、私のような個的なエンドユーザーが、また他のエンドユーザーに向けて書いているようなブログ向きではない。またアナリティクスそのものがエンドユーザー向きではないのかもしれない。

 しかし、ビックデータ機能が拡大している昨今、私たちの日々の行動がどのように電子化され、データ化されているのかを、客観的に知っておくことは悪くない。また、ブログ付帯の個別のアナリティクスを盲信するあまり、間違った理解や感触を持ってしまうことも避けなければならない。情報源は複数の方がいい。

 Googleアナリティクスは、例えば私自身のアクセスを排除しないので、オーナーの私が盛んにアクセスするデータまで拾ってしまうので、大きな誤差が生じる。また、正体不明なスティルス・アクセスについては不明だったり、検索エンジンのアクセスをも拾ってしまうようだ。

 そういうことを分かりつつ、私は、これらのシステムが、もっともっと高機能化して、より正しいデータの反映に繋がるといいな、と思っている。あらゆる行動がデータ化されるユビキタス社会や、ビッグデータ、そしてグローバル・デモクラシーにおけるデータの集積など、未来に向けては、まだまだ活用のしがいがあると思う。

 ただし、私個人は、あまりデータ化されることを好んではいない。電車の切符は毎回買うし、カードでの買い物も控えている。ネグリのいうようなメディアに繋がれた者にはならないように、積極的に、コントロール権を自らの支配下に置きたい。

 そういった意味で、このGoogleアナリティクスも瑕疵なしとはしないが、複数ある解析機能のひとつとして、常に活性化しておき、利用可能状態をキープしておくことが大切であると思っている。

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2015/11/27

NHK 100分 de 名著 サルトル『実存主義とは何か』<3>

<2>からつづく

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サルトル『実存主義とは何か』NHK 100分 de 名著 <3>
2015年 11月  NHKテキスト [Kindle版] NHK出版 日本放送協会 (編集) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 18116 KB 紙の本の長さ: 103 ページ
★★★★☆

 25分×4回放送=100分、で名著、というところが売りなので、この放送は4回で終りなので、毎回メモしておこうと思っていた。しかし、振りかえってみたら、3回目はメモしそこなったようだ。だから、今回の3回目で、とりあえず、この放送に対する当ブログのメモもここで終りということになる。

 サルトル、なんて面倒くさそうなので、まぁ、こういう機会がないと、なかなか振りかえることはできない。もちろん知の巨人を分かったつもりになるのは危険だが、だがしかし、こうしておおっぴらな番組で、「これがサルトルです」とやってくれれば、ああ、これがサルトルなのだ、と理解しておくに、やぶさかではない。

 4回目の放送のキーワードは有名な「アンガジュマン」というサルトルの代表的な用語である。状況のなかに入る、とか、巻き込まれる、立ち合う、積極的に関わる、という意味であるらしい。

 とするなら、これもまたわがOshoの用語で言えば「Meditation in the Marketplace」という意味に置き換えて理解してもいいのだろう。実存主義というと、なかなか面倒くさそうだが、早い話がexistentialism 存在、ってことだよね。まさにOshoの日本デビューは「存在の詩」だった。存在って用語なら慣れてるよ。

 関係性のなかに、巻き込まれる、って用語はちょっと違っていて、外側の状況のなかに巻き込まれていても、内なるものはまったく巻き込まれていませんよ、という心境こそ、Oshoいうところの、本当の実存主義、ってやつだろう。逆に、自らの内なる空をより確実に実感するために、世のなかの、もっともめまぐるしい雑踏の中にいよ、ってのがOshoのメッセージだ。

 「私」自身をつくる、自由ってなんだ、民主主義ってなんだ、というサブタイトルもついているこの番組だが、最近の若い層の政治に対する積極的な発言や関与についても関連があるだろう。答えはもうでている話題ではあるが、このような形で、なんとなくサルトルも分かり、サルトルをきっかけとして、社会的なうごめきへの積極的な目を開いておくのは、よいことですね。

 本当は、この番組と並列してサルトルの「嘔吐」を読み始めたのだったが、年末の繁忙期にはいりつつあり、今回は途中で投げ出した。そのうち、いつかまた再読を開始する時もあるだろう。

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「ムーミンキャラクター図鑑」  シルケ・ハッポネン 高橋 絵里香<3>

<2>よりつづく
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「ムーミンキャラクター図鑑」 <3>
シルケ・ハッポネン(著), 高橋 絵里香(翻訳)  2014/10 単行本: 講談社 240ページ
★★★★★

 現行の「ねぇ、ムーミン」カテゴリは、もっと気楽に進めるものと思っていた。ところが、すでに半分以上の記事が過ぎても、なかなかムーミンが話題の中心になってこない。いくつかの試みがあったこのカテゴリだが、思っていたよりもはるかに手ごわいぞ。

 現在の私の心境を、ムーミンキャラクターで言ったらなら、いつもハンモックに寝そべって、哲学書を読んでいる、じゃこうねずみ、のような心境か。

 じゃこうねずみは、哲学者で、悲観論の先駆者。童話「ムーミン谷の彗星」で、ムーミンパパの橋に家を壊されてしまったため、彼はムーミン屋敷に移り住む。じゃこうねずみは、すべての無念さや無意味さを説く。哲学者の彼にとって、心地よいか苦しいか、死ぬか生きるかは、みんな同じことである。

 「おそらくわれわれは、シチューの具みたいになるかもしれないし、ならないかもしれない」 童話「ムーミン谷の彗星」p186 「じゃこうねずみ PIISAMIROTTA」

 ムーミンパパもなかなかだし、スナフキンだってかっこいい。だが、いまは、ちょっと「いじけた」じゃこうねずみのような気分。

 じゃこうねずみのお気に入りの場所はハンモック。彼はそこにこもって、思考にふけったり、愛読書「すべてがむだであることについて」を読んだりする。彼のもう一冊の愛読書は、ドイツ人の哲学者オスヴァルト・シュベングラーの「西洋の没落」で、西洋文化の誕生や文明の崩壊について書かれている。p186 同上

 ハンモックは、結局あまり快適ではないので好きではないが、私しゃ、時間があれば、布団の中にもぐりこんで、うとうと居眠りしながら、むずかしい(そうな)本を読んでいるのが、いちばん自分のスタイルだと思う。

 いずれ「ムーミン谷」の彗星」も読んでやろうと思うが、オスヴァルト.シュペングラー「西洋の没落」と来ましたか。わが図書館も蔵書しているので、いつか目を通してみよう。でも、その前に、じゃこうねずみの愛読書「すべてがむだであることについて」なる一冊を探すほうが先決かな(笑)

 とにかく最近の私の心境は、「無駄じゃ、無駄じゃ。すべてが無駄じゃ」、というのがピッタリくる。

 じゃこうねずみは「たのしいムーミン一家」のなかでは、その愛読書をなくしたために、かわりに貰ったのが「すべてが役に立つことについて」という本だったらしい。

 あらま。こちらも探しておかなければ・・・・・(笑)

つづく

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2015/11/26

「解き明かされる日本最古の歴史津波」<25>角田住吉神社

<24>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <25>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

角田住吉神社(宮城県角田市) 角田郡山遺跡近く 

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 今回、角田郡山遺跡を訪ねたのだが、明確な痕跡を見つけることができなかった。

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 遺跡の近くには、村社として崇敬されてきた住吉神社がある。

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 平坦な農地のなかにありながら、長い参道がその風格を物語る。

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 静かな中にも、実に堂々たる構えである。

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 この付近は丁度、熱日高彦神社の真西にあたり、角田郡山郡衙からみると、春分の日や秋分の日には、熱日高彦神社から太陽が昇ることになる。。

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 いずれにせよ、すべてが解明されているわけではない。

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 実に穏やかな、粛然たる心持ちになる。

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 ご神木の杉の大木も見事なものである。

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 長い間守られてきたことがはっきり分かる。

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 近くには、農地のなかに忽然と児童公園があり、この地下には角田郡山遺跡の一角があると思われる。

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<26>につづく

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2015/11/25

「クラインガルテン計画」<18>エミシ工房

<17>からつづく 

「クラインガルテン計画」

<18>エミシ工房     目次

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 わがクラインガルテンへの道筋は、素敵な道筋である。

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 いくつもの素敵なスポットがあり、その代表的なところが、ここ。

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 NO NUKES / NO WAR エミシ工房。陶芸家、池田 匡優さんのギャラリーである。

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 お住まいの一部を新たにギャラリーに作り直したとのこと。

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 床から天井、壁や棚など、ひとつひとつがご本人の手仕事である。

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 今回は、オープンということもあり、全国のお仲間10人のグループ展が開かれていた。

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 織物や板版画、タペストリーや木工、アクセサリー類など、ひとつひとつが不思議なほど、一体感のある作品が揃っていた。

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 ひとつひとつ揃えたという裸電球や古板のテーブルなど、このままファッション雑誌のグラビア頁を飾りそうな透明感だ。

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 いくつかのボトニカルたちが、静かに躍動感を添える。

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 このテーブルの質感がなんともよかった。

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 こういう鉢モノも、最近の私は気になる。

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 窓の外も、里山の自然で一杯だ。

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 おいしいコーヒーを頂いてきました。ごちそうさまでした。

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 ちょっと走れば、しら鳥たちの群れ。もうすぐ冬です。
 

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<19>につづく

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2015/11/24

「よみがえる日本語」 ことばのみなもと「ヲシテ」 青木純雄他<3>

<2>よりつづく


「よみがえる日本語」 ことばのみなもと「ヲシテ」<3>
青木純雄・平岡憲人・著 池田満・監修 2009/05 明治書院 単行本 366p 
★★☆☆☆

 どうして今頃になって、この本をまた開いたのだろう、と疑問になった。ひとつ言えることは、付箋が張ってある頁をチェックした上でいえば、私は前回まで、この本を完読していなかったばかりか、目を通したのは前半3分の1だけだった、ということだ。

 この本は私の興味の範囲を逸脱するばかりではなく、その内容が私の手にはあまる内容なのである。そしてまた、それらは、いまひとつ私の心を開いてくれない。知的好奇心を今一つ刺激してくれないのである。

 だったら、読まなければいいじゃない。別に誰も頼んでいるわけでもないし。内なる声がする。そうなんだよなぁ。だから、前回までは3分の1しか読んでいなかったのだろう。他に読むべき本はたくさんあるよ。

 いや、ちょっと待て。敢えていうなら、私はこの分野においては滅茶苦茶に関心があるのだ。ここを通らなければ、もう世界は開けない、と思いこむほど、真正面からぶつかってみたいのだ。

 だが・・・・。どうも違う、と、感じる。それは、方向性、解釈の仕方、関わる人物たち。むしろ、反論し、反駁し、乗り越えて行きたい。そんな気さえするのだ。そして、その力量は当然というべきか、残念ながら、というべきか、私にはない(がっくり)。そこんとこの落差が、これらの世界に接触した時の、私の本当の心情だ。

 今回も、あまり距離を詰めるのはやめておこう。返り血を浴びるだけだ。他に道を探そう。そう思い直す。残されたのは、飯沼勇義史観と、千葉富三ホツマを読みなおすことだ。ホツマ先駆意識者たち、あるいはホツマ原理主義者たちからみれば、おそらく、千葉富三ホツマなど、ホツマとすら認めないかもしれない(あるいは私も、やや疑問を持っている)。

 そして飯沼勇義史観なんぞは、多くの歴史学者や科学者たちからは、歯牙にもかけられない存在なのかもしれない。おそらくそうなのだ。そうであるに違いない。でなければ、それに付随する評論なり傍証なり、追従者なりがいるはずなのである。そこんとこを、私は見つけられないでいる。

 なにはともあれ、今回は、この本をもう一度最初から最後までめくったので、今後、そうそう後ろめたい気分になることも少ないだろう。これらの研究は、それなりに面白い。面白いが、どうもガラパゴスである。縦横とのつながりが悪い。

 当ブログは、もうすこし多面的に、他の流れとアクセスを探りながら、自分なりの世界観を探っていこうと思う。もちろん、その中には、ホツマもオシテも入っている。入っていながら、局所に執着することなく、もう少しおおらかに、すなおに、読書散歩をしていこう。

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「『秀真伝(ホツマツタヱ)』が明かす超古代の秘密」 記紀では解けない日本神話の真相 鳥居 礼

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「『秀真伝(ホツマツタヱ)』が明かす超古代の秘密」 記紀では解けない日本神話の真相 
鳥居 礼(著) 1993/08 日本文芸社 単行本 230ページ
No.3617★★☆☆☆

 この本もまた、我が家の天井階から発掘された一冊(笑)。発行が1993年だから、同年以降に私が購入して目を通したものだろうが、「捨てるに捨てられない一冊」として天井階行きになっていたものだろう。

 私自身は1991年の環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」のスタッフをやったおり、さまざまな史料集めに奔走したために、ホツマとも出会ったが、確たるイメージを持つことはできなかった。この本は93年発行だが、シンポジウムが終わっても、関心があったものと思われる。しかしながら、その後の一連の偽造や偽証問題が発覚し、さっさと距離を置いたものと思われる。

 たまたま見つけたので、掴んで降りてきたが、3・11以降に他のホツマ関連の何冊かを「発掘」した時には視野に入らなかったものと思われる。今読んでも、興味深い点はあるのだが、決定的には、「東日流外三郡誌」や馬場壇A遺跡の石器などが論証の一部に活用されているために、全体の構図が怪しい一冊になってしまった。

 「超古代の聖地『常世の国』は日高見=東北だった」p58、「『秀真伝』の記述は霊性の高い地域、日高見(東北)が中心」p68、「東北生まれのニニキネノ尊は国土整備のため諸国を巡守した」p184、「道奥(ミチノク)の軍勢も降伏した!ヤマトタケノ尊の東征の真相」p222など、関心がないわけじゃぁないが、当ブログの進行としての論拠にするには、いかにも弱い。

 一テーマが見開きの2頁に収まるように記述されていて、私のような初心者にはとても読みやすいのだが、それだけに逆に多くのテーマが含まれることになり、雑然としたイメージは免れない。また、もともとの記紀についてのそれなりの素養がないと、その真偽さえ共感することができない。

 当ブログとしては「言霊―ホツマ」THE WORD SPIRIT(1998/05 たま出版)、「神代の風儀」 「ホツマツタヱ」の伝承を解く(2003/02 新泉社)、などにも目を通しているが、読後感としては、いずれも共感度が低い。

 「秀真伝」に明確な記述があるように、超古代の日高見(東北地方)は、日本における最重要祭祀拠点だったにも関わらず、「古事記」「日本書記」には、それに類する記述がまったく見られない。「ヒタカミ」とは、秀真国(東海・関東)から見て、東方はるかかなたに、高波が寄せるその上に、日を高く見るという意味である。現在地名として残っている「北上」は、「ヒタカミ」から転じたものであろう。p68「『秀真伝』の記述は霊性の高い地域、日高見(東北)が中心」p68

 エスノセントリズムから考えれば、このような贔屓(ひいき)の贔屓倒しは、有難くもあるが、面倒でもある。より信ぴょう性のある「事実」を積み上げていかないと、全体像が基礎から崩れることはよくあることである。

 最新の研究としては『よみがえる日本語』ことばのみなもと「ヲシテ」(青木純雄他 池田満・監修 2009/05 明治書院)などにも目を通してみるのだが、もともとの当ブログの主旨にいまいちフィットしないところが難ありである。

 そもそも3・11後に飯沼勇義史観に出会って、千葉富三ホツマを読み解こうとしているのだが、どうもいまいちエンジンがかからない。その原因は、論あって証が少ない点である。飯沼史観においても万が一3・11が起こらなかったら、私のような節穴のような目には、ちっともひっかからなかったであろう。

 ホツマが、当ブログにおいて、もっと身近に感じられるようになるには、仙台郡山遺跡のような、より学術的で公的な「証」が、さらに明らかになる時代を待つしかないのかも知れない。

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2015/11/23

「飛鳥の宮と藤原京」よみがえる古代王宮 (歴史文化ライブラリー 49) 林部 均

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「飛鳥の宮と藤原京」よみがえる古代王宮 (歴史文化ライブラリー  49)
林部 均(著) 2008/01 吉川弘文館  単行本: 259ページ
No.3616★★★★★

 飛鳥時代のある段階以降、王宮は正方位をとって造営される。これは地方官衙(役所)についてもいえる。たとえば仙台市郡山遺跡のⅠ期官衙(7世紀中ごろから後半)は、北から東に大きく振れているが、7世紀末から8世紀はじめにつくられたⅡ期官衙は正方位をとる。郡山遺跡の機能を継承した多賀城はそのⅠ期から正方位をとる。

 また、福岡県小郡(おごおり)市小郡官衙遺跡では7世紀中ごろに造営された建物群は北から東に大きく振れていたが、それを建て替えた建物群は正方位をとっている。このような変遷をする地方官衙は意外と多い。p28 「飛鳥時代の幕開け」

 当ブログの関心は、藤原京にあり、飛鳥時代にはあまり関係ないのではないか、と考えていたが、いきなりこんな文章がでてきてびっくりした。もうこの時代においては、すでに仙台郡山遺跡の出現は、発見でも憶測でもなく、歴史的事実として織り込まれている。

 なぜ地形まで大きく改変してまで、わざわざ正方位、すなわち真北を指向するようになるのであろうか。私は、この背後に中国からもたらされた新しい思想の影響を見る。すなわち、「天子、南面す」という思想を含めて、新しく導入された中国の世界認識、宇宙論が深くかかわると考える。p29 同上

 藤原京から見て仙台郡山官衙は正確に東北45度の位置にあるという。これもまさしく中国からもたらされた新しい思想の反映であろう。もしⅠ期官衙が振れていて、Ⅱ期官衙が正方位を取るようになったとしたら、思想導入時においては、必ずしもその思想が徹底していなかった、ということになろうか。少なくとも建築の位置は中華思想に則っていたのである。

 さて、いわゆる大宰府のことも気にかかるが、ここでの小郡官衙は、藤原京から見た場合、角度はどうなっているのだろうか。また大宰府と小郡官衙の関係やいかに。

 石神遺跡は、飛鳥寺の北西に隣接し、1981年から継続して発掘がおこなわれている。(中略)東区画の南では石組で護岸をした方形池や石敷が見つかっている。周辺から東北地方で使われていた内面を黒色化した土師器(はじき)が出土しており、蝦夷などの服属儀礼につかわれたのではないかと推定される。

 また、同じ方形池は宮城県仙台市の郡山遺跡のⅡ期官衙にともなって、正殿の北でみつかっており、これも同様の性格をもっていたと考えられる(今泉隆雄「古代国家と郡山遺跡」『郡山遺跡発掘調査報告書』2005年)。 p91「『飛鳥宮』の成立」

 木下 正史, 佐藤 信(編集)「飛鳥から藤原京へ」(2010/12 吉川弘文館)の石神遺跡関連を読んだ時、直感して画像を貼りつけておいたが、まさに直感のとおりだった。

 飛鳥が王宮を中心として、さまざまな施設が配置され、より壮厳化が進む7世紀後半の斉明朝の段階は、孝徳朝における全国的な立評(評は後の郡で、旧来の地域の単位を再編成して設定された新たな地域支配の単位)を受けて列島各地への地域支配が飛躍的に進んだ段階である。

 斉明朝における阿倍比羅夫による日本海側の東北地方から北海道にかけての北征も、王権による支配領域の拡大を意図したものとみてよい。

 飛鳥の石神遺跡で出土する東北地方の土師器や宮城県仙台市の郡山遺跡でみつかった石積の護岸をもつ方形池や畿内から持ち込まれた飛鳥で使われていた土師器(畿内産土師器)の存在は、それが、かなりの達成度であったことを示す。

 ちなみに仙台市郡山遺跡から出土する畿内産土師器は、飛鳥・藤原地域の土器の編年・年代研究に照合すると、飛鳥Ⅱ期新段階から飛鳥Ⅲの古段階(660年頃)のもので、斉明・天智朝のものであり、年代的にも見事に符号する。p104 同上

 パチパチパチ。

 当ブログとしては、そもそもが3・11の被災地域と仙台郡山遺跡の関連から入り、歴史津波の年代からホツマツタエの再読へつづいた。しかし、すぐそばにある郡山遺跡の圧倒的な存在感から、大和朝廷や藤原京との関連を知りたいと思って、この本を読み始めたのだが、わずか16年間の藤原京よりも、むしろ、それに先立つ飛鳥時代のほうがより密接に関係しているのではないか、と気づくことになった。

 特に、仙台郡山遺跡Ⅰ期については、まさにその通りなのであった。再読すべきところ多い一冊である。

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「飛鳥から藤原京へ」古代の都〈1〉木下正史他

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「飛鳥から藤原京へ」古代の都〈1〉
木下 正史, 佐藤 信(編集) 2010/12 吉川弘文館 単行本: 328ページ
No.3615★★★★★

 6世紀松から8世紀初頭にいたる飛鳥・藤原京の時代は、わが国が本格的な古代国家を形成させた時代であった。

 「国家を成立させるためには旧い愚俗は廃棄しなければならない。死者を厚く葬る古墳は捨て去るべき文明以前の旧俗である」。「日本書記」編者は、大化2年(646)3月の「大化薄葬令」の中で、中国の「魏志」武帝紀などの知識を使いながら、「大化の改新」によって社会が新段階に入ったことをこのように語っている。p1木下「はじめに」

 まさにこのような時代に飛鳥から藤原京建設の事業が始まったのだし、時を同じくして、東北における、仙台郡山国府の建設が始まったのだった。

 藤原京時代は中央集権的な律令国家を誕生させた大きな画期であった。701年、行政法と刑罰法を備えた最初の体系的法典大宝律令令が完成する。p20 木下「『日本』の誕生」

 仙台郡山遺跡の国府の第Ⅱ期は、このような時代に建設されたものであろう。

 仏教は538年ないし552年に百済聖明王から公式に伝えられたとされる。蘇我対物部・中臣の「宗教戦争」を経て、6世紀末の蘇我馬子による最初の本格的寺院飛鳥寺の建立、そして推古2年(594)の推古天皇による仏教隆盛詔によって、隆盛へと向かう。初期仏教は、蘇我氏や聖徳太子が主導するものであった。p26木下「仏教の受容と寺院の造営」

 仙台郡山遺跡の第Ⅱ期官衙に付帯した廃寺建設は、まさにこれらの事実からおよそ半世紀~1世紀の後のことであった。

 前方後円墳の築造は6世紀末前後の推古期に各地でいっせいに終焉し、天皇稜は方墳化する。古墳時代の終末を告げる大変革であり、以後の古墳を終末期古墳と呼称している。p33木下「大化薄葬詔と古墳の終焉」

 私たちの土地に見られる雷神山古墳遠見塚古墳などの前方後円墳は、このようにして旧態化していった。まさに縄文、古墳、ホツマ文化は、大陸文化、都城、仏教文化へと変遷していったのである。

 藤原京は、天武10年(681)に編纂を開始し、持統3年(689)に頒布された飛鳥浄御原令に対応する都城であり、まさしく律令制都城の成立を告げるものではあったが、それが真に完成を迎えるのは、大宝令に対応した新しい都城---平城京の造営を待たなければならなかったのである。p159 小澤毅「藤原京の成立」

 となれば、ざっくりと、仙台郡山官衙が機能した時代は、飛鳥から藤原京時代に機能したのであり、多賀城国府は、平城京時代から機能したと考えてもいいのだろう。

 高御座の表現は、文武元年(697)8月17日の文武天皇即位の宣命に「この天津日嗣高御座の業(あまつひつぎのたかみくらのわざ)」とあるのが最初で、「天津日嗣」という語句に続いて「高御座」とある。これ以降の用例においても同様であり、タカミクラは天皇位の象徴とされる。232p今尾文昭「八角墳出現の意義」

