「法隆寺を支えた木」西岡 常一他
「法隆寺を支えた木」
西岡 常一(著), 小原 二郎(著) 1978/06 日本放送出版協会 新書 226ページNo.3685★★★☆☆
1) 久しぶりに大型書店で待ち合わせ。短い時間の中で、店内をあちこち覗くが、こちらの思いにかなう書籍は少ない。老眼も進み、読書意欲も最近減退ぎみ、なによりかにより最近は、あれこれと仕事や雑務に忙しい。
2)と、平積みしてあるこの書が目に飛び込んできた。これこれ、これが今読みたかった本なのだよね。最近、こういう本が出ているのか。わが脳みそはレインボー色に輝いた。
3)しかし、手に取って、ゆっくり読み始めてみると、この本は、もともとは1978年に出た本だった。しかも私が図書館から借りだして読んだ本は、2009年に出た本で、すでに85刷を経たベストセラーだったのだ。
4) 法隆寺ではなく、薬師寺金堂再建のためのヒノキを台湾まで見に行ったときです。このとき、根の張りぐあいで木のよしあしを見分けることができたのも、農学校を出ていたおかげです。
その土地には樹齢二千年から二千五百年のヒノキが生えていました。そんな老木でありながら、中には若木のように枝、葉に勢いのよい木がありました。そういう木はきまって中が空洞です。年相応に、老いの風格がある木は、芯までしっかりしていました。
年相応の形をしている木は、皮から芯まで充実しています。古木でありながら、若々しく青々と葉に勢のある木は、きまって芯が空っぽなんです。空洞であれば、木の皮だけを養えばよいから、養分が見てくれの外観に溢れて、若木のように見えるのではないでしょうか。p28西岡常一「飛鳥と木」
5)法隆寺大工の家に生れ、最後の宮大工棟梁と言われた西岡の人生については、「薬師寺再興ー白鳳伽藍に賭けた人々」 (寺沢 龍 2000/9 草思社)を読み終えたばかりだったので、すんなり入ることができた。もっともなお話と、名工ならではの気付きには納得するしかなかった。
6)しかるに、後半の解説の小原二郎著の部分になって、なんともだんだん冷めていく自分を感じざるを得なかった。★5から★4に、だんだんトーンダウンした。そもそもが、感性の部分を、科学づくで解説されるのが、私にはちょっと早かったようだ。いや、そもそも不要なのかもしれない。
7)そしてなによりかにより、この本においての「木」はヒノキしかないのだ。その辺りがこの本の肝でもあるし、ちょっと的外れなところでもある。また、法隆寺の建築部分の「木」だけが取り上げられていて、その他の、例えば「仏像」などについて語られている部分が少ない。そのところが、一読者としては、ちょっと不満が募っていった部分である。
8)ヒノキが優れている、ということは分かった。1300年前の法隆寺建立時には国内産のヒノキで建てられたのだろう、という推測は分かった。しかし、昭和の大修理の時でさえ、すでに国内には良質なヒノキは少なく、台湾産ヒノキを大量に輸入したとのことである。
9)平成の21世紀jにおいては、おそらく国内の神社仏閣でヒノキを所望する声は大勢だろうが、ほとんど輸入材か、他の材に頼るしかなくなっているのではないだろうか。
10)国内の自生のヒノキが絶滅し、植林もおぼつかないとして、輸入材さえ値段が高騰し、なおかつ品薄となれば、それほどの高級な伽藍を作ることに、どこに「適材適所」の思想が息づいている、と言えるだろうか。
11)比較しようもないが、かつて20年ほど前に、拙宅を改築する時は、やはり木造にこだわった。しかも、2X4ではなく、在来工法とやらにした。さらに言えば、使った材はスギであったけれども、できれば近県在郷のもの、ということで、工務店を選んだ。
12)あの当時はそうであったけれど、今では、違う見方をするかもしれない。耐震構造も必要だし、付帯する性能もさまざま変化している。決まった予算内で決めなければならないとしたら、材質も、工法も、時代にあったものを採用するのが賢明であろう。
13)古墳時代を抜け出し、神社仏閣の伽藍でもって権勢のシンボルにする1300年前においては、たしかにヒノキに代表する木造伽藍に固執することは時代の流れであったかもしれない。さらに、その時代を偲ぶには、当時の古刹を研究し、ヒノキをほめたたえることも、重要なことであろう。
14)しかし、そもそもは、仏閣である法隆寺は、その建物が主人公なのではなく、その中の仏舎利や、法そのものが主人公なのであり、その永遠性を保持するとしても、おそらく1300有余年では、そもそも「永遠」などはカバーできないのである。
15)この本においても適材適所が語られるが、それはヒノキの中の、どこの産の、どの山の、どの部分を、どう使うか、というレベルで語られている。そこまで絞りこんでいたのでは、もはや、適材適所、と言えるのかどうか、今の私には納得がいかない。
16)あいつは先発投手で、あいつは中継ぎ、そしてあいつはクローザ―だ、と、野球の投手の性質を細かく決めつける前に、彼は投手で、彼は一塁、あいつは遊撃手、キャッチャー、外野、と分ける以上に、彼は背が高いからバスケットやバレー、あいつは小さいから徒手体操がいいかな、卓球や水泳は、どうだ、というレベルでの、適材適所を、私は語っているのだ。
17)いやいや、もっと大まかに、彼は体育会系、あの人は文科系、あの人は事情もあるし、帰宅部でいいんじゃない、と、これもまた「適材適所」といえるのではないだろうか。少なくとも、私は、この言葉をかなり緩く考えている。
18)はばかりながら、わが五重塔は、ゴミの中から湧出してきたものである。
19)ヒノキのような「エリート」集団の中から、さらに選び抜かれた秀抜な材質で作られたものではない。しかしながら、五重塔は住まいではない。人間が入るものではなく、仏舎利をおく機能であるなら、小さくとも、あるいは、その材質が何であろうとも、入っている「魂」が「本物」であるならば、はばかりながらわが五重塔は、それはそれで、ヒノキや1300年の歴史にもおとらぬ「ホンモノ」であるのだ、と、なにはともあれ、恥ずかしげであれ、とにかく自負しておきたい。
20)この本の後半最後においても、仏像についても触れているが、そのほとんどがヒノキ礼賛であり、他の樹木、とくにカヤについての考察は少ない。その辺りもまた、どんどん、この本に対する我がブログの評価が下がり続けた所以であった。
21)21世紀のグローバル・コンシャスネスにおいて、歴史にこだわり、材質にこだわり、地方性にこだわりつづけることは、かなりゆがんだ結果を導きだすことになるだろう。
22)我がスピリチュアル・ライフにおいて、まずは、今、手元でゴミになろうとしている材料を使って、五重塔を創り出す、という廃材アートはすぐれていると感じられるし、いよいよ廃棄されるという樹齢1300年のカヤの間伐材をもらいうけ、自作仏像の練習をすることは、まさにわが適材適所、と合点するものである。
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