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2015年12月の43件の記事

2015/12/31

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<58>「ねぇ、ムーミン 」カテゴリについて

<57>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<58>「ねぇ、ムーミン 」カテゴリについて

1)そもそもエコビレッジ構想のなか、一人、森のなかで作業をしながら、スマホのラジルラジルから流れてきたラジオ番組で、ムーミンの紹介があったことが、最初のきっかけである。いつか読んでみたいなと思いつつ、ようやくこのタイミングで、そのタイトルをもらったということになる。

2)「ねぇ、ムーミン」は当然あの日本語バージョンの主題歌から取ってはいるのだが、決してコミックや童話としてのムーミンに偏るつもりはなかった。牧歌的なムーミン谷における、穏やかにしてほほえましい人間関係のような、そんなイメージのなかに、当ブログを沈潜させようとしたのである。

3)ところが、このムーミンは、そんな穏やかな、簡単なものではないことが、調べをつけるうちに次第に分かってきた。これは大ごとになるよ。そう気づいた時、次のカテゴリーもムーミン関連でいこうと思った。

4)スタート時点で、三つの作品が柱になることが決まっていた。

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5)だから、最後の「再読したいこのカテゴリこの3冊」では、敢えてこの三作品をはずした。

6)次がそれである。

「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (日本の遺跡) 岡田康博 2014/03 同成社

「植物のある部屋」 宝島社 2010/09

「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 リチャード・マーティン 2013/10 朝日選書

7)書かれたのは2015/11/01~2015/12/31の2ヵ月間であった。ネグリ&ハート関連もだいぶ読みこんだ。特に「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03 NHK出版)は、大きなテーマとなり、かなりのウェイトを占めた。

8)次のカテゴリ名は「じゃこうねずみ」である。「ムーミン谷の彗星」で初めて登場する「哲学者」である。「無駄じゃ、無駄じゃ、全てが無駄じゃ」が口癖の、ハンモック上のなまけモノ、かどうかは、実はまだよくわかっていない。

9)わが身をムーミン谷の誰にシンクロさせようかと悩んだ結果、取りあえず彼を選んだのだ。彼と一体となって、あの地で生きてみよう、という作戦である。

10)このカテゴリ、今日の大みそかに合わせて終わらせようと、最後はちょっと駆け足になってしまった。不備な点は、後日、編集し直すことにする。

11)2015年の今年一年、お付き合いいただきまして、有難うございました。よいお年を。来年、「じゃこうねずみ」カテゴリで逢いましょう。

<59>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「ねぇ、ムーミン」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「ねぇ、ムーミン」

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「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (日本の遺跡) 岡田康博 2014/03 同成社

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「植物のある部屋」 宝島社 2015/09

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「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 リチャード・マーティン 2013/10 朝日選書

後につづく

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「瞑想―祝祭の芸術」 Osho<4>

<3>よりつづく  Ma .

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.「瞑想―祝祭の芸術」 <4>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ

 グリシャンカール Gorishankar

Oshoは言っている。
「この瞑想の第一ステージで呼吸が正しく行なわれたら、血液中の酸素が非常に増加するので、あたかもグリシャンカール(エヴェレスト山)の頂上にいるかのような高揚した感じをいだくだろう。」

 この瞑想は四つの部分からなっている。それぞれが15分間続く。

 第一ステージ(15分)
 眼を閉じて坐り、できるだけ深く鼻から息を吸い込みなさい。その息をできるだけ長く止め、それから、口をゆっくりと吐き出す。もうそれ以上こらえきれないぐらいに息を吐ききり、それからまた鼻から息を吸い込む。この呼吸法を15分間くりかえす。

 第二ステージ(15分)
 ふつうの呼吸にもどり、ろうそくの炎か閃光を見つめる。できたら、青色の閃光ストロボを使いなさい。
 あたかも誰かをいとしく見つめるように、やわらかくやさしく見つめなさい。体は静止したままでいること。

 第三ステージ(15分)
 立ち上がって、眼を閉じ、「ラティハン」を起こらせなさい。ラティハンでは、体がやわらかくゆったりとさせておく。そのうちに、微妙なエネルギーがあなたの体のなかを動いているのが感じられるだろう。そのエネルギーがあなたの体を動かすのにまかせなさい---ゆっくりと、穏やかに---。あんたが動かすのではなく、動きにあなたを動かさせるのだ。

 これらはじめの三ステージは音楽を伴奏しなければならない。その音楽は、やわらかいバックグランド・ミュージックに一定した拍子の加わったもの、そしてその拍子は通常の心臓の鼓動の7倍の速さであることを必要とする(私たちの誰もが最初に聞いた音は、母親の心臓の鼓動だった)。

 第四ステージ(15分)
 沈黙して横たわり、完全に静止しなさい。
 p414

 

<5>につづく

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Comet in Moominland (The Moomins #2)

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「Comet in Moominland」 (The Moomins #2)
No.3641★★★★☆

 日本語ではムーミン谷と言っているが、英語ではMoominlandなんだね。

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「ムーミン谷の彗星」 新装版 トーベ・ヤンソン<1>

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「ムーミン谷の彗星」 新装版 <1>
トーベ・ヤンソン(著), 下村 隆一(翻訳) 2014/02 講談社 青い鳥文庫 新書: 256ページNo.3640★★★★☆

 ムーミン関連リスト 編集中

<2>につづく

 

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「ムーミン谷の彗星」 トーベ・ヤンソン原作 斎藤博監督

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「ムーミン谷の彗星」 
トーベ・ヤンソン原作 斎藤博監督 高山みなみ, かないみか他出演、1992 DVD 62分No.3639★★★★☆

 DVDのある作品は、まずDVDから見る方が、私の楽しみかたである。しかしまぁ、思っていたより、ムーミンの楽しみ方はたくさんある。初心者の私には、はてさてどっから取りかかってよいやら、悩むことが多い。

 とにかく今回は、「ねぇ、ムーミン」から「じゃこうねずみ」へとカテゴリを移すために、じゃこうねずみの登場するという「ムーミン谷の彗星」を見ることに。

 なるほどね、こうしてじゃこうねずみはムーミン家にやってきたのだった。地球の終りがやってくる? この作品はだいぶ最初のほうらしい。この巻でムーミンは、あのガールフレンドと出会うのだ。

 すこしづつ楽しんでいこうっと。

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「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<4>

<3>からつづく 

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「死について41の答え」 <4>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★

 人生の中では、いろいろな特徴のある日々が続くことがある。ある時は祝祭が、ある時には忌み事が、続きに続く。不思議な縁である。

 今年は、お隣のおじいさん、元町内会長がお二人、母方の叔父さん、女房の母方の伯父さん、義妹のお姑さん、そして大事な友人の奥さんが亡くなった。ひとりひとりが縁のある、大事な人々だったので、私にとっては、悲しいことの多い一年だった。

 しかし、死は、人生につきものである。その死を、人生の最高の贈り物、と納得することができるだろうか。祝祭とする方法は、あるだろうか。

 死を超えるための瞑想法

 ナーダブラーマでは、そのメカニズムはこう動く[ハミングを]始めて、あなたが内側で響き始めれば、身体はそれに応答し始める。遅かれ早かれ、身体とマインドが初めて一つの方向へとまとまる瞬間がやってくる。

 身体とマインドが一つになると、あなたは身体とマインドから自由になる---あなたは引き裂かれてはいない。すると、実際のあなたである第三の要素---それを魂、スピリット、アートマ、どのように呼ぼうとも---その第三の要素がくつろぐ。それは別々の方向へと引っぱられてはいないからだ。

 身体とマインドが[ハミングに]すっかり夢中になっているので、魂は気づかれることなく、とても楽に抜け出し、観照者になることができる---外側に立ち、マインドと身体の間で続いているゲームの全貌を見ることができるのだ。

 それはあまりに美しいリズムなので、マインドも身体も魂がこっそり抜け出したことにまったく気づかない・・・・というのも、彼らはそうしたことを簡単には許さないからね。彼らは、魂を所有し続ける。誰も自分が所有しているものを失いたくない。身体は魂を支配したい。そして、マインドも、魂を支配したいのだ。

 これは、彼らの縛りから抜け出すための、非常に狡猾な方法だ。彼らは[ハミングに]酔っ払い、あなたはこっそりと抜け出す。だからナーダブラフマでは、このことを覚えておきなさい。身体とマインドを完全に一つにさせておく。

 しかしあなたは、観照者にならなくてはならないと覚えておくのだ。彼らから抜け出してごらん、楽に、ゆっくりと、裏口から、どんな戦いや格闘もなしに。彼らは酔っ払っている---あなたは外に出て、外側から見守りなさい。

 外側に立つ---これが、英語のエクスタシーという言葉の意味だ。外側に立って、そこから見守ってごらん。それは途方もなく安らかだ。それは静寂だ。それは至福だ。それは祝福なのだ。p291「ハミング瞑想(ナーダブラーマ)」

<5>につづく

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<1>

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発<1>
長瀬 隆(著) 2014/8  ゆにっとBOOKS 単行本  238ページ
No.3638★★★★☆

1)この本についてのこの記事、実はすでに書きかけてから2週間の間、放置してあった。とても重要な読書になるような気がするのだが、他の仕事が次々と起こり、ついぞ年内に読書は進まなかった。

2)書きかけの記事が終わらないまま新しい年になるのは、どうも気持ちがわるので、暫定的に、ここにメモしておく。読書もわずか25頁までである。

3)私は反原発派である。別段に3・11以降に目覚めたというわけではない。1972年当時、小出裕章氏らが編集していた機関紙と並列してリストアップされたことのあるミニコミを編集していた高校生時代から、自分は反権力・反原発派であると自認している。

4)さりとて「運動家」であるか、と問われると、そうではない、と答えるしかない。敢えていうなら、運動はしたことない。物事はかくあるべし、という確たる信念があるわけではないし、固定的な観念や、頑固な信条を持っているとも言い難い。

5)しかし、3・11後において、福一惨禍が収まらない東北日本の住人にして、しかも生後わずか数年の孫たちと一緒にくらす一地球人として、原発に無関心でいられる筈もなく、反対しない訳にもいかない。

6)反面、広く多くの人の言論も気になるし、自らの感性を補強してくれる論理も必要だし、反対意見にも、懐を開いて耳を傾けるようにもしている。固定的で、激情的、かつ攻撃的で、偏狭な意見は願い下げだが、すべてにおいて両論あってしかるべし、という態度は、わが人生の大前提である。

7)はてさて、ホール・アース・カタログの編集者、 スチュアート・ブランドの「地球の論点」 現実的な環境主義者のマニフェスト(2011/06 英治出版)などにおける、原発容認派の言説は実に困ったものだと、実は思っている。

8)思っているだけでなく、実はこのあたりで、ひとつ何かが止まってしまっていることを、ずっと感じている。当ブログとしては、この辺あたりを、よくも悪くも突破していかなければならない、とずっと思っている。

9)両論あってしかるべし、ではあるが、ここにおいて、原発は原発でも、仮に「トリウム原子炉」が「革命」を起こす可能性があるのかないのか。そこを見極めたいのである。そこを見極めるのに、図書館から借りてきた本だけで行なうというのは、実は無理がある。しかし、そのレベルでできてこそ、地球上のコモンレベルに降りてくるのではないだろうか。

10)難しい、専門的な判断は、専門家に任せればいい。しかし、そこに至るまでの、個人的な存在でさえも身につけておくべき一般教養は必要であろう。何も知らずに反ばかりと唱えるのもどうかと思うし、何も調べずに受容するのも、なんとも愚かしいと思う。

11)そんなこんなで、この本を読むことは、実は当ブログにおける大きな大きな曲がり角なのである。抱えたこの問題をごくごく短期で乗り切ろうとは思わない。じっくり腰を据えてやろう。そういう意味で、この本はこれからゆっくり読み始めるところなのである。

<2>につづく

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雑誌宝島41年目にして休刊! 「宝島30」 1996年 6月号 島田裕巳 私の「中沢新一論」

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「宝島30」 1996年 6月号 島田裕巳 私の「中沢新一論」
上田 高史(編集)1996/06  宝島社 雑誌
No.3637★★★★★

 9月あたりに、何故か書店で後ろ髪引かれる本が一冊あった。「植物のある部屋」(宝島社 2015/9/17)のことだ。いま1、いま2、だなぁ、と思いつつ、書店に何回も出向き、何度もひっくり返しては棚に戻しを繰り返したのち、あまりに気になるので、結局は一冊購入した。

 購入したところで、結局はあまり精読しないまま放置しているのだが、ネットを検索していて、雑誌「宝島」がこの夏に休刊になったことを知って、ああ、なるほど~、膝を打った。雑誌「宝島」は創刊41年目にして、8月25日発売の10月号で休刊になったのだ。

 私は思わず瞑目した。そうであったか。この「植物のある部屋」は「宝島」の断末魔であったか! この41年間を思った。私にとっての宝島は、前走部分の「ワンダーランド」はともかくとして、別冊宝島「全都市カタログ」(JICC出版局 1976/04)から始まる。内容もともかくとして、この第一号には、当時の私たちが発行していたミニコミ雑誌が紹介されている。

 植草甚一や片岡義男、北山耕平と言ったエッセイスト・編集者をリーダーとして、シティ・ボーイ路線を闊歩した雑誌「宝島」は面白くもあり、面白くもなかった。興味あるところを、商業誌として光をあてつつ、時にはエンタメ系と偏り過ぎていった。

 別冊宝島もだいぶ号が続いたが、モノになったかどうかはともかく、「英会話」シリーズは、漏らさず毎回チェックし、よく読んだものだった。90年代中盤以降は、「パソコン」シリーズが役だった。インターネットやWin95から98あたりまでは、テキストとして赤ペンで傍線をひきながら、「勉強」」したものである。

 その「宝島」も21世紀に入ったあたりであったか、「ビジネス誌」化するということで、なるほどそういう時代であるか、と2~3回手に取って開いたような記憶もあるが、読書の対象からはまったく離れてしまっていた。

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 私にとっては「全都市カタログ」で始まり、「植物のある部屋」で終わってしまった「宝島」だが、さて、その中間に属する一冊となれば、どの辺だろう、と思い付いたのが、1995年頃のことである。本来は、島田裕巳が、オウム真理教のサリン施設に入り、これは瞑想施設である、と写真付きでレポートしていた、あの号を思い出したのである。

 残念ながら、その号は、わが天井階の書庫からすぐ見つけることはできなかったので、類似の一冊を引っ張り出してきた。この号、いまネット検索してみたら、3500円の高値がついている。こんな本、年末のゴミに出そうと思っていたのだが、いやいやトンデモなお宝かも、と取りあえず手元に温存することにした。

 70年代中盤の宝島を象徴する人物像をシティ・ボーイとするなら、90年代の人間像はオタクだったかもしれない。オタク文化とか、精神世界オタクとか、言い換えてみれば、なんとなく当時の宝島像が浮かんでくる気がする。

 さて、それでは、2015年代のいま、若者文化いうべきか、カウンターカルチャーというべきか、象徴する人間像はどんなものとなろうか。敢えて私がいま思い付いたのは、ネット引きこもり、というライフスタイルだ。

