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2016/02/24

「定義如来 西方寺五重塔建立の軌跡」<2>

<1>よりつづく 

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「定義如来 西方寺五重塔建立の軌跡」 <2>
川村巌 撮影・編集  1986/10 阿部建設五重塔建立記録刊行委員会 120p
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 この本の面白さは、昭和における五重塔建設のドキュメンタリーになっているところだろう。ほとんど正式報告書とさえいえる。東北に育った私にとっては、五重塔というのはあまり身近でもなく、正直あまり関心もなかったのだが、今回あらためて東北には数棟の五重塔しかないことを知った。

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 当ブログが五重塔に関心を持ったのは、仙台郡山遺跡における郡山廃寺とはどのようなものであったのか類推するところから始まったのであるが、それは1300年前のことであり、おのずと当時の仏教、なかんずく法隆寺の五重塔に思いが繋がったからであった。

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 そのことを確認するために、なにはともあれ、手元にあった木箱や棒きれといった廃材を使って40分の1スケールの模型を作るところから始めたわけだが、それが終わるまでには、相当の時間を要することも、あらためて分かってきた。

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 定義山における五重塔建設の経緯は、ほとんどこの本でわかる。実によくできた一冊である。五重塔の経緯、仏教伝来の経緯、平家の興亡、東北の自然、宮大工としての技術の伝統や現実、さまざまなことがよく分かる。

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 それにしても、発願から竣工まで、そして、そのいつ終わるとも知れない環境整備計画に、唖然とするほどの、関わる人々の情熱が感じられる。経緯由緒はどうであれ、ひとりひとりの人間が、それぞれの立場において、自らの精神性、宗教性を求めていく姿には、圧倒される。

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 翻って思うに、わが人生において、今やおもむろに1300年前の仏教のありかたに思いをはせ、手いたずらの一環とは言え、五重塔をものせんとするこの意趣は、一体なにごとか、と自分に問う。

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 早朝に瞑想し、時には迷い、スマホに入れた般若心経を読経しなければ前に進めなくなるほどの気の動きを感じながらも、基層から、しだいに心柱、初層の屋根まで工作もすすみつつあり、はて屋根材はどうしたものか、と思う。

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 漠然としたものであったが、ここに来て、数ある五重塔の屋根材や工法は、いくつかあることがわかってきた。法隆寺は瓦であるが、山形の五重塔は杮(こけら)葺きであるという。他には銅板葺きというものもあり、わが模型は、法隆寺に真似て瓦葺き風にしようと思うが、はてさて、その材質は何を使おうか。

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 えにしからの不思議な縁に導かれながら、わが模型は、次なるステップ、カヤの木による薬師瑠璃光如来像へと、うまく繋がっていくものかどうか。その周辺の見定めも、極めてきわどく精神性へと関わってくる段にさしかかってきた。

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つづく

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