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2015/12/31

「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<1>

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発<1>
長瀬 隆(著) 2014/8  ゆにっとBOOKS 単行本  238ページ
No.3638★★★★☆

1)この本についてのこの記事、実はすでに書きかけてから2週間の間、放置してあった。とても重要な読書になるような気がするのだが、他の仕事が次々と起こり、ついぞ年内に読書は進まなかった。

2)書きかけの記事が終わらないまま新しい年になるのは、どうも気持ちがわるので、暫定的に、ここにメモしておく。読書もわずか25頁までである。

3)私は反原発派である。別段に3・11以降に目覚めたというわけではない。1972年当時、小出裕章氏らが編集していた機関紙と並列してリストアップされたことのあるミニコミを編集していた高校生時代から、自分は反権力・反原発派であると自認している。

4)さりとて「運動家」であるか、と問われると、そうではない、と答えるしかない。敢えていうなら、運動はしたことない。物事はかくあるべし、という確たる信念があるわけではないし、固定的な観念や、頑固な信条を持っているとも言い難い。

5)しかし、3・11後において、福一惨禍が収まらない東北日本の住人にして、しかも生後わずか数年の孫たちと一緒にくらす一地球人として、原発に無関心でいられる筈もなく、反対しない訳にもいかない。

6)反面、広く多くの人の言論も気になるし、自らの感性を補強してくれる論理も必要だし、反対意見にも、懐を開いて耳を傾けるようにもしている。固定的で、激情的、かつ攻撃的で、偏狭な意見は願い下げだが、すべてにおいて両論あってしかるべし、という態度は、わが人生の大前提である。

7)はてさて、ホール・アース・カタログの編集者、 スチュアート・ブランドの「地球の論点」 現実的な環境主義者のマニフェスト(2011/06 英治出版)などにおける、原発容認派の言説は実に困ったものだと、実は思っている。

8)思っているだけでなく、実はこのあたりで、ひとつ何かが止まってしまっていることを、ずっと感じている。当ブログとしては、この辺あたりを、よくも悪くも突破していかなければならない、とずっと思っている。

9)両論あってしかるべし、ではあるが、ここにおいて、原発は原発でも、仮に「トリウム原子炉」が「革命」を起こす可能性があるのかないのか。そこを見極めたいのである。そこを見極めるのに、図書館から借りてきた本だけで行なうというのは、実は無理がある。しかし、そのレベルでできてこそ、地球上のコモンレベルに降りてくるのではないだろうか。

10)難しい、専門的な判断は、専門家に任せればいい。しかし、そこに至るまでの、個人的な存在でさえも身につけておくべき一般教養は必要であろう。何も知らずに反ばかりと唱えるのもどうかと思うし、何も調べずに受容するのも、なんとも愚かしいと思う。

11)そんなこんなで、この本を読むことは、実は当ブログにおける大きな大きな曲がり角なのである。抱えたこの問題をごくごく短期で乗り切ろうとは思わない。じっくり腰を据えてやろう。そういう意味で、この本はこれからゆっくり読み始めるところなのである。

<2>につづく

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