 ミニコミ時代からカルチャー雑誌として抜け出した「宝島」。英会話やパソコン、そしてビジネスシーンを駆け抜け、辿り着いたところはどこなのか。思えば、今となっては伝説の、あのお笑いアプリでしかない「セカンドライフ」の三要素を思い出す。

 英語力、ITスキル、財務力、この三つが必要と言われたものである。その世界を突き抜けて、雑誌宝島が辿りついたのは、「ネット引きこもり」の世界観ではなかったのか。それであればこそ、「植物のある部屋」が、よく似合うのではないか。

 70年代のシティ・ボーイは、地球を考え、緑色革命を志向した。90年代の精神世界オタクは、反権力的自滅の危機に陥り、2010年代のネット引きこもりは、植物のある部屋で、夢見る独居老境の世界をさまよっているのでは、ないか。わが身に置き換えてみて、この41年間を、そう総括することもできるのではないか。

 今となっては、急に新たなる感慨が生まれているわけではないが、41年目の休刊、という事態を迎え、ああ、そう言えば、そういう雑誌があったなぁ、と、植物のある部屋で、ひとりシニカルに瞑目するのであった。

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2015/12/30

弔辞 Beloved マ・プレム・マンシャ 

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 明子さん、急なことでただただ驚いています。今でも信じられません。でも、一番驚いているのは、明子さん、ご本人かもしれませんね。

 先日、仕事の書類をお届けにご自宅をお尋ねした時、ご主人からあなたが入院されていることをお聞きしました。先月末までは大変忙しく働いていらっしゃったのに、急に体調を崩されたそうですね。今月になって診察を受けたところ入院を勧められ、いくつかの検査も受けられたとのことでした。

 シロートの私たちには、病状の内容はよくわかりませんでしたが、早く回復されて、お元気になりますように、とみんなで祈っているところでした。

 仙台の友人たちがあなたとお会いしたのは、ちょうど平成の時代がスタートした頃でした。もうすでに二十数年が経過しています。ご主人の好郎さんと私は、彼が十代の頃からのお付き合いですから、もう人生のほとんどの期間の長いおつきあいになりました。

 あなた達お二人は、文化的で、活動的で、アジア各地を旅している時に出会い、意気投合されたと聞いています。インドネシアの観光地バリ島でお二人だけのスィートな結婚式を挙げられ、帰国してから仙台でご家族や多くの友人たちに囲まれて、披露宴が開かれたのでした。 

 お二人は、豊かな海外生活体験を生かし、仙台駅前に、当時大変めずらしい輸入雑貨のお店をオープンしたのでした。独特のアジアンスタイルのグッズが沢山ならんだお店には、多くの若者たちが集い、新しいネットワークが生まれました。

 お店を後輩の方に譲られた後も、ご主人のお仕事を支えながら、あなたは独自の文化活動を続けられました。専門学校で絵を教えたり、沢山のギャラリーで個展も開きました。その活動を通じて、新たにご友人もたくさんできたとお聞きしています。

  ある時、私たち夫婦も、お二人のご自宅に招待されたことがあります。岡山県にある代々五代も続いた老舗料亭にお生まれになったあなたは、料理も大変お上手だったし、おもてなしの達人でもありました。いつも笑顔で、優しい心遣いのできる人でした。あの時、ご馳走になった鍋料理が今でも思い出されます。

 世の中が二十一世紀になる頃には、ご主人のお仕事の関係で神奈川県に転居され、活動のエリアを関東方面にも広げられました。多くの出会いがあり、数々の作品が生み出されました。あなたの素直で大らかな優しい性格を表現している作品が多かったように感じています。

 そんな順風満帆なお二人の人生に、突然起こったことは、忘れもしない、あの、3・11東日本大震災でした。東北に住む私たちにとっても、人生のなかで一度起こるかどうか、という未曽有の体験でした。

 この東北の地に、日本全国はもとより世界からボランティアや援助の手が差し伸べられました。お二人も故郷の東北を想い、その惨状を見て、再び活動の中心を東北に移すことを決断されました。ご主人は、故郷の金成町をはじめ、三陸海岸沿岸部や、福島県近くまで取材し、公共団体が運営するインターネット・サイトで現地の人々の現状を伝えました。

 千年に一度と言われる大震災の復興にはまだまだ時間がかかり、これからますます本当に心からの援助が望まれるところです。地道でしかも力強く、多くの人々が心を合わせなくてはなりません。

 そんな折、お仕事を通じて、障害を持つ人々の社会援助活動を続けておられたあなたが倒れられたことは、誠に大きな損失です。これから、もっともっと、あなたのように心から親身になって活動できる方にご活躍願いたいところでした。

 それにしても、現実はあまりにも過酷です。今は、明子さん、穏やかにお休みください。これからも、ご家族や友人たち、そして多くの人々を見守っていてください。 

 心よりご冥福をお祈りいたします。 合掌

 平成二十七年十二月三十日 友人  阿部清孝(Bhavesh)

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2015/12/28

石川裕人作、小畑次郎(他力舎)演出、TheatreGroup“OCT/PASS” 公演「翔人綺想」  

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「翔人綺想」
石川裕人作、小畑次郎(他力舎)演出、TheatreGroup“OCT/PASS” 2015/12/25~ 27石川裕人年表 石川裕人関連リスト
No.3636★★★★★

1)子供向けの芝居や、高齢者向けの芝居も手がけた石川裕人の作品ジャンルは広い。後期の作品は、どちらかというとストーリーのはっきりした、シロートの私などが見ていても筋書きが浮き立ってくるような作品が多かったと思う。

2)しかし、これは個人的な感想だが、彼の作品の初期においては、むしろストーリーがどうなっているのか分からないような、ストーリーをむしろ隠して、アトランダムな残像のなかから、全体像を浮き上がらせるような作品が多かったのではないだろうか。

3)一観客としての私の好みとしては、どちらも好きで、ストーリーがはっきりしているものは友人知人にも薦めやすく、落ち着いて観客席に座っていることができる。どちらかというとエンターテイメント系であり、縦軸の一般的な芝居や催し物に通じるところがある。

4)しかし、混沌とした、いわゆる初期のアングラ系に通じるものは、ある意味において、黙って観客席に座っていることは難しい。その芝居に巻き込まれ、ある種の居心地の悪さと、「共犯幻想」とも言える横軸関係に持ち込まれてしまう。

5)私から見た場合、この作品は後者であり、こちらの存在を切り崩しにかかってくる「攻撃的」な作品だ。実験的と言っていいのか、純文学的と言っていいのか。大道具や小道具、照明などに多くを頼らない、役者(芝居づくりにかかわる全ての人々)と観客の、ダイレクトな対面とも言える。

6)話は今から30年前の1985年、「翔人綺想」初演の年。劇団員と29歳の私は、32歳のニュートン(石川裕人氏のアダ名です)とよく酒を飲みながらバカ話に花を咲かせていた。小畑次郎「ニュートンのファンタジー」(公演のパンフレットより)

7)小畑次郎は、当時の劇団の主要なメンバーであり、今回の演出を担当した。もうすでに30年前の作品である。ある意味で、古き60年代、70年代のアングラ風景を受け継ぎながら、90年代以降現在に繋がってくるエンタメ系とのちょうど端境期にあったともいえるのではないだろうか。

8)今回は演出に劇団OBの小畑次郎氏を迎えて、2002年の“OCT/PASS”スタジオファイナル公演で上演された「翔人綺想」ではなく、30年前に上演された初演版の「翔人綺想」に挑戦します。公演のご案内より

9)ということは1985年以降、2002年にもこの作品が公演されたことになる。その違いやいかに、と脚本を求めたが、今回はまだ制作されていないようだった。台詞等から考えれば、当然1985年当時の台本そのものではないだろうが、どこまで当時の作品が「再演」されたのか、興味深いところである。

10)というより、これは1985年版、2002年版、そして2015年版と、別途の作品と考えた方がいいのだろう。なにせ、ニュートンが残した台本を、現在のスタッフが新たに読み返し、新たな命を吹き込んだということになろう。

11)作家としての石川裕人は、作品としてはむしろこちらの「アングラ系」が好きだったのではないだろうか。その言葉「アングラ・サーカス」の、サーカスの部分はそれほど活写されていないが、アングラ、という言葉に込められた作品の意図は、この「翔人綺想」からも十分受け取れる。

12)作品を残し、劇団員に受けつがれ、演出家としての後輩にも再演されて、ニュートンは、これら全体を、あちらの観客席で「エンターテイメント」として「観劇」していることだろう。

13)25日の初日を見た。

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2015/12/24

遮光器土偶 恵比須田遺跡 国立博物館所蔵

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  (1:50あたりから遮光器土偶)

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2015/12/22

2015年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2015年上半期よりつづく

2015年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位
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「ネットで進化する人類」 ビフォア/アフター・インターネット角川インターネット講座15
伊藤 穰一 (監修) 2015/10 KADOKAWA / 角川学芸出版

第2位
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「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」
今村聰夫(著), 磐崎文彰(編集), 緒方徹(イラスト) 2015/09 かざひの文庫

第3位
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「開かれる国家」境界なき時代の法と政治 角川インターネット講座 (12)
東 浩紀(監修) 2015/06 KADOKAWA/角川学芸出版

第4位
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「蝦夷と城柵の時代」東北の古代史3
熊谷 公男(著) 2015/11 吉川弘文館

第5位
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「WIRED VOL.20」特集 A.I.(人工知能)
(GQ JAPAN 2016年1月号増刊) 2015/12 コンデナスト・ジャパン 雑誌(不定版)

第6位
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「Pen (ペン) 」2015年 2/15号 「ムーミン完全読本。」
CCCメディアハウス 2015/02  月2回刊版  雑誌

第7位
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「有機野菜ビックリ教室」米ヌカ・育苗・マルチを使いこなす
東山広幸(著) 2015/05 農山漁村文化協会

第8位
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「ビッグデータを開拓せよ」解析が生む新しい価値 角川インターネット講座 (7)
坂内 正夫(監修) 2015/09 KADOKAWA/角川学芸出版

第9位
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「マリファナ 秘められた力」
ナショナル ジオグラフィック日本版 2015/06 雑誌 Kindle版 ナショナルジオグラフィック編集部 (著)

第10位
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「コンピューターがネットと出会ったら」モノとモノがつながりあう世界へ 角川インターネット講座14
坂村健 (監修) 2015/05 角川学芸出版

次点
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「植物のある部屋」
宝島社  2015/09 大型本

「2016年上半期」につづく

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2015/12/21

「北の原始時代」東北の古代史1 阿子島 香(編集)

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「北の原始時代」東北の古代史1 編集中
阿子島 香(編集) 2015/07 吉川弘文館 単行本  251ページ 
No.3634

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「東北の古代史」シリーズ関連リスト

1)「北の原始時代」東北の古代史1 阿子島 香(編集) 2015/07 

2)「倭国の形成と東北」

3)「蝦夷と城柵の時代」 東北の古代史3 熊谷公男

4)「三十八年戦争と蝦夷政策の転換」

5)「前九年・後三年合戦と兵の時代」


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「東北の中世史」シリーズ関連リスト 編集中

1)「平泉の光芒」

2)「鎌倉幕府と東北」

3)「室町幕府と東北の国人」

4)「伊達氏と戦国争乱」

5)「東北近世の胎動」

Do006

つづく

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「蝦夷と城柵の時代」 東北の古代史3 熊谷公男

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「蝦夷と城柵の時代」 東北の古代史3
熊谷 公男(著) 2015/11 吉川弘文館 単行本 266ページ
No.3633

 当ブログの運営上、極めて重要な一冊となるだろう。ぶらりと入った書店で見つけた一冊。自分ではそう思っていたのだが、実は、これは先日から、わが私設司書(わが家の奥さんのことだがw)から進められていたシリーズだった。

 すでに「東北の古代史1 北の原始時代」が手元にあって、順番で読む手はずになっていた。しかし、仙台郡山遺跡や角田郡山遺跡、そして藤原京などとの関連を探るなら、まずはこのシリーズ3が最も重要となる。

 もちろん、既刊である「倭国の形成と東北」も重要であるし、これからでる二冊、シリーズ4「三十八年戦争と蝦夷政策の転換」、シリーズ5「前九年・後三年合戦と兵の時代」も、興味深いところである。

 むしろ、この5冊シリーズの丁度中間に挟まっているのがこのシリーズ3の「蝦夷と城柵の時代」であり、全体のなかから東北日本の6世紀、7世紀、8世紀を見つめ直すことは極めて重要であろう。

 思うに、今年は、「角川インターネット講座」全15巻が全面展開し完結した年でもあった。このタイミングでこちらの「東北の古代シリーズ」全5巻が刊行されるのも、なにかのバランスを取るようで、当ブログとしては、ちょうど都合がいい。

 もっとも、このシリーズには兄弟シリーズとして「東北の中世史」も刊行中である。当ブログの進行として、こちらまで手が伸びるかどうかは今のところ不明ではあるが、気になるシリーズである。

 「角川インターネット講座」に比較すれば、冊数は少ないが、古代史や中世史についての基礎知識が不足している当ブログとしては、想像している以上に手こずるシリーズになるのではないだろうか。

 逆に言えば、これらを読みこなすことができれば、大きな収穫が確約されているような、ワクワク感がある。

 つづく

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2015/12/19

「スター・ウォーズ」 フォースの覚醒

<第6作>よりつづく

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「スター・ウォーズ」フォースの覚醒 
2015/12/18/18:30 封切り
No.3632

 シリーズ第7作。個人的に、この作品を評価することはなかなか難しい。いくつも評価の仕方がある。

と評価する場合。

 当ブログにおいて「スター・ウォーズ」のみならず、映画の封切り日に映画館で映画を見るなんてことは珍しい。初めてのことである。そういう意味では大変貴重な記念碑的な作品である。

 では、なぜにそのように封切り日から見たかと言えば、話題作だからである。巷に宣伝があふれ、これを見逃すと、話題についていけなくなるような、そんな危機感さえ感じた。ましてや、愛読雑誌にしようとする「WIRED」からが、次々と話題を提供する。

 そう言えば、今から10年前の梅田望夫の「ウェブ進化論」からして、映画「スター・ウォーズ」を見ないと、その進化論とやらについていけなくなるような勢いだった。その勢いに乗じて、当ブログとしても、前6作をDVDで見たのだった。

 吹き替え3D版なので、非常にスペイシーな時間だった。なるほど、ここまでやるかぁ、という特撮とCGの連続。ひとつひとつのシーンをもう少しゆっくり見たいものだ、と思ってしまうほどの凝ったつくり。これではあとでDVDでも買って、繰り返し見たくなるだろう。

 前6作のストーリーもうろ覚えだが、それでもストーリーのあちこちが繋がり、それほど違和感はない。ハリウッド映画とはこういうものだろう、という代表作。

★★☆☆☆と評価する場合。

 そもそもストーリーにも、アート部門にも、無理があり過ぎるだろう。飛行機や宇宙船よりも難しそうな、宇宙船の操縦席に、いきなり乗船して、すぐに操縦なんてできるものか。手足拘束機だって、なにもあそこまで武骨で露骨なマシンむき出しに作る必要はないだろう。むしろ、そのマシンむき出しを見せびらかすためのシーンの連続に、興ざめする。

