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2016年4月の45件の記事

2016/04/29

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」関侊雲他 <1>

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「続・彫刻刀で楽しむ仏像」[釈迦如来・聖観音菩薩] <1>
関侊雲(監修), 河合宏介(写真)  2013/6/5 スタジオタッククリエイティブ 単行本 176ページ
No.3686 

1)同じシリーズの 「彫刻刀で作る仏像」 入門編(関侊雲 2010/07 スタジオタッククリエイティブ)、「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲他 2011/09 スタジオタッククリエイティブ)には、探していたモデルがなかったので、ちょっと残念ぎみに、こちらの「釈迦如来・聖観音菩薩」編も、取り寄せてみた。

2)そうしたら、実はあまり期待していなかったのだが、こちらにすばらしい薬師瑠璃光如来坐像のモデルが掲載してあったのだ。

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3)こまかい指導はないが、他の坐像モデルの制作方法を活用すれば、それほど難しくなくイメージはできそうである。

4)いずれはこのモデルに挑戦したい。だが、その前に、まずは彫刻刀の砥ぎ方から練習だなぁ。

5)合掌

<2>につづく

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「法隆寺を支えた木」西岡 常一他

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「法隆寺を支えた木」 
西岡 常一(著), 小原 二郎(著) 1978/06 日本放送出版協会  新書 226ページNo.3685★★★☆☆

1) 久しぶりに大型書店で待ち合わせ。短い時間の中で、店内をあちこち覗くが、こちらの思いにかなう書籍は少ない。老眼も進み、読書意欲も最近減退ぎみ、なによりかにより最近は、あれこれと仕事や雑務に忙しい。

2)と、平積みしてあるこの書が目に飛び込んできた。これこれ、これが今読みたかった本なのだよね。最近、こういう本が出ているのか。わが脳みそはレインボー色に輝いた。

3)しかし、手に取って、ゆっくり読み始めてみると、この本は、もともとは1978年に出た本だった。しかも私が図書館から借りだして読んだ本は、2009年に出た本で、すでに85刷を経たベストセラーだったのだ。

4) 法隆寺ではなく、薬師寺金堂再建のためのヒノキを台湾まで見に行ったときです。このとき、根の張りぐあいで木のよしあしを見分けることができたのも、農学校を出ていたおかげです。

 その土地には樹齢二千年から二千五百年のヒノキが生えていました。そんな老木でありながら、中には若木のように枝、葉に勢いのよい木がありました。そういう木はきまって中が空洞です。年相応に、老いの風格がある木は、芯までしっかりしていました。

 年相応の形をしている木は、皮から芯まで充実しています。古木でありながら、若々しく青々と葉に勢のある木は、きまって芯が空っぽなんです。空洞であれば、木の皮だけを養えばよいから、養分が見てくれの外観に溢れて、若木のように見えるのではないでしょうか。p28西岡常一「飛鳥と木」 

5)法隆寺大工の家に生れ、最後の宮大工棟梁と言われた西岡の人生については、「薬師寺再興ー白鳳伽藍に賭けた人々」 (寺沢 龍 2000/9 草思社)を読み終えたばかりだったので、すんなり入ることができた。もっともなお話と、名工ならではの気付きには納得するしかなかった。

6)しかるに、後半の解説の小原二郎著の部分になって、なんともだんだん冷めていく自分を感じざるを得なかった。★5から★4に、だんだんトーンダウンした。そもそもが、感性の部分を、科学づくで解説されるのが、私にはちょっと早かったようだ。いや、そもそも不要なのかもしれない。

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7)そしてなによりかにより、この本においての「木」はヒノキしかないのだ。その辺りがこの本の肝でもあるし、ちょっと的外れなところでもある。また、法隆寺の建築部分の「木」だけが取り上げられていて、その他の、例えば「仏像」などについて語られている部分が少ない。そのところが、一読者としては、ちょっと不満が募っていった部分である。

8)ヒノキが優れている、ということは分かった。1300年前の法隆寺建立時には国内産のヒノキで建てられたのだろう、という推測は分かった。しかし、昭和の大修理の時でさえ、すでに国内には良質なヒノキは少なく、台湾産ヒノキを大量に輸入したとのことである。

9)平成の21世紀jにおいては、おそらく国内の神社仏閣でヒノキを所望する声は大勢だろうが、ほとんど輸入材か、他の材に頼るしかなくなっているのではないだろうか。

10)国内の自生のヒノキが絶滅し、植林もおぼつかないとして、輸入材さえ値段が高騰し、なおかつ品薄となれば、それほどの高級な伽藍を作ることに、どこに「適材適所」の思想が息づいている、と言えるだろうか。

11)比較しようもないが、かつて20年ほど前に、拙宅を改築する時は、やはり木造にこだわった。しかも、2X4ではなく、在来工法とやらにした。さらに言えば、使った材はスギであったけれども、できれば近県在郷のもの、ということで、工務店を選んだ。

12)あの当時はそうであったけれど、今では、違う見方をするかもしれない。耐震構造も必要だし、付帯する性能もさまざま変化している。決まった予算内で決めなければならないとしたら、材質も、工法も、時代にあったものを採用するのが賢明であろう。

13)古墳時代を抜け出し、神社仏閣の伽藍でもって権勢のシンボルにする1300年前においては、たしかにヒノキに代表する木造伽藍に固執することは時代の流れであったかもしれない。さらに、その時代を偲ぶには、当時の古刹を研究し、ヒノキをほめたたえることも、重要なことであろう。

14)しかし、そもそもは、仏閣である法隆寺は、その建物が主人公なのではなく、その中の仏舎利や、法そのものが主人公なのであり、その永遠性を保持するとしても、おそらく1300有余年では、そもそも「永遠」などはカバーできないのである。

15)この本においても適材適所が語られるが、それはヒノキの中の、どこの産の、どの山の、どの部分を、どう使うか、というレベルで語られている。そこまで絞りこんでいたのでは、もはや、適材適所、と言えるのかどうか、今の私には納得がいかない。

16)あいつは先発投手で、あいつは中継ぎ、そしてあいつはクローザ―だ、と、野球の投手の性質を細かく決めつける前に、彼は投手で、彼は一塁、あいつは遊撃手、キャッチャー、外野、と分ける以上に、彼は背が高いからバスケットやバレー、あいつは小さいから徒手体操がいいかな、卓球や水泳は、どうだ、というレベルでの、適材適所を、私は語っているのだ。

17)いやいや、もっと大まかに、彼は体育会系、あの人は文科系、あの人は事情もあるし、帰宅部でいいんじゃない、と、これもまた「適材適所」といえるのではないだろうか。少なくとも、私は、この言葉をかなり緩く考えている。

18)はばかりながら、わが五重塔は、ゴミの中から湧出してきたものである。

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19)ヒノキのような「エリート」集団の中から、さらに選び抜かれた秀抜な材質で作られたものではない。しかしながら、五重塔は住まいではない。人間が入るものではなく、仏舎利をおく機能であるなら、小さくとも、あるいは、その材質が何であろうとも、入っている「魂」が「本物」であるならば、はばかりながらわが五重塔は、それはそれで、ヒノキや1300年の歴史にもおとらぬ「ホンモノ」であるのだ、と、なにはともあれ、恥ずかしげであれ、とにかく自負しておきたい。

20)この本の後半最後においても、仏像についても触れているが、そのほとんどがヒノキ礼賛であり、他の樹木、とくにカヤについての考察は少ない。その辺りもまた、どんどん、この本に対する我がブログの評価が下がり続けた所以であった。

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21)21世紀のグローバル・コンシャスネスにおいて、歴史にこだわり、材質にこだわり、地方性にこだわりつづけることは、かなりゆがんだ結果を導きだすことになるだろう。

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22)我がスピリチュアル・ライフにおいて、まずは、今、手元でゴミになろうとしている材料を使って、五重塔を創り出す、という廃材アートはすぐれていると感じられるし、いよいよ廃棄されるという樹齢1300年のカヤの間伐材をもらいうけ、自作仏像の練習をすることは、まさにわが適材適所、と合点するものである。

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2016/04/27

「薬師寺再興」 白鳳伽藍に賭けた人々 寺沢 龍

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「薬師寺再興」 白鳳伽藍に賭けた人々 
寺沢 龍(著) 2000/9 草思社単行本 278ページ
No.3684 

1)当ブログ、1300有余年の昔を尋ねる旅の中で出会った本の一冊。この本に辿り着くまで、いろいろな紆余曲折があり、また、類書の中でこそ語られなければならない一冊ではあるが、たった一冊の読書としても、際立った美しさのある良本と言える。

2)昭和から平成にかけての奈良薬師寺にまつわる再興劇を、橋本凝胤、高田好胤という僧侶子弟と、その建築に関わった宮大工・西岡常一棟梁の三人の人生と業績を柱にしたノンフィクションストーリーである。

3)三人のそれぞれの人生を、おのおの一冊の本にしてしまったほうが分かりやすいのであろうが、逆に、この三人を繋いだればこそ、この本一冊の面白味が湧きでてくるというものである。

4)高田好胤については、マスコミへの露出度も突出していたし、その言動については、西岡常一本人も最初は好きでなかったというから、私も、正直、あまり好きでなかった、とここで書いておいていても、おこられはしないだろう。

5)私は高田好胤の講演会に一度参加したことがあると記憶しているのだが、正直あまりはっきりとした記憶がない。ただ、「好胤、父母恩重経を語る」という内容で、そのお経のタイトルに誘われて参加したように覚えているのだ。高田好胤が書いた似たようなタイトルの本を後日求めて読んだように思うので、1976年当時以降であったと思う。

6)「父母恩重経」は、釈迦直伝ではなく、中国で後年作られた「偽経」という評価もあり、私は、若い時分でもあったし、その内容にしっくりと納得していたわけではない。しかしながら、私の祖父がいろいろ仏教を手ほどきしてくれる中で、手渡してくれたお経の一つがこのお経で、「ゆっくり読めよ、ジックリ読めよ」と因果を含めて言い添えていたので、いつまでも忘れることができないのであった。

7)いささか深淵ならざる「偽経」つながりの中で、私は高田好胤という僧侶については、深く入り込んだこともなかったし、あえて接触しようとも思わなかったのだが、今回のこの本の読書を通じて、非常に身近なものを感じるようになった。

8)そもそも、ノンフィクションとは言え、この類の伝記物は、主人公のことが、とやかく美化されて書かれていて、マイナス面にはあまり触れられないものであるが、この本は、プロの作家によるヨイショ記事ではなく、退職後のサラリーマン作家の第一作、という位置にあり、なかなかプラスマイナス面をうまく描きだしていて、信ぴょう性が高い。

9)それにしても、伝統があるにせよないにせよ、伽藍ひとつを整備するということの大変さと、その素晴らしさ、そして人生というステージでそのようなイベントに出会ってしまう人々の、その運命と、心情というものが、かなり読む者に分かりやすく描き出されている。

10)同時代的に言えば、この三者が活躍した60~90年代において、少年から中年時代を過ごした私には、敢えて言うなら、共感域の少ない、「向こう側」の人々の物語が連綿と語られているわけだが、還暦を迎えた今となっては、なるほど~~、と納得して読むことも多かった。

11)法隆寺、法興寺、薬師寺、などなど、藤原京、平城京、各天皇にまつわる話など、まつわる人物や時代へのアクセスポイントも多く、また、この「再興」劇に関わった人々のストーリーにもさまざまな支線があって、なかなかに興味深い。うのみには出来ないが、インサイダーではない著者が、さまざまな印刷物を駆使して描きだした、新しい一つの視点からのノンフィクションには、かなりの説得力があり、読む者に静かな感動を呼び起こす。

