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2016年1月の34件の記事

2016/01/31

「わが市民農園」<49>冬って何をする?

<48>からつづく

わが市民農園 (市民農園体験記・改題)

<49>冬って何をする?

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 今年は雪が降らないね、なんて言っていたのは、降るまでの話。降り始めれば、記録的な積雪が報道されている。

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 当地においては、決して積雪は多いとは言えないが、それでも、毎年これだけの雪が降っていたとすれば、この冬の間にできる作業とはなんだろう。

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 畑に残しておいた野菜も、枯れたり、しおれたり、発芽していなかったりする。農場に、作業する人もいない。

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 でも、散歩するだけなら、この風景もなかなかいい。

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 土のなかでは、どんなことが起きているのだろう。

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 春までに残っているのは、どれどどれかなぁ・・・・。

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<50>につづく

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「クラインガルテン計画」<19>ラウベ

<18>からつづく

「クラインガルテン計画」

<19>ラウベ     目次

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 今年はいよいよ、ラウベを作ろうと思う。昨年の小さな大工仕事で、おおよその感覚は掴んでいる。材料もまずまず集まりつつある。あとは、どれだけの時間を集中できるかにかかっている。

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 暖かくなったら、とにかく週末泊まり込みという体制を作りたい。そのためには、まずは防寒と雨露対策である。それさえ出来れば、あとは制作時間はそれほど気にはならないだろう。

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 予定地はここ。この緑のなかに、わがラウベはできる。最小限のものでいいのだけど、その最小限とは何か。

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 元祖森の生活のソローハウスを再現するのも、悪くはないが、 時代性も目的も、最適なものとは言い難い。

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 バーナード・ショーの書斎部屋も悪くはないのだが、ここでは、ベットもキッチンもない。暖房もない。これでは、わがラウベにはならない。

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 いままでの思考をもうすこしまとめて、具体的に、出来る時に、出来る内容で、できるであろう。

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 春が待ち遠しい。

<20>につづく

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「新瞑想法入門」 OSHOの瞑想法集大成<5>ナタラジ瞑想

<4>よりつづく

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「新瞑想法入門」OSHOの瞑想法集大成 <5>
OSHO /スワミ・デヴァ・マジュヌ 1993/01 瞑想社 /めるくまーる 単行本 507p

踊りのなかに消え去りなさい

 エゴ自我の中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想法だ。
「あなた」が踊っているのをすっかり忘れ、自分が踊りそのものだと感じるほど深く踊りなさい。区別、分裂は消えなければならない。そうしてはじめて、踊りは瞑想となる。

 踊りと踊り手のあいだに区別があれば、それは一種の体操だ。健康的でいいものだが、霊的精神的とは言いがたい。それはただの踊りにすぎない。踊り自体はいいものだし、それはそれですばらしい。踊った後には、新鮮で若々しく感じる。だが、それはまだ瞑想ではない。踊り手が消え去らなければならない、踊りしか残らなくなるまで----。

 さて、それではどうするか?全面的に、徹底的に踊りのなかに入り込むことだ。というのも、徹底的に入り込まないかぎり、あなたは分裂したままだからだ。脇に立って自分の踊りを見ていれば分裂は残る。

 あなたが踊り手で、しかもあなたが踊っている。だとしたら、踊りはただの行為あるいは演技だ。あなたが行なっているものにすぎない。それはあなたの存在そのものではない。だから、徹底的に没入し、踊りのなかに溶け込んでしまいなさい。傍らに立っていてはならない。傍観者であってはならない。没入するのだ!

 

ナタラジ瞑想

 「踊りをひとりでに流れさせなさい。それを強いてはならない。むしろ踊りに従い、踊りが起こるにまかせなさい。それは為すことではなく、起こることだ。お祭り気分のままでいればいい。あなたは深刻なことをしているのではなく、ただ遊んでいるにすぎないのだ。

 自分自身の生命エネルギーと遊び、生体エネルギーと戯れ、そのエネルギーが自然に動くのを受け入れている。ちょうど風が吹き、川が流れるようにーあなたは吹いて、流れている。それを感じなさい。そして、遊び心を持ちなさい。この〈遊び心〉という言葉をつねに覚えておきなさい。

 私にとって、これはまさに基本的なことだ。インドでは、創造のことを神のリーラー神の遊び-----と言う。神は世界を創造したのではない。それは神の遊びだ」OSHO

ナタラジは、全面的な踊りとしての瞑想です。
3つのステージからなり、全部で65分です。

●第一スレージ(40分間)
目を閉じたまま、とりつかれたように踊ります。無意識
の層が、自分を完全に乗っ取るにまかせます。動作を
コントロールせず、また起こっていることの傍観者であ
ってもいけません。ただ、踊りのなかに全面的に入り
込みましょう。

●第二ステージ(20分間)
目を閉じたまま㌧すぐに横たわります。静かに黙っ
て、じつとしています。

● 第三ステージ(5分問)
祝福のなかで踊り、楽しみましよう。 
p152

<6>につづく

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2016/01/30

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <57>ストレッチ

<56>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<57>ストレッチ

 本日は土曜日、幼稚園における「うんどうはっぴょうかい」とやらである。おじいちゃんも来ていいよ、という招待ともつかぬお誘いに、雪道を歩いて会場へ。蔭では、ぜひ来てもらいたい、とも言っていたというから、これは、ぜひ行かなきゃ。

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 ちょっと間違えて会場に入った時には、早めに始まったパフォーマンスが展開されていた。まずはストレッチ。両足全開で前屈。これはもう、私の大の苦手で、この年齢になると、もう夢のような話しだが、4歳児たちはなんなくこなす。全員こなす。ほう・・・・・。先生たちの指導の賜物か。この子たちは、み~んな3・11後に生まれた子供たちである。

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 つづいてブリッジ。10をカウントする間、持続するばかりか、そこから歩きだしてくる子供たちもいる。はぁ~~~~~。凄いなぁ、みんな、すごい。

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 最後は逆立ち。おかあさん、おとおさんたちに顔を見せながらのパフォーマンスに、子供たちも一生懸命。へそを出すやら、転ぶやら。みんな、よくやりました。おじいちゃんも、日々の生活を反省しました。おじいちゃんも、すこしストレッチをして、体をやわらかくしなくちゃ。

<58>につづく

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「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<6>

<5>からつづく

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「死について41の答え」 <6>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★

 アクティブ瞑想というテクニック---いかにして死に意識的に入るかというテクニックだ。チベットでは、こうしたテクニックは「バルド」として知られている。ある人が死のうとしているときに、人々が彼に催眠をかけるように、バルドに関わる人々は、死にゆく人に逆催眠的な暗示を与える。 

 バルドでは、人々は死の瞬間を迎えた人の周りに集まって、「あなたは死んでいくのではない。これまで死んだ人は誰もいないのだから」と語りかける。彼らはその人に、逆催眠的な暗示を与える。 すすり泣きも、叫びもない。なされることは、これだけだ。 

 人々は彼の周りに集まり、村の聖職者や僧侶がやって来て、言う。「あなたは死んでいくのではない、人は死なないのだから。あなたはくつろいで、十分に意識を保ったまま旅立つだろう。あなたは死んでいくのではない。今まで死んだ人は誰もいないのだから」

 目を閉じたその人に、プロセス全体が語りかけられる。今、生命エネルギーが足から去っていった、今、手からさていった、もう話をすることはできない、というように---一方で、その人は、あなたはまだいる、あなたはまだそのままだと語りかけられる。

 彼の周り中で、こうした暗示が与えられる。その暗示は、まったく逆催眠的だ。それは、死の淵にあるという社会的な幻想に、その人を絶対にしがみつかせないためのものだ。そうしたことを阻むために、人々はバルドを解毒剤として使う。

 死に対して、この世界がもっと健康的な姿勢を手にする日が来れば、バルドは必要ではなくなるだろう。しかし私たちは、とても不健康な人々だ。私たちは大いなる幻想の中で生きている。そしてこの幻想ゆえに、こうした解毒剤が欠かせないものとなる。

