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2015/12/05

「三内丸山遺跡」特別史跡指定10周年記念誌 青森県教育委員会

Sm009
「三内丸山遺跡」特別史跡指定10周年記念誌
青森県教育委員会, 2011/03 記念誌  78 ページ
No.3622★★★★☆

 奇しくも3・11のその月に出版された記念誌。三内丸山遺跡について、学術的に確認されているところを、一般にも分かりやすく、しかも沢山の画像を添付して説明してくれている。ダイジェストとしては極めて便利で分かりやすいが、予備知識がある人々にとっては、もっと深みが欲しくなるだろう。

 集落についてはおおよそ住居や墓などの各遺構の分布の様子は把握できましたが、より詳しい集落の変遷については不明な点も少なくありません。

 そして、集落が最初に作られた時の様子や終りの環境についても情報が十分とは言えません。

 どのような理由であの場所が選ばれ、なぜ集落が終わるのか、その答えも明確ではありません。 p63「未来へ」岡田康博

 岡田氏は、「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (2014/03 同成社)の著者で、「NHKスペシャル【アジア巨大遺跡第4集 縄文 奇跡の大集落】」 にも出演している、三内丸山遺跡発掘の第一人者と言われている方である。

 津波研究を基礎としている飯沼勇義史観にあっては、三内丸山遺跡の経緯は当然歴史津波と連携している、と見ることになる。特に中期における、周辺(より海岸に近い)の集落が減り、より三内丸山の大地が増大していったことに、津波が関係していると推測することは、可能であろう。

 5千年、一万年、というタイムスパンで語られる内容には、口をあんぐり開けて、ただただ聞きいるばかりだが、いずれ、それらをもうすこし細かに分けて、理解していきたいものだと願う。

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