 同じ時間、同じ料金、同じ映画館で、見ようと思えば、他にも見るべき作品はあるだろう。あえて宣伝に踊らせれて、若い人たちと一緒に映画館へ、なんて、ちょっと年寄りの冷や水じゃぁ、なかろうか。

 相変わらずライト・セイバーとやらのチャンバラごっこが始まるわけだが、あれほど高性能の武器なら、別にチャンバラしなくたって、ボタンひとつ、気合いひとつで勝負はついてしまいそうなものだが、毎回そうはならない。早い話が、活劇のための活劇である。

 毎回出演者も、助演のロボットたちも面白いのだが、リアリティとしてはどこか無理かがある。早い話が、ロボットを見せたいためにロボットを出しているのであって、ストーリーに必要だからでてくるわけじゃない。全てが見世物、エンターテイメントなのだ。

 それだけクサすなら、最初から見なけれりゃいいじゃん、と自分で大笑い。せっかく、封切り日に、映画館まで行って並んでみたのだから、そこまで言うのはやめよう(笑)

★★★★☆と評価する場合。

 まずは、あのマシン類とCGの連続のなかに、限定した人間臭さを感じさせるのは、良い。男女、親子、友情、記憶、冷徹、未熟・・・。女性主人公の身のこなしに感心したり、突き抜けていない共感性を見たり。

 とにかく、見ているだけで、こちらの悲壮感を刺激してくるような、ワクワク感がある。ひとつひとつのシーンやストーリーをいちいち理解したり解釈したりする暇はない。どんどん画面もステージも展開しまくる。その時に、残されているのは、こちらの生味の人間としての、リアリティ、存在だけだ。

 生命力を刺激される。生きようとする何か。これ以上、なにかしようというエネルギー、沸き立つ血潮。生きているということの使命感、可能性、そんなことの突き詰めの場面に押し寄せられる。

 プラスマイナスあって、私が当ブログでこの映画を評価するなら、星4つくらいが妥当であろう。エンターテイメントと割り切って、それ以上なにも求めないとするならば、パチンコ屋のあの騒音のなかで2時間を過ごすのと、なんの代わりもないので、それはそれでいいとしよう。

 こういう作品に多くを求めてはいけない。ああ、なるほどね、ほいほい、と軽く楽しんで、ああ面白かった。また続編できたら見ようね、と軽くメモしておくのが一番いいのだろう。ほいほい。

「スターウォーズ」関連リスト

第1作 「エピソードIV 新たなる希望」1977

第2作 「エピソードV 帝国の逆襲」1980

第3作 「エピソードVI  ジェダイの帰還」1986

第4作 エピソード1/ファントム・メナス」1999

第5作 「エピソード2 クローンの攻撃」2002

第6作 「エピソード3/シスの復讐」2005

第7作 「フォースの覚醒」2015

第8作 「最後のジュダイ」2016

<第8作>につづく

 

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2015/12/17

「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」今村聰夫他 <2>

<1>よりつづく 

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 「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」 <2>
今村聰夫(著), 磐崎文彰(編集), 緒方徹(イラスト)2015/09 かざひの文庫 単行本 320ページ
★★★★☆

 この本も返却日となった。新刊本ゆえ、他の読者も待っている。いずれまた再読しよう。ホツマツタエ関連リストを作っておく。

ホツマツタエ関連リスト (編集中)

「ホツマツタヘ」―秘められた日本古代史 松本善之助 1980/07 毎日新聞社

「続 ホツマツタへ」―秘められた日本古代史 松本 善之助 1984/01 毎日新聞社

「謎の秀真伝」ー神代文字で書かれた原日本の実像  佐治芳彦 1986/06 徳間書店

「言霊―ホツマ」THE WORD SPIRIT 鳥居礼 1998/05 たま出版

「ホツマ辞典」―漢字以前の世界へ 池田満 1999/06 ホツマ刊行会

「神代の風儀」ー「ホツマツタヱ」の伝承を解く 鳥居礼 2003/02 新泉社

「よみがえる日本語」 ことばのみなもと「ヲシテ」 青木純雄他 2009/05 明治書院

「ホツマで読むヤマトタケ(日本武尊)物語」―古事記・日本書紀が隠した日本神話の真実 池田満 2010/08 展望社

「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 千葉 富三 2009/7/1 文芸社

新訂「ミカサフミ・フトマニ」―校合と註釈 池田満 2012/04 日本ヲシテ研究所

「甦る古代 日本の真実」 全訳秀真伝 記紀対照―1300年の封印を解く 千葉 富三   2012/08 文芸社

「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」今村聰夫他 2015/09 かざひの文庫 

「はじめてのホツマツタヱ 地の巻」今村聰夫他 2016/04 かざひの文庫 

「はじめてのホツマツタヱ 人の巻」今村聰夫他 2016/08 かざひの文庫 

「秀真伝にみる神代の真実」古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想 加固義也 2015/10 たま出版

<地の巻>、<人の巻>につづく

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「WIRED VOL.15」 WXD ワイアード・バイ・デザイン デザインをめぐる25の物語

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「WIRED VOL.15」 特集・WXD ワイアード・バイ・デザイン デザインをめぐる25の物語
(GQ JAPAN.2015年4月号増刊) 2015/03 コンデナスト・ジャパン 不定版 雑誌 29.2 x 23 x 1.4 cm WIRED関連リスト
No.3631★★★★★ 

 「WIRED」誌をわが愛読雑誌にすべく奮闘中。たしかこの号があったよなぁ、とタブレットのアプリをいじっていたら、いつの間にか「チラ見」になっていた。あれ~~、「タダ見」で全部読めるはずだったのに~、と悔しがったが後の祭り。しかたないなぁ、と諦めていた。

 ところがである。今朝、何気にチェックしたら、今度は138頁全読めるようになっていた。やったー。どういう仕組みなのか。私にはそのシステムがよくわかっていないので、もう、どうでもいいや、と、とにかく、読めるうちにこの号もメモしておくことにする。

 「WXD」と書いて、ワイアード・バイ・デザイン、と読ませる。lこういうところからして、洒落てるなぁ、と思う。138頁全部が全部、お気に入りの頁とは言い難い。むしろ、最初は違和感があったり、ちょっと派手~、と思ったりする。

 あるいは、これは日本向きじゃないよね、と感じる。だが、それを長期的に見れば、だんだんと融和され、互いの境界線がにじんで消えていくような、親和性を持ち始める。ないし、そういう心許せる編集となっている。

 正直言って、この雑誌をタブレットで見るのは苦しい。小さな文字はわが老眼をいじめる。もはや、ぼけてにじんだ文字列さえ、ひとつのデザインとなっている。大きな画面、例えばPCでだって見ることができるのだ。しかし、それはしたくない。WIREDはタブレットが似合っている。(もちろん、スマホでは、なおいかん)。

 デザイン、文字列、色、配色、イラスト、ひとつひとつが、印象となって、ビジュアルなものとして飛び込んでくる。気になる画像のひとつでもあれば、そこからピンチアップして文章を読めばいい。画像ひとつひとつがINDEXとなる。

 ジョナサン・アイブとか、気になる人物の写真も飛びこんでくる。そこから文章を読もうとは、本当は思わない。そこに何が書いてあるか、だいたいは分かってしまっているから。ただ、その頁に彼がいるんだな、と、そういう気分だけで、この雑誌を見ている理由になる。本当に読みたければ、あとでゆっくり読む。

 編集意図、雑誌としての存在理由、タブレットやオンラインや、ディスカウントの仕方、一つ一つが意欲的で、実験的だ。それがWIREDであり、彼ら流のイノベーションなのだ。そのチクチクする感性が刺激的だ。本当のことを言うと、文章の中身なんてどうでもいい(と思える瞬間もある)。

 惜しむらくは、この雑誌のメインターゲットの年齢層から、わが年齢がやや外れていることだろう。こちらはすこし爺いになってしまった。若い若いと思いつつ、いつの間にか、爺いになってしまった(お前らだって、いつか来る道www)。

 とにかく私はこの雑誌が好きだな。この雑誌にインスパイアされることを、私は歓迎する。

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2015/12/16

「秀真伝にみる神代の真実」古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想 加固義也(著)

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「秀真伝にみる神代の真実」古事記・日本書紀ではわからない歴史と思想
加固義也(著)  2015/10/2 たま出版; B6版 614ページ
No.3630★★☆☆☆

 戯れに書店のオンラインで検索してみると、ホツマツタエで店頭在庫が二冊あった。ほうと思ってみたのが、「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」(今村聰夫他 2015/09 かざひの文庫)とこの本であった。

 いつも注意して見ているわけではないが、ホツマツタエで新刊が二冊登場するというのは珍しいことなのではないだろうか。新しいホツマの時代がやってきたか、とちょっとだけ沸き立つ気分になる。

 しかしながら、「はじめての・・」に比べてこちらの書は、私にとってはいまいちだ。「序章 オシテ文献『秀真伝『』を真書とみる論拠」から始まるこの本には、偽書説を一生懸命打ち消そうとする努力は認められないでもないが、いまいち「真実」性がない。

 当ブログがその「論拠」とするのは、この本には「はじめての・・」と違って、ほとんど、東北日高国やアラハバキ、縄文文化、多賀城などが出てこないからである(笑)。

 エスノセントリズムと笑われるだろうが、当ブログがホツマツタエに興味を持っているのは、そこに東北ヒタカミが登場するからであって、それが登場しない古史古伝は三文安いのである(爆笑)。

 出版元も「たま出版」というところも、なんだかなぁ、と思わせる。いわゆるアダムスキー本、トンデモ本に類する一冊なのではないか・・・・・?

 今朝、SNSつながりの大西淳さんという方の投稿を見ていたら、こういうのがあった。
------------------------------

今日の発見(^^♪

あわ歌を五七ではなく五五に並べなおしてみたところ、面白いことがわかりました。

↓これが元の五七調のあわ歌

あかはなま いきひにみうく...

ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる
すゆんちり しゐたらさやわ

↓文字を五五調に並べなおしてみました。

あかはなま
いきひにみ
うくふぬむ
えけへねめ
おこほのも

とろそよを
てれせゑ
つるすゆん
ちりしゐ
たらさやわ

あいうえお、かきくけこ、はひふへほ、なにぬねの、まみむめもが縦にきれいに並んでいることが分かります。

後半は、「わ」から逆向きに並んでいることが見て取れます。

そう、「あ」から始まる前の部分と、「わ」から始まる後半部分が、「お」行のラインを境に表と裏にきれいに並んでいて、まるで鏡のようです。

まるで「あなた」と「わたし」が向かい合っているようですし、それぞれの螺旋が「お」行のところで合わさって裏返っているとも見えますね。

表と裏の二元でこの宇宙が作られているということを示しているようにも見えてきます。
もしかしたら何らかの法則が暗号のように入り込んでいるのかもしれません。読み解けたら面白いでしょうね。(^^♪

追記
その後、さらにこんな風に展開してみました。おもしろいと思うのですが、いかがでしょう。よかったらこちらも見てみてください。
https://www.facebook.com/jun.onishi.5/posts/854951327956211 
 
 
 この書き込みには、コメントがいくつもついていて、感動した、というのが主流なのだが、中には、これで偽書説が強まった、という感想もあり、実を言うと、私も後者のコメントに近いものだった。
 
 いまから14年前の2001年に、「実在した人間天照大神」(たま出版)を花方隆一郎のペンネームで上梓した。改めて読み返してみると誤りも少なからずあり、もっと掘り下げたいと書きたいことや新しい発見もあったので、全面的に書き直して上梓したのが本書である。p608「あとがき」加固義也
 
 1941年生まれの「秀真伝研究家」を自称される方の素性を存じ上げないが、同じ本を書きなおすなら、同じ名前を使うべきだと思うし、新しい名前を使うなら、別書として、過去には触れずに、まったくの新刊で出してもよかったのでないだろうか。
 
 当ブログとしては、あまりこねくり回された論理は好みではないので、おそらくこの本を再読する(今回もパラパラめくっただけでした。ごめんなさい。)ことはないのではないか、と思います。

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2015/12/15

ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <7>

<6>よりつづく

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<7>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

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<8>につづく

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「Pen (ペン) 」1冊まるごと おいしいコーヒー

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「Pen (ペン) 」1冊まるごと おいしいコーヒー]
12014年 10/15号 2014/10 CCCメディアハウス 雑誌 月2回刊版
No.3629★★★★☆

 愛読書がない、なんて嘆いていないで、自分で見つければいい。あるいは、今はそれほどでなくても、それを育てて行けばいい。それは一つの悟りである。Penもあとから気付いてみれば、気になる雑誌だった、ということだが、それを積極的に、愛すればいいのだ。

 愛したからと言って、こちらの愛情を感じて編集部がその方針を変えるということはないだろう。むしろ、変わるのはやっぱり読書子としてのこちら側だ。この雑誌、何を、どうしようとしているのだ? そんなことを、もっとこまかに感じていくのもいいのではないだろうか。

 この雑誌も、タブレットのアプリで、全頁タダ見できる。そういう理由で登場したのではあるが、そもそも私はコーヒー飲みではない。たしかに子供の時分からずっと飲み続けてきてはいるが、別段に食にこだわる人生でもなかったので、ことさらコーヒーだけにこだわってきたわけではない。

 なにはともあれ、とこの雑誌をめくっていて、なるほどな、と思う事はいくつかあった。まず、いままでの私のコーヒーは、インスタント中心。ブラック中心だが、砂糖やマリーム類も入れる時は入れる。日に4~5杯飲む時もあれば、まったく飲まない月が2~3ヵ月続く、ということもあった。

 基本は、これでいいのだろうが、今後の方針を少し変えてみようと思う。

1)インスタントよりはレギュラーがいい。
2)砂糖は入れない。ミルク類を入れるなら牛乳を入れる。
3)フィルターを使う。
4)カップに少し凝ってみる。
5)一体全体、我が家のコーヒー事情はどうなっているのか、台所のコーヒー関係の道具や豆類をほじくり出してみる。
6)豆を買ってくる、というライフスタイルに挑戦してみる。
7)おいしいコーヒーショップを探す。

 などなどだが、コーヒーはダイエットに必ずしも邪魔にならない、というニュースもあるし、むしろ体には薬になる、という話もある。それは本当なのかどうか、すこしづつ試してみようじゃないか。

 ということで、Penをわが愛読書として成長させてみる実験を始める。(笑)

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2015/12/14

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <55>せいかつはっぴょうかい

<54>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<55>せいかつはっぴょうかい

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 今日はいつもと違って、大きな会館のステージを借りた、「せいかつはっぴょうかい」である。昔でいうところの学芸会であろう。

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 それぞれの30名ほどのクラスの園児たちが、このところ何週間か練習してきたダンスや演奏を披露するのである。

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 やっている方もドキドキしているだろうが、見ているほうもドキドキの連続である。それでも園児たちは、楽しそうに演じきる。間違ったり、方向が違ったりしても、別段に泣き出したりする子供はいなかった。

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 しかしまぁ、ここまで来るのもアッというまですなぁ。親たちの気持ちもかくやと思われるが、さらにその付き添いのじいさんばあさんとなれば、まぁ、感動モノです。

