« バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <8> | トップページ | 「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<7> »

2016/01/24

「民主主義ってなんだ?」高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他)

81nmylhwgvl「民主主義ってなんだ?」
高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他) 2015/09 河出書房新社 単行本(ソフトカバー) 200ページ
No.3645★★★★★

1)車を運転する時は、道路情報や、地震速報を知るために、カーラジオをつけることが多い。地元の民放かNHK第一が多いのだが、そんな時、高橋源一郎の番組を聞くこともある。この人、何かの賞を取った人だよなぁ、くらいの認識しかないが、まあまぁ、嫌いではない、程度の感覚。

2)その人がまた、なんでSEALDsなんて、「突出」しているグループと対談しているんだろう、と、やや胡散くさい感じがしていたんだよな。でも、この本を読んで、その対談は必然だったのだ、ということが分かった。

3)高橋は明治大学の教授をしていて、その教室で、SEALDsのメンバーの何人かが学んでいるのであった。それほど「有名」になる前から、というか大学に入る前からその接触はあり、震災あとの短い期間のことではあるが、その経緯が解る。

4)若者は三人が対談しているのだが、それぞれの生い立ちを持っており、それはそれで面白い。平和派の牧師の家庭に育った男子、ヤクザな祖父、ギャンブルな父をもった男子、父親の仕事に関係で海外生活が長い女子。それぞれにユニークだ。

5)その彼らが、それぞれに「政治」に関心を持ち「行動」していく。当然のことと言えば言えるのだが、それは、私たちの昭和年代生まれに取っては「お決まり」のコースだったとしても、平成生まれの若者たちにとっては、「突出」した行動だったのかもしれない。

6)私は「民主主義」と言えば、その主な参加方法は「選挙」にあると思ってきたので、無党派ではあるが、一回も投票を棄権したことはない。できるだけ当選しそうで、しかも私の意見を代弁してくれそうな人を選んできたつもりだ。

7)その結果、当選「確率」は、ほぼ50%。思った通りの政治にはなっていないけれど、だからと言って他人のせいにする気はない。結局、私たちが選んだ結果の世界ができてしまっているのだ、と忸怩たる思いになる。

8)であるがゆえに、「政治」には限界あるなぁ、と思うし、「あきらめて」しまうことになりかねない。

9)ところが、例えばアントニオ・ネグリのような人は、選挙で投票しているだけでは「代理」してくれるのを待っているだけで、結局それは権力に収奪されてしまうだけで、自らの声を反映するという意味では「民主主義」にはなり得ない、とさえ言う。

10)「直接」「行動」することが大切なのだ、という。デモも出ないわけではないが、ブログで発言することも、「行動する」ことのひとつではあろう。しかしだ。そのことによって、「何」が「どう」変わるのだろう。

11)そもそも専門家として「政治家」がいるわけだから、彼らがキチンと機能していれば、なにも人々が「直接行動」など起こす必要がないのだ。政治家がキチンと仕事をしていないのではないか、という疑いがあるからこそ「直接行動」は起きる。

12)自民党がいやだからと言って、他の政党が政権を取っても、必ずしも願ったような政治にならなければ、ひとりの有権者としては、絶望感を味わいながらも、しかたないな、と「あきらめて」しまうことになる。

13)所詮、政治は政治だ。そこに全ての人生を賭けるなんて馬鹿らしい、という意見にも傾いてしまう。人生において、一番大切なことは何なんだ、という疑問は常に湧いてくる。

14)半年ほど前に私も、いっちょ前に国会に行って、いろいろ考えた。私が考える以上に考えている人たちはいるわけで、しかもその人たちにさえ解決できないことが、この私に解決できるとはとても思わないし、一方的に、その人たちを避難するだけで、なにかが解決するとは思っていない。

15)ここまで書いて2週間が過ぎてしまった。-----------------
ここから第2部。

16)第2部は大幅な飛ばし読みになってしまったが、相当に面白い。私はもう還暦を迎えてすでに数年を過ぎてしまったけれど、もしまだ十代や学生だったりしたら、絶対にこのSEALDsとやらに積極的に関心を持ち、あるいは強引に参加し、あるいは真っ先に先頭に立っているかもしれない。自分の時代にも、これに似たグループがあって、私はそのように行動した。

17)しかし、すでにこの年になって、まして国会に毎回行けるような環境になくて、私の「っ民主主義」はもうちょっと違っている。いまでは、チキンの骨でティラノザウルスを作ったり、ソーメンが入っていた木箱などの廃材で五重塔を作ったり、あるいは森の中にソロー・ハウスを夢見たりすることが、現在の私の民主主義になっている。

18)私の子供たちはもうすでに30代になっていて、このような青春時代とはあまり関わりがなかったが、もし孫たちが成長してこのような「うんどう」に関わろうとしたら、私は積極的に加勢はしないだろうが、はてさて、どのような活動をするだろうか、とデモの救対みたいな恰好で追っかけをするに違いない。

19)私は基本的に、いろんな人と議論をすることが好きである。いろいろ話し、いろいろな意見を聞く。いいと思う。そして、そこから、どのような結論がでて、どのような行動になっていくのかは、その時の、他の要素もたくさん絡んでくるから、一概には言えないが、そのようなプロセスについては尊重すると思う。

20)この本、出てまだ半年しか経過していないが、もうすでに時期を得た読書とは言い難くなってしまっている。状況はどんどん変わっている。しかしながら、この本全体は面白い。今回は、もう返却期限に到着してしまったので、しかたないが、機会があったら、ぜひとも再読したい。

21)オモシロ話題が満載である。評価をレインボー評価に治しておく。

つづくかも・・・・・

|

« バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <8> | トップページ | 「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<7> »

14)じゃこうねずみ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「民主主義ってなんだ?」高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他):

« バルド瞑想 「チベット死者の書」に基づくガイド瞑想 <8> | トップページ | 「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る<7> »