プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <58>おばあちゃんはどうしてひとりなの?
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」
<58>おばあちゃんはどうしてひとりなの?
1)事務所で仕事の電話をしていたら、4歳児がガラリとドアを開け、泣きじゃくりながら飛び込んできた。「おばあちゃんは、どうして、ひとりなの・・・?」 大泣きである。ん? 意味分かんない。とりあえず、電話をそこそこに終了し、居間にもどって、ストーブの前で孫を抱っこする。
2)テレビでは、幼児向け学習雑誌付録のDVDのアニメ「涙のそつえんしき」がかかっていた。「ばーば、ありがとう」のかすかな文字が・・・。
3)なだめすかして、話しかけ、いろいろ考えたが、最初よくわからなかった。どうやら、あのアニメを見ていて泣きだしたらしい、ということは分かった。孫たちが風呂に入って寝床についたあと、夕飯前に帰宅したばあさんと二人で、アニメを見てみた。
4)ストーリーはこうだ。幼稚園を卒園する子供たちが、ひとりひとり「ありがとう」の発表をする時、主人公は、母親の母親であるばーばにありがとうを言うことにしたのだ。ばーばは小さい時に叱ってくれたけど、それは僕を好きだったからだって、分かったのだ。
5)そのばーばは、もういない。ちょっと前に死んでしまったのだ。でも僕は小学校に入ってランドセルを背負った姿をばーばに見てもらいたかった。そんな僕の耳に、サクラの木の上の空から、ばーばの「ランドセル姿を見せてくれて、ありがとう」という声が聞こえた気がしたのだ。
6)そういうストーリーが、年少の4歳児の、心の琴線のどこかに触れたらしい。「おばあちゃんは、どうしてひとりなの・・?」では、ちょっと意味がわからない。要約すれば、あのばーばはどうしてお空でひとりなの、ということである。
7)つまり、どうしてあのばーばは死んじゃったの? 死とは何? ということの問いかけだったのだ。その問いは、4歳児においては「おばあちゃんはどうしてひとりなの?」という表現にならざるを得なかったのだろう。
8)番組では死因は語られない。死んだ理由なんかはどうでもいいだろう。ただ人は死んでしまうのだ。死とは何か。そこんとこに、4歳児は鋭く反応した。
9)明日は2月11日。3・11震災から4年と11ヵ月である。この子供は3・11以降に宿り、誕生してきた子供である。ひょっとすると、あの震災で亡くなった人の生まれ変わりである可能性もある。その子供が、もう「死」について感じる時代になっているのだ。
10)時あたかも、還暦過ぎた爺さんは、OSHOの「死について41の答え」を読みつつ、バルド瞑想を続けている。まもなく49日目を迎える。次々と友人たちを亡くし、自分の衰えも感じながら、やはり「死」を考えている。人はどうして死ぬんだろう、死とはなんだろう。
11)4歳児が直感的に感じた人生上の最大の疑問は、何年経過しても、おそらく明快に答えられることはない。言葉で答えられる正解はない。しかし、そこを問い続けることは、人生最大のテーマである。
12)「おばあちゃんはどうしてひとりなの?」 無邪気さの中で、子供は子供らしく、大泣きした後でも、すぐに別な話題で大笑いしたりする。あの疑問はどこかに消えてしまったかもしれない。
13)しかし、その疑問は、彼の人生のなかで、繰り返し繰り返しやってくるだろう。もっと明快な言葉と事実のなかで、彼は彼自身の言葉を持って問い続けていくことになるのだ。そして、自分も死から無縁ではあり得ないことを知る。
14)「死」とはなにか。そして、自分はどう生きるのか?
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15)後日談
翌朝になって孫の母親に聞いて、いくつかのことが判明した
16)事務所の私のところに来る前に、台所仕事をしていた母親のところに行ったらしい。母親も夕飯の支度をしていて、DVDの内容は見ていなかったらしい。難しい問いになったので、母親は「おじいちゃんのところに行って聞いて」と言ったらしい。
17)その時、孫はまだ泣いてなかったらしい。でも、「泣いてないけど、泣いてないけど」、と言って、何度も目をこすっていたらしい。すぐ廊下を挟んで隣の部屋の私の仕事場に来るまでに、彼の感情は爆発して、号泣しながらやってきた、ということらしい。
18)その夜、孫は母親と風呂に入りながら、「どうして人は死ぬの・・・?」と質問したらしい。答えに窮した母親は、まだ事の次第を飲み込めていなかったが、「おばあちゃんはまだ死んでいないから、心配しなくて大丈夫なのよ」と説明したらしい。
19)その次、孫が質問したのは、「となりのおじいちゃんはどうなったの?」 だったとか。昨年の秋、90歳近くで隣のお爺さんが亡くなった。お葬式にも出席したから、印象深かったのだろう。「火葬されて、骨になったよ」と、母親は説明したらしい。
20)そう答えるしかないし、それ以上の答えはなかなか思い付かないが、あとは、「天国にいったよ」とか「お空から見てるよ」とか、その場しのぎの答えはできるだろうが、それは本当の答えでないことは、孫自身分かっているのだ。
21)すくなくとも、人間として、4歳にもなれば、そういうことに、しっかりとした疑問を持つようになる。それが自然なのだ。
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