 大和朝廷の国家統制へと向かう過程における用語の在り方に留意しておこう。

 「日本書記」に、推古20年(612)に百済から渡来した路子工に「須弥山の形及び呉橋」を南庭に構えさせており、斉明3年(657)には「須弥山の像を飛鳥寺の西に作る」とみえる。

 さらに斉明5年(660)五月条では、「甘樫丘の東の川上に、須弥山を造りて、陸奥(みちのく)と越(こし)との蝦夷(えみし)に饗(あえ)たまふ」とみえ、斉明6年(660)五月条でも「石上池(いそのかみのいけ)の辺(ほとり)に須弥山を作る。高さ廟塔の如し。以て粛慎(あしはせ)四十七人に饗たまふ」とあるように、蝦夷たちに給う饗宴の場がこの石神遺跡であったと考えられる。

 日本律令国家が「小中華帝国」として中央集権的に形成されう段階では、蝦夷・隼人たちの「服属」を可視的に表現することが重要な意味をもったが、彼らへの饗宴の場として、石神遺跡が機能したのであった。p267 佐藤信「石神遺跡」

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 この饗宴の場こそ、「郡山遺跡」 飛鳥時代の陸奥国府跡(長島榮一2009/02 同成社)の表紙にもなっている、仙台郡山遺跡の饗応の儀式が行われたされる石組との相似形なのであろう。

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 日本の古代国家が、唐の大帝国にならって中央集権的な国家体制を形成し、律令制を確立する時代が、7世紀の飛鳥・藤原の時代であったといえる。p272佐藤

 6世紀末から8世紀初頭に至る飛鳥・藤原京の時代は、隋・唐という東アジアのグローバル・セナーを拠点とした盛んな国際交流のなかで、新しい政治・社会制度、思想・信仰、技術、芸術、生活様式などさまざまな制度・文化を受容、咀嚼して、ダイナミックに「質的変換」を測り、伝統的なものと融合させながら日本化させ、日本独自の特色をもった本格的な古代国家や政治都市を形成させ、新文化を醸成させていった時代であった。それは明治時代の文明開化にも匹敵する「古代の文明開化」の時代ということができるだろう。p320木下、佐藤「あとがき」

 明治の文明開化、終戦後、そして現在は、まさに新しいグローバル・スタンダードの荒波に洗われている時代である。そしてまた、この藤原京時代も、あたかも、飛鳥時代から平安京へと移り変わる大きな時代の節目であった、と捉えることは可能であろう。

 木下には他に「藤原京」よみがえる日本最初の都城(2003/01 中央公論新社)がある。

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2015/11/22

「藤原京」よみがえる日本最初の都城 木下正史

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「藤原京」よみがえる日本最初の都城
木下 正史(著) 2003/01 中央公論新社 新書: 305ページ
No.3614★★★★☆

 およそ1300年前、都は飛鳥から藤原の地へと遷る。持統天皇が「春過ぎて夏きたるらし」と詠った都は、710年の平城京遷都まで16年という短命の故か、あまり語られることがなかった。

 元号が始まり、和同開珎が鋳造された古代史上最大の転換期に、最初の本格的都城はどのように計画され、廃都にいたったか。「日本書記」などの文字資料だけでは窺い知れない都の相貌が20余にわたる発掘によってよみがえる。表紙見返し

 当ブログが藤原京に関心を持ったのは、郡山遺跡のⅡ期官衙(かんが)が藤原京の2分の1のスケールで作られている、という事を聞いてからである。ええ? それって一体なに? と耳がダンボになった。

 藤原京やその時代を知る資料としては、「日本書記」「続日本書記」「万葉集」などの文献資料がある。だが、これらは奈良時代の編纂史料であり、その記事内容がそのまま歴史的事実を物語るものではなく、史料内容の批判的な研究を通して使用することが必要である。しかしもこれら文字史料が、藤原宮や京について語るところはきわめて限られている。p8「藤原京の誕生とその時代」

 郡山遺跡については、限りなく資料文献が少なく、遠く離れた北日本のことであるし、50年に満たない期間しか存在しなかった官衙であるので、「差別」的に史料が残されなかったのではないか、と勘繰っていた。しかし、こと藤原京においてさえ、このような状況なのである。今後の研究、発見に期待したい。

 藤原京・宮はどのように計画され、建設されていったのか? 「日本書記」に記された天武天皇時代の都づくり計画に遡って検討する必要がある。p33「天武天皇による都城建設の構想」

 この本は、具体的に発掘調査の結果を踏まえて細部にわたって検討されている、実に真面目な一冊である。

 「日本書記」は藤原京のことを「新益京」と呼んでいる。これを「あらましのみやこ」と読んで、飛鳥の「もとの京」に対して「新しく益した京」の意と解されている。p46

 計画から建造の期間もあっただろうが、京として機能したのは694年~710年の間ということになるのだろうか。とするなら、この構造ときわめて似た構造を持つ郡山官衙は、いつどのような繋がりで、そのような建築物となったのであろうか。

 発掘によて、日高山から北方の朱雀門・朝堂院・大極殿院にかけての地域では、埴輪や古墳副葬品などを含む盛土で整地した様子が明らかにされている。p66「遺跡が語る藤原京の造営」

 よりによって、藤原京は日高山の真北に造営されている。この日高山とは、当時からの呼び名なのだろうか。そして、この山の名前は一体どこからきたのだろう。東北の日高見(ヒタカミ)と、なんらかの繋がりはあるのだろうか?

 市街地には、貴族、官人、民衆が住み、官立寺院である大官大寺や薬師寺、貴族層の私寺、公設市場などが重要な構成要素として備えられた。p156「本格的京城の誕生」

 そして、この時代における薬師如来の崇拝はどのようなものだったのだろうか。

 藤原の京はその規模、構造、内容の上で飛鳥の京をはるかに超えて、古代都城制発達史上に飛躍を画したものであった。だが、それは飛鳥で生まれた伝統を引き継ぐなど平城宮・京に比べれば未成熟なものであったし、理想の宮都としてはさまざまな矛盾を抱えるものであった。p284「藤原京廃都」

 それにしても16年とは実に短い。21世紀もまもなく2016年となる。

 柱・瓦・礎石など再利用できる建築資材は、平城宮や京へと運び、さまざまな用向きに再利用されたらしい。藤原京が火災によって焼失したとは考えにくい。こうして貴族や官人等も平城新都へと移り住み、藤原の都は年の体裁を急速に失い、廃都と化していく。p285同上

 これら奈良を中心とした中央政権の変遷のおり、東北の地において、一体、郡山遺跡や多賀城にみる状況は、一体どのような関連を持っていたのだろうか。

 藤原宮跡を訪れてみよう。大宮殿(大宮堂)と呼ばれている大極殿跡の土壇を除けば、宮跡は条里制による耕地整理によってかき消されていて、地表からその跡をたどることは難しい。

 だが注意してみれば、そこここの小さな用水路やわずかな地形の起伏に、あるいは地名に、その跡をわずかながらどどめていることを知る。藤原の都の実像は、廃都後から今日に至るこの地の歴史の営みをだどることによって、よりいっそう豊かに復原できるのである。p295 同上

 藤原京においてこの通りである、郡山遺跡の発掘調査はまだまだであり、ましてや都市化の波のなかでの調査なので、さまざまな苦難が立ちはだかっている。郡山遺跡については、吸収の大宰府との関係からも推測できるはずである。

 著者には他に「飛鳥から藤原京へ」(共著、2010/12 吉川弘文館)などがある。

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「クラインガルテン計画」<17>除草マルチ

<16>からつづく

「クラインガルテン計画」

<17>除草マルチ  目次

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 無計画な週一農業ではあるが、半年も経過すると、それなりにいろいろなことが解ってくる。一番は、とにかく草は生える、ということである。30坪ほどの畑なのだが、週一で、しかもわずか二時間ほどの作業となると、除草に取られる時間が勿体なく感じる。

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 しかし、除草剤は使いたくないので、ここは除草マクロでカバーしていくしかないだろう。マクロ資材はどうもプラスチックなので、使いたくないなあ、と思っていたし、それなりの経費がかかりそうだ。

Ma002

 そう思いつつホームセンターに立ち寄ってみれば、マルチはそれほど高価でもなく、一番廉価なものだと、幅95センチで長さ1メートルで10円チョイの価格である。保温性の高いものはもう少し値がはるし、幅も長さもいろいろありそうだ。

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 なにはともあれ、除草し、マルチを張ってみる。本来であれば、タマネギやラッキョウ、アサツキなどの畑に活用すればよかったのだが、植え付けの時には、そこまで腹がすわっていなかった。10メーター弱、張ってみたけれど、マルチはマルチなりにコツがありそうだ。

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 これで、化成肥料888+マルチ、と、かなり譲歩した気分にはなったのだが、より現実的な週一農業に近づいてきたのではないか、と思う。現在使っているのは、30坪ほど。将来的にはこの10倍の300坪ほどの農地が使用可能になるので、そこを頭に入れて、いろいろ実験中。

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 <18>へつづく

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2015/11/21

「多賀城跡」 発掘のあゆみ2010 東北歴史博物館

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「多賀城跡」 発掘のあゆみ2010 
東北歴史博物館 多賀城・大宰府と古代の都 特別史跡多賀城跡調査50周年記念特別展 2010/09 パンフレット 122p
No.3613★★★★☆

 藤原京や大宰府と、郡山遺跡の関連を知りたくて取り寄せた資料だったが、このパンフレット自体は、記念特別展のパンフレットという位置付けであった。必ずしも期待したものではなかったが、パンフレットのなかに、その関連のいくつかを見つけたので、貼り付けておく。

 このパンフレット自体はネット上のPDFで、全体を見ることができる。

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 郡山遺跡について説明してある。

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 郡山遺跡にも、これに準じた寺院が建設されていた可能性もある。

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「いつまでもデブと思うなよ」 岡田斗司夫 <4>

<3>よりつづく
いつまでもデブと思うなよ
「いつまでもデブと思うなよ」 <4>
岡田斗司夫 2007/08 新潮社 新書 223p
★★★★☆

(編集中)

 (電子的な記録は2008年からだが、それ以前の手書きの記録もある。そのうち追記する予定)

 2008年2月27日 この日の前後では西田幾多郎や中沢新一を読んでいた。この寒い日あたりから血圧計測が始まり、3月13日に終わっている。アラン・ワッツ、鈴木大拙、あるいはOsho「禅宣言」などを読みながら、結局、計測器の使い方もままならないまま、計測熱は冷めてしまったようである。検診日は9月19日で、体重は大目で、血圧も高めだが境界域を大きくはずれてはいない。

 2009年は3月、当ブログ「1.0」から「2.0」へ引っ越しし、その3月あたりから計測しようかな気配はあるが実に微小で、9月20日あたりから本格化する。この年9月に民主党が政権の座について、新しい時代の風が吹いた。

 検診日は10月16日。この日の計測では、私の体重が記録上最大の日であり、血圧も上昇している。

 ダイエット記録は12月27日まで続いているが、その後は消えた。この摂生により血圧は正常値内に沈下、体重も3ヵ月で10キロ減量に成功している。しかしながら、この成功で安心したか、クリスマス、お正月のご馳走で、敢えなくリバウンド、計測する気すら失われたようだ。

 2010年の検診日は10月29日。検診日が近付いた10月14日からダイエットを始め、二週間で体重を2キロ、血圧はほぼ横ばいだが、ぎりぎり正常値内だった。しかし、検診の指導では、これでもまだまだ高いと言われ、ちょっと切れかかっている。この年は忙しかったのか12月の師走になると、すぐにダイエットのことは忘れてしまう。

 2011年は、前年末に初孫が生まれて、その世話でダイエットどころではなかった。御里帰りも終り、ほっとしているところに3・11が起きて、むしろ過剰防衛となり、体重と血圧は、確実に上昇。10月25日の検診に向かって、9月14日あたりからダイエットが始まった。体重は元の黙阿弥、血圧も目標値より20も高い。

 ところが、検診日には、計測値の誤差もあるのか、なんなく血圧は合格。いままでにないくらい良好。ただ体重はおとし切れなかった。翌年1月までダイエットは続いたが、1月一杯努力したものの、正月のご馳走で、年末と記録的には成果が上がらなかったので、2012年1月一杯でダイエット終了。その後、二人目の孫が生まれ、一時、同居することに。ダイエットよりも、孫の風呂入れが優先するようになった。

 2012年の検診日は10月29日。ここにおいてはもうダイエットらしきことはしていない。孫たちの世話が第一で、むしろ、腰を痛めたり、子供たちを病院に連れていったりするのが優先となる。検診結果はもちろんNG。いつもの指導が医師から告げられる。

 2013年の検診日は10月21日。ダイエットは6月24日から始めたため、検診日には良好な結果を得る。体重、血圧、ともに境界域ぎりぎりながら、まずまず、このまま行きましょうのレベル。だが、それがいけなかった。その結果を聞いて安心して、そのままダイエットのことなど、すっかり忘れてしまう。

 2014年の検診日は10月22日。体重、血圧とも良好。前年とそれほど大きな違いがない。むしろ肝機能など改善がみられる。しかし、この年は、ダイエットらしきものはしておらず、むしろ、体調が良好なことをいいことに不摂生を重ねてしまう。この年、孫があらたに二人生まれ、そちらにエネルギーを取られる。

 2015年。検診日は10月20日。もう、めんどうくさくなって、ダイエットなんてことはすっかりやる気を失っていた。結果、体重も中ぐらいにリバウンド、血圧は、過去最低の結果となっていた(涙)。

 

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 この他、コレステロールや尿酸値などの結果変動もあるが、公開のネット上であり、割愛する。というか、上の結果に付随する効果(逆効果)がはっきりしている。

1)ダイエット効果は明らかであり、今の方法は間違ってはいない。
2)しかし、持続力がない。一定の効果があると安心してしまい、それでやめてしまうことになる。
3)これからは、むしろ数値的な結果にこだわらず、ダイエットそのものを継続することを目標とする必要がある。
4)そのためには、多少のムラがあっても、とにかくダイエットの基本に戻ること、戻れるようにすることが大切である。
5)昨年までと今年の比較ではっきりしていることは、飲酒習慣が減ったことである。意識して減らしている。しかし、それに検査結果の数値がついてこない。ダイエットのために節酒したわけではないが、節酒したから結果がいいはずだ、という思い込みは間違っている。
6)節酒効果は、むしろ、ダイエットに飽きてしまっても、基本路線に復帰する機会と考えて、酒でマヒしないようなダイエット行動をとるようにしよう。
7)本日、11月21日現在の個人的な目標は、来年の秋に予定されている検診日まで、数値的な結果など二の次で、とにかくダイエットを続けていくことである。
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 思えば、Osho「こころでからだの声を聴く」を当ブログに盛んに転記していたのは、2013年6月~10月の頃であった。初心忘れず。継続は力なり。

<5>につづく

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「言霊とは何か」 - 古代日本人の信仰を読み解く佐佐木 隆(著)

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「言霊とは何か」 - 古代日本人の信仰を読み解く
佐佐木 隆(著) 2013/08 中央公論新社 新書: 241ページ 
No.3612★★★☆☆

 個人的に言霊(ことだま)とは、「矢(や)」と「的(まと)」で「やまと」である、とか、「火(か)」と「水(み)」で、「かみ」であるとか、やや言葉遊び、ダジャレにさえ通じるような、アナグラムの世界のように思っているが、この本は、そんな遊び心とは一線を画す。

 本書のおもな目的は、古代日本人にとって「言霊」とはどんなものだったのかを具体的に検証することにある。piii 「まえがき」

 本書でいうところの「古代」も平城京期あたりに限定されているようである。しかし、それでも、ひとつひとつが文献に裏打ちされており、また解釈がほぼ確定されている分野について網羅されており、新しい事実というよりは、ひとつの視点の提供、と言っていいのだろう。

 「言霊」が神のもつ霊力だったとすれば、ことばに対する当時の日本人の考えは、すでに原始的なアニミズムの領域を脱していたことになるだろう。アニミズムというのは、自分たちの周囲にある多くの物にそれ特有の霊力がやどっており、自分たちが目にするさまざまな現象の一部は、そのような霊力によって引き起こされたものだ、というような考え方である。p17「『万葉集』の「言霊」」

 晩年に強く明示的にアニミズムに傾斜し、当ブログがいうところの「アニミズム三部作」のような著書を持つ山尾三省のような人が回帰しようとしたのは、この本で書かれているような時代以前へのことだった、と、ここで確認できれば、それでこの本は大いに役立った、ということになろう。

 当然と言えば当然のことなのだが、本書においては「古事記」「日本書記」「万葉集」などは盛んに登場し引用され検証されるのだが、「ホツマツタエ」など、前駆的な資料、あるいはその可能性については、一切触れられることはない。

 文献的な裏付けは少なくとも、例えば、私の住まい地域には、それに先駆ける郡山遺跡などが存在するのであり、文献学がどうのというより、一体、ここは何だったのか、という真実探求の科学的好奇心のほうが強い。

 言霊として残されていない時代を、言霊として残した「ホツマツタエ」の世界。ここにも大いなる矛盾があり、文献としても、どれだけの資料性があるのかは、いまだに確定していない。しかしまた、仮に偽書であったとしても、その成立や主旨を読み解けば、それはそれなりに、言霊以前の世界を垣間見る機会となるだろう。

 そのためにも、このような「真面目」な本が存在することは、ありがたいことであるし、今後も機会あれば、再読し、理解を深めたいものだと思う。

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「七五調の謎をとく」 日本語リズム原論 坂野 信彦

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「七五調の謎をとく」 日本語リズム原論
坂野 信彦(著) 1996/10 大修館書店 単行本: 273ページ
No.3611★★★☆☆

 飯沼勇義史観が、古代の時間軸の根拠の一つとする千葉富三ホツマを読み解こうとしてからだいぶ時間だけが経過したが、どうもいまいち納得しかねる部分で足止めを食らっている。

 そもそもホツマが、五音七音でまとめれていることに、いまひとつしっくりこないのだ。本当にホツマが真書であったとして、なぜに、五音七音で、徹頭徹尾まとめられているのか。

 それに対し、古事記、日本書記、古今和歌集を初めとする俳諧の世界においては、その枕詞として陸奥・東北に題材を求めているものがおびただしい数で存在している。

 となると、やはり昔の古代より、日本の源流は、東北みちのく日高見・縄文にあるのか。

 それにしても、なぜ、五音七音なのか。

 その問い掛けに対して、本書も真正面から回答しているものではない。

 いずれも七音ないし七音と五音の組み合わせからなっています。これらがたいへん調子のよいものであることは、だれもが感じることです。ではなぜ、これらの文字は調子がよいのでしょう。---ほとんどのひとは答えられません。まして、なぜ七音・五音という音数なのか、という問題にいたっては、だれにも答えられません。p3「はじめに」

 個人的には、五七調というほうがイメージしやすいのだが、本書では七五調と言っている。著者にかぎらず五七調と七五調では、厳密に区別されており、ましてや著者においては七五調のほうが基本であり重要度が増す。

 「日本語リズム言論」のサブタイトルが示すように、多くの作品をとりあげ、ひとつひとつの語調のなかに、原理原則を見出そうとする。その努力は、今まで当ブログがまったく気づいていなかった世界が展開されている。

 いつか本書をひもとくことがあるかもしれないが、当ブログの流れとしては、ここで止まるわけにはいかない。再会を期す。

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2015/11/20

「叛逆」―マルチチュードの民主主義宣言 アントニオ・ネグリ他<4>

<3>からつづく


マルチチュードの民主主義宣言<4>
アントニオ・ネグリ , マイケル・ハート (著), 水嶋 一憲 , 清水 知子 (翻訳) 2013/03 NHK出版 単行本 216ページ
★★★★★

 4つの主体形象(p24)を、自らに引き寄せて、あるいは身近な例として考えてみる。

「借金を負わされた者」

 これは現代人であれば、ほぼすべての人間が背負っていると思われる。奨学金、住宅ローン、自動車ローン、医療費、各種保険料、通信料。もちろん払いきれない人もいるが、与信審査で払える範囲ギリギリというケースも多い。もちろんカード破産などする人もいる。

 それに対し本著は「借金をひっくり返せ」という。(p66)  さまざまなケースがあるのだろうが、一般的には無理だ。借りたものは返さなければならない、という倫理観が働く。ただ理不尽な形で背負わされたものについては再考を要する。

 ベストな形は、そもそも借金をしないことだろうし、車をもたない、タイニーハウスで加重な住宅ローンを借りない。ケータイ等も負担を軽くする方法を考えるしか対策はなさそうだ。

「メディアに繋ぎとめられた者」

 そもそも当ブログなどは、40数年前からのミニコミ運動やフリーメディア運動に関わりを持っている時点から、マスメディアに関しては、それなりの対策を取ってきた。まず、鵜呑みにしない、複数のニュースソースを持つ。自ら取材し体験する。当事者の話を聞くなど。

 ただ限界も多い。例えばウィキリークスのようなハッカー達が活躍しなければ知らされない情報も多い。また、そのような情報も、どれだけ信ぴょう性があるのか、定かではないことが多い。

 本書では「真理を作り出せ」という。一歩前にでている。当ブログの読書ブログ+という形態は、ある意味その路線を歩みだしてはいるのだが、決して楽観的なものではない。専門的にメディアに関わる者たちの公正で願う部分が多い。

「セキュリティに縛りつけられた者」

 守ったものが守られる、という、例えば交通ルールのように、一定程度は自らの安心は確保されるはずなのだが、一方的に被害者になることも多い。転ばぬ先の杖、は常識であり、定期点検、保険整備、安全運転など、やっておかなければならないことは多い。

 しかしながら、ひとりの人間として、社会に生きる上で、数々のセキュリティの危険に冒されているのは事実である。パソコンしかり、防犯しかし、防災しかり。そこを狙って、支配者たちは、さらに支配力を強める。

 対する本書は「逃走し、自由になれ」と説く。革命を志す、向こう傷を恐れない若者だったりすれば、それも悪くない。しかし、社会的な弱者、ハンディキャップ、若年者、高齢者などは、そうそうはいかない。

「代表される者」

 私は選挙権がある時は100%投票してきたので、棄権したことはない。それで民主主義の権利をすべて行使してきたという自覚はあるのだが、どうもことはそう簡単ではない。それだけではダメだ。

 ひとつの陣営に加担したり、ロビー活動を容認したり、あるいはデモのようなものに参加したからと言って、情勢そのものに大きな変化はない。本書では「自らを構成せよ」という答えを出す。

 本書は、そうとうに個性的で「かくめい」的だ。だれもがここで言われるところのマルチチュードと自らを規定するのは簡単ではない。その方法は、ある時点での突発的な出来事の追認として、そのような評価はできるかもしれないが、ことはそんなに簡単に解決できるものではない。

ーーーーー

 <コモン>を創り出すことは、そうたやすいものではない。すでにあるものを<コモン>として追認し、それを拡大し、保護することはできるだろう。いま、私たちはどのような<コモン>を持ち得ているのか。個人レベルで言えば、それを確認する作業さえ、簡単ではない。

 この本、非常に示唆的であり、精読に値するが、独創的な部分も多く、また夢想的でもある。読み物としては面白いが、実践的に、わが身に置き換えてみた場合、日暮れて道遠しの感がある。

