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2016/05/27

「10年間で読んだ本ベスト10」<21>未来への提言10冊

<20>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<21>未来への提言10冊  目次

1)このテーマで選ぶのもかなり難しい。というのも、当ブログは、必ずしもこのテーマで本を読んできていないからだ。つまり「未来」という時に、未来に生きる地球人にとっては、つねに時代は「現代」であって、未来のための未来など存在しないからだ。

2)それに、リストをひっくり返して探しだすのであれば、もっと適当なリストが作れるのだろうが、今手元にある本を並べてみると、このリストは、本当はそれほど重要ではないのだ、と分かってきた。何故か。

3)当ブログの読書は自分のための読書であり、未来の「誰か」に託すための読書ではなかったということ。だから、それらしいものがあったとしても、直感で外れてしまえば、どんな一般的に魅力的な本であったとしても、最初から弾き飛ばされてしまっている、ということ。

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4)この10年という時代は、見事に色分けされているだろう。最初の数年はインターネットによる情報の収集と類別、識別、取捨選択、あるいは深堀に徹した。情報収集の技術と、その限界。機械には限界がないかもしれないが、人間には限界があるのだ、ということがわかった。

5)OSHOは生涯で15万冊読んだと豪語するが、当ブログがこの10年間で読んだのはわずか4000冊。OSHOの40分の1にすぎない。しかし、それでも、世界には、何百万冊、何千万冊の本が存在しており、それらに全て目を通すことなど、一個の人間としては不可能なのだ。

6)そしてまた、一個の人間の人生には生命という限界がある。読書人生60年なり70年なりの間に読める本、仮に一日10冊読み続けたとしても、10冊*70年*365日=25万冊程度にとどまる。

7)よく図書館の本を全部読んだ、と豪語する人もいるが、すべての本に手を掛けることはできるかも知れないが、熟読は無理である。それらの中から偏らないエッセンスを抜き出す、というのは不可能なのだ。

8)それでもやっぱり、25万冊ほどの蔵書があれば、小さな公立図書館レベルの宝庫にはなる。当ブログにおいてのこの10年の前半は、情報の収集に費やされ、最後には「No Books No Blog」という心境にまで到達することとなった。ある種の「定量」である。

9)そして、ときあたかもそこに「3・11」が起きた。地震、津波、原発事故。

10)そこから始まったのは、読書録の再系列化と、再読、更には読書の更なる「無化」である。

11)そして始まったのが「創造」。それは必ずしも本や読書、情報、知識などを意味しない。なにか具体的な、小さな何かを作り始めることだった。

12)当ブログにおいては、タイニーハウス作り、廃材アート、畑つくりへと発展した。

13)そして5年が経過した今、さらにここから未来へと残すべきものなど、何があるのだろうか。

14)おそらく未来への提言として残されるべきものは、象徴としての一冊の本であろうが、それは、どのような位置に、どのような形で、置かれるものであろうか。大地があり、空があり、瞑想する場があって、その傍らに置かれるべき一冊。

15)その一冊とは何か?  ここに掲げた10冊が、その謎を解くカギを持っている。

<22>につづく

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