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2015/11/09

「あの日からの建築」 伊東豊雄 <2>

<1>からつづく 

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「あの日からの建築」 <2>
伊東 豊雄(著) 2012/10 集英社 新書 192ページ
No.3591

 建築家という鎧を身に纏うのではなく、ただひとりの人間として建築を考える必要があると思っていました。そんな折に大震災は起きたのです。p66 伊東「『みんなの家』というプロジェクト」

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 「みんなの家」を思いついたのはそんな動機からです。「みんなの家」、何と凡庸で何と閃(ひらめ)きのない名前だと思われるかもしれません。でも被災地の高齢者と話すにはこのわかりやすさしかないと思いました。p66 同上
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 仮設住宅での生活を見て、こうした人々が一緒に話し合ったり、食事のできる木造の小屋をつくることができないかと考え始めました。p67 同上

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 住民相互が心を通わせることができる場所、皆でおおきなテーブルを囲んで食事を楽しめる場所、そんな小屋を被災地に提供したいと思い、(中略)、それはいい話だから何とかしたいという事になりました。p68 同上

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 市長にも相談した結果、仙台市宮城野区の公園内に設けられた仮設住宅地に「みんなの家」第一号はつくられることになりました。p69 同上

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 私は、この集会所の隣に10坪ばかりの木造の小屋をつくりたいこと、そこには大きなテーブルを置いて、10名以上の人々が食事をしたりお酒を飲めるような場所にしたいこと等、「みんなの家」の主旨を話しました。p70 同上

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 最初はうつむき加減で口の重かった住民の人たちも、次第に住み始めた仮設住宅への不満や「みんなの家」に欲しいものをポツリポツリと語り始めました。p70 同上

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 薪のストーブなどがあって火を囲んで話などできたらありがたいとか、庇(ひさし)の下に薪が積んである風景が懐かしいなど、失われた住まいへのノスタルジーを含めて、断片的な「みんなの家」への想いを語ってくれました。p71 同上

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 屋根材やガラス、キッチンや衛生陶器、照明器具なども多くのメーカーが無償で提供してくれました。このように多くの人々の心がひとつにつながって、正しく言葉どおりの「みんなの家」が実現できる運びとなりました。p73 同上

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 (注2011年)10月26日、竣工式の日がやってきました。p76 同上

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 毎日仮設住宅での苦労が絶えない人たちも、この日ばかりは明るく酒を飲み、家から漬け物やら塩辛などありったけのものを持ってきて振る舞ってくれました。p76 同上

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 私が設計の仕事を始めてから、つくり手と住まう人がこれほど心をひとつにしたことはありません。 p78 同上 

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 釜石市平田地区仮設住宅地の「みんなの家」も2012年5月に誕生しました。p80 同上

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 釜石市の浜町商店街復興のための「みんなの家・かだって」も6月下旬に竣工しました。p80 同上

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 2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、私は日本館のコミッショナーを務めることになりました。p84 同上

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 今回コミッショナーとして私が選んだテーマは「ここに、建築は、可能か」でした。p84 同上

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    photo 2015/11/09現在

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