「彫刻刀で作る仏像」 入門編 関侊雲
「彫刻刀で作る仏像」 入門編
関侊雲(著)
2010/07 スタジオタッククリエイティブv単行本: 168ページ
No.3670★★★★☆
1)いざ探してみれば、素人向けの仏像彫刻、特に薬師瑠璃光如来の指導ガイドは少ない。現在のところ、見つけたのは二冊だけ。一冊は「続・やすらぎの仏像彫刻」(岩松 拾文 2008/03 日貿出版社)であり、すでに、荒彫りは終わった。残るは仕上げだが、急ぐまい。
2)もう一冊はこちらの関侊雲氏の「彫刻刀で楽しむ仏像 [正] 弥勒菩薩・薬師如来」(2011/09)である。現在、回送中につきまだ見ていないが、この完成度だと、かなり期待できそうなモデルであろう。
3)いずれにせよ、こちらの入門編も多いに役に立つ。このような道具があり、技術があれば、かなりの域に突入できそうであるが、残念ながら、一読者としての私には、それだけの道具もなければ技術もない。
4)しかし、そこはそこ、自分の出来る範囲で作り、自分流に楽しめれば、それはそれでいいだろう。
5)そもそも、私の五重塔や仏像は、材料ありき、道具ありき、で始まっている。五重塔は、海苔やウドン、お菓子などの木箱を捨てるのがモッタイないので、それで何か出来ないか、という発想であった。ゴミになってしまうものから宝塔が湧出したのだから、私としては、満足である。
6)仏像においても、そもそもが彫刻刀ありきであった。子供たちが巣立ったあとのゴミ類を片づけながら、彫刻刀のセットを三つも見つけてしまった。いつかこの彫刻刀類で何か彫りたいものだ、とずっと思っていたのだ。
7)時あたかも、ひとつのエピソードがあった。近くの小さな薬師瑠璃光如来堂の賽銭箱がたびたび壊されることが続いた。賽銭などはそれほど多くないのだが、壊されたお堂の修復に、失われた賽銭の何十倍もの修理代がかかることが重なった。
8)そこで、お堂を頑丈に堅固にする、という手もあるのだが、むしろ賽銭箱は置かず、鍵も壊されても良い程度の簡易なものにした。しかし、心配なのは、長年守られてきた御本尊ともいうべき薬師瑠璃光如来坐像である。これを盗まれてしまっては、長年守ってきた御先祖たちに申し訳ない。
9)そこで、ご本体は堅固な空間に保存することとし、オープンなスペースには写真だけを置くようにした。その作業をなぜか私が依頼されたことに始まる。この試みは割と簡単に終わり、経費もほとんどかからなかった。
10)しかしながら、せっかくなら、コピーであったとしても、写真ではなく、もう一体彫刻で彫ってはどうか、という想いが湧いてきた。この時は湧いてきただけだったが、すぐ忘れてしまった。
11)ところが、この薬師瑠璃光如来は、実は樹齢1300年というカヤの木ゆかりなのである。いまや住宅化している周辺と調和的に生存しつづけるには、枝の間伐が必要である。3年ほど前に間伐され、その枝の一部が残っていて、まもなく廃棄される段階となっている、ということを聞きつけた。
12)これは、何かの機縁として預かり、この樹齢1300年のカヤの間伐材で、薬師瑠璃光如来のご本尊のコピーを作ろう、と思い立ったのである。
13)なんの経験も技術もない者がいきなり御本尊様の模刻でもあるまいと、僅かな手掛かりをもとに練習を始めた、というところである。
14)ここまで来ると、技術的なことや時間的なことも少しづつ理解でき、やってやれないことはないな、と思いつつ、その完成度にはとてもとても追いつくものではない、ということも痛感しているところである。
15)なにはともあれ、今後、この関侊雲氏の指導書に従いながら、もう一体、お薬師さま彫刻に携われるかもしれない、というところにいる。
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