 誰かが死ぬときはいつでも、彼を愛する人たちはみんな、死という幻想を打ち砕く試みをすべきだ。もし彼らが、その人を目覚めさせておけば、もしありとあらゆる地点に気づかせることができれば・・・・・・。

 そうなれば、意識は身体から引き上げる。それは一度に離れるわけではない。身体全体が同時に死ぬわけではない。意識は内面で収縮し、少しづつ、身体の各部分から離れていく。

 さまざまな段階を経ながら身を引いていく。そしてこの収縮のあらゆる段階を、死にゆく人が意識を保つ手段として、彼に向って詳しく語りかけることができるのだ。p51 OSHO 「死は最後のタブー」

<7>につづく

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バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <9>

<8>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <9>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆
★★★★☆

1)バルド瞑想35日目。実感として、28日目以降は、ヴァイブレーションは大きく変化している。満月から満月へのサイクルが一巡し、何かの覆いが外されたような、軽さを感じる。あ、変わったな、という実感がある。

2)その実感とともに、時あたかもOSHO NEWSでMansha from Japanという記事が掲示された。なるほど、そういうタイミングでもあったか、と思う。へたな弔辞よりも、このような送られ方のほうが彼女らしいし、またご本人の願いでもあっただろう。

3)次々と肉体を離れていく友人たちだが、それぞれにネット上に「遺産」ともいうべきものを残していく。彼女もまた自らの綺麗なアート作品群をネット上に遺し、スピリチュアル・ヒーラーとしての素晴らしいプロフィールを残していった。

4)おそらくは、彼女を通じてのバルド瞑想はひと月で完了したのであろう。

5)かくいう私は、自らのバルド瞑想のなかで、五重塔制作にとりかかり、ある程度まで進んできた。

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6)基本構造の10分の1を経過したあたりだが、まったく見当つかずのプロジェクトであったが、ある程度の見込みがつき、完成までのプロセスが見えてきた。

7)しかし、それまでの集中的時間と、材料の吟味、精度の確認、そして制作の意味などを、それぞれ再確認するタイミングとなり、一旦はここで封印することとした。

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8)想いもつかぬほどの集中ではあったが、また、般若心経を唱えつつ、スマホに入れて持ち歩かなければならないほどの、強いバイブレーションを感じた。

9)しかしまぁ、それも、やがてナダブラフマやナタラジへと変容し、今はOSHOの新刊をすこしづつ読み続けることにつながりつつある。

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10)普段の自分の読書と言えば、次から次へと付箋を貼りながら、言葉を抜き書きするような読書になりがちだが、この本においては、単に、ゆっくりと読み進めているだけである。

11)言葉ひとつひとつというより、ずっとその流れと繋がっていることのほうが、大きな意味を持っているようだ。

<10>につづく

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2016/01/27

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<8>

<7>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<8>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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1)なにはともあれ、ここまで出来た。縄文土偶トリップの最中に、バルド瞑想に直入し、五重塔への旅へと続いた。あれから一ヶ月。はてそんなことができるのか、という想いをよそに、あっと言う間にここまで作ることができた。自分でもびっくり。

2)だが、この辺ですこしエネルギーが変化してきている。なにせ年度末の繁忙期が控えている。まだお正月気分が抜けていないのは、私ばかりかもしれない。いちどこの辺で五重塔トリップは封印することにする。

3)ここまでくると、自分でも完成させることができることが分かる。材料の量、技術力、集中力、所要時間、精度、手順、目的、作用、影響、展開、さまざまなことに気づき、分かってきた。

4)最初、バルド瞑想の49日目まで完成するかな、という勢いだったが、なかなかそうそう時間がとれない。仕事もしなければいけないし、やるべき事務量も山になっている。この辺で切り替えよう。

5)ここまでの必要経費は、木工ボンド一本、260円のみ(しかもまだ使いきっていない)。これだけでここまでできるなんて、私は満足じゃ。

6)集めておいた木箱類もだいぶあったのだが、結構な量の木質系材料を必要とする。現在5分の1程度だが、今後は足りなくなりそうな気配になってきた。

7)このまま挫折してしまえば、それこそ廃材が廃材にもどるだけで、笑い話にもならないが、おそらく私はこれを完成させることができるだろう。

8)しかし、完成させることばかりが目的ではない。ひとつひとつの作業のなかでの気づきの積み上げが必要なのであり、短時間に完成させることだけを目的としてはならない。正しい時速で進もう。

9)3・11からの5年目である3月21日までに完成かな、という思いもあったが、いやいや、細かいところにも注意したいし、日常の他のイベントもこなしていこうと思う。ここは3・11から5年6ヵ月7日目の2016年9月18日を目指して、ちょこちょこ作業していこうと思う。

10)実際には、五重塔トリップから次のステップへの道筋が見えてしまっている部分がある。春には本格的にスタートするだろう。そちらも実は大いに楽しみなのである。だけど、その前に、年度末の雑多な作業を処理することに集中しよう。

11)詳しいレポートはまた書くとする。

いずれ、再開予定。

<9>につづく

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2016/01/25

「死について41の答え」 OSHO 伊藤アジータ<5>

<4>からつづく

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「死について41の答え」 <5>
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 単行本 456ページ
★★★★★

1)バルド瞑想が28日目を経過したあたりから、エネルギーが変化し始めた。満月から始まって、丁度1月が巡った。

2)ナダブラフマの鐘の音に誘われ、グルシャンカールの光を見つめ、ラティハンの緩やかなエネルギーの動きを楽しんだ。その後バルド瞑想に入り、いくつかの世界を探検した。

3)バルドの世界で、友人たちは、今、どのような瞑想をしていることだろう。

4)その間、縄文土偶から仏舎利五重塔の制作に移り、精根を打ちこんだ。

5)オムマニパドメフムから南無妙法蓮華経へ、そして般若心経へと純化してきた。

6)そして今あらたに、またコテコテのOSHOワールドへと変遷を求められているようだ。

7)市民農園は雪の世界。冬の畑をみるのも楽しい。

8)クラインガルテンにも新しい光が見えてきた。春になれば、本格的なラウベの制作に取り掛かる。

9)ディビッド・ソローの森の生活ソローハウスがいいのか。バーナード・ショーの作家小屋がいいのか。あるいは、自らの独自の世界を切り開くか。

10)OSHOとともに生き、OSHOとともに死を見つめる。

11)ふたたび、始まる、何か。

12)予感。

<6>につづく

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2016/01/24

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<7>

<6>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<7>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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28002<8>へつづく

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「民主主義ってなんだ?」高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他)

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高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他) 2015/09 河出書房新社 単行本(ソフトカバー) 200ページ
No.3645★★★★★

1)車を運転する時は、道路情報や、地震速報を知るために、カーラジオをつけることが多い。地元の民放かNHK第一が多いのだが、そんな時、高橋源一郎の番組を聞くこともある。この人、何かの賞を取った人だよなぁ、くらいの認識しかないが、まあまぁ、嫌いではない、程度の感覚。

2)その人がまた、なんでSEALDsなんて、「突出」しているグループと対談しているんだろう、と、やや胡散くさい感じがしていたんだよな。でも、この本を読んで、その対談は必然だったのだ、ということが分かった。

3)高橋は明治大学の教授をしていて、その教室で、SEALDsのメンバーの何人かが学んでいるのであった。それほど「有名」になる前から、というか大学に入る前からその接触はあり、震災あとの短い期間のことではあるが、その経緯が解る。

4)若者は三人が対談しているのだが、それぞれの生い立ちを持っており、それはそれで面白い。平和派の牧師の家庭に育った男子、ヤクザな祖父、ギャンブルな父をもった男子、父親の仕事に関係で海外生活が長い女子。それぞれにユニークだ。

5)その彼らが、それぞれに「政治」に関心を持ち「行動」していく。当然のことと言えば言えるのだが、それは、私たちの昭和年代生まれに取っては「お決まり」のコースだったとしても、平成生まれの若者たちにとっては、「突出」した行動だったのかもしれない。

