「園芸家の一年」 カレル・チャペック
「園芸家の一年」
カレル・チャペック(著) 飯島 周(翻訳),2015/2/13 平凡社単行本: 235ページNo.3594★★★★☆
テレビドラマ「植物男子ベランダー」にも出てきたし、「ボタニカル・ライフ 植物生活」にもでてきたのが、このカレル・チャペックの「園芸家の12か月」。調べてみれば、このタイトルを持つ書籍は多数あり、その中でも一番最新のヴァージョンがこの「園芸家の一年」であった。今年出版されたものだから、常に愛読者が存在する名著にふさわしい一冊なのであろう。
そう思って頁をめくってみると、解説を書いているのは、いとうせいこうであった。
いつ読んだかは覚えていないのだが、チャペック先生のあのユーモアはひどく強く優しく私を打った。ボーカーフェイス、誇張、絶妙な比喩。私が大好きなタッチの笑わせ方であった。
構えが大きく、目の前の事象を抱擁しながら、その自分を小さく描く。するとますます事象は巨大化していく。庭で土を掘り、ホースで水をまき、タネを植える。それだけのことがスラップスティックになる。p228いとうせいこう「解説---ひとつの四季」
テレビドラマ「植物男子ベランダー」がどうしてこんなに面白いのだろうと不思議だったが、いとうの原作が面白いからだ、と当たり前の答えに辿り着いたところだったが、あえていうなら、その先達であるカレル・チャペック兄弟のユーモアとセンスが、さらに生きているからでもあったのである。
出来上がった庭という作品を、ただ遠くからぼんやり見ていたころは、園芸家とは、特別に詩的で繊細な心を持ち、鳥の歌に耳をかたむけながら、花の香を育てる人だと考えていた。
現在、ことをずっと近くから見るようになると、真の素人園芸家は、花を育てる人間ではないことに気がついた。素人園芸家とは、土を育てる男なのである。土を掘り返すことに専念し、地上のものを眺めることは、われわれ、ぽかんと口をあけているろくでなしにまかせている。そんな生物だ。p48カレル・チャペック「園芸家のわざ」
ことほど左様に、一貫してこの調子で進む。
土の出来のよしあしは、一つには、さまざまな耕し方、つまり、掘り返し、裏返し、埋め、砕き、平らにならし、ととのえることにかかっており、もう一つには、肥料のやり方による。どんなプディングのつくり方も、園芸用の土の調合ほど複雑ではない。p52 チャペック 同上
今年のはるから市民農園で野菜づくりを始めた私なぞには、今、痛烈に感じられていることわざだ。
真の園芸家は、骨の髄まで、八月がすでに転換期であることを知っている。いま咲いている花は、すでにひたすらしぼむことを求めている。これからまだ、アスターとキクの花が咲く秋の季節がやってくるが、それが終われば、「おやすみなさい」だ! p145 チャペック「園芸家の八月」
春のうちはまだよかった。本当に八月は、暑くて暑くて、畑に行っても何もできなかった。ただただ沢山茂るだけ茂った作物の葉っぱたちに圧倒されて、巨体の私は、そのウネの中にさえ、入っていかなくなった。あの時、もうすでにピークは過ぎていたのだ。
秋には木や灌木がはだかになるというのは、目の錯覚である。それらは、春になると衣を脱いでのびてくる。あらゆるものでちりばめられているのだ。秋になると花が姿を消すのは、たんなる目の錯覚である。なぜなら、実際には花が生まれているのだから。
自然が休息している、とわたしたちは言う。ところが、ほんとうは、自然は必死になって突進している。ただ、店を閉めてブラインドをおろしたのだ。しかし、ブラインドの向こうでは、もう新しい商品の荷ほどきをし、棚はいっぱいになって、たわむほどである。p196 チャペック 「園芸家の十一月 準備」
今日から11月。私の畑も、夏野菜の残りと冬野菜の準備のためのスペースを残し、半分は、すでにからっぽになっている。しかし、これを「休ませている」と考えてはいけない。すでに、春は始まっているのだ。
最初はすでに90年も前の本だし、若干ずれているかな、と思ったが、読み進めるにつれて、その可笑しみ、ユーモア、気品というものが伝わってきた。
園芸家とベランダーの違いもあるだろうし、園芸家と市民農園愛好家とも違いがあるだろう。しかし、そこに通じているヒューマニズムには、同じ血が通っているように思わる。目の前にある植物をベランダに植えるのか、花を中心とするのか、野菜を中心にするのか、の違いでしかないだろう。
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