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2015/11/07

「リアルの行方」 長崎 浩

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「リアルの行方」
長崎 浩(著) 2014/04 海鳥社 単行本: 280ページ
No.3596★★★☆☆

 図書館の検索機能の中「コモンウェルス」で引っかかってきた一冊。1937年生まれで、東大理学部を卒業されているらしい。60年安保の学生運動で活躍された方らしく、著書も「叛乱の60年代--安保闘争と全共闘」、「共同体の救済と病理」など永年にわたって多数ある。

 であるからこそ、同世代に属するネグリなどの著書には、独特の見地から、結構辛口な批評が飛び出す。一連の著者の書籍もなかなか魅力的であるが、今回は、ネグリ&ハートの「コモンウェルス」追っかけなので、その部分を読ませていただき、他の部分は割愛した。

 今回は序章にあたる「リアルの行方」と終章にあたる「マルチチュードの叛乱記」に目を通した。この二つがこの本の書き下ろしである、とのことだから、他の部分は他の雑誌や共著などに発表済みの作品と推測した。

 「リアルの行方」は「3・11という現実」から始まる通り、問題意識は同時代に生きる人間として共感しうる書き出しになっており、それに絡むことの「ウエブ社会」や心理学等にも言及し、高齢の方ではあるが、時代をアップデイトに生きていらっしゃるかたである。

 「マルチチュードの叛乱論 ネグリ/ハート 『コモンウェルス』・『叛逆』を読む」(p243)は、例によってかなり硬派な反応であるが、文体自体は実に読みやすい。約40頁にわたる「真面目」ネグリ&ハートについての言及なので、必読に値する。

 しかしながら、論点・視点としては、もうすでに「出来上がった」「新左翼的」な定点はいかんとも崩し難いようで、そこから見た場合、ネグリ世界観のほころびはかなりの頻度でみえてしまうらしい。結局は、読む者を「昔の」「新左翼的」な地平に戻してしまうので、私なんぞは、ああ、「逆戻り」と思ってしまう。

 逆にいうと、ネグリ&ハートの世界観は、かなり未来志向でありながら、完全に旧態を離陸し切っていない、ということになるのではないだろうか。私なぞは、離陸した後に、上空でOshoが待ってるよ、みたいな読み方をしてしまうので、ネグリ&ハートの舌足らずなところがむしろ「かわいい」と思ってしまうのだが。

 わが国では、共産主義者同盟以降に新左翼党派が多数生まれるが、その綱領的主張はブントのヴァリエーションとしていいだろう。なお、廣松渉(ひろまつあゆむ)「現代革命論への模索---新左翼革命論の構築のために」は青年マルクス以降の革命論をたどっている。p247「革命論の系譜」

 廣松渉については当ブログでも何冊か読んでいるが、そのきっかけになったのは、荒岱介を読み進めるうちに廣松を師とあおいでいるらしく見えてきたからであり、翻って荒を読むようになったのは、荒にその名も「がんばれマルチチュード」2003/4という著書があったからであった。

 つまり当ブログとしては、共産主義や新左翼系の読書は主テーマではなく、あえて言えば、ネグリ&ハートは、それらからの「進化形」としてみていたからの読書なのであり、また、検証としての「他山の石」としての活用法に留まっている。

 プロレタリアートの代わりに今日の革命主体は誰か。これはもちろん実態に関わることだが、まずは呼び名が必要である。プロレタリアート以外の言葉を物色してみても、民衆あるいは人民とか大衆とか、いずれも歴史的に特殊な意味が染みついていて、新しい革命主体の名称にそぐわない。この点では別にマルチチュードにこだわることはないのである。p249「マルチチュード」

 長崎浩という方の革命論は、マルクスや共産主義の枠組みに、よくも悪くも強く依拠しているので、もはやそれ以外の枠組みは存在しないかのようである。それでも、やはりこれだけの知識人の頭は、幅広く「柔軟性」をまったく失っているわけではない。

 だから、新たに叛乱主体を名指しするのに、マルチチュードなどと新規な名称を使っても一向に構わないことである。p250 同上

 実に柔らかい。

 「叛逆」では一層顕著であり、最後にこう書いている。「私たちに必要なのは、左翼の教会を空っぽにし、その扉を閉ざし、それを焼き払うことだなのだ!」(192p)。異議なし! まぁ、ネグリのネオレーニン主義のマヌーバーだと、取りあえずは受け取っておこう。

 私とて、党の必要性などは聞きたくない。不必要であってもなくても、叛乱にとって各種の党派はすでにそこにいるのである。p280 「付論2」

 老練である。

 当ブログでは今後どのような展開をしていくのか未知ではあるが、場合によってはこの方の他の著書も多いに参考になるに違いない。

 来年2016年の参議院選挙における姿勢として日本共産党は、全野党の連帯を提案している。

 当ブログは、Oshoをイデオローグならぬマスターとしているのであり、「かくめい」の主体を自ら感じる「さにやしん」としているのであり、ましてや「せいじ」や「けいざい」が主テーマではない限り、これらのネグリから派生する議論とは整合性を持つことは限りなく不可能なのだが、議論として、「てつがく」として、面白いなぁ、と感ずれば、今後も大いに読書させていただくこととする。

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