12)少なくとも、読書前に私が期待していた内容を、はるかに凌駕していた。

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2016/04/24

日経TRENDY2016年5月号雑誌「限定スペシャル特典!!(先着順)スマホ用レンズ三種類セット」

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「日経TRENDY」2016年5月号「限定スペシャル特典!!(先着順)スマホ用レンズ三種類セット」
日経BP社 2016/4/4 雑誌 月刊版 148ページ
No.3683 

 この号、特集記事もなかなか気になるところだが、私がこの雑誌を購入したのは、他の理由による。付録が気になったのだ。

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 ついてきたのは三種類のレンズ。広角、魚眼、マクロ(接写)。スマホ用である。

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 実際に装着すると、こうなる。

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 まず、マクロ(接写)レンズからテスト。通常だと、この程度の撮影で終わるのだが・・。

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 この程度までは接写可能なようだ。

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 もっとも、スマホでは手ぶれが発生するし、プラスチックレンズでは解像度が下がるので、超鮮明、とは言い難い。それでも、スマホの世界が広くなるのは確かだ。

 次は、広角。通常だとこうなるが・・。

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 同じ位置でも、こうなる。

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 四隅のケラレが気になるところだが、それを分かった上で活用することも可能だろう。場合によってはトリミングして使うことも出来る筈。

 さて、広角。自撮りなどの時に有効ということだが・・・・。

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 これは腕を精一杯伸ばした位置での撮影だが、同じ姿勢でも・・。

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 確かに周囲が写り込むので、自撮り棒などを使えば、より効果があるかもしれない。(不機嫌そうな顔だが、内面はワクワクしている ^_−☆)

 レンズを通すだけで明るさが減るし、いちいちセットするのも実はちょっと面倒くさい。ましてや小さいものだから失くす可能性もある。レンズもいつまで綺麗な状態で保存されるか、悩ましい。

 それでも、620円の雑誌の付録だと思えば、腹も立たない。

<失敗談>
 私は書店の店頭でこの雑誌を発見し、アフェリエイトのポイントでネット購入したのだが、そちらにはこの付録がついていなかった。_| ̄|○ あわてて店頭に戻って購入した。あくまで店頭の「先着順」の限定スペシャルのようだから、要注意。

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2016/04/22

M氏への返信

 敬愛すべきM氏からSNSメールで、集いへのお誘いが届いた。大変興味深い内容で、しかもM氏からの案内とあれば、ぜひにでも参加したいものだと、直感する。

 しかしながら、関西、中国圏を活動域とする彼と会うのは、北日本に住まう我が身としては、そうそう簡単ではない。ひとっ飛びに飛行機で宮崎に行ったのは、すでに15年前のことだし、関西圏に遊んだのは、もはや30年近く昔のことだ。

 年々、活動域も狭まり、無理な日程の旅も身にこたえるようになった。ああ、お互いに、もうすこし身近な存在であればいいのになぁ、と願いつつ、いつの間にか、年に何度もない挨拶程度の交流で済ます友人も多くなってきた。、

 M氏の案内は、必ずしもピンポイントで私宛に宛てたものではなさそうなのだが、受け取ったよ、ということは言いたい。そして、ぜひ参加してみたいなぁ、と思いつつ、どうも今回も無理だよ、と、伝えたい。

 しかし、現在の私は年度末、年度初めの業務で忙殺されている。日々のルーティンワークではなく、年に一度の精神作業が多いのだ。頭を抱えて、あれをこう、これをああ、と、なかなか悩ましい毎日なのである。それに輪をかけて、次々と様々な締め切りが迫る。

 何か、気の利いた返信を書きたいのだが、言葉にならない。彼の案内と、私の今の状況では、言葉の橋が、上手く掛からない。

 そこで、スマホに残っている画像ひとつを、イイネ! の積りで、送信してみた。

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 どれだけの人が共感してくれるものかは分からないが、私の近況はここにある。わが廃材アートの極みである。海苔や乾麵が入っていた木箱をバラして材とした五重の塔。制作にかれこれ3ヵ月かかった。まだ未完成ながら、そこに費やされた日々を思うと、我ながら、とてもいとおしいものを感じる。

 五重塔も数あれど、これは法隆寺のそれを模したもので、40分の1スケールである。なかなかリアリティに富む。そもそもこれは仏舎利塔なのであり、実は基壇には「納骨」のスペースがあり、そこには私なりの宝物を納めるように出来ている。

 天頂部分の法輪などはいかがなものか。道具箱やらガラクタ箱からでてきた金属類を、繋いで作ったものであり、細部は問わないとしても、基本を無視して繋いだものではない。その元の意味を尋ねるべき学習の一環として、積み上げてみたものだ。

 さて、その面前にある仏像もはて、いかがなものか。これにも仔細あり、今はとにかく樹齢1300有余のカヤの木の間伐材から掘り出した薬師瑠璃光如来である、ということだけは記しておこう。いずれに廃棄されてしまう間伐材に、ドド素人の私が彫り出すものは、なにほどのものではないが、個人的には実に心の修練にはなる。

 ややあって、M氏からの追加の句があった。無為自然についての心境であろうか。意味深く、彼の存在があればこそ、深読みもしたくなる、一句である。この句に対となるような句を私には作れない。そこで、またイイネ!のつもりで、画像を一枚送った。

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 最初の画像が、全てが私のてなぐさみの結果であるなら、こちらは、ある意味、手つかずの自然の営みである。

 気がつく人は気がつくであろう。これはタンポポの花だが、今や希少となったニホンタンポポの花である。阿武隈川の土手に自生していたものを数十年前に我が家の奥さんが移植したものだが、未だに健在である。花弁やその色合いに特徴がある。

 除草剤こそ散布しないが、雑草だらけの我が狭き庭のなかにあって、いつも除草の対象になり、季節ごとにむしり取られている。だが、春になると毎年芽を出し、葉を伸ばし、花をつける。そして白い胞子となって飛んでいく。

 我が庭の数カ所に咲いているのだが、この画像は、我が事務所の入り口の真ん中に咲いているものだ。荒く敷いたブロック石の隙間から、毎年芽を出す。その下には、深く根を張り巡らしているのだろう。今となっては、私も春になると、このタンポポを心待ちするようになっている。

 と、さらに追加のメールがM氏から届いた。正直言って、これは私に宛てたものか、同報メールなのか、分からない。そこには、彼の故郷にまつわる伝説が紹介してあった。なるほど、そういうこともあるか。伝説の解読には、私なりに気がかりな件もいくつかある。今は、ひとつひとつの解読のすり合わせをしている余裕はない。

 で、ここでまたイイネ!のつもりで何か気の利いた画像を、と思ったのだが、なんだか長々とした禅問答になりそうなので、こちらのブログに経緯を記しておき、M氏のみならず、最近少なくなるばかりのこちらのブログの記事として、好意的な読者の皆さんにも近況を記しておこうかな、と思い立ったのである。

 しかるに、その伝説に対応させるべき、我がもう一枚の画像は、なんとなるべきであろうか。思案して、画像フォルダーの中に、最近のこの一枚を見つけた。

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 ちょっと意味不明であろうが、 私としては、ここに四つの意味を映し出している。ひとつは、一本の老木である。さもない団地の中の一本の老木である。

 二つ目は、この老木は、推定約1300有余年の樹齢を持つとされて、市内最古云われているカヤの木の保存樹木であるということだ。

 三つ目には、この鳥居にもあるように、このエリアは聖域とされていて、根元より出現したとされる薬師瑠璃光如来の坐像を元にお堂ができている。例年春にお祭りがされているのだが、その時に建てられる旗には、神仏習合の名残であろうか、「少名彦名命(すくなひこなのみこと)」と銘打たれている。

 四つ目は、その春祭りが、今年も近づいてきましたというポスターである。一番手前に張ってある。最近、私が張ってきたものだ。

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 張ったのは私だが、このポスターを作ったのは、すでに80歳を通り過ぎた叔母である。例年彼女の作品が展示される。

 この樹木は、長年地域の人々に愛され護られてきた老木であるが、経緯あって、今は私の属する一族が共有で管理している。そして、最長老である我が母が代表者として名を連ねることとなっている。

 生家の敷地内にあった老木を誰よりも母が愛しているのは知ってはいるが、その母は、目も見えなくなり、耳も遠くなり、ましてや今年に入って転倒し、腰の骨を折って大手術を受け、現在も入院中でリハビリに励んでいる。 愛するカヤの木に対しては、何事もできない身となって、病院のベットに横たわっている日々である。

 その想いも分からないでもないので、その熱情に動かされて、私は毎年のこのお祭りに参加してきた。ことしも、ごく少人数のお祭りではあるが、いくつかの大事な準備を任され、用意をしている。

 ここで最初に戻るが、私の拙い手慰みとなってしまった薬師瑠璃光如来の少像は、このカヤの木の間伐材で彫られているのである。そして、最近、私は、奈良唐招提寺の伝薬師如来立像や、新薬師寺の薬師如来坐像、京都神護寺の薬師如来立像なども、おおよそ1300年ほど昔に、やはりカヤの木から彫りだされているのだ、ということを知った。

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 入院中の94歳の母に、祭りの準備の報告のついで、彫りかけている薬師瑠璃光如来像の少像を握らせてきた。微かな芳香がするのだが、すでに五感が弱くなっている母には、その香りをかぐことはできないようだ。それでも、大変喜んでくれた。

 私としては、ここにひとつの円環が閉じるのを感じる。もっとも一番小さな円環である。ようやく閉じたというべきか、閉じるのにこれだけの経緯が必要だったのか、という忸怩たる念もある。また、ようやく今という時代が必要だったのだろう、とも思う。

 しかし、我々一個人の生命を超えた円環、いくつも、多層に重なり合っている円環を尋ねる旅は、おそらく、これからようやく始まるのであろうと思う。

 100年、1000年を超えるもの、1万年も10万年も超えるもの、さらには億の、未曾有の円環の繋がりの中で、私たちの短い命は、あえなくも、あわく、消え去っていくのである。

 3・11もようやく5年を過ぎたものの、未だ心身休まらず、人の営みなどいかほどでもないものだと、感嘆する間もなく、今年になれば、熊本、大分、九州地方の、震度7を伴う連続地震におびえる昨今である。

 身を震わせ、大地と共に生きる、人間の、命の、そのはかなさ、おろかさを嘆きつつ、薬師瑠璃光如来の施無畏の慈愛のみこころの情に浴したいものだと祈るこのごろである。

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    オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

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2016/04/19

<ご注意>還付金詐欺について

 今回の熊本、大分、九州地方の大震災で被災されている皆様に、あらためて心よりお見舞い申し上げます。
 ニュースを聞く限り、まだまだ気の抜けない日々が続くかと思われますが、どうぞ心身を大事にされ、一刻も早く復興される日がくることをお祈りしています。

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 さて、こんな時にこんな話題もなんなのですが、このドサクサを狙って、怪しい動きもあるので、シェアしておきます。

 ウィークディの午前中、自宅の固定電話に非通知の電話が一本入った。現在は、仕事用の電話も他の番号に移したので、あまりこの電話に連絡は来ない。「非通知」であること自体、現在では珍しい。役所からの電話はもちろん、セールスの電話でも、通常は「0120~」とかなっているが、まずは電話番号が表示される。「非通知」の時点で、まず身構える。

 「*****さんですか?」 本当は読みが違うので、「いいえ」なのだが、漢字だけを見て読む場合は、よくこう間違えられるので、敢えて否定はしない。ただし、役所からの電話の場合は、ひらがなでルビが振ってあるので、まず電話であっても、間違えて読まれることはない。

 一般のセールスのようなハイトーンではなく、むしろ低血圧気味ような、抑えたトーンの男の声。ボソボソという感じだ。自分が誰なのか名乗ったような気もするが、はっきり聞こえない。すぐ本題に入る。

