「10年間で読んだ本ベスト10」<18>マスター別による10冊
<18>マスター別による10冊 目次
マスター別による10冊。ある意味、これも難しい。というのも、10冊の本を挙げる前に、マスターを10人挙げるほうが、私には難しい。そもそも多くのマスターを知らないし、偏りが甚だしいのである。多くのマスターを上げることに、どういう意味があるのかも不明だが、なにはともあれ、偏っているよ、という自戒を込めて、このリストも作ってみる。
1)加藤諦三。この人を精神世界のマスターと見ることはできないかもしれない。しかし、事実として、高校生時代の私はこの人の追っかけをしていたことは間違いない。「俺には俺の生き方がある」 当ブログ未読ではあるが、私の場合は、この人は外すことはできない。
2)今東光。この人の真価はどこにあるのかは、分からない。しかしながら、この人の「極道辻説法」は面白かった。正、続、最後の、合本CDといろいろあるが、神智学とのつながりを考える時、この人は意外と重要なのではないか、と時々思う。
3)出口王仁三郎。ご本人の本ではないが出口京太郎「巨人 出口王仁三郎」は面白い。今東光を自らの後継者にしようとしたあたりが、なんともワクワクする。
4)J・クリシュナムルティ。大野純一「クリシュナムルティの世界」 などと関連づけて読みこんでいくと、精神世界オタク的なゴシップが身につく(笑)。個人的にはクリシュナムルティの世界は、あまり好みではない。
5)キリスト。「聖書」。高校時代の私は、近くのバブテスト協会に通っていたことがある。「悩める若者よ、来たれ」という看板を見て、一週間に一回通っていた。夏休みには小岩井農場でのバイブル・キャンプにも参加した。「天にまします、われらが神よ」と祈ったこともある。しかしながら、縁なき衆生は度し難し。あの時購入した聖書を今でも手元においてあるが、精読はしていません。ごめんなさい。
6)グルジェフ 。OSHOがクリシュナムルティと並べて常にグルジェフを語るのだが、個人的には、それほど感情移入はない。手に入る書籍はほとんど手にしているが、サニヤシンが関わる「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ、がベストチョイス。
7)仏陀。「法句経」。ゴータマ・ブッダ。お釈迦様。関連する書籍に限りはなけれど、この文庫本は、わが生家の檀家寺の佐山和尚から若い時に頂いた本である。不勉強でよく読めていないのだが、縁深き佐山和尚に頂いた一冊は、私には宝物である。
8)藤井日達上人。残念ながら、上人については、これまで当ブログではあまり読み進めてこなかった。だから関連本としては光地英学「日本の仏舎利塔」などに留まる。私にとっては、ゴータマ・ブッダからの2500年サイクルのオメガを見せていただいた、大事なお方である。
9)老子・荘子。魅力あふれる系譜ながら、解説本としてはOSHOを通じて理解するのみである。「老子・荘子 人類の知的遺産5」などの文献を通しての学習は、私にはあまり身につくものではなかった。
10)松原泰道。若い時の私はこの方の本が一番分かりやすい仏法入門書であった。この方がどういう学歴を持ち、どういう僧位にある方か存じあげない。不思議と、お会いしたい、と思ったこともない。しかしながら、その慈愛にみちた言葉は、本当に仏道者のもの、と感謝に堪えない。当ブログで触れたのは「人生を癒す 百歳の禅語」のみ。
11)OSHO。この存在は、一言で語れない。しかし、今、この文脈で一冊だけ取り上げろ、と言われたら、 OSHOダルシャンダイヤリー「THE OPEN DOOR」 を挙げよう。私は1977年12月に、この存在の門に入った。私23歳。その時のイニシエーション問答がこの本に収められている。
12)この他、恩ある方々については、思い付いた段階で追加していこうと思う。実に偏ったリストだが、その偏りを直視つつ、今後の読書生活のバランスをとって行きたいと思う。補読すべき経典、関連本、多し。
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