「名取の里」熊野信仰と一切経 東北歴史資料館編集
「名取の里」熊野信仰と一切経
No.3676★★☆☆☆
1)ネットでリクエストし、図書館のカウンターで受け取って初めて、あ、このパンフレットは我が家にもあった、と気付いた次第。
2)たしか関連の催しものがあり、その際に求めたものだった。今から35年前以上昔の話。当時は、まだ熊野信仰も一切経も、そして我が名取の里の存在意義について、よくわかっていなかった。
3)十代のおわりにヒッチハイクで三カ月をかけて日本一周したことがある。北海道から沖縄まで、各都道府県の県庁所在地を訪問してきたわけだが、観光地や神社仏閣を中心に回ったわけではなかった。どちらかというと当時の若者文化や地域闘争のスポット中心だった。
4)神社仏閣にも関心はあったけれど、それは爺さんになってからいいだろう、という読みがあった。だから、あんまり意識したことがなかったが、今考えてみれば、あれだけ余裕をもって日本国内を旅するなんて、一生の間にそうそうできることではなかったのだ。
5)長い人生のなかでも、決して多くないチャンスを生かして、これは、という観光地なり、神社仏閣を訪問してはみるものの、家庭を持ち、職業につけば、そうそう簡単に自由に旅することなどできない。ああ、あの時、あそこもここも見ておけばよかったなぁ、などと後悔はするものの、あとの祭りである。
6)しかしながらである。人生とは不思議なもので、あそこにもここにも行きたかったなぁ、と思いつつ、実は、自分の足元が、一番面白いのではないか、と気付いたりするのである。実に妙なものである。
7)このパンフレットにまとめられているものは、実に私の足元に関する内容である。このイベント開催当時、私の関心はまだまだそのようなものではなかったけれど、何か直感的なものを感じていた。
8)今このパンフレットを読んでみると、必ずしもベストの編集とはいえず、ましてやあれから35年以上が経過すれば、新しい研究成果も加味されなければならない。ましてや3・11の災害を踏まえ、さらには飯沼史観を元に、地元を再編集してみれば、おなじテーマでも、必ずしもこのような内容のパンフレットに、今ならならないだろう。
9)名取熊野神社の一切経の作業に陸奥国分寺の僧侶が関わっていたり、角田市熱日高彦神社の御神楽が、こちらの名取熊野神社の流れを汲んだりしたりしているなど、歴史の順番はバラバラになってはいるが、いずれにせよ、おなじエリアを共にする流れが、お互いに影響しあって、時代を過ぎてきたことを偲ばせてくれる。
10)そういった意味において、地元の散歩コース、ウォーキングコースでもある名取熊野信仰エリアを、現在の視点で、老人になった今、そして3・11を過ぎた今、もういちど見直してみる必要を強く感じるようになった最近である。
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