 「先日、払いすぎた医療費の戻しについて書類をお送りしているのですが、まだこちらに返信が来ていないのですが・・・・。締め切りは過ぎております。」

 このイントロで、私はすっかりハマった。確かに、昨年度に一回だけある医療機関で数百円の払いすぎがあり、監査を受けた結果、返金するとして郵便小為替が入っていた。このような少額ではこちらは気付きようもないし、ましてや貰ってもなぁ、というレベルではあるが、余計な事務が溜まるといけないので、歩いてすぐの郵便局で換金しておいた。

 そして、その時、たしか当該の医療機関に電話で確認しているのであり、しかも返信の書類などは一切入っていなかった。現金化したあとは、面倒なので、書類はすっかりシュレッダーにかけてしまった。

 「ああ、あの郵便小為替かなんかのやつだろ、すぐ換金して終わったよ。」

 「その封筒に返信の用紙が入っていたはずなのですが・・・・」

 ん、そんなことはない。そんな用紙など入っていなかった。「なかったぞ、そんなもの」と言うと、「いえ、入っていました」と言う。え~~、「ちょっと待ってくれ・・・」と、受話器を置いて、数分間、周囲を探してみる。

 「ないよ、そんなもの、終わったからシュレッダーにかけてしまったよ」

 「ありませんか? 緑色の封筒なのですが・・・・」 なるほど、周囲を見ると、たしかに役所からなどの緑色の封筒もある。ましてやあとで見ようと未開封なものもある。あれこれ見るが、あの封筒はない。ましてや、あれはたしか緑色ではなく、茶封筒だったぞ。

 「ああ、そうですか、では、これから電話番号を申し上げますので、電話をかけてください」 あとから考えれば、ここからが、彼らのドラマの第二ステージになるのだろう。

 「なんだとぉ、そんな書類あるんだったら、もう一回送ってよこせ」 

 「いえ、メモしてください」

 「何だって、あんた、どこのだれ?」

 これでプチっと電話は切れた。ここまでは、私は完全にハマっている。何らかの理由で電話が切れたのだろうと、再度かかってくることを期待して、その間、いろいろ書類を探している。

 だが、来なかった。数分待っていると、別な仕事の電話が入り、ちょっと長電話していたが、他の電話だったので、来ればすぐわかる。

 そして、私はハタと気付いた。これは、世に言う、還付金詐欺の手口なのではないか。でも、ひょっとすると本当の電話だったら、書類を返送しなければならないし、後味が悪い。警察に電話することにした。

 最初、「緊急ではありません」と言って、110番した。担当者が、若干面倒くさそうに、こちらの住所、電話番号、名前を聞いたあとに、「地域の警察の番号を教えますから、そちらに電話してください」と言ってきた。それは近くの交番ではなく、地域の警察署の担当部署だった。

 教えられた番号にかけると、そこでも、男性が出たが「担当に繋ぎます」と、数秒あった。その最後の担当者から、また名前、住所、電話番号、そして職業まで聞かれ、初めて、こちらの事情を聞いてくれることとなった。

 「何時、何分、どの電話、どんな声」などなど細かく聞かれた。こちらは、被害情報の届けのつもりもあるが、とにかくあの電話は本物なのか詐欺なのか、そこのところも確かめたかったので、全部話した。

 結果、それは私の読み込み通り、詐欺だった。典型的な詐欺なのだという。

 通常は、ここで相手から告げられた電話番号にかけ直したりすると、「役所や銀行」を名乗って受信するという。そして、そこから携帯で、近くの銀行の小さめの、「出張所」レベルの金融機関のATMまで誘導するという。

 たいがいの人は、ここですでにこれは詐欺だ、と気付くらしい。私も当然、ここまで行ったら、「変だ」と気付くだろう。出張所レベルの金融機関に連れていくのは、他の人に不審がられないようにするためとのこと。

 そして、そこで気付かない人は、ATM操作まで誘導され、振り込み番号と称して、金額のところにランダムな数値を入れさせられ、そして最後に「送金」のボタンを押させられるという。ここでボタンを押してしまえば、こちらの負けなのである。最終、ここで気付かないといけない。

 私はかつて典型的な「オレオレ詐欺」の電話を受け取ったことがある。あれもウィークデイの午前中だった。その電話は「おとうさん」から始まった。ああ、息子かよ、何々? と、最初からハマっている。

 「俺さ、最近、水の仕事していたこと知っていたでしょ」

 「あ、うんうん、あ、そうだったね」 当時学生だった息子はホームセンターでアルバイトをしており、そう言えば、我が家の水道の蛇口が壊れているのを直してくれたことがある。あのことを、水の仕事、というなら、まぁ、そう云えないこともないなぁ。

 と思いつつ、ハタと気付いた。確かに昼は近いのだが、学生身分の息子は、昨夜遅かったので、まだ二階のベッドで寝ているのである。「変だろう・・・?」 二階で寝ている筈の息子が電話をかけてくるはずがない。

 ピンと来てしまった私は、「で、金送れ、ってか(笑い)」と言う。相手は慣れているもので、「そうだね、バイバイ」と、ピチッと切れた。

 後から起きてきた息子に確かめたが、「それは僕ではありません」と、ガッチリ云われた(爆笑)。当然だろうな。

 この他にも、いろいろ話題はあるが、少なくとも、この二件において、条件さえ整っていれば、私はある程度のところまで誘導されると思う。そこまで行くまでに、幾つかの「?」が出現するので、どこかでは気付くだろうけれど、これから私も耳も遠くなり、判断力も鈍ってくると、はてどこまで自信があるか不安になる。

 彼らも、こちらの何らかの情報を持っている可能性もある。少なくとも、電話帳レベルの情報は持っているようだ。彼らの「技術」も年々進化してくるだろう。私は正直言って自信はない。私はこれまでもある程度のところまで、騙されているのである。用心しなければならない。

 しかし、彼らにも間違いがある。最大の失敗は、電話をかける相手が間違っている。そもそも、私の口座には彼らが期待するような残高はない。だから、私は最終的には詐欺に遭うことはない。それでもやっぱり、厭だな、こういう世の中は。

 皆様もご注意ください。

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2016/04/18

「五重塔」幸田 露伴<2>

<1>よりつづく

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「五重塔」<2>
幸田 露伴 (著) フォーマット: Kindle版 ファイルサイズ: 282 KB 紙の本の長さ: 57 ページ
★★★★★

  其四 

 当時の有名(なうて)の番匠川越の源太が受け負いて作りなしたる谷中感応寺の、どこに一つ批点を打つべきところあろうはずなく、五十畳敷格天井の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部(いくつ)かの客殿、大和尚が居室(いま)、茶室、学徒所化(しょけ)の居るべきところ、庫裡(くり)、浴室、玄関まで、あるは壮厳を尽しあるは堅固を極め、あるは清らかにあるは寂(さ)びておのおのそのよろしきに適(かな)い、結構少しも申し分なし。

 そもそも微々たる旧基を振るいてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法(おんな)を聞けばそのころの三歳児(みつご)も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗円上人(ろうえんじょうにん)とて、早くより身延の山に蛍雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(びばしゃな)の三行に寂静の慧剣を砥(と)ぎ、四種の悉檀(しったん)に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶(くんせん)を避くるによって鶴のごとくに痩せ、眼は人生の紛紜(ふんうん)に厭(あ)きて半ば睡(ねむ)れがごとく、もとより壊空(えくう)の理を諦(たい)して意欲の火炎(ほのお)を胸に掲げらるることもなく、涅槃の真を会(え)して執着の彩色に心を染まさるることもなければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕い風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌(しの)がん便宜(たより)も旧(もと)のままにてはなくなりしまま、なお少し堂の広くもあれかしなんど独語(つぶや)かれしが根となりて、道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播(ひろま)れば、中には徒弟の怜悧(りこう)なるがみずから奮って四方にい馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行(ある)くもあり、働き顔に上人の高徳を演(の)べ説き聞かし富豪を??めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素(ひごろ)より随喜渇仰(かつごう)の思いを運べるもの雲霞のごとき勢いをもってしたれば、上諸候より下町人まで先を争い財を投じて、我一番に福田(ふくでん)へ種子を投じて後の世を安楽(やす)くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百州海に入るごとく瞬(またた)く間(ひま)に金銭の驚かるるほど集まりけるが、それより世才に長けたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行うてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさえ小気味のよき話なり。

 しかるに悉皆成就の暁、用心頭の為右衛門普請諸入用諸雑費一切しめくくり、手脱(てぬか)ることなく決算したるになお大金の剰(あま)れるあり。これをいかになすべきと役僧の円道もろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合わせて相談したれど別に殊勝な分別も出でず、田地を買わんか畠買わんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今さらまたこの浄財をそのようなことに費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なりよきに計らえと皺枯(しわが)れたる御声にて云いたまわんは知れてあれど、恐る恐る円道ある時、思(おぼ)さるる用途(みち)もやと伺いしに、塔を建てよとただ一言云われしぎり振り向きもしたまわず、鼈甲縁(べっこうぶち)の多気なる眼鏡の中(うち)より微(かす)かなる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられるが、いよいよ塔の建つに定まって例の源太に、積り書出(いだ)せと円道が命令(いいつ)けしを、知ってか知らずにか上人様にお目通り願いたしと、のっそりが来しは今より二月ほど前なりし。7/78p

 いやはや長い長い、ひとつのセンテンスがこれだけ長い文章は、当ブログ初めてであろう。ましてや明治時代の古い漢字の使い方や、専門仏教用語の羅列にあっては、おおよそ読書としては成立しなかったであろうが、幸いにCD文庫が存在し、この幸田露伴の名作を楽しむことができたのは幸いだった。

 40分の1スケールの法隆寺五重塔を作りながら、飽きるほど、何回も何回も、繰り返し聞いたのであった。

 ところで、CD文庫でも気にはなっていたのだが、本文を読んでみると、この文章の中に気になる文字があった。毘婆舎那(びばしゃな)の三行、とはこれいかに。

 おそらくはそうであろうと思ったが、いざ今日になってネットで検索してみると、毘婆舎那とは、我々Oshoサニヤシンが日 常に使う言葉ビパサナと同義語であることが判明した。

 梵語ヴィパシャナー(vipaśyanā)の音写。観(かん)・妙観(みょうかん)・正見(しょうけん)と漢訳する。止(禅定)と並べて止観といわれる。禅定によって得られる静かな心で、対象をありのままに正しく観察(かんざつ)すること。→止観 奢摩他 信巻 

 浅学無学の徒でしかない私なぞは、禅と比して、ビパサナとは南方禅であるかのようなイメージがあったが、平安や鎌倉の時代から、
毘婆舎那(びばしゃな) として日本仏教のなかに根づいていたことを発見した次第。

 まぁ、それにしても、ここに抜き出した「五重塔」のなかの一節。幸田露伴その人も、仏教そのものに通徹していなければ、このような文章は書けなかったのだろうと、あらためて驚愕、畏敬した。

<3>につづく

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2016/04/15

「数珠のはなし」谷口幸璽

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「数珠のはなし」
谷口 幸璽(著) 1996/06 法蔵館 単行本: 90ページ
No.3682★★★☆☆

 榧(かや)の実をつかった数珠は、(中略)ちょっと楕円形で、木質が柔らかく、機械での多量生産が難しく、職人さんの手を煩わすことになるので、今では取り扱う目が少ないようです。

 榧(かや)は時代の色(光沢)は出ませんが、ほとんどの木の実は持てば持つほど、珠に艶が出てきます。p37「お数珠のいわれと素材」

 (宝石には)クレオパトラが愛用したという霊石ラピスラズリのように、瞑想を深めたり、自然治癒力を増し、病気を治す役もあったでしょう。p35 同上

 お釈迦さまよりも古い過去の諸仏たちも数珠について説いていましたし、使ってもいたと経典に記されています。もっとも、チベット・中国・朝鮮・日本ではそうなのですが、スリランカ・タイ・ベトナム・ミャンマーなどの南方仏教には、数珠を持つ週刊がないようです。