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 現在、私には4人の孫がいて、それぞれまもなく5歳、4歳、3歳、2歳になる。このくらいになると、会話は成り立つし、どうかすると答えられない質問を受けることさえある。

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 まだまだフルバージョンの会話は無理としても、いつまでもいつまでもこの孫たちの成長を見続けることはできない。順序で言えば、あと数十年で、私たちの世代はお先に冥土へと旅だつのである。

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 その間、私はこの孫たちとどんな会話をして、どんな話を残せるのだろうか。新しい未来、明るい未来。本当にそういう地球上の平和な世界であってほしい。

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<56>につづく

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「WIRED (ワイアード) VOL.1 」特集OUR FUTURE テクノロジーはぼくらを幸せにしているか?<1>

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「WIRED (ワイアード) VOL.1 」特集OUR FUTURE テクノロジーはぼくらを幸せにしているか?<1>
(GQ JAPAN2011年7月号増刊) 2011/06  コンデナスト・ジャパン 不定版 27.2 x 19.8 x 0.6 cm WIRED関連リスト  VOL.1について
No.3628★★★★★

 発行が2011/06。実に3・11の直後である。この特集のタイトル、そしてこの表紙。この時とばかり、待ってましたとばかり、飛び出してきたような一冊と、言えるのかも知れない。

 アメリカ版の本家は1993年に創刊されている。こちらは創刊と言っても「GQ JAPAN」の増刊号という体裁を取っており、そもそも「GQ JAPAN」がよく分かっていないので、むしろ新鮮な気持ちになる。

 斬新で、ショッキングな飛び出し。この表紙も、まさにあの「ホール・アース・カタログ」を連想する作りである。もちろん編集者の流れもある。

 対して、一読者としての私は、この時期、まったく図書館が閉鎖され、一般図書館が閉店し、という状況が続いており、創刊雑誌に目をやるどころか、一般書籍もなかなか読むことができなかった。

 そういうスタートがあったせいか、この本の存在はそれとなく気づいてはいたが、まったくクロスしないまま、長い時間が過ぎた。この創刊号は、二年ほど前、2013年の春ごろになって、タブレットを入手して、雑誌アプリを入れた時に気づいたのだが、他の雑誌と同時期にたくさん見たので、詳しく見ることはなかった。

 現在は出版から大事時間が経過したせいかディスカウント価格で入手できる。電子書籍版もある。雑誌アプリでは、ある程度の全体像をつかむことができる。細かいところや、一部カットされている頁はあるが、いわゆる雑誌の面白は十分堪能できる。

 この雑誌とても刺激的である。サンプルを見ただけでも相当にインスパイアされるが、私はまだこの雑誌を手元に見ていない。地元の図書館が蔵書していないということもあるが、私はややタイミングを外してしまった悔しさで、知らんぷりしているところがある。

 しかし、この雑誌は面白い。地球上で今、一番面白い雑誌であろう。そららを全て堪能するためにいずれ入手するとして、ただ、この雑誌を読み進める上で、とにかくネックなっている問題がひとつある。それはトリウム原子炉の問題だ。

 私は科学者を自認する人間でもなければ、先見性のあるイノベーターを名乗れるような男でもない。一般的な初老の男、ただ、まだ世の中には関心がある、というアーリー・マジョリティのレベルにいるだけの存在である。

 ただしかし、3・11における放射能事故の現場その近く90キロ圏内に家族と住む市民であるし、またクラインガルテンとして、60キロ圏内に小さな農場を持っている市民園芸家でもある。テクノロジーの大きなウェイトを占める原発の、その影響をもろに受ける立場にあることは事実である。

 そして、もうひとつ加えるとするなら、私はOSHOをマスターとして受け容れ、瞑想を通じて、ひとりの地球人たらんとする、ひとりの求道者でもある。

 この時期、ここにおいて、この事故を見つめつつ、これらのテクノロジーの進化に期待しつつ、私は私なりの、残された人生を生きる。

 この時、この雑誌が、核燃料問題や、原発、トリウム原子炉、などなどにどのような決着をつけるのか。巨大国家、都市文明、そして負の面としての戦争や紛争、格差拡大の根本的原因、それらに、どのような道筋をつけるのか。ジャーナリズムの矜持というものを見せることができるのか。それらに強い関心を持っている。

 それもしかし、もともとのアメリカの本家雑誌がどのような編集意図でいくかが問題にはなるが、それを知るためにも、この雑誌が2016年より隔月刊として定期化していくことは、とてもよいことだと思う。 

<2>につづく

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2015/12/13

「WIRED(ワイアード)VOL.16」 特集 お金の未来(と、かわりゆく世界)<1>

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「WIRED(ワイアード)VOL.16」 特集 お金の未来(と、かわりゆく世界)MONEY,CODE & ME <1>
WIRED編集部 2015/5 雑誌 Kindle版 158p WIRED関連リスト
No.3628★★★★★

 「WIRED」関連リスト」  

(編集中)

VOL.31/特集ニューエコノミー ぼくらは地球をこうアップデートする 2018/11 編集長・松島倫明

「さよなら未来」ディターズ・クロニクル 2010-2017( 若林 恵2018/04 岩波書店)。

VOL.30/特集Identity デジタル時代のダイヴァーシティ 〈わたし〉の未来 2017/12 編集長・若林恵

VOL.29/特集African freestyle ワイアード、アフリカに行く 2017/09 編集長・若林恵 

VOL.28/特集Making Things ものづくりの未来 2017/06 編集長・若林恵

VOL.27/特集Before and After Scienceサイエンスのゆくえ 2017/02 編集長・若林恵

VOL.26 特集 ワイアードTV 2016/12 編集長・若林恵

VOL.25 特集 The Power of Blockchain ブロックチェーンは世界を変える 2016/10 編集長・若林恵

VOL.24 特集 NEW CITY 新しい都市 2016/08 編集長・若林恵

VOL.23 特集 GOOD COMPANY いい会社 ビジネスとミッションは両立できる! 2016/06 編集長・若林恵

VOL.22 特集 BODY & HEALTH 病気にならないカラダ 2016/04 編集長・若林恵

VOL.21 特集 MUSIC / SCHOOL 音楽の学校 2016/02 編集長・若林恵

VOL.20 特集 A.I.(人工知能) 2015/12 編集長・若林恵

VOL.19 特集 ことばの未来 2015/11 編集長・若林恵

VOL.18 特集 STAR WARS 新たな神話のはじまり 2015/09 編集長・若林恵

VOL.17 特集 NEW FOOD なにを、なぜ、どう、食べる? 2015/07 編集長・若林恵

VOL.16 特集 お金の未来(と、かわりゆく世界) 2015/05 編集長・若林恵

VOL.15 特集 WXD ワイアード・バイ・デザイン デザインをめぐる25の物語 2015/03 編集長・若林恵

VOL.14 特集 死の未来 The Future of Death 2014/11 編集長・若林恵

VOL.13 特集 Fashion Decoded ファッションはテクノロジーを求めている 編集長・若林恵

VOL.12 特集 COFFEE & CHOCOLATE STARTUPS コーヒーとチョコレート 2014/06 編集長・若林恵

VOL.11 特集 イノヴェイションは世界を救う 2014/03 編集長・若林恵

VOL.10 特集 SPECIAL FEATURE 未来都市 2050 2013/11 編集長・若林恵 

保存版特別号「WIRED×STEVE JOBS」 2013/10

VOL.09 特集 開かれた政府 デジタル時代のガヴァメント 2013/09 編集長・若林恵

VOL.08 特集 MUSIC OF OUR TIMES これからの音楽  2013/06 編集長・若林恵

VOL.07 特集 未来の会社 これからの「働く」を考える 2013/03 編集長・若林恵

VOL.06 特集 THE AGE OF GLOBAL GAMING ゲームの世界標準 2012/11 編集長・若林恵

VOL.05 特集 未来の学校 「教育」は終わった、「学び」が始まる 編集長・若林恵

VOL.04 特集 WIREDの未来生物学講義 2012/05 編集長・若林恵

VOL.03 特集 THE NEXT BIG THING 破壊者たちの新たなビジネス革命 2012/03 編集長・若林恵

VOL.02 特集 スティーブ・ジョブズが遺した14のレッスン 2011/12 編集長・長崎義紹

VOL.01 特集 OUR FUTURE テクノロジーはぼくらを幸せにしているか? 2011/06 編集長・長崎義紹

 気になる雑誌WIRED。この雑誌に波長を合わせるには若干時間が必要である。不定期刊であり、扱っている書店もまちまち。そして、見かけるのはスマホのアプリFujisanのただ見のコーナー。

 現在VOL.20まででているこの雑誌のバックナンバーがほぼ全頁タダ見することができる場合がある。先日も他の号がタダ見状態だったが、それからチラ見に変更になっていた。ブックマークしておいてあとから見ようと思っていたのに、部分しか見ることができなくなった。

 今日はこの16号がタダ見状態だった。これとていつチラ見に限定されるか分からないので、今日見れるうちに見ておこうと思った。

 特集はマネー、つまりビットコインとA.I(人工知能)などについてだった。ビットコインについては、当ブログにおいてもすでにミニ追っかけを実施済みだが、イノベーターやアーリーアダプターならぬ、せいぜいアーリーマジョリティの位置に甘んじている当ブログとしては、ネット仮想通貨については、現在まったく手がでない状態。

 しかしながら、つねにイノベーター達の動向にはそれなりに視線を送っておきたい。いずれそうなるかもしれないからだ。

 この雑誌の素晴らしいところは、日本の雑誌にないデザイン。視線を奪う方法論が斬新である。デザインも文章も編集も、イノベーター達の仕事である。彼らの実験的主張は過去においても、大きく外してしまったものも多くあるが、主なる部分は確実にヒットし現実を捉えてきた実績がある。だから、目を離せない。

 今回はiPadで全158頁を見たのであるが、文字が小さいので画面をピンチアウトで大きくして読んだのだが、いちいちピンチアウト←→ピンチインを連続しながら読み続けるのは、ちょっとつらい。

 ひとつの画面で様々な要素をみることができるのが雑誌の良さであるのだが、それがタブレットで見ようとすると、しかも全頁一気に見ようとすると、ちょっと無理がある。最初からタブレットバージョンに編集されているオンライン版を見たほうがいい。

 この号で一番気になったところは、p44「ガレージで核融合炉を」というところ。

 実は、ティアゴ(オルソン Stratos CEO)が、ニュースの世界で話題の的になったのはこれが初めてではない。ミシガン州のストーニークリーク高校時代に、自宅で核融合炉をつくることに成功したのだ。わずか17歳のティアゴがつくった核融合炉を見せるヴィデオが、いまだにオンラインに残っている。p45

 そのヴィデオとやらも、確かにある。

 しかし、その紹介記事などを見ると、

 オルソン君が自作したというのはつまるところ一般的に考えられているような原子炉でも核融合炉でもなく、このFusorという装置となる。核物理学を志す学生の中には手始めにこのFusorを自作することで核融合反応をこの目で確認しようとする人も世界中では少なからず存在するようだ。

 もっとも、このFusorを一人で自作してしまうことは常識的に考えれば大学生レベルであっても困難だろう。まず、高電圧をかけてイオン化したプラズマを封じ込めるための圧力容器を作る必要がある。この圧力容器は核融合反応の過程で発生する中性子を遮断する機能も持っている必要などもある。

 写真に写っている装置を見ても判るようにこれはどう見ても高校生の夏休みの宿題とか、趣味の工作といったレベルの代物ではない。専門業者による非常に精緻な精密加工技術が必要だ。

 恐らく、オルソン君は図面を製作した上で地元の業者に加工を依頼したのではないかと思うところだが、いずれにしてもこの装置の開発にはそれなりの費用とかなりの専門知識と労力と時間が必要だったことは間違いない。少なくとも普通の理工学部の学部学生よりは上だろう。

 いったい、この高校生は大人になった時には何をしているのだろうか? BUSINESS NEWSLINE 2007/04

 ということのようだ。

 そして本誌において、当の本人はこう述べている。

「結局、ぼくがつくった核融合炉が実際に電気を生み出すためには、それ以上の電気が必要とする程度のものだった。それに開発に何十年もかかるものをつくるより、すぐに何かを変える力になるものを作りたかった」 p45

 実は、当ブログがこの一連のWIRED流の流れに胸襟を開くかどうかは、この原子炉にかかっている。トリウム原子炉の可否、ここんとこが重要だ。それをすでに夢のとして葬り去ってしまう小出裕章のような方がいるし、一方には、全財産をこれにかけるというビル・ゲイツのような人もいる。ホールアースカタログの元編集長スチュアート・ブランドのような人がいる。

 ここんとこが、ずっと当ブログのネックになっている。現存する放射線の被害の状況を横目に見ながら、実現可能かどうか定かではないトリウム原子炉の夢を追いかけることが、いずれは人類の共通のコモン利益になり得るのか!?

