石川裕人作、小畑次郎(他力舎)演出、TheatreGroup“OCT/PASS” 公演「翔人綺想」
「翔人綺想」
石川裕人作、小畑次郎(他力舎)演出、TheatreGroup“OCT/PASS” 2015/12/25~ 27石川裕人年表 石川裕人関連リスト
No.3636★★★★★
1)子供向けの芝居や、高齢者向けの芝居も手がけた石川裕人の作品ジャンルは広い。後期の作品は、どちらかというとストーリーのはっきりした、シロートの私などが見ていても筋書きが浮き立ってくるような作品が多かったと思う。
2)しかし、これは個人的な感想だが、彼の作品の初期においては、むしろストーリーがどうなっているのか分からないような、ストーリーをむしろ隠して、アトランダムな残像のなかから、全体像を浮き上がらせるような作品が多かったのではないだろうか。
3)一観客としての私の好みとしては、どちらも好きで、ストーリーがはっきりしているものは友人知人にも薦めやすく、落ち着いて観客席に座っていることができる。どちらかというとエンターテイメント系であり、縦軸の一般的な芝居や催し物に通じるところがある。
4)しかし、混沌とした、いわゆる初期のアングラ系に通じるものは、ある意味において、黙って観客席に座っていることは難しい。その芝居に巻き込まれ、ある種の居心地の悪さと、「共犯幻想」とも言える横軸関係に持ち込まれてしまう。
5)私から見た場合、この作品は後者であり、こちらの存在を切り崩しにかかってくる「攻撃的」な作品だ。実験的と言っていいのか、純文学的と言っていいのか。大道具や小道具、照明などに多くを頼らない、役者(芝居づくりにかかわる全ての人々)と観客の、ダイレクトな対面とも言える。
6)話は今から30年前の1985年、「翔人綺想」初演の年。劇団員と29歳の私は、32歳のニュートン(石川裕人氏のアダ名です)とよく酒を飲みながらバカ話に花を咲かせていた。小畑次郎「ニュートンのファンタジー」(公演のパンフレットより)
7)小畑次郎は、当時の劇団の主要なメンバーであり、今回の演出を担当した。もうすでに30年前の作品である。ある意味で、古き60年代、70年代のアングラ風景を受け継ぎながら、90年代以降現在に繋がってくるエンタメ系とのちょうど端境期にあったともいえるのではないだろうか。
8)今回は演出に劇団OBの小畑次郎氏を迎えて、2002年の“OCT/PASS”スタジオファイナル公演で上演された「翔人綺想」ではなく、30年前に上演された初演版の「翔人綺想」に挑戦します。公演のご案内より
9)ということは1985年以降、2002年にもこの作品が公演されたことになる。その違いやいかに、と脚本を求めたが、今回はまだ制作されていないようだった。台詞等から考えれば、当然1985年当時の台本そのものではないだろうが、どこまで当時の作品が「再演」されたのか、興味深いところである。
10)というより、これは1985年版、2002年版、そして2015年版と、別途の作品と考えた方がいいのだろう。なにせ、ニュートンが残した台本を、現在のスタッフが新たに読み返し、新たな命を吹き込んだということになろう。
11)作家としての石川裕人は、作品としてはむしろこちらの「アングラ系」が好きだったのではないだろうか。その言葉「アングラ・サーカス」の、サーカスの部分はそれほど活写されていないが、アングラ、という言葉に込められた作品の意図は、この「翔人綺想」からも十分受け取れる。
12)作品を残し、劇団員に受けつがれ、演出家としての後輩にも再演されて、ニュートンは、これら全体を、あちらの観客席で「エンターテイメント」として「観劇」していることだろう。
13)25日の初日を見た。
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