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2016/04/12

「史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡」 よみがえる古代の寺院  仙台市文化財パンフレット第52集

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「史跡陸奥国分寺・国分尼寺跡」 よみがえる古代の寺院  仙台市文化財パンフレット第52集 
仙台市教育委員会 2004/02 A4版 パンフレット
No.3674★★★★☆

1)現地を見学すれば、このパンフレットと同内容の掲示板が設置されている。ひとつひとつ読み進め、散策すれば、だいたい読み切れる内容であるが、そもそも、こちらのパンフレットなどのほうが先に発表されているもであろうし、よくまとまっているといえる。

2)掲示板などをひとつひとつ写真におさめ、あとで自宅でゆっくり眺めるもよし、じっくりパッフレットで確認してから現地に赴くもよし。なかなか足を運べない人は、このパフレットがよくまとまっているだけに、これで8割方理解できるかもしれない。

3)それにしても、このちいさなパンフレットの編集方針から、人々がどのような関心を持っていて、なおかつ何次かの調査によって分かったことの重要事項のランキングが推測されるものである。

4)特に、かつてこの地にあった七重の塔の天頂の相輪部分の中心=擦管(さっかん)が、土中につきささって発見されている白黒写真は驚きである。こんな形で発見されるとは、誰も推測しなかったのではないだろうか。

5)七重の塔があった基壇についての説明も詳しい。私が散策した時の担当の方は、あまり詳しくないようだったが、このパンフレットを読む限り、やはり、有る程度が残っており、歩い程度のものは動かされていた、と理解すべきであろう。(今後、詳細を勉強する必要を感じる)。

6)いままで瓦について、若干の関心がありながら、あまり夢中にならなかったのは、難しそうということと、現物に触れるチャンスがあまりなかったからである。しかるに、模型作りをしていて、はたと瓦に思いが及び、はて、実際はどうなのか、と疑問を持つようになった。

7)柳生カヤの木の近くでも布目瓦が発見されているという。その情報もあまり追っかけてこなかったが、今後は、とても重要なテーマになってきそうに思う。そもそも、当時の現地では、瓦は一般民家に使われることはなかった。国府や仏教寺院などの公的な重要施設にだけ使われているはずである。ということは、カヤの木の近くにも、そのような重要施設があった、ということになる。(今後の勉強を要する)。

8)このパンフレットを読む限りにおいては、薬師堂は1600年前後に伊達正宗が建立したのであり、700年代に国分寺として建立された当時から薬師如来が本尊としてあったわけではない、のである。

9)国分寺跡としては、この陸奥が極めて発掘されている一例となっているようで、1300年の歴史をたどるということはただ事ではないことを痛感する。ましてや、その陸奥国分寺もすでにその痕跡を薄くして大地の中に長年眠っていたことになる。

10)いまよみがえる古代の寺院。その事実に触れる時、おのずと感動がうちから湧きあがる。

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