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2016年5月の64件の記事

2016/05/31

「仙台平野の歴史津波」飯沼勇義 <9>

<8>よりつづく

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「仙台平野の歴史津波」 巨大津波が仙台平野を襲う!<9> 
飯沼 勇義 (著) 復刻版 2011/09 本田印刷出版部 単行本 p234

1)今回またこの書を開いたのは、中国地方に住む古い友人の、、初めての東北旅行に際し、私からの率直な参考意見としての資料として、果たして妥当かどうか、ということを判断するためであった。

2)あらためて通読してみて、実にまだまだ見落としていたり、曲解、誤解していることがたくさんあることに、我ながら実に驚いた。ある意味、それは当たり前のことである。通常の単行本の形を取りながら、この本には、著者が生涯をかけて研究しつくした成果が、凝縮されつくして詰め込まれているからである。まだまだ理解不足であることを、決して恥ずるまい。

3)読めば読むほど味わい深い一冊である。

4)私が今後、この地に生きていく限り、何度も何度もひも解く一冊であろう。そして、もしわが子々孫々がこの地に生きていくならば、自らの血脈として、バイオリージョンとして、家宝として本書を愛し続けることを願う。

5)さればとて、還暦過ぎて初めてこの東北の地に足を運び、特にこの地を限定的に調査しようという訳でもないわが旧友において、この本はどんな評価を受けることになるだろうか。

6)地震、津波、3・11東日本大震災に、深い悲しみを持つ友人ゆえ、そこから派生する東海トラフや南海トラフとの連動などにも強い関心をもっている。そのような観点からすれば、この「予言の書」が必ずしも一人の人間の思い付きではなく、多くの研究家たちの断片的な成果を踏まえたうえで、なお総合的に俯瞰した場合、当然近未来におこるべきであろう大災害の実体がマジマジと見えたのだ、という結論に気づくだろう。

7)いままで何回もひも解きながら、まったくひっかからずに読み飛ばしていた部分のひとつに、こんな箇所がある。

8)私たちの健康のことだって、同じだと思う。いつかは、老いたからだになる。否、若くとも、老いても病といつも同居している。病気になったら病気と仲よしにならないと健康にならないといいます。

 健康になるには病気を知るということで、自分自身、健康にもどるにはどうするか。自分自身の悟りであり、他の助力(医師)を仰ぐ。佛教上で言えば、自力本願と他力本願ということだろうか・・・・。p108「津波伝説がつくられる諸条件」

9)あるいは、ごく最近、友人と訪ねた奥州雄島の雲居禅師の把不住軒だったが、この禅師に関わる記述も実はあったのである。

10)この開墾作業は、寺が主体となって開発した土地で、明暦年中(1655~57)松島・瑞巌寺住職、雲居禅師によって、慶長十六年の津波によって荒地になったところを起返開墾された地域を見立開墾されたところであります。p146「寺受新田うぐい田の開発」

11)そして、結句の結句となるべき部分は「あとがき」にあった。

12)大塚先生からは、要約すると、歴史研究家としてのあり方は、人間は人間らしく生きなければならないという、原点に立った人間の生き方を教えていただきました。p234「あとがき」

13)1930年生まれの著者、1995年、65歳時における述懐である。

14)まさに、わがバイオリージョン。地球環境を考える上で、自分が今生ここにある意義を問いかけてくる、重要な一冊である。

つづく

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2016/05/30

飯沼勇義「3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ」<10>

<9>からつづく

3・11その日を忘れない。―歴史上の大津波、未来への道しるべ
「3・11その日を忘れない。」 ―歴史上の大津波、未来への道しるべ <10>
飯沼 勇義 (著) 2011/06 鳥影社 単行本 208p

1)すでに何度も開いてきた本だが、この度、他の二書とともに、友人にプレゼントしようと思い立ち、自分の目ではなく、彼の目で、彼の立場でなら、この本はどう読まれるだろう、と考えた。

2)限りなくベタなタイトルで、下手すると、中学校の卒業論文集かなにかか、と見まがうようなフレーズではあるが、驚愕の飯沼史観へ私をいざなった、大事な一冊である。今後も何度も何度も開くに違いない。

3)さて、今回、63歳にして中国地方から初めて東北に入り、前日に花巻やイーハトーブの賢治の世界を旅してきた友人夫婦であれば、どこかに賢治つながりがあるはずだと、探してみた。

4)これまではあちこちに賢治が登場していたように思っていたのだが、実はそれは勘違いだったかもしれない。あるのは一か所。

5)東北はまったく新たに再出発するだろう。他の日本の地域とは歴然とした違いを明確に打ち出し、自然と一体でありながら、同時にもっとも高度な技術文明を維持できる、その規範となるべき東北州が誕生するだろう。その精神を導くものは、おそらく東北の詩人、宮沢賢治の理想ではないだろうか。

 彼ほど東北の人々を、東北の自然を愛した者もいない。彼は原体剣舞連やネブタに先住の蝦夷の民の屈折しつつも爆発的な初源のエネルギーを見ている。東北の農民に世界に連なる高い意識を求めている。

 彼は一介の詩人ではなく、宇宙銀河を探索する天文家であり、自然と人間の共生を模索した科学者であり、農民のために土壌を研究し、たくさんの時間を農民のために割いた農業指導者でもあった。

 宮沢賢治を愛する人は多い。たくさんの人が彼の「春と修羅」や「銀河鉄道の夜」を読むだ。だが、いま私たちに求められているのは、私たちもまた、彼のようにつましく、真摯に、ひたむきに、大地に頭をたれ、天の川の輝きに目をやり、一輪の花に無限の世界を想い、一匹の鳥にも愛情を注ぐ、そういう生き方をするということではないだろうか。p200「これからをどう生きるか、災害哲学の構築」

6)当然といわば当然な文章だが、これだけの歴史津波を研究してきた男の、このフレーズをわが友人に聞かせたかった。この繋がりがあればこそ、あとは飯沼史観でも、古事記、日本書記、あるいはホツマツタエであっても、とにかく、古事古伝、伝説、神話の世界であったとしても、とにかく友人は読みこなすだろう。

7)とかく東北にいる私などは、自らの地の利に気づかないことも多い。賢治などはすぐ隣部落の青年だろう、くらいにとらえて、珍しくなさそうな顔をしがちになる。しかし、東北のこの地の持っている特殊性については、むしろ、遠くからやってくる人々によってこそ発見されることも多いようだ。

8)なにはともあれ、今回この三冊の再読モードにあり、どうしてもまだまだ解ききれていないぞ、と思ったところを、二三あげておく。

・九代日高見である、角田市島田の熱日高彦神社についての研究なり記述は、その重要性の強調性のわりには、まだまだ著者としては説明不十分だと思われているのではないだろうか。

・岩手遠野在住の千葉富男氏のホツマ観についても、まだまだ説明不十分なのではないだろうか。全体像を把握したとしても、語られているのは、ごくごく一部の接点についてだけである。もうすこし深めた説明をしていただきたい。

・科学者、発明家、特許保持者としての、フルボ酸鉄などについての理解が、私には不足している。そもそもがあまり読みこむ意欲がないのだが、もうすこし具体的に、現物を見るとか、実際に実験したり、活用したりすることの必要性も感じる。

・そしてなんであれ、この5年間、すぐ近くに住んでおられながら、そしてその被災したという旧宅をも訪問しながら、いまだ著者と面識を持っていないことが、実に惜しいと感じられる。5年間、講演会なり、なにかの折りにお会いしてみたいものだと、思いつつ時間ばかりが過ぎてしまった。もうすこし氏との距離を詰める時期が来ているのかもしれない。

9)そんなことを感じながら、この本の凄さを今日も感じていた。

<11>につづく

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」<30>金華山、日高見神社、松島、アラハバキ

<29>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」  <30>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

金華山、日高見神社、松島、アラハバキ

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1)遠方岡山の地より、古い友人カップルの来訪を受けて、一日、この地の歴史に遊ぶことにした。前日、岩手イーハトーブの地を訪ねた彼らにとって、この賢治がイーハトーブの隣町とみたセンダードの地は、どのように見えることだろう。

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2)そんなことを考えながら、ふとこの本のことを思い出していた。前三書と合わせ、3・11後の当ブログにとっては必読書となっているこの本である。これをきっかけに、またざっと通読してみた。

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3)すでに何度も通読した本書ではあるが、読むたびに読み落としのところがあることに気づく。あるいは、今まではどうしても意味の通じなかったところが、次第に、なるほど、そういう文脈か、と気づくことも増えてきた。

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4)当然のことながら、この著者とこの著者の本には、私が生まれ、育った、この地についての情報が満載である。であるからこそこの本を愛読しているわけだが、かと言って、この地以外のことが描かれていないわけではない。関連する情報が多く記載されている。

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5)たくさんの土産やらエネルギーを貰い、私は私なりに、友人への手土産を考えた。普段より質素に暮らす我が家にはさりとて、たいしたお宝があるわけじゃなし、頂きっぱなしも悪くはないだろう。そう思いつつ。この本三冊シリーズは、きっと友人も関心を寄せてくれるのではないか、とそう考えた。

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6)決して広くないエリアとは言え、久しぶりの再会に弾む話題と談笑に、わがプリウス号のスピードは鈍く、時に震災前の車載ナビの情報も古く、あちこち行きつ戻りつのヤジキタ道中である。

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7)三陸道を下り、石巻から一気に鮎川港に入り、ウィークディにつき、モーターボートをチャーターして金華山島へ。十分な時間もとれないままではあったが、次は石巻桃生町内の日高見神社。いずれも、静かな佇まいである。

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8)戻り足で、日本三景松島を訪ねる。友人たっての希望で、奥州雄島に渡り、しばし瞑目。いやはや、実は私はこの地で生まれながら、奥州雄島に渡ったのは初めてであった。遠方の友人より教えていただくことは、限りない。

「千年万年 記憶めざめよ 友のある」  把不住

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9)ここには、雲居禅師ゆかりの瞑想堂があり、その名も銘して「把不住」軒。はふじゅう、と読み、何事にもとらわれない風のように、ありのままに生きる、という意味だとか。まさにここでしょう、という景勝明媚なところに建ち、シンプルでまさにタイニーハウスの極地。

