「ジ・アート・オブ 風立ちぬ」 スタジオジブリ責任編集
「ジ・アート・オブ 風立ちぬ」 (ジブリTHE ARTシリーズ)
スタジオジブリ責任編集 2013/07徳間書店 大型本: 277ページ
No.3601★★★★★
宮崎駿がわたしたちに教えているように、飛行機は戦争のためではなく平和のためにつくられなければならない。私は数日前にヴェネチアのモストラ映画祭で「風立ちぬ」を観た。映像をつらぬくきわめて深い政治的希望に、私は深く印象づけられた。
映画全体が、共にテクノロジーから生まれる全と悪の問題に集中していた。制作者の自由な想像力から生みだされるのは爆撃機か、空飛ぶ物体か。宮崎はこの問いに答えない。しかし、それぞれのシーンが、風景の一つひとつのが、一つひとつの愛の出会いが、ただひとつの希望を表現している。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」 (原文イタリア語、ジュディット・ルヴェル仏訳) アントニオ・ネグリ「ネグリ、日本と向き合う」p182 「原子力国家の支配に対する抵抗」
飛行機は戦争のためではなく平和のためにつくられなければならない。ネグリは当然そう読まなければならない。しかしながら、制作者の自由な想像力から生みだされるのは爆撃機か、空飛ぶ物体か。宮崎はこの問いに答えない。 と、鋭く見抜いている。
そしてなおかつ、映像をつらぬくきわめて深い政治的希望に、私は深く印象づけられた。とも感じ、それぞれのシーンが、風景の一つひとつのが、一つひとつの愛の出会いが、ただひとつの希望を表現している。とも受け取っている。
それに対して、宮崎本人は、どうであろうか。
私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。
しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
自分の夢を忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ。、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。
二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。p8 宮崎駿「企画書 飛行機は美しい夢」
私はネグリや宮崎のテクノロジーに対する技術論や人生観に触れる時、小出裕章氏を連想する。原子力や放射線の研究に生涯をささげた科学者である彼は、最初原子力にあこがれを持ち、それを自らの人生と感じて勉学にいそしむものの、途中でその欠陥性や犯罪性に気づき、脱原発運動に加わる。
専門的に研究しつつ、すてにそのマイナス面を強調する彼の論理は、脱原発派の大きな理論的な柱とはなっているが、彼を慕う人々は、彼が必ずしも「脱原発」側にいるから慕っているわけではない。
自分の人生をさらに高めようとする生き方、推進だろうが、反対だろうが、自らの人生を全うしようとする、その姿勢に鼓舞され、慕うのであろう。もちろん、彼は脱原発、そして廃炉への道を確立するために、研究者人生を続けておられる。しかし、それでもなおかつ、人生そのものを感じさせる、彼自身の素晴らしい生き方がある。
この本は、ジブリ映画「風立ちぬ」のストーリーや絵コンテを詳しく紹介している豪華本である。宮崎駿もまた、その人生において、多く生みだしたアニメや映画の世界において、自らを高めようとしてきた、と、自負するがゆえに、このような作品を「引退作品」として制作したのであろう。
日本の本来もっていた美しさ、空の青さ、緑の深さ、そして人々のいとおしい姿が活写されている。実にうつくしい一冊である。
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