「古事記」全3巻 中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説)<2>
「古事記」全3巻 <2>
中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説) 2006/02新潮社 CD 9枚組
★★★★★
1)調べて行ってみると、松岡正剛オヤブンの「千夜千冊」に河合隼雄の「中空構造日本の深層」に触れた文章があった。なるほど、そうであったか。さらにこの本の姉妹編に対となる「母性社会日本の病理」というものもあるらしい。近日中に手にとってみよう。
2)松岡オヤブンは例によって、綺麗にダイジェストしてくれているので、もうすでに読んでしまったような気分になるが、また、加えて、批判的視点や、親分独自の視点も提示する。よいかな、よいかな。
3)しかしながら、当ブログもまた一気性、見ている地点が、もうひとつちょっと違っている。
4)最近、トリップ気味なのが、1300年と、薬師瑠璃光如来、というキーワードなのだが、これは個人的な嗜好というより、そういうキーワードに、リアル社会で巻き込まれている、ということが先行する。
5)樹齢1300有余年のかやの木があり、それにまつわる薬師瑠璃光如来坐像、というものがある。これは一体なにか。なぜに、私にこれらのことが関わってくるのか、ということをひとつひとつヒモ解いてみているのである。
6)そして、そこから辿っていくと、だんだんと時代がさがり、現代まできてしまう。それだけだと、なんだか面白くない。
7)もうひとつ、リアル世界で、私に大きく関わっているのが3・11という事象である。詳しくはここで繰り返さないが、結局は、飯沼史観に共感し、教わり、やがてホツマや縄文の世界へとの繋がりを感じているのである。
8)こちらもまた、発展形としては、さらにさらに過去へ過去へと遡りえるのだが、はてさて、どこまでが、どう、という果てしもない話になりがちである。
9)端折りに端折って、浅読みながら、直感的に要点だけメモしておく
・アマテラスは女性ということになっているが、ホツマでは男性ということになっている。イザナミ、イザナギから生まれた最初の子、ヒルコは男の子であった。だから、ホツマでアマテラスを男性と読みこもうとするのは、それなりの理由があるのではないか。
・アマテラスは太陽神でありながら、中心統合タイプとしないために女性と見なされてきた。
・飯沼史観におけるアラハバキの神は太陽崇拝の一神教である。
・ヒルコは、男性神であり、足が立たなかったという。
・少なくとも、古事記における神代の世界において、さらにリアリティをもたせようとすると、このホツマを当てはめていくのは、なるほど、かなり面白い。ヒルコの復活。
・しかしながら、ホツマやアラハバキを復活したからと言って、それを絶対化するような傾向があれば、それはそれですぐに限界がやってくる。
・ということは、少なくとも日本の歴史、これまでの1300年の天皇制をキチンと評価し、受け容れ、自らの史観とさえする必要がある。
10)そうして、もう1つのリアリティ。それは21世紀の現代で、ありこれからわが子孫が生きていくこの地球の未来である。
11)私のリアリティは、こうして生きているOshoサニヤシンである、ということである。
12)縄文アラハバキ→1300年薬師瑠璃光如来→Oshoサニヤシン→七代先の子子孫孫の未来。これらのリアリティの繋がり、思想の枠組み、ビジョンの共有、そういうことのなかに、どうやら古事記、なかんずく、この河合隼雄の古事記観が、大きく関わってきそうである。
つづく
| 固定リンク
「13)すべてがムダであることについて」カテゴリの記事
- 「10年間で読んだ本ベスト10」<24>最後の一冊(2016.06.02)
- 「宮澤賢治 魂の言葉 」 宮澤 和樹 (監修)<2>(2016.06.02)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「すべてがムダであることについて」編(2016.06.02)
- 地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<60>「すべてがムダであることについて 」カテゴリについて(2016.06.02)
- 「10年間で読んだ本ベスト10」<23>さらに3冊にしぼる(2016.06.02)
コメント