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10)大変な不遜ながら、私はこの軒号を寸借し、ばべしゅう、と勝手に読みかえることで、今後、自らの五七五の俳号とさせていただくことにした。

「松島や 一句でるかな 雲居禅」  把不住

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11)修復なった瑞巌寺をさらりと見つつ、湾内に大きな虹がかかったりして、松島で夕暮れてしまい、アラハバキ神社についたのは、夜になってしまった。なんどか訪ねたお宮ではあるが、これはまたこれで、なかなかの味わいのあるゆうべだった。

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12)荒と脛巾との、組み合わせ。飯沼史観、絶妙な結句。縄文文明唯一の一神教。アラハバキ神。

 「暮れてなお 日を高く見る 荒脛巾」 把不住

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<31>につづく

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2016/05/29

「ラジカセのデザイン! 」JAPANESE OLD BOOMBOX DESIGN CATALOG [DVD]

2012/06 USMジャパン DVD 110 分
No.3702★★★☆☆

1)著者がラジオに出演していたので、取り寄せてみた。

2)とてつもないトリビアである。

3)パソコンもいつかこんな形で語られるかな。

4)1968年に誕生し、1975年から1985年に黄金期を迎えたラジカセ。

5)著者は5000台ほど所有しているという。

6)ちょっと病的だが、ま、こういう病み方も、あっていいかな。

http://youtu.be/CKr9ckHwtw4

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2016/05/27

オバマ大統領がヒロシマに献花する日<5> 相互献花外交が歴史的和解の道をひらく

<4>よりつづく  

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「オバマ大統領がヒロシマに献花する日 」 <5>
松尾 文夫 (著) 2009/8 小学館 新書 224p

 今日がその日だった。

<6>につづく 

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「10年間で読んだ本ベスト10」<21>未来への提言10冊

<20>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<21>未来への提言10冊  目次

1)このテーマで選ぶのもかなり難しい。というのも、当ブログは、必ずしもこのテーマで本を読んできていないからだ。つまり「未来」という時に、未来に生きる地球人にとっては、つねに時代は「現代」であって、未来のための未来など存在しないからだ。

2)それに、リストをひっくり返して探しだすのであれば、もっと適当なリストが作れるのだろうが、今手元にある本を並べてみると、このリストは、本当はそれほど重要ではないのだ、と分かってきた。何故か。

3)当ブログの読書は自分のための読書であり、未来の「誰か」に託すための読書ではなかったということ。だから、それらしいものがあったとしても、直感で外れてしまえば、どんな一般的に魅力的な本であったとしても、最初から弾き飛ばされてしまっている、ということ。

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4)この10年という時代は、見事に色分けされているだろう。最初の数年はインターネットによる情報の収集と類別、識別、取捨選択、あるいは深堀に徹した。情報収集の技術と、その限界。機械には限界がないかもしれないが、人間には限界があるのだ、ということがわかった。

5)OSHOは生涯で15万冊読んだと豪語するが、当ブログがこの10年間で読んだのはわずか4000冊。OSHOの40分の1にすぎない。しかし、それでも、世界には、何百万冊、何千万冊の本が存在しており、それらに全て目を通すことなど、一個の人間としては不可能なのだ。

6)そしてまた、一個の人間の人生には生命という限界がある。読書人生60年なり70年なりの間に読める本、仮に一日10冊読み続けたとしても、10冊*70年*365日=25万冊程度にとどまる。

7)よく図書館の本を全部読んだ、と豪語する人もいるが、すべての本に手を掛けることはできるかも知れないが、熟読は無理である。それらの中から偏らないエッセンスを抜き出す、というのは不可能なのだ。

8)それでもやっぱり、25万冊ほどの蔵書があれば、小さな公立図書館レベルの宝庫にはなる。当ブログにおいてのこの10年の前半は、情報の収集に費やされ、最後には「No Books No Blog」という心境にまで到達することとなった。ある種の「定量」である。

9)そして、ときあたかもそこに「3・11」が起きた。地震、津波、原発事故。

10)そこから始まったのは、読書録の再系列化と、再読、更には読書の更なる「無化」である。

11)そして始まったのが「創造」。それは必ずしも本や読書、情報、知識などを意味しない。なにか具体的な、小さな何かを作り始めることだった。

12)当ブログにおいては、タイニーハウス作り、廃材アート、畑つくりへと発展した。

13)そして5年が経過した今、さらにここから未来へと残すべきものなど、何があるのだろうか。

14)おそらく未来への提言として残されるべきものは、象徴としての一冊の本であろうが、それは、どのような位置に、どのような形で、置かれるものであろうか。大地があり、空があり、瞑想する場があって、その傍らに置かれるべき一冊。

15)その一冊とは何か?  ここに掲げた10冊が、その謎を解くカギを持っている。

<22>につづく

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2016/05/26

「10年間で読んだ本ベスト10」<20>転生魂多火手からの10冊

<19>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<20>転生魂多火手からの10冊  目次

 このテーマもなかなか難しい。このテーマでの難しさは、逆に10冊を挙げることが難しい、ということだ。関連付ければ、なんとかかんとか10冊になるが、むしろ、ここはぼやかしておいた方がいいようなテーマなのだ。

「フラワー・オブ・ライフ」

「ガラス玉演戯」

「郡山遺跡」 飛鳥時代の陸奥国府跡

「マイトレーヤ」

「増補 チベット密教」 

「知られざる中世の仙台地方」

「ネグリ、日本と向き合う」

「ザ・ダルマ・バムズ」 禅ヒッピー、改題

「路上」

「足に土―原人・アキラ」  須貝 アキラ 追悼集

「湧き出ずるロータス・スートラ」

 ここからタテ糸が紡ぎだされ、ピンと張られる。

<21>へつづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<19>今日の気分はこの10冊

<18>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<19>今日の気分はこの10冊  目次

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 今日のところはここまで絞り込んでみた。だが・・・・

 ここからさらに一冊を抜き去ることができない。ここまでだ。

 4000冊の中から10冊、ということは、400冊の中から1冊。

 そもそもそれは、無理なのだ。

 無理を承知のこの企画。やっぱり無理だと、分かった瞬間だった。(涙)

<20>につづく 

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2016/05/23

「デジタル環境と図書館の未来」これからの図書館に求められるもの 細野公男他

71smbtxd2ol 「デジタル環境と図書館の未来」これからの図書館に求められるもの 図書館サポートフォーラムシリーズ 
細野 公男(著), 長塚 隆(著) 2016/03 日外アソシエーツ 単行本: 253ページNo.3701★★★★★

1)先日、床屋の待ち時間に週刊誌を眺めていたら、下流老人の生態について述べている記事があった。上流老人は「家族」で悩むが、下流老人は「家」で悩む、というような、いずれ、老人に「悩み」はつきない、というような内容である。

2)公立図書館についてのコメントもあって、気になってその部分だけ読んでみたのだが、図書館にたむろするのは、なんと上流老人だという。下流老人は公園にたむろするそうな。そうか、いずれ金のない老人は公共の無料スペースに掃き寄せられるわけだが、図書館は上流だったのか。

3)目も弱くなり、耳も遠くなり、足も衰えれば、図書館にいく目的も次第に失われていくだろうし、ここまで進んできた図書館システムに大きな不満はない。しかしながら、周囲のデジタル環境の進化のなかで、ますます図書館も進化していくことだろう。

4)最近、TUTAYAとのコラボをはたした図書館がオープンしたので覗いてきた。私の目には、どれほど進化したのかは不明だが、新しいということは気分がいい。若い人たちがいっぱい、というのもいい。しかしカードシステムや、個人情報の扱いなどは気になるところである。

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5)そういえば昨年は国立国会図書館の前を走ってきた。本当は立ち寄りたかったのだが、集団行動なのでその時間がなかった。でも、いつもお世話になっている。最近では、デジタルコレクションとやらが進んでおり、まだ十分とは思えないが、今後の楽しみのひとつになっている。

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6)図書館の未来については、一読者の立場からしか考えることができないので、あれこれ言える範囲は狭いが、次世代、次々世代において、図書館がどういう形になっていくのか興味深いところがある。

7) 図書館の魅力ってなんだろう。幅広く、身近で、無料、というあたりだろうか。どこかの牛丼屋の、うまい、早い、安い、に対応しているようにさえ思う。知識智慧の牛丼屋、公立図書館には、ぜひとも、今後とも活躍を願いたい。

8)この本は実にまじめで、未来に対する積極的な姿勢と、示唆が含まれている。図書館業務に携わる人々に限らず、図書館を利用する人々はぜひとも目を通す価値があると、思われた。

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2016/05/22

「Googleが仕掛けた罠」 杉浦隆幸

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「Googleが仕掛けた罠」
杉浦 隆幸(著) 2016/04 小学館 単行本: 222ページ
No.3700★★★★☆

1)当ブログが「ダダ漏れ民主主義」メディア強者になる!(日垣 隆 2010/05 講談社)で、「ダダ漏れ」という単語を知ってからすでに6年の時間が経過している。その後、岡嶋裕史「個人情報ダダ漏れです! 」(2013/09 光文社新社)という本が出たりしているから、すでにこの単語は当たり前の言葉になっているのだろう。

2)言葉だけではなく、これらの実体がすでに一部の人々の「裏話」としてではなく、広く「在り得る話」として認知されているに違いない。

3)この本、規格の立ち上げの当初はまったく別のタイトルを想定していました。p220 「おわりに」

4)だろうと思う。ここに書かれている世界は、決して、どこかの会社一社が仕掛けた罠ではなく、むしろ必然的に進んでくる道のりであったのである。グーグル・ストリートビューの車は、通りの写真を撮っているだけじゃなく、他の作業もしているという。

5)単に通りの様子を撮影しているだけではありません。通りから受信できる無線LANの電波をキャッチし、その発信元である無線LANの「アクセスポイント」の端末情報をもあわせて取得しているのです。