 ここんところが、ひとつの分水嶺なのである。

<2>につづく

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「新瞑想法入門」 OSHOの瞑想法集大成<4>グリシャンカール瞑想

<3>よりつづく

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「新瞑想法入門」OSHOの瞑想法集大成 <4>
OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ 1993/01 瞑想社 /めるくまーる 単行本 507p

 つの肉眼のあいだ、その内側に、ふだんは眠っている「第三の目」があるという理解 ―― これは、東洋が世界にもたらした貢献のひとつだ。 

……誰があなたの思考を見るのか。肉眼ではない。誰があなたに怒りが湧くのを見るのか。その見る場所が、象徴的に「第三の目」と呼ばれているのだ。……「第三の目」が開くと、不意に光が閃き、不明瞭だったものごとが一瞬にして明瞭になる。内側を見ようとするなら、そこには確かに、目のようなもの――見るもの――がある。 

 

 グリシャンカール瞑想 Gourishankar Meditation 

 <60分>  この技法は、各々15分間の4つのステージで構成されています。初めの2つのステージでは、第3ステージで自然発生的に起こるラティハンのために、瞑想者の準備を整えます。 OSHOはこう話しています。「第1ステージで正しい呼吸が行なわれたならば、血流のなかに増加形成される二酸化炭素が、まるでグリシャンカール(エベレスト山)の山頂にいるかのごとく感じさせるだろう」。  

■第1ステージ(15分間) 目を閉じて坐ります。鼻から深く息を吸い込み、肺いっぱいに満たします。できるだけ長く息を止めておきます。それから少しずつ穏やかに、口から息を吐き出し、できるだけ長く肺をからっぽのままにしておきます。第1ステージでは、ずっとこの呼吸のサイクルを続けます。 

■第2ステージ(15分間) 普通の呼吸に戻り、ロウソクの炎か青色の閃光ストロボを穏やかに眺めています。体は静止した状態に保ちます。  

■第3ステージ(15分間) 目を閉じて立ち上がります。体をゆったりと、何でも受けいれられる態勢で開いておきます。すると、あなたの普段のコントロールを超えたところで、微妙なエネルギーが体を動かすのが感じられるでしょう。このラティハンが起こるがままにしておきます。その動きをあなたが作ってはいけません。穏やかに、優雅に、動きが起こるにまかせます。  

■第4ステージ(15分間) 目を閉じたまま横たわり、静かにじっとしています。

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 縄文時代の遺跡から発掘された土偶を見ながら、木彫りで再現してみようとしていた時、ふと感じた。

1)何故にこのように目が大きいのか。グリシャンカール瞑想をしている時、ある意味、人の意識は目に集まる。それはまるで、目が大きく広がっていく感じだ。

2)何故に鼻は、目と目の間、ましてやその上部にあるのか。瞑想していて呼吸をすれば、鼻という機関は、その入り口ではなく、その付け根の部分をもっとも刺激する。それゆえ、第三の目の位置にちかづく。

3)何故に手や足はこれほどまで貧弱に表現されているのか。瞑想をしている時、手や足はほとんど存在感を失う。内面の世界において、それらは総体的に小さくなる。

4)何故に耳は真横に飛び出しているのか。瞑想中、人は音に敏感になる。それは普段よりも、存在感を増す。

5)何故に下腹部に小さな穴があいているのか。それはへそでもあり女性性の象徴でもあるだろう。瞑想において人はより受容性を増す。

6)何故に頭上に冠が乗っているのか。それは冠でもあり、また炎でもある。第7のチャクラから、人は自らの肉体から存在へと拡大する。

7)日を高く見ていた縄文人たち。彼らが瞑想して、その内面的な体験を具象化しようとしたら、この土偶のような形になったのではないだろうか。それは外側にある神の姿ではなく、内面にみた縄文人たち自身のグルシャンカールだったのである。

<5>につづく

 

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2015/12/12

「角田郡山遺跡ⅩⅣ」  角田市文化財調査報告書 第31集

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「角田郡山遺跡ⅩⅣ」角田市文化財調査報告書 第31集
角田市教育委員会 2006/03 21p
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o.3627★★★☆☆

 先日、宮城県角田市島田の熱日高彦神社との関連で、伊具郡軍衙の痕跡と思われる角田郡山遺跡を訪ねてみた。以前から、この辺りだろうと想定していた児童公園には、それらしき標識などもなく、発掘の痕跡も見つけることができなかった。

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 近くには住吉神社があり、いずれこの周辺であろうと、神社参拝に留めて帰宅した。しかし、それにしてももう少し詳しく知りたいために、この調査報告書を市の図書館から借りだして、確認することにした。

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 この報告書を見る限り、私の推測はほぼ妥当なラインだったが、むしろ、私の想像していた地域よりももっと広域に調査が進められていた。そして、産業構造の変化等により、桑畑から水田へと地目が変更されたり、近くの阿武隈川の堤防工事用の土砂などを採集された結果、遺跡そのものにすくなくない変形が加えられている部分もあるようである。

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 飯沼勇義史観によれば、熱日高彦神社は、日本史におけるきわめて重要な位置にある神社であり、その装置としての関連施設として、この角田郡山遺跡もまた、重要な位置を占めている、ということになる。

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 もっとも、角田郡山遺跡があったと想定される7世紀から8世紀にかけての時代よりかは、さらに先の時代のことが知りたいワケで、角田郡山遺跡の調査が進む中で、さらに過去に遡る、何か画期的な発見があるやなしや、に関心を持っているのであった。

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「はじめてのホツマツタヱ 天の巻」今村聰夫他<1>

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今村聰夫(著), 磐崎文彰(編集), 緒方徹(イラスト)2015/09 かざひの文庫 単行本 320ページ
No.3626

 ホツマツタエを読み解くのは、一筋縄ではいかない。何故か。
1)ホツマツタエそのものが入手困難である。
2)ホツマツタエの正当性が確立していない。
3)表記文字、表記法など、解読には長い習熟が必要である。
4)読み説いたところで、それを実証することが困難である。

 ではホツマツタエの魅力とは何か。
1)日本最古の書と言われる古事記・日本書記より遡る伝統がある。
2)他では明かされない魅惑的な世界が展開される。
3)特にヒタカミと言われる古代の理想郷が語られている。
4)今後、新たなる発見がありそう。

 それに対し当ブログの対応は・・・?
1)複数の書籍により、一般的な概略的理解に留まっている。
2)飯沼勇義の津波史観による古代歴史の解読に魅惑されている。
3)飯沼推薦の千葉富三ホツマの読解に手をかけているところだが、進まない。
4)この今村聰夫ホツマから、新たなる展開があるかも、という期待感が高まる。

 なぜに千葉富三ホツマで、止まってしまったか。
1)あるべきオシテ文書なら縦書きであろうに、横書きである。
2)ホツマ曼陀羅(フトマニorモトアケ)図に、独特の表記(渦巻きの並列表記)
がある。
3)今上天皇他、現在の皇族に対する感情がわりと古風で、ある意味常識的。
4)ホツマ研究歴がそれほど長くないのかな・・?という疑問。

 それに対するこの今村聰夫ホツマの魅力とは。
1)最近出たばかりで新刊である。三部作のあと二部が来年出版される。
2)割と研究歴が長い方のようである。1920年生れ。1986年に松本善之助翁と出会う。
3)読み説きが至って理解しやすい。魅力ある文章力。
4)いわゆるヒタカミ文明との繋がりが多数紹介されている。

 そこに疑問やデメリットはないのか。
1)分かりやすいがゆえに、あまりに現代に寄せて書かれている可能性がある。
2)残る二部が出版されないと、全体としては評価できない。
3)他のホツマ読みの人々の評価はどうか。
4)文章での理解から、さらにオシテ文字の深淵まで誘導してくれるかどうか?

 今後、当ブログはどうするのか。
1)基本は飯沼勇義史観を中心に据えて、科学的津波理解、考古学的縄文理解、神話伝承的歴史解読、など、とくにヒタカミ文明について追究したい。
2)それには、飯沼推薦の千葉ホツマを原典としつつ、それを理解する上で、この今村ホツマがとても役立ちそうだ。
3)まずはともあれ、飯沼史観による「縄文時代・高見産霊(タカミムスビ)・日高見国(ヒタカミクニ)の歴史津波と歴史時代」年表を突き合わせ、その理解を深める。
4)そして、それを実証すべく、地元の遺跡や史跡、出土品などと突き合わせてみる。

<2>につづく

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2015/12/11

「植物のある部屋」 宝島社<3>

<2>からつづく

 

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「植物のある部屋」 <3>
宝島社  2015/9/17 大型本: 95ページ
★★★★☆

 

 この本は、おかしな一冊である。本屋で見つけた時は、むしろあっちの方がいいなぁ、と思えて差別化の一冊だったのに関わらず、帰宅してからずっと気になる本だった。次の機会に本屋に行っても気になる。何度、別な本屋に行っても気になるのである。

 

 なぜ気になるのか。植物のある部屋の写真なんかは、もう別段うらやましくはない。しかし、なかほどにある「グリーンの基礎知識 超入門」というあたりが気になるのであろう。「人気の品種からお悩み相談まで」。うーん、なんとなく至れり尽くせりの雰囲気。

 

 ところが、このグリーンという奴も、その「代表的な種類」として30種類ほどの観葉植物の、名前すらがよく覚えきれない。もともと知っているものは一部で、あとは何回読んでも暗記できない。記憶力が低下しているなぁ。

 

 だから、立ち読みで立ち去ることができず、購入しても、なかなか頭に入らずという、どっち着かずの状態に陥っているのである。それでもやっぱり、せいぜい、この程度は覚えておこうよ、という「代表的」な「基礎知識」というところに、どうも惹かれているようである。

 

 「入門者のためのお悩み相談」というところも、なんだか泣かせる。「毎日やるべきことは?」とか、「生育期なのに、しおれてきた・・・・」などは、ほんとそうなんだよなぁ、と、ついつい気になる。気になるが、それがすぐ実践できないので、いつまでも気になっている常態。

 

 「おしゃれな『器』カタログ」なんてあたりも、ああ、そうだよなぁ、鉢もなぁ、必要だよなぁ、いろいろなウンチクが気になってくる。だが、すぐ新しい器を買うほどのこともないので、すぐ忘れてしまうというか、最初から覚える気がない。なんとなく、ちら~と眺めるだけ。

 

 「植物の魅力を最大限に引き出すGLASSWARE」あたりもなぁ~。なるほどなるほどの連続。WOOD、STEEL、PLASTIC、あたりもかなり惹かれる。なんでか知らないが、気になって、気になってしかたない。だけど、すぐ役立つものがない。

 

 まぁ、買ってしまったのだから仕方ない。すぐブックオフに売るほどでもないし、いずれ役立つ知識もあるかもしれない。要するにだ。気になる一冊で、書かれている内容も、かなり面白いのだが、今、自分のタイミングと合わない。いずれ、キチンと役立つ日もあるだろう、とそういう理解が一番、自分が傷つかなくて済みそうだ。

 

 ということで、この本は温存。いずれ再読をスタートさせよう。

 

 <4>につづく

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OSHO Rjneesh自伝的映画「The Rebellious Flower」 - Official Trailer

The Rebellious Flower - Official Trailer  OSHO Rjneesh自伝的映画

ZENIN MULTIMEDIA PRODUCTIONS  2016/01/25封切 KRISHAN HOODA film
No.3625

予告編

Heart of India glimps of

Making of REBELLIOUS FLOWER

The Rebellious Flower - The Movie

Udh Udh Chala Re Bhaiya...(A Folk-Song from REBELLIOUS FLOWER Album)

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「WIRED VOL.20」 特集 A.I.(人工知能)

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「WIRED VOL.20」 特集 A.I.(人工知能)
(GQ JAPAN 2016年1月号増刊) 2015/12 コンデナスト・ジャパン 雑誌(不定版) 1260ページ WIRED関連リスト
No.3624★★★★★

 人生において読書を習慣とし、愛読書を持ち、座右の書を持つということは、至福の体験と言える。いくつかの新聞のなかから、宅配をしてもらって読む新聞はその人の思想性を表すし、愛読雑誌の数冊も、読む人の人柄を表現していたりする。

 しかるにである。我が家では、宅配新聞はすでに10年前にやめている。インターネットが発達し、紙ベースの新聞を読むという習慣は、少なくとも私のライフスタイルからは消えてしまったのだ。

 なに、読みたくなったら、図書館に行くなり、友人知人宅で読めばいい、とタカをくくっているのだが、ついぞ、図書館で新聞のバックナンバーをめくるなんて場面はなかった。もう、私はネットで十分だ。

 更に、雑誌である。雑誌、マガジン、と言われるジャンルには、私なりにこだわりがある。いつの時代であっても、愛読する雑誌の数冊はあってしかるべき、と考えてきたが、気づいてみれば、もう、それもとうの昔に消えている。定期購読する雑誌など、なくても生きていけるのだ。これもインターネットの影響である。

 そんな私ではあるが、現在でも気になる雑誌がないわけではない。「東洋経済」「日経ビジネス」「週刊ダイヤモンド」、なんて雑誌は、たまに駅のスタンドでパラパラ読みするし、時に購入する。熟読しないまでも、気になる記事は切り抜いて保存したりする。

 「Pen」も気になる雑誌だ。特集雑誌であるから、年に何回もないが、お、これは、という特集にぶち当たる時がある。その一冊のせいで、わが一ヶ月、か、それ以上が、その読み込みと、関連情報集めで忙殺される時もある。まぁ、嬉しい番狂わせ、ってところであろうか。それでも、やっぱり定期購読するまでには至らない。

 そんな中にあって、この「WIRED」も、気になる雑誌である。いつ頃からこの雑誌が登場したのか定かではないが、当ブログでは一番最初にスティーブ・ジョブズ特集「WIRED×STEVE JOBS」(2013/10 コンデナスト・ジャパン)をメモしたのが最初。

 不定期刊ながら2~3ヵ月ごとに発行され、2016年からは偶数月ごとの隔月刊になるらしい。現在20号だが、創刊号(Vol.1)は2011/06に出ている。あの混乱期のなかでは、私はこの雑誌の日本語創刊に気づくはずはなかったな。

 なんせ、図書館という図書館は全滅。書店という書店は閉店。こちらの読書も、天井階の蔵書をひっくり返す程度の時代である。本屋で本を見るという気分になったのはあの年の8月くらいになってからだった。そんな中でひっそりとスタートしていたのが、このWIREDだった。

 この雑誌、なかなかスマートだ。WIREDという誌名に、どのような深い意味があるのだろう。スラング的魅力も込められているのかも。WIREDだから、ワイヤーに繋がれているわけだから、このWiFi時代に、ちょっと変だなと思う。むしろこれは、何かに魅力を感じて、興奮している、程度の意味であろう、か。あるいは、目が「釘付け」とか、そういう語感であろうか。

 この雑誌、先進的で、魅惑的で、陶酔的だ。時代を先駆けて生きていると自負している若い世代なら、きっと見のがせない一冊であろう。現代のサムライであるビジネスマンたちは、きっとこの雑誌を気にしていると思う。

 ビジネスマンの三要素と言われた、IT技術、英語コミュニケーション、ファイナンシャル能力にたけている人なら、この雑誌に釘付けになるだろうし、ここから得られる情報やヒントも限りないだろう。

 しかしながら、携帯コンピュータ4級、英検3級、FP2級程度の私では、どうも読みこむ力が弱いし、興味の範囲が外れることも多い。ましてや、年齢的に、マーケティングの範疇外に置かれているような気がしないでもない(爆)。

 今回の特集 A.I.(人工知能)についても、当ブログは興味津津だし、このテーマについてはこれまでも何度もメモしてきた。しかし、ここまで当ブログなりに結論はでている。

1)人工知能の進化はますます続くだろう。
2)しかし、何処まで行っても、人工知能が「意識」を持つことはないだろう。
3)人工知能は身体を必要とするだろうし、その身体はどのような物になるだろうか。
4)永遠につづくであろう進化に対し、老年のわが身は、もうついていけないな。

 人工知能の開発は必要だし、今後も若く能力のある人々に続けていってほしい。そう願うのみである。この雑誌の魅力は、アメリカ臭がプンプンするところであり、それが長所でもあり、ある意味デメリットでもある。

 このアメリカの雑誌が、日本にグランディングするのに、5年の歳月をかけたというのは懸命な対処法であった。この雑誌をアメリカからそのまま持ってきても、日本ではマイナーなまま終わる可能性は高かった。日本に合わせた編集が必要だ。

 だが、日本版に合わせ過ぎると、もともと持っていた魅力が半減し、WIREDらしさがなくなってしまう。日本には日本の雑誌があふれかえっているのだ。いかなWIREDでも、そうそう甘く考えてはならない。

 それと、この雑誌は、どちらかというとGoogleとかマイクロソフト寄りの記事が多く、日本のiPhone風潮やMac派一辺倒で書かれている記事を好む層には受け容れがたいだろう。逆に、アンチMac派やアンドロイド派には受けるのではないないだろうか。

 さて、この雑誌の存在に気づいた私は、来年から定期刊行物になるというタイミングにおいて、この雑誌の愛読者になるだろうか。それはとても微妙なところである。本当は私も愛読者になりたいのだ。