6)私は「民主主義」と言えば、その主な参加方法は「選挙」にあると思ってきたので、無党派ではあるが、一回も投票を棄権したことはない。できるだけ当選しそうで、しかも私の意見を代弁してくれそうな人を選んできたつもりだ。

7)その結果、当選「確率」は、ほぼ50%。思った通りの政治にはなっていないけれど、だからと言って他人のせいにする気はない。結局、私たちが選んだ結果の世界ができてしまっているのだ、と忸怩たる思いになる。

8)であるがゆえに、「政治」には限界あるなぁ、と思うし、「あきらめて」しまうことになりかねない。

9)ところが、例えばアントニオ・ネグリのような人は、選挙で投票しているだけでは「代理」してくれるのを待っているだけで、結局それは権力に収奪されてしまうだけで、自らの声を反映するという意味では「民主主義」にはなり得ない、とさえ言う。

10)「直接」「行動」することが大切なのだ、という。デモも出ないわけではないが、ブログで発言することも、「行動する」ことのひとつではあろう。しかしだ。そのことによって、「何」が「どう」変わるのだろう。

11)そもそも専門家として「政治家」がいるわけだから、彼らがキチンと機能していれば、なにも人々が「直接行動」など起こす必要がないのだ。政治家がキチンと仕事をしていないのではないか、という疑いがあるからこそ「直接行動」は起きる。

12)自民党がいやだからと言って、他の政党が政権を取っても、必ずしも願ったような政治にならなければ、ひとりの有権者としては、絶望感を味わいながらも、しかたないな、と「あきらめて」しまうことになる。

13)所詮、政治は政治だ。そこに全ての人生を賭けるなんて馬鹿らしい、という意見にも傾いてしまう。人生において、一番大切なことは何なんだ、という疑問は常に湧いてくる。

14)半年ほど前に私も、いっちょ前に国会に行って、いろいろ考えた。私が考える以上に考えている人たちはいるわけで、しかもその人たちにさえ解決できないことが、この私に解決できるとはとても思わないし、一方的に、その人たちを避難するだけで、なにかが解決するとは思っていない。

15)ここまで書いて2週間が過ぎてしまった。-----------------
ここから第2部。

16)第2部は大幅な飛ばし読みになってしまったが、相当に面白い。私はもう還暦を迎えてすでに数年を過ぎてしまったけれど、もしまだ十代や学生だったりしたら、絶対にこのSEALDsとやらに積極的に関心を持ち、あるいは強引に参加し、あるいは真っ先に先頭に立っているかもしれない。自分の時代にも、これに似たグループがあって、私はそのように行動した。

17)しかし、すでにこの年になって、まして国会に毎回行けるような環境になくて、私の「っ民主主義」はもうちょっと違っている。いまでは、チキンの骨でティラノザウルスを作ったり、ソーメンが入っていた木箱などの廃材で五重塔を作ったり、あるいは森の中にソロー・ハウスを夢見たりすることが、現在の私の民主主義になっている。

18)私の子供たちはもうすでに30代になっていて、このような青春時代とはあまり関わりがなかったが、もし孫たちが成長してこのような「うんどう」に関わろうとしたら、私は積極的に加勢はしないだろうが、はてさて、どのような活動をするだろうか、とデモの救対みたいな恰好で追っかけをするに違いない。

19)私は基本的に、いろんな人と議論をすることが好きである。いろいろ話し、いろいろな意見を聞く。いいと思う。そして、そこから、どのような結論がでて、どのような行動になっていくのかは、その時の、他の要素もたくさん絡んでくるから、一概には言えないが、そのようなプロセスについては尊重すると思う。

20)この本、出てまだ半年しか経過していないが、もうすでに時期を得た読書とは言い難くなってしまっている。状況はどんどん変わっている。しかしながら、この本全体は面白い。今回は、もう返却期限に到着してしまったので、しかたないが、機会があったら、ぜひとも再読したい。

21)オモシロ話題が満載である。評価をレインボー評価に治しておく。

つづくかも・・・・・

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2016/01/23

バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <8>

<7>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <8>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆
★★★★☆

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1)バルド瞑想28日目。すでに4枚のCDは一巡しており、その日その日の感性で、その中から1枚を選んで瞑想することになる。最近は初歩にもどって1枚目を使うことが多い。今日は4枚目だったが。

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2)バルドに瞑想すると、五重の塔に惹かれ、工作に熱中すると、バルドに惹かれるという不思議な循環がある。あるいは多様なマインドというか、指先に集中していると、おのずと邪念が生じやすい。そんな時は、オムマニパドメフムとか南無妙法蓮華経とかのマントラを唱えることになる。

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3)そもそも五重塔とは仏舎利塔であり、仏陀の墓である。塔と言えばそもそもサンスクリットのソトーパから来ており、それを表すために作られた文字でさえある。そこには地水火風の四大と空の意味が込められている。

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4)1/40スケールの模型とはいえ、五重塔の作るということは、チベット僧たちが作る砂曼陀羅にも通じるものがある。まさにこれは立体曼陀羅だ。

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<9>につづく

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2016/01/16

バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <7>

<6>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <7>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 
★★★★☆

1)バルド瞑想21日目。年末年始を通じて、始まったこの瞑想は、一つの縄文土偶を生み出し、新しい旅へと誘い始めた。

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2)縄文、ホツマツタエに誘われて、まずは熱日高彦神社に初もうで。

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3)静寂な中にも清楚な霊気をいただく。産土さんのにぎわいをよそに、あくまでも静かに静かに、鎮座されている。

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4)一方、今年の正月は、定義山こと仙台市青葉区、極楽山西方山、五重塔にも参拝。 何故かひかれるこの世界。バルド瞑想と何事かの繋がりがあるのか・・・?

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5)またまたミニチュアワールドにハマり始めた。材料は、ソーメンや焼のりの木箱や焼き鳥の串類などの廃材。ゴミになってしまう用済み材料で、お宝を作ろう、といういつものパターンである。

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6)梅原猛「隠された十字架ー法隆寺論」を読みながら、まずは基礎と心柱の部分、ちょっとづつスタートしている。

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<8>につづく

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2016/01/13

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<6>

<5>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<6>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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 断面図に続いて、立面図も完成。

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 断面図を見ると結構な数の角材が必要となるようである。ここは、夏のキャンプで大量にあまった割り箸の再利用を考えよう。

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 心柱についても、あれこれ考える。これがまずは大事だな。彩色図もできて、まずはイメージはかなり濃密になりつつある。

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<7>につづく

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「五重塔はなぜ倒れないか」

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「五重塔はなぜ倒れないか」 
企画制作 日映企画 2006/08 DVD 文部科学省選定
No.3646★★★★★

1)図書館から借りだした一枚のDVD。非常に参考になった。

2)心柱の基礎の部分は格塔それぞれなのである。最初地中に埋めてあった部分が腐ったために切って、石の上に載せてしまったもの。二階から心柱が伸びていて、一階には仏像が据えてあるもの。途中四階あたりから鉄の鎖でつるしてあるもの。実に様々な工夫がされているのである。

3)したがって我五重塔も法隆寺のそれを模してはいるが、自由に考案してみようと思う。おそらくその心柱の下には、六角のケースを置いて、その芯柱で天にエネルギーを送るような形になるだろう。

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4)心柱の天頂部分も、下地は木材なのだが、その上からどうやら金属(青銅?)をかぶせてあって腐食を防ぐようになっている。わが五重塔では、はて何で包むか検討が必要である。

5)各階の欄干に見える部分は、そう見せているだけであって、実際に人間が入れるようにはできていない。そもそも階段すらもないのではないだろうか。

6)最初の基礎構造などの組み方がとても参考になる。釘一つ使っておらず、組み木だけで積み上がっていく。各階も取り外し可能なのであり、四隅のとっかかりだけで乗っかっている状態である。わが五重塔も取り外し可能にしてみたい。

7)心柱も一本に固定しようかなとは思っていたのだが、このビデオを見て、やはり三本分割可にするのもいいかな、と思い直した。

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8)大変貴重なビデオである。何度も見て、参考になるところは、大いに真似したい。