 そして無線LANの受信強度と観測位置から無線LANの基地局の位置を推定しているのです。p45「あなたの情報はこんなに漏れている」

6)googleがここまで収集しているということをこの本で初めて知ったが、これはドシロートの私などが考えても、あり得る話だなぁと思ってしまう。実際に、自分のほんの初期的な機器で似たようなことができるわけだし、また、それが当たり前の時代になっている、ということは認知しておかなければならない。それを「漏れている」とだけネガティブ認知だけしていて、いいのだろうか。

7)かつての「テクノストレス」以来、パソコンを中心としたIT社会をネガティブにとらえようとする潮流は常にあった。そして、この「ダダ漏れ」についても、警鐘を鳴らす声明はたくさんあるので、あえて、今回、当ブログはここでその論旨には迎合すまい。

8)むしろ、パーソナル・コンピューター(PC)→ソーシャル・ネットワーク(SNS)→の次に来るものとして、当ブログとしてはグローバル・コンシャス(GC)時代の到来を想定しているのだが、その潮流にあっては、むしろ当たり前の技術利用のなのではないか、とさえ思われる。

9)スーパーコンピュータ、人工知能、ユビキタス、ビッグデータ、と来ている時代、もはやすでにグローバル・コンシャス時代に突入しているのではないか、と思われる節が相当にある。

10)「シンギュラリティ」という単語に出会い、探ってみると、当時としては「シンギュラリティ・スカイ」(チャールズ・ストロス 金子浩・訳 2006/6 早川書房)というSFが一個手に入る程度の時代だったのは10年前のことだ。

11)「シンギュラリティ」や「シンギュラリタリアン」などと言ったカテゴリ名でリサーチを続けている時代には、あまり芳しい成果はみつからなかった。ずっとずっと未来のことだ、と思えていた。

12)しかし、ここに来て、それは俄かに現実化の可能性が増しているのではないだろうか。「日経コンピュータ」が「シンギュラリティ前夜--AIと共に歩む人類--」(2015/12/01号)を特集したのは、わずか半年前のことだ。他にも、シンギュラリティを冠する本は続々登場し始めている。

13)さまざまな角度からの批判や脆弱性を抱えながらも、私にもこの「シンギュラリティ前夜」はすでに到来していると感じられる。まさに未知との遭遇だ。ここからがいよいよ本番であろう。

14)おそらく、シンギュラリティは、ほとんど「グローバル・ブレインの完成」と同義に扱われるだろう。最初の突入から、それが当たり前になる時代までは、おそらく数年から数十年はかかる。しかし、それは間違いなく到来する。

15)コンピュータが一部の専門研究家だけのものだった時代から、個人所有の夢を追ってPCが開発されるまで約2~30年かかっている。そしてようやく見えた可能性でも、たんに「オタク」たちの玩具であろう、と見られていた時代も相当に長かった。だがしかし、コンピュータ開発から7~80年して、いまやPCを含むIT技術なしには世界は動かない時代となった。

16)すでに実体化しているシンギュラリティも、事実として眼前に登場するまではやや時間がかかるだろうし、地球に生きる人類の誰もが、事実として認めざるを得ない時代までは、まだまだ歴史的プロセスが必要であろう。しかし、それは確実に来る。すでにタイムテーブルの予定表に載った。

17)そして、当ブログは、そこからポスト・シンギュラリティで起こるであろう事象にこそ関心がある。ポスト・シンギュラリティこそ、グローバル・コンシャスへと突き進んでいくだろう。その時代、すでに80歳代になった私たちの世代は生き残りは少なくなるだろうし、社会に対する影響力もなくなるし、大体に活動量もまったくなくなってしまうだろう。

18)その時代は、次世代、次々世代に受けつがれていくだろう。

19)そういう時代に向けての試金石として、本書で書かれているマイナス面は、どうしても避けて通れない否定的要素である。個人的に、情報のダダ漏れは大いに困る。やめて貰いたいし、常に留意していたいことである。

20)例えば最初LINEに手をつけたのは2012年後半だったと思うが、この時点で、すでに私の断片的情報はすでに他者によって流出しており、網がかけられていることを知った時は、本当に驚愕した。私は今でも登録はしているが断片的なものに留め、活用はしていない。少なくとも還暦過ぎた私向きではない。

21)今をときめくフェイスブックだが、これもまた、はっきり言って眉つばの面が多いので、その利用の軸足をそちらに移すつもりはない。多くの友人たちと同様、経歴やリアル情報の提示はごくごく限定的なものに留めている。リアルに繋がっている友人たちであれば、ニックネームでも、経歴不明でも、実際は足りているのである。

22)そもそも私はキャッシュカードの類もほとんど使わない。みんなニコニコ現金払いである。ポケットに現金がないから、使い過ぎ、という弊害も起こらない。借り過ぎ、なんてことも毛頭おこらない。

23)GPSの位置情報、という奴もあまり好きではない。車に単独で後付けでつけた型落ちナビで十分足りているし、私の車の行動履歴が補足されるという危険性は極めてすくない。だからパソコンやスマホにおける位置情報設定は常に切ってあることが多い。

24)しかしながらである。これは還暦男の偏屈な嗜好性でしかない。少なくとも世のなかが、個々のデータをビッグデータとして検知するシステムを作り上げ、それをスーパーコンピュータで処理し、そこから瞬時にして結果や対策を円算するシステムを作り上げつつあるとするならば、私は敢えて、そこで「ストップ!」と大声を上げる気はない。

25)それらは活用の仕方においては、大きなメリットを生み出す可能性がある。いまはいかにマーケティングに利用できるかなどの狭い方法しか考えられていないが、いずれ、たとえば政治的指向性や決断に、これらのシンギュラリティ・システムが有効活用される時代がくるだろう。

26)そこに人間らしいエラーとか悪意、失敗も、絡んでくるに違いない。避けてはとおれない危険ゾーンではあるが、しかし、技術開発、科学の進化はとまらないであろう。あえて目を伏せて、おれはやっぱりアナログ人間だぁ、などとひとりごちるだけではなく、積極的に、これらの事象にも目を配っておくことも必要だろう。

27)そして、これらの道具を使いこなした上で、さらなるポスト・シンギュラリティである、グローバル・コンシャスへの道をも、しかと見届ける必要がある。

28)さらには、今夜、ここで明確にしておかなければならないことは、グローバル・コンシャスネスにも、さらに次のステップがあるのだ、ということだ。それはコズミック・エタニティだ。宇宙的永遠性に向かって、人類は進む。進まざるを得ないのだ。

29)その過程においての、いわゆる「ダダ漏れ」状態は、脆弱性、危険性、悪意性だけに留めておくのではなく、可能性、友好性、発展性へとつなげていくことを考えるべきなのだ。このプロセスはそんな遠くの話ではない。すでに始まっているかもしれない。ごくごく今日的、日常的、コモンセンスとしての課題となっているはずである。

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2016/05/21

「こんな本を読んでみたい」<1>






























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1)以上は、iPhoneからの操作で書きこんだ記事である。私の技術だと、せいぜいここまで書くのが精いっぱいだ。書店で表紙を撮影し、画像をレイアウトして、ブログに貼り付ける。せいぜいその程度である。もちろんキャプションをつけることはできるが、ちょと面倒くさい。

2)ここのあたりが、当ブログが<2.0>から<3.0>へと旅立てない理由である。どうしても自宅のPCから離れることができない。もうすこしモバイル性を高めるのか、そもそもモバイルを限定的に使うことにするのか。

3)「こんな本を読んでみたい」というタイトルは与えたものの、読んでみたいだけであって、おそらく読まないのだ。どうしても読みたいのなら、その場で立ち読みすればいいじゃないか。だけど、最近は、本を読む気力がたらなくなっている。体力も減退、読書欲も減退している。

4)そうそう、こういうタイトルで、この位の厚さで、この新鮮さで、という意味ではほとんど100点だ。だが、どうせ、読んでも「大したことないだろう」と、タカをくくる癖がついている。どうも老人性弊害がでてきているのではなかろうか。

5)三種の神器というものがある。現代人にとっては、スマホ、タブレット、パソコン、がそれに当たるかもしれない。私も実はそうなのだが、それよりも、生活に密着した三種の神器は、最近では「老眼鏡、入れ歯、血圧の薬」の時代になっているのである。(涙)

6)ああ、ああいう女性と恋をしたかったなぁ、と思ったり、あのような人に惚れられたかったなぁ、と思いつつ、老い先長くない人生をはかなんでみたりする。そんな気分で大型書店を徘徊する。

7)あの本も読んでみたい、この本も読んでみたい。あれとこれと、これとあれ、とりあえずスマホでガシャ、ガシャと、表紙だけ撮影メモしておく。店員や他のお客さんに見とがめられない程度に収めておいて、退散。

8)でも、やっぱり読みたいよね。気分をリフレッシュして再挑戦!

<2>につづく

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2016/05/20

「わがボタニカルライフ」<26>ナガミヒナゲシ

<25>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<26>ナガミヒナゲシ

 おや、こんな情報がネットで流れてきたぞ。

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 あれ、見たことあるなぁ、うちの庭にもあるぞ。

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 何年か前に知人宅のおじいちゃんが亡くなり、おじいちゃんが庭で作っていたいろいろな鉢物をもらった時についてきたのだった。

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 そう言えば、今年、畑にも咲いていた。

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 大通りでも、花盛り~~~。これは注意しなくちゃ。種が飛散しないように実が割れる前に摘んで処分、でいいのかな・・?

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 周囲を見渡せば、もうすでに結構繁殖していて、もはや手のつけようのない状態。

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 コンクリートの割れ目からでも芽を出す生命力。  

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 一応、自宅と周囲の目につくところは抜き取ってみたが・・・・・。 

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 お地蔵さまの足元にまで、キチンと棲息しておりました。

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<27>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<10>

<9>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<10>古いPCの復活はあるか?

1)でも、ちょっと待てよ、と思う。新しいPCに夢を持って、あちこちウロウロする前に、実は自宅のPCだって、まだまだ使えるのではないか。使えるのかどうか、そこんとこの煮詰めは十分できているのか?

