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2015/11/19

「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15 伊藤 穰一 (監修)

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「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15
伊藤 穰一 (監修) 2015/10 KADOKAWA / 角川学芸出版 単行本 213 ページ、 Kindle版 ファイルサイズ: 4328 KB 
No.3610

 昨年10月から始まっていた「角川インターネット講座」全15巻がようやく完結した。どちらかと言えば、この50年ほどのインターネットの歴史をおさらいしようという方向性で、おざなりな内容も多いのだが、それらを踏まえて、さて、完結編である15巻目はどうなるのか、期待して待っていた。

 監修者は伊藤穰一(じょういち)。1966年、京都生まれながら、英語ネイティブで家族とともに外国暮らしも長い。少年時代よりネット文化の発展に立ち合い、多方面で活躍する。MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ現所長(4代目)である。

 当ブログでは10年ほど前に著書「革命メディア ブログの正体」 No.1ブログ検索エンジン テクノラティ(Technorati)の挑戦 2006/3インデックス・コミュニケーションズ を読んだきりだが、 この角川インターネット講座第12巻「開かれる国家」 境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12) 東浩紀(監修) のなかで伊藤の論文が引用されている。

 MITメディアラボについては、その名も 「メディアラボ」―「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦(1988/04 福武書店)という本を読んだことあるが、その著者がなんと「ホールアースカタログ」のスチュアート・ブランドである。ブランドもまた1985年あたりからこのMITメディアラボに参画している。

 はてさて、今回のこの15巻目「ネットで進化する人類」はどうなっているだろうか。伊藤は監修者となっているが、本書の編集にどの程度関わったのか定かでない以上、ご本人の文章をまず読んでみることとする。

 全213頁のうち、序章「ビフォア・インターネット、アフター・インターネット」が実質15頁、終章というべき第6章「バイオ・イズ・ニューデジタル!」が実質35頁。この中に、私が期待したような内容が書いてあるだろうか。残る150頁ほどで他の執筆者5人が担当しているが、それらは、後回しだ。

 序章については、自己紹介と全体的な紹介があるだけであり、特筆すべき点は多くない。これだけでは、私は満足できない。第6章もそのタイトル「バイオ・イズ・ニューデジタル!」からすると、どうも期待はずれに終わるか。

 確かにバイオ・テクノロジーの進化は目覚ましく、これらがいずれインターネットと融合していくのは時間の問題だ。たしかにそうなのだが、読者としてのこちらは、わずか5坪の市民農園で週末農業を始めたばかりだ。窒素、リン酸、カリ、からおさらいを始めた身にとっては、小難しいお話は、ぜんぜん耳に入ってこない。

 しかしながら、私はこの人から聞いておきたかった言質を掴むことはできたのである。ちょっと長くなるが、本文を引用しておく。

 現在の科学にとって人間の理解には、進化も含めた自然との関係の”美学”とでもいうべき新たな視点が重要になってきていると感じる。西洋で古くからあった宗教と科学の複雑な関係にも似た、「日本的な」という表現が妥当かどうかわからないが、瞑想(メディテーション)のようなものを含めてある種スピリチュアルな方法論、つまり複雑な構造を感覚的に理解するツールの必要性があると思う。それが、近い将来に人間の本質理解を可能にする重大要素となる可能性がある。p199伊藤「まだ解明されていない”人間というもの”」

 僕自身も、瞑想をはじめとしたスピリチュアルな方法をメディアラボに持ち込み、理解を深めようとしているところだ。 

 例えばいま、ダライ・ラマの教え子のテンジン・プリヤダラシがメディアラボに参加し、彼と僕とで授業を展開している。そのきっかけとなったのは、僕が短期間いたタフツ大学からの古い友人、ピエール・オミダイアとのEメールでのやりとりにある。僕の考えに対してピエールがテンジンを訪ねることを勧めたのだ。 