 いずれ復活するとして、この辺で、一旦、頁を閉じておく。

つづく・・・・・かも

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2015/11/19

「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット 角川インターネット講座15 伊藤 穰一 (監修)<2>

<1>からつづく

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「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15 <2> 
伊藤 穰一 (監修) 2015/10 KADOKAWA / 角川学芸出版 単行本213 ページ、 Kindle版 ファイルサイズ: 4328 KB 
★★★★☆
 


 監修者の伊藤穰一以外の5人の論文にも目を通してみた。

「テクノロジーの前あし、アートの触覚」 スプツニ子! 027p

 1985年生まれというから、うちの愚息と同じ30歳、の女性。1998年、13歳の誕生日にiMacを家族がプレゼントしてくれたという。我が家でも半年遅れになるが、その上の女の子が高校受験に合格してiMacをプレゼントした。時代背景は分かる。まだデジタル・ネイティブとまでは言えないが、私とは世代が一つ違う。現在MITメディアラボ助教。

 バイオテクノロジーというと最先端科学のイメージを持ちやすいのだけれど、日本人が大好きな納豆、しょう油、味噌、日本酒、麹(こうじ)といった発酵食品は、日本独特のDIYバイオである。アマチュアでもバイオを研究するDIYバイオの新しさと、日本の土着の文化が接続するような空間をつくってみたいと思っているし、そこで、「あっ、これはおばあちゃんがやっていたこと。おばあちゃんはDIYバイオサイエンティストだったんだ」という気づきがあったりしたら、楽しい。p049スプツニ子!「アートで議論する未来の自然」

 伊藤穰一の文章にもあったけど、キッチンで行なうバイオテクノロジーの実験など、たしかにDIYバイオは楽しそう。しかし、納豆づくりも、ドブロクづくりも、ムズカしいぞ・・・。日本に限らず、ワイン作りや、チーズ作り、キムチ作り、ヨーグルト、ピクルス、メンマ、アンチョビ、サラミ、パン、バター、いろいろあるでよ。

 まぁ、バイオテクノロジーなんて、あんまり難しく遠巻きしないで、DIY感覚でやる時代が、そこまできているよ、というご宣託。

「コードとコードの『戦争』」 ケヴィン・スラヴィン p055

 こちらの型もMITメディアラボ助教授。タイトルから察することができるように、プログラムやアルゴニズムの進化の行く先を見つめる。残念ながら、プログラムやコートを一行も書けない(古いベーシックなら、なんとか理解できるけど、もはや役にはたたないだろう)私としては、とてもついて行けないし、あまり関心を維持できない。

 コンピュータVSコンピュータの将棋やチェス、なんてものや、株取引の心理戦など、勝ち負けにこだわるコンピュータの使い方には、私は一線を引いておきたい。ネットオセロなども、対戦はするけど、コンピュータとやっても、ちっとも楽しくない。コードとコードの間に、「人間」が存在しないとなぁ。

「個体としての人間の変化」 ドミニク・チェンp075

 1981年生まれの研究者、著書も多数。オープンソース、フリーソフトウェアなどについて触れている。

 ソフトウェア以外の著作物もまたオープンにしようというフリーカルチャー運動に属するクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのなかでも、フリーソフトウェアと同等の自由度を利用者に与える作品をフリーカルチャラルワークス(自由な文化作品)と定義している。p086「フリーカルチャーに通底する思想」

 オープンソースについてはシリーズ第2巻ネットを支えるオープンソース」にも詳しい。私はシェアするほどのソースは持っていないが、いつかは読書のデータベースになるかもしれないと、できるだけ再利用可能な形でブログを書いているつもり。クリエイティブ・コモンズ・ライセンス、のコモンズは、ネグリ&ハートの「コモンウェルス」に通じる筈。

「このテクノロジーはフィクションではない」 藤井直敬 p105

 1965年生まれ、医学博士。脳やヴァーチャル・リアリティ(VR)に触れている。VRは、例のセカンド・ライフで懲りているので、いまいち乗り気ではない。

 脳科学や人工頭脳などについては関心あるものの、当ブログの読書としては、すでに一定の飽和状態になっていて、受容領域が狭まってしまっている。

「3Dプリンターの自己再生メカニズム」 田中浩也 p140

 ドローンやら3Dプリンタやらという、IT界のトピックスには、なかなか面白いテーマも多いが、「人類の進化」という話題には届きそうにない。本文では、オープンソースやフリーソフトウェアについての言及もあるが、その話題については、上にも記したが、第2巻ネットを支えるオープンソース」ソフトウェアの進化 プログラマー が詳しい。

 ところで、ドミニク・チェンの文章のなかに次の部分があった。

 4分と33秒の間、全く演奏を行なわない演目に注意を向け、逆に体内や環境に偏在する音に気づかせるというコンセプトの楽曲「4’33”」を書いた20世紀のジョン・ケージは、米国で禅の思想を説いた鈴木大拙に師事して以来、「妨害なき相互浸透」(interpenetration without obstrukution)というフレーズに取り憑かれた。

 もともと仏教思想から鈴木が英訳した言葉だが、ここまで考えてきた私たちの言葉でいえば「妨害なき」とは他律的な制御の影響のない状態、そして「相互浸透」とは相互の有機構成が密接に連関したコミュニケーションとしてイメージすることができる。p95ドミニク・チェン「人間のためのデザインのプロセス」

 気になる部分であるが、本書全体として、ここと「人類の進化」がどれほど密接に繋がっているのか、ちょっと不明だった。

<3>につづく

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「植物のある部屋」 宝島社<2>

<1>からつづく

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「植物のある部屋」 <2>
宝島社  2015/9/17 大型本: 95ページ
★★★★☆

 一度はバッサリと切り捨てたつもりのこの本であったが、なんともその魅力抗しがたく、実は何度も書店に通ってみた。あの店でも見たし、あちらのショッピングモールでも立ち読み。ネットでも何回もチラ見したのだ。

 時あたかも、当ブログを書いて得たアフェリエイトが多少ゲットできたようで、一冊購入するには不足したが、割安に購入した。図書館にあれば借りて読むんだが、図書館にはない。まぁ、この手の本を、何冊か手元に置いておくの悪くない。

 なんでそういう顛末になったかというと、この本のタイトルが悪いのである。「植物のある部屋」 とは、なんと中途半端なタイトルであろうか。もっとカッコいいタイトルにして欲しかった。これでは、まるで、部屋に引きこもって観葉植物をいじっているオタクにすぎないではないか。

 こちらはエコビレッジを夢想し、5坪ながら市民農園も始めたし、週末には車で片道一時間のところにクライン・ガルテンも開設したのである。奥さんから奪取したグリーン類を事務所に並べ始めたのは確かにこの頃だが、キチンと「ボタニカル・ライフ」などと、恰好つけているのだ。あまり茶化されては困る(笑)。

 などと、あの頃はイキがっていたのだ。だが、市民農園もクラインガルテンも、いまいち成果が上がらない。エコビレッジ計画など頓挫同様。そんな実態を直視するにつけ、ボタニカルなどと勿体ぶるよりも、おとなしく、素直に「植物のある部屋」に引きこもるのが、上等ではないか。そんな風に、かなり退却した気分に襲われたのだった。

 でもでも、この本って、そんなに卑屈ではない。なかなかやるよ。やる時はやる。とにかくあちこち面白い。似たような本もたくさんあるのだが、この本、宝島社からでている。宝島社の本には、私は弱いんだよなぁ。一目おくことにしている。「あの」宝島社だからね。

 ということで、ネットで購入しちゃいました。

<3>につづく

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「郡山遺跡」 飛鳥時代の陸奥国府跡 長島榮一<8>

<7>よりつづく

「郡山遺跡」 飛鳥時代の陸奥国府跡<8>
長島榮一  2009/02 同成社 全集・双書 185p

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 ショッピングモールで買い物した帰り足、また行きたいなぁ、と思いつつ行けないでいた郡山遺跡発掘事務所を訪問してみた。別段に説明会等の日程でもないのに関わらず、担当の方には、実に懇切丁寧に時間を取って説明していただきました。本当にありがとうございました。

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 3・11後にようやく、この世界に目覚めた私としては、もう少し頻繫に通って、いろいろ教えてもらいたいのだが、ついつい忘れがちになる。いざ、今日こそは。

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 1350年前の遺跡である。逃げもしないし、隠れもしないだろう、とは思っているのだが、震災で立て直す家屋も多くあり、その際に発掘調査が進み、第二期官衙(かんが)の北辺などに新たな発見があったらしい。

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 ドシロートの私なんぞには、たんなる石欠けにしか見えないような発掘物にも、たくさんの貴重な情報が隠されているのである。私は、柳生かやの木付近から発掘されたという布目瓦について質問した。

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 瓦を制作する時に、型に粘土を入れる時、後から剥がしやすくするために布を使ったという。その布目が瓦に残るのである。この技法が使われた時期も特定でき、少なくとも、掘立小屋のような有体の建物ではなく、役所や寺院に使われることが多かった、という説明があった。

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 それと、この郡山遺跡からは文字らしきものはあまり発掘されていないのか、という印象を持っているのだが、ここで書かれたものは、中央へ運ばれた可能性も高く、それらの一部が、廃棄処分になる時に、裏紙として使われ、貴重な資料として発見される時もあるらしい。

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 廃寺跡も気になるところだが、明らかにそれは宗教的な意味あいを持っていたらしく、当時の藤原京や大宰府との関連が指摘されているとのことである。当然、仏教も、まだまだなまなましい原型を保っていた可能性も、と胸を膨らませる。

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 頂いたパンフレット類もバージョンアップしていた。

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つづく

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「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15 伊藤 穰一 (監修)

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「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15
伊藤 穰一 (監修) 2015/10 KADOKAWA / 角川学芸出版 単行本 213 ページ、 Kindle版 ファイルサイズ: 4328 KB 
No.3610

 昨年10月から始まっていた「角川インターネット講座」全15巻がようやく完結した。どちらかと言えば、この50年ほどのインターネットの歴史をおさらいしようという方向性で、おざなりな内容も多いのだが、それらを踏まえて、さて、完結編である15巻目はどうなるのか、期待して待っていた。

 監修者は伊藤穰一(じょういち)。1966年、京都生まれながら、英語ネイティブで家族とともに外国暮らしも長い。少年時代よりネット文化の発展に立ち合い、多方面で活躍する。MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ現所長(4代目)である。

 当ブログでは10年ほど前に著書「革命メディア ブログの正体」 No.1ブログ検索エンジン テクノラティ(Technorati)の挑戦 2006/3インデックス・コミュニケーションズ を読んだきりだが、 この角川インターネット講座第12巻「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) 東浩紀(監修) のなかで伊藤の論文が引用されている。

 MITメディアラボについては、その名も 「メディアラボ」―「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦(1988/04 福武書店)という本を読んだことあるが、その著者がなんと「ホールアースカタログ」のスチュアート・ブランドである。ブランドもまた1985年あたりからこのMITメディアラボに参画している。

 はてさて、今回のこの15巻目「ネットで進化する人類」はどうなっているだろうか。伊藤は監修者となっているが、本書の編集にどの程度関わったのか定かでない以上、ご本人の文章をまず読んでみることとする。

 全213頁のうち、序章「ビフォア・インターネット、アフター・インターネット」が実質15頁、終章というべき第6章「バイオ・イズ・ニューデジタル!」が実質35頁。この中に、私が期待したような内容が書いてあるだろうか。残る150頁ほどで他の執筆者5人が担当しているが、それらは、後回しだ。

 序章については、自己紹介と全体的な紹介があるだけであり、特筆すべき点は多くない。これだけでは、私は満足できない。第6章もそのタイトル「バイオ・イズ・ニューデジタル!」からすると、どうも期待はずれに終わるか。

 確かにバイオ・テクノロジーの進化は目覚ましく、これらがいずれインターネットと融合していくのは時間の問題だ。たしかにそうなのだが、読者としてのこちらは、わずか5坪の市民農園で週末農業を始めたばかりだ。窒素、リン酸、カリ、からおさらいを始めた身にとっては、小難しいお話は、ぜんぜん耳に入ってこない。

 しかしながら、私はこの人から聞いておきたかった言質を掴むことはできたのである。ちょっと長くなるが、本文を引用しておく。

 現在の科学にとって人間の理解には、進化も含めた自然との関係の”美学”とでもいうべき新たな視点が重要になってきていると感じる。西洋で古くからあった宗教と科学の複雑な関係にも似た、「日本的な」という表現が妥当かどうかわからないが、瞑想(メディテーション)のようなものを含めてある種スピリチュアルな方法論、つまり複雑な構造を感覚的に理解するツールの必要性があると思う。それが、近い将来に人間の本質理解を可能にする重大要素となる可能性がある。p199伊藤「まだ解明されていない”人間というもの”」

 僕自身も、瞑想をはじめとしたスピリチュアルな方法をメディアラボに持ち込み、理解を深めようとしているところだ。 

 例えばいま、ダライ・ラマの教え子のテンジン・プリヤダラシがメディアラボに参加し、彼と僕とで授業を展開している。そのきっかけとなったのは、僕が短期間いたタフツ大学からの古い友人、ピエール・オミダイアとのEメールでのやりとりにある。僕の考えに対してピエールがテンジンを訪ねることを勧めたのだ。 

 テンジンはMITのダライ・ラマセンターの責任者で、会って話してみて、一緒に講座をやってみようと決った。「最良の学びは教えることで得られる」という格言にあるように、僕は講座で教える側にまわることでマインドフルネス(気づき)についてもっと学び、実践面の修練もできるだろうと、ふたつ返事で話に乗った。

 テンジンと相談して、講座名は「Principles of Awareness(意識性の大原則)」に決めた。

 この授業では、意識とは何か、自己意識は最初から備わった状態なのか、それとも練磨によって成されるものなのか。意識はアウトプットや心地よさの改善に寄与しるのか。技術は意識を高めたり、あるいはその足を引っ張ったりする要因になるのか。

 われわれが意識を持ちうるこの能力に、倫理的な枠組みはあるのか。自己意識は幸せにつながるのか・・・・・こういったテーマに対して、体験学習的な学習環境での実践を行なう。また、学生や参加者が意識にまつわるさまざまな理論や方法論を掘り下げることができるようにする。p200伊藤「人間の本質理解を目指して」

 クラスミーティング(オンラインおよびオフライン)では実践、レクチャー、そして招聘講師や専門家とのディスカッションなどを行う。講義の一部は一般にも公開する。実践は、瞑想からハッキングまで幅広い内容となる。

 僕はこれまで、導師的存在の吸引力や、自分自身が導師的なものと誤解されるようなことをかなり意識して避けてきた。

 これまでに大勢の方に師事し、さまざまな瞑想やマインドフルネスの方法論を試してもきたが、まだ自分では初心者だと思っている。僕はここまでの旅路にはとても満足していて、人生の1年1年、毎年より多くの幸せを享受しているし、より面白くも感じている。

 だから、「Principles of Awareness」の試みは、導師的なものを指向するのではなく、人間の本質理解を目指してのことだ。それが、ネットワークやコミュニケーションの複雑な構造を感覚的に理解するツールへと展開できれば、という意図である。p201伊藤 同上

 ここに抜き出した部分は、必ずしも本書の要旨でもなければ、伊藤個人の主旨でもないだろう。しかし、これだけの記述があれば十分である。この本は「角川インターネット講座」である。「角川」にも、「インターネット」にも、「講座」にも、それぞれの限界がある。

 玉石混交のこのシリーズ15冊の中から、敢えて三冊を選び出そうとすれば、当然この第15巻目がトップにくるが、あとは、第12巻開かれる国家」境界なき時代の法と政治 思想家、ゲンロン代表 東 浩紀 監修、第2巻ネットを支えるオープンソース」ソフトウェアの進化 プログラマー、Ruby設計者、角川アスキー総研主席研究員 まつもとゆきひろ 監修、あたりとなるであろうか。

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 ネグリ&ハートの三つの大きなコンセプト、「<帝国>」「マルチチュード」「コモンウェルネス」に、敢えて対応させようという当ブログの目論見が、丸見えだが(爆笑)。なんにせよ、ここでも、当ブログが提案している図式、パーソナル・コンピューター → ソーシャル・ネットワーク、を越えて、→コンシャス・マルチチュード、という「直感」を、ここでも、忘れないようにメモしておく。

 この第15巻をもう少し読んでから、全巻俯瞰し、必要な部分を補読することとする。

 ネットワークとコミュニケーションの技術は、バイオ世界を解明しつつ同時にバイオを完全融合していき、それによって生み出される新しい技術と哲学が深淵に光をもたらすはずだ。

 深淵に潜む、あるいは深淵でわれわれが創造する「真新しい何か」であるかは、もちろんまだわからない。だが、このシナリオは「予想される未来形」ではなく、「現在進行形の確定的な現実」なのだと、僕はいま強く訴えたい。p210伊藤「新しいテクノロジーと哲学の深淵に射し込む光」

 これが、この巻、そしてこのシリーズの結句である。

<2>につづく

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2015/11/18

「いつまでもデブと思うなよ」 岡田斗司夫 <3>

<2>よりつづく 
いつまでもデブと思うなよ
「いつまでもデブと思うなよ」 <3>
岡田斗司夫 2007/08 新潮社 新書 223p
★★★★☆

 宮崎駿「風立ちぬ」の評論を呼んでいて、そう言えば、この人の本を過去に読んでいたことを思い出した。今からちょうど6年前、私は一生懸命ダイエットに励んでいた。当時のブログを確認すると、前後して、健康関係、ダイエット関係、ウォーキング関係、など関連本をたくさん読んでいたようだ。

 著者の論旨はまったくその通りで、ダイエットする、というより、ただ記録すればそれだけで自覚が深まり、自然と体重も減り、健康になっていくのだ。まさにその通り、私はそれを実感した。だから、今回あらためてこの本を読みなおす必要などない(一応、図書館からまた借りて来たけどねw)。 

 で、私は古いデータを確認してみた。というかパソコンに自動的に、体重、体脂肪、歩数、血圧などが記録されるシステムを持っているのである。だから、見ようと思えばすぐ見れる。

 ところが今回あらためて見直して初めて分かったのだが、私のダイエットは数ヶ月で終わる。だから効果があっても、確実にリバウンドするのである。つまり、元の黙阿弥。半年かけてダイエットしても、1~2ヵ月で元に戻る。そしてめんどくさくなる。

 ところがそのころになって、また検診の時期が来る。反省して初心に戻ってダイエットすると効果は上がる。しかし、飽きてしまうのである。ああ、シジフォスの神話のような、私のダイエット体験である。

 そして、決定的だったのは3・11。あれで私のささやかな向上心は断たれてしまったかのようだ(爆)。とにかくやる気を失ってしまったので、効果もなし!一応、断片的であるが、記録を残しておく。体重は大目で、血圧も高め。逆にいうと体重が減ると血圧も安定するので、明らかに元凶は体重である。 

2008年 2ヵ月      データ無     上-15  下-5
2009年 4ヵ月 平均9201歩 -9.8kg   上-24  下-22
2010年 2ヵ月 平均7201歩 -2.2kg   上±0  下±0
2011年 5ヵ月 平均8370歩 -5.7kg   上-18 下±0
2012年        データ無
2013年 6ヵ月 平均5417歩 -3.3kg   上+12  下+10
2014年 5ヵ月     データ無     上  +10  下+10
2015年               データ無

 この記録を見る限り、いくつかのことが分かってくる。

・ダイエット(食事+運動)は明らかに効果がある。
・効果があっても、継続しなければリバウンドする。
・毎年ダイエットに励みだすのは検診前後の秋である。
・結局挫折するのは冬であり、正月の食事と寒さのためである。
・2011年の震災は、ダイエット気分に大きく水を差した。
・気力が滅入った割には食欲は減らず、リバウンドしている。
・ダイエット効果があることを知ってから、いつでも痩せられる、血圧を下げられる、と変な自信がつき、サボってしまうので、リバウンドする。
・最近は、ダイエットそのものの関心が薄れてしまっていた。

 以上の点から、反省点がいくつか見えてくる。

・継続は力なり。飽きずにダイエット。長期作戦を立てよう。
・とびとびでもいいから、記録だけでも残しておこう。
・検診から、次の検診までの一年間を、なんとか切れないで続けよう。
・正月のご馳走は鬼門である。そこからどう立ち直るのか、対策を立てよう。
・還暦して、明らかに老人体質に変わりつつあることを自覚しよう。
・自己診断せずに、お医者さんや保健士の話を聞こう。
・初心を忘れない。

 さて、現在の私は、友人の鍼灸院院長のアドバイスを受けて、節酒中である。もう半年も飲んではいない。だけど体重は減らない。やはり運動だな。ウォーキングやスイミング、サイクリングも、ちゃんと生活に取り入れないとなぁ。

 それと、お正月はハメを外さない。ハメを外してもいいから、すみやかに軌道修正することだなぁ。これだけで、おそらく、私はますます健康になるはず。そう思うことにする。

 そう言えば、この本を読んでいた頃、一生懸命ウォーキングをしていて、自宅から川沿いを下って、太平洋までの歩いたのだった。徒歩にして10000歩くらい。貴重な体験だった。あの日、何かに誘われるようにしてあそこまで歩いたので、今回3・11で失われてしまった景色を脳裏に焼き付けることができたのだった。3・11の一年半前のことだった。

 そして、ウォーキングに励んでいたからこそ、3・11当日もすぐ、街中から、よし自宅まで歩こう、とすぐ決心ついたのだった。効果は多方面に絶大である。

<4>につづく

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2015/11/16

「ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン」 冨原眞弓 他

61xxs16hlyl「ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン」
冨原 眞弓(著), 芸術新潮編集部(編集)  2014/04 新潮社 単行本: 119ページNo.3609★★★★☆

 ムーミン谷の登場人物たちのうち、誰に一番感情移入できるだろうか。まずはムーミントロールだが、これはまあ当然というべきか。年齢的には、ムーミンパパが全うな該当かも。ちょっとプライドが高くて、ちょっとおっちょこちょいで、どうかすると、三枚目。

 スナフキンもなんとなくカッコいいが、カッコよすぎか。スナフキンの日本への紹介には、「ひょこりひょうたん島」原作のいのうえひさしが関わっていたらしいから、ひょっとすると、スナフキンとひょうたん島のダンディは、どうもキャラクターがかぶせているかも。

 「ちろりん村とくるみの木」には似たようなキャラで、しろカブさん、という登場人物があったらしいが、私は覚えていない。「ゲゲゲの鬼太郎」だったら、さしずめ似たようなキャラは、ネズミ男になってしまうのだろうか(爆笑)

 そのほか、それぞれユニークな登場人物たちがムーミン谷を訪れるわけだが、もちろん、この人にはなれない、というキャラもある。ムーミンママにはなれないし、スノークの女の子にもなれないし、ちびのミイもダメ。

 それからそれからいろいろなキャラが登場してくるので、はてさて、どのキャラが一番自分にジャストフィットするかなぁ、とこれからムーミンを読み始めるのが楽しみ。

 でも、よくよく考えてみると、登場人物よりも、ムーミンの世界を生み出したトーヴェ・ヤンソンその人を追っかけてみるのも面白いかもしれない。この本は、そのような人にこそ、読まれるべきだろう。

 もともとのムーミンは9話までしかなかったなんて、知らなかった。では先日映画館でみた「南の島のムーミン一家」なんてのは、どこから来たんだろう。すぐそんな疑問が湧いたが、これからそれを探っていくのだ。

 日本でアニメにされた1970年前後の作品しかしらない訳だが、トーヴェその人は、あまり気に入ってはいなかったらしい。あれらの作品は封印されているとか。なるほど、トーヴェという人は気難しい人だったのかな。

 日本に限らず、あちこちの自分の作品が展開されていくことには、決して前向きではなかったようだ。頑固なんだな。それらのことを、これから少しづつ探っていこう。

 そんなムーミン・ビギナーの私には、ピッタリな一冊。気難しいところがない。そして、この一冊で、なんだかムーミンがわかったような気分にさえなる。

 ムーミン谷ってどうなっているんだ、と興味を持っていたが、ここにはトーヴェその人が描いたムーミン谷の地図がいくつか掲載されているが、でも、やっぱり、ムーミン谷全体は、見えないな。

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2015/11/15

「市民農園体験記」<46>ホーレンソウと寒冷紗

<45>からつづく

市民農園体験記 

<46>ホーレンソウと寒冷紗

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 ホーレンソウを播いてみようと思う。季節はどうなのか? 土壌はどうなのか? コヤシは? わからないことばかり。

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 何はともあれ、カキガラ石灰をすき込んでみる。

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 ホーレンソウは極端に酸性土壌を嫌うということだ。カキガラ石灰は有機性なので、すぐ種をまいても大丈夫、という記事をうのみにする。

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 この市民農園は農薬は使えないので、葉物は寒冷紗をかけて防虫する必要があると、聞いている。

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 支柱を立て、種をまき、寒冷紗をかける。

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 このセットは、春先にまいたブロッコリーやキャベツがやられてしまったあとに、実験的に揃えておいたものだが、今回、再利用してみる。

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 洗濯バサミも前回使っていたもの。土で周囲を抑え、はい、完了。

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 ところがこのセットでは、なかなかホーレンソウは発芽してこない。今のところ、別のウネに植えたニラとともにスコンクである(涙)。

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 蒔き直してみるか、トンネルセットがうまくできただけでも幸せ、と妥協するか、思案中。

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<47>につづく

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「叛逆」―マルチチュードの民主主義宣言 アントニオ・ネグリ他<3>

<2>からつづく


逆」マルチチュードの民主主義宣言<3>
アントニオ・ネグリ , マイケル・ハート (著), 水嶋 一憲 , 清水 知子 (翻訳) 2013/03 NHK出版 単行本 216ページ
★★★★★

 「ネグリ、日本と向き合う」を読み、半田也寸志の写真を見、伊東豊雄の「みんなの家」を訪れ、宮崎駿の映画「風立ちぬ」 を見、そして反原発運動や、国会前「反戦争法」デモに想いを馳せながら、Oshoの「大いなる挑戦-黄金の未来」をまたまた通読することになった。

 そして、ネグリ&ハートのこの「叛逆」にもどってみれば、以前よりもはるかに読みやすい一冊であったということが自然と分かってきた。彼らの言葉使い、彼らが見ている世界、彼らが生きてきた世界、それらのことも少しづつ分かってきた。

 しかしながら、それを誰が読むかと言えば、私が読むのであり、どう読むのかと言えば、自らの立場でよむのである。では私は誰かと言えば、まず、この文脈では、Oshoのサニヤシンとしての私が読むのであり、3・11の東北日本に住まう私が、今後どう生きていくのかを問いながら、読むのである。

 急いでメモしてしまうと、拙速をまぬがれないので、いずれひとつひとつ突き合わせて見たいと思うが、ネグリ&ハートとOshoの間には、少なくとも、これらふたつの書物の間には、いくつかの共通土台を見つけることができる。そして、それをどちら側からどう作り、どう提案しているかを考えると、なかなか興味深いことが山ほどある。

 例えば、Oshoは国連を進化させた「世界政府」を作るべきだと主張する。そこに各国の軍隊を明け渡すことによって、戦争をなくせ、という。各国の政治家や大臣は、そのジャンルの教育をキチンと受けた人物がなるべきであり、選挙権ですら、一定の教育を受けた人々が投票すべきである、とする。

 それに比すれば、ネグリ&ハートは、戦争をなくすべく生まれた国連はいまやその力を失い、その夢を託すことは無理だとする。そして、マルチチュードは政治家たちに代弁などしてもらわずに、自ら街頭にでて意思表示すべきだとする。そして、立法、司法、行政、の三権を、自らの「コモン」として奪還すべきだとする。

 これら二つの大雑把な括りは、いずれも余りにも夢想的過ぎる思想であろう。今日明日に達成できるような代物ではない。いくらアイディアに富んでいても、そこまで到達するには、いくつものプロセスを経ねばならない。

 しかし、両者に共通するのは、現状に対する強力な拒否だ。現状に甘んじるわけにはいかないというレジスタンスである。いみじくもこの本のタイトルは「叛逆」であり、Oshoの著書にも「叛逆のスピリット」がある。

 そして面白いことに、Oshoは叛逆こそがスピリットであり、叛逆しないスピリットなどはありえない、とさえ断言する。

 前作「コモンウェルス」でネグリとハートは「闘士(ミリタント)」としての「知識人の任務」について端的にこう述べていたのだった。

 「知識人は闘士であり、闘士でしかありえない--つまり知識人は、マルチチュードの創出を目指す共同調査のプロジェクトに着手し(中略)そのプロジェクトに積極的に参加する闘士でしかありえないのだ。(中略)他者たちと共に共同調査のプロセスを推し進め、新たな真理を生み出すことも、知識人の任務なのである」(「コモンウェルス(上)」、194~195頁」と。p205「解説 これはマニフェストではない--宣言から構成へ」水嶋一憲

 この本においては、「借金を負わされた者」、「メディアに繋ぎとめられた者」、「セキュリティに縛りつけられた者」、代表された者」という四つの病弊した主体形象が描かれている。興味深い考察なので、いずれ、その尺度をわが身に当てはめて考えてみることにしよう。

<4>につづく

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「クラインガルテン計画」<16>枯れ葉

<15>からつづく

「クラインガルテン計画」

<16>枯れ葉  目次

 この時期、季節は冬に向かい、畑の動きはやや緩慢になる。周囲の風景もなんとなく静かで、あるいは落ち着きを取り戻している。

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 畑もまずまず穏やかで、雑草の生え方も少なくなっている。除草もそれほど苦になるほどでもない。

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 むしろ、この季節は広葉樹からの枯れ葉が沢山落ちることとなる。風景も寂しくなるが、堆肥づくりとしては歓迎である。

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 まだまだ沢山あるのだが、今日は畑作業もあるので、この程度にしておく、次回はもっともっと枯れ葉を集めよう。

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 きょう、畑を見ていて、確かに除草は大変だったなぁ、とつくづく思う。ましてや週一農業では、なかなかままならない。今後は、マルチ作付をしようかな、と思案中。

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<17>につづく

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「大いなる挑戦-黄金の未来」 OSHO <5>

<4>よりつづく

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「大いなる挑戦-黄金の未来」 <5>
Osho 1988/01 OEJ 単行本 128p

 「ネグリ、日本と向き合う」と出会い、「叛逆」を読み進めるに当たって、Oshoのこの小さな本を読みたくなった。すでに27年を経過しており、そもそもが1987年当時のOshoの立場から緊急に発信された提言であってみれば、この本を手元に置いている人は、もう限りなくすくなっているかもしれない。

 しかしながら、たしか最近まで彼のHPには、この文章の全文が掲載されていた(今も?)はずだから、多くの人の目にも止まっただろうし、今も読まれているに違いない。今読み直しても、なかなかの問題作であり、また今日でもまだまだ有効な提案が盛り込まれている。

 いやこれからこそが、この本の真価が発揮されるべきステージが用意されているのではないか、とさえ思える。

 前半部分などは、まさにネグリの「叛逆」と併読してもなんら違和感がないほどのラジカル振りだ。グローバルな人間社会における数々の問題点を取り上げ、その病原を探り、その解決策を提示する。

 もしネグリとの違いを探るとすれば、Oshoは、いわゆる意識や瞑想、精神性、愛、というテーマに常に留意しているに比して、ネグリは、より政治的で、戦闘的である。ただ、Oshoに見られるような、精神性へのバランスを欠いている。

 ネグリは、つねにその精神的バックボーンとして、「エチカ」のスピノザにバックするのであり、そこのところを理解し、またうまくバランスを取って読まないと、片手落ちのネグリに振り回されることになる。

 すこし落ち着いたら、いずれスピノザに再挑戦しよう。そして、瞑想や意識にかたより過ぎる傾向があるOsho理解に関しては、これらのかなりラジカルなOshoの提言があることを、常に喚起しよう。

 コミューンは、非野心的な生と、万人のための機会均等の宣言だ。しかし、私とカール・マルクスとの違いを憶えておきなさい。私は、人々に平等を押しつけることに賛成ではない。なぜなら、それは心理学的に不可能な課題だからだ。そして、いつであれ自然に反して何かをすれば、それは破壊的で有毒なものになる。 

 等しい人間はふたりといない。 

 しかし、私はたやすく誤解されうる。だから、私の観点をきわめて明確に理解しようとしてごらん。私は平等に賛成ではない。しかしまた、私は不平等にも賛成ではない! 私はあらゆる人が自分自身であるための平等な機会を持つことに賛成だ。 

 ほかの言葉で言うなら--- 

 私のヴィジョンでは、ひとりひとりの個人が等しく独自(ユニーク)だ。
 平等、不平等の問題は起きてこない。なぜなら同じ個人はふたりといないからだ。個人を比べることはできない。
 

 本当のコミューン、本当の共産主義は、成長のための平等な機会を作り出すが、それぞれの個人の独自性を受け容れる。p81Osho「コミューンの世界」

 この小さな本は、そもそも国連の提出したレポート「私たちの共通の未来」(OUR COMMON FUTURE」への応答として書かれている一冊である。ネグリ&ハートが「<帝国>」、「マルチチュード」に続いて書いた「コモンウェルス」のコモン。この辺りが、現在の当ブログのテーマとなっている。

 科学は<生>をより快適な、より贅沢な、より美しいものにするためのものとなるだろう。そして瞑想は、世界中で教育の必須な部分となるだろう。そしてその両者の間のバランスが全体的な人間を生み出すことになる。

 瞑想なくしては、人は明晰性を、そして自分の内なる根拠を、また素朴で無垢な目を持つことはできない。

 私は、私たちの場所が創造的科学の世界アカデミーへとゆっくりと発展して行くことを望んでいる。おそらくこれは、これまでで、最大の統合となるだろう。

 宗教的真理の探求は、いかなる意味でも、客観的真実の探求を邪魔しない。なぜなら、このふたつの領域はまったく分離しているからだ。両者は重なっていない。人は科学者であり、かつ瞑想者でありうる。

 実際は、瞑想により深く進めば進むほど、人は自分のなかにより多くの明晰性、より多くの知性、より多くの才能が開花するのに気づくことになる。このことはまったく新しい科学を創造するはずだ。

 私に言わせるなら、その新しい科学は、ふたつの領域を持つ、ただひとつの科学になるだろう。ひとつの領域は、外なる世界に働きかけ、もうひとつの領域は、内なる世界に働きかける---しかも名前はひとつだけで十分だ。科学(サイエンス)は、美しい言葉だ。それは知ることを意味している。

 科学はその方法として観察を用いる。宗教性もまたその方法として観察を用いるが、それを瞑想と呼んでいる。それは自分自身の主体の観察だ。p104 Osho「大いなる統合」

 あらためて読み直してみると、あちらにもこちらにも、知恵が隠れており、今回初めて読むような新鮮さを覚える。また、いまだからこそ読み直されなければならない部分も多い。

 ネグリを読み進めるに当たって、彼の力量の大きさのなかで、どうかすると、その波におぼれてしまいそうになる時があるが、この小さな本に隠された命綱が、私を溺死から救う。私にとっては、今だに貴重な一冊である。

つづく

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「『風立ちぬ』を語る」 宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来 岡田斗司夫他

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「『風立ちぬ』を語る」 宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来
岡田斗司夫 FREEex(著) 2013/11 光文社 新書190ページ 
No.3608★★☆☆☆

 村瀬学「宮崎駿再考」( 「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ2 015/07 平凡社)に暮れべれば、テーマを最近作「風立ちぬ」に搾っているだけ、興味は集中するのだが、どういう訳か、3・11とか原発に繋がるような支線はないようである。

 現在は「ネグリ、日本と向き合う」にでてきた宮崎駿「風立ちぬ」との関連をおっかけていたので、今回は、作品論に徹しているこの本は全体的に割愛する。

 著者の本は「いつまでもデブと思うなよ」(2007/08 新潮社)とか、「『世界征服』は可能か?」( 2007/06 筑摩書房)などに目を通した程度だが、なかなかオタク的で、快活なリズムを持っている書き手だと感じている。

 今回は、現在の当ブログの流れからはやや外れているので、いつか別な文脈でこの本に触れることもあるかもしれない。

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2015/11/14

「宮崎駿再考」 「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ 村瀬学(著)

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「宮崎駿再考」 「未来少年コナン」から「風立ちぬ」へ
村瀬 学(著) 2015/07 平凡社 新書: 267ページ
No.3607★★★★☆

 どうもまどろっこしくなって来たので、この本についてのメモはぶっ飛ばそうと思った。しかし、読書ブログとしての当ブログは、なかなか新刊を読み込むチャンスが少ない。どうしても古い文献をあれだこれだとやることが多すぎる。

 この本は2015/07に出た、新刊に属する貴重な本である。今回はネグリ追っかけの中の「風立ちぬ」追っかけだったので、他の部分は割愛して、単なるイメージだけをメモしておく。いずれ、宮崎駿追っかけとか、ジブリ追っかけになった時(そういう時代が来るかどうかは不明)に、もうすこし丁寧に読んでみることにする。

 福島原発自己の後、宮崎駿は「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」ということを訴え、「NO!原発」と描いたゼッケンをつけ、職場の付近を「一人デモ」で歩いていた。宮崎駿らしい。p16村瀬「原発ぬきの電気で映画をつくりたい」

 宮崎駿の「一人デモ」は、その夏の出来事なのであるが、その時のスタジオジブリの建物に、「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」という横断幕が掲げられていた。p17村瀬 同上

 ここからさまざまに作品論として展開していくわけだが、このような事実があったということをメモしておくことは有意義であろう。それだけの気持ちがあれば、もっと前からその意志を表示すべきであっただろうし、あれから4年半以上経過しているわけだから、その願いはかなえられていてしかるべきだ。

 宮崎駿が2008年の「崖の上のポニョ」で「津波」や「大洪水」を描いた時、東日本大震災が来るとはきっと誰も想像していなかったと思う。しかし、彼は「予期」していたのである。p265村瀬「あとがき 未来の宮崎駿」

 詩的な表現としては、これで構わないが、科学的な事実としては、多数の人が予期していた。例えば、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」の飯沼勇義のような人は、ほとんど正確に予期し、声を枯らして警告していた。

 最後に私事であるが、私が石や火や鉄に改めて目を向けるきっかけを作ったのは、2011・3・11なのであったが、この時に、日本の最古の物語「古事記」に、石と火と鉄の発想が織り込まれていることに気がついて、全力で見直そうと試みた。

 その成果は「徹底検証 古事記」(2013年)、「古事記の根源へ」(2014年、共に言視舎)となったが、この試みがなければ、今回のこの本を作ることもできなかったと私は感じている。p266 村瀬 同上

 同じような表現をするとするなら、飯沼勇義は、古事記の「原典」となった「ホツマツタエ」に着目している。そのことに当ブログは賛成であるその一環として、現在は「七五調の謎をとく」日本語リズム言論(坂野信彦1996/10大修館書店)あたりを物色しているところだが、こちらについては、いずれ、別の流れでメモすることになるだろう。

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「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<23>

<22>からつづく
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「ネグリ、日本と向き合う」
<23>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

 現在の当ブログは、この「ネグリ、日本と向き合う」を主軸として回転している。多くのテーマをはらむネグリ&ハートの世界観なれど、当ブログは、ここを批判的に読みこなして、通り過ぎることを目指している。

 なぜに批判的に読むかといえば、直感的には自分の道ではないにも関わらず、この10年に渡り、そこから漂ってくる香りに魅せら続けているからである。これは、ネグリやハートの欠陥ではなく、私自身にある矛盾であり、迷いである。

 ここを批判的に読むということは、自己批判であり、「Bhavesh、自己と向き合う」というテーマに読み変えてもいいのである。「大好きな」ネグリ&ハート。だけど、私は私の道を行く。

 さて、日本と向き合ったネグリを、より身近に手繰り寄せようと、 写真集「Mighty Silence」半田也寸志の、「ここに、建築は、可能か?みんなの家」の伊東豊雄、そしてアニメ「風たちぬ」の宮崎駿をキーパーソンと見立てて、読書追っかけをしてみたところである。

 半田の写真集も見つめ、被災地を訪れ、伊東のつくった建築を実際に尋ね、宮崎の映画も数本見た。そして、当然、官邸前や国会前、そして沖縄や、各地で行なわれているデモについても、情報を集めている。

 その中で、今日も宮崎駿についての解説本をいくつか見ていた。岡田斗司夫「『風立ちぬ』を語る」(2013/11光文社)、村瀬学「宮崎駿再考」(2015/07平凡社)まで来て、どうも、まどろっこしくなって、当ブログにメモすることを放棄したくなった。

 各論としての宮崎駿論に行くのは、ここでの進行上、避けて通れないほどのものであるか。そもそも宮崎駿については、特段に関心を持たない当ブログとしては、ここは早目に通りすぎたほうがいいのではないか。

 半田の写真集の関心は「津波」にある。地震も原発も、その視野には入っているが、映像としての3・11に関心があるのだ。原発そのものを問う姿勢などは感じられない。仮にあったとしても、その立場上、かなり薄められたかたちの表現とならざるを得ない。

 伊東の「みんなの家」も、地震で家を失った人たちよりも、海岸線の津波で家を失った人々との共同作業に集約されていった。今のところ、伊東が直接に原発に触れて、その姿勢を明確にした部分はまだ発見していない。

 それに比すれば、宮崎は、明らかに「反原発」の旗印を明確にしている。一アニメ作家の、作家としての発言にすぎないことに留意しつつも、半田、伊東を乗り越えて、原発に触れているところが特筆できる。

 さて、ネグリ&ハートは、おそらく地震よりは津波に関心を持っているだろうし、当然のことながら、津波より原発に関心を持っている。そして、その原発が核兵器と繋がっており、日本というネイションが「原子力国家」としての規範を持っているということを鋭く指摘する。

 当ブログが、ここしばらくネグリと付き合うなら、やはり、ここは原発から原子力国家というものの実態を見定める作業にはいるべきであろう。もちろん、それはすでに当ブログで通り過ぎてきたプロセスではあるが、あらたなるネグリ&ハートの視点を借りて、よりターゲットを絞っていくべきであろう。

 3・11に鋭い関心を示すネグリだが、2011年という年の特性は、「アラブの春」や「オキュパイ運動」に見られた、脱中心的な世界各地のマルチチュードたちの活動であった。日本に向けては3・11や原発を取り上げているが、決してネグリの中心話題ではない。

 日本というネーションにおける原発問題は、日本というネーションのマルチチュードたちに任せられているのであり、そこに何かの指令のようなものを出すものではない。そこに一人一人が感じる何かを、直接表現していくことを、彼は望んでいるだろう。

 この「ネグリ、日本に向き合う」においても触れられているが、「叛逆」の4つの搾取は、なかなか分かりやすい喩えなので、今後、それを含んだ形で、もうすこし追っかけてみようと思う。ということで、宮崎駿の作品論からは早々に足を引き上げる予定である。

 そしてまた、当ブログは現在「ねぇ、ムーミン」というカテゴリ名で走っているのであった。そもそも、いつかキチンとムーミン追っかけをしたい、という宿題を始めたところであるが、ここになんとかネグリを引っかけたい、という目論見がある。

 ムーミン谷というコモングランドにおける、ムーミンや、スナフキンたちを、マルチチュードと見立てて巨視的に俯瞰した場合、はてさて、そこには、どんな世界が展開されているのか。そして、自分は、どこにいるのか。

 そんな目論見で始まった現在のカテゴリももうすでに3分の1経過した。最後まで、まとまりのある形で収束できるかどうかは、今のところ分からない。ボタニカルの残照もある。結局は、日々、自分はどう生きるのか、そのことを探っているのである。

<24>につづく

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「自己流園芸ベランダ派」 いとう せいこう

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「自己流園芸ベランダ派」
いとう せいこう (著) 2006/09 毎日新聞社 単行本 214 ページ
No.3606★★★★☆

 2004/04~2006/03まで「朝日新聞」に連載された記事に、語り下ろしの対談がついて一冊の本になっている。「ボタニカル・ライフ―植物生活」1999/03 紀伊国屋書店)と並んで、NHKBSテレビ番組「植物男子ベランダー」(2015/03~10)の原作とされているもの。ひとつひとつのエピソードはやや歴史を感じるものの、なるほど、この原作があったればこそ、あのテレビ番組だったのか、と納得するところが多々ある。

 例えば、「植物男子ベランダー」シーズン2の第9話「俺の伯父さん」にでてくる月下美人の話などは、p58「月下美人--大切な一夜の花」などを読むかぎり、かなりの実話が下敷きになっているようである。

 わが家にも二階のベランダはあるが、洗濯物干し場になっていて、植物はサボテン類が少しあるだけだ。実際には、我が家は大都会にあるわけじゃないので、ほんの小さな庭がある。そこには鉢物類が、奥様の手入れによって、ほどよく成長している。

 しかしながら、それでは私の入り込むスキがないので、自転車で10分のところに5坪ほどの市民農園の畑を借りて、半年ほど前から、土づくり、肥料作り、そして初歩的な野菜作りを始めたばかりである。

 そしてあろうことか、クラインガルテンと銘打って、車で片道小一時間のところに50坪ほどの畑を借りて週一通い始めてさえいるのである。もしこれがうまくいけば500坪ほどの農場を借りて、本格的に展開することも、夢ではない。

 夢ではないが、そこまで到達するにはハードルがいろいろとある。時間、技術、資本、販路(というか貰い手)などなど、考えると、そう簡単に拡大出来そうにない。しかし、そこんとこを考えると、なかなか楽しい。

 著者は、自己流園芸ベランダ派などと、かなり謙遜しているが、相当のキャリアで、なおかつ入れ込みが激しい。これは、都会派ながら家庭環境の影響もそうとうあるのだろう。伯父さんと母親とか、なるほど、という形で著者に影響を与えている。

 著者と私の指向性の違いで言えば、彼は植物や花などを育てるのを愛しているが、私は野菜をつくりたいのである。グリーンを見たり、花をみたりすることは二の次なのだ。

 しかし、事実としては、私の畑の野菜たちは、私にグリーンを見せたり、花を咲かせて見せたりするが、期待通りの野菜にはなってくれないのだ。これには参った。基礎から、ひとつひとつ勉強だなぁ。

 というか、花だって、それを目的に市民農園を活用している人もいるわけで、私もそのうち、花つくりに挑戦してみようかな、なんて思わせてくれる一冊である。

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「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 <54>崖の上のポニョ 宮崎駿(監督)

<53>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<54>崖の上のポニョ

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「崖の上のポニョ」
宮崎駿(監督) 2008/07公開 東宝  DVD  101 分 
No.3606★★★★☆

 何故にこのアニメを見ることになったかというと、アントニオ・ネグリが「ネグリ、日本に向き合う」で、宮崎駿の「風立ちぬ」を称賛していたからである。そして、他の解説本などを見ていると、その前作である、このポニョも見ておかないと、前後が見えないなぁ、と感じたからである。

 前半分に、あれ、この映画見たことあるなぁ、と思わせるのは、どこかでダイジェストや予告編を見ていたからかもしれない。特段のアニメファンではないが、このようなアニメの世界があることは、楽しくていい。

 ところでさて、 一緒にポニョみるかい?と聞けば、みるみる、と大騒ぎ。家族みんなでみることに。1歳6ヵ月児、3歳10カ月児と見るわけだが、おもちゃで遊んでいた子供たちは、それをほおりなげて、画面にかじりつく。

 なかなか導入部が面白いのだが、すぐに下の子は、他の絵本に移っていく。ストーリーにはついていけないようだ。上の子も3分の1ほどは見ていたが、次第に他の遊びに移っていく。最後の最後まで視ているのは、爺さんと婆さんだけ。

 それでもなおかつ婆さんは、他の遊びに付き合わされているので、結局は、爺さんだけが最後までみることになった。

 親戚の2歳4ヵ月児は、このアニメが大好きで何回も、何回も見ているらしい。それを一緒に見ていたので、上の子は興味をもちつつ、途中から飽きてしまったようだ。そもそも、その親戚の子も、100分のストーリーをずっと大人しく見ているわけではなかろう。あちこち、とびとび見ているに違いない。

 崖の上、とはどういうことだろう、と思っていたが、結局は、船長をしている父親が、沖を通る時に、その船が見えるように高台に家が建っている訳だが、やがてやってくる津波に飲まれると、その家だけがぽつんと水面上に顔を出す、という設定なのだ。

 この映画2008年公開である。2011年の3・11大津波も、こんな風にファンタジックだったらよかったのにね。この映画における津波は、大潮のように、どんどん高くなってくるだけで、しかも、水は簡単に引いてはいかない。しばし留まって、かつての人間界が、水族館の中のように保存される。

 あれって、ツナミ? 3歳10カ月児が聞いてくる。そうだよ、と答える。この子も3・11が終わってから、この世にやってきた子供だ。3・11を知らない世代なのだ。

 ああ、こんなに優しいツナミだったらよかったのにね。

 アニメのなかには、いくつかのストーリーがあり、キャスティングがある。でも、どこか、もうどうでもいいや、と、やや投げやりな私がいる。

<55>につづく

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「未来への記憶」 名取市東日本大震災映像記録 DVD

 

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「未来への記憶」名取市東日本大震災映像記録
宮城県名取市    2014/03 DVD2枚組(Disc1 本編・解説編、Disc2 ダイジェスト版・資料編) Disc1:1.地震そして津波(12分9秒) 2.その時人々は…(33分17秒) 3.震災と記憶(14分10秒) 解説編 地震・津波のメカニズム(12分33秒) Disc2:ダイジェスト版(11分19秒)、震災資料映像アーカイブ(74分42秒)
No.3605★★★★★ 

 こういうビデオがあるよ、と貸してもらった。調べてみたら、図書館でも借りることができるし、youtubeでも見ることができるようだ。字幕版も、英語版もある。  ここは私の生家、そして私の現在の私の住まいから一番近い海。こういうことがあったのだ。忘れてはいけない。直視することは今でも大変苦痛だが、忘れてはいけない。

 あの日から4年8ヵ月が経過した。

 私はあの日、街中のビルのなかで会議中だった。大きな会議室で机と椅子、ボード以外、何もない空間で、大きな揺れを感じた以外、窓にもブランドが落ちていたので、外の景色さえ見えなかった。

 非常階段を下りて街に出てみると、地下鉄の入口からたくさんの乗客たちがでてきていた。あちこちにビルのガラスやコンクリのかけらがおちていたりした。

 歩いていると、路上に止めてある工事車のカーラジオから津波が襲ってきていることを知った。ケータイもとぎれとぎれに繋がり、とにかく2時間半歩いて自宅まで戻った。

 付近で火事が起きていないことだけを確認して、近くの避難所に妻と移動した。大きな体育館であるが、天井の骨組が余震で何回も揺れた。とぎれとぎれに地元や全国に散らばっている家族や親せき、友人から連絡がはいり始めた。

 ようやく腰を落ち着けたのは夜8時頃になっていた。その時、初めてスマホのワンセグで、閑上の津波の映像をみた。

 あの時刻、私はあの名取川の上流の橋を渡っていた。すぐそこまで津波が押し寄せていたこと後から知った。遠く離れてくらす家族から「津波が来ているから上に逃げて」とメールが入っていたことを、後から知った。

 まだ行方不明な方が早く見つかりますように。命を落とされた一万何千名の方々の、ご冥福をお祈りいたします。 合掌

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2015/11/12

「続・風の帰る場所」 宮崎駿 

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「続・風の帰る場所」映画監督・宮崎駿はいかに始まり、いかに幕を引いたのか

宮崎駿、渋谷陽一、他 2013/11 ロッキングオン 単行本: 324ページ 
No.3604★★★★☆ 

 2008年から2013年まで雑誌「CUT」に掲載された宮崎駿のインタビューをまとめたもの。インタビュアーは渋谷陽一。今回は、アントニオ・ネグリの「ネグリ、日本に向き合う」に宮崎駿の「風立ちぬ」がでてきたことを契機に「風立ちぬ」追っかけを始めた当ブログなので、他の部分は割愛した。ただ、3・11当時の宮崎の感想も興味深かった。

 例によって、ある種、のらりくらりの宮崎駿節が展開されるが、渋谷陽一も、自らの観察眼から鋭いジャブを繰りだす。どこが本音やら問題点やら、一転二転するが、そもそも作品があるかぎり、解説などは二の次で、とにかく作品と向き合い、そこで見る者が何を感じたかが優先するだろう。

 3・11における宮崎の反応も興味深い。決して彼も特異な感性の持ち主ではなく、むしろ3・11に立ち向かう時、ネグリも宮崎も、同じ地平にたたされていることを確認する。そしてなお、宮崎の反戦意識や、脱原発意識、あるいはエコロジーに対する姿勢など、基本は、私たちと何も変わらないことを確認することができた。

 大津波は、原因ではない。それは自然の行為で、むしろ僕が言いたいのは人間のほうで、地震はこれまで何回もあったことがまた起こったんです。たくさんの悲劇がありましたが、震災を受けた人たちは、乗り越えていけると思います。ですが原発の問題はね、これはエネルギーを過剰消費していく文明のありように、はっきり警告が発せられたんだと思うんです。p138 宮崎談「大量消費の終わり」

 同じことが東京で起きたらどうなるかって考えます・・・・。必ず起きますよ。僕は逃げませんけど。だって目撃者になろうと思っているんだから。p114宮崎談「東京で同じことが必ず起きる」

 21世紀になる時から、これからドロドロの世紀が始まるんだと思ってましたから。それは政治的な混乱や軍事的混乱や、経済的な破綻やね、そういうことの中でとにかく生きていかなきゃいけないような時代になるっていうふうに思ってました。とはいっても、それらが現実化する度にね、驚いているだけで。p144宮崎談「原発が弾ける前から空気の様子が変わっていた」

 時代にね、追いつかれたんです。だから、そのあとに津波が来たでしょ。津波が来たらヤバいな、来るだろうとは思ってましたけど、どういう形で来るかは予想してなかった。それで、今度の映画の絵コンテを切っている最中に、震災のシーンを切り終えて、次のシーンに移った頃に、本当に地震が来たんですよね。これはね、とうとう追いつかれて、追い抜かれたなと思った。p198宮崎談「時代に追いつかれた『ポニョ』」

 あの放射能漏れは止まらないしね。それでも原発を再開したい連中は、なんかかんか言いながら再開したがるだろう。所詮、何も見えていないから。p221「まさに腐海が生まれつつある」

 解説本は数あれど、この本は、宮崎本人の言葉が書きとめられているから、その点、貴重である。

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「ビッグデータを開拓せよ」 解析が生む新しい価値 角川インターネット講座 (7)

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「ビッグデータを開拓せよ」 解析が生む新しい価値 角川インターネット講座 (7)
坂内 正夫(監修)2015/09 KADOKAWA/角川学芸出版 単行本: 268ページNo.3603★★★★☆ 

 角川インターネット講座 全15巻の14番目の出版。いよいよである。全巻でそろったら、そのうちまた全部読み直してみようとは思っているが、個のビッグデータについても、なかなか興味深いところが多い。

 最近話題になっているマイナンバー制度も大きくはビッグデータであろうし、コンビニのPOSシステムも、あるいは5年に一度の国勢調査などもビッグデータであろう。また3・11における人々の行動に関するデータも、ビッグデータとして一部公開され、活用された。将来においては、直接民主主義に役立つのではないか、などと期待に胸を膨らませたりする私がいる。

 この角川インターネット講座のなかでは第14巻コンピューターがネットと出会ったら」モノとモノがつながりあう世界へ、などとビビッドに関連してくる。

 ここまで来ると、われわれ個人にはどうにもできない、それこそビッグなシステムになるが、使い方を間違えれば、とてつもない犯罪や独裁、管理社会を生み出してしまう可能性もある。

 この本においては、善悪両面を多方面から検討しており、いまではもっとも最先端的な部分に位置する研究テーマであることを指摘している。

 ネグリ&ハートに言わせれば、ネットに依存するさせられる人たちを大量に排出することにも繋がり、それは大きな人間疎外である、ということにもなりかねない。

 これらビッグデータに関しては、自分に察知されないようにしながら、逆に大きなデータの成果を活用するたくましさも必要だ。つまり、技術の進歩に、倫理観やコンプライアンスがついていっていない。常に悪用される危険性が付きまとっている。

 しかしながら、善用すれば、上に言ったように、マルチチュード側からのグローバルなネットワークや意志の表示、大きな政治的決断等に大いに役立つはずである。

 おそから早かれ、ビッグデータの時代が来る。グローバルな意志がそこから立ち上がる。

 つづく。再読を要す。

 

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NHK 100分 de 名著 サルトル『実存主義とは何か』<2>

<1>からつづく

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サルトル『実存主義とは何か』NHK 100分 de 名著 <2>
2015年 11月  NHKテキスト [Kindle版] NHK出版 日本放送協会 (編集) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 18116 KB 紙の本の長さ: 103 ページ
★★★★☆

 眠れない夜に(今日は新月だ)しずしず起きだしてHDに録画していた、第二回目を見る。25分だから、実に簡潔。問題点がすでに整理してあって、ああ、これがサルトルか、と簡単に分かりそうな気分になる。

 小説「嘔吐」が紹介されているので、さっそく新訳を図書館にリクエスト。ボーボアールとの恋愛や不思議な人間関係についても学ぶ。自分探しという過去指向ではなく、「在り方」という未来志向であると。シナリオ通りに動くのではなく、シナリオのない自由。ある意味それは地獄であると。

 前回、Oshoがサルトルに触れたあたりを抜粋したが、あの切り取りでは完全ではないだろう。

ジャン・ポール・サルトルが代表している実存主義はまがいものだ。瞑想については何ひとつ知らないのに、彼は「存在」(ビーイング)について語り、「無」について語っている。ああ、それはふたつのものではない。存在(ビーイング)とは、無だ。だからこそ仏陀は存在(ビーイング)を、アナッタ---無我と呼んだ。ゴータマブッダは、歴史上、自己を「無我」と呼んだただひとりの人だ。私が仏陀を愛しているのには千とひとつの理由がある。これはその理由のひとつにすぎない。時間がなにので千の理由をあげているわけにはいかないが、もしかしたらいつか私は、その千の理由についても話し始めるかも知れない・・・。Osho「私が愛した本」p137

 Oshoは別なところでは、こう言っている。

 哲学は言葉に対する強迫観念だ。「神」という言葉が神の体験よりも重要なものになる。それが哲学だ。哲学は尋ねる---「神」という言葉をつかうとき、あなたはそれで何を意味しているか? 「真理」といいう言葉を使うとき、あなたはそれで何を意味しているか? 「善」という言葉を使う時、あなたはそれで何を意味しているか? 「愛」という言葉を使う時、あなたはそれで何を意味しているか? 

 哲学は多かれ少なかれ言語的な現象、語学と文法の、些事(さじ)にこだわる机上の空論だ。それは現実とはまったくかかわりを持っていない。それは現実について語る。だが、いいかな、現実について語ることと現実のなかに入ってゆくことはまったく違う。哲学は議論だが、宗教は体験だ。 

 私の関心は宗教にあり、哲学にはまったくない。 THE WHITE LOTUS Osho 英知の辞典」p417「哲学 PHILOSOPHY」

 また別なところではこう言う。

 西洋は基本的に科学的、唯物的、客観的だ。科学的であることに何ひとつ間違いはないが、科学で終わりだと考えることは間違っている。物質の秘密を知ることは間違ってはいないが、物質を知ることで知る価値のあるすべてのことを知りつくしたと考えるなら、それは絶対に間違いだ。だが、西洋が西洋のままでいるかぎり、この唯物論的、客観的、科学的な姿勢(アプローチ)という古い考え方は続いていくだろう。

 東洋は物質以上の何かを信じ、またそれを体験してきたが、それ以上の何かに夢中になるあまり、物質にはまったく無関心になってしまった。これもまた間違っている。

 東洋がこれほど貧困、飢餓、病気に苦しんでいるのはそのためだ---理由は明らかに、東洋がすべての注意を精神霊(スピリチュアル)なものに向けて、物質的なものを無視してしまったからだ。東洋は宗教的であり、神秘的であり、主観的だが、科学的な姿勢を犠牲にしている。東洋は科学を越えてゆくが、科学もまた必要であり、なくてはならぬものだ。(中略)

 東洋は西洋の唯物主義と科学的姿勢を学ばなければならないし、西洋は東洋の神秘主義と主観的姿勢をまなばなければならない。そこで初めて全体的な人間がつくりだされる。(後略)EIGHTY-FOUR THOUSAND POEMS Osho 英知の辞典」p430 「東洋/西洋 EAST/WEST」

 こう言った文脈の中で、ひとつの体験的な出会いとしてサルトルを学び、サルトルに向けて瞑想してみることも必要である。

<3>につづく

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2015/11/11

「風立ちぬ」 徳間アニメ絵本33 宮崎駿

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「風立ちぬ」 
徳間アニメ絵本33
宮崎駿(著) 2013/08 徳間書店 ハードカバー: 172ページ

No.3602★★★★☆

 アントニオ・ネグリが絶賛した宮崎駿の「風立ちぬ」、そのストーリー展開を忠実に再現した絵本である。映画の余韻に浸りたい人、動画を見る環境がない人、子供に読んで聞かせたい人、そんな人たちが見るには丁度いいだろう。

 しかし、この映画の主題は、男であるし、時には青年男女の恋愛であるし、リアルな人生模様であるし、戦争であるし、技術屋の話である。子供向けのシーンはほとんど描かれていない、との評判である。

「どこと戦争するのかな。」
「中国、ソ連、イギリス、オランダ、アメリカ。」
「ハレツだな。」
「おれたちは武器商人じゃない。いい飛行機をつくりたいだけだ。」
「そうだな。」
 いまはただ、美しい飛行機を完成させるだけです。二郎は、ひたすら仕事に打ち込みました。
p155

 戦争以前、80年前、90年前の実話と小説や詩にストーリーを借りているフィクションである。そこに描かれている物語アニメをどう解釈するのかは、見る人次第である。また、どう見せたかったのかも興味はある。しかし、そこで問われるべきは、今日であり、私、わたしたちひとりひとりである。

 問題提起した形になったアニメ映画に対してネグリは、宮崎駿がわたしたちに教えているように、飛行機は戦争のためではなく平和のためにつくられなければならない。(「ネグリ、日本と向き合う」p182 「原子力国家の支配に対する抵抗」)と受け取る。

 そう受け取られることを宮崎は拒否はしないだろう。しかし、そうです、とは答えない筈だ。それでは、当ブログはこのアニメをどう見るだろう。これだけの大量なエネルギーを使って、人は、人々は何をしようとしているのか。

 結論としては、このアニメが日本とイタリア、宮崎とネグリをつなぎ、少なくとも聴衆としての当ブログを巻き込んだ。そういう意味では、ひとつのきっかけになり、話題になり、共通のコモン・グランドへの道筋のひとつになってくれるかもしれない。そういう期待を持たせてくれた、ということにしておく。

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2015/11/10

「ジ・アート・オブ 風立ちぬ」 スタジオジブリ責任編集

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「ジ・アート・オブ 風立ちぬ」 (ジブリTHE ARTシリーズ)
スタジオジブリ責任編集 2013/07徳間書店 大型本: 277ページ
No.3601★★★★★

 宮崎駿がわたしたちに教えているように、飛行機は戦争のためではなく平和のためにつくられなければならない。私は数日前にヴェネチアのモストラ映画祭で「風立ちぬ」を観た。映像をつらぬくきわめて深い政治的希望に、私は深く印象づけられた。

 映画全体が、共にテクノロジーから生まれる全と悪の問題に集中していた。制作者の自由な想像力から生みだされるのは爆撃機か、空飛ぶ物体か。宮崎はこの問いに答えない。しかし、それぞれのシーンが、風景の一つひとつのが、一つひとつの愛の出会いが、ただひとつの希望を表現している。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」 (原文イタリア語、ジュディット・ルヴェル仏訳) アントニオ・ネグリ「ネグリ、日本と向き合う」p182 「原子力国家の支配に対する抵抗」

 飛行機は戦争のためではなく平和のためにつくられなければならない。ネグリは当然そう読まなければならない。しかしながら、制作者の自由な想像力から生みだされるのは爆撃機か、空飛ぶ物体か。宮崎はこの問いに答えない。 と、鋭く見抜いている。

 そしてなおかつ、映像をつらぬくきわめて深い政治的希望に、私は深く印象づけられた。とも感じ、それぞれのシーンが、風景の一つひとつのが、一つひとつの愛の出会いが、ただひとつの希望を表現している。とも受け取っている。

 それに対して、宮崎本人は、どうであろうか。

 私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。

 しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。

 自分の夢を忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ。、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。

 二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。p8 宮崎駿「企画書 飛行機は美しい夢」

 私はネグリや宮崎のテクノロジーに対する技術論や人生観に触れる時、小出裕章氏を連想する。原子力や放射線の研究に生涯をささげた科学者である彼は、最初原子力にあこがれを持ち、それを自らの人生と感じて勉学にいそしむものの、途中でその欠陥性や犯罪性に気づき、脱原発運動に加わる。

 専門的に研究しつつ、すてにそのマイナス面を強調する彼の論理は、脱原発派の大きな理論的な柱とはなっているが、彼を慕う人々は、彼が必ずしも「脱原発」側にいるから慕っているわけではない。

 自分の人生をさらに高めようとする生き方、推進だろうが、反対だろうが、自らの人生を全うしようとする、その姿勢に鼓舞され、慕うのであろう。もちろん、彼は脱原発、そして廃炉への道を確立するために、研究者人生を続けておられる。しかし、それでもなおかつ、人生そのものを感じさせる、彼自身の素晴らしい生き方がある。

 この本は、ジブリ映画「風立ちぬ」のストーリーや絵コンテを詳しく紹介している豪華本である。宮崎駿もまた、その人生において、多く生みだしたアニメや映画の世界において、自らを高めようとしてきた、と、自負するがゆえに、このような作品を「引退作品」として制作したのであろう。

  日本の本来もっていた美しさ、空の青さ、緑の深さ、そして人々のいとおしい姿が活写されている。実にうつくしい一冊である。

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「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan Yasushi Handa(写真)<2>

<1>からつづく

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「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan <2>
Yasushi Handa(写真) 2013/03 イタリアSkira社 (英語)ハードカバー: 262ページ
★★★★★

 この写真集はたくさんの人たちの寄付や協力によって出来上がった本である。本の趣旨からして、この本は作者を含む主催者たちによって、被災地の各図書館等に蔵本されているようだ。

 私が拝見しているのも、近くの図書館に蔵本されたものであるが、実はかなり高価な豪華本なので図書館内でしか閲覧できない。短時間しか図書館に滞在できないが、私は何回か図書館に通いながら、この写真をみている。

 今日見て、帰り道、ふと気付いた。このMIGHTY SILENCE」の中の「20 DAYS AFTER」の部分は、沿岸部の、津波に直接に襲われた地域の画像が捉えられている。家や構造物、電車や車、道路や線路、橋、津波の足跡のその凄さは、画像から直接に伝わってくる。

 それに比すれば、「FUKUSHIMA:18 MONTHS AFTER」のパートは、原子力発電所を写した写真は一枚しかない。そしてそれは遠景にすぎない。壊れた風景でも、悲惨な風景でもない。

 しかしながら、画像として写しだされているのは、「20 DAYS AFTER」のFUKUSHIMAではない。「18 MONTHS AFTER」のFUKUSHIMAなのである。ここに、前回、私が気付かなかった沈黙の深さがある。

 前半のパートの静けさは20日後の情景であって、その後、これらの風景は片づけられ、復旧に向けて努力が重ねられた。だから、おそらく18ヵ月後には、この風景は残っていなかったかもしれないのだ。

 ところが、フクシマの風景は、18ヵ月後である。津波に直接破壊された訳でもないのに、そこにはまだまだ沈黙がある。片づけたくても片づけられない、深い、深い沈黙がある。

 フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)p163

 ネグリが嵐のあと亡霊のような静けさと表現したのは、むしろ「18 MOUNTHS AFTER」のほうであったのだ。ネグリは自然が引き起こした悲劇と表現してはいるが、もちろん、そこには原発があったからこそ、引き起こされた風景だったのである。

 そのことに気づいたので、次回、この写真集を見る時は、もうすこし、そこのところを感じるようにしてみたい。

つづく

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「春の気分」ムーミン・コミックス トーベ・ヤンソン他

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「春の気分」ムーミン・コミックス
トーベ ヤンソン(著), ラルス ヤンソン(著), 冨原眞弓(翻訳) 2001/4筑摩書房 単行本 87ページNo.3600★★★☆☆

 こちらも「劇場版ムーミン」 南の海で楽しいバカンス の原作コミックで、イラストそのものはまったく同じ。ただ頁が向こうは2段組みだったが、こちらは三段組みで、すこし印刷面が小さい。

 二冊を並べて読み比べてみると、まったく違うのがコミックの吹き出しにあるセリフ。あちらはほのぼのしているが、こちらは、どちらかというと屁理屈っぽい。よく言えば哲学的(笑)。翻訳者がちがうのだろう。

 どちらが好みかと聞かれれば、私はこちらの屁理屈っぽいムーミンのほうが好きだが、数字や値段が日本語や円で書かれるので、若干興ざめする。このへんはむしろ、おとぎの国のムーミンでいてほしい感じ。

 向こうや映画では、貴族の世界に行ってド・ムーミン一家と名乗るが、こちらではフォン・ムーミン一家と名乗る。どちらがどう階級が違うのか、後で調べてみよう。

 ムーミンワールドに少しづつ船出している当ブログではあるが、この辺りから、すこしづつ荒波を感じ始める。いろいろなシリーズがあって、どれが好みなのか、これから少しづつ分かってくるだろう。

 この巻には、映画の原作となったストーリー「南の島へくりだそう」(タイトルの翻訳してからが違う)のほか、表題となっている「春の気分」と、「ムーミン谷の宝さがし」が収蔵されている。

 「ムーミン谷の宝さがし」を見る限り、ムーミン谷には、毎回エピソードが舞い上がるが、起承転結でストーリーが展開し、結局は普通の生活がいいね、という結論になるらしい。これでなくては、永年続くわけないね(笑)。

 「春の気分」となると、ちょっと大人向けのストーリーだ。対象年齢は何歳くらいなのだろう。翻訳の冨原眞弓は1954年生まれということだから、私と同年輩。フランスに留学した哲学教授で著者からも篤い信頼を受けているという。「ムーミン谷へようこそ」なんて著書もあるらしいので、これは後日、チェックですな。

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「ムーミン南の海へゆく」ムーミンの冒険日記 トーベ・ヤンソン他

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「ムーミン南の海へゆく」ムーミンの冒険日記
トーベ ヤンソン(著), ラルス ヤンソン(著), 野中しぎ(訳) 1992/05 福武書店大型本: 47ページ No.3599★★★★☆

 「劇場版ムーミン」 南の海で楽しいバカンス の原作コミック。白黒ではあるが、映画のストーリーとほとんど同じ。トーベ・ヤンソンの12才下の弟ラルス・ヤンソンが描くムーミントロールを初め登場人物達はやや細めではあるが、原作に忠実であってほしい、という作者たちの気持ちが伝わる。

 映画は、「Moomins on RIVIERA」となっているが、原作は決してリビエラではなく、南の島なので、日本語のほうが原作に忠実なようだ。

 もっとも、他にもあるこのコミックのセリフの翻訳がまったく違うので、読み比べてみるのも面白いかも。

 当ブログ、新カテゴリを「ねぇ、ムーミン」と銘打ってはいるが、なかなかムーミンにいかない。すこしづつ船出しよう。

 もっとも、このムーミンにはムーミン谷がでてこない珍しい作品らしく、ムーミン谷に関心を持っている当ブログとしては、ちょっと意表を疲れた感じ(笑)

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飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<8>

<7>からつづく

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <8>
飯沼 勇義 (著) 2011/06 鳥影社 単行本 208p

 私事になるが、今回の津波で仙台市宮城野区蒲生地区にあった我が家を失ってしまった。津波研究家の私が津波で被災するというのは、実はこの地に居を構える際予想した出来事であった。

 家は住めない状態となり、現在も避難所に寝泊まりしている。文献、資料もずいぶんと失い、避難所の限られたスペースの中で執筆しているので十分な記述ができないことをまず読者にお詫びしたい。p2 飯沼「はじめに」(編注2011/05頃の執筆と思われる)

 家に帰り、玄関に入ったその瞬間である。突如、ものすごい揺れに襲われた。左側の今に掛けてある柱時計が、大きな音と共に玄関脇の階段のところまで飛んできて目の前に落ちた。すさまじい音だった。階段は上下左右に大きく揺れ、二階などとても上がれる状態ではない。諦めてすぐに家を飛び出した。p88 飯沼「その日、何が起こったのか」

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 飯沼勇義氏の著書を初めて読んだのはこの本である。私がこの本を図書館で見つけたのはもう2011/08になっていた。その後、赤本と呼ばれた16年前の本「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」を図書館蔵書で読んだのが2011/10、印刷所まで行ってその復刻版を5冊ほど求めたのは2011/11になってからだった。

 さらに続刊としてでた「解き明かされる日本最古の歴史津波」飯沼勇義 2013/03 鳥影社をナビゲーションとして、拙い個人的地元探求が始まったわけだが、あれ以来、ずっと一度この方の講演をお聞きするなり、お住まいを訪ねたいものだ、と思ってきた。

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 しかし、すでにご高齢であることも考慮し、またお互い被災した身であれば、どこかの必然的な出会いが起こるまで待ってみよう、と、今日まで経過したのであった。だが、まだその出会いのチャンスはやってこない。

 たまたま近くに仕事上の所用があったので、以前の著書に掲載されていた住所を車のナビにいれて走ってみた。以前、グーグルマップやストリートビューなどを手掛かりに、このあたりかな、と目星をつけておいたのだが、まだその古い住所には、そのお住まいらしき建物は存在した。

 しかし、ご不在であり、近隣はすでに通常の生活にもどられている様子ではあるが、カーテンのない窓ガラス越しに見えた限り、3・11後にこのお住まいで生活された様子はなく、むしろ、部屋の中は、3・11のあの日のままであるようにさえ思われた。

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 近隣を車で走っていて、津波非難タワーなるものを発見した。資料によれば今年2015年2月に仙台市が設置したもので、収容人数およそ300人、鉄骨造りで食糧や水、毛布、簡易トイレセットなどが備蓄されているようである。建設費、およそ2億3000万円。

 3・11後4年を経過して作られた施設であるが、この施設が震災以前に存在したら助かった命もあっただろう、と思うと、胸がいっぱいになる。

 「津波防災対策試案」

提案① 各地域の集落の中央部に避難することができる鉄筋コンクリート三階以上のビルを建設すること。(中略)

[避難ビル建設についての諸条件]
・こうしたビルの建設は地方公共団体(各市町村、各都道府県)と国、各種の団体、各民間企業、民間を問わないが、建設認可前に、避難ビルに関する建築基準法をつくり、この中に建築ビル屋上を津波防災上の避難場所として不特定多数の人々が利用できる基準を設け、あらかじめ建築許可以前に建築主から承諾書をとり許可された段階で着工する。
飯沼勇義「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」p194

 この提案書は、3・11の16年前、1995年、仙台市長と宮城県知事にあてて提出されたものである。

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 1930年生まれの飯沼氏、まもなく米寿を迎えられる御高齢の方である。近いうちに御講演などをお聞きする機会があるものかどうか、定かではないが、ますますお健やかであられますように。

<9>につづく

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2015/11/09

「解き明かされる日本最古の歴史津波」<24>遠見塚古墳

<23>からつづく 


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <24>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

遠見塚古墳(仙台市若林区)

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<25>につづく

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「あの日からの建築」 伊東豊雄 <2>

<1>からつづく 

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「あの日からの建築」 <2>
伊東 豊雄(著) 2012/10 集英社 新書 192ページ
No.3591

 建築家という鎧を身に纏うのではなく、ただひとりの人間として建築を考える必要があると思っていました。そんな折に大震災は起きたのです。p66 伊東「『みんなの家』というプロジェクト」

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 「みんなの家」を思いついたのはそんな動機からです。「みんなの家」、何と凡庸で何と閃(ひらめ)きのない名前だと思われるかもしれません。でも被災地の高齢者と話すにはこのわかりやすさしかないと思いました。p66 同上
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 仮設住宅での生活を見て、こうした人々が一緒に話し合ったり、食事のできる木造の小屋をつくることができないかと考え始めました。p67 同上

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 住民相互が心を通わせることができる場所、皆でおおきなテーブルを囲んで食事を楽しめる場所、そんな小屋を被災地に提供したいと思い、(中略)、それはいい話だから何とかしたいという事になりました。p68 同上

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 市長にも相談した結果、仙台市宮城野区の公園内に設けられた仮設住宅地に「みんなの家」第一号はつくられることになりました。p69 同上

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 私は、この集会所の隣に10坪ばかりの木造の小屋をつくりたいこと、そこには大きなテーブルを置いて、10名以上の人々が食事をしたりお酒を飲めるような場所にしたいこと等、「みんなの家」の主旨を話しました。p70 同上

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 最初はうつむき加減で口の重かった住民の人たちも、次第に住み始めた仮設住宅への不満や「みんなの家」に欲しいものをポツリポツリと語り始めました。p70 同上

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 薪のストーブなどがあって火を囲んで話などできたらありがたいとか、庇(ひさし)の下に薪が積んである風景が懐かしいなど、失われた住まいへのノスタルジーを含めて、断片的な「みんなの家」への想いを語ってくれました。p71 同上

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 屋根材やガラス、キッチンや衛生陶器、照明器具なども多くのメーカーが無償で提供してくれました。このように多くの人々の心がひとつにつながって、正しく言葉どおりの「みんなの家」が実現できる運びとなりました。p73 同上

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 (注2011年)10月26日、竣工式の日がやってきました。p76 同上

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 毎日仮設住宅での苦労が絶えない人たちも、この日ばかりは明るく酒を飲み、家から漬け物やら塩辛などありったけのものを持ってきて振る舞ってくれました。p76 同上

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 私が設計の仕事を始めてから、つくり手と住まう人がこれほど心をひとつにしたことはありません。 p78 同上 

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 釜石市平田地区仮設住宅地の「みんなの家」も2012年5月に誕生しました。p80 同上

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 釜石市の浜町商店街復興のための「みんなの家・かだって」も6月下旬に竣工しました。p80 同上

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 2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、私は日本館のコミッショナーを務めることになりました。p84 同上

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 今回コミッショナーとして私が選んだテーマは「ここに、建築は、可能か」でした。p84 同上

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    photo 2015/11/09現在

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2015/11/08

「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan Yasushi Handa(写真)<1>

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「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan <1>
Yasushi Handa(写真) 2013/03 イタリアSkira社 (英語)ハードカバー: 262ページNo.3598★★★★☆

 わたしの目の前にあるのは半田也寸志の圧倒的な写真集「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社、2013/03刊)である。

 フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)p163

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 ネグリがこの写真集を見ていたのは時系列で考えると、来日公演から帰国して半年後の2013/09/13ということになる。半田也寸志の写真集「20 DAYS AFTER」は2012/03/30に出版されているが、それが大幅に増加され、その後の「FUKUSHIMA:18 MONTHS AFTER」のおよそ20枚弱の写真が加えられて、こちらの「MIGHTY SILENCE」が出版されている。

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 率直に言えば、被災地の人間としては、「見慣れた」、「よくある風景」である。特段にこの写真集だけに写しだされたというものは、ほとんどないのではないだろうか。ただ、この写真集が特異なのは、超細密な画素数のカメラを使い、ある種の「演出」さえ感じるような、どんよりした雲と、微細な「ガレキ」たちの対比が、見る者の度肝を抜く。

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 半田也寸志という写真家は1955年生まれだから、私よりちょっと若い世代である。ほぼ同年代だ。どうやらコマーシャル写真やファッション写真などで活躍してきた人なのか、スポンサーらしきページに化粧品メーカーのロゴもある。日伊協会というところも協力しているようである。写真集とは言え、解説ページも多く、山折哲雄などの名前も見える。

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 日本の地図で被災地やフクシマの位置関係を紹介しながら、今回のこの有史以来の希有な災害を提示している。ネグリはフクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)p163と語っている。しかし私の見る限り、この本における原発そのものの風景は一枚だけである。

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 ネグリとて、震災から2年半経過するまで、他のメディアで福島原発の写真を見たことがなかったわけではないだろうが、明示的に示されたのはこの写真集であるし、おそらく、この写真と、それに続く平原や被災した街並みの写真だった、ということになる。

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 そもそもこの写真家自身は津波そのものの脅威を撮影したかったのだろうし、それ以上のことを要求する気はない。私は被災地に入っても、一枚も写真が撮れなかったドシロートである。このような、明確なカメラマンマインドを持ったアーティストたちにこそ与えられた仕事であるのだ、と理解する。そして何はともあれ、この写真集を見ながら、ネグリは「原子力国家」のゆくえを危惧する。

<2>につづく

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「共産主義の理念」 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート、他

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「共産主義の理念」
ドゥズィーナス、 スラヴォイ ジジェク(編集), アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート、他 (著)2012/06 水声社 434ページ
No.3597★★☆☆☆

 ネグリ&ハート追っかけを10年来続けている当ブログではあるが、その理解もなかなかおぼつかなく、また多数出版されている本であってもなかなか手がとどかないものが何冊もある。

 その反動で、雑誌やらオムニバス本やら、とにかく彼らの名前が見える本が、もしわが図書館にあるのなら見ておこう、という精神で検索した中にあった一冊。

 そもそもは2009/3の三日間、ロンドン大学バークベック校で開催されたコンファレンス「共産主義の理念」のドキュメンテーションである。おおよそ15人の学者、研究者、論客たちが熱演(だと思う)している。今回は、ネグリ&ハート追っかけの一環で開いた本なので、他の論客たちについては割愛する。本としては2010年に原書が発行され、邦訳は3・11後の2012年になって出版されている。

 全体としてのイメージは、堅く、暗く、閉鎖的である。男くさく、柔らかい女性性など微塵も感じられないこの本の中で、おそらくネグリもハートも特段に突出した存在ではなかろう。いずれにせよ、2009年当時の「共産主義」の「理念」が語られているので、当ブログとしては、直接的にアクセスするポイントは少ない。

 しかしながら、ハートの論旨などには共感を覚える部分もあり、引用しようかなとも思ったが、その後に出版された邦訳等で十分その意は汲まれていると考え、そちらを精読することで、より距離を縮めていくこととする。

 むしろ、こういう形で、列挙されている場合には、ネグリとハートの「差異」を感じる良い機会だとおもうので、万が一、後日この本を開くことがあったら、そのような視点で読みなおすのも一興だと思う。

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『世界が日本のことを考えている』 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ<4> 共同通信社

<3>よりつづく 


「世界が日本のことを考えている」 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ <4>
共同通信社 2012/03 太郎次郎社 単行本 271p

 「ネグリ、日本と向き合う」と出会い、3・11直後の中で、最初にネグリの動向として伝わってきたのがこの本であったことをまずは確認した。そうして、自分のブログを見て、すでにこの本について3回コメントしていたことに気づいた。私はネグリ一人分しか読んでいなかったような印象だったが、そうではなく、まんべんなく読み、しかも再読もしていた。

 今回は、「むしろ、インタビューを終えて」という記者の文章が面白かった。

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 夏のイタリアは暑い。汗がしたたり落ちる7月末、ベネチアの小路の突き当たりにある自宅でアントニオ・ネグリ氏と会った。投獄や亡命など激動の半生が嘘のように、終始穏やかで饒舌。笑顔がチャーミングな哲学者だ。インタビューしたいと東京からメールを送ると、「フクシマの問題は重要だから、すぐに来い」と返事が来た。

 ひきつけられたのは「原子力国家」(nuclear state)という言葉だ。国家は原発の安全性を保障するため、地震や津波が来ても大丈夫、といった「嘘」に始まり、国家の魂までも原子力に売ってしまうという意味だ。

 政府・電力業界の数十年間にわたる猛烈なPR攻勢によって、「安全ボケ」に陥った日本を見れば、「原子力は国家を乗っ取る」という分析は的を得ている。津波を「想定外」とする逃げ口上は、安全性の保証を原子力国家の枠でしか「想定」していない習い性の最たるものだろう。

 原子力推進力の巻き返しも激しい。安全保障における核抑止力神話からの脱却も難しいが、「エネルギー源として有力」という心の奥に住み着いた原発神話から逃れるのも難しい。

 ネグリ氏の訪日は2度も中止となた。1回目はテロ組織との関係が疑われたため。2回目は東日本大震災の直後の予定が、地震のためキャンセルとなった。「CIAのブラックリストに載っているから米国には入れない」と冗談風に言ったあと、「日本には行きたい」と付け加えた。

 インタビューを終えて日差しが照りつける小路を再び歩き始めると、脱原発を掲げるポスターがあちこちの壁に貼ってある。イタリアは福島第1原発の事故を受けて、脱原発を決めた。青空と太陽の下、「原子力ノー」の文字がまぶしく光った。p155「インタビューを終えて」(聞き手:杉田弘毅、写真も)

 10年間ネグリ&ハートに向き合ってきた当ブログであるが、「ネグリ、日本と向き合う」と言われると、今度は、当ブログとしては、イタリアベネチアという都市と向き合わざるを得ない気分となる。

 少なくとも、伊東豊雄たちヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞するとはどういうことか、ネグリが「風立ちぬ」を見たと言うヴェネチア・モストラ映画祭とは、どんな企画なのか。半田也寸志が写真集「Mighty Silence」を発行したというイタリアSkila社とはどんな出版社なのか。

 この辺あたりから、また、次なる展開をしてみたい。

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「世界共和国へ」―資本=ネーション=国家を超えて 柄谷行人<5>

<4>からつづく
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「世界共和国へ」 ー資本本=ネーション=国家を超えて <5>
柄谷行人(著) 2006/04 岩波書店 新書: 228ページ
★★★☆☆

 「ネグリ、日本と向き合う」と出会い、精読に入ったところで、そもそものマルチチュードとの出会いであったこの柄谷行人の本に舞い戻ってきた。全頁読みなおそうかなと思ったが、そもそもの最初の印象というものはかなり固定的なものである。

 この本もメモするのが5回目となると、これまで書いてきたことで大体足りているのだった。図書館から借りてきた本には帯はなかったが、石川裕人(ニュートン)蔵書市で求めた手元の一冊には帯が付いている。

「私たちの進む道はここにある! 21世紀を変える衝撃の社会構想」

 本書で柄谷はネグリ&ハートを批判的に取り上げており、我田引水的に引用を繰り返すが、シロートの私が見る限り、世界的には、柄谷の「世界共和国」論よりは、ネグリ&ハートの「コモン」のほうが、有名で、物議をかもしだしている。

 はてさて、わが友ニュートンは、この本の前に「<帝国>」や「マルチチュード」を購入しているのであり、逆に言えば、ニュートンが依拠いた一ヶ月あとに出版された「コモンウェルス」であってみれば、ニュートンは<帝国>三部作の完結を見ないで逝ってしまったことになる。

 されど、3・11を世界同時体験として、ネグリとともに「世界が日本のことを考えている」(2012/03) を生前読んでいた可能性はある。そして、「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03)が出たことを知ったら、彼は確実にこの本を、まずは購入したであろう。

 読書好きだった彼に対し、私はあまり本を読まない方だったが、残された現在、彼の分まで読みとおさなければいけないかな、という覚悟のようなものがある。彼の視点から、彼が読んだらどうなるか。どのような反応を示したか。どのように彼の演劇活動に作用しただろうか。

 もうすでに10年前の本である。柄谷についてもアップデイトで追っかける必要を感じるが、今の私は手一杯で、とてもそちらには進めない。今回、5読して(ごく部分的でしかないが)、まずはそう感じたことをメモしておく。

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2015/11/07

「リアルの行方」 長崎 浩

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「リアルの行方」
長崎 浩(著) 2014/04 海鳥社 単行本: 280ページ
No.3596★★★☆☆

 図書館の検索機能の中「コモンウェルス」で引っかかってきた一冊。1937年生まれで、東大理学部を卒業されているらしい。60年安保の学生運動で活躍された方らしく、著書も「叛乱の60年代--安保闘争と全共闘」、「共同体の救済と病理」など永年にわたって多数ある。

 であるからこそ、同世代に属するネグリなどの著書には、独特の見地から、結構辛口な批評が飛び出す。一連の著者の書籍もなかなか魅力的であるが、今回は、ネグリ&ハートの「コモンウェルス」追っかけなので、その部分を読ませていただき、他の部分は割愛した。

 今回は序章にあたる「リアルの行方」と終章にあたる「マルチチュードの叛乱記」に目を通した。この二つがこの本の書き下ろしである、とのことだから、他の部分は他の雑誌や共著などに発表済みの作品と推測した。

 「リアルの行方」は「3・11という現実」から始まる通り、問題意識は同時代に生きる人間として共感しうる書き出しになっており、それに絡むことの「ウエブ社会」や心理学等にも言及し、高齢の方ではあるが、時代をアップデイトに生きていらっしゃるかたである。

 「マルチチュードの叛乱論 ネグリ/ハート 『コモンウェルス』・『叛逆』を読む」(p243)は、例によってかなり硬派な反応であるが、文体自体は実に読みやすい。約40頁にわたる「真面目」ネグリ&ハートについての言及なので、必読に値する。

 しかしながら、論点・視点としては、もうすでに「出来上がった」「新左翼的」な定点はいかんとも崩し難いようで、そこから見た場合、ネグリ世界観のほころびはかなりの頻度でみえてしまうらしい。結局は、読む者を「昔の」「新左翼的」な地平に戻してしまうので、私なんぞは、ああ、「逆戻り」と思ってしまう。

 逆にいうと、ネグリ&ハートの世界観は、かなり未来志向でありながら、完全に旧態を離陸し切っていない、ということになるのではないだろうか。私なぞは、離陸した後に、上空でOshoが待ってるよ、みたいな読み方をしてしまうので、ネグリ&ハートの舌足らずなところがむしろ「かわいい」と思ってしまうのだが。

 わが国では、共産主義者同盟以降に新左翼党派が多数生まれるが、その綱領的主張はブントのヴァリエーションとしていいだろう。なお、廣松渉(ひろまつあゆむ)「現代革命論への模索---新左翼革命論の構築のために」は青年マルクス以降の革命論をたどっている。p247「革命論の系譜」

 廣松渉については当ブログでも何冊か読んでいるが、そのきっかけになったのは、荒岱介を読み進めるうちに廣松を師とあおいでいるらしく見えてきたからであり、翻って荒を読むようになったのは、荒にその名も「がんばれマルチチュード」2003/4という著書があったからであった。

 つまり当ブログとしては、共産主義や新左翼系の読書は主テーマではなく、あえて言えば、ネグリ&ハートは、それらからの「進化形」としてみていたからの読書なのであり、また、検証としての「他山の石」としての活用法に留まっている。

 プロレタリアートの代わりに今日の革命主体は誰か。これはもちろん実態に関わることだが、まずは呼び名が必要である。プロレタリアート以外の言葉を物色してみても、民衆あるいは人民とか大衆とか、いずれも歴史的に特殊な意味が染みついていて、新しい革命主体の名称にそぐわない。この点では別にマルチチュードにこだわることはないのである。p249「マルチチュード」

 長崎浩という方の革命論は、マルクスや共産主義の枠組みに、よくも悪くも強く依拠しているので、もはやそれ以外の枠組みは存在しないかのようである。それでも、やはりこれだけの知識人の頭は、幅広く「柔軟性」をまったく失っているわけではない。

 だから、新たに叛乱主体を名指しするのに、マルチチュードなどと新規な名称を使っても一向に構わないことである。p250 同上

 実に柔らかい。

 「叛逆」では一層顕著であり、最後にこう書いている。「私たちに必要なのは、左翼の教会を空っぽにし、その扉を閉ざし、それを焼き払うことだなのだ!」(192p)。異議なし! まぁ、ネグリのネオレーニン主義のマヌーバーだと、取りあえずは受け取っておこう。

 私とて、党の必要性などは聞きたくない。不必要であってもなくても、叛乱にとって各種の党派はすでにそこにいるのである。p280 「付論2」

 老練である。

 当ブログでは今後どのような展開をしていくのか未知ではあるが、場合によってはこの方の他の著書も多いに参考になるに違いない。

 来年2016年の参議院選挙における姿勢として日本共産党は、全野党の連帯を提案している。

 当ブログは、Oshoをイデオローグならぬマスターとしているのであり、「かくめい」の主体を自ら感じる「さにやしん」としているのであり、ましてや「せいじ」や「けいざい」が主テーマではない限り、これらのネグリから派生する議論とは整合性を持つことは限りなく不可能なのだが、議論として、「てつがく」として、面白いなぁ、と感ずれば、今後も大いに読書させていただくこととする。

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「現代思想」 2013年7月号 特集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス<2>

<1>からつづく


集=ネグリ+ハート 〈帝国〉・マルチチュード・コモンウェルス<2>
「現代思想」 2013年7月号、A・ネグリ、 M・ハート、 D・ハーヴェイ、上野千鶴子 他青土社 2013/06 青土社 雑誌 p246
★★★★★
 
 前回読んだ時は、この本の特集全体の面白さには気付いたが、それを読み下すことに勢力を傾けることはできなかった。そういった意味においても、一年半後の現在も同じなのだが、「ネグリ、日本に向き合う」を読み込み始めると、あの時期にでたこの雑誌の特集の意味もあらためてクローズアップされてくる。
 
 特集の分量は相当あり、これらを読みこむには相当のエネルギーを要するが、その歩とドは日本人が書いているのであり、今回もまた、ネグリやハートが書いたりインタビューを受けている部分の再読に留まる。
 
 日本の反原発運動においても、一定のナショナリスト潮流がコスモポリティズムの政治的に寛容な潮流と共存し続けることは可能かもしれません。
 
 しかし憲法九条の問題は、もしその問題をのりこえようとするならば、こうした勢力の共存を分裂させるでしょう。
 
 古典的社会主義がわたしたちに教えてくれたように、一定の時期にこうした分裂の回避に成功することは、こんにち実に困難です。したがって状況は、実はとても危機的なのです。
 
 中国、韓国、北朝鮮のような大国、日本はもちろん言うまでもなく、こうした大国は、ナショナリズムによる自殺を経験しえいるのですがね。ナショナリズムは、かつての日本にとって根本的な破局の理由の一つであったはずなのに。p41ネグリ「マルチチュードの現在」
 
 おなじ時期のインタビューではあるが、「ネグリ、日本と向き合う」に収容された文献とはまた別なニュアンスを伝えている。
 
 とくに<3・11>以降、日本ではごく普通の人たちが政治的に目覚め、行動するようになりました。人間はどのようにして政治に、<共>に目覚め、マルチチュード的な主体として形成されるのでしょうか。その契機はなんでしょうか。
 
ネグリ 政治的意識の獲得というのはもちろん<出来事>とかかわっています。今回のように悲劇的で痛ましい<出来事>は、いかに<社会の絆>が<原子力国家>の指令によって権威主義的な形で維持されているかということを示します。
 
 政治的意識の獲得とは、まさに、深刻な不正を被り、憤る体験のことなのです。こうした憤りは、わたしが思うに、政治意識の獲得の中心的基礎だと思います。
 
 もうひとつの中心的な要素は、こうした政治意識の獲得が、個人主義的ことではあっても、とりわけ他者と結びついてもいる点に気づくことです。
 
 わたしたちが憤るのは、わたしたちの友人、知り合い、わたしたちが愛している<他者たち>、この人たちがひどい悪により傷つけられるからです。p45 同上
 
 ネグリのような思想家の言葉の断片だけを取り出したとしても、ひとつひとつに独特の意味づけがされていることが多く、どれほどの役にたつものであるかは不明である。しかしながら、ネグリが、国際的、あるいはグローバルな視点から、日本、とくに3・11(以降)をどう見ているか、を知ることは、私たちはどのような位置にいるのかを知る良い鏡にはなってくれそうだ。
 
再読、続読を要す。
 
つづく

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アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 『コモンウェルス』 <帝国>を超える革命論<4>

<3>よりつづく

      
「コモンウェルス(上)」 「(下)」<帝国>を超える革命論<4>
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 2012/12 NHK出版 全集・双書  348p 338p
★★★☆☆

 「<帝国>」、「マルチチュード」につづく、三部作の完結編という位置付けである、ということに、ようやく気付いて、今回まためくりなおしてみたのではあるが、分かりにくさ、とっかかりのむずかしさという点においては、前回と同じであり、また前著2書に連なるほどの、めんどくささである。

 それはなぜなのかをいろいろ考えたが、結局はネグリ&ハートがそもそもが、マルクス&レーニンを超える新しい「共産主義」を作ろうとしているが、そのビジョンがまだまだ完成していないのと、そもそも、そのような「実体」が自覚的に登場していない、ということに尽きるだろう。

 さらには、読者として、登場してくる過去の歴史的運動の経緯のひとつひとつにほぼ認識がないのと、登場人物たちも、ある種の歴史観に支えられている人々だけであり、例えば、日本や東洋における事件や人物がほとんど登場しないことも、大きく作用している。

 だからこそ、当ブログにおいて、ネグリ&ハートの読書としては、「ネグリ、日本と向き合う」が必要だったし、「叛逆」において2011に世界各地で起きたマルチチュードたちの「蜂起」がでてきて、ようやく、空間、時間に共感を持てるようになったのだ。

 だから経緯を見ると、この「コモンウェルス」は邦訳出版はは2012年12月だが、原著出版は2009年であり、テーマとなる事実が3・11以前となり、どうしても共感を持つ部分が少なかったと言える。

 当ブログは現在「ネグリ、日本と向き合う」を精読中だが、これともう一冊「叛逆」を今後精読することによって、よりネグリ&ハートの世界を身近に引き寄せることができることになるはずである。つまり、ネグリ&ハートの主要三部作の再読、精読は、もうすこし未来の作業ということになろう。(あるいは棚上げかも)

 ちょっと考えたのだが、そう言えば、私の手元にある「<帝国>」、「マルチチュード」は、2012年10月になくなった竹馬の友・石川裕人の「蔵書市」で買い求めたものである。おおよそ100冊買い求めたのだが、そのリストの中には柄谷行人「世界共和国へ」資本=ネーション=国家を超えて2006/04 岩波書店、も入っている。

 私は柄谷の本でネグリ&ハートを知ったわけだが、石川裕人もまた、同じような経緯でこの世界を知ろうとしていたのかもなぁ、と想像してみる。その石川が急逝したのが、年表でみると 2012年10月11日。2012/12/25 に「コモンウェルス」上下邦訳が刊行されたとして、おそらく英文を読まなかった石川は、ネグリ&ハートの三部作全体を知らないで、旅だったということになろう。

 彼の演劇にどのように影響していたかは知らないが、残された私としては、旧友の視点を、これからも維持しながら、これらの「革命論」と付き合っていくつもりだ。ということで、当ブログとしては「ネグリ、日本と向き合う」と「叛逆」をさらに読みこむことにする。

 ネグリチュード(黒人性。二グロであることに誇りをもち、黒人意識を新たなる普遍性へおとつなげていこうとする概念と運動の総体を指す)上p173 「別の近代性」

 私はかつて当ブログにおいて、ネグリのいうところのマルチチュードという意味で「ネグリ」チュードなる言葉を一人合点で作り出していたが、ネグリ本人の本のなかに、このように書いてある限り、おそらくスペルは違うだろうが、日本語においても混乱するので、勝手な造語は今後使わないこととする。

 また、断片的ではあるが、このような表現もあったので、メモしておく。

 コンピューター時代を迎えた今日、資本は起業家的機能を取り戻しているし、マイクロソフト会長のビル・ゲイツやアップル・コンピューターのスティーヴ・ジョブズといった人物によって、ふたたび活気を帯びていると主張する声もあちこちから聞こえてくる。

 たしかにこれらの人物は、メディア向けの役割を果たしてはいるが、彼らはシュンベーダーのいう意味での起業家ではない。ただのセールスマンであり、投機家だ。企業の顔として最高バージョンのiPodやウィンドウズを売り、資本の一部を自社の成功のために投資はするが、革新の中枢を担っているわけではない。

 アップルやマイクロソフトのような企業は、自社やその従業員の境界をはるかに超えた、コンピューターとインターネットを基礎とする生産者の巨大なネットワークから生じる革新のエネルギーを糧にして存続している。

 シュンベーターは、経済的革新の源泉としての資本主義的な起業家の衰退を予見した点では正しかったが、その代わりにヒドラのように多数の頭をもつマルチチュードが、生政治的な起業家として現れ出てくることは予測できなかったのである。下p153「断層線沿いの余震」

 もともとは2009年の原著にでてきた表現であり、それをまとめるには数年の前駆期間があっただろうから、インターネットやジョブズに対する表現はこの程度であっても止むをえないのか。それにしても、この世界の変貌は早い。

 今後ネグリ&ハートを読む時は、これらの時間的ギャップを十分に考慮にいれながら読み込みを続けなければならないと思う。すくなくとも、このような形で、自分がすでにしっかりとした見地を持っている場合は、難解な一冊にぶつかる時に当たっても、むしろ好条件のアクセスポイントになってくれることが多い。

 私は今回この本を読んでいて、前回も書いたが、他のトリニティとの比較のなかで、どうしても三角形と逆三角形を重ねた六芒星を連想せずにいられなかった。そしてそれは三角錐と逆三角錐を重ねた立体図形にもなっていった。

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 この図形はかつてドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいた時に連想したものであり、このような形でネグリ&ハートを読みなおしてみるのも楽しい。それだけの力が、私にあればのことだが・・・・。

つづく・・・かも

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2015/11/06

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<22>

<21>からつづく
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「ネグリ、日本と向き合う」
<22>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

 短い日本滞在中に、反原発・脱原発の集会やデモに参加し、人々と議論できたのは、わたしにとっては感動的な経験であった。多様なかたちで市民の抗議が政治的討議と結びついていることをこの目で見たからである。

 感動的といったが、それは決定的に重要でもあった。行動のルーチン的儀式性を越えて、彼らから湧き出る力は信じがたいほどのものだった。そのことをこの目で見、理解することが重要であった。p174「原発危機からアベノミクスまで、『日本の現在』と向き合う」

 半田也寸志の写真集「Mighty Silence」、伊東豊雄の「ここに、建築は、可能か?みんなの家」、宮崎駿のアニメ「風たちぬ」などを絶賛しつつ、ネグリが本当に向きあおうとしていたのは、やはり、国会前の反原発デモの「マルチチュード」たちであっただろう。

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 3・11以降、インタビューや本の出版、そして来日公演など、じつにめまぐるしい日程で物事が展開していたことになる。整理するために、前後の出来事をリストアップしておこう。(編集中)

2011/03/11 東日本大震災 福島第一原発事故

2011/03/18 官邸前反原発デモ始まる

2011/03/31 半田也寸志 被災地に入り撮影開始

2011/04/初 伊東豊雄メディアテーク仙台現地入り

2011/07/末 ネグリ、ヴェネチアにて共同通信のインタビュー(※に収容)

2011/10/26 伊東豊雄ら仙台市宮城野区「みんなの家」竣工(▼参照)

2012/03/05 「世界が日本のことを考えている」出版(※)ネグリ他

2012/03/30 半田也寸志写真集「20 DAYS AFTER」発行(*)

2012/05/    ネグリ邦訳「叛逆」の原書「Declaration」が電子書籍Kindleで自主出版

2012/07/16 「さよなら原発10万人集会」代々木公園

2012/08/06 伊東豊雄ら「みんなの家」陸前高田上棟式(▼☆参照)

2012/08/29 伊東豊雄らヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞(☆参照)/

2012/09頃 半田也寸志、フクシマに入り「FUKUSHIMA:18 MONTHS AFTER」撮影

2012/10/22 伊東豊雄「あの日からの建築」発行(▼☆)

2012/12/25 ネグリ&ハート「コモンウェルス」上下(邦訳)出版 英文原書は2009年発行

2012/12/26 第二次安倍内閣成立 

2013/01/22 伊東豊雄「ここに、建築は、可能か?」日英版発行(☆)

2013/03/05 半田也寸志写真集「Mighty Silence」イタリアSkila社から発行(*参照)

2013/03/25 ネグリ&ハート「叛逆」邦訳発行 英文原書は2012年発行

2013/04/05 ネグリ初来日、官邸前反原発デモ参加(上記の動画参照)

2013/04/06 ネグリ、日本学術会議にて講演(◎に収容)

2013/04/11 ネグリ、国際文化会館にてインタビュー(△に収容)

2013/04/12 ネグリ、国際文化会館にて講演(◎に収容)

2013/07/01 「現代思想」特集ネグリ+ハート(△) 発行

2013/07/20 宮崎駿「風立ちぬ」日本公開

2013/09/初 ネグリ、「風立ちぬ」をヴェネチア・モストラ映画祭で見る

2013/09/13 ネグリ、写真集「Mighty Silence」を見ながら書き下ろし(◎に収容)

2014/02/09 東京都知事選 舛添要一

2014/03/10 「ネグリ、日本と向き合う」(◎)発行

2014/04/25 長崎浩「リアルの行方」(「マルチチュードの叛乱論」含む)発行 

2014/12/16 沖縄知事選 翁長雄志

2015/05/03 SEALDs発足

2015/09/19 安全保障関連法案成立

2015/10/25 宮城県議会選挙 共産党倍増

2015/11現在 各地にてマルチチュード活動中

(以上は、一読書子が自らの読書理解のために、暫定的にまとめたものであり、それぞれの直接の繋がりは不明)

<23>につづく

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2015/11/05

「20 DAYS AFTER 」半田 也寸志(写真)<2>

<1>からつづく 

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「20 DAYS AFTER 」
<2>
半田 也寸志(写真) 2012/03 ワニブックス ヨシモトブックス 大型本(写真集)

わたしの目の前にあるのは半田也寸志の圧倒的な写真集「マイティ・サイレンス」(イタリア・スキラ社、2013/03刊)である。

 フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)p163

 とネグリが言っているかぎり、この半田也寸志の写真集「マイティ・サイレンス」を探さなければと思って、まずは見ることができたのはこの「20 DAYS AFTER 」であった。

 被災地における風景は、これの連続なのであり、ある意味被災地においては「珍しい風景」ではない。

 しかしながら、この風景を誰かほかの人、たとえば、当時イタリアにいたネグリのような人に伝えるには、文字や言葉だけでは、伝えることはできないだろう。もちろん、写真だからと言って、真実が伝わるわけではないが、写真でなければ伝えることができない多くの事実がある。

 さいわい「マイティ・サイレンス」を近くの図書館のリストに見つけることができたので、近々そちらも見る予定だが、その前に、今手元にあるこちらの写真も何度も見ることになった。

 ネット情報によれば、二つの写真集には、同じ写真がお互いの表紙を含め、10枚以上の作品が掲載されているようだ。ただ、ネグリが「フクシマのまわりにひろがる平原」と表現したような福島原発周辺の写真は、こちらの「20 DAYS AFTER 」には含まれていない。

 ネグリの着想を、すこしづつ手探りで引き寄せている現在の当ブログの作業であるが、少なくともこの写真集たちは、ネグリと私(たち)を、同じ地平に立つことを、積極的に助けているようである。

ーーーーーーーーーーーー

 三脚を立たられる環境ではPhaseOneP65+を、手持ち用にはNikonD3Xを使用する事にした。少なくともkの時点では最高画質を誇っていたこれらの機材の描写力と、デジタルになってから再び復刻し始めた容易なパノラマ写真法は、当時の現場での撮影上の現実的な制約点を踏まれば、かなり納得のいく結果を出してくれたと思っている。巻末 作者「20日後の挽歌」

 おそらく「MIGHTY SILENCE」の中の「20 DAYS AFTER」も同じ様な配慮がされているものと思われる。「FUKUSHIMA:18 MONTHS AFTER」のおよそ20枚弱の写真については、どうであろうか、今のところ確かめようがない。2015/11/10追記

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プロジェクト567 <16>再考

<追々補>からつづく 

「プロジェクト567」 
<16>再考

「ドについて」

 ・「エコビレッジ日記」
 ・「市民農園体験記」
 ・「クラインガルテン計画」
 ・「わがボタニカル・ライフ」 あるいは
 ・「仙台柳生かやの木保存会」

 エコビレッジ日記はすでにフェードアウトしたプロジェクトだから、他の流れに合流させてもお何も問題はない。ボタニカルはカヤの木に通じるものではあるが、やはり別な流れではある。市民農園、クラインガルテン、ボタニカルは、いずれ三つ融合するだろうが、いますぐとなるときつい。今はとにかくここを強く通り過ぎているところである、と認識して、混雑はしているが、混然なるままに進むしかないだろう。(追記2015/11/07 ここを総称してコモン・グランドと括るアイディア浮上。ネグリからのiインスピレーション)

「レについて」

 したがって、クラインガルテンを強引にレにするのは難しい。レに近づいたド、と捉えておいたほうが自然である。では新たにレはなにか。ここで登場したのが、ネグリ関連から「みんなの家」のようなプロジェクトに対するアプローチ。つまり、この辺あたりに、あたらしい連載記事を作ってみることも可能であろう。

「ミについて」

 「今日の気分はこの3冊」その他、当ブログとしての類似の連載記事は他にもある。しかしその集合知としてのイメージは、ネグリの「みんなの家」にも近いので、ここはそのイメージに近寄る形で、軌道修正していくのも悪くあるまい。

「ファについて」

 「孫たちとの対話」をこのまま続行させるのにやぶさかではないが、当ブログにおいては、かつて「アガタ・ザ・テラン」という試行錯誤があったではないか。今ここで、新たなるメイン・キャラクターとして、彼の再登場を願うことも一考であろう。

「ソについて」

 「角川インターネット講座」あたりというのはあまりにイメージが貧困ではないか。むしろ、かつて当ブログの葛藤、「地球人スピリット宣言」なる試作品の流れがあったので、あれの流れを復活させる、という手は残されている。あるいは、グレードアップして、あれをつかうしかないのではないか。

 あるいは、現在考えている「ねぇ、ムーミン」プロジェクトをスタートさせることによって、その任にあたらせ、「地球人スピリット宣言」をラに格上げしてしまうことにも面白みはある。

「ラについて」

 この「プロジェクト567」を格上げするという手もあるのだが、本当にそうか。そこまで持っていけるか。むしろ、ここはやなり「地球人スピリット」を持ってくるべきなのではないか。その意味性を、もう少し問い直してみよう。

「シについて」

 「解き明かされる日本最古の歴史津波」をここに持ってくるには、若干タイトルが悪い。つまり、依拠するべき板が偏向しすぎている。意味は分かるのだが、時間や空間に限界が見える。特定できるということは、限定している、ということにもなってしまう。

う~~ん、再考を要す。

つづく

 

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「市民農園体験記」<45>基本に帰る

<44>からつづく

市民農園体験記 

<45>基本に帰る

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<3>よりつづく 

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「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目  小さな畑をフル活用(コツのコツシリーズ)<4>
斎藤 進(著) 2012/3 農山漁村文化協会 単行本 103ページ

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 4月から始まったわが市民農園体験。半年経過して、当初、ナニを目的にしていたのかにもよるが、畑としての成功率は1割程度である、と自覚する。まだ半年あるので、まだ結論はでないが、ただ後半は秋野菜から、畑の休眠期にはいる。ここまでくると、最初の「まずはやってみよう」の勢いは、かなり低下している。

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 まず、成功であろう、ということから列挙してみる。

・なにはともあれ畑を二か所見つけ、どれだけのことができるのか、どれだけのことしかできないのかが、すこしづつ見えてきた。

・土があり、大地がある。そこに種を播いて、苗を植えれば野菜になるわけではない。まず土を耕し、バランス良く(!)土壌を改良する。季節や天候を見極める。風、雨、日照り、気温、嵐、台風。水やり、追肥、収穫時期。ひとつひとつが勉強だ。そういうことが分かった。

・農具や種代、苗代、交通費、耕作に当てられる時間、周囲の人々の反応、作物のできる量、収支決算。そのようなことが、おぼろげながら見えてきた。自分のできる範囲がすこしづつ見えてきた。

・作った作物の出来不出来にもよるが、なんとか作物が形になる時の喜びは格別なものである。これがもっともっと上手になれば、たのしいのだろうな、ということも分かった。

・ボカシ肥料の自作、堆肥施設の活用、防虫用の液体作成など、ひとつひとつ身についたこともいろいろある。

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 次、ああ、これは失敗、ということは、数えきれないほどある。

・最初の謙虚さはどこえやら、いつのまにか自己流になり、本などは一切読まなくなった。これは大きな失敗だった。

・種や苗を買ってきても、書いてある注意書きなど読んだこともない。植えればいいんだろう、という態度。これは、おそらく間違いですね。大きな間違い。よくよく読むべきだったのだ。

・自分の畑の特性がよく見えていない。いいところを生かせばいいのだが、いいところを生かせず、悪いところに引っかかってしまっている。

・イチゴ、スイカ、トウモロコシ、ズッキーニ、ササゲ、ゴーヤ、シュンギク、ニンジン、カブ、ピーマン、シシトウ、ヤマイモ、トマト、数え上げればきりないが、ことごとく苦い経験の連続であった。0点というものは少ないまでも、こちらの期待値まで到達してくれたものはほとんどない。改良すべき点は山ほどある。

・化成肥料や苦土石灰を使わなかったのは、結果、失敗であったと思う。防虫用の化学薬品や農薬を使わないのは市民農園の方針だから当然としても、最小限の化成肥料等は、ビギナーには必需品と考えてよかろう。完全有機農法は、それからチャレンジしても遅くなさそうだ。

 などなど。

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 ということで、この「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目  小さな畑をフル活用、という本を久しぶりに開いてみることになった。

 秋野菜、今、タマネギの苗を植えたり、ニラやホウレンソウを蒔こうとしているのだが、すこしづつ投下する資本も大きくなってきているので、ここは注意深く、あちこち情報を仕入れていくようにしよう。

 とくに、ホウレンソウは作ってみたかった作物だが、石灰分を多く蒔いて、土地を中和する必要があるようだ。いつも目分量もいいところ、まったくのいい加減なアリバイ農業だったので、これからはすこしづつ、その適量とやらも知らなければならないな、と思う。

 おそらく、いっときの激情のような「やってみよう」精神は、次の「一定程度の成功」に支えられなければ、持続はできないと思う。これから半年かけて、一年を全うするとともに、来年は、「食べられる」市民農園を目指そうと思う。

 「食べられる」とは、生計が成り立つ、という意味ではない。ちゃんと食卓に並べられる野菜を作ろう、という意味である。葉っぱを楽しんだり、グリーンとして野菜を見るのではなく、収獲を目的とするのだ。

 いっとき、リナックスのOSが流行り出した時に、インストールするだけのインストール・オタクが流行ったものだが(その一人が私)、それで終わってはならない。その畑、その失敗体験を、どう次に生かすのか。そこんとこだね。

 それにつけても、この本、さらに再読、精読だなぁ。これからはもうすこしポイントを絞って、キチンと読み、キチンと実行できるようになろう。

(写真説明 上の二枚は奥さんのプランターミズナ。三枚目は、同じ種をすこし遅れ気味にまいた畑のミズナ。肥料や水管理をしっかりしないと、なかなか育たないことを痛感)

「市民農園体験記」<46>につづく

「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用<5>につづく

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2015/11/04

NHK 100分 de 名著 サルトル『実存主義とは何か』<1>

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サルトル『実存主義とは何か』NHK 100分 de 名著 <1>
2015年 11月 [雑誌] NHKテキスト [Kindle版] NHK出版 日本放送協会 (編集) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 18116 KB 紙の本の長さ: 103 ページ 出版社: NHK出版; 月刊版 (2015/10/25) 販売: Amazon Services International, Inc.
No.3595★★★★☆

 またぞろ、ネグリに舞い戻った当ブログであるが、ネグリ単独ではどうしても弱い。いっそ、スピノザ、ニーチェ、ハイデガー、ホッブス、ドールズ、サルトルなど、哲学一般をもういちどおさらいだなぁ、と、ちょっと落胆気味。

 そういえば、Oshoの「私が愛した本」のジャンル分けのなかで「西洋哲学」の分野はあとで読もうと取っておいたはずだ、と思い出した。そして、自分の書いたブログを読みなおしてみたのだが、いやいやどうして、もうあれはあれでいいのではないか、と納得できる位置にあるようである。

 そんな時、テレビで「サルトル」をやるらしい。この手の番組はなかなか興味深いのだが、いつもいつも見逃してしまう。失敗の連続である。今回も、見てみたいのだが、どうも見落とす可能性もある。とりあえず今日の部分はHDに録画しておくことにした。

 さてさて、サブタイトルもなかなか賑やかである。「私」自身をつくる。「自由ってなんだ?」「民主主義ってなんだ?」。なかなか意味深であるが、最近の戦争法案反対のの国会前デモなどで盛り上がっている、若い世代の政治への関心を反映させているのだろうか。

 この番組、最後の最後まで付き合えるかどうか定かではないが、とりあえず努力してみる。

 Oshoはサルトルについてこう言っている。

 ジャン・ポール・サルトルの「存在と無」だ。まず言っておかなければならないのは、私はこの男が好きではないということだ。私が嫌いなのは、この男が衒学者(スノッブ)だからだ。彼は今世紀で最も衒学的な人間のひとりだ。私が彼を衒学者と呼ぶのは、実存的であるということの意味をまったく知りもせずに、彼が実存主義の指導者になったからだ。ただ、この本はいい。私の弟子たちにとってではなく、ちょっとばかり狂った人間にとってはだ。ほんのちょっとだがね。この本は読みにくい。
 この本はちょっとばかり狂っている人間を正気に戻す。その意味では大した仕事だ---薬効がある。
Osho「私が愛した本」
p136

 ジャン・ポール・サルトルが代表している実存主義はまがいものだ。瞑想については何ひとつ知らないのに、彼は「存在」(ビーイング)について語り、「無」について語っている。ああ、それはふたつのものではない。
Osho同上 p137

 だがジャン・ポール・サルトルは、私は好きではない---ただ好きでないだけだ。嫌いですらない。嫌いというのは強い言葉だからね。
Osho同上 p137

 ジャン・ポール・サルトルは、実存について何ひとつ知らないが、たわ言を書いた。哲学的なたわ言、頭の体操だ。それも本当の体操だ。もし「存在と無」の十ページを読むことができたら。人は正気になるか、狂うかのどちらかだ。とにかく、この本の十ページを読むのはむずかしい仕事だ。教授だったとき、私はたくさんの生徒にこの本を与えたが、ひとりもそれを読み終えた者はいない。十ページすら読めたものはいない。一ページでも多過ぎた。実際は一段落でも多すぎるくらいだ。何が何だか分るものではない。ところがそれが千ページ以上もある。これは大冊だ。Osho同上
 p137 

 この男が好きでないのに、追補の中でこれを思い出したのは、・・・私が嫌いなのは哲学の方かもしれない・・・・。そうだ、それを哲学と呼ぼう、本人はそれを反哲学と読んでもらいたがっていたが。私がそれを反哲学と呼べない理由は簡単だ。あらゆる反哲学は、結局はもうひとつの哲学にすぎないことを、自ら証明することになるからだ。存在は、哲学的でもなければ、反哲学的でもない・・・それは、ただ在る。Osho同上p138

 私がこの本を含めたのは、彼のやった仕事が大変なものだからだ。これはかつて書かれたものの中で、大変は手腕と大変な論理を駆使して書かれた最も記念碑的な書物のひとつだ。しかもなお、本人のごく普通の、ひとりの共産主義者にすぎない---それが私が彼を好きではないもうひとつの理由だが。存在を知っている人間は、共産主義者などにはなりえない。平等などありえないことを知ることになるからだ。不平等こそがものごとのありようだ。何ひとつ平等ではないし、また平等ではありえない。平等とは夢にすぎない。愚か者たちの夢だ。存在とは、多面的な不平等性だ。Osho同上p138

<2>につづく

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「クラインガルテン計画」<15>化成肥料

<14>からつづく

「クラインガルテン計画」

<15>化成肥料  目次

 思えば、一ヶ月半ぶりのクラインガルテン日記更新である。この間、畑に行っていなかったわけではないが、メモするのが面倒なほど、いろいろな行事に振り回されていた。

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 クラインガルテンを始めた時から、提案としてあったタマネギをいよいよ植え付けてみよう、と思う。近くの園芸店で苗を求め、いざ畑へ。

Kk02

 そうそう、今回からは、すこし趣向を変えて、化成肥料も使うことにした。というか実験。カキガラ石灰とか、ボカシ肥料、鶏糞、米ぬか、とかすでに入ってはいるのだが、思ったような収獲に到達していない。ここはいろいろ検討を加えねばならぬ。

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 刃先の短い鍬もあらたに買い求め、いざ、土を耕す。先日蒔いておいたミズナも遅ればせながら、一部芽を出していた。全体でないのが悔しい。どうして全体で出ないのだろう。おそらく土のかけ方がまばらだったのかもしれない。

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 すでに球根状態のネギも植えてあり、すでに根づいているが、こちらは丈夫そうな苗で植え付けである。この他、ニラの種もまいてみた。秋の夕方はつるべ落としである。午後から出かけていくと、二時間ほどですぐ暗くなってしまう。

<16>につづく

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2015/11/03

アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 『コモンウェルス』 <帝国>を超える革命論<3>

<2>よりつづく

      
「コモンウェルス(上)」 「(下)」<帝国>を超える革命論<3>
アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート 2012/12 NHK出版 全集・双書  348p 338p
★★☆☆☆

 「ネグリ、日本と向き合う」を読み、改めて、<帝国>、マルチチュード、に並び立つ概念としての「コモン」が重要なのだ、と気付き、再読し始めている。しかしながら、そう思って読み始めてみるものの、やっぱりこの本は読みづらい。現在、<上>の前半分に目を通したところだが、なかなか気が重い。

 今回は、直感的に「コモン」を、普段当ブログが使いなれている「コミューン」という単語として読み変えてみているのだが、これが相当きつい。こういう読み方をすればするほど、コモンとコミューンは、まったく似つかわない、反対語であるかもしれない、とさえ感ずることになった。

 ひとつのアイディアとしては、ネグリ&ハートの「<帝国>、マルチチュード、コモン」というトリニティを、「魂へのマフィア達、サニヤシン、コミューン」というOshoトリニティで読みなおしてみているのだが、これも相当につらい。(私は何をやっているんだか・・・笑)

 さらには「ブッダム、ダンマム、サンガム」のブッダの三宝トリニティに比して考えたりしているものだから、ますますこんがらかってしまった。

 ただ、この読み方は、まったく間違った、頓珍漢なものでもないのではないか、という自負がある。敢えていうなら、これらのトリニティは、三角形と逆三角形を形成しており、二つ重ねると六芒星のようにも見えてくるから不思議である。

 私なんぞは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を四苦八苦しながら読みこんだ時に、この六芒星を想定することによって、なんとか読み切ることができた。

 だから、私には三角形の世界観があったとして、それに絞りこむことなく、倒立することの逆三角形のうまく組み込むことができれば、まさにドストエフスキーが提案した議論を、わが手の上に再形成することができるのではないか、とさえ感ずることになった。

 ちょっとマゾヒズム的ではあるが。

 いずれにせよ、この上下巻を読み切らなければ、前には進まん、という気概を持って、なんとか今回も完読することに務めよう。

<4>につづく

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「叛逆」―マルチチュードの民主主義宣言 アントニオ・ネグリ他<2>

<1>からつづく 


叛逆」―マルチチュードの民主主義宣言<2>
アントニオ・ネグリ , マイケル・ハート (著), 水嶋 一憲 , 清水 知子 (翻訳) 2013/03 NHK出版 単行本 216ページ
★★★★★

 約2年前にこの本を読んだ時に比べると、だいぶイメージが変わった。最近になって、「ネグリ、日本と向き合う」と出会い、かなり読みこんだ上に、関連の資料等をさらに加味したからである。分かりやすくなったとも云えるし、こちらの理解の幅が広がったとも言える。

 この本においては、2011年に起こった、いわゆる「アラブの春」を筆頭とする、各国、各地域での市民レベルの抗議行動が、ある種の連帯模様を描き、それを見たネグリたちは、新たなるマルチチュードたちの「叛逆」が始まった、と見たのである。

 日本の北部にすむ私にとっては、2011年は3・11が起こった年であり、それ以上でも、それ以下でもない。それを外して2011年を考えることはできないのだが、この本において、特にネグリの考察においては、ほとんどがいわゆる3・11のことが描写されていないので、そこが大変不満だったのである。

 しかしながら、3・11直後におけるネグリのコメントは別な形で伝わってきていたし、また今回「ネグリ、日本に向き合う」を読むことによって、前回の私のコメントはかなり偏った見かただった、と修正を迫られた、というべきである。

 将来的に、地球史的に見れば、2011年は、3・11、アラブの春、スティーブ・ジョブズの死、という年代であったと語られてることになるだろう。

 ネグリたちは、この本において、「借金を負わされた者」、「メディアに繋ぎとめられた者」、「セキュリティに縛りつけられた者」、「代表された者」という、現代の虐げられた人々のパターンを提示する。思えば、この4つ共に、私なんぞもまんまとハマっているわけで、もちろん、それに対する抵抗力もつけてはいるわけだが、そのように切り取ったネグリたちの手法にもなるほど、とうなづける面が多い。

 それに対する「マルチチュード」としての反撃、叛逆は、「借金をひっくり返せ」、「真理を作り出せ」、「逃走し、自由になれ」、「自らを構成せよ」という、彼ら流の「解」を提示する。おやおやと思う部分と、わが意を得たりと思う部分と半分半分だが、そのような檄を飛ばすネグリたちは、この本においては、立派なアジテーター達である。

 <帝国>、マルチチュード、に並ぶ三要素としてコモン<共>があったことは、以前より分かっていたはずなのだが、ここに来て改めて、そうそうそうだったのだ、と気付いた。そこで「コモンウェルス」を読みなおし、コモンをコミューン側から読み崩し中なのだが、どうも意見はすれ違う。

 「コモンウェルネス」の中のコモン(といっても上下巻の4分の1しかまだ再読していない段階だが)にはどうも何処までも違和感が残る。こちらの思うようなコモンにならない。そんなまどろっこしさを抱えて、こちらの「叛逆」を読んだところ、時間軸もかなり近寄ってきたせいもあるだろうが、かなり分かり易くなってきた。

 とくに後半などは、かなりな「叛逆マニュアル」とでもいうような、手取り足とりの「指導書」となっている。前回この本を読んだ時、私は、前半を読んで、もう飽きてしまっていたようだ。今回は特に、この後半部分が新鮮だった。

 そもそも今回、戦争法案に反対する国会前デモの人々を「理解」するには、マルチチュードという概念なしでは、私なんぞは共感を持てないでいたのだが、その感覚が正しいのかどうか、それを確かめるために、ネグリ再読となったのだった。

 この「叛逆」を読むにおいて、私の見方が多数派か少数派かはともかくとして、間違った見方ではない、と理解したことである。この見方で正しいのである。であるからこそ、今回の国会前デモも、大きな枠組みの中で、重要な要素を構成しているのだ、と痛感した。

 今日はちょっと細かくは書かないでおくが、ネグリは、そうとう近くにいる、と、直感した今回の読書だった。

<3>につづく

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2015/11/02

「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」  ゲーリー・スナイダー<6>

<5>からつづく

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「地球の家を保つには」 <6> エコロジーと精神革命
ゲーリー・スナイダー (著), 片桐 ユズル (翻訳) 1975/12 社会思想社 単行本 264p

 数日前に終了した「ボタニカル・スピリチュアリティ」の最後に、どうしても置かなければならないとしたら、この本しかない、と感じ、メモしておいた。読まずに、直感だけで、そうした。

 しかし、読まずにはいられなかった。ゆうべから今朝にかけて、一気に読んだ。書かれたのは1952年6月から1967年8月までの16~7年間の間のこと。岩山を闊歩する詩から始まり、禅修行や、エコロジーについての論説が加わり、最後は、スワノセ島での「部族」風景で終わる。

 「この本でしたかったことは、あるひとつの思想、考え方の、生まれてくる過程を、具体的にしめしたかった。もちろん理論的なものと経験的なもののバランスをとりながら」 スナイダー 表表紙見返し

 この本は、片桐ユズルの翻訳で、1975年12月にでている。1975年、まさに星の遊行群、ミルキーウェイ・キャラバンの年である。私はこの本の奥付に「40077・10・11」とメモしている。この年代表記法は、スナイダーの「最古の洞窟壁画から概算して」という但し書きに倣っている。片桐ユズルも「訳者あとがき」に 40075年10月とメモしている。

 私は書店でこの本を買い、読み、そして、一ヶ月後にインドへと旅立った。

--- 自然の詩をかこうとしたら、聞き手はどこにいるだろう? われわれの時代のビジョン詩と自然 を明確に表現しようとするこころみの葛藤そのものから来なくてはならぬ。p14 1952/07/28

 伝統的諸文化はどうみても運はつきている。だからそれらの良い点に絶望的にしがみつくよりは、よその文化にあったことや、あることはなんでも、瞑想をとおして無意識から再編成することができるということをおぼえておくべきだ。

 じっさい、わたし地震のかんがえでは、きたるべき革命が輪をとじて、われわれを多くの方法で太古のもっとも創造的だった諸側面とむすびつけるだろう。もし運がよければわれわれはやがて完全に統一された世界文化に到達するかもしれない。

 そこは母系で、結婚のかたちは自由、金本位制でない共産的経済、工業はよりすくなく、人口はずっとすくなく、国立公園はうんとたくさんあるのだ。p165「仏教と来るべき革命」 1963年前後?

 このさとり人間のサブカルチャーはすべての高度文明において強力な底流としてあった。中国ではそれは道教としてあらわれ、老子だけでなく、のちの黄巾の乱とか、中世の道教的秘密結社であった。また宋代初期にいたるまでの禅仏教もそうだ。

 イスラムではスーフィがいたし、インドではいろいろな流れがまざりあってタントラをうみだした。西洋では主としてグノーシス派ではじまる異端の系列として主としてあらわれ、民衆レベルでは「魔法」がそれであった。p187「インドよりもっとへの道」

 「革命」はイデオロギーの問題ではなくなった。そのかわりに、ひとびとはそれをいま試行しつつある---ちいさな共同体での共産主義、あたらしい家族組織。(中略)

 どのようにして彼らはおたがいに知りあうのか? つねにヒゲ、長髪、はだし、ビーズだとはかぎらない。

 しるしはきらきらした、やさしい顔つき、しずかさとやさしさ、いきいきとして気らくな立ち居ふるまい。みんないっしょに時を知らぬ愛と知恵の小道を、空、風、雲、木、水、動物たちと草木を友としながら行こうとする男たち女たち子どもたち---これが部族だ。p207 「なぜ部族か」

 この文章はすでに50年以上前に書かれたものだ。そして邦訳自体も40年前に出版されたものである。

 3・11後に日本の詩人たちに乞われて日本を訪れ、被災地に足を踏み入れたあと、ゲーリー・スナイダーは、若い女性に問われて、次のように答えていることを明記しておこう。

 私としては日本のカウンターカルチャーの行方にどのような見解をもっているのか興味があって、(引用者注 ゲーリー・スナイダーに)そのことを尋ねた。驚くべきことにその答えは、「たぶんカウンターカルチャーという言葉はもはや使われていないと思います」に始まるものだった。

 「日本人のなかには、部族とナナオとその仲間がカウンターカルチャーであると考えているかもしれません。それは的外れであると言わなくてはならないでしょう。それはわずかな人々です。しかし、日本は変わり、他の社会の影響を受け、世界のカウンターカルチャーは広がりを見せました」と述べ、現在、日本において、原子力発電の継続について懐疑的になっていることや、アメリカで起こっている富裕層に対するデモ活動もカウンターカルチャーであると言っている。

 またフェミニズム運動もカウンターカルチャーを経由して拡大したと述べている。カウンターカルチャーが、現代社会における、人間だけでなく、全生命の権利の尊厳を確立する文化的役目を担ってきたことに気づかされた。「現代詩手帖」 2012年7月号特集1 思潮社 p47 高橋綾子「カウンターカルチャーはどこにでもある」

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2015/11/01

「園芸家の一年」 カレル・チャペック

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「園芸家の一年」 
カレル・チャペック(著) 飯島 周(翻訳),2015/2/13 平凡社単行本: 235ページNo.3594★★★★☆

 テレビドラマ「植物男子ベランダー」にも出てきたし、「ボタニカル・ライフ 植物生活」にもでてきたのが、このカレル・チャペックの「園芸家の12か月」。調べてみれば、このタイトルを持つ書籍は多数あり、その中でも一番最新のヴァージョンがこの「園芸家の一年」であった。今年出版されたものだから、常に愛読者が存在する名著にふさわしい一冊なのであろう。

 そう思って頁をめくってみると、解説を書いているのは、いとうせいこうであった。

 いつ読んだかは覚えていないのだが、チャペック先生のあのユーモアはひどく強く優しく私を打った。ボーカーフェイス、誇張、絶妙な比喩。私が大好きなタッチの笑わせ方であった。

 構えが大きく、目の前の事象を抱擁しながら、その自分を小さく描く。するとますます事象は巨大化していく。庭で土を掘り、ホースで水をまき、タネを植える。それだけのことがスラップスティックになる。p228いとうせいこう「解説---ひとつの四季」

 テレビドラマ「植物男子ベランダー」がどうしてこんなに面白いのだろうと不思議だったが、いとうの原作が面白いからだ、と当たり前の答えに辿り着いたところだったが、あえていうなら、その先達であるカレル・チャペック兄弟のユーモアとセンスが、さらに生きているからでもあったのである。

 出来上がった庭という作品を、ただ遠くからぼんやり見ていたころは、園芸家とは、特別に詩的で繊細な心を持ち、鳥の歌に耳をかたむけながら、花の香を育てる人だと考えていた。

 現在、ことをずっと近くから見るようになると、真の素人園芸家は、花を育てる人間ではないことに気がついた。素人園芸家とは、土を育てる男なのである。土を掘り返すことに専念し、地上のものを眺めることは、われわれ、ぽかんと口をあけているろくでなしにまかせている。そんな生物だ。p48カレル・チャペック「園芸家のわざ」

 ことほど左様に、一貫してこの調子で進む。

 土の出来のよしあしは、一つには、さまざまな耕し方、つまり、掘り返し、裏返し、埋め、砕き、平らにならし、ととのえることにかかっており、もう一つには、肥料のやり方による。どんなプディングのつくり方も、園芸用の土の調合ほど複雑ではない。p52 チャペック 同上

 今年のはるから市民農園で野菜づくりを始めた私なぞには、今、痛烈に感じられていることわざだ。

 真の園芸家は、骨の髄まで、八月がすでに転換期であることを知っている。いま咲いている花は、すでにひたすらしぼむことを求めている。これからまだ、アスターとキクの花が咲く秋の季節がやってくるが、それが終われば、「おやすみなさい」だ! p145 チャペック「園芸家の八月」

 春のうちはまだよかった。本当に八月は、暑くて暑くて、畑に行っても何もできなかった。ただただ沢山茂るだけ茂った作物の葉っぱたちに圧倒されて、巨体の私は、そのウネの中にさえ、入っていかなくなった。あの時、もうすでにピークは過ぎていたのだ。

 秋には木や灌木がはだかになるというのは、目の錯覚である。それらは、春になると衣を脱いでのびてくる。あらゆるものでちりばめられているのだ。秋になると花が姿を消すのは、たんなる目の錯覚である。なぜなら、実際には花が生まれているのだから。

 自然が休息している、とわたしたちは言う。ところが、ほんとうは、自然は必死になって突進している。ただ、店を閉めてブラインドをおろしたのだ。しかし、ブラインドの向こうでは、もう新しい商品の荷ほどきをし、棚はいっぱいになって、たわむほどである。p196 チャペック 「園芸家の十一月 準備」

 今日から11月。私の畑も、夏野菜の残りと冬野菜の準備のためのスペースを残し、半分は、すでにからっぽになっている。しかし、これを「休ませている」と考えてはいけない。すでに、春は始まっているのだ。 

 最初はすでに90年も前の本だし、若干ずれているかな、と思ったが、読み進めるにつれて、その可笑しみ、ユーモア、気品というものが伝わってきた。

 園芸家とベランダーの違いもあるだろうし、園芸家と市民農園愛好家とも違いがあるだろう。しかし、そこに通じているヒューマニズムには、同じ血が通っているように思わる。目の前にある植物をベランダに植えるのか、花を中心とするのか、野菜を中心にするのか、の違いでしかないだろう。

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「ムーミン完全読本。」「Pen (ペン) 」2015年 2/15号<2>

<1>からつづく

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「Pen (ペン) 」2015年 2/15号 [ムーミン完全読本。<2>
CCCメディアハウス 2015/02  月2回刊版  雑誌 
★★★★★

 こちらの雑誌には、時間軸の広がりを期待する。私なんぞは、ムーミンと言えば、岸田今日子の名演技(声)しか知らなかったが、どうやら、昭和版のムーミンは、原作との齟齬があり、現在は上映禁止とされているらしい。いったい、何があったのだろう。

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 <追記>2015/11/05

 この特集、全70数ページのうち、最初の25ページほどが、最近観てきた映画「劇場版ムーミン 南の島で楽しいバカンス」のカラーイラストつきの紹介となっている。

つづく

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「ムーミンキャラクター図鑑」  シルケ・ハッポネン 高橋 絵里香<2>

<1>よりつづく

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「ムーミンキャラクター図鑑」 <2>
シルケ・ハッポネン(著), 高橋 絵里香(翻訳)  2014/10 単行本: 講談社 240ページ
★★★★★

 こちらの本には、空間的なムーミン谷の広がりを期待する。知っているキャラクターと言えば、ムーミントロールと、ムーミンパパと、ムーミンママと、そしてスナフキンぐらいなものだが、はてさて、数え上げればキリのないほどのキャラクターが存在するのである。

 それもこれも、なにはともあれ、作品としてのムーミンをひとつひとつ読んだり見たりすることで、分かって行けばいいことだろう。そして、そのムーミン谷の広さも。

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<3>につづく

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「劇場版ムーミン」 南の海で楽しいバカンス 監督: グザヴィエ・ピカルド

61lnydtuaal「劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス」
監督: グザヴィエ・ピカルド 出演: ムーミン:高山みなみ, フローレン:かないみか 2015/02 DVD77 分
No.3593★★★★★

 さて、新しいカテゴリを始めよう。新しいカテゴリ名は「ねぇ、ムーミン」である。近くの映画館で、若干旧作となってしまったが、「劇場版ムーミン」 南の海で楽しいバカンス(2015/02)をやっているので、それを見る所からスタートすることにする。

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 すでに、二冊の本は決まっていたが、まずは今年二月に封切られた新作劇場版映画を見ないことにはこのカテゴリはスタートしないだろう、ということで、本日、見てきた。今年の作品ということではあるが、旧作となり、おそらく、ハロウィンがらみの子供向けサービスだったのだろう。入場料も半額だった。

 祝日とあって、ウィークディはいつもガラ空きの映画館も、幼児から小学生くらいの子供連れの家族で半入りほどだった。私もまさか、この年になって、映画館にまで行ってムーミンを見るとは思っていなかったが、これはこれで、なかなか楽しい体験だった。

 ストーリーは子供向けとは限らないが、いまをときめくコンピューター・グラフィックスのようなめまぐるしい展開よりは、私はどちらかというと、こちらのほうが好きだ。この程度の作品なら、DVDもたくさん出回ったりしているし、アニメもある。家で孫たちと見るのもいいかもしれないが、映画館は映画館なりに没頭できるところがいい。

 この一作を見たから、どう、ということはない。この特筆すべきことがない、ごく普通の当たり前の感覚が、むしろムーミンの持ち味だ。このノーマルな感覚、だが、よくよく考えてみれば、カバに似ているムーミンのおとぎ話か、リアルな問題提起か、という、かなりちぐはぐなワールドだが、それを「普通」に見せてしまうところが、ムーミンのムーミンたるゆえんなのだろう。

 なにはともあれ、これを見ないと、新しいカテゴリ「ねぇ、ムーミン」はスタートしない。ここからがスタートだ。2015/10/03記

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