「五重塔」幸田 露伴<2>
「五重塔」<2>
幸田 露伴 (著) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 282 KB 紙の本の長さ: 57 ページ
★★★★★
其四
当時の有名(なうて)の番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ批点を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷格天井の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつ)かの客殿、大和尚が居室(いま)、茶室、学徒所化(しょけ)の居るべきところ、庫裡(くり)、浴室、玄関まで、あるは壮厳を尽しあるは堅固を極め、あるは清らかにあるは寂(さ)びておのおのそのよろしきに適(かな)い、結構少しも申し分なし。
そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諱(おんな)を聞けばそのころの三歳児(みつご)も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人(ろうえんじょうにん)とて、早くより身延の山に蛍雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(びばしゃな)の三行に寂静の慧剣を砥(と)ぎ、四種の悉檀(しったん)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶(くんせん)を避くるによって鶴のごとくに痩せ、眼は人生の紛紜(ふんうん)に厭(あ)きて半ば睡(ねむ)れがごとく、もとより壊空(えくう)の理を諦(たい)して意欲の火炎(ほのお)を胸に掲げらるることもなく、涅槃の真を会(え)して執着の彩色に心を染まさるることもなければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌(しの)がん便宜(たより)も旧(もと)のままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧(りこう)なるがみずから奮って四方にい馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演(の)べ説き聞かし富豪を??めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素(ひごろ)より随喜渇仰(かつごう)の思いを運べるもの雲霞のごとき勢いをもってしたれば、上諸候より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田(ふくでん)へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百州海に入るごとく瞬(またた)く間(ひま)に金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才に長けたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。
しかるに悉皆成就の暁、用心頭の為右衛門普請諸入用諸雑費一切しめくくり、手脱(てぬか)ることなく決算したるになお大金の剰(あま)れるあり。これをいかになすべきと役僧の円道もろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合わせて相談したれど別に殊勝な分別も出でず、田地を買わんか畠買わんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今さらまたこの浄財をそのようなことに費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なりよきに計らえと皺枯(しわが)れたる御声にて云いたまわんは知れてあれど、恐る恐る円道ある時、思(おぼ)さるる用途(みち)もやと伺いしに、塔を建てよとただ一言云われしぎり振り向きもしたまわず、鼈甲縁(べっこうぶち)の多気なる眼鏡の中(うち)より微(かす)かなる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられるが、いよいよ塔の建つに定まって例の源太に、積り書出(いだ)せと円道が命令(いいつ)けしを、知ってか知らずにか上人様にお目通り願いたしと、のっそりが来しは今より二月ほど前なりし。7/78p
いやはや長い長い、ひとつのセンテンスがこれだけ長い文章は、当ブログ初めてであろう。ましてや明治時代の古い漢字の使い方や、専門仏教用語の羅列にあっては、おおよそ読書としては成立しなかったであろうが、幸いにCD文庫が存在し、この幸田露伴の名作を楽しむことができたのは幸いだった。
40分の1スケールの法隆寺五重塔を作りながら、飽きるほど、何回も何回も、繰り返し聞いたのであった。
ところで、CD文庫でも気にはなっていたのだが、本文を読んでみると、この文章の中に気になる文字があった。毘婆舎那(びばしゃな)の三行、とはこれいかに。
おそらくはそうであろうと思ったが、いざ今日になってネットで検索してみると、毘婆舎那とは、我々Oshoサニヤシンが日 常に使う言葉ビパサナと同義語であることが判明した。
梵語ヴィパシャナー(vipaśyanā)の音写。観(かん)・妙観(みょうかん)・正見(しょうけん)と漢訳する。止(禅定)と並べて止観といわれる。禅定によって得られる静かな心で、対象をありのままに正しく観察(かんざつ)すること。→止観 奢摩他 信巻
浅学無学の徒でしかない私なぞは、禅と比して、ビパサナとは南方禅であるかのようなイメージがあったが、平安や鎌倉の時代から、
毘婆舎那(びばしゃな) として日本仏教のなかに根づいていたことを発見した次第。
まぁ、それにしても、ここに抜き出した「五重塔」のなかの一節。幸田露伴その人も、仏教そのものに通徹していなければ、このような文章は書けなかったのだろうと、あらためて驚愕、畏敬した。
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