2)例えば、毎回、印刷する時、有線プリンタばかり選ばれて、プリントミスすること多大である。エイ面倒くさい、と思いつつ、いつもチェックをはずす。でも、これって常時使用するプリンターに無線プリンタを登録すればいいのじゃないか。

3)あるいは、せっかくあるメールソフトを、面倒くさいと思って設定していなかった件もある。えい面倒だとばかり、オンラインメールばかり使っていたのだが、これって、ちょっと調べて、ちょっと設定すればいいだけのことだったのだ。

4)今回のOSの問題も、実は、ある期間なら無償で次OSにグレードアップできたはずなのだ。現在なら有償になってしまっている。これって、やはり注意が足らないし、努力が足りないのだ。新しいPCを買ってしまえば、それでいい、というのではないのだ。常にメンテナンス、ブラッシュアップが必要なのだ。

5)それって、当たり前のことなんだよなぁ。釣った魚には餌をやらない、っていうわけにはいないのだ。池で飼うなら、餌は十分やらないと。車で言ったら定期点検だ。車検時期だけプロに任せればいい、という、そういう投げやりな態度が、結果的には事故を産んだり、損失を被ったりする原因になる。

6)そういう意味で考えると、現在のPCには、ストレスのたまる原因が山ほどあるけれど、それらの小さな設定をそのままにしてきたために、複合的な不都合が山となってしまっているのではないか。

7)たしかに仕事は忙しかったし、私事においても、なんともかんとも問題が山積みである。PCは基本、動いてくれていたら、それでいいではないか。そう長い間思ってきたが、いや、まてよ、もうすこし少しづつ設定を考えてみよう。

8)まずは、小さなことでもいいから、問題点を抜き書きして行って、ひとつひとつ対処を試みてみようじゃないか。問題点を直視するところから始めるのだ。新PCは、もうすこし後から考えてもいいのじゃないか・・・?

9)そう思い出してみると、なるほど、まだまだ解決策はあるようだ。これを苦にして自殺する、なんてことは、まだまだ先のことであった(アハ・・)。

10)これって、自分の健康問題と似ているなぁ。

<11>につづく

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2016/05/19

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<9>

<8>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<9>PCの立ち位置

1)PC選びがいよいよ混迷している。もはや手がつけられないくらい脇道に入り込み、何がなにやら分からない状態だ。これはいかん、と思いつつ、まぁ、これもありかと思う。一番の理由が、手元のPCが最近何故か、やたらと安定しているからである。それでついつい緊急性を失い、道草の食いっぱなしである。

2)現代人にとってPCとは何か、なんて大上段に構えるわけでもないのだが、やっぱり現代の地球人にとってはPCはかなり大事なもののリンクの上位に位置するはずなのだ。武士にとっての刀とか、坊さんにとっての数珠とか、ギャルにとってのつけまつげとか(あ、これは違うか)のように、おおよそ不可分のアイテムなのではなかろうか。

3)一般論とまではいかないまでも、かつての自分の10年、20年、30年を考える時、やはりPCは夢がいっぱいつまった、パンドラの箱だった。自動車もそうだったけど、PCはさらに進化過程の美学があった。

4)そう思ってくると、もう何でもいいや、とH社とかD社とか、あるいはA社のような、ホントに最低基準をクリアするようなマシンで、本当は十分なのだが、どうも、そこに美学がない。もう何でもいいじゃないか、と、すこし投げやりな気分は、やっぱりやめておこう。

5)そしてだな、多少は美学があるだろう、というV機とかT機とかM機に目が行くのである。P機はちょっと的外れな上質感を醸し出しているが、やっぱり私には的はずれだ。現在は、本命T機、対抗V機、穴馬M機なのだが、この数日は、ガンガンと穴馬M機が追撃してきて、ついにトップに躍り出た。

6)それもこれも、手元の現行機が元気になってしまったからである。そして、固定回線とケータイ回線を合体することによって、プロバイダなどを見直した結果、大きな差額が生まれ、PC一台くらいなら、なんとかその差額で負担できそうだ、という見通しがでてきたせいもある。

7)どんどんドン詰まりでいいのか。それほど枯れていいのか。夢がないのか。PCにエロスを感じないのか。PCと踊りたくないのか。踊っている時に、側にどんなPCがあればいいのか、想像できないのか。

8)とかなんとか考えているうちに、今朝あたりは、ついに穴馬がトップに躍り出て、多少高目でもM機狙いでいくべきなのではないか、と感じるようになった。なにも急を要しているわけじゃないから、最初からデュアルブートにしなくてもいいじゃないか。ストレージを多少大目にしておいて、いつか時期が来たら他OSを入れていいんじゃないか。最初は、とにかく遊んだら?

9)スマホ→タブレット→PCとの連携も楽しみだ。その連携が一体どうなっているのか。もう分かっている連中は分かっているのだろうが、私だって、遅ればせながら、それを感じてみるのもいいじゃないか。

10)ビジュアルとかオーディオとかいうけど、本当にそこなのか? ユーザビリティとかデバイスとか、本当にそこなのか? そんな部分的な特徴でPCを選ぶのか? それとも、未来からの夢を追うのか? 本当にそれは未来からの夢なのか?

11)とかなんとか迷っているうちに、もう今日も夜が来て、ウトウトする時間になってしまったのだった。

<10>につづく

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「Automobile Quarterly」<7>

<6>からつづく

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「Automobile Quarterly」 <7>
1986 (Item #A1974) - Vol. 24, No. 4,

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つづく

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「Automobile Quarterly」<6>

<5>からつづく

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「Automobile Quarterly」 <6>
1986 (Item #A1974) - Vol. 24, No. 4,

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<7>につづく

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「Automobile Quarterly」<5>

<4>からつづく

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「Automobile Quarterly」 <5>
1986 (Item #A1974) - Vol. 24, No. 4,

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<6>につづく

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2016/05/18

「Automobile Quarterly」<4>

<3>からつづく

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「Automobile Quarterly」 <4>
1986 (Item #A1974) - Vol. 24, No. 4,

 

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p446 OshoのRRをペイントしたSwami Deva Peter

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この一連の写真集を撮影したのは、Bill Sumner となっている。

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<5>につづく 

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榛名山の七福神 2015/10

Img_1107            恵比寿

Img_1142            大黒天

Img_1225            毘沙門天

Img_1119            弁財天

Img_1103            福禄寿

Img_1083            寿老人

Img_1088            布袋

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「わがボタニカルライフ」<25>もう夏でしょう・・・

「市民農園体験記」<50>からつづく

「わがボタニカルライフ<24>からつづく

「クラインガルテン計画」<20>からつづく

「わがボタニカルライフ」

<25>もう夏でしょう・・・

1)三つの似たような連続記事が始まってすでに一年が経過した。それぞれに、家のガーデン周りの記事、近くにある市民農園の記事、遠くにあるちょっと大きめな農場の記事をまとめておいたのだが、一年を経過すると、それぞれに連携しはじめ、必ずしも分離した活動ではなくなってきた。

2)これらを大きくまとめて「わがボタニカルライフ」としてまとめることにした。そしてまた、そこで何をやるか、ということよりも「ボタニカル」な嗜好性のなかでの思いを、日々記せればいいのであって、そこでの収穫物や、栽培法、耕作法に重きをおくものではない、としようと思う。

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<26>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<18>マスター別による10冊

<17>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<18>マスター別による10冊  目次

 マスター別による10冊。ある意味、これも難しい。というのも、10冊の本を挙げる前に、マスターを10人挙げるほうが、私には難しい。そもそも多くのマスターを知らないし、偏りが甚だしいのである。多くのマスターを上げることに、どういう意味があるのかも不明だが、なにはともあれ、偏っているよ、という自戒を込めて、このリストも作ってみる。

1)加藤諦三。この人を精神世界のマスターと見ることはできないかもしれない。しかし、事実として、高校生時代の私はこの人の追っかけをしていたことは間違いない。「俺には俺の生き方がある」 当ブログ未読ではあるが、私の場合は、この人は外すことはできない。

2)今東光。この人の真価はどこにあるのかは、分からない。しかしながら、この人の「極道辻説法」は面白かった。正、最後の合本CDといろいろあるが、神智学とのつながりを考える時、この人は意外と重要なのではないか、と時々思う。

3)出口王仁三郎。ご本人の本ではないが出口京太郎「巨人 出口王仁三郎」は面白い。今東光を自らの後継者にしようとしたあたりが、なんともワクワクする。

4)J・クリシュナムルティ。大野純一「クリシュナムルティの世界」 などと関連づけて読みこんでいくと、精神世界オタク的なゴシップが身につく(笑)。個人的にはクリシュナムルティの世界は、あまり好みではない。

5)キリスト「聖書」。高校時代の私は、近くのバブテスト協会に通っていたことがある。「悩める若者よ、来たれ」という看板を見て、一週間に一回通っていた。夏休みには小岩井農場でのバイブル・キャンプにも参加した。「天にまします、われらが神よ」と祈ったこともある。しかしながら、縁なき衆生は度し難し。あの時購入した聖書を今でも手元においてあるが、精読はしていません。ごめんなさい。

6)グルジェフ OSHOクリシュナムルティと並べて常にグルジェフを語るのだが、個人的には、それほど感情移入はない。手に入る書籍はほとんど手にしているが、サニヤシンが関わる「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ、がベストチョイス。

7)仏陀「法句経」。ゴータマ・ブッダ。お釈迦様。関連する書籍に限りはなけれど、この文庫本は、わが生家の檀家寺の佐山和尚から若い時に頂いた本である。不勉強でよく読めていないのだが、縁深き佐山和尚に頂いた一冊は、私には宝物である。

8)藤井日達上人。残念ながら、上人については、これまで当ブログではあまり読み進めてこなかった。だから関連本としては光地英学「日本の仏舎利塔」などに留まる。私にとっては、ゴータマ・ブッダからの2500年サイクルのオメガを見せていただいた、大事なお方である。

9)老子・荘子。魅力あふれる系譜ながら、解説本としてはOSHOを通じて理解するのみである。「老子・荘子 人類の知的遺産5」などの文献を通しての学習は、私にはあまり身につくものではなかった。