 若者雑誌にならないでほしい。かつては若者文化の旗手などとおだてられたグループの一員としてはおこがましいかぎりではあるが・・・。世の中、若者ばかりでできているわけではない。この長寿社会。まだまだ目の黒いうちには、若いモンには負けないぞ、と自負する、爺さん婆さんもいることを忘れないでほしいw。

 そしてまた、爺さん婆さんだからこそ理解できる智恵も技術もあるはずである。その辺のことを加味して、決してユースカルチャーに流れず、アメリカンポップに堕さず、じっくりと、日本の「釘付け」を掘り起こしてほしい。ひとりの爺さんはそう願っておりますぞ。

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「スピノザとわたしたち」 アントニオ・ネグリ <4>

<3>からつづく


「スピノザとわたしたち」 <3>
アントニオ・ネグリ/信友建志 2011/11 水声社 単行本 217p
★★★★☆

 あっと言う間に二週間が過ぎた。ネグリのなかでは読みやすい本ではあるが、そうそう簡単に速読という訳にはいかない。本当は延長したいところだが、司書さんが隣の県から借りだしてくれた一冊である。きょう、返却しなければいけない。

 今後私がネグリ&ハートを読む進めるとしたら、三冊を並べて読み進めるといいかもしれない。
1)「スピノザとわたしたち」
2)「叛逆」
3)「ネグリ、日本と向き合う」

 私の範疇によれば、「スピノザ」は、ネグリのマルチチュード革命のドグマティストであり、原理原則である。そして、アジテーターとしてネグリが登場し、「叛逆」を称揚する。それに呼応して各地で「ネグリ、日本と向き合う」のようなオルグナイザー達が登場する。

 ネグリ&ハートのマルチチュード革命は面白い。ある種の理想である。これが現実となり、未来永劫に渡って、平和な理想郷ができればいいと思う。しかしながら、それは理想なのであって、現実性がない、という意味では、トリウム原発炉と、どっこいどっこいなのではないか。

 夢を語り合うことは良いことだ。理想を求めるのも良いことだ。真理を求め、善きことを行ない、美しく生きようとするのは、すべからく人間の生きる道である。そうありたい、そう願いたい、そう祈る。それはそれで素晴らしいことだし、その事に瑕疵はない。

 しかるに、存在は、生きる人間にある限定を突きつけてくる。少なくとも、空間的なこと、そして、時間的なこと。与えられた空間と時間のなかで、ひとりひとりの人間はどう生きるのか。ネグリが、ハートが、自ら与えられたそれらの条件のなかで、ひとつのスピノザ論を提出し、マルチチュードの戦術を編み出し、世界各地の勃興に夢見ることに、ひとつの必然性はある。

 さて、そこからどれほどの波及力があるかは、存在のみ知ることである。一時、鬱になっていたというネグリを、呼び覚まし、支えたドゥルーズの死が、ネグリをして、鬱勃たる魂として燃えさせているのは、それはそれで、良いことだ。美しいし、一つの真理を突きつける。

 はてさて、それを一読書子として受け止める、こちらんはこちらの空間と時間がある。その「限界」のなかで、どのように呼応するのかは、こちらのリアリティが決めることであろう。与えられた空間条件、残された時間的条件のなかで、物事はどのように進行するであろうか。

 自らの意志で呼び寄せることができるものと、決して一生命体として踏み入れることができない神秘な世界は確かにある。人間界のことは人間たちが、自ら考え、自ら行ない、自ら作り続ける必要がある。だが、それが全てではない。

 ネグリ、面白い。この三冊に加えて、「芸術とマルチチュード」(2007/05 月曜社)あたりを参考にしながら、またネグリ&ハートの、マルチチュード・ワールドを散歩するチャンスを与えられることを、願う。

 いずれ、再開

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ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <6>

<5>よりつづく

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<6>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

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<7>につづく

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2015/12/09

「わが市民農園」<47>サトイモの一生

<46>からつづく

わが市民農園 (市民農園体験記・改題)

<47>サトイモの一生

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<48>につづく

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2015/12/06

「原発安全革命」 古川和男 <1>

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「原発安全革命」 <1>
古川 和男(著) 2011/05 文藝春秋 単行本 247ページ 
No.3623★★☆☆☆

 この本も、3・11の直後に、フクシマの事故を受けて、かつて出た本を焼き直して緊急出版したもの。もともとは2001/08にでている。そもそも、その10年間で「実用化」出来なかったのはなぜなのだろうか。あわててまた出してきても、成功する可能性はどれだけあるのだろうか。

 安全、とはいうものの、ナニを持って安全という単語を使うのだろうか。トリウム原子炉が安全というなら、今度は電力会社の地下にでもその発電所をつくるのだろうか。プルトニウムを生み出さないから安全だ、などと言ったところで、すでにプルトニウムは人類を破滅させて、地球を破滅させるほど十分に作られてしまっている。

 正直言って、技術的なこと言われても、私には理解不能。テレビを作ることはできないが、コントローラの操作はできる。その程度だ。パソコンをCPUレベルから作ることはできないが、キーボードは叩くことができる。その程度だ。

 電力と言われても、自転車の発電機を水車で回すんだな、火力で回すんだな、程度であって、そのメカニズムなど理解しようとしていないし、専門家以外の人間は、そんなこと勉強しなくてもいいだろう。分かっている人たちが、積極的に開発すればいいことだと思う。

 私は発電においては、太陽光発電が一番分かりやすい。「安全」だから、自宅の屋根に載せている。自家消費としては、絶対量としては足りている。電力行政の仕組みで、売ったり買ったりしているが、発電量は足りている。目の前でわかるシステムなので、これが一番いい。

 電力全体の40%が民生用らしい。あの60%は産業用などである。だから、家庭で消費している電力だけを太陽光で発電すればいいとは思わない。道路にでれば信号機の電力も必要だろうし、コンビニの照明も必要だろう。時にはデパートのエアコンの恩恵にも預かっているはずだ。

 だから、我が家なら、現在の3倍の発電量を作ってこそ、一応社会全体での一家分の負担ということになろう。もしそれが本当に必要だったら、それをやりたいと思う。つまり現在の3倍のパネルを上げればいいわけだ。ないしは三分の一の電力で暮らせばいいのだ。

 しかし、子供や孫が独立してアパート暮らしになれば、自分の部屋のベランダで発電とばかりもいかないだろう。日当たりの悪い立地もあるだろうし、引っ越しの度にパネルを持ち歩くのも大変だ。でも、やろうと思えば、やれるはず。

 なにはともあれ、小出裕章氏のトリウムについてのインタビューの中から、当ブログなりのチェック点を作っておく。

1)トリウム原発軽水炉よりもはるかに技術的なハードルが高く、メリットは何1つない?

2)60年代にこんなものは、モノにならないということで、あきらめられたものなのか?

3)自然界にあるもので、核分裂する性質を持っている物質は、ウラン235しか無いのか?

4)ウラン235だけではエネルギー資源にならない。もう核分裂はしないウランの238という物質をプルトニウム239にしてなんとかエネルギー資源にしようとして、今日までずうっと格闘してきた?

5)高速増殖炉というようなものを何とか作ろうとしたのだが、全て、出来なかった?

6)トリウムというのは、もともと核分裂しない?

7)トリウム232番という物質をウランの233番というものに変えた上で、それを核分裂させようというのが現在言われているトリウム炉、というものなの?

8)もともとウランをプルトニウムにかえてやろうというその計画すらができなかった…し、核分裂するウラン235を利用するということすらが、今、頓挫しようとしているわけ?

9)トリウムをウラン233に変えてやろうなんていうことは、もともと、遥か先、というか技術的にはもう夢のようなことで、可能性がない?

10)トリウム232も放射性物質であり、なおかつ核分裂をするという性質を持ったウラン233に変えて、エネルギー源にしようという計画で、放射性廃棄物も出てきて、全く同じことになる?

11)原子力をこれまで進めてきた人たちが、なんとか生き延びるための方便で今言っているだけ?

12)トリウム原発は、世界で動いているものは1つもない? 2013/10現在、あるいは今も?

13)インドがトリウムを使いたいと研究をしているが、1つとして実用化してない?

 これでもチェック点が多すぎて、分からなくなるが、さらに絞って、4)、7)、9)、10)あたりの理論的、技術的ポイントに搾って、関連の本を読んでいこうと思う。理解できるかどうか、定かではないが・・・・。

つづく

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2015/12/05

「平和のエネルギー―トリウム原子力」 ガンダムは“トリウム”の夢を見るか? 亀井敬史

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「平和のエネルギー―トリウム原子力」 ガンダムは“トリウム”の夢を見るか?
亀井敬史(著) 2010/09 単行本 雅粒社; A5版 ソフトカバー 88ページ
No.3623★★★☆☆

 2010/09の発行、3・11の半年前の出版である。そして本書には続刊として「Ⅱ」があり、2011/11に出版されている。続けて読みたかったが、今のところ近場の図書館には入っていない。おそらく改訂されて、よりトリウム原子炉に期待を集めたい内容になっていることだろう。

 3・11前の私がこの小冊子を読んだなら、ふーん、そうなのか、それなら安心だな、と思ったに違いない。いや3・11から4年半以上経過した時点でも、へぇー、こういう技術があるのかぁ~と期待したに違いない。それが3・11前の本であったとしても。

 しかし、小出裕章氏のコメントを知ったあとでは、ことはそう簡単ではないぞ、と眉に唾をつける。

小出「トリウムなんてものをウラン233に変えてやろうなんていうことは、もともと、遥か先、というか技術的にはもう夢のようなこと、でしか、可能性がありません」

千葉「はあ…、あの、もともと放射性物質じゃないものを放射性物質に変えて発電をしようということなんですか?」

小出「え…もともとウラ…トリウムの232も放射性物質なんですけれども」

千葉「そうですか」

小出「はい。それを、放射性物質であり、なおかつ核分裂をするという性質を持ったウラン233に変えて、エネルギー源にしようという、そういう計画です」

千葉「ふーん。もちろんこれ、あの、放射性廃棄物も出て…」

小出「はい」

千葉「くるし、」

小出「全く同じことになります」

千葉「はあ……。じゃ、本当になにか新しいことをやるとか、あの…画期的なう…その新技術というわけでは、ぜんっぜんないわけですね」

小出「(苦笑)はい。全然ありません。ただまあ原子力をこれまで進めてきてしま、した人たちが、なんとか生き延びるための方便で今言っているだけだと私には見えます」

千葉「あの、このトリウム原発っていうのは、世界のどこかで、例えば、動いていたりとか。そういったことっていうのはないんですか」

小出「1つもありません」

千葉「1つもないんですか!」

小出「はい」

 現実は厳しい。

 ネットで検索してみると、原子力委員会というところの「トリウム溶融塩炉の開発の現状について」2013-5-9 というPDFファイルが見つかった。日本の取り組みのほかに、アメリカ、中国、フランス、韓国、インド、チェコ、欧州などの状況に触れている。

 あまり真面目に見る気もないし、読解力もないのでしかたないが、可能性がある、検討している、研究している、というレポートはあっても、すでに成功し、実用化しているという報告はない。

 世の中に、このような本が流布されていて、疑心ももたずに読んだら、ふーん、なるほどな、と思うに違いない。だから、私の、あの古い友人があのような意見を言うとしても、不思議ではないのだ。確かめようもないし、夢を持つのは、それぞれの自由だから。

小出「え…インドが、ウランを使う原子力はダメなので、なんとかトリウムを使いたいということで、研究をしていることは本当です。ただ、今聞いていただいたように、1つとして実用化していません」

 だがしかし、現実を直視しないとなぁ。

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「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 リチャード・マーティン<3>

<2>からつづく 

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「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 <3>
リチャード・マーティン(著), 野島佳子(翻訳)  2013/10 朝日選書 単行本 424ページ
★★☆☆☆

 この本を読むきっかけとなったのは、古くて身近な友人と談笑していて、彼は原発関連施設の工事にも携わり、また、決して脱原発派ではない、ということに、驚いたからである。よもやま話のなかで、私の印象に残った彼の論旨はこうだ。

1)人類の電力をまかなうには原発は不可欠だ。

2)人類は、どんな困難も技術的に乗り越えていく。

3)核分裂の原発ではなく、核融合の原発の時代になれば、事故もなく被害もなくなる。

4)日本の現在の原発ではなく、ソ連(ロシア?)型の原発がそれである。

5)いずれ人類は宇宙に飛び出すのだし、それには原発しかエネルギー源はない。

 そして、あるキーワードを言って、あとからこれを検索して研究してみたらいいよ、と言い残した。私はメモしたのだが、そのメモをどこかに失ってしまった。

 上の論旨からすると、まず彼が言ったのは「トリウム」というキーワードであったと断定して間違いないだろう。さて・・・

1)原発は不可欠だ、という断定は、早急にすぎるだろう。すくなくとも原発に着手していない地域や国も多くあり、また中止し断念した国も多くある。原発以外のエネルギーを模索することは、絶対に必要だと思うし、原発は全廃すべきである、と私は考えている。

2)人類は、解決できる問題は解決してきたが、解決できない問題は解決できないできたと思う。その一つが原発問題だ。そう思う。

3)核融合というキーワードでいえば、それはトリウム原子炉のことであろう。

4)ソ連(ロシア)型と言い習わすのはどうかとは思うが、その歴史から見て、まぁ、そういう意味合いで語りあうことも分かりやすいだろう。

5)私は宇宙に飛び出さなくてもいいと思うし、少数の人間がほぼ無限の宇宙空間を飛行する際には放射線被害も少ないかもしれないが、地上における人類密集地帯で、その運用をこれからもし続けていくことは、おそらく不可能だ、と私は断定する。

 さて、この本だが、結局は、途中から駆け足で斜め読みで終わってしまった。

 安全でクリーン、実質上無尽蔵であるトリウム原子力の技術が発達すれば、アメリカにとって、中国との貿易不均等を是正するのに役立つかもしれない。 

 トリウム原子力を用いて、価格を抑えた電力や淡水化処理した水を供給すれば、「アラブの春」以降の中東経済がいまなお直面している困難をいくぶんか取り除けるかもしれない。

 関連した雇用を生んで技術革新のうねりを呼び起こし、電力価格を大幅に引き下げることで、権利を奪われる一方のアラブの若者たち何百人に機会を希望を与えながら、経済を持続可能な道すじに戻すことができるかもしれない。

 アメリカにとっては、トリウムは党派に偏ったものではなく、共和党でも民主党でも後押しできるエネルギーである。

 クリーンで安価な電力が供給されることで、輸入した石油に過度に依存するようなことから脱却できるかもしれない、などなど。p11 「はしがき」

 うーん、これはいいなぁ、みんなのエネルギー、ネグリ&ハートのいうところの「コモンウェルネス」にさえ、なるのではないか。

 と、最初は期待した。しかし、本書を読む限り、それは小出裕章氏いうところの「全くバカげたことです」の一言で一喝されてしまいそうな内容だった。

 私は、上でメモした古い友人との会話の続きとして、それは「全くバカげたこと」だ、と断定はできない。それだけ研究したこともなければ、理解力もない。根拠もなく、古い友人に向かって、吐き捨てるように言うことはできない。すくなくとも、私の夢のなかでは、そういうことがあってほしいかも、という期待はある。