 数珠のことを、古代インドの梵語では「ジャパマーラー」といいます。ジャパは、ささやいたり呟くこと。マーラーは花環(はなわ)という意味です。それがヨーロッパに伝わって、キリスト教のロザリオ(ポルトガル語)になったようです。p9 同上

 数珠は、仏教の専売特許ではありません。インドのバラモン教でも使っていましたし、スーフィズム(イスラム神秘主義)の人々も、数珠を使った礼拝をするそうです。p11同上

 

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「無伴奏」 小池真理子原作 矢崎仁司監督 成海璃子主演

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「無伴奏」
小池真理子原作 矢崎仁司監督 成海璃子主演 2016/03 「無伴奏」制作委員会 映画 132分 上映館 フォーラム仙台
No.3681

1)石川裕人が亡くなって、その痕跡を求め、仙台文学館を尋ねたことがあった。ここで芝居を上演し、館長である井上ひさしとの対談もしたはずなのに、私が期待していたような情報は得られなかった。

2)その代わりに、仙台ゆかりの名のある文学者として何人かの紹介が展開されていた。昔の人も、超有名な人も、そして現代作家も。その中に小池真理子の名前もあった。この時が、この作家について私が知った最初であり、いままでのところの、唯一の接点だ。

3)市内の県立女子高出身ということと、私とほぼ同年代であり、あの当時、学生運動(らしきもの)に関わっていたらしい、という情報のみあって、それ以上距離をつめるチャンスはこなかった。

4)あの当時、作者が通っていた女子高校からデモに参加などしていた、コケティッシュで、たしかいつもリストカットしているとかいう噂があった、気になる女生徒がいた。ごくごく最近になって、あの女性と「付き合って」いたのは、私の通っていた高校の一年先輩W氏だったらしい、ということがわかった(W氏の最近の述懐による)。

5)ふ~~ん、へ~~ん、というレベルだったのだが、そのW氏の書込みで、この映画「無伴奏」が現在上映中である、ということを知った。この映画にでてくる主人公の三人組の仲間のひとり女生徒(おかっぱのレイコ)がその人らしい。

6)私たちの時代の言葉では制服廃止闘争委員会とは言わなかった。たしか「服装自由化委員会」といったのだったと思う。正式な生徒会の組織となり、私もその一員だった。 市内で最初に自由化が成立したのが70年1月、つづいて私たちの高校も3月から自由化になった。

7)その後、男子校二校が自由化し(全部で四校)、女子高も一校、遅れて自由化した。だが、作者の通っていた女子高では、それほど大きな運動の盛り上がりはなかったと思うし、実際に自由化はされなかった(制服は廃止されなかった)。

8)この映画が作者の「半」自叙伝的小説、と称されるところの所以がこの辺にあるのだろうか。昭和27年生まれの作者は私の一学年上ということになるが、あの時代性の中で、登場人物は多少、年代がごまかされているのかも。主人公は、年代で言えば26年生まれに設定されているようだ。

9) 中央通りの地下にあったクラッシック喫茶「無伴奏」は、私のイメージのままである。たしかにあのような感じだったと思う。あの時代、あの空間にいるだけで、自分は何か別なことをしている、というような、エリート感とアウトサイダー感があった。

10)やっていることと言えば、コーヒーを啜って、デカいスピーカーから流れるクラシック(バロック?)を聞いて、ただスパスパ煙草を吸っているだけなのだが。しかし、それにしても、この映画ではとにかく喫煙シーンが多い。多すぎる。実際、あのくらい当時の高校生も、煙草を吸っていた。

11)私も吸っていた。三島由紀夫が「男は両切りだ」とか言っていたので、フィルターなしの「しんせい」とか「ショートピース」がカッコよかった。「ショートピース」は10本入りだが、「缶ピース」は50本入りだった。私はこれが定番で、缶ピースの缶を積み上げて、自分の部屋に飾っていたのだが、その高さと巾は、だいたい障子一面くらいになっていた。

12)ちょっとイキがった奴はドイツ産の「洋モク」である「ゲルベゾルテ」を吸っていて、私も何度か吸ったが、ちょっと香りがきつかった。

13)おバカなことにパイプまで買って、たしか「モモヤマ」(だったかな)なんていう「キザミたばこ」も吸ったことがあるが、まったく愚かなことだった(爆笑)。いくら制服が廃止され、ジーパンとセーターを着ているとは言え、長髪高校生がパイプを咥えて煙を吐いている風景は、今考えればまったく滑稽だね。

14)街頭で詩集やミニコミを売っている風景も多かった。友人・元木たけし(現舞台監督)が街頭で買ったという「ヴァイブレーション」というミニコミ(札幌ジプシーハウス発行)を極とする。

15)それにしても「無伴奏」とは上手いこと設定したよね。あの頃、いつかあの地下の階段を下っていって、ドアを開けた時、不犯の初恋のKちゃんと視線がバッチリあってしまった、あの時のことを未だに忘れられない。私より二学年下の彼女が「無伴奏」に来るなんて、かなり無理していたと思う。今でもドキドキする。

16)近くの国立大学も出て来るし、べ平連のデモシーンも古いモノクロ動画で再現されている。その他のシーンもあるが、どの地をロケ地にしたのか、まったくわからない。当時の街の風景からは45年も経過して、まったく違ってしまっているわけだから、当時の風景を求めること自体無理なのだが。

17)イントロの部分から前半にかけては、かなり感情移入することができたが、後半からエンディングにかけては、この作家の独創の部分であろう。ネタばれになるので細かくは書かないが、ボーイズラブ的な部分は、この映画の原作小説である「無伴奏」が出版された1990年当時の流行に対応しているのではないか。

18)「半」自伝的小説ということだが、前半部も、アレコレの「嘘」を発見してしまう私ゆえ、後半部分も、全うな作者の「自叙伝」としては当然読めない。私はこういう「嘘」を許せないので、どうしても小説全般を好きになれないのだろうな。

19)スマホアプリで上映館を探したのだが、これだけこの地が語られている作品なのに、上映館は場末の小さな映画館がひとつだけだった。ニューヨークのミュージカルで言えば、オフを通り越して、オフオフブロードウェイという感じのところが一館だけだ。繁華街を通り越して、だいぶ歩いた。私はこんなところに映画館があるなんて知らなかった。

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20)そう言うと、カウンターの女性は無愛想に「もう17年前からやってますけど・・」とつっけんどんに返答してきた。我が家の若い息子夫婦に聞くと、彼らは学生時代から何度か行っているらしい。たしかに昔の「名画座」的な雰囲気で、映画の音が廊下にも漏れてくるし、トイレの臭いさえ漂ってくる感じさえある(実際は漂ってこない)。

21)ネットでの情報を見ると、この映画より原作の小説はもっと込み入っているらしいが、私はもともと小説読みではないので、当面読まないでおく。そもそもそ小説なのだ

22)この映画と小説については、書き足らないこともある感じなので、そのうち続編を書くかもしれない。それは別にして、まぁ、いろいろ考えさせられた映画ではあった。

23)それにしてもあの時代に青春を送った私たちの世代にとって、あの学園内での「闘争」が人生の始まりだったかもしれない。私の場合は、これにプラスして、生徒会長制度を廃止して、代議員会を最高機関にしよう、という「代議員制設立準備委員会」の「闘争」も大きなイベントではあったが。

24)昔カラオケにおけば、よく「いちご白書をもう一度を」をよく歌ったものだが、最初、この映画は元祖「いちご白書」のような映画になるのかな、と思ったが、そうでもなさそうである。とは言え、やっぱり、私は「いちご白書」と並べてこの映画を見てみたい。甘酸っぱいシーンで一杯だ。(どことなく村上春樹の「ノルウェイの森」も連想する)。

25)服装自由化に関して言えば、高校一年の時は詰襟の学生服で過ごしたが、自由化された2年生時代からは、一度も制服も学帽も身につけたことはない。級友たちは、上は学ランで、下はGパン、という姿が多かった。

26)服装自由化って言ったって、今の若者のようにファッショナブルではなかった。私は二つのセーターを一週間ごとに交換してきていた。下はGパン。学生服を着たくない旧友たちは、父親の着ているナントカ工務店とか胸に刺繍文字の入っているカーキ色の作業服を着ている連中もいた。

27)靴も自由化になって、下駄をはくものもいたが、時には、トイレの婦人用下駄を履いて登校するものも相当いた。

28)私たちの青春時代にはあれだけ熱く語られた服装自由化だったが、親の世代になって、わが子たちが高校生になってみると、むしろ、いろいろオシャレを考えなくてもいいから、制服があったほうがよい、などと、他人ならぬわが子から言われる時代となった。

29)代議員会制についても、確かに生徒会長はいなくなったが、代議員会委員長、という存在が、結局は会長の代替となり、この制度はわが母校に関する限り、いまでも続いているらしい。

30)私たちの青春はこのような地点から出発したが、作者はこの小説のような方向性へと歩きだして小説家になったのだろうし、私は私なりに歩きだして、かつて書いた風な前半生への展開となった。

31)それと、あの時代に車を所有することができる学生なんてほとんどいなかったのではないか。いくら中古でもブルーバードではちょっとぜいたくすぎる。せいぜいスバル360か、ホンダのN360がいいとこだったのではないだろうか。

つづく・・・・・かもなぁ~~  後日、原作を開いてみた。

<2>につづく

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2016/04/14

「国史跡 陸奥国分寺跡」 昭和46~50・53・54年度発掘調査報告書  仙台市文化財調査報告書第430集 

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「国史跡 陸奥国分寺跡」 昭和46~50・53・54年度発掘調査報告書  仙台市文化財調査報告書第430集 
仙台市教育委員会  2014/03 A4サイズ 130p
No.3680★★★★☆

1)数次に渡って発掘調査された資料を、整合調整してまとめたもの。発掘調査後にその資料が散逸することもあるらしく、そのような調査後の作業も実に大切なことなのだ、と気付かされる。

2)整合性を取れない部分は敢えて省いてあり、後年の誤解をまぬかぬよう配慮されている。従って、資料としてはかなりすっきりとまとめられており、また出土した瓦などの画像が多数ついており、比較検討には大いに資するところあると思われる。

3)しかるに、当ブログにおいてはまだこの瓦についての考察がまったく進んでいない。1200年前の布目瓦、というキーワードが残っているだけで、それがどこから出土したのか、どのような意味があるのか。実際どのように保存されているのか、その辺のことがまったく不勉強である。

4)今後、足元の地元学を進めるにあたって、その周辺をもう少し固めたいものだと思う。この資料集の表紙も実は、出土した瓦がデザインされている。

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「魂のヨーガ」 パタンジャリのヨーガ・スートラ OSHO <1>

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「魂のヨーガ」 パタンジャリのヨーガ・スートラ <1>
OSHO マ・アナンド・ムグダ翻訳 2012/01 市民出版社 単行本: 390ページNo.3679★★★★☆

 あなたはここにいて、私は話している。でも、私は集団に話しているのではない。なぜなら、集団とはコミュニケーションが成立しないからだ。私はここにいる個人個人に話している。あなたは集団の中に集まっているが、集団として私の話を聞いているわけではなく、個人として話を聞いている。

 実のところ、集団というものは存在しない。存在するのは個人だけだ。「集団」は言葉にすぎない。それは現実のものではなく、実体がない。単に、個々を統合したものの呼び名だ。

 集団を愛することはできない、国家を愛することはできない、人類を愛することはできない。なのに、人類を愛すると公言する人たちがいる。彼らは自分自身を欺いている。人類という人は、どこにもいない。いるのは人間だけだ。