10)松原泰道。若い時の私はこの方の本が一番分かりやすい仏法入門書であった。この方がどういう学歴を持ち、どういう僧位にある方か存じあげない。不思議と、お会いしたい、と思ったこともない。しかしながら、その慈愛にみちた言葉は、本当に仏道者のもの、と感謝に堪えない。当ブログで触れたのは「人生を癒す 百歳の禅語」のみ。

11)OSHO。この存在は、一言で語れない。しかし、今、この文脈で一冊だけ取り上げろ、と言われたら、 OSHOダルシャンダイヤリー「THE  OPEN DOOR」 を挙げよう。私は1977年12月に、この存在の門に入った。私23歳。その時のイニシエーション問答がこの本に収められている。

12)この他、恩ある方々については、思い付いた段階で追加していこうと思う。実に偏ったリストだが、その偏りを直視つつ、今後の読書生活のバランスをとって行きたいと思う。補読すべき経典、関連本、多し。

<19>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<17>「わが家の10大ニュース」からの10冊

<16>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<17>「わが家の10大ニュース」からの10冊  目次

1)「わが家の10大ニュース」というものが、この30年間続いている。途中いくつかの欠番があるものの、毎年クリスマス近くになると、誰ともなく言いだし、毎年手近にある広告チラシの裏側に鉛筆で走り書きされたメモ群である。

2)これがいつしか定番となり、古事記、日本書記に匹敵するような我が家の歴史一級資料として存在感を増し続けてきた。ここから、最近10年とはどういう年代であったのか、当ブログに直接関係ありそうなところを中心に振り返ってみる。

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3)2006年 8位 父母、読書三昧の日々を過ごす。
        9位 父、ブログ運営本格化する。


 それまでの10年間は、町内会、PTA、業界団体などの役員ボランティアで多忙な日々だった。この頃から外的活動はフェードアウトを図り、内的な活動にシフトし始めたのだった。この年を象徴する一冊としたら、敢えて、「ブログ・ジャーナリズム」 300万人のメディア、を選ぼう。

4)2007年 4位 父、図書館通い、ブログ1000冊突破。
       10位 母、Y中図書館4年目。

 ブログに夢中になっている日々である。子供たちも巣立ち、二人だけで大きく羽を伸ばしている時代であった。この年の象徴は、松岡正剛オヤブンの「千夜千冊」を選んでおこう。

5)2008年 9位 角野栄子講演会に参加。

 図書に所以する講演会にも夫婦で出席するようになった。一番ふたりで自由にできる時間が持てた瞬間であった。しかし、前年から老いたる母の介護が始まり、また古い友人の訃報が入り始めた。人生を感じる50代真っただ中である。この年は、角野氏とジブリに敬意を表し、「魔女の宅急便」を選んでおく。

6)2009年 6位 父のブログ<2.0>になる。

 あっという間に年代が過ぎたようにも思うが、あれこれ大変なプロセスを経ていた。あの当時、私が格闘していたのは何だったのだろう。この年の象徴、読んだのはちょっと前だが、「革命メディア ブログの正体」No.1ブログ検索エンジン。テクノクラティという単語に誘われて<2.0>へと歩み出た。伊藤穣一は当ブログ注目のイデオローグで、最近の「ネットで進化する人類」に通じてくる。

7)2010年 7位 父、スマートフォンに夢中になる。

 スマホは2016年現在当たり前の存在だが、ポケットにコンピュータが入った感覚で、とてつもない革命的な感じがした。「アンドロイド完全読本」などの雑誌特集に魅了され、FonとIS01の無料組み合わせで、いかに0円ネットを楽しめるか試行していた。

8)2011年 2位 3・11起こる。友人知人親戚へのお見舞い続く。
       10位 母、図書館バーコード化で多忙。

 この年はもう3・11で決まりだ。ここが一つの、この10年のターニングポイントである。ブログよりも、ツイッターの速報性に注目が集まり、被災者の一人としての私のツイッターも、一気にフォロアーが増えてびっくり。この年は、「Twitterの衝撃」140文字がビジネスからメディアまで変える、を選んでおこうか。

 
9)2012年 7位 キッズルーム完成
        8位 新事務所完成
        9位 物置改造
       10位 天井収納完成


 3・11の翌年は、「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」のなかのお気に入りの画像を何回も何回も眺めていた。ネットのなかでの試行錯誤は、原寸大の作業へと移行していった。そして、竹馬の友ニュートンも亡くなった。

10) 2013年 6位 おじいさん、iPad購入。

 タブレットに対して、最初私は否定的であった。だが、業務用で必需品になり、「買わされた」。使ってみると、これが結構いい。現在となっては生活上でも必需アイテムになっているわけだが、とにかくスティーブ・ジョブズの先見性に敬意を表した。この年としては映画「スティーブ・ジョブズ」を選んでおく。

11)2014年 10位 おじいさん、iPhone6plus持ちになる。

 ガラケーから大きくスマホへ転身した。ガラケーの回線自体が閉鎖され、追い立てられるようにスマホに集められた。ドコモがアップルを扱うようになったので、選択肢としては、これが私に与えられたベストチョイスだった。この年は「55歳からのフェイスブック入門」を挙げておこうか。あんまり乗り気じゃないのにまたまたSNSへと引っ張り出されていった。

12)2015年 番外 おじいさん 市民農園始める。

 この年は、もはやブログと連動するような「10大ニュース」はない。ある意味、事務所+パソコン+ブログ、の三位一体から解放されて、私は野外フィールドに誘われた。そこでネットを見なかったわけじゃないし、仕事をしなかったわけじゃない。タブレット+スマホが、私をして野に放った。この年は「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用、で決まりでしょう。

13)さて、2016年はどんな年になるのだろう。少なくともパソコンが壊れてしまったので、新しいパソコンを購入することが、今年のわが家の10大ニュースにランクインすることは間違いない。これら10年間の経緯を踏まえて、私はどのようなパソコン選びをするのであろうか。自分なりに興味深々である。現在かたわらにあるのは「パソコン購入ガイド 2016」 100%ムックシリーズ。

<18>につづく
 

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2016/05/17

「10年間で読んだ本ベスト10」<16>コテコテOSHOサニヤシンとしての10冊第一案

<15>よりつづく 

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<16>コテコテOSHOサニヤシンとしての10冊第一案  目次

1)私は実はコテコテのOSHOサニヤシンなのである。誤解を受けることを覚悟でいえば、原理主義者、セクト主義者、頑迷なカルト主義者、などという汚名さえ、「敢えて」かぶろうという確信者なのである(爆笑)。本当は全然柔らかいけどね。

2)まぁ、敢えてそんなことここで再言しなくても、すでに衆知のことであろうが、見かけはどうであれ、自分ではそう思っている。

3)そのコテコテサニヤシンとして10冊を選んでみようと思った。思ってみたが、これがまた難しい。思い付くまま、始めてみよう。

4)「存在の詩」OSHO 1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ 。これは外せないだろう。そして1978年にめるくまーるから発行されたものではなくて、1975年に発行された手書き邦訳本である。すでに翻訳者本人が手元に持っていないという(2014年本人確認)貴重本。

5) 「未知への扉」 OSHO、秘教グループを語る 「I am the Gate」は、1977年にインドアシュラムに行った私が最初に買ったOSHO英語本。Gateが「入門書」的なニュアンスを醸し出しているが、実はコテコテの神秘本。後に盟友モンジュが邦訳した名著。

6)「私が愛した本」を好きな人も多い。私も大好き。この本は当ブログの中核を形成している。その中でも私が勝手に選んだ「OSHOのお薦め本ベスト10(私家版)」 (これにホントは追加二冊ほどある)は、要チェック。

7)「大いなる挑戦-黄金の未来」 アメリカを出て、ワールドツアーにでて、インドにもどったOSHOが再び世界に向けて発信したメッセージ。実に今日的ではあるが、読み下しが難しい。異論百出の可能性あり。

8)「ダイヤモンド・スートラ」 OSHO 金剛般若経を語る これもまたとんでもない本。個人的にはわが畏友ニュートンが所蔵していたたった一冊のOSHO本なので因縁深い。「ハートスートラ」の親分各の本ではあるが、かなり深い。深すぎ~~。

9)「Osho Zen Tarot」 これでしかOSHOを知らない人もいるだろう。当ブログにつくったカードリスト は当ブログへのアクセス数の半数を占めている、と言っても過言ではない。OSHOインフォーメーションセンターだから、それもいいのか。

10)「反逆のブッダ」 Oshoの軌跡 類書はなきにしもあらずだが、タイトルがいいので、すぐこの本が浮かぶ。他のジャーナリストが第三者的立場からOSHOを評す。英語版では、さらに改訂版がでているので、邦訳も改訂版が欲しい。

11)「湧き出ずるロータス・スートラ」私の見た日本とOSHOの出会い1992 これは私の書いた文章で、正規の書物ではないが、私としてはこの文書で一矢むくいたい。

12)「Osho:アメリカへの道」 砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相 この本も独特。ジャーナリストの手によるアメリカでの出来事についてのリポート。本当の真実については、他の複数の類書からの検証が必要だが、逆にいうと、その検証リストから、この本が外れていたら、マズイ。

13)「Bhagwan」 The God That Failed 1987年にインドに行った時に、プーナのMGロードの書店で買い求めた。後日、日本でも「堕ちたグル」として邦訳された。私はこういう内幕暴露本や批判本を読むことは嫌いではないので、歓迎だが、気持ち悪くなる本である。邦訳の段階で、さらに改悪されている。私は第三書館、嫌いである。

14)「インナーラビリンス」 自分という名の迷宮 ナルタン(日家ふじ子) この本は関連本のなかでも最新の本。サニヤシンの立場から書かれた本もかなりの数になってきたが、敬愛すべきナルタンの本。継続してシリーズ化してほしい。

15)それで思い出したのだが、「21世紀への指導原理OSHO」という本もあった。パリトーショの偉大なる本。内容はともかく、私はこのタイトルだけで花丸をつける。

16)というならOSHO最後の本「ノーマインド 永遠の花々」という本もあった。「偉大」なる日本OSHO大使シャルノにささげられている一冊。昨年2015年春にシャルノは亡くなった。敬して、冥福をお祈りいたします。

