« 「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<3> | トップページ | 狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」 栗田信三 »

2016/01/05

バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>

<4>からつづく

Img37354bc1zik2zj
「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 
★★★★☆

1)この瞑想を始めるにあたり、私の場合、いくつかの準備が必要である。まず、CDを確かめる。最近まで、この4枚のうち、1枚が紛失していたのである。どこかから出てくるだろうとタカをくくっていたが、やはり、いつも使わないラジカセから出てきた。よかった、よかった。

10624657_1165764590102320_182880367

2)何べんも使ってはいるのだが、どうも断片的で、ひと連なりのものになっていない嫌いがある。これをiTuneに吸取り、自分のiPhoneのイヤフォンで瞑想に使っているのだが、どうもCD全体がひとまとまりとして録音されずに、トラックひとつひとつがバラバラに録音されている。

10357234_1165764713435641_5512602_3
3)だから、再生する時に、そのつど機械の操作が必要となり、なかなか瞑想が深まらない。あまり不用意に深まらないこともいいのだが(笑) とにかく、もうすこしなめらかにこのリード瞑想とやらに入っていきたいものだ。

Img078f813ezikezj
4)さて、「チベットの死者の書」となれば、1973年版千部限定版私家版で出たおおえまさのり翻訳版がおもいだされる。よく読んだわけではないが、記念碑的にこの書の持っている存在感は大きい。

Imgd7ddab6ezik3zj_2

5)この他、原典訳 チベットの死者の書」(川崎信定 1989/05 筑摩書房)や、ロバート・A.F.サーマンの「現代人のための『チベット死者の書』」(2007/5 朝日新聞社)などもちらついてくるが、ここはあまり気を散らしてはいけない。比較文献的な研究心より、瞑想そのものに入っていく準備が必要なのだ。

10670009_1165760603436052_3836408_2
6)そのイメージを借りつつ、今回は、CDのガイドの世界に入っていこう。その他、さまざまなヴァイブレーションを整えるために、とりあえずいくつかのバラバラだったグッズを揃えてみる。右左、上下、明かり、グリーン、思考錯誤しながら、気に入るようにすこしづつ変えて行ってみよう。

10639361_1165747286770717_861364642
7)そうそう、そう言えば、CDについていた「解説書」が、いつ頃からか、どこかに紛れてしまっている。そのうち出てくるだろうと、あちこち探してみたがでて来ない。いいや、いずれ家のなかにあることは確かなのだ。

Imgce139550zik1zj_2
8)なんて、こちらもタカをくくっていたら、やはりひょっこりでてきた。なんだ、机の脇のBoxのなかに入っていたのだ。やっぱりな。

Img_2521_1

9)そして、よくよく見ると、参考文献なんてことも書いてある。
    OSHOの講話録
  ・「新瞑想法入門」
  ・「Oshoダルシャン4」
  ・「死と再生への旅--バルド」
   講話カセットテープ 日本語同時通訳版(58分)

Img_2523_2
10)「新瞑想法入門」にはいくつかのバージョンがあるようだが、中身は大差あるまい。手元にあるもので間に合うだろう。その他、あれば参考になるだろうが、なくても構わないだろう。612arcs9fl__sl500__2

11)さて、まずは1日目から7日目まで、進むわけだが、色の世界が象徴的に登場してくる。それに対して、おおえまさのり氏のなかの一説が役立つかもしれない。

Img032987fazikdzj

12)そのマントラの唱え方は「オーム・マ・ニ・ぺ・メ・フゥン」となり、この真言を唱えながら「マニ車」をまわすのです。
 これは「観世音菩薩」のマントラで、「オーム(宇宙の始原の声音とされ、日本では<おん>としてかならず真言の最初に入ってます)! 蓮の中に坐(ま)します宝珠に万歳!」という意味になります。
 それぞれに発光する色彩を持ち、「オーム」は白、「マ」は緑、「ニ」は黄、「ぺ」は青、「メ」は赤、「フゥン」は煙色で、それぞれに輪廻転生する六つの世界に対応しています。順番に「オーム」は天上界、「マ」阿修羅界、「ニ」人間界、「ぺ」畜生界、「メ」餓鬼界、「フゥン」地獄界となり、それぞれに対応する世界に再誕生する子宮の入口を閉じる力をもっているとされています。
 輪廻転生して生れてゆく六つの世界の入口を閉じてしまうのですから、もはや生まれるべき世界はなくなり、したがって死に際して、生の輪から抜け出して解脱し、生と滅を離れた永遠の状態を実現するほかにはないということになります。「『チベットの死者の書』99の謎」
 おおえまさのり 1994/2 二見書房

Unnamed
13)そして、そうそう、最近、とあるお寺さんの倉庫で、チベット産と思われる仏像が、ひょこっと置かれているのを拝見したのだった。 いくつかのことが、すこしづつ繋がっていくかな・・・?

<6>につづく

|

« 「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<3> | トップページ | 狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」 栗田信三 »

14)じゃこうねずみ」カテゴリの記事

コメント

シルバーストーンさん
貴重なコメントありがとうございます。
貴ブログも拝見したうえで、今後の当ブログに反映させていきたいと思います。m(__)m

投稿: Bhavesh | 2016/01/10 08:41

私は、ソギャルリンポチェの「チベット生と死の書」でチベット死者の書の内容を勉強しました。
バルドで仏様を観想したら仏様の浄土に生まれ変われる、とかいうのは、カルマの法則に反しており、人間がそれらしく作り上げた教えであるのは明らかです。
南無阿弥陀仏と唱えたら浄土に行ける、という発想と同じです。土地は変わっても、人間が考えることは同じだということです。
それから、マントラを唱えたらカルマが浄化される、功徳が積める、というのも同じです。功徳というのは、人のために役立つことをする、その行為に自動的についてくるものであるはずです。マントラを唱えて人の幸せの役に立ちますか?
「チベット生と死の書」では、ソギャルリンポチェはレイモンドムーディなどの臨死体験も調べた上、臨死体験談からも、チベット死者の書の内容は正しい、と主張しています。
しかし、レイモンドムーディの本を実際に読んでみると、光を見るとか幽体離脱をするとかいう部分は共通していても。かんじんの核心部分が死者の書と全く異なります、
ソギャルリンポチェは、「臨死体験者の証言に共通して見られる際立った特徴は、人を愛することと知識を得ることだけが、人生の真に重要な目的であると知らされることである。」と自分で書いているんですけどね。マントラを唱えること、行をすること、仏様を観想することは、人を愛することと全く関係がありません。
そして、臨死体験者は天国のような素晴らしい体験をしていた、生き返るのが嫌だった人ばかりだということ。これも、バルドが恐ろしい体験というのと異なります。
チベット死者の書は、南無阿弥陀仏と同様、死後なんとか救われたいと言う欲望にとらわれた人間が作り出した教えだというのは疑う余地はありません、

私自身も、この死者の書のうまい話を信じてしまった時期がありました。だからこそ忠告したいと思います。

投稿: シルバーストーン | 2016/01/08 18:13

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>:

« 「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<3> | トップページ | 狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」 栗田信三 »