 そしてまた、当ブログでとん挫してしまっているジェームス・ラブロックや、スチュアート・ブランドなどの読書も、本当は、「夢」や「希望」を持って再開したいのだ。もちろん、ある意味、私の古い友人とも、同じ方向を見て、明るく語りあいたい。

 しかし、この一冊を斜め読みする限り、その余裕は生まれなかった。可能性はある。希望はある。これからだ、という期待は残した。でも、最終的には、小出氏の断言がいちばん説得力がある。

 ビル・ゲイツや、インドや、中国、それらのトリウム原子炉に対する希望的態度は、すべて「虚妄」に帰すことになりそうだ。

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「三内丸山遺跡」特別史跡指定10周年記念誌 青森県教育委員会

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「三内丸山遺跡」特別史跡指定10周年記念誌
青森県教育委員会, 2011/03 記念誌  78 ページ
No.3622★★★★☆

 奇しくも3・11のその月に出版された記念誌。三内丸山遺跡について、学術的に確認されているところを、一般にも分かりやすく、しかも沢山の画像を添付して説明してくれている。ダイジェストとしては極めて便利で分かりやすいが、予備知識がある人々にとっては、もっと深みが欲しくなるだろう。

 集落についてはおおよそ住居や墓などの各遺構の分布の様子は把握できましたが、より詳しい集落の変遷については不明な点も少なくありません。

 そして、集落が最初に作られた時の様子や終りの環境についても情報が十分とは言えません。

 どのような理由であの場所が選ばれ、なぜ集落が終わるのか、その答えも明確ではありません。 p63「未来へ」岡田康博

 岡田氏は、「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (2014/03 同成社)の著者で、「NHKスペシャル【アジア巨大遺跡第4集 縄文 奇跡の大集落】」 にも出演している、三内丸山遺跡発掘の第一人者と言われている方である。

 津波研究を基礎としている飯沼勇義史観にあっては、三内丸山遺跡の経緯は当然歴史津波と連携している、と見ることになる。特に中期における、周辺(より海岸に近い)の集落が減り、より三内丸山の大地が増大していったことに、津波が関係していると推測することは、可能であろう。

 5千年、一万年、というタイムスパンで語られる内容には、口をあんぐり開けて、ただただ聞きいるばかりだが、いずれ、それらをもうすこし細かに分けて、理解していきたいものだと願う。

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2015/12/04

「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 リチャード・マーティン<2>

<1>からつづく 

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「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 <2>
リチャード・マーティン(著), 野島佳子(翻訳)  2013/10 朝日選書 単行本 424ページ★★★☆☆

 まだ50頁ほどしか読んでいないのだが、いわゆるアメリカのハードカバー本のつくりになっており、サイエンスライターによる、ドキュメント風な物語になっている。基本はトリウム原子炉についての期待を表明していくことになるのだろう。類書を探してみるのだが、トリウム礼賛の本(特に日本語)は、今のところ、そう多くはないようだ。

 チラチラと「WIRED」誌について触れている部分がある。この雑誌については気になることが多いので、いずれまとめて探ってみようと思う。いずれにせよ、「ホール・アース・カタログ」からの流れを感じる雑誌ではある。

 さて、ことはトリウム原子炉ということだ、と分かったので、信頼すべき小出裕章氏は、何かこの点について語っていないかな、と検索してみたら、都合のよいものがあったのでお借りしておきます。。

 このインタビューは2012年8月頃の録音と思われる。思えばこちらの本も英語版は3・11後の発行ながら、英文原書は2012年なので、ほとんど同時にトリウム原子炉についての意見があった、ということは記憶しておくべきだ。

 この本を読んでいく上で、極めて重要な小出氏の発言だとおもうので、全文お借りします。これらは2012年当時の発言として、他にこれに類する発言や著書はないのだろうか。また、あれから3年以上経過して、なにか周辺で変化とか、なかったのだろうか。この当時のままなのだろうか。

千葉「はい…わかりました。それから次の質問になりますけれども。お…こんなニュースが入ってます。静岡県知事が、トリウム原発という新しい型の原発に関心を示して、どうやら中部電力が研究を始めているという報道があるんですけれども。お…このトリウム原発っていうのは、プルトニウムを作り出すことがなくて、安全性が高いというふうに伝えられてる…報道もあるんですけれども…」

小出「はい。」

千葉「これ、本当ですか?」

小出「全くバカげたことです」

千葉「はい…」

小出「はい。あの…意味がありません。え…もともと、原子力発電というものがこんにちまで来る間には、長い淘汰の歴史があったわけで。その淘汰の過程を経て、軽水炉と呼ばれている、今日本で動いている原子炉が、ようやくにして勝ちのびてきた、のです。え…その軽水炉、すらが、もう経済性もなければ、危険性も大きいし、生み出してしまうゴミの始末もできないと、いうことで、米国も撤退を、1970年代の前半に始めていますし。ヨーロッパも70年代には原子力発電から撤退を始めているのです。もう原子力に夢がないなんてことはもう歴然とわかっていることだと私は思い、ます。」

千葉「…はい」

小出「え…その上で、トリウム原発というのは、今使っている軽水炉よりもはるかにまた技術的なハードルが高い、ものですし。メリットとい、言えるほどのメリットも何1つないと私は言っていいと思います。」

千葉「はああ……。あの…トリウム原発自体は、新しく、できた技術というわけではなくて、」

小出「ありません」

千葉「もう、だいぶ古い」

小出「そうです、もう60年代に何とかやろうとして、研究を始めたのですけれども。こんなものには、モノにならないということでとっくの昔にあきらめられたものなのです。」

千葉「あっ、それをまた、研究し直そうという話なんですか」

小出「そうです。はい。」

千葉「藤田さんいかがですか」

藤田「んー、ちょっとあんまり現実性がなさそうですよね」

小出「はい。まあもっともあのビル・ゲイツという人がですね」

藤田「ええ」

小出「去年だったでしょうか。え…自分の金をはたいてでもやるとかいう旗を上げたりしているわけですけれども」

藤田「はい」

小出「少なくとも、テクニカルな意味で言うならば、これまでの歴史をしっかりと見て欲しいと私は思いますし」

藤田「うーん」

小出「全く実現の見…も、見込みは無いと、私は断言したいと思います」

藤田「なるほど(苦笑)」

千葉「はあ……。あのー、トリウム原発、というものはですね、具体的にはどういったところがやっぱり難しい点として挙げられるんですか」

小出「え…この、自然界にあるもので、核分裂をする性質を持っている物質というのは、ウラン235しか無いのです。」

千葉「はい」

小出「え…それを何とか利用しようとしてここまで来たわけですけれども。それすらが、もうできない、というところに直面しているのですね」

千葉「はい」

小出「で…う…この直面する前に、ウラン235だけではエネルギー資源にならないので。もう核分裂はしない、ウランの238という物質をプルトニウム239にしてなんとかエネルギー資源にしようとして、今日までずうっと格闘して、きました。」

千葉「はい」

小出「原子力を推進したいという人たちですね。で…それで高速増殖炉というようなものを何とか作ろうとしたのですけれども。全て、出来なかったのです」

千葉「はい」

小出「で、トリウムというのは、もともと核分裂しないのです」

千葉「はい」

小出「はい。ですから、え…トリウムそのものを使えるわけではありませんし。トリウム232番という物質なのですが。それをウランの233番というものに変えた上で、それを核分裂させようというのが現在言われているトリウム炉、というものですけれども。もともとウランをプルトニウムにかえてやろうというその計画すらができなかった…し、核分裂するウラン235を利用するということすらが、今、頓挫しようとしているわけであって。」

千葉「ふうむ…」

小出「トリウムなんてものをウラン233に変えてやろうなんていうことは、もともと、遥か先、というか技術的にはもう夢のようなこと、でしか、可能性がありません」

千葉「はあ…、あの、もともと放射性物質じゃないものを放射性物質に変えて発電をしようということなんですか?」

小出「え…もともとウラ…トリウムの232も放射性物質なんですけれども」

千葉「そうですか」

小出「はい。それを、放射性物質であり、なおかつ核分裂をするという性質を持ったウラン233に変えて、エネルギー源にしようという、そういう計画です」

千葉「ふーん。もちろんこれ、あの、放射性廃棄物も出て…」

小出「はい」

千葉「くるし、」

小出「全く同じことになります」

千葉「はあ……。じゃ、本当になにか新しいことをやるとか、あの…画期的なう…その新技術というわけでは、ぜんっぜんないわけですね」

小出「(苦笑)はい。全然ありません。ただまあ原子力をこれまで進めてきてしま、した人たちが、なんとか生き延びるための方便で今言っているだけだと私には見えます」

千葉「あの、このトリウム原発っていうのは、世界のどこかで、例えば、動いていたりとか。そういったことっていうのはないんですか」

小出「1つもありません」

千葉「1つもないんですか!」

小出「はい」

千葉「えー…。あの、実用化に向けてですね、なにか、進めている国が日本の他にあるとかですね、」

小出「え…インドという国がですね、え…皆さんご存知だろうと思いますけれども。インドという国は、ウラン、の資源は殆ど無い、のです」

千葉「はい」

小出「そのかわりトリウムという資源、え…まあ232番という放射性物質である、それが大量に、インドという国内にあるということがわかっていまして。」

千葉「はい」

小出「え…インドが、ウランを使う原子力はダメなので、なんとかトリウムを使いたいということで、研究をしていることは本当です。ただ、今聞いていただいたように、1つとして実用化していません」

千葉「ふぅーーーん。わかりました」

小出「はい」

千葉「小出さんどうもありがとうございます」

小出「はい。ありがとうございました」

<3>につづく

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「伊具郡誌」伊具郡教育会 大正15(1926)年

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「伊具郡誌」 角田市の部
伊具郡教育会 1996/05 ヨークベニマル 単行本– 1987/6 (宮城県郷土誌叢刊)
No.3621★★★★☆

 参考になるかも、と取り寄せてみた一冊だったが、興味深い部分があったので、メモしておく。本書はそもそも大正15(1926)年に発行されたものだが、昭和47(1972)年、昭和62(1988)年、そして平成8(1996)年に復刻されたものである。

 私が参考にしたものは、商業店が角田市に出典するにあたり、地元への提供ということで復刻したもので、おそらく部分的に校正等はされているだろうが、史料や写真などは、初版当時のものが使われている、と思われる。

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 ここにある熱日高彦神社の写真などは、大正年間のもの思われ、非常に貴重な資料であろう。

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 横穴群なども、今はもはや存在していないかもしれない。下記に転写した部分は、当ブログとして、全部抜き書きしたい部分なのだが、長文でもあり、本書の趣きを覚えておきたいため、画像として貼り付けておく。

 熱日高彦神社についての記述など、実に参考になる。大正年間以前より、このような日高見国についての考察がされていたことに、極めて強い関心を持った。今後も、関連した研究がどのように展開しているのか、注視していきたいと思う。

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 角田郡山遺跡などについての記述もあり、貴重な資料と感じる。

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2015/12/03

「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 リチャード・マーティン <1>

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「トリウム原子炉の道」 世界の現況と開発秘史 <1>
リチャード・マーティン(著), 野島佳子(翻訳)  2013/10 朝日選書 単行本 424ページNo.3620★★★☆☆

 この本を開く前に、まずいくつかのことを整理しておかなくてはならない。

 私は脱原発派であり、周囲の人々、特にSNS繋がりなどではおおよそ100%脱原発派と考えていい。ところが、ここが曲者で、仮に原発推進派がいたとしたら、自然と意見が合わなくなり、つながりがいずれ切れてしまうことになるのである。

 したがって、私のネット社会は脱原発で決まりなのだが、3・11以前というよりも、人生の沢山の局面において作り上げてきた人間関係では、かならずしも脱原発派ばかりではない、ということをうすうす気づいているのである。

 家族、親戚、古い友人、仕事関係、お客さん、町内会、さまざまな人間模様があり、SNSつながりのように、脱原発一色とはいかない。ましてや、脱原発でなければ付き合わない、絶交、なんてことはそうそう日常的にはできるわけではない。まずそのことを押えておかなければならい。

 もっと露骨に言えば、原発に永年働いている古い友人もいる。これまで原発の施設の建設に関わった友人もいれば、これから、六ヶ所村の原発施設のプロジェクトを担当しなければならない、という友人もいる。しかも、決して嫌々ではない。積極的な推進の意図を持って働こうとしている。

 私は、そのような人々をひとりひとり切り捨てて行くことも、可能でもあろうが、さて、そのことは一体、どういうことなのだろうか、と疑問になることもある。ある友人によれば、核分裂原子炉では放射線がでるが、核融合原発になれば、危険ではなくなる。ましてこれからの人類の人口増加や、宇宙への進出を考えれば、各技術は必要不可欠だ、と言う。

 私は、根っからのアバウト人間なので、科学的にどうのこうの言われると、分からなくなることがある。ましてや核技術のことなど、専門家に任せておけばいいわけだし、聞いても判断しかねる。信頼すべき人に聞けばいいわけである。

 そういう意味においては、私は核技術に関しては小出裕章氏の考え方に最も依拠しているし、それ以上の信頼できる技術者は知らない。ところで、彼は、あるところで、質問を受ける形で、「新しい原発とか、小型で安全な原発は不可能だと思います。可能だと思う人は、そのような研究をしてください」という発言をしていたと思う。

 それは「福島原発事故  原発を今後どうすべきか」 (2012/04 河合ブックレット)のなかで、予備校生の質問に答えたのだと記憶していたが、どうも私はメモし忘れたみたいである。あるいは記憶違いか誤解であるかもしれない。これは、要確認である。いずれにせよ、私の気分は、核は絶対反対、という意見に賛成である。

 そして、「ガイア理論」のラブロックはこう言う。

14)わたし自身は、無条件の原発支持者ではまったくない。よく簡便軽量な核融合が発明されるという悪夢にうなされるくらいだ。それは電話帳ぐらいの大きさの小さな箱で、表面に普通の家庭用電気ソケットが四つついている。

 その箱は取り入れた空気中の水分から水素を抽出し、それを燃料に最大百キロワットの出力が可能なミニ核融合を起こす。それは安く、信頼性があり、日本製で、世界のどこでも手にはいる。完璧、クリーン、安全と三拍子そろったエネルギー源で、核廃棄物も放射能もまったく出さす、危険な故障もけっして起こさない。ジェ-ムズ・ラヴロック「ガイアの時代」p281 「第七章 ガイアと現代環境」

 いろいろな背景から考えると、実に噴飯物の発言だと、当ブログは切り捨ててきているわけではあるが、さて、「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランド「地球の論点」現実的な環境主義者のマニフェスト(2011/06 英治出版)では、自身が脱原発派から、原発容認派に転向したようなことを語っている。

 当ブログは、この時点で、その議論から降りてしまったのだが、どうも気になってしかたない。最近読んだアントニオ・ネグリにおける「原子力国家」という考え方にも納得するところがある。

 さて、すでに起きてしまった事故の処理は必要だし、欠陥のある原発は稼働させていけないのは当然であるが、いくつかの条件が重なった場合、私の現在のこの考え方で正しいのかどうか、自分でも再点検する必要を感じる。

1、放射線被害のない原発は開発可能なのか?

2、核兵器を生み出さない原発は可能なのか?