17)それから「ヴィギャン・バイラヴ・タントラシリーズ全十巻」なんてのもあった。それからそれから、と追加していったらキリはない。いちおうこの程度で止めておく。第一案。これを基礎に作り変えてみよう。さらに、当ブログ全体のなかの十冊に埋め込んでみる。

<17>につづく

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2016/05/16

「神社とは何か? お寺とは何か?」 penbooks

penbooks004 017 2009/09 2012/04 阪急コミュケーションズ ムック p135 p148
No.3698~9★★★★★

1)さすが「pen」だけあって、面白い。「pen」の特集は、あたりはずれがあり、読者としては全然興味のないテーマも多いのだが、常に感じるのは、視点がいつも同じである、ということである。

2)その視点のイメージは、女性より男性だろうし、少年でもなく老年でもなく、青年より中年に傾いている年代であろう。おちついたインテリジェンスを持ち、収入もまずまず安定している。ポップなセンスも持ち合わせているが、古色蒼然たる文化についてもウンチクを傾ける。

3)パソコンオタクを超えるような情報リテラシーを持ちながらも、ミーハー文化論をも、じっくり読み解くチャメッけを持つ。車や女性などについての話題も一通りついては行くが、その程度のオモチャでは、納得しないぞ、というダンディズムが見える。

4)その「pen」が神社仏閣を論じる。「神社とは何か? お寺とは何か?」という、なんともベタなタイトルだが、「pen」だと、なんだか急に生きてくる。

5)今さらながら、すでに還暦男になってしまったわが身としては、この読者像の設定がいまいちズレてはいるのだが、あえて今この本に目を通すと、なるほど~、と納得することが多い。秀逸なのは、この本では、神社とお寺を、均等に、等量に論じているところ。そして、ポップとインテリジェンスがジャストマッチしているところ。

6)逆に言うと、この読者層から外れている「東北人」から見れば、面白くないことが多い。神社仏閣の所在地が、とかく南に傾いており、東北、北海道の紹介が少ないこと。オイオイ、こちらにも素晴らしい神社仏閣も多いよ、と叫びたくなる。

7)こんなことだからこそ、1300年前以上の文化歴史について語りたくなる。古事記、日本書記の以前のこと。アラハバキや、ホツマや、縄文についてなど。ヒタカミやアイヌや三内丸山など、言い出したらきりがない。

8)そういうところをバッサリ切って、敢えて神仏習合、神仏混淆、神仏分離、本地垂迹な世界を、クッキリと浮き出させてみる。本職、プロの人々でさえ、この簡潔なムックには、きっと驚くような切れ味を見ることができるだろう。

9)もちろん、ここは入口で、ここから先はいろいろありますよ、ということだが、「pen」はここからはあまり深入りしない。ともすれば物知り顔のスノビズムに陥ってしまい、軽薄路線に流れてしまうところだが、そこをグッと押えているのが、毎回培っている「pen」の世界観である。

10)この本、個人的にはレインボー評価もありかな、とは思うのだが、私は絶対、この世界には満足しない。先ほど言ったように、アラハバキ、ホツマ、縄文、三内丸山、アイヌ、にまで降りないと、納得はできない。

11)それにしても、神社とお寺の文化は、実に1300年の歴史をうまく裏表使い分けて生き延びてきたのものだと、この本を読んであらためて納得する。

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2016/05/15

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<8>

<7>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<8>最新のPC情報はどうなってる?

1)いやはやますます混迷を深めるPC探検隊である。あちらを立てればこちらが立たず。誤解が誤解を生んで、ありゃ、こりゃ、どうなっているんだろう。

2)この10年弱、パソコン本体についてはず~とサボっていたから、最新情報がよく分からなくなっていた。もうすこし小間目にブラッシュアップすればいいのだが、どうもスマホやらタブレットやら、SNSやらに振り回されっぱなしだった。

3)パソコン自体はもう完成しただろう。ある意味、もう成長はない。それは一面では本当だった。だから、IBMやらSONYやら大手のパソコンメーカーは撤退し、国内大手の大部分も不採算部分としてPCをやっかいもの扱いするようにさえなってきた。

4)PCは完全に白物化し、利益を生むようなシステムが失われてしまったのである。

5)しかしながら、白物化しただけに、生活スタイルのなかでは不動の位置を獲得し、誰もが当たり前に使うようになってきた。そうならざるを得なかったのである。

6)そもそもパソコンとは、パソコン本体のことだった。せいぜい付属していても、マウスとキーボード、それにプリンターくらいのものだった。それで十分だったし、それ以上の発達なんて、シロートの私などには想像もできなかった。

7)ところが通信回線やら、画像やら、音響や映像、リアルタイムに繋がるビッグデータや、いまを盛りのSNSなどの発展により、PC本体も変わらざるを得なかったし、また、可能性の追求に血道を上げるようになってしまった。

8)度重なるOSのグレードアップなど、本当は不要な部分も多い。なんでオフィス類を毎回更新しなければならないのか。古いもので十分ではないのか。今やPC屋のためのPCになっていて、不要なグレードアップもやたらと目につくことになった。

9)もう、この際、なんだかんだ言うのはやめよう。とにかく、PCはまだまだ進化するのである。少なくとも、容量、速度、性能、感度、ユーザビリティなどにおいて、まだまだ進化し続けるのである。目を離すわけには、やはり行かないのである。

10)車だって、走る、曲がる、止まる、ができればいいじゃないか、とは言うものの、人類はあくなき探求を続けている。PCもまた、読み書きソロバンに倣って、ワード・エクセル・インターネット、などと言われた時代は、とうに昔の話である。

11)5年なり10年なりに一辺の買い替えの車も、常に情報をブラッシュアップしておかないと時代遅れになるが、PCもまた、あるいはPCこそ、常に常時戦場の感性をもって、常に見つめておかなければならないのでR。

12)とかなとか言いつつ、いずれにしても、選ぶPCの価格帯は、10年前の半分になっている。え~~、この性能がこの値段???? このPCがここまで動く???  とてつもない進展である。もちろん、収入も財布の中身も半分になっているので、PCの価格が半分になっても、あんまり割安な感じもないのだが。

13)ということで(どういうことじゃ)、とにかくPC選びは混迷している。その原因の大きな要因は、今使っているPCの調子が、なんと、すこし良くなったからである。いつサドンデスするか、と冷や冷やものだったが、なんだか、この数日調子がいい。これならまだまだ使えるじゃん。そう思うと、新しいPCに買い替える気持ちが、トーンダウンする。

14)この緊急感がなくなったことが、時間に余裕ができ、あちこち目をやってしまうことになる。ここに大きな混迷の原因があるのでR。

15)今すぐにでもPCが必要ならば、とにかくあれとこれと、あいつが動けばいいじゃん、とかなり早目の決断ができるのだが、余裕がでてくると、人間、欲がでる。あれもこれも、そして、それもどれも、と、人間、欲には限りない。

16)限りある命と知りつつも、いつまでも生きていたいと望む老境に似て、どうもPCにかける夢は、どこまでも深い闇を持つ。

<9>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<15>キーワードへの分解

<14>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<15>キーワードへの分解  目次

Img_4948

1)これらの本を眺めていて、ふと不思議なことに気づいた。これらひとつひとつ、単行本とはいうものの、ほとんぞ全部編集本なのである。アキラへの追悼文集として編集された「足に土」は言うに及ばず、「ウェブ人間論」は対談であるし、「スペクテイター」は特集雑誌である。

2)「庭仕事の愉しみ」はヘッセの編集本を多く手掛けたミヒェルスによる再編集本だし、「マイトレーヤ」だって、熱狂的な周辺が独自に編集してしまった一冊である。「ネグリ、日本と向き合う」だって、3・11後の日本にネグリを招いた人々のよるその記録編集本である。

3)「For The Children」もまた各著書や写真集からの抜粋編集本であるし、「Osho Zen Tarot」に至っては、そもそも意図しない形で語られた言行録からの抜粋編集再構築本である。「恐竜時代のふくしま」はもちろん博物館の展示と連動したパンフレットだから、個人の著書ではない。

4)「私が愛した本」もまたそもそも歯科椅子シリーズとして語られた文章をまとめたものであるが、そもそも、多くの(164冊)の本に大きく依存して存在している編集本と言っていいだろう。

5)敢えていうなら、「3・11その日を忘れない」こそは、著者単独の単行本と言えなくもないが、被災したあと避難場所に居ながら、周囲の読者は編集者たちに促されて、ほとんど緊急的に出版された編集本なのである。

6)私はこれらに気づいて、へぇ~~、と思った。意図しない形ではあったが、私は私を知る思いだった。私はこういう本たちがすきなのである。

7)そして、これらの本を見ていて、いくつかの単語が浮かんできた。私が好きな単語、大事にしている単語、本に期待している単語。

8)進化、革命、人間、地球、意識、科学、大地、生命、国家、宗教、自然、文明、創造・・・・・ これらの単語が好きなのである。国家や宗教は、ちょっと異質だが、超国家とか無宗教とか宗教性、という形に変形して使うのがすきなのである。

9)そんなことを考えて、ちょっと検索したら、実は過去に当ブログの編集日記にこんなことを書いていたところを見つけてしまった。

10)次なるテーマがおぼろげながら見えてきたからだ。それは、極めて今日的で、論争的な視点からの問題提起である。まだまとまっているわけではないが、当ブログとしても、かなり煮詰まった本質的話題と思われる。
キーワードを書いておこう。人間、地球、環境、意識、原発、生命、情報、生死、一般名詞としては、この辺だ。つまり、いままでの当ブログを踏襲するテーマである。
当ブログ編集日記 投稿: bhavesh | 2014/05/07 08:50

11)なるほど、私はこういうキーワードが好きなのである。人間、地球、意識、生命、この辺がダブる。そうこうしているうちに、一枚の画像を思い出した。

Img_4224

12)すでに巣だったわが子たちが、小学生の時に書道展でそれぞれに賞をもらった作品を、ふたつ並べて飾っておいただけなのだが、実は、これは子供たちからの私へのメッセージだったのではないだろうか。