 テンジンはMITのダライ・ラマセンターの責任者で、会って話してみて、一緒に講座をやってみようと決った。「最良の学びは教えることで得られる」という格言にあるように、僕は講座で教える側にまわることでマインドフルネス(気づき)についてもっと学び、実践面の修練もできるだろうと、ふたつ返事で話に乗った。

 テンジンと相談して、講座名は「Principles of Awareness(意識性の大原則)」に決めた。

 この授業では、意識とは何か、自己意識は最初から備わった状態なのか、それとも練磨によって成されるものなのか。意識はアウトプットや心地よさの改善に寄与しるのか。技術は意識を高めたり、あるいはその足を引っ張ったりする要因になるのか。

 われわれが意識を持ちうるこの能力に、倫理的な枠組みはあるのか。自己意識は幸せにつながるのか・・・・・こういったテーマに対して、体験学習的な学習環境での実践を行なう。また、学生や参加者が意識にまつわるさまざまな理論や方法論を掘り下げることができるようにする。p200伊藤「人間の本質理解を目指して」

 クラスミーティング(オンラインおよびオフライン)では実践、レクチャー、そして招聘講師や専門家とのディスカッションなどを行う。講義の一部は一般にも公開する。実践は、瞑想からハッキングまで幅広い内容となる。

 僕はこれまで、導師的存在の吸引力や、自分自身が導師的なものと誤解されるようなことをかなり意識して避けてきた。

 これまでに大勢の方に師事し、さまざまな瞑想やマインドフルネスの方法論を試してもきたが、まだ自分では初心者だと思っている。僕はここまでの旅路にはとても満足していて、人生の1年1年、毎年より多くの幸せを享受しているし、より面白くも感じている。

 だから、「Principles of Awareness」の試みは、導師的なものを指向するのではなく、人間の本質理解を目指してのことだ。それが、ネットワークやコミュニケーションの複雑な構造を感覚的に理解するツールへと展開できれば、という意図である。p201伊藤 同上

 ここに抜き出した部分は、必ずしも本書の要旨でもなければ、伊藤個人の主旨でもないだろう。しかし、これだけの記述があれば十分である。この本は「角川インターネット講座」である。「角川」にも、「インターネット」にも、「講座」にも、それぞれの限界がある。

 玉石混交のこのシリーズ15冊の中から、敢えて三冊を選び出そうとすれば、当然この第15巻目がトップにくるが、あとは、第12巻開かれる国家」境界なき時代の法と政治 思想家、ゲンロン代表 東 浩紀 監修、第2巻ネットを支えるオープンソース」ソフトウェアの進化 プログラマー、Ruby設計者、角川アスキー総研主席研究員 まつもとゆきひろ 監修、あたりとなるであろうか。

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 ネグリ&ハートの三つの大きなコンセプト、「<帝国>」「マルチチュード」「コモンウェルネス」に、敢えて対応させようという当ブログの目論見が、丸見えだが(爆笑)。なんにせよ、ここでも、当ブログが提案している図式、パーソナル・コンピューター → ソーシャル・ネットワーク、を越えて、→コンシャス・マルチチュード、という「直感」を、ここでも、忘れないようにメモしておく。

 この第15巻をもう少し読んでから、全巻俯瞰し、必要な部分を補読することとする。

 ネットワークとコミュニケーションの技術は、バイオ世界を解明しつつ同時にバイオを完全融合していき、それによって生み出される新しい技術と哲学が深淵に光をもたらすはずだ。

 深淵に潜む、あるいは深淵でわれわれが創造する「真新しい何か」であるかは、もちろんまだわからない。だが、このシナリオは「予想される未来形」ではなく、「現在進行形の確定的な現実」なのだと、僕はいま強く訴えたい。p210伊藤「新しいテクノロジーと哲学の深淵に射し込む光」

 これが、この巻、そしてこのシリーズの結句である。

<2>につづく

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