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2016/01/12

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<5>

<4>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<5>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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 拡大コピーを取り、部材に合わせて大体の大きさを把握する。うん、これでいいだろう。高さ77cm、幅37cm、奥行き33cmに、なんとか入っている。
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 これで、断面図は完成。すこしづつリアリティが湧いてくる。あとは、この寸法に合わせて、出来るだけ多くの図面を作ってみる。

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<6>につづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<4>

<3>からつづく 

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<4>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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1)さて、ここまで来て、困ったことがいくつかでてきた。

2)意外と心柱は太い。用意してある100円ショップのイーゼルの足は、18㎜*14mm*300mm。三本あるから丁度いいかな、と思ったが、太さが足りない。図から単純計算すると、長さは足りるものの、直径は27㎜程度は欲しいのである。日本接着して間に合わせようか、とも思うが、なにせ心柱、建物の命である。見えないところであっても、ここはキチンとしたモノが欲しいところ、なのだが・・・。

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3)さて、その心柱、何処まで基礎に埋め込まれているのかも定かではない。心柱であるがゆえ、その根元には仏舎利が6個収められているとのことだが、そのあたりもキチンとした理解が必要である。基本の基本だ。だから、ここが決まらないと、結局、高さが決定しない、ということになる。もう少し調査が必要だ。

4)さて、ケースとなるIKEAのガラス扉キャビネットDETOLFだが、これが実測77cm(高さ)*37cm(幅)*33cm(奥行)ということが分かった。高さはある程度調整できるとして、幅は限界ギリギリ、奥行きは不足ということになる。

Detolf

5)以上から、おのずと縮尺率が決定してくる。全高29mの法隆寺の五重塔1/40スケールとなると、高さは78cmほど。基礎や外からの階段の部分を省略すれば、なんとかこのDETLOFにも収まりそうだが、寸尺が若干曖昧になってしまいそうなところは惜しい。

6)ここまでくると、リアリティを優先するか、原材料を使った学習(装飾性)優先するか、の瀬戸際になってくる。おそらく背面の外部からの階段を省略するか、取り外し方式にすれば、このスケールに丁度収まるようになるようだ。

7)そして、ここに来て、ちょっと残念なのは、法隆寺の夢殿や西円堂は八角堂であったことである。なにか縁があるかなぁ、と六角ケースに期待をしていたのだが、挫折。仙台定義山こと極楽山西方寺の本堂は六角堂であるから、ここに少しでもリアリティをつないでおこう。

8)さらには、構造体の骨組をどこまでリアルに追究するか、ということである。内部の心柱や構造を見せるために、各階の白壁を外してしまうような模型モデルもあるようだが、ここは白壁があっても十分リアリティがあると思うし、むしろ、その方が実際に目視する五重塔と似ているので、白壁あり、と行こうと思う。

Mk105

9)ここまでくれば、必ずしも法隆寺の五重塔ではなく、もともとは、仙台郡山遺跡にあったと言われる廃寺のおそらく三重塔を偲ぶのが目的だったのだから、その技術の一端を垣間見るための思考錯誤と考えれば、じゃこうねこの言うように「無駄じゃ、無駄じゃ」では終わるまい。

10)1/40スケールの木工模型の制作参考時間は200時間となっている。仮に一日2時間づつ制作したとすれば100日。おおよそ三ヵ月の時間を要することになる。当ブログにおける廃材利用五重塔は、組み立てるだけではなく、材料の調達、採寸、加工などが加わるので、これより時間がかかることになるが、詳細部分はある程度省略するとして、こちらも200時間を目安に制作を急ごう。

11)3・11震災から5年6カ月と7日と縁かつぎするとしたら、今年9月18日がその日となる。この日あたりを目指して、わが家の鎮魂五重塔の制作に励もう。この中には、当然、最近亡くなった友人への想いも含まれており、その他、友人知人への回向としよう。

<5>につづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<3>

<2>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<3>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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 部材の色はバラバラである。結構なカラー・グランデーションができる。市販モデルによっては総ヒノキ造りなどと語っている模型もあるが、当ブログにおいては、集まってきた部材の有効利用、適材適所を考える。

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 生木あり、合板あり、圧縮合製材あり、竹串あり。色も形もまちまち。この他、台所にある割り箸や爪楊枝などを加えれば、だいたいの部材は間に合うだろう。

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 100円ショップで購入したミニチュア・キャンパスの三本脚は、最も重要な中心の心柱に役立ちそうだ。丁度三本をつなぐ形になる。外した釘やネジなども捨てずに、何かの時の装飾材として使えるだろう。

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 ここから、1/40スケール、80cm*35cm*35cmの五重塔を作ってみよう。完全な復刻は無理だし、完成度を上げれば竣工は限りなく遠のく。自らの学習のために、と割り切って、自分の納得のいくところまで行ってみよう。

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 これをIKEAのガラス扉キャビネットDETOLFに収める予定である。寸法的な難が、なきにしもあらずだが、今のところ総合的にベスト・コンビネーション。

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<4>につづく

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2016/01/11

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<2>

<1>からつづく

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<2>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
★★★★☆

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 さっそく木箱たちを解体。最初はなかなか難しそうだなぁ、と思ったが、慣れれば、カッターナイフひとつでほぼOK。

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 これだけあれば、だいたい足りるだろう。六角のケースは偶然子供のガラクタからでてきたもの。釘とか金具とか出てきたものを入れておく。この六角、五重塔と何か縁があるかも。

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 そこで、まずは実物の五重塔ということで、仙台市青葉区の定義山(極楽山西方寺)に初詣。なるほど~~、こういう存在感なんだなぁ~。

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 うっすらと雪もかぶって、なかなかの雰囲気。法隆寺の五重塔とはおそらく細部や寸法は違うだろうが、参考になる。これからも何回か通いそう。
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 プラモデルならぬ木工模型は各種販売されているが、当ブログはもともと廃材として手元にある廃材の再活用を考えてスタートしたのだから、そんな10万円以上もするような模型キットを買うわけにはいかない。ネット情報は、とても参考になるが。

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<3>につづく

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2016/01/10

「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<1>

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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<1>
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ
No.3645★★★★☆

1)2007年にでたムックシリーズの改訂版である。人気のある定番シリーズということなのだろう。

2)当ブログでは、次なるプロジェクトとして、五重の塔を作ろうと思う。五重の塔ではなくて、三重の塔でもいいのだが、ここはやはり五重の塔で行きたい。

3)仙台郡山遺跡にあったとされる郡山廃寺、そしてそこに仏塔もあったはずと言われているのだ。陸奥国分寺の仏塔、あるいは多賀城にもあったはずである仏塔を参考にしながら、法隆寺の五重の塔を制作する。

50to              p12

4)材料は、いずれゴミになってしまうような、ソーメンやお菓子が入っていた木の箱。いつか役立つだろうと、少しづつ溜めておいたのだが、はてさて、これで足りるだろうか。いやいや、これで足りるスケールを設定して、想定してみよう。

51to
5)焼き鳥の串や、団子串、その他、手元に余っている材料で制作する。市販のプラモデルや木製模型もあるが、それではどうも面白くない。自分で工夫して作ってみよう。

<2>につづく

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ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 千葉 富三 <8>

<7>よりつづく

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「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩<8>
千葉 富三  2009/7/1 文芸社 ハードカバー 1227ページ
★★★★☆

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つづく

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「デジタル遺品」が危ない そのパソコン遺して逝けますか? 萩原栄幸<1>

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「『デジタル遺品』が危ない」  そのパソコン遺して逝けますか? <1>
萩原 栄幸(著) 2015/10   2015/10 ポプラ社 新書 164ページ
No.3644★★★☆☆

1)亡くなる友人が多くなってきた。友人たちはかなりの確率でネットに遺品を残している。生前はあまり気がつかなかったことも、亡くなった後、その残された記録を見て、個人を偲ぶことも多くなった。便利な時代であると思う。

2)一方、いつまでこの記録は残っているのだろう、と不審になることもある。いつまでも残っていて欲しいという気持ちと、これはそろそろ誰か削除してあげないと、という気持ちと二通りある。