 探しに行ってごらん、人類はどこにも見つからないだろう。実のところ、人類を愛すると公言する人たちは、一人の人を愛せない人たちだ。彼らは一人の人を愛せない。そこで、たいそうな名目を掲げる---人類、国家、宇宙。

 彼らは神だって愛するかもしれないが、一人の人を愛せない。なぜなら、一人の人を愛するには努力が必要だし、困難を伴うからだ。それは骨の折れることだ。

 あなたは自分自身を変える必要がある。人類を愛することはたやすい。人類というものは存在せず、あなたは独りだ。真実、美、愛など意義あるものは、すべて個人に属している。個人だけが受取手になれる。

 仏陀が自分自身の存在をマハカーシャパに注ぎ込んとき、一万人の僧侶がいた。しかし、集団には資格がなかった。集団には資格がない。意識は個人的なものであり、気づきは個人的なものだ。マハカーシャバは、仏陀を受け取れる頂に登りつめていた。他の個人もその頂になれるが、集団は無理だ。

 宗教は基本的に個人的なものだ。それ以外はあり得ない。それが共産主義と宗教の基本的な争点のひとつだ。共産主義は社会や集団性という観点から考え、宗教は一人の人間、自己という観点から考える。

 共産主義は社会を全面的に変えられると考え、宗教は個人だけが変われれると考える。社会を全面的に変えることはできない。それは社会に魂がないからであり、変容はあり得ないからだ。実のところ、社会というものは存在せず、あるのは個人だけだ。

 共産主義は、個人は存在せず、社会だけがあると唱える。共産主義と宗教----それらは完全に対立しており、これが相反点だ。共産主義が広まれば、個人の自由は消滅する。そして社会だけが存在する。

 そこでは、個人は真の意味で許されない。人は部品として、歯車のひとつとしてのみ存在し得る。自分自身であることは許されない。OSHO p297 「止まれ、それはここにある」

つづく

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2016/04/13

「国分寺を歩く」 日本六十余州 全国分寺を完全収録 かみゆ歴史編集部

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「国分寺を歩く」 日本六十余州 全国分寺を完全収録
かみゆ歴史編集部(編集) 2014/10 イカロス出版 単行本(ソフトカバー): 216ページNo.3678★★★★☆

1)全国に散在する国分寺を散策するという意表を突くような企画本。さまざまな旅行のきっかけもあることだし、そろそろこういう旅もいいのかもしれない。

2)最近読んだ「仏塔巡礼」(長谷川周2000/12 東京書籍)にもたくさんの三重、五重塔が紹介されていたが、ひょっとすると、この全国の国分寺遺跡に遺された仏塔を含んでいたかもしれない。再読を要す。

3)全国の68の国分寺遺跡の中にあって、わが陸奥国分寺は、極めて良好な形で保存発掘された国分寺遺跡であるという。最北の地にあって、その意義もまた、他の地方とは別な意味において重厚な存在であったか。

4)先日ニュース番組のインタビューを受ける97歳の元総理大臣中曽根康弘は、自分の事務所のかたわらに日の丸と七重の塔の、おそらく4~50分の1の模型を飾っていた。日の丸はともかく、七重の塔もまた、日本という「国」の礎の象徴となっているのだろう、か?

5)現在遺されている国分寺として七重の塔を保持しているところはないが、それぞれに象徴的な意味において、模型を作ったり、ミニチュアを置いていたりするところが多い。

6)当ブログでは最近まで、なにはともあれ五重塔、と、模型をひとつ完成させたところだが(仕上げはこれから)、その持っている意味が、以前よりはすこし分かるようになってきた。

7)少なくとも七重の塔の建設は相当に重い。当時の地方行政府の予算の半分を使って国分寺が作られていた、なんて記録もあるようだ。それだけに当時は、かなりの威容を誇っていたのだろう。

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<9>

<8>からつづく

 

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<9>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

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 2月に自宅で歩行中に転倒し、腰の手術を受け、現在リハビリ中の94歳の母親に、樹齢1300有余年のカヤの木に彫った薬師瑠璃光如来を握らせて来た。現在耳も遠くなり、目もほとんど見えない。香木であるカヤの木のにおいもあまり分からない様子ではあったが、大層喜んでいた。

<10>につづく

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「陸奥国分寺」 黒沢泰輔

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「陸奥国分寺」
黒沢 泰輔 1963/08 陸奥国分寺  単行本 217p
No.3677★★★★★

1)ご本人の職業は和服の仕立屋さんだったという。今から50有余年前の発行である。近くで仕事をされながら、地域に散乱していた遺跡や遺物などを収集研究した方である。

2)今日の陸奥国分寺研究の貴重な資料となっている。

3)このような研究のそもそもの発端は、地域の一人の熱心な活動から始まることが多い。それは小さなきっかけだったり、伝説だったり、思いこみだったりする。

4)その結果、大きな成果がいずれ上がってくるのだ。専門家や学術的な後付けが必要になるが、そのような権威がついてこそ、ようやく一般には認知されるのだが、通常j、素人と見なされる人々の活動は、無視されがちである。

5)この本は、その内容からしても、実にしっかりしたものであり、その研究の対象である陸奥国分寺が発行している。極めて重要な資料と言えるだろう。

6)当然50有余年が経過しているわけだから、加筆訂正されるべき部分も多いのだろうが、このような前駆的な情熱があったればこそ、後年の定説が形成されるわけである。

7)文章の内外には、本旨とは若干はなれた部分の資料も添付されており、それが何とも貴重だったりする。得難い資料である。

8)いずれ再読、参考にさせていただきたい。

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「名取七島観世音」についての研究(仮題)<1>はじめに

「名取七島観世音」についての研究(仮題)

<1>はじめに 準備中 編集中 

<2>につづく

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「名取七島観世音」についての研究(仮題)<2>目次

<1>からつづく

「名取七島観世音」についての研究(仮題)

目次

<2>目次 準備中 編集中 順不同

1)はじめに

2)目次

3)所在地、現況について

4)歴史について

5)祭事について

6)仙台平野の歴史津波との関連について

7)前九年、後三年の役との関連について

8)古墳時代との関連について

※ 資料集

つづく

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「仙台柳生カヤの木薬師瑠璃光如来」についての研究(仮題)<2>目次

<1>からつづく

「仙台柳生カヤの木薬師瑠璃光如来如来」についての研究

<2>目次 準備中 編集中 順不同

1)はじめに 

2)目次

3)所在地、現況について

4)樹齢1300有余年について

5)カヤの木について

6)薬師瑠璃光如来について

7)少名彦名命について

8)祭事について

9)樹木保存について

10)保存会について

11)周囲の史跡について

12)歴史について

13)名取川の変遷について

14)柳生という地名について

15)仙台市保存樹木指定について

16)未来への遺産として

17)仙台郡山遺跡との関連について

18)布目瓦について

資料集

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「仙台柳生カヤの木薬師瑠璃光如来」についての研究(仮題)<1>はじめに

「仙台柳生カヤの木薬師瑠璃光如来」についての研究(仮題)

 目次

<1>はじめに 準備中 編集中

 当該タイトルにつき、現在手元にある資料、そして思惑、伝聞、周囲の感想などを踏まえつつ、これまで分かったこなかったことも含め、全体像が見えるような形で資料情報をまとめておく必要を感じる。

 もとより浅学非才の輩の思いつきゆえ、何事にも未熟な所業となるも、なお自らの学習のためにも、整理整頓し、先学の指導を請い、今後の志ある若人たちの研究にも資するに足るものがあれば幸いである。

<2>につづく

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2016/04/12

「名取の里」熊野信仰と一切経 東北歴史資料館編集

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「名取の里」熊野信仰と一切経

東北歴史資料館(編集) 1980/09 A4 62ページ
No.3676★★☆☆☆

1)ネットでリクエストし、図書館のカウンターで受け取って初めて、あ、このパンフレットは我が家にもあった、と気付いた次第。

2)たしか関連の催しものがあり、その際に求めたものだった。今から35年前以上昔の話。当時は、まだ熊野信仰も一切経も、そして我が名取の里の存在意義について、よくわかっていなかった。

3)十代のおわりにヒッチハイクで三カ月をかけて日本一周したことがある。北海道から沖縄まで、各都道府県の県庁所在地を訪問してきたわけだが、観光地や神社仏閣を中心に回ったわけではなかった。どちらかというと当時の若者文化や地域闘争のスポット中心だった。

4)神社仏閣にも関心はあったけれど、それは爺さんになってからいいだろう、という読みがあった。だから、あんまり意識したことがなかったが、今考えてみれば、あれだけ余裕をもって日本国内を旅するなんて、一生の間にそうそうできることではなかったのだ。

5)長い人生のなかでも、決して多くないチャンスを生かして、これは、という観光地なり、神社仏閣を訪問してはみるものの、家庭を持ち、職業につけば、そうそう簡単に自由に旅することなどできない。ああ、あの時、あそこもここも見ておけばよかったなぁ、などと後悔はするものの、あとの祭りである。

6)しかしながらである。人生とは不思議なもので、あそこにもここにも行きたかったなぁ、と思いつつ、実は、自分の足元が、一番面白いのではないか、と気付いたりするのである。実に妙なものである。

7)このパンフレットにまとめられているものは、実に私の足元に関する内容である。このイベント開催当時、私の関心はまだまだそのようなものではなかったけれど、何か直感的なものを感じていた。

8)今このパンフレットを読んでみると、必ずしもベストの編集とはいえず、ましてやあれから35年以上が経過すれば、新しい研究成果も加味されなければならない。ましてや3・11の災害を踏まえ、さらには飯沼史観を元に、地元を再編集してみれば、おなじテーマでも、必ずしもこのような内容のパンフレットに、今ならならないだろう。

9)名取熊野神社の一切経の作業に陸奥国分寺の僧侶が関わっていたり、角田市熱日高彦神社の御神楽が、こちらの名取熊野神社の流れを汲んだりしたりしているなど、歴史の順番はバラバラになってはいるが、いずれにせよ、おなじエリアを共にする流れが、お互いに影響しあって、時代を過ぎてきたことを偲ばせてくれる。

10)そういった意味において、地元の散歩コース、ウォーキングコースでもある名取熊野信仰エリアを、現在の視点で、老人になった今、そして3・11を過ぎた今、もういちど見直してみる必要を強く感じるようになった最近である。

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「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲他<1>

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「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 <1>
関侊雲 紺野侊慶(監修) 2011/09 スタジオタッククリエイティブ 大型本: 168ページNo.3675★★☆☆☆

1)かなり期待していたので、ちょっとガッカリ。いや、かなりガッカリ。「彫刻刀で作る仏像」(2010/07 スタジオタッククリエイティブ)も素晴らしい本だったし、こちらの表紙の弥勒菩薩も素晴らしかったので、さぞや薬師如来も素晴らしかろう、と過大な期待をしたのがいけなかったのか・・・。

2)本格的な薬師如来の坐像を期待していたのだが、残念ながら、かわいい薬師如来の小像だった。

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3)これはこれで可愛いのだが、今現在はもっとリアリティあるお薬師さんがほしかった。でも可愛いから、いつかは挑戦しよう。

4)そもそも、ごく最近、女性の友達から「懐に入れて歩けるような守り仏があったらいいんだけど~~」なんてリクエストもあったことだし、このお薬師さんを量産して、みんなにプレゼントするのもいいかな~。

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5)薬師如来についての説明もあり、なるほど~、と納得。各地の薬師如来像も紹介されている。

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6)今はひとつひとつ追っかける余裕はないけれど、いつか近いうちに、そのチャンスに恵まれるかも。

7)なんにせよ、いずれ再読し、参考にさせていただくべき貴重な一冊。

<2>につづく

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「史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡」 よみがえる古代の寺院  仙台市文化財パンフレット第52集

