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2016/02/14

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <59>おじいちゃんはとしよりなのに、どうして、しなないの?

<58>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<59>おじいちゃんはとしよりなのに、どうして、しなないの?

 きょうはせっかくの日曜日なのに、父親がいない。学生時代の友人が亡くなったので隣県まで葬式にでかけたのだ。30歳。あまりに若い。死ぬ、ってどういうことなんだろう・・? 4歳児なりに真剣に考える。

 人間はどうして死ぬの? う~ん、それはね、人間は誰でも死ぬんだよ。ほら、花が枯れたり、魚が腐ったりするでしょ、それと同じなんだ。病気になったり、年寄りになったりすると。

 どうして病気になると死ぬの? おもちゃでもさ、壊れてしまって、直せなくなると、もう遊べないでしょ、それと同じなんだ。病気でも直せるものと、直せないものがあるんだ。

 ふ~ん。食事をしながら、すぐ話題は別なことに移る。

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 夕飯のあと、テレビを見ながら、ふとつぶやく。「おじいちゃんは、としよりなのに、どうして、しなないの・・?」 さっきの疑問は、ずっと4歳児の頭のなかでグルグル回っているようだ。

 じいさんはじいさんなりに、テレビを見ているふりして、ひとり考えている。おじいちゃんは年寄りだけど、もっと年寄りになったら死ぬかもなぁ・・・。病気したり怪我したりして・・・。でも、今は元気だよ。

 いえいえ、この年寄りの爺さんだって、若い時、そう君のお父さんより若い時、あと半年の命です、って宣言されたことはあるんだよ。その時、もうずっと前に、死んでいたかもしれない。だけど、どういうことか、まだ生きている。死ぬって、ことは、結局、どういうことなのか、わからないんだよ。

 30歳の父親は、帰宅するなり溜め息をつく。友人は昨年の春にすでに余命3ヵ月の宣言を受けていたという。しかし、独身だった彼は、仕事も休まず、闘病を続けたという。予定より半年は長く生存したが、結局、数日前に亡くなったのだ。

 4歳児の父親は考える。どうせ死ぬなら、やりたいことをやるしかないなぁ。

 ゲームでも、テレビのニュースでも、「死」という言葉は簡単に使われている。4歳児とは言え、一日に何回も聞く言葉だろう。しかし、その実態はよく分かっていない。

 この言葉が、このテーマが、どれほど長く4歳児の心に宿り続けるだろう。忘れてしまうかもしれないし、ほどほど適当なところで分かった気分になるかも知れない。あるいは、もっと深みを求めて、彼は彼なりに、考え続けるかも知れない。

 じいちゃんは、としよりなのに、どうしてしなないの・・・?

 いえいえ、じいちゃんは、としよりだから、いずれ死ぬ。あしたかもしれないし、ずっと先、君が大きくなってからかもしれない。でもそれは年寄りだから死ぬんじゃない。人間だから死ぬんだよ。命あるものはすべて死ぬんだ。

 若いけど、キミもまた、いつかは死ぬんだ。不思議なことだけど、どうしてなのか分からないけど、そういうことになっているんだ。どうしてか、ってことは、わかるようでわからない。実はじいさんにもわからないんだよ。

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 聞くところによれば、その30歳の青年は、地下鉄工事に関する仕事をしていたそうだ。病気が発覚後も仕事を続け、昨年ようやく地下鉄が開通したのを確認してから、会社に病気内容を告げ、休業に入ったという。

 仕事をやり続けることができたのだから、悔いはない、との言葉を残したという。敢えて言えば、結婚したかったかな、とも。

 あっぱれな人生でした。短くも立派な生き方だったと思います。

 ご冥福をお祈りいたします。   合掌

<60>につづく

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