3)表現者としての一生を送った友人は、自らの作品の一覧を克明に記録しており、これはむしろ誰かが早く書籍のようなハードコピーで発表し直してあげないといけない、とさえ思うことがある。一度失われてしまえば、もう取り返しのつかない損失となろう。

4)闘病生活をつづったある友人は、家族や限定された友人に向けてメッセージを送り続けた。身内や友人たちには貴重ではあるが、いつまでもネット空間を浮遊し続けるのはどうか、と思うような個人情報が含まれていることもある。

5)ROMとして、覗き重視で登録しているようなSNSなどは、むしろ早く誰かが退会手続きをして上げればいいのではないか、と感じる。無言のまま名前だけは残っているので、繋がっている関係者は、彼は無口なのであって、まだ生存しているのだ、と勘違いしている向きもある。

6)いずれにせよ、ネットから切り離されて生きていけない現代人は、つねに誰かが次々と亡くなっていくのであり、その遺品をどうするのかをキチンと検討して行く必要があるだろう。すくなくとも、自分はどうしたいのか方針を立て、明確に意志を残し、あるいは後見人に委託しておく必要があるだろう。

7)この本で多く頁を割かれているのはパスワードについてである。数え上げれば個人レベルでも、70から100個のパスワードを使い分けているという(p66)。個人が亡くなってしまえば、それを完全に復活させることはかなり困難となる。それをなんらかの方法で残し、伝える方策を考えよ、と言う。

8)私個人も近年、自らの記憶力も弱くなってきたし、また使用するデジタル機器が増加したこともあり、その一覧を保存する工夫をしてきた。自分が覚えていないものさえあるので、決して失われないように、その保存方法にも一段と力を入れていかなればならない。

9)逆に、これは残したくない、と感じるものは早目早目に削除することにしている。おそらくOKだと思うが、そう思っているだけで、自分では気づいていない危険も数々あるかもしれない。そういった意味では、つねに棚卸しして、管理し続ける必要を感じる。

10)当ブログで言えば、できればいつまでも残って欲しいなと思うメモだけを残しているつもりなのだが、あまりに誤字脱字、あるいは記憶間違いなどが多すぎるので、早めに訂正しておこうと思う。だがなかなか手が回らないのが事実である。

11)逆に、生前であろうと、死後であろうと、不用意にブログカウントが削除されたりしたら、大変だな、と思う。私の人生の記録のかなりの部分が失われてしまう。空襲や災害でほとんどなにもかも失ってしまった人々もいるわけだから、その程度なんともないよ、と諦念することも可能ではあるが、やはり大事なものは大事だ。

12)この本は、本人にとっても、残された遺族にとっても分かりやすく書いてある。生前元気なうちに、家族や身内で、いちどこのような話題を共有し、いざという時には、だいたいこうすべきなのだな、ということを確認しておく必要があろう。

13)エンディングノートのような形で、キチンと管理しておくことも必要であろう。

<2>につづく

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2016/01/09

バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <6>

<5>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 
★★★★☆

死に臨む人は、肉体の死後、再誕生に向けて旅立ちます。その道案内ともいうべきチベットの経典「チベットの死者の書」を、現代人向けにアレンジしたのが、この「バルド瞑想」です。

バルドとは、死後、人が辿る道のりのことで、「死者の書」は、その道筋を詳細に著しています。

人類の遺産ともいうべきこの書を、生きているうちから体験するために、このガイド瞑想は制作されました。意識的な生と死のための瞑想実践CDです。CDカバーより

 

Disc1
Tr01     予備的説明
Tr02     三種類の瞑想について
Tr03     エゴの死
Tr04     地水火風空
Tr05■パート1原初の澄み渡る光の出現 
Tr06      第二の澄み渡る光の出現
Disc2
Tr01■パート2心の本来の姿の出現
Tr02      バルドの第一日目 青い光の出現
Tr03           二日目 白い光の出現
Tr04     三日目 黄色い光の出現
Tr05     四日目 赤い光の出現
Tr06     五日目 緑の光の出現
Tr07     六日目 すべての光の出現  
Tr08     (ゴング)
Disc3
Tr01     七日目 
Tr02     激しい嵐
Tr03     八日から十四日まで
Tr04■パート3再生へ向かうバルド
Tr05     バルドの一日目から四十九日目
Tr06     (ゴング)
Disc4
Tr01     白黒赤の三つの淵
Tr02     分かれ目
Tr03     再性のプロセス、子宮の選び方
Tr04     最後の分かれ目

 上のリストは、当ブログが自分の理解のために暫定的に区分けしたものです(工事中)。      Tb003

参考

初七日導師「不動明王」

二七日導師「釈迦如来」

三七日忌導師「文殊菩薩」

四七日忌導師「普賢菩薩」

五七日忌導師「地蔵菩薩」

六七日忌導師「弥勒菩薩」

四十九日忌導師「薬師如来」

<7>につづく

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2016/01/08

「日経コンピュータ」シンギュラリティ前夜--AIと共に歩む人類--

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「日経コンピュータ」シンギュラリティ前夜--AIと共に歩む人類--
2015/12/01号 
No.3643★★★☆☆

1)定期購読オンリーの雑誌。隔週木曜日に自宅に送られてくる。かつて定期購読したことがあったが、読み切る前に次の号が来てしまうし、一冊読み切ったことはない。全体としては、この雑誌だから読めるという内容は、私の場合はない。

2)今回この雑誌が目についたのはネットアプリの「Fujisan」の雑誌タダ読みにでていたから。パソコン雑誌は最近ぜんぜん読みたいとは思わないのだが、特集に「シンギュラリティ」の文字が躍っていたから。

3)完全定期購読でネットでも一冊購読はできないが、今回一冊まるまんまサンプルとしてタダ読みすることができた。もっとも特集はp018からp033までの16頁分だけ。内容はまぁ、ITの進化について書いてあるだけだが、ここにシンギュラリティの文字が躍って居るのがうれしい。

4)シンギュラリティの意味については、これまでも何回も触れてきたから、敢えてここでは触れない。触れたとしても、各人においてその定義がいろいろあり、一義的にとらえることはできない。

5)一義的にとらえることができないとするなら、意味的に行ってシンギュラリティではないのだが、まぁ、そこまで深追いはすまい。いずれそうなるという、「革命」とか「光明を得る」とかの類語として、理想を表している。

6)何年頃という近未来の理想像が踊る。シンギュラリティが理想かどうかしらないが、進化の途上で、必ず到達する地点である、と考えられている。

7)とにかく、この言葉は今後もっともっと一般的になるだろう。その意味を込めて、メモしておく。

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2016/01/07

「わがボタニカルライフ」<23> イメージの連鎖

<22>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<23>イメージの連鎖

Imgdfddeec5zik6zjOne Seed Makes the Whole Earth Green 

10639361_1165747286770717_861364642バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想

Img37354bc1zik2zjバルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想

Img_9994_2「Pen」2015年 10/1 号 [インテリアのヒントが満載! 暮らしが楽しくなるアイデア集。]

816ulz7ycql_4「植物のある部屋」 宝島社

Loft「男のロフト主義。」 Pen (ペン) 2004年 4/15号

816uraf9l6l_2狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」

Ko7居心地のいい「ミニハウス」---羨望の35軒 「可笑しな小屋」

51txsey4ul「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用

Kg7「仙台まちなか農園プロジェクト」 都市の「農」空間創出を考える研究

Photo「地球の家を保つには」 エコロジーと精神革命

91bsahahhl「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇>

Imgdfddeec5zik6zj_4One Seed Makes the Whole Earth Green 

<24>につづく 

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2016/01/05

狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」 栗田信三

816uraf9l6l 狭くても心地よい「雑木のある小さな庭づくり」 
栗田信三(監修) 2015/10 家の光協会 単行本: 112ページ
No.3642★★★★☆

1)この本は、我が家の奥さんが借りてきた本。お互いの読書の範囲が違うので、ほとんどかぶることがない。あまり互いの読書には干渉しないのが我が家の風習だが、この手の本では割と意見があう。