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「史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡」 よみがえる古代の寺院  仙台市文化財パンフレット第52集 
仙台市教育委員会 2004/02 A4版 パンフレット
No.3674★★★★☆

1)現地を見学すれば、このパンフレットと同内容の掲示板が設置されている。ひとつひとつ読み進め、散策すれば、だいたい読み切れる内容であるが、そもそも、こちらのパンフレットなどのほうが先に発表されているもであろうし、よくまとまっているといえる。

2)掲示板などをひとつひとつ写真におさめ、あとで自宅でゆっくり眺めるもよし、じっくりパッフレットで確認してから現地に赴くもよし。なかなか足を運べない人は、このパフレットがよくまとまっているだけに、これで8割方理解できるかもしれない。

3)それにしても、このちいさなパンフレットの編集方針から、人々がどのような関心を持っていて、なおかつ何次かの調査によって分かったことの重要事項のランキングが推測されるものである。

4)特に、かつてこの地にあった七重の塔の天頂の相輪部分の中心=擦管(さっかん)が、土中につきささって発見されている白黒写真は驚きである。こんな形で発見されるとは、誰も推測しなかったのではないだろうか。

5)七重の塔があった基壇についての説明も詳しい。私が散策した時の担当の方は、あまり詳しくないようだったが、このパンフレットを読む限り、やはり、有る程度が残っており、歩い程度のものは動かされていた、と理解すべきであろう。(今後、詳細を勉強する必要を感じる)。

6)いままで瓦について、若干の関心がありながら、あまり夢中にならなかったのは、難しそうということと、現物に触れるチャンスがあまりなかったからである。しかるに、模型作りをしていて、はたと瓦に思いが及び、はて、実際はどうなのか、と疑問を持つようになった。

7)柳生カヤの木の近くでも布目瓦が発見されているという。その情報もあまり追っかけてこなかったが、今後は、とても重要なテーマになってきそうに思う。そもそも、当時の現地では、瓦は一般民家に使われることはなかった。国府や仏教寺院などの公的な重要施設にだけ使われているはずである。ということは、カヤの木の近くにも、そのような重要施設があった、ということになる。(今後の勉強を要する)。

8)このパンフレットを読む限りにおいては、薬師堂は1600年前後に伊達正宗が建立したのであり、700年代に国分寺として建立された当時から薬師如来が本尊としてあったわけではない、のである。

9)国分寺跡としては、この陸奥が極めて発掘されている一例となっているようで、1300年の歴史をたどるということはただ事ではないことを痛感する。ましてや、その陸奥国分寺もすでにその痕跡を薄くして大地の中に長年眠っていたことになる。

10)いまよみがえる古代の寺院。その事実に触れる時、おのずと感動がうちから湧きあがる。

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「史跡とロマンのまち   木ノ下・薬師堂を中心として」 木ノ下陸奥国分寺・歴史と文化財ガイドボランティアの会

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「史跡とロマンのまち」
木ノ下・薬師堂を中心として

木ノ下陸奥国分寺・歴史と文化財ガイドボランティアの会/編 1998/03 パンフレット 14p
No.3673★★★★☆

1)史跡ガイドボランティアの会が、おそらく見学者たちに配った資料の一つであろうか。新書本程度の大きさで薄いカラー刷りのパンフレットである。小さくて使いやすいが、この程度の古い資料が図書館に保存されている、ということ自体がありがたい。

2)このような目で、大事に地元を愛してきた人々がいたからこそ、にわかに郷土史に目覚めた私のような後続の無学非才の輩の目にも触れることができるのである。ありがたい。

3)そもそも、自虐史観でもなかろうが、どうも私は地元の常識的な定型的な歴史観には、否定的で、不寛容なところがある。しかし、それはやはり間違っている。

4)歴史というもの、決して常識的で定型的なものではない。それは発見され、研究され、思索され、再構築され続けるものなのである。常に動いている。人間の世界そのものがそうであるように、移ろい続けているものである。

5)史跡といい、街並みといい、あるいは仏教や寺院、当時の政体というもの、決して盤石に堅固に、固定的に固まり続けているものではない。栄枯盛衰、浮き沈みし、なおかつ、原寸大のその当時の人々が関わり続けてこその1300年なのである。

6)そして、その事実を多くの人々が共有するからこそ、今でもこうして往時の姿を、通りすがりの私のような後学の輩も垣間見ることができるのである。ありがたい。

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「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書 金子啓明他<1>

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「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書<1>
金子 啓明(著), 岩佐 光晴(著), 藤井 智之(著), 能城 修一(著), 安部 久(著) 2015/12 東京美術 単行本: 159ページ
No.3672

1)まだ新刊に属する一冊である。この最新の研究から、この結果が導きだされていることに、個人的に実に有用なものを感じる。

2)昨日他書(「日本の美術」 No.242 薬師如来像1986/07 至文堂)に記された記事から、7~8世紀頃の仏像の樹種をメモしておいたばかりだが、ケヤキ、カツラ、サクラ、などを圧倒して、ダントツに多いのが、ヒノキとカヤであることがわかった。

3)ヒノキは現代建築でも上質な樹種とされ、古代より多かったのは当然と思っていたが、やはりカヤも相当に健闘していたのだなぁ、と認識した。

4)しかるにである。この本においては、これまでヒノキと見られていた一木彫の仏像の多くが、実はカヤであったことが判明した、というのである。これは驚きであった。

5)そもそもドシロートの私には、樹種などまったくわからない。ビャクダンとスギくらいにはっきり違うものであれば、それは間違うこともないだろうが、似た樹種であれば、それを判別することなど不可能、それをしようとさえ考えつかない。

6)ところが、どうやら、長年、木を扱っている人々にとっても判別が難しい樹種はあるようだ。ましてや伐採されて加工されたのが1000年以上前、時には塗装され装飾されていたりすれば、なおのこと難しいようだ。

7)仏像の樹種の判別には、当時の文献なども援用されているようだが、そもそもその文献に使われている用語も判然としない部分もあるらしく、止むを得ない要素もあったようだ。

8)今回のこの本においては、樹種全般というよりも、ヒノキなのかカヤなのか、という点に判別方法を絞ったところ、そのかなり部分がカヤであったことが判明した、ということである。

9)ひるがえって考えるに、当ブログとしては、カヤありきの記事が先行しているので、かりにヒノキ説が正しかったとしても、別段にカヤの話題が途切れてしまうわけではないのだが、カヤ説が強化されると、ますます自らが立たされている位置を再確認しなければならなくなる。

10)当該カヤの木はすでに樹齢1300有余年と認定されている。ヒノキは群生して林を形成するが、カヤは単木で生息する。さらには、その生息地域は九州から東北南部まで、ということになっている。このカヤは最北に位置する一本なのである。

11)その間伐材が処分される前に頂戴したとは言え、その命を粗末に扱うことはできない。せめてなんらかの有効利用をしたい、と考えるのは自然である。

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12)知識も技術もないボンクラながら、その心ばかりが先走り、なんとかその間伐材の一部で薬師如来立像のまねごとを始めることができたのには、至福の心持して感謝の念に堪えない。

13)この本、今半期新刊本ベスト10入りするのは間違いない。

<2>につづく

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2016/04/11

「薬師如来」 病苦離脱へ (信ずる心) 飯塚幸謙

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「薬師如来」 病苦離脱へ (信ずる心)
飯塚 幸謙(著) 1987/10 集英社 単行本: 267ページ
No.3671★★★★☆

1)仏像やお寺ではなく、薬師如来そのものについてまとめた本は少なさそうだ。わが最寄りの図書館を見ると、この本がもっともそこに焦点をあてているようだが、すでに30年前の本である。

2)当時の読者層を想定して書かれている本なので、説明が今一つこなれていないが、そでも、仏教や仏像が国家運営のためとか、位の高い貴人のためだけのものではなく、一般民衆のものでもあることを強く思いださせる一冊である。

3)たしかに仏教伝来が、支配層の道具となり果ててしまっていたとしたら、これほど仏脈が続いてくる筈はないのだ。人々にとっての仏が有用でなければ、仏教は仏教たることができなかったであろう。

4)薬師如来とは、「現世利益」の神だという。願い事をして、叶えてもらう仏様なのだ。霊験あらたかなのである。特に、体や心の病気について願い事を聞いてくださる、とのことである。あるいはそのような信仰によって、薬師如来は存在し続けてきた。

5)私は客観的に認められる仏教徒でもなければ、もちろん仏弟子でもない。だからいまさら薬師如来を特別信仰しているわけではないのだが、地理的、血縁的に、薬師如来が身近に存在し、ともすれば、一族もろともに、その小さな社の祭事にかかわざる得ない。そのゆえあって、やはり薬師如来は、私にとっても特別な存在なのであった。

6)この本は、薬師如来を切り口にしてはいるけれど、深い仏教のみおしえへのガイドとなっており、必ずしも薬師如来ばかりについて書いてあるわけではない。仏教全般が語られ、現代が語られ、そして、最終的には、薬師如来について語られている。

7)苦しい時の神頼みとは言え、今時、病気直しのために薬師如来に頼ったところで、どの程度の霊験があるか、現代人にとっては鵜の目鷹の目であろう。医学が一般的に普及せず、祈祷や祈願で病気を克服しようとした時代は確かにあったのだろうが、はて、現代において、どれほど薬師如来の存在価値はあるのであろうか。

8)私は直接的にお願いしたことはないけれど、確かに不思議なことに、小さな時に喘息持ちだった親戚の子供のためにお婆さんが願かけし、やがて、その子供たち姉弟が二人して医者になった、という事実はある。これもまた薬師如来の御加護なのだろうか。

9)この本の末ページには「薬師瑠璃光如来本願功徳経」の読み下し文がついているのは有難い。繰り返し読んでみたい。

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「日本の美術」 No.242 薬師如来像 <2>

<1>よりつづく

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「日本の美術」
No.242 薬師如来像 <2>
1986年 7月号雑誌– 古書, 1986/07 至文堂 雑誌: 97ページ

★★★★★

1)薬師如来の仏像は、さまざまな材質の木から作られているようである。この本からざっと読みとった範囲で列挙しておく。編集中 

「古代一木彫像の謎 仏像の樹種から考える」 (金子啓明他2 015/12 東京美術)による

カヤ

奈良 新薬師寺 薬師如来坐像

奈良 室生寺 伝釈迦如来立像(薬師像)

滋賀 大日寺 薬師如来坐像

大阪 孝恩寺 薬師如来立像

東京 寛永寺 薬師三尊像

大阪 獅子屈寺 薬師如来坐像

福井 多田寺 薬師如来立像

(奈良 唐招提寺 伝薬師如来立像)

ヒノキ

京都 神護寺 薬師如来立像 →カヤであることが判明

奈良 国立博物館 薬師如来坐像

奈良 元興寺 薬師如来立像

奈良 醍醐寺 薬師如来坐像

滋賀 石部神社 薬師如来坐像

京都 大蓮寺 薬師如来立像

京都 円隆寺 薬師如来坐像

京都 高田寺 薬師如来坐像

岐阜 横蔵寺 薬師如来坐像

サクラ

京都 法界寺 薬師如来立像

山梨 大善寺 薬師三尊像(+別材)

奈良 興福寺 薬師如来坐像

ケヤキ

福島 勝常寺 (+カツラ+スギ)(ハルニレ?)