3、原発以外に電気を効率よく生み出す方法はないのか?

4、虚心坦懐に地球温暖化に向かった場合、ほかの解決策はないのか?

5、ウランとトリウムで、そんなに違うのか?

6、今からでも間に合うのか?

 その他、いろいろあるが、まずは、この本を読む前に、助走として以上メモしておく。ないし、以上のような問題意識、考え方の変転から、とりあえず、この本を読むことになった、ということをメモしておく。

<2>につづく

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「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (日本の遺跡) 岡田康博

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「三内丸山遺跡」 復元された縄文大集落 (日本の遺跡)
岡田 康博(著)単行本– 2014/03 同成社 単行本: 170ページ
No.3619

 2014年発行の本だけに、少なくとも三内丸山遺跡に関しての、最新の信頼できるデータと言っていいだろう。今回、SNS繋がりで、「NHKスペシャル【アジア巨大遺跡第4集 縄文 奇跡の大集落】」 (2015/11/08)という番組が放送されたことを知った。見逃したその番組をこうしてネットで見ることができる時代に私は感謝する。再生(いつまで視聴できるか不明だが。約50分、長時間注意)

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 3・11直後、被災地に向かう際、実はこの三内丸山遺跡の近くを通った。すぐ近くまできたのだから立ち寄ることもできたのだが、次の機会にしようとしたのが、間違いだったのかも知れない。あれからアッと言う間に4年半が経過し、再訪のチャンスが来ないままである。

 最近また三内丸山に心惹かれていたのは、あの飯沼勇義史観のなかに占める三内丸山遺跡の位置である。度肝を抜かれることの多い飯沼史観だが、彼はそのヒタカミ文明の初代をこの三内丸山遺跡に求めているのである。

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 すぐには鵜呑みにできない言説の連続ではあるが、その独自の手法から、3・11の津波を10数年前からほぼ精確に予告し警告していた飯沼氏の指摘については、当ブログとしては、一目もニ目もおいて、まずは教えを乞わなければならない。

 さて、興味津津の三内丸山の遺跡であるが、ズバリ興味の中心と言えば、縄文を象徴する土偶と、この遺跡を全国的に、世界的に有名にした巨大建造物であろう。この本は、全体的に抑え気味に、静かに語られている本で、実に誠実な印象がある。

 土偶が何のために作られ、使われたのか、その用途や機能については多くの説がある。玩具(おもちゃ)説、護符(お守り)説、装飾品説、呪物説、神像説などさまざまである。一時は壊れた状態で見つかる土偶があまりにも多いことから、病気やけがの部分と同じ箇所を壊すことによって、苦痛を取り除く身代わり説も有力であった。

 遺跡での出土状況を見ると、まつりや祭祀に関係したものである可能性は高く、漆や赤色顔料を塗ったものがあることから、日常の生活用品、実用品ではなく、特別な場合に使われるものであることは明らかであろう。

 三内丸山遺跡では盛土から、装身具、小型土器などとともに見つかる場合が大半であり、ムラ全体で行なわれる、共同のまつりや儀式に使われるもので、個人的なものとは考えにくい。

 写実的なもの以外に抽象的な表現のものも多数あるが、すべてが女性を表したものである。なにかは妊娠した状態を示す、お腹の膨れたものもある。それらを見ると子孫の繁栄、豊穣などを祈念する際に使われたとする説は魅力的である。

 広く母性を象徴するもので、地母神信仰と関係する、もしくはグランドマザーを具象化したものなのかもしれない。

 役目を終えた土偶は細かく壊され、盛土に埋められた。数千年後、ふたたび掘り出された土偶は、当時の姿や形を復元することはできても、その使い方や機能、目的まで再現するこおとは非常に困難である。p63「土偶」

 実は二年ほど前に、この縄文土偶の質感とはどれほどのものか、粘土ではないが、木で作ってみようとしたことがある。制作途中でまだまだ手付かずだが、作り始めて直感したのは、大きさ的には丁度、新生児と同じくらいだな、ということだった。(モデルは宮城県大崎市出土、国立博物館所蔵の土偶)

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 丁度その頃、三人目の孫が生まれ、病院で、生まれた直後の顔を見た時に、縄文土偶の目を連想した。

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 こちらは25年ほど前に「奥松島縄文村歴史資料館」の売店で求めた土産物。25センチほどで、正確なものではないが、遮光器土偶と言われるその目はどこか似ていないだろうか。

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 土偶にもいろいろあり、このような立像ばかりではなく、板状のものも多数あるということだが、その性質は女性を形取ったものとされる。その根拠はまだ定かではないが、ほぼ断定的に語られている。

 さて、飯沼史観において、この土偶は、アラハバキ神と見られていて、アラハバキは、男神のアラと、女神のハバキが合体したものだとされている。その証拠とまではいかないが、宮城県大崎市のアラハバキのご神体は、一対の像になっていた。

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 ところが、宮城県多賀城アラハバキには、詳細は不明なれど、男根(リンガ)像の寄進も複数みられる。

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 また、宮城県角田市鎮座の熱日高彦神社境内においては、陰陽混交神とも思われる拝殿もあった(最近参拝した時は、見つけることができなかった)。

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 三内丸山遺跡は、厚く積み上げられた年代層があり、この本はとくに縄文時代に特化して書かれているということだが、それでも、縄文時代とは言え、一万年に及ぶ長い期間である。その年代の経過においても、さまざまな歴史があったことだろう。

 さて、土偶ともうひとつの関心ごと、巨大建造物についてはどうだろう。

 各地の縄文遺跡から掘立柱建物跡の検出例が多くみられるようになり、縄文時代にも一般的な構造物として理解されるようになるとともに、多様な目的や用途を持っていたと考えられ、太い木柱だけに注目し特別な意味づけを与えることは慎重にならなければならない。

 関連して冬至の際に太陽が六本柱の延長線上、ちょうど本柱の間に沈むことが指摘されているが正確に言うと、大型掘立柱建物と太陽とが交差し、本柱の間に見る(通過する)ことができるのであり沈むのではない。夏至の際には主軸の延長線上より南側から太陽が昇る(図62)。

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 したがって、現在のところ、二至二分など太陽との関係を積極的に見出すことはできない。そもそも地軸が傾いており、縄文時代と現代では太陽の日の出、日の入りの地点が同じではないことについても注意する必要がある。また、西側には津軽地方で最も高い岩木山があり、それとの関係も考える必要がある。

 現在のところ三内丸山遺跡では大型掘立柱建物が20棟近く見つかっており、すべて同じ軸方向ではない。もちろん同時に建っていたのではなく、おそらくは一時期一棟程度と考えられる。このことはそれぞれが他の施設と関連してその位置や方向性が決められていたことを示している。p94「大型記念物」

 仙台郡山遺跡についても、その西に存在する太白山や神室岳(かむろだけ)の位置関係が云々されるが、状況はそれであったとしても、明確な証左とはなっていない。早とちりは禁物だし、ましてや、千年単位と、万年単位の遺跡間における整合性を、一気に関連付けることは無理である。

 しかしながら、多賀城アラハバキの参道は西から東へつづき、大崎岩出山アラハバキの参道が東から西へと延びて、角田熱日高彦神社の参道はかつて西から東に延びていた(今は痕跡のみ)ということを考える時、縄文時代にとって、この日の道が大きな意味を持っていたことは間違いない。

 ましてや飯沼史観におけるヒタカミ文明が、日を高く見る、という象徴性を持っている以上、この三内丸山にも、そのようなはっきりした痕跡を見てみたいものである。初代ヒタカミ、ここにあり、と宣言できる何かが見つかるのか。おっとり刀の探検はつづく。

つづく

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2015/12/01

「スピノザとわたしたち」 アントニオ・ネグリ <3>

<2>からつづく


「スピノザとわたしたち」 <3>
アントニオ・ネグリ/信友建志 2011/11 水声社 単行本 217p
★★★★☆

 この本は分かりやすかった。最初この本に出会った時、私は、本屋の椅子に座って、立ち読みで終りにしようとさえした。それは、難解だから読むのが面倒、というより、この本ならなんとか読めそうだな、という直観だった。

 この本なら、すぐ図書館に入るだろうと、最近まで待っていたのだが、いつになっても入ってこない。最寄りの図書館ばかりか、手の届く県内の図書館すべてが蔵書していない。しかたなくリクエストしたら、司書さんが、隣の県の県立図書館から借りてくれたのである。

 この本が読みやすいのは、いくつかの理由がある。そもそもが講演の話し言葉が基本になっていて、ですます調で書かれていること(笑) ネグリがイタリア語で話したものがフランス語で出版され、その年代が2010年と、割と新しいこと。

 そして、一番はネグリがスピノザに触れたところを中心的にまとめられているところであろう。ネグリにとって、スピノザがキモであるかぎり、こうしてまとめてネグリ的「スピノザ」理解を把握しておくことは極めて重要だ。

 そして、この本は薄い(爆笑) 余計な歴史的事件や年代などが描かれていない。固有名詞も少ない。敢えていえば、哲学者や思想家の名前はでてくるが、初出のものは少なく、これまで、少なくとも名前にだけは触れている人物がほとんどで、いずれ読もうと思っていた哲学者や思想家がほとんどである。

 用語も、理解していないものが半分以上もあるが、であったとしても、拒絶反応を示すような食しがたいものではなく、食わず嫌いをなおそうかな、と思える程度の用語だけが使われている。これなら、なんとなく、読み進めそうだ、と思ってしまう。

 この本、転記したいところが、いろいろある。面白いよ。あれとこれと、こちらとアチラを比較すれば、こういうことになるよね、なんてことが、いろいろでてくる。だが、いずれ、この本を精読するタイミングがくるだろう。その時のためにとっておこう。

 私は哲学の徒でもなければ、ネグリの弟子でも配下でもない。むしろ、ネグリを批判的に読みこもうとしている、非力な一読書子でしかない。そんな私がネグリにひっかかり続けていることに、私自身、不思議に思っているのだが、事実がそうなのだから仕方ない。

 私はOshoの弟子であり、配下である(爆) 明らかにネグリやスピノザとは矛盾する世界観を受け容れている人物である。しかるに、Oshoの本を読み続けることも、ある意味飽きが来る。同じことを読まされるし、ある地点から量子的飛躍をとげてしまう人物に、毎回振り回されるのも、おいおい、いい加減にしてよ、と、なる時もあるわけである。

 そんな時、ネグリを突破口にして、「哲学」の世界に遊ぶのは面白い。まったく白黒決着のついた世界観同士なれど、その対比が面白い。図地反転して、別々の世界観なれど、なぜか、ピタッと、一枚の絵に収まるような、不思議な世界観である。ソリッドな境界線を、見事に共有している。これって、別世界とか、矛盾とは言わないのではないか。

115

 あるいは、無限の空間を測るにおいて、絶対に精確に計測できないこと承知で、近似値を生み出そうとする「努力」。神秘を理性で分かろうとする「努力」。翻ってみれば、「無限」などとひとくちに片づけてしまわないで、「無限」とは、いかに無限なのかを、証明しようとする無謀さ。

 端的に言えば、私の世界においてはOshoVSネグリは、そのような構造になりつつある。Oshoと言いきってしまってはならない。ブッタやマハビーラ、老子やツラトウストラ、その他、Oshoがわが身に引き寄せて語る存在の一連の流れに対する、ネグリがスピノザに言寄せて証明しようとする世界観。この拮抗感が、ビビッドで、何事かの、感動を覚える。

<4>につづく

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「わがボタニカルライフ」<22> キミ、盆栽はいいよぉ~

<21>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<22> キミ、盆栽はいいよぉ~

Bs001

「このインコは小父さんが彫ったんですか?」

「いやいや、ホームセンターから買ってきたものだよ。ほら、そこがゴミ集積所になってるだろ。いつもいつもカラスが群れをなしてやってくるんだよ。カラスは原色が嫌いだ、って聞いてね。これをおいたら、たしかに来なくなったね」

Bs006

「はぁ、小父さんの、この盆栽の庭がカラスの休憩所になっていたりしたんですか。しかし、それにしても、すばらしい盆栽ですね」

「20代の頃からやってるからね。全部古いよ。これなんか挿し木して50年モノだよ。いま77歳だがね、若い時は工具製造の会社をやったりしていたから、結構歩いてね。本田総一郎とか、東芝の誰とか、若い時分に努力している姿を知ってるよ。その頃からの盆栽だからね。それでいろいろな人からもらったりあげたりしているんだよ」

Bs010

「いやはや、ここは人生道場ですね」

「そうだよぉ。大きい話をするようだがね、県北のトヨタの工場も、私が言ったから来たようなもんだ」

Bs007

「最近、テレビで植物男子という番組を見て、盆栽はなかなかおもしろそうだなぁ、と思ってたんですが」

「キミ、盆栽はいいよぉ~」(と、植物男子ベランダーの茂木梅吉のようなことを言う)

Bs002

「何が一番いいですか?」

「生きてるからね。会話するんだ。ここを伸ばして欲しいとか、水が欲しいとか、植えかえてくれ、とかね」

Bs004

「盆栽の水やりが大変で、町内会の旅行にも出かけられない、と、番組の小父さんはいってましたが・・・・」

「そこがいいんだよ。毎日毎日。それが楽しみなんだよ」

Bs003

「枯れたところもジンとか、なんとかいうんでしょ・・?」

「まぁいろいろあるがね。私は品評会とか出したりしないから。針金で曲げたりしないよ。伸びるように伸ばしてやるのさ。今年は秋風が吹かないね。だから、植物もおかしくなってる。春しか咲かない花が、秋に咲いたりしている。世の中おかしいなぁ。男同士が結婚したり、犯罪が増えたり。安倍晋三なんか、だめだな。あいつは唯物論者だ」

(玄関に、最近の県会議員候補者で落選した自民党候補者の連絡所の看板がドでかくあるが、知らん顔する)

Bs005

「あのね、松はダメだよ。間違って切ると、そこから次の枝は絶対でてこないからね。その点、サツキはいいよ。切ってもそこからまた枝がでてくるからね。修正がきく。こっちは根上げ、っていってね、これは根っこなんだよ。小さな鉢に入れておくだろ、そうすると、根っこが盛り上がってくるのさ、それを洗ってあげるんだよ」

「これ全部挿し木だよ。そこから大きくするんだ。コヤシは売ってるもので十分だよ。むしろ水やりだな。水が足らなくなる。冬でも水は必要だ。冬にやり過ぎても凍ったりはしないよ。葉水も必要だよ。葉っぱを洗ってあげるんだ。葉っぱも水を欲しがってるからね」

Bs008

「焼き物もずいぶんありますね」

「若い時分からつきあっている信楽焼の作家がいるからね。ほらこっちのカエルは背中に5匹の子供が乗ってるだろ。これで6匹で、ムカエル、っていうんだよ。こっちのミドリのカエルは注文してつくらせたんだがね。色を出すのが難しいらしい」

「いやいや本当に素晴らしいものがたくさんありますね。たんなる通りがかりで質問ばかりですみませんでした。また、そのうち通りかかったら、拝見いたします。ありがとうございました」

(あの小父さん、どことなく、カエルに似ていたな)

Bs009

<23>につづく

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