2)しかしながら、この本は家の光協会の出版であるだけに、ある意味、きわめて妥当な本だと思う。

3)この本を見ながら、私は宝島社の「植物のある部屋」を思い出していた。816ulz7ycql_4

4)部屋に鉢に植えた植物を置くしかできない人と、その部屋から一歩外にでて、いくら小さくても、自分で庭を作れる人では、かなり自然とのかかわりが違ってくるのではないだろうか。

5)その辺は、いとうせいこうの「植物男子ベランダー」における葛藤に似ている。都会において、高層のマンションに住む人と、ちょっと不便ではあるが郊外の庭付き一戸建てに住む人では、もちろん、その好みが違う。

6)グリーンが好きで、植物のある部屋に住み、ベランダに鉢ものを並べ、小さな庭を愛し、やがて、市民農園で野菜作りを始める。やがてはラウベ付きクラインガルテンを愛し、森のなかに住む。そして森のなかに小さな小屋をつくり、やがて部屋に植物を置く。

7)このサイクルの何処にいてもいいのだと思う。

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バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>

<4>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <5>
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 
★★★★☆

1)この瞑想を始めるにあたり、私の場合、いくつかの準備が必要である。まず、CDを確かめる。最近まで、この4枚のうち、1枚が紛失していたのである。どこかから出てくるだろうとタカをくくっていたが、やはり、いつも使わないラジカセから出てきた。よかった、よかった。

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2)何べんも使ってはいるのだが、どうも断片的で、ひと連なりのものになっていない嫌いがある。これをiTuneに吸取り、自分のiPhoneのイヤフォンで瞑想に使っているのだが、どうもCD全体がひとまとまりとして録音されずに、トラックひとつひとつがバラバラに録音されている。

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3)だから、再生する時に、そのつど機械の操作が必要となり、なかなか瞑想が深まらない。あまり不用意に深まらないこともいいのだが(笑) とにかく、もうすこしなめらかにこのリード瞑想とやらに入っていきたいものだ。

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4)さて、「チベットの死者の書」となれば、1973年版千部限定版私家版で出たおおえまさのり翻訳版がおもいだされる。よく読んだわけではないが、記念碑的にこの書の持っている存在感は大きい。

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5)この他、原典訳 チベットの死者の書」(川崎信定 1989/05 筑摩書房)や、ロバート・A.F.サーマンの「現代人のための『チベット死者の書』」(2007/5 朝日新聞社)などもちらついてくるが、ここはあまり気を散らしてはいけない。比較文献的な研究心より、瞑想そのものに入っていく準備が必要なのだ。

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6)そのイメージを借りつつ、今回は、CDのガイドの世界に入っていこう。その他、さまざまなヴァイブレーションを整えるために、とりあえずいくつかのバラバラだったグッズを揃えてみる。右左、上下、明かり、グリーン、思考錯誤しながら、気に入るようにすこしづつ変えて行ってみよう。

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7)そうそう、そう言えば、CDについていた「解説書」が、いつ頃からか、どこかに紛れてしまっている。そのうち出てくるだろうと、あちこち探してみたがでて来ない。いいや、いずれ家のなかにあることは確かなのだ。

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8)なんて、こちらもタカをくくっていたら、やはりひょっこりでてきた。なんだ、机の脇のBoxのなかに入っていたのだ。やっぱりな。

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9)そして、よくよく見ると、参考文献なんてことも書いてある。
    OSHOの講話録
  ・「新瞑想法入門」
  ・「Oshoダルシャン4」
  ・「死と再生への旅--バルド」
   講話カセットテープ 日本語同時通訳版(58分)

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10)「新瞑想法入門」にはいくつかのバージョンがあるようだが、中身は大差あるまい。手元にあるもので間に合うだろう。その他、あれば参考になるだろうが、なくても構わないだろう。612arcs9fl__sl500__2

11)さて、まずは1日目から7日目まで、進むわけだが、色の世界が象徴的に登場してくる。それに対して、おおえまさのり氏のなかの一説が役立つかもしれない。

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12)そのマントラの唱え方は「オーム・マ・ニ・ぺ・メ・フゥン」となり、この真言を唱えながら「マニ車」をまわすのです。
 これは「観世音菩薩」のマントラで、「オーム(宇宙の始原の声音とされ、日本では<おん>としてかならず真言の最初に入ってます)! 蓮の中に坐(ま)します宝珠に万歳!」という意味になります。
 それぞれに発光する色彩を持ち、「オーム」は白、「マ」は緑、「ニ」は黄、「ぺ」は青、「メ」は赤、「フゥン」は煙色で、それぞれに輪廻転生する六つの世界に対応しています。順番に「オーム」は天上界、「マ」阿修羅界、「ニ」人間界、「ぺ」畜生界、「メ」餓鬼界、「フゥン」地獄界となり、それぞれに対応する世界に再誕生する子宮の入口を閉じる力をもっているとされています。
 輪廻転生して生れてゆく六つの世界の入口を閉じてしまうのですから、もはや生まれるべき世界はなくなり、したがって死に際して、生の輪から抜け出して解脱し、生と滅を離れた永遠の状態を実現するほかにはないということになります。「『チベットの死者の書』99の謎」
 おおえまさのり 1994/2 二見書房

Unnamed
13)そして、そうそう、最近、とあるお寺さんの倉庫で、チベット産と思われる仏像が、ひょこっと置かれているのを拝見したのだった。 いくつかのことが、すこしづつ繋がっていくかな・・・?

<6>につづく

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2016/01/04

「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<3>

<2>からつづく

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発<3>
長瀬 隆(著) 2014/8  ゆにっとBOOKS 単行本  238ページ
★★☆☆☆

トリウム原子炉関連リスト 工事中

「平和のエネルギー―トリウム原子力」 ガンダムは“トリウム”の夢を見るか? 亀井敬史2010/09 雅粒社

「原発安全革命」 古川和男 2011/05 文藝春秋

「地球の論点」 現実的な環境主義者のマニフェスト スチュアート・ブランド 2011/06 英治出版

「トリウム原子炉の道」リチャード・マーティン 2013/10 朝日選書

「トリウム原子炉革命」ー古川和男・ヒロシマからの出発 2014/8  ゆにっとBOOKS 

1)私はウランにせよトリウムにせよ、また個体燃料にせよ熔融塩にせよ、いずれにせよ原子炉の専門家ではなく、それらを対象とするマーティンのような科学技術ジャーナリストでもない。化学プラントということでは長い貿易商社生活でソ連に輸出した青酸カリのプラントの計装室勤務の経験があるのみである。長瀬 p172 「3・11から『原発安全革命』へ---戦後学生運動と原水禁運動」

2)やっぱりこの本、通読するのは無理だった。この本は、1931年生まれの80歳を越えられた方が、自分の人生を振り返って、ある意味、記念碑的に、あるいは文学的に、一冊をモノされているのであり、トリウム云々が主題ではない。少なくとも、科学的な根拠となるところを求めてはいけない。

3)古川和男はフクシマの年の12月14日に84歳で亡くなった。その年多くの講演をこなしたが、最後には常に「世界を、人類を、地球を救いましょう」と呼びかけていた。氏のFUJIは、ヒロシマに淵源し、それゆえにそれを成しうる唯一のものなのである。p233 長瀬 「ウランは悪であり、トリウムは善である」

4)著者の善意に鞭打つつもりはまったくないが、これでは、「世界を、人類を、地球を救えない」。ウランやトリウムであれ、物質が悪であったり善であったりするはずがない。ウランが悪なら、世界のほとんどが「悪」で支えられていることになる。

5)物質に善悪などない。文学的な表現ではあるが、決して科学的ではない。もっと言うなら、本人の宗教的信条でしかないだろう。イワシの頭も信心から、と申します。よそ様の信仰に口を挟める立場ではないが、私はこの本に「科学的根拠」を求めてしまっていたのであった。

6)よい機会だから、トリウム関連リストを作っておく。

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発 長瀬隆<2>

<1>からつづく

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「トリウム原子炉革命」―古川和男・ヒロシマからの出発<2>
長瀬 隆(著) 2014/8  ゆにっとBOOKS 単行本  238ページ
★★★★☆