茨城 栗山観音堂 薬師如来像

奈良 法隆寺講堂

カツラ

岩手 黒石寺 薬師如来坐像

山形 立石寺 薬師如来坐像

壇木
京都 勝持寺 薬師如来像 

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「彫刻刀で作る仏像」 入門編 関侊雲

41jqskrdlfl__sx298_bo1204203200_彫刻刀で作る仏像」 入門編
関侊雲(著)

 

2010/07 スタジオタッククリエイティブv単行本: 168ページ
No.3670★★★★☆

1)いざ探してみれば、素人向けの仏像彫刻、特に薬師瑠璃光如来の指導ガイドは少ない。現在のところ、見つけたのは二冊だけ。一冊は「続・やすらぎの仏像彫刻」(岩松 拾文 2008/03 日貿出版社)であり、すでに、荒彫りは終わった。残るは仕上げだが、急ぐまい。

2)もう一冊はこちらの関侊雲氏の「彫刻刀で楽しむ仏像 [正] 弥勒菩薩・薬師如来」(2011/09)である。現在、回送中につきまだ見ていないが、この完成度だと、かなり期待できそうなモデルであろう。

3)いずれにせよ、こちらの入門編も多いに役に立つ。このような道具があり、技術があれば、かなりの域に突入できそうであるが、残念ながら、一読者としての私には、それだけの道具もなければ技術もない。

4)しかし、そこはそこ、自分の出来る範囲で作り、自分流に楽しめれば、それはそれでいいだろう。

5)そもそも、私の五重塔や仏像は、材料ありき、道具ありき、で始まっている。五重塔は、海苔やウドン、お菓子などの木箱を捨てるのがモッタイないので、それで何か出来ないか、という発想であった。ゴミになってしまうものから宝塔が湧出したのだから、私としては、満足である。

6)仏像においても、そもそもが彫刻刀ありきであった。子供たちが巣立ったあとのゴミ類を片づけながら、彫刻刀のセットを三つも見つけてしまった。いつかこの彫刻刀類で何か彫りたいものだ、とずっと思っていたのだ。

7)時あたかも、ひとつのエピソードがあった。近くの小さな薬師瑠璃光如来堂の賽銭箱がたびたび壊されることが続いた。賽銭などはそれほど多くないのだが、壊されたお堂の修復に、失われた賽銭の何十倍もの修理代がかかることが重なった。

8)そこで、お堂を頑丈に堅固にする、という手もあるのだが、むしろ賽銭箱は置かず、鍵も壊されても良い程度の簡易なものにした。しかし、心配なのは、長年守られてきた御本尊ともいうべき薬師瑠璃光如来坐像である。これを盗まれてしまっては、長年守ってきた御先祖たちに申し訳ない。

9)そこで、ご本体は堅固な空間に保存することとし、オープンなスペースには写真だけを置くようにした。その作業をなぜか私が依頼されたことに始まる。この試みは割と簡単に終わり、経費もほとんどかからなかった。

10)しかしながら、せっかくなら、コピーであったとしても、写真ではなく、もう一体彫刻で彫ってはどうか、という想いが湧いてきた。この時は湧いてきただけだったが、すぐ忘れてしまった。

 

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11)ところが、この薬師瑠璃光如来は、実は樹齢1300年というカヤの木ゆかりなのである。いまや住宅化している周辺と調和的に生存しつづけるには、枝の間伐が必要である。3年ほど前に間伐され、その枝の一部が残っていて、まもなく廃棄される段階となっている、ということを聞きつけた。

12)これは、何かの機縁として預かり、この樹齢1300年のカヤの間伐材で、薬師瑠璃光如来のご本尊のコピーを作ろう、と思い立ったのである。

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13)なんの経験も技術もない者がいきなり御本尊様の模刻でもあるまいと、僅かな手掛かりをもとに練習を始めた、というところである。

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14)ここまで来ると、技術的なことや時間的なことも少しづつ理解でき、やってやれないことはないな、と思いつつ、その完成度にはとてもとても追いつくものではない、ということも痛感しているところである。

15)なにはともあれ、今後、この関侊雲氏の指導書に従いながら、もう一体、お薬師さま彫刻に携われるかもしれない、というところにいる。

 

<増補・改訂版>につづく

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2016/04/10

「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<8>

<7>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<8>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

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<9>につづく

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2016/04/09

「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<7>

<6>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<7>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

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<8>につづく

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2016/04/07

「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<6>

<5>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<6>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆


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<7>につづく

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「薬師如来」 魅惑の仏像24 西村公朝他

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「薬師如来」 魅惑の仏像24
西村 公朝(著), 西川 杏太郎(著), 小川 瞳(イラスト), 1993/01 毎日新聞 大型本 63ページNo.3669★★☆☆☆

1)当ブログは現在、五重塔から薬師如来へとトレンドを変え始めている。そもそも薬師如来とはなんぞや、というところにいるわけだが、この本に登場する薬師如来は、ちょっと怖い。

2)私的には、もっと優しいお顔の薬師さまでなければ薬師さまでないような思いこみがあったが、実際には存在しないイメージの中の存在を具現化したものであってみれば、さまざまな表現があってしかるべきであろう。

3)さらには、仏像や彫刻などの類書を見ていると、その歴史にはいくつかの流れがあり、このような怖い仏像が登場するにもその必然性と段階があったようである。

4)そのような点も踏まえて、いつかこの本に戻ることもあろう。

5)薬師如来にもさまざまなお顔があるのだ、ということがわかった。

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世界が証明! つらい毎日が楽しくなる 心を整える「禅・瞑想」入門<3>

<2>よりつづく 

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「PRESIDENT (プレジデント)」世界が証明! つらい毎日が楽しくなる 心を整える「禅・瞑想」入門 <3>
2016年4/4号 プレジデント社 雑誌 月2回刊版
★★★★☆

1)なんだかんだ言っても、この特集は気になる。もう少し詳細にフォローしようと思っていたが、締め切りが来てしまった。こちらも人気本ゆえ、私の後ろに大きなウェイティングリストが待っている。

2)この雑誌のこの特集がどうの、というより、類書をいくつか並べていくことにより、もっと大きなテーマが見えてくるように思う。今はタイミングじゃないので、それをしない。

3)禅と言うモノ、インドのディアナから始まり、中国の禅那を含みつつ、日本において禅として花開くには、侍たち、武士道の存在を忘れることはできない。そのあたりをもうすこし加味しつつ、ZENとして、世界普遍スピリチュアリティとしての存在様式を獲得し得るのかどうか。

4)面白いテーマではあるのだが、外側の知的好奇心に偏り過ぎては意味がない。自らの暮らしのなかで、人生のなかでの理解こそが大事と思える。そういうタイミングくるのを待とう。

<4>につづく

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「仏塔巡礼」 西国編 長谷川 周(著, 写真)

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「仏塔巡礼」 西国編
長谷川 周(著, 写真) 2000/12 東京書籍 単行本 191ページ
No.3668★★★☆☆

1)同じ著者による「仏塔巡礼」 東国編と対になった姉妹本。仏塔マニアでもなければ、巡礼者でもない私としては、これだけ仏塔を見せられると、ちょっと飽きがくる、というのが本音。

2)だけれども、こんなに仏塔はたくさんあって、それぞれにユニークな建築様式を持っているのだ、ということを気付かされたのにはびっくりした。

3)こちらは西国編とあるだけに、眼目の法隆寺の五重塔ももちろん登場してくるが、その割には内容が特別に濃くないので、わたし的にはちょっと不満。

4)それと、このように写真を撮ってしまうことと、いくら40分の1とは言え、模型をひとつ作ってみることでは、まったく意味が違うように思う。

5)巡礼としてあちこち旅できる身分の人はうらやましい。そして、写真の技術があるカメラマンのような存在もうらやましい。だけど、決して、そうなりたいとは思わない私がいる。

6)私には私なりの必然性ある最小限の旅ができればいいのであり、美を求めてカメラ技術を高めるよりも、素朴でもあり、稚拙であったとしても、その内実を見つめるきっかけを探すことのほうが大事のように思う。

7)何かの辞書的や図鑑的にこの本を使うのは便利だとは思うが、スピリチュアリティという意味では、私は重きをおかない。

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「SEALDs 民主主義ってこれだ!」自由と民主主義のための学生緊急行動 <1>

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「SEALDs」民主主義ってこれだ! <1>
SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)(編集) 2015/10 大月書店 単行本 (ソフトカバー)160ページ
No.3667★★★★☆

 

1)ちょっと時期を外した読書となってしまったが、人気本ゆえ私の番が遅くなってしまったのは仕方ない。

「民主主義ってなんだ?」(高橋 源一郎+SEALDs他 2015/09 河出書房新社)の続編に位置する本ではあるが、出版社も違うし、こちらは画像もたっぷり入っている。

3)今やNHKラジオのパーソナリティとしてすっかり定着してしまった高橋 源一郎だが、しっかりこの動きをサポートしている。なぜそうなったのかは、前著で分かったように、大学の先生と学生、という関係が始まりとなっている。

4)実は私も昨年のあの騒動の中、国会に行った。国会前に行ったばかりか、国会に入り、議事堂を見、議員会館や首相官邸にも行ってきた。ドローンが官邸の屋上で見つかったとかで、厳重な警戒であった。

5)現在、当ブログはムーミン谷の住人じゃこうねずみの愛読書になぞらえて「すべてがムダであることについて」というカテゴリを始めたところである。このネーミングにかこつけるわけではないが、私は割と民主主義には諦念感を持っている。

6)民主主義の基本と言えば、選挙であろうし、投票であろう。だから、私は国内にいるかぎり、公民権における投票を一度も棄権したことはない。パーフェクトである。私の民主主義はこれで足りている、と思っている。

7)しかるに、ちっとも私が思うような世界にはならない。だから、民主主義って、ダメだなぁ~、と思う。

8)ネグリ&ハートがいうように、「他人に代弁してもらうような人間」は、結局支配されてしまうだけなのかもしれない。直接行動が必要なのだろうか。

9)国会前のうごめきだけをマルチチュードとして最大評価したとしても、民主主義の効果は上がらないだろうし、何事も解決したような気にはならない。

10)私の政治的なデモの始まりは16歳の高校生の時だったが、現在の学生たちが、何事について発言することはとてもよいことだと思う。何事もムダだ、ムリだ、無関心だ、では、ちっとも頼もしい若者とは見えない。

11)しかるに、すでに還暦したおじいちゃんになってみれば、民主主義も、なんだかな~、というのが実感である。

12)まもなく死んでいくのに、大騒ぎばかりしていてモナ~~、というのも、実は本音である。

13)この本について、もうすこし詳しく追っかけたかったが、私の後ろにウェイティングリストが山になっている。とりあえず、次の人にサッサと明け渡すことにする。

14)いずれ、再読し、詳細をメモする日が来るかもしれない。

<2>につづく

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2016/04/06

「クラインガルテン計画」<20>春きたる

<19>からつづく

「クラインガルテン計画」

<20>春きたる     目次

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「わがボタニカルライフ」<25>につづく

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2016/04/05

「解き明かされる日本最古の歴史津波」<28>淵上蛸薬師瑠璃光如来

<27>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」 <28>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

淵上蛸薬師瑠璃光如来<再訪> 初訪からつづく

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その2(2017/01/01)につづく

<29>につづく

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地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<59>「じゃこうねずみ 」カテゴリについて

<58>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<59>「じゃこうねずみ」カテゴリについて

1)書かれたのは2016/01/01から2016/04/05まで。ひたすら五重塔に引かれた3ヵ月だった。

2)昨年末にまた一人友人が亡くなり、49日間のバルド瞑想をした。その時、自然と五重塔の模型制作が始まった。

3)読したいこのカテゴリこの3冊は次のとおり。

「週刊 仏教新発見 改訂版」
創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る 朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ

「五重塔はなぜ倒れないか」  
企画制作 日映企画 2006/08 DVD 文部科学省選定

「五重塔」
新潮CD 幸田露伴原作 日下武史朗読 2001/03 新潮社 CD三枚組

4)「週刊 仏教新発見  改訂版」は、必ずしも内容的な示唆よりも、ちょうどタイミングとして目の前に現れたアイコン的な存在であった。この手軽さ、そのシンプルさが、逆に切り口のいいきっかけとなり、五重塔制作に一貫したテーマを与えてくれた。

