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2015/12/31

雑誌宝島41年目にして休刊! 「宝島30」 1996年 6月号 島田裕巳 私の「中沢新一論」

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「宝島30」 1996年 6月号 島田裕巳 私の「中沢新一論」
上田 高史(編集)1996/06  宝島社 雑誌
No.3637★★★★★

 9月あたりに、何故か書店で後ろ髪引かれる本が一冊あった。「植物のある部屋」(宝島社 2015/9/17)のことだ。いま1、いま2、だなぁ、と思いつつ、書店に何回も出向き、何度もひっくり返しては棚に戻しを繰り返したのち、あまりに気になるので、結局は一冊購入した。

 購入したところで、結局はあまり精読しないまま放置しているのだが、ネットを検索していて、雑誌「宝島」がこの夏に休刊になったことを知って、ああ、なるほど~、膝を打った。雑誌「宝島」は創刊41年目にして、8月25日発売の10月号で休刊になったのだ。

 私は思わず瞑目した。そうであったか。この「植物のある部屋」は「宝島」の断末魔であったか! この41年間を思った。私にとっての宝島は、前走部分の「ワンダーランド」はともかくとして、別冊宝島「全都市カタログ」(JICC出版局 1976/04)から始まる。内容もともかくとして、この第一号には、当時の私たちが発行していたミニコミ雑誌が紹介されている。

 植草甚一や片岡義男、北山耕平と言ったエッセイスト・編集者をリーダーとして、シティ・ボーイ路線を闊歩した雑誌「宝島」は面白くもあり、面白くもなかった。興味あるところを、商業誌として光をあてつつ、時にはエンタメ系と偏り過ぎていった。

 別冊宝島もだいぶ号が続いたが、モノになったかどうかはともかく、「英会話」シリーズは、漏らさず毎回チェックし、よく読んだものだった。90年代中盤以降は、「パソコン」シリーズが役だった。インターネットやWin95から98あたりまでは、テキストとして赤ペンで傍線をひきながら、「勉強」」したものである。

 その「宝島」も21世紀に入ったあたりであったか、「ビジネス誌」化するということで、なるほどそういう時代であるか、と2~3回手に取って開いたような記憶もあるが、読書の対象からはまったく離れてしまっていた。

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 私にとっては「全都市カタログ」で始まり、「植物のある部屋」で終わってしまった「宝島」だが、さて、その中間に属する一冊となれば、どの辺だろう、と思い付いたのが、1995年頃のことである。本来は、島田裕巳が、オウム真理教のサリン施設に入り、これは瞑想施設である、と写真付きでレポートしていた、あの号を思い出したのである。

 残念ながら、その号は、わが天井階の書庫からすぐ見つけることはできなかったので、類似の一冊を引っ張り出してきた。この号、いまネット検索してみたら、3500円の高値がついている。こんな本、年末のゴミに出そうと思っていたのだが、いやいやトンデモなお宝かも、と取りあえず手元に温存することにした。

 70年代中盤の宝島を象徴する人物像をシティ・ボーイとするなら、90年代の人間像はオタクだったかもしれない。オタク文化とか、精神世界オタクとか、言い換えてみれば、なんとなく当時の宝島像が浮かんでくる気がする。

 さて、それでは、2015年代のいま、若者文化いうべきか、カウンターカルチャーというべきか、象徴する人間像はどんなものとなろうか。敢えて私がいま思い付いたのは、ネット引きこもり、というライフスタイルだ。

 ミニコミ時代からカルチャー雑誌として抜け出した「宝島」。英会話やパソコン、そしてビジネスシーンを駆け抜け、辿り着いたところはどこなのか。思えば、今となっては伝説の、あのお笑いアプリでしかない「セカンドライフ」の三要素を思い出す。

 英語力、ITスキル、財務力、この三つが必要と言われたものである。その世界を突き抜けて、雑誌宝島が辿りついたのは、「ネット引きこもり」の世界観ではなかったのか。それであればこそ、「植物のある部屋」が、よく似合うのではないか。

 70年代のシティ・ボーイは、地球を考え、緑色革命を志向した。90年代の精神世界オタクは、反権力的自滅の危機に陥り、2010年代のネット引きこもりは、植物のある部屋で、夢見る独居老境の世界をさまよっているのでは、ないか。わが身に置き換えてみて、この41年間を、そう総括することもできるのではないか。

 今となっては、急に新たなる感慨が生まれているわけではないが、41年目の休刊、という事態を迎え、ああ、そう言えば、そういう雑誌があったなぁ、と、植物のある部屋で、ひとりシニカルに瞑目するのであった。

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