13)地球、生命。ガイアなどと表現されたこともあったが、これに意識をくわえれば、当ブログのタイトルそのものとなり得るものであろう。

14)これらの中からいくつのキーワードを拾い上げ、短文を書くことも可能であろう。あるいは、10個なら10個のキーワードを、全て使って短文を作れ、なんていう宿題だって、あってよさそうなものである。

15)地球、自然、生命、人間、進化、文明、科学、革命、宗教、意識、創造、これで10+1個のキーワード。

16)これらの要素が入り混じっているのが、当ブログの構成なのである。したがって、上記に選んだ本たちが「編集本」たちであったということは、ある意味、容易に理解できる。私には、これらの本たちが、レゴブロックで作られた世界であるような気がする。

17)それらを分解し、組み合わせ直し、ダブっているところは切り捨て、もし足らない部分があれば、補う形で、まとめて行って、さらにシンプルに、ありのままのサイズに仕上げれば、それが、当ブログの最終形、ということになるのではないだろうか。

18)「地球」は容易に「宇宙」を連想させる。あるいは「自然」は「生命」のなかに包括されうるだろうし、またその「進化」の過程で「人間」を生み出した、と理解することもできる。

19)「文明」や「宗教」、「科学」、そして「宗教」も「人間」が作りだしたものである。今、「地球」に生きる人間たちの「意識」は、宇宙全体のそれと合体しうるのかどうか、そこのところが問われている。

20)そして、その円環を完結するのが「瞑想」という最終キーワードなのかもしれない。

<16>につづく

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2016/05/14

「10年間で読んだ本ベスト10」<14>もっとありのままに

<13>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<14>もっとありのままに  目次

1)このリストを作成するためにヘッセの「ガラス玉演戯」を取り寄せて、思った。そんなに好きなのに、どうしてこの本を購入して手元におかないのだろう。いくら蔵書を持たないと意気がったところで、やっぱり欲しい本は欲しい。手元においてニヤニヤしたいだろう。

2)「ガラス玉演戯」は素敵な小説だが、私にはちょっとカッコ付け過ぎな気がする。私にとってのヘッセは、もっと身近な存在であろう。その証拠に「庭仕事の愉しみ」は手元にあって、春になれば、ニヤニヤしながら、読むではないか。

3)そう考え始まると、例えば「ウェブ進化論」も手元にあることはあるけれど、ウェブそのものに関心を持つ以上に人間に関心があった。反感を感じながら論破を狙った「ウェブ進化論」よりも、続刊の「ウェブ人間論」の方が、より私らしく、当ブログらしいのではないか。

4)ことほど左様に、飯沼史観だって、「仙台平野の歴史津波」よりも、「3・11その日を忘れない」のほうが、今日的であり、リアリティがある。

5)「増補チベット密教」は、本当はチベット密教全般への関心や、学術的な体系、あるいは麻原集団への反発で取り組むべき問題ではない。むしろ私とOshoとチベットの関わりを知る上では、「マイトレーヤ」のほうが、重要なのである。

6)そしてもちろん「帝国」「マルチチュード」よりも、「ネグリ、日本と向き合う」のほうが、私は好きだし、よりネグリのことが見えているではないか。

7)スナイダー三省の対談「聖なる地球のつどいかな」にしても、むしろ、3・11後のスナイダー「For The Children」のほうが、より好きなのだ。スナイダーと三省之対談は、こちらでも抄訳されている。

8)となると、「恐竜の世界へ。」を図書館から借りだすよりも「恐竜時代のふくしま」は、実際にフクシマに行ってトリケラトプスやティラノザウルス、フタバスズキリュウに触れた時の記念で持っている本だから、こちらのほうが絶対リアリティがある。

9)「ネットで進化する人類」よりも、私はむしろ「スペクテイター」(ホール・アース・カタログ編二巻)の方がより好きなのだ。

10)Oshoの「私が愛した本」は、「Books I have Loved」よりは、せっかくの邦訳の方が好きなので、このままのほうが、よりありのままだ。

11)「足に土」は、類書がないし、これはこのままだ。この本以外にない魅力がある。

12)そして、本当は「Osho Zen Tarot」より、「ラジニーシ・ネオ・タロット」を愛したのだが、時流的には前者かな、とすこし遠慮気味。

Img_4948

13)この品ぞろえの方が、より当ブログらしく、私自身らしいのではないか。無理がない。

14)少なくとも、いつも私の身近にある本たちだし、邪魔にはならない友人たちである。図書館から借りてきた本は、私の棺桶に入れてはもらえないが、こいつらには、遠慮なくあの世まで同伴を頼めるだろう。

<15>へつづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<13>とりあえず第二案

<12>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<13>とりあえず第二案  目次

1)やはり、4000冊のなかから、わずか10冊に絞り込むのは、そうとうに難しい。選ばれる確率0.25%である。さらには、選択基準をどこに置くかでも大きく変わってくる。全体でみるのか、結論でみるのか。あるいは感動度でいくのか。一般論でいくのか。

2)今回は、結論ではなくて、10年間全体のプロセスが解るような基準で選んでみた。そして、その一冊その本自体がインデックスとなって、さらなる発展形を望めそうなものを選んでみた。以下順不同

「ウェブ進化論」

「足に土―原人・アキラ   須貝 アキラ 追悼集」 

「増補 チベット密教」 

「私が愛した本」

「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」

「聖なる地球のつどいかな」 

「恐竜の世界へ」

「ネグリ、日本と向き合う」  

ネットで進化する人類」 

「OSHO ZEN TAROT」

「ガラス玉演戯」

2)もちろん同傾向の本も重なっており、なおかつ相互にリンクしあっていることを期待したい。そして、以下は、候補からはずれた本たちであるが、おそらく、今後、復活はかなり難しい。さまざまな点から言って、以下の本たちは、上記の本の発展形と言える。

3)つまり、今後、このリストを追加訂正していくとして、より原型の本、オリジナリティあふれる本。総括的、かつ、発展形を持っている本を、探し出し、追加、訂正していくことになる。上記の本たちのルーツをさがそう。

ーーーーーーーーーーー

「五重塔  」 幸田露伴 
「哲学者たちの死に方」  
「郡山遺跡 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡」 
「反哲学入門」
「哲学者たちの死に方」The Book of Dead
「現代人のための『チベット死者の書』」
「月面上の思索」The Way of the Explorer
「裸形のチベット」
「反密教学」改訂版 
「ポスト・ヒューマン誕生」
「原発ゼロ世界へ」 ぜんぶなくす
人生を癒す百歳の禅語」 
「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する 
「インナーラビリンス」 
「上弦の月を食べる獅子」  
「銀河鉄道の夜」
「愛する地球(テラ)へ」 
「世界の葬送」125の国に見る死者のおくり方  
「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩 
「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ  
「お産の学校」  私たちが創った三森ラマーズ法 
「ツォンカパの中観思想」  ことばによることばの否定 
「藤沢周平と<海坂藩>を旅する」 日本と日本人の原風景 
「フラワー・オブ・ライフ」 
「ブログ・ジャーナリズム」 300万人のメディア 
「すべてがムダであることについて」
などなど

<14>につづく

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「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線<17>

<16>よりつづく


「恐竜の世界へ。」 ここまでわかった!恐竜研究の最前線 (pen BOOKS  013)<17>
 鍋真/監修 ペン編集部/編 2011/07 阪急コミュニケーションズ 単行本・ムック 140p

1)新装なったステーション・ショッピング・モールを散策。なんと、わが街がまったく新らしくなって、まったく別な街へスリップしたような感覚。いいなぁ、新しいのは、ハンズもできたし、ショップも面白い。ブックストアも改装してすっかり新しい気分。

2)そこに、新設、雑誌Penコーナーが開設してあった。そうだろう、そうだろう、Penは面白い雑誌じゃ。大好きだな。そしてバックナンバーや別冊が並んでいた。そうだろう、そうだろう、そうに違いない。

3)その中に、やっぱりこの「恐竜の世界へ。」が並んでいた。そうだろう、そうだろう、と思って手にとってみると、おお、なんと新鮮な。すでに5年前に出た本ではあるが、またまた感動がよみがえる。

4)いや、それだけではない。なんども開いている筈なのだが、本自体が新しくなったようで、ピカピカ光っている。いやぁ、そんな筈はない、と奥付を見ると、たしかに初版ではなく、第三刷くらいになっていた。ひょっとすると部分的に改訂されているのかもしれない。

5)それにしても、もうこの本を開かなくなって2年も経過していたのか、と驚く。何回開いても面白いなぁ。この本、「10年間で読んだ本ベスト10」に追加ノミネートしておく必要を感じる。

6)コンパクトな本でありながら、新しい世界への誘惑光線をビシビシ感じる。

7)そして、また痛感する。そういえば、フタバスズキリュウの作成が進んでいないなぁ。

8)そして、またまた痛感する。「チキンの骨で恐竜を作ろう」は、「廃材アート五重塔」に繋がっているのだ、ということ。

9)そしてそろそろ「ロールスロイスマハラジャの大改修」も開始しなければならないな、ということ。

10)なにかかにかのわが内なるクリエイティブがまたまた刺激される時期になってきた、のかぁ・・・?

<18>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<7>

<6>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<7> 接続環境の見直し

1)ということで、(またまた突っ込み、どういうことだぁ・・)、パソコンの機種も限定近しとなって、その費用捻出に頭が働き始めた。はっきり言って、費用が捻出できない。通信費は当社最高の出費なのである。車両費をはるかに凌駕している。

2)ということは、逆に見直してみる価値があるのだろうと、さっそく近くのケータイショップへ。30分ほどの待ち時間はともかくとして、やっぱりな、という結果がでた。これは行けるかも。帰宅して、あれこれチェックしてみた。

3)あるはあるは、なんじゃいこれ、というよなムダ、ムリ、ムラが、あっちにもこっちにも。はっきり言って、私は今まででも、2年に一度は新しいパソコンを買うことができるような環境にいたのだ。それをただただ垂れ流ししていたのだ。

4)ということで(またでた)、あちこちズタズタと切っていく。はっきり言って総額としては、現在と同じ出費状況になるので、楽ではないのであるが、それでも、新しいパソコンを迎えることはできる。あのストレスから解放されるか、と思うと、ここは、すっきりと見直しを推進しよう。

5)もはやショップ本命は決定した。ブランド本命も決定した。あとは機種本命に突入するしかない。途中でP社ブランドも気にはなったが、あくまで参考程度。もともと縁がないし、そもそも、あのスタイルが気にくわないのである。

6)V社で揃えているわがオフィスも、本来であれば新しいV機を迎えたかったが、ネット上の人気は惨憺たるものである。ニューストレンドに疎い当ブログではあるが、大概の人気情報とそう大きく変わるところはない。

7)M機はおおいに気にはなるが、目的が違ってくるし、価格帯が合わない。やはりここはT機突入しかないのだ。同社のブランド構成には異論もあるようだが、結局はT機全体の信頼は地におちている、というわけではない。価格、機能、チャームポイント。今回は、これでいこうよ、もう。と、やや面倒くさくなっている。

8)さて、ここに来て、T機と決めたところで、そのラインナップからどう決めていくかである。価格帯はそう大きくターゲットから外れることはない。我慢できる範囲だ。だが、機能的には、まだまだ絞り込みが必要である。

9)一つにはドライブを内蔵にするかどうか。ふたつにはHDDなのかSDDなのか。3つには、オフィスをどの程度にするか。非常に微妙なところである。

10)ところがT機の選択肢において浮上しているのは13・3インチではなく、14インチなのである。14インチ+外付けドライブと、15インチ内臓ドライブでは、それほど大きな違いはないのではないか。常時携帯ならともかく、あの筐体から考えて、内臓タイプでも悪くないのではないか、という意見が、なんと家族から浮上した。

11)老い先そうながくはない還暦後男である。ここらへんは家族の意見もしっかり聞いて、取り入れておかないと、どんな悲惨な老後が待っているかわからん。自分の意見は6割としても、4割はなぁ~~、退歩もあり得る。

12)ということで(また出た)、かなり絞り込めたぞ。

<8>につづく

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2016/05/12

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<6>

<5>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<6>見積もり、グレード選び

1)本命T、対抗V、穴馬M、と決めつけて、なにはともあれ、本命Tの外堀を埋め始めた。T社のBTOは、思った以上に幅が広かった。そして、この10年間、私はPCについては、ほとんど何も学んでは来なかったのではないか、というくらいに、技術は進展していることを知った。

2)そして、それらが、私の思っている以上に安価に提供されていることも知った。

3)本命T社内の商品においても、さらに本命、対抗、穴馬が発生した。少なくとも、この時点において、ローエンドのローエンドの、大地を這いつくばる様な惨めな無残な未来には終止符を打つことができた。少なくとも「すべてはムダである」と決めつけるには早すぎる、ということである。

4)何でもそうだろうが、担当者との相性も大きい。今日、私に近づいてくれたT社の担当社は、私にとっては相性がよかった。なるほど意見が合う。こちらの指向性やら懐具合やらを、ほぼ完ぺきに把握してくれている。

5)もちろん、ローエンド&ローよりは割高にはなるが、夢の大きさで言えば10倍も20倍も大きいのに、値段はせいぜい3割アップ程度なのだから、驚く。そして、その幅の広さ。その夢を維持するために、各陣営が努力しているのだ、ということが解って、私は嬉しかったし、なんだかしょげてる自分が恥ずかしかった。

Img_4917

6)精密見積も二通作ってもらったので、もうどちらかに選択して、多少の煮詰めを行なえば、これで発注、ということも可能である。

7)しかしながら、せっかくだから、対抗V社、穴馬M社、も、もうすこし学んでおきたい。実際はどうなんだ。私の要求に、答えてくれるのかどうか。夢はあるのかないのか・・・?

8)うろうろしていたら、新しいステーションモールに出くわした。わぁ、すごいなぁ、まったく新しい、知らない街のようだ。こんなことになっていたとは知らなかった。生き返る思いだ。過去や、タナトスにばかりしがみついてばかりではいけない。

9)もっと、夢をもとう、未来を見つめよう、生まれ変わろう。そんな気になった。わずかPCのことを考えただけで。

<7>につづく 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<5>

<4>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<5>PCで何をしたいの?

1)それともうひとつ考えていたことがある。「パーソナル・コンピューター」 → 「ソーシャル・ネットワーク」 の次にくるものは何か、ということである。

2)パーソナル・コンピューターはパソコンともPCとも略語されて、人間社会にすっかり溶け込んでしまった。いまや冷蔵庫や炊飯器と同じくシロモノ家電化さえしている。すくなくとも、新聞を押しのけて、ラジオやテレビと同列の位置にまで定着したと言える。

3)そして、次に来たのが、ソーシャル・ネットワーク(サービス)である。SNSとも略され、ネット繋がりとも評される。ホームページ閲覧や、メールのやり取りを越えて、すでに社会のインフラとして認知され、次第に必要不可欠なものになりつつある。

4)個人的にはLINEなどのような、あまりに親密度の高いインフラは好きではないのだが、次第にその波及度は高くなっていると思われる。その他、かなり注目すべき事象もいろいろある。

5)さて、ここまで来るとPCの「パーソナル」からSNSの「ソーシャル」に移ったとして、その次に来るのは何か。

6)そしてPCの「コンピューター」からSNSの「ネットワーク」に移行したとして、その次に来るのは何か?

7)このテーマを考えていて、当ブログは以前に「コンシャス・マルチチュード」という概念をひねり出して、カテゴリ名にもしたことがあった。コンシャス、あるいはコンシャスネスはともかくとして、「マルチチュード」は、やはり当ブログでは使い切れない言葉のようである。

8)その概念は面白いし、現在ネット上やSNS上で起きている事象を、マルチチュードという概念で捉えてみるのは面白い。現実によく当てはまることもある。しかしながら、そこからの発展形が見えない。単に反権力の憂さ晴らしに終わったりはしないのか。

9)いろいろあって、当ブログでは今後もマルチチュード概念は追っかけてみるもの、今後も当ブログの中核にはなりようがないな、とちょっと失望している面もある。

10)そこで、考えたのが、ちょっと古臭くはなってしまっているものの、グローバル、という単語である。パーソナル→ソーシャル→グローバル。この並びはそう悪くはない。そしてそのあとには、おそらく地球そのものを囲む宇宙、コズミックとかユニバーサルとかの発展形へと繋がりを得ることも可能であろう。

11)そして、コンピューター→ネットワーク→コンシャス(ネス)という発展形を考えてみる。

12)つまり、PC→SNS→GC(N)を想定してみるのである。

13)ボーダレス化、ビックデータ化、バーチャルリアリティ化、カオス化の波を受けながら、今後、グローバル・コンシャスネスはどうなっていくのか。

<6>につづく

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「わが市民農園」<51>そろそろ始動?

<50>からつづく

わが市民農園 (市民農園体験記・改題)

<51>そろそろ始動?

1)最近、体調不良である。病院に行ったついでに調べて貰ったのだが、数値に異常はない。むしろ健康体だそうである。それなのに、いまいちやる気が出ないのは、奥さんに言わせれば、気力がないからでしょう・・・、ということらしい。

2)たしかに昨年末から年初、春にかけて、予想外のことが連続していて、プライベートでかなり忙しかった。ヤマは切り抜けたので、そろそろ時間に余裕はでてきたのだが、どうも脱力してしまったみたいだ。

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3)タナトスに偏りすぎた日々の暮らしを、多少でもエロスのほうへ揺り戻さなければならない。そういう意味では畑仕事は最適なのだが、どうも足が向かない。今日は、孫と、奥さんに押されながら、畑探検隊。

4)昨年の、綺麗だが、からっ畑とは違って、何にもしなかったので、雑草も生えてはいるが、さまざまな収穫物もある。ホウレンソウ、ニンニク、タマネギ、などなど。ちょっと収穫時期が過ぎているのもあるし、え、こんなところにとも思うものもある。

5)じゃがいももほったらかし。もう遅れたかな。まぁ、いいだろう。そろそろ開始しよう。

つづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<4>

<3>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<4>ブランド選び、本命、対抗、穴馬 

1)一晩寝ながら、いろいろ考えた。今まで使ってきたパソコンは、NEC、エプソン、IBMアプティバ、IBMシンクパット、シャープメビウス、ソニーVAIO、東芝ダイナブック、その他。それぞれに想い出深いが、特に二つのブランドを考えた。

2)シンクパットはIBMの商品だった。いまや、中国の企業に売却されてレノボ傘下にくだったはずだった。現在はどうなっているのだろう。売却されたのは2004年のこと。もうすでに10年以上が経過しているのだ。

3)IBM下でシンクパットが誕生したのは1992年ということだから、わずか12年で中国ブランドになり、さらに12年が経過したのだ。IBMはそもそもはタイプライターメーカーだったので、そのキーボードについては妥協しなかったということで、たしかに打ちやすかった。

4)とくに、あの中心にあった赤い棒、マウスの代わりになるポインティングデバイスが好きだった。あれがあれば、たしかに出先でマウスの必要性は下がる。このデバイスが現在でも健在であることを確認してきた。これが、一夜にして、シンクパットが本命に浮上した一要因ではある。また、通常廉価版パソコンのメモリは4GBとなっているのだが、店頭では8GBになっていたのもうれしかった。

5)筐体もがっちりした黒で、私好みではある。若干ざらついた皮膚感ではあったが、10万円を切る廉価版であることを考えれば妥協できる。

6)他のレノボはレノボのブランドを付けているのだが、シンクパットだけはシンクパットのブランドを付けているので、ちょっと差別化されている感じでうれしい。

7)シンクパット(レノボ全般か?)の国内アフターサービスはNECが担当しているということであったが、はてさて、どの程度になっているものか。また、BTOシステムで自分好みにできるので、目的と予算を見比べて、リーズナブルに設計できるだろう。

8)おなじBTOで考えれば、いまだにVAIOは有力である。VAIOはいまでもソニーなのか、それともVAIOのVAIOなのか、よくわからないところがある。わがオフィスはVAIOで固めているので、本当は新しいパソコンもVAIOだと統一感がある。

9)こちらもBTOで考えれば、それなりに自分好みにできるはずであり、若干時間がかかったりするけれど、まずまずの質感のあるものを手にