「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan Yasushi Handa(写真)<2>
「MIGHTY SILENCE」 Images of Destruction: The Great Earthquake and Tsunami of East Japan <2>
Yasushi Handa(写真) 2013/03 イタリアSkira社 (英語)ハードカバー: 262ページ
★★★★★
この写真集はたくさんの人たちの寄付や協力によって出来上がった本である。本の趣旨からして、この本は作者を含む主催者たちによって、被災地の各図書館等に蔵本されているようだ。
私が拝見しているのも、近くの図書館に蔵本されたものであるが、実はかなり高価な豪華本なので図書館内でしか閲覧できない。短時間しか図書館に滞在できないが、私は何回か図書館に通いながら、この写真をみている。
今日見て、帰り道、ふと気付いた。この「MIGHTY SILENCE」の中の「20 DAYS AFTER」の部分は、沿岸部の、津波に直接に襲われた地域の画像が捉えられている。家や構造物、電車や車、道路や線路、橋、津波の足跡のその凄さは、画像から直接に伝わってくる。
それに比すれば、「FUKUSHIMA:18 MONTHS AFTER」のパートは、原子力発電所を写した写真は一枚しかない。そしてそれは遠景にすぎない。壊れた風景でも、悲惨な風景でもない。
しかしながら、画像として写しだされているのは、「20 DAYS AFTER」のFUKUSHIMAではない。「18 MONTHS AFTER」のFUKUSHIMAなのである。ここに、前回、私が気付かなかった沈黙の深さがある。
前半のパートの静けさは20日後の情景であって、その後、これらの風景は片づけられ、復旧に向けて努力が重ねられた。だから、おそらく18ヵ月後には、この風景は残っていなかったかもしれないのだ。
ところが、フクシマの風景は、18ヵ月後である。津波に直接破壊された訳でもないのに、そこにはまだまだ沈黙がある。片づけたくても片づけられない、深い、深い沈黙がある。
フクシマのまわりにひろがる平原を、嵐のあと亡霊のような静けさが支配し、自然が引き起こした悲劇が、生きることの意味を問うている。「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)p163
ネグリが嵐のあと亡霊のような静けさと表現したのは、むしろ「18 MOUNTHS AFTER」のほうであったのだ。ネグリは自然が引き起こした悲劇と表現してはいるが、もちろん、そこには原発があったからこそ、引き起こされた風景だったのである。
そのことに気づいたので、次回、この写真集を見る時は、もうすこし、そこのところを感じるようにしてみたい。
つづく
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