5)DVD「五重塔はなぜ倒れないか」は、実際の法隆寺五重塔の5分の1の模型の組み立ての動画が含まれており、模型制作では大変役に立った。この動画がなければ解明できないことが多くあった。ただし、実際の五重塔とは違っている点もあったので、やや迷い道も作ってくれた。

6)幸田露伴原作「五重塔」は大変面白かった。一度小説としてタブレットで青空文庫を読みこんだが、その後、実際の五重塔の模型制作をしながら、CDでの朗読を聴き続けた。おそらく三枚組の小説を、2~30回聞いたことだろう。なんど聞いても、のっそり十兵衛の魂が、我が身に移ってきたような気がした。

7)途中までであり、これから仕上げにかかるわけだが、友人の百箇日セレブレーションまで基本型が出来上がって、みんなの前にお披露目できたことは、甚大な喜びであった。

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8)そもそも、グローバルビレッジをムーミン谷に見立て、その中の存在様式として、自らを「じゃこうねずみ」の立場に立たせてみたわけだが、なかなかどうして、ハンモックに寝そべって哲学書ばかりを読んでいる、という風情にはならなかった。

9)当ブログと「ムーミン」の間にどのようなシンパシーがあるのか、定かではないが、とにかく、今は他に別段際立ったテーマがあるわけでもないので、このままムーミンのコンセプトを借り、次なるカテゴリは、じゃこうねずみの愛読書でもある「すべてはムダであることについて」ということにする。

10)このフレーズをひらがなにするか漢字にするかで、いささかニュアンスは変わってくるのだが、ムダと「無」や「空」がどこかで重なってくればうれしい。そしてその次は、じゃこうねずみが他の村民からプレゼントされたという本のタイトル「すべてが役立つことについて」となるかもしれない。

11)色即是空、空即是色、となるか、ならぬか。

12)実にどうして、みっちりと充実した3ヵ月であった。

13)次なる制作として、樹齢1300年のカヤの木の間伐材を使った薬師瑠璃光如来の仏像彫刻が始まっている。

<60>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「じゃこうねずみ」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「じゃこうねずみ」

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「週刊 仏教新発見 改訂版」
創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る 朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版 ムック 48ページ

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「五重塔はなぜ倒れないか」 
企画制作 日映企画 2006/08 DVD 文部科学省選定

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「五重塔 」
新潮CD 幸田露伴原作 日下武史朗読 2001/03 新潮社 CD三枚組

後ろにつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<5>

<4>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<5>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

ここまできた。

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<6>につづく

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「日本の美術」 No.242 薬師如来像

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「日本の美術」 No.242 薬師如来像
1986年 7月号雑誌– 古書, 1986/07 至文堂 雑誌: 97ページ
No.3666★★★★★

1)なかなか美しい一冊。薬師如来については、この本一冊読めば、もう十分、とさえ思えるような一冊。

2)沢山の画像が含まれており、一枚一枚、一体一体の薬師如来が優しい。

3)この画集を見ていて、改めて薬師如来の頭髪がくるくる小さくまとめられている(螺髪=らほつ、と言うらしい)ことに気がついた。

4)螺髪はエンライトした存在の33の象徴のひとつであるらしい。つまり「如来」に許されている象徴なのだ。つまりエンライト一歩手前の「菩薩」では、この螺髪はゆるされないことになる。

5)それと、各地の薬師如来が特集されているのだが、法隆寺金堂の薬師瑠璃光如来を初めとして、あちこちのお薬師様がかやの木で彫られていることを知った。柳生かやの木のお薬師様と、なにか関係があるような気がする。これから詳しく調べていく。

6)さらには、薬師如来とするところと、薬師瑠璃光如来とするところと、どこにどんな差異があるのか、ちょっと気になり始めている。

7)次のカテゴリでは、この本をもうすこし詳しく読み込んでみたい。

<2>につづく 

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2016/04/04

「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<4>

<3>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<4>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

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<5>につづく

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2016/04/03

「マンシャの新しい旅路を祝う会」

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「マンシャの新しい旅路を祝う会」

2016/04/02 仙台市富沢市民センター

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 昨年末に亡くなったマンシャのセレブレーションが行なわれました。

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早いものであれから100日が経とうとしています。

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 市内県内はもとより、山形や新潟、群馬や関西からも友人たちが駆け付けて、マンシャの思いでに花を咲かせました。

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 ドイツから来日中のミーラも飛行機を乗り次いでやってきました。

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 みんなでマンシャと一緒に踊りました。そして、OSHOの「死について」のビデオレクチャーにも耳を傾けました。

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 最後にヨシローがマンシャの最期の日々をシェアしてくれました。

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  忙しかった日々、美しく逝った風景、そしてそのあと、かわいい小鳥として、すぐそばにやってきてくれたことなど。

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 それぞれ持ち寄ってくれた花々、お菓子やカキフライ、手作りのパンや飲み物も大変おいしかったです。

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 懐かしい旧友たちとの楽しい談話。

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  絵や写真、思い出の品々とともに、マンシャの優しく、軽く、美しいバイブレーションが、なおいっそうリアルに感じられた一日でした。

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 みんな、どうもありがとう。   LOVE

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        photo by Yoshiro Vimal Bhavesh etc.

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「わが市民農園」<50>春ですよ~~ 

<49>からつづく

わが市民農園 (市民農園体験記・改題)

<50>春ですよ~~

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 町内をウォーキングしていても、どこか春めいて来ている。

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 道端の草むらも、一斉に花を咲かせ始まった。

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 2月3月と、まったく足を向けなかった市民農園まで今日はウォーキング。

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 すっかり放置してしてまっていたわが畑だが、まずまずの状態で保持されている。

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 大きくなるべきものは、しっかり大きくなっている。

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 ちょっと目を出していたホウレンソウも、このところの暖かさで、すっかり成長していた。

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 道具類も点検。特に問題はなさそうだ。

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 ジャガイモの種イモを3袋入手。

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 すこし光を当て、二つ三つに割って、数日中に植え付けしよう。

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 春作業に、すこしづつ心が躍り出す。

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 わが市民農園、今年もよろしくね。

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「わがボタニカルライフ」<25>につづく

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「沿岸地域の『水の神さま』が繋ぐ水と人の歴史文化伝承プロジェクト報告書」みやぎ・環境とくらしネットワーク(MELON)水部会

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「沿岸地域の『水の神さま』が繋ぐ水と人の歴史文化伝承プロジェクト報告書」
みやぎ・環境とくらしネットワーク(MELON)水部会 2015/05 パンフレット40p No.3665★★★★☆

 以下、12の神社が紹介されている。

1 五十鈴神社(気仙沼市魚町)
2 荒澤神社(南三陸町志津川字袖浜)
3 荒島神社(南三陸町志津川字大森)
4 上山八幡宮(南三陸町志津川字上の山)
5 大島神社(石巻市住吉町)
6 白鬚神社(東松島市野蒜)
7 浪分神社(仙台市若林区霞目)
8 八大龍王碑(仙台市若林区荒浜)
9 五柱神社(仙台市若林区藤塚)
10 淵上蛸薬師瑠璃光如来堂(仙台市太白区長町)
11 湊神社・富主姫神社(名取市閖上)
12 浪切地蔵尊(亘理町荒浜)

 個人的に気になるのは浪分神社、淵上蛸薬師瑠璃光如来堂あたりだが、荒浜 浪切地蔵尊などもネーミングからして気になるところである。五柱神社も昨年参拝してきたが、閖上の湊神社・富主姫神社などは個社としてはノーマークだったので、ちかぢか参拝したい。

 このパンフレットでは飯沼勇義の書籍を参考の一冊に挙げているが、とくに長町の淵上蛸薬師瑠璃光如来堂などはとくに気になるところである。飯沼氏によれば、薬師瑠璃光如来が祭られているところでは水害が関係しているという。

 仙台柳生かやの木にまつわる薬師瑠璃光如来もまた、水害に縁があるとしたら、これはなかなか意味深いものになろうというものである。名取市塩手にある塩薬師神社もまた、ひょっとすると水害に縁があるかもしれず、あの高台にある神社は、その足元まで津波が来たことを示しているかも知れないのだ。

 神話、伝説、言い伝え、いろいろな言われがあり、一元化はできないが、手繰り寄せてみるひとつひとつの「水の神さま」が、何を伝承しようとしているかが、このパンフレットでもほのかに見え隠れする。

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松 拾文<3>

<2>からつづく

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「続・やすらぎの仏像彫刻」―実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る<3>
岩松 拾文(著) 2008/03 日貿出版社 単行本: 175ページ
★★★★☆

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<4>につづく

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世界が証明! つらい毎日が楽しくなる 心を整える「禅・瞑想」入門<2>

<1>よりつづく 

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「PRESIDENT (プレジデント)」世界が証明! つらい毎日が楽しくなる 心を整える「禅・瞑想」入門 <2>
2016年4/4号 プレジデント社 雑誌 月2回刊版
★★★★☆

1)「プレジデント」という雑誌はどういう読者層を持っているのだろう。他のビジネス誌とはちょっと趣向を意にする傾向がありそうだ。経済誌、ビジネス誌などのニュース性よりも、この誌名から察するに、経済人でありながら、なお上昇志向のつよい人々に読まれているのではないか、と察する。

2)私の場合は、身近な例でいうと、ある小さな独立系の不動産業の社長が愛読していて、事務所にいくと、いつも応接間にあって、愛読している風でもあり、勉強しているよ、ということを強調しているようでもあった。

3)毎回経済人が紹介されており、私は個人的にはうんざりなのだが、ある種の人々には、その登場人物たちについてのゴシップを知ったり、身近な話題に触れたりすることが、自らのモチベーションを高めるメリットを与えてくれるのであろう。

4)その雑誌において、このような特集があると、別段自分では経済的モチベーションを高めようという気力はもうないのであるが、このような記事がどのように読まれるのかな、ときになるのである。

5)それこそ通りがかりの一読者としては目新しいことは何もないのだが、まったく知ったことばかりではない。なるほどそうなのか、と思わせてくれる部分もある。だから、内容はともかくといて、実際に、瞑想し、体験する気にしてくれたなら、この雑誌の価値はおおいにあった、ということになる。

6)誰がどうした、アメリカの企業がどうした、なんてことは、もうどうでもいい。少なくとも、禅や瞑想の体系なすでに完璧に完成している。すでに知っている人は知っているし、体験している人は体験済みである。

7)だが、これは飾っておけばいいという哲学ではない。万人が、すべてにおいて、みずからの生活にどう生かすかなのだ。だから、私みたいな年寄りが(それこそ、じゃこうねずみ風情が)訳知り顔でどうのこうの言ってもあまり価値がない。

8)若い人は若いなりに、経済人は経済人なりに、欧米人は欧米人なりに、とにかく瞑想し、禅にとりくむきっかけの一つとして、この雑誌がなり得るなら、それは素晴らしい徳を積んだ、ということになる。

9)すべからく、人間だれしも、生きている限り、禅や瞑想に近づく瞬間というものはある。そこ立ち寄るか、深入りするか、脇見で通り過ぎるか、とにかく出会いは必ずあるはずである。そのタイミングで、このような雑誌の特集と出会ったりすれば、それはそれでひとつの大きなきっかけになることだろう。

10)そのきっかけを十分生かすことができるかどうかは、その人自身の人生の取り組み方にかかっているわけだが、この雑誌の特集は、個人的に読みこむ場合、難なしとはしないが、出会うひとによっては、キチンとその体系に導かれるように特集されているので、よいと思う。

<3>につづく

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