 1)この本、年をまたいで読んではいるのだが、まだ40pまでしか進んでいない。その間でも、いきなり好戦的で感情的な文章がむき出しになっている。トリウム原子炉の開発者のひとり古川和男ご本人ではなく、1931年生まれの文科系の長瀬隆という人物が書いている本なので、その根拠はともかく、まぁ、立場としては責任のないことを書いても、なんとか化切れてしまう存在ともいえる。だがしかし・・・・

2)(前略)森中定治は、会長をつとめる日本生物地理学会の本年(編注・2014年4月12日)の年次大会で原発問題の市民シンポジウムを主催、反・原発の論客小出裕章を招いた。

 小出は「トリウムに夢をかけようとする人もいるがそれも誤りである」と述べ、質疑応答では、一切の核分裂によるエネルギー取得に反対した。不勉強も甚だしいのであって、彼は「核分裂技術は20世紀最大の科学成果のひとつであり21世紀の地球救済に必須である」(古川和男)ことを知らず、知ろうとしない。

 誤りはウランを用いたことにあり、トリウムに転換すればよいのである。長瀬 p33「『第三の道』をめぐって」

3)いきなり、こう来たか。長瀬たる御仁はどのような人生を送ってきたのか知らないが、敬愛すべき小出裕章氏の人生を「不勉強も甚だしい」と極論するだけでなく、「知らず、知ろうとしない」とまで言い放ち、切って捨てる。ほへー。

4)さらには、続けて・・・

5)米国内でも1970年代に弾圧されたオークリッジの業績が見直されており、フクシマによって勢いづいた科学ジャーナリストによる本が出版されている。もちろん古川和男の業績への言及もある著書である。p34 長瀬 同上

6)として、リチャード・マーティン「トリウム原子炉の道」( 2013/10 朝日選書)を紹介している。いよいよ情勢は急を告げている。ここで読まれるべきは、次の三冊に搾られてくる。

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7)古川和男「原発安全革命」(2011/05 文藝春秋)は、当ブログとして読み始めたばかりだから、なんとも言えない。ざっと目を通したが、専門家ならざる身ゆえ即断はできない。他の研究者たちがこれをどう読んでいるのか、は気になる。

8)リチャード・マーティン「トリウム原子炉の道」( 2013/10 朝日選書)については、まずは一読したが、瑣末なストーリーがかなり多く、決して読みやすい本ではない。通りがかりの一読者としては、とにかく結論が知りたい。その結論が、さっぱりわからない、「変な」本である。

9)反・脱派は原発ゼロを高唱する過程で、それによるライフスタイルの簡素化、倹約化を想定せざるを得ない。すでに大江健三郎が2012年にパリでそのような発言をしていたし、小出裕章に至っては夏季でもクーラーを使わずに我慢している、とどこかで語っていた。p35 長瀬 同上

10)これは、かなりぶった切りの好きな御仁だなぁ。大筋間違いはないとしても、せめてもうすこし論拠を示して、謙虚に、冷静になれよ、と言いたい。少なくとも長瀬は、世界的に見て大江ほどの影響力はないだろうし、小出氏ほど人生を放射線研究にささげた方ではない。ましてやライフスタイルの簡素化・倹約化は、別段に彼らの発明でもなければ、専売特許でもない。地球はそういう所に来ているのである。

11)またごく最近、私は山本義隆の「フクシマの原発事故をめぐって」(2013年、みすず書房)という小冊子を読んだが、そこでも「一刻もはやく原発依存社から脱却すべきである」と主張され、「生産活動に支障が生ずるとか、これまでの快適な生活が持続できなくなるという反論(恫喝)にたいして、「言い分どおりだとしても、それでも原発はやめなければならないと思っている」と述べられている。p35 長瀬 同上

12)私が読んだ「福島の原発事故をめぐって」   いくつか学び考えたこと(山本義隆 2011/08  みすず書房)は、たしかに101pの小冊子ではあったが、発行は「2011」/08である。2013年ではない。また「山本義隆 フクシマ」で検索してみたが、山本が「フクシマ」と表記した記事は出て来なかった。あるのかないのか、まだ定かではないが、もし、これらが著者長瀬の誤記であるとしたら、ここに限らず、他の部分にもそのような「誤記」があるのかもしれないので、足元を注意して進むことにする。くわばら、くわばら・・・・。

13)フクシマ後に、原発ゼロに反対して「猿の生活に戻るのか」と言い残して死んだ吉本隆明を思い出した。私はともに極端であり、トリウムへの無知が共通している、と見る。p35 長瀬 同上

14)吉本隆明「『反原発』異論」(2015/01論創社)は編集者の副島隆彦が吉本の言葉を集めて一冊にして吉本(著)としたものだが、はてさて、長瀬のいうように「猿の生活に戻るのか」と言い残したのだろうか。当ブログにメモしている限り、この本で吉本はたしかに次のように語っている。

15)「発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。」吉本隆明「『反原発』異論」(2015/01論創社)p114

16)「猿の生活に戻るのか」と「人類をやめろ」という言葉は、いささかニュアンスは違うとおもうのだが、まずは、この長瀬という人物の他者の登場のさせ方に留意しておく必要がある。もっともこの吉本の編集者である副島某も、これまた頓珍漢なことを連発しているので、再記しておく。

17)いずれの爆発(四つの原子炉の爆発)でもメルトダウン(炉心溶融)は起きていない。今の今でも「メルトダウンが起きた」と騒いでいるのは、ものごとの真実を明確に自分の脳(頭)で確認しようとしない愚か者たちである。

 原子力工学の専門家たちの意見を今からでもいいから聞くべきである。私はたくさん聞いた。彼らを”御用学者”と決めつけて総なめに忌避したことの報いが日本国民に帰ってくる。吉本隆明「『反原発』異論」(2015/01論創社)p003 副島隆彦「悲劇の革命家 吉本隆明の最後の闘い」

18)メルトダウンは起きたのであり、研究者も、当事者の東電も認めている。

19)(古川和男は)大江健三郎や山本義隆とはおよそ反対の思想である。両人の思想を文学的な、あるいはまた知識人的な自己満足のそれとは言わないまでも、一般大衆には受け容れがたい思想であると言ってよかろう。実はこのあたりが、フクシマ後に大衆が自民党政権を選んだ理由なのである。p36 長瀬 「『第三の道』をめぐって」

20)いやはや、言いたい放題である。

21)いわんや両人の見解は、日本ではどうにか通じても、世界的規模ではまったく通用しないことは明らかである。世界は多大に貧困層をかかえており、中国やインドはまだまだ多数の原発を必要としており、東南アジアにいたってはいまだに一基も存在せず、日本に頼ろうとしている現実がある。大江や山本や、はたまた小出などは自分たちの生き方を彼らに推奨するつもりか。p37 長瀬 同上

22)もはや、寄らば切るぞの、大立ち回りである。これでもし、トリウム原子炉とやらが役立たずだったら、大笑いである。大笑いどころか、憤死ものである。イタリアやドイツだけでなく、原発ゼロ宣言をしている国は多い。決して世界的規模ではまったく通用しないどころか、世界の潮流はそちらを向いている。

23)米国ではマイクロソフトの創始者ビル・ゲイツがテラパワー社を立ち上げ、2050年までにCO2ゼロを目指すと豪語している。つまり新しい原発の開発に入っているのであり、燃料体が液体であることを明言しており、トリウムであることは確実である。 

 世界はトリウムに向かっており、トリウム原子炉革命は世界的規模で避けがたく、そして必ず起こるのである。p38 長瀬 同上

24)ビル・ゲイツが取り組んでいるから、「必ず起こる」という結論は、願い下げである。PCソフトの「独占」に失敗した御仁が、有り余る私財を投げ打ったからと言って、「必ず起こる」は極論であり、贔屓の贔屓倒しであろう。

25)少なくとも、これほどの極論大好きな著者においても、ビル・ゲイツの「新しい原発」はトリウム原発である、と「断定」できていないことを確認した。ゲイツの開発している「モノ」の情報を、もっと明確に把握する必要がでてきた。

26)それにしても、この本まだ、40pに満たないところで、このザマである。当ブログは、この本を最後まで読みとおすことができるのだろうか。

<3>につづく

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今日の気分はこの3冊<18>「北の原始時代」、「Comet in Moominland」、「トリウム原子炉の道」

<17>からつづく

今日の気分はこの3冊
<18>「北の原始時代」、「Comet in Moominland」、「トリウム原子炉の道」

 今年の正月休みは短かった。もう仕事初めである。昨年後半に読み残した本を、正月休みに読もうと思っていたのだが、その時間はあまりにも短かった。延長して借りていた本も、正月明けには図書館に返却となる。

 そんな十冊のほどの本のなかにも、傾向性をはっきりと見て取れる。過去、現在、未来で言えば、「北の原始時代」を第一冊とする「東北の古代史」全五冊シリーズと「東北の中世史」全五冊シリーズは、過去の歴史ものとして、いずれ完読したいシリーズである。

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 そして次はトーベヤンソンの「ムーミン谷の彗星」英語版。すでに動画も見たし、日本語版もあるのだが、翻訳ものとは微妙な違いがあり、そこんとこを知りたくて、英語版も数冊ぐらいは読みたいところ。当ブログ現在進行形の「じゃこうねずみ」カテゴリの、そのじゃこうねずみも、原作ではどう表現されているのか、とても気になる。

 最後には、トリウム原子炉のことがとても気になっている。「トリウム原子炉の道」は、割合最近でた本で、その周辺をアメリカのハードカバー本らしいスタイルで追っている。関連の本は、日本人たちの手によるところ数冊ある。ここんとこ、当ブログの未来を左右するキモの部分である。

 気が多すぎて、あちこちにエネルギーを散漫に散らかしてしまう傾向のある当ブログだが、これらの本を、本当に読み進むことができるだろうか。次々と友人たちをお送り、自らの読書能力も下がってきている。視力も、理解力も、記憶力も、読書意欲も、低下の一過を辿っているのである。

 もうそろそろ、いよいよテーマを絞り込んで、もっと深化したものの見方をしたほうがいいのではないですか。心の奥ではそう呼びかけている。体もなかなかついていかなくなった。最後は、魂のレベルからの「指示」を待つことにしよう。

 私が今年、読むべき本は、なんですか? 

 少なくとも、今日の私の気分は、この三冊である。

<19>につづく

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プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <56>ウルトラマン餅つき大会

<55>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<56>ウルトラマン餅つき大会

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 正月初売りなんぞ、最近行ったこともないし、興味はない。しかしながら、孫にウルトラマンの餅つき大会に行きたいとせがまれれば、運転手でついていくことなぞ、なんでもない。

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 会場に早目についてみれば、整理券の番号は001番。なんと先頭だった。10分の1の確率でウルトラマンとの餅つきも体験できて、孫も大満足。

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 爺さんも、せっかくの機会だからと、ウルトラマンに握手を求め、地球を守るため、堅い約束をしたのだった。

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 孫たちも、つきたての餅をご馳走になり、大満足。

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 これで、良い一年のスタートを切れるかな・・?

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 楽しいお正月の一コマでした。 シュワッチ!

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<57>につづく

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2016/01/03

「わが市民農園」<48>農地拡大?

<47>からつづく

わが市民農園 (市民農園体験記・改題)

<48>農地拡大?

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1)ホームセンターに灯油を買いに行ったら、こんな張り紙が! あらら、ざっと計算すると、私が今借りている条件よりはるかにいい。地区だって近い。これはとにかく聞いてみる価値はあるのでは・・・?

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2)さっそく連絡をとり現地で主宰者にあうことになった。農地はなかなかいい。これでこの値段で、この地区なら、それはそれで万々歳でしょう・・・。 だが・・・・

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3)主宰者は70代と思われる、でっぷりしたお爺さん。そこまでならいい。でも、畑に来るのに、黒塗りベンツで来る必要はないだろう。コートの襟には日の丸の大きなバッチが! 子供はだめ、トイレは近くの生協まで走る、一週間に一度は来い、ダメな時はすぐ退会。なんだかな~~。

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4)スマホから流れるラジルラジルでは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の朗読が流れていた。気分はすでに賢治ワールド。せめて影だけでも賢治になって、新春の畑に立ってみた。

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<49>につづく

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2016/01/02

バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <4>

<3>からつづく

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「バルド瞑想」「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想
■瞑 想 実 践 C D●再誕生への道案内 180分・CD4枚組構成 ◆制作・ヴィートマン(Osho school for life and death processes) ◆音楽・チンマヤ 市民出版社 
★★★★☆

1)一休宗純は「正月や 冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠んだという。

2)年末に友人が亡くなって、今日が丁度初七日となっている。日本における死者を弔う葬儀は、通夜や告別式など、仏教にともなう様式はだいぶ簡略化されていて、告別式にまとめて四十九日分の供養をしてしまうから、果たしてそれは、本当に「仏教」かな?なんて首をかしげてしまう。

3)それに比べればチベットの死者の書などは49日間のバルドの行程が詳しく説かれており、なるほど、と思うことも多い。

4)さりとて、現代人であり、必ずしも仏教徒ではない私たちには、その死の行程のガイドがピッタリとあっているかどうかは分からない。そこに深い信頼があるか、どうか。

5)そこで、Oshoが現代人のために作った瞑想法がこのバルド瞑想だ。49日という行程にどれだけの妥当性があるのか、そのガイドにどれだけ信頼できるのか。それは、個々人の意識の明瞭性に関わる。

6)CD4枚にまとめれたOshoのガイド。今では、リアルなガイド瞑想も行なわれているが、そのチャンスがなくても、このCDを使えば、なるほど、と納得することも多い。

7)CDであるがゆえに、誰にでも簡単に体験できるが、かと言ってその効果がすぐあるかどうかは不明である。

8)基本は、普段からのそれぞれの瞑想体験に基づくし、それぞれが自らが信頼できるマスターを持っているかどうかも、その効果に大きく関わってくる。

9)当ブログとしては、すでに今回で4回目の登場だが、瞑想として取り上げるには、準備が十分とは言えない。スマホに音源は入っているが、実は整理が十分でなく、また説明書もどっかに行ってしまっている。

10)しかし、この機会、友人の旅たちとともに、このバルド瞑想をより確かなものとするために、当ブログでも、7週間、チャンスを捉えてこの瞑想に入っていこうと思う。

<5>につづく

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2016/01/01

「ムーミン谷の彗星」 新装版 トーベ・ヤンソン<2>

<1>からつづく

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「ムーミン谷の彗星」 新装版 
トーベ・ヤンソン(著), 下村 隆一(翻訳) 2014/02 講談社 青い鳥文庫 新書: 256ページ★★★★☆

 

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 「わしは、じゃこうねずみ---家をうしなった、じゃこうねずみだ。家の半分は、おまえさんが川へ橋をかけたときにつぶれた。もちろん、そんなことはなんでもない。あとの半分は、この雨でながされた。それは、いっそうなんでもないことじゃ。

 哲学者には、自分が生きていようと死のうと、まったくおなじことだからな。だが、こんなかぜひきのあとでは、わしはどうなるか、とても不安で・・・・・」p27第一章

 さぁ、じゃこうねずみの登場だ。なかなかの屁理屈やだな。それにカッコ付けているだけっで、けっこう弱虫?

 「わしは、ベッドなんぞちっともほしくない。あれは、必要のない家具ですじゃ。わしが住んでたのは、ただのあなぐらだったが、いごこちのよいところでしたぞ。たしかに、いごこちがよかろうとわるかろうと、哲学者にとっては、どうでもよいことじゃ。

 しかし、いずれにしても、あれはよいあなぐらじゃったよ。」p28同上

 今度のカテゴリの108記事は、このじゃこうねずみと過ごすことにする。

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■じゃこうねずみ 
  自称・哲学者。「地球がほろびる。」といって、ムーミン谷の人々をおどろかす。
 p5「おもな登場人物」

つづく

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あけおめ ことよろ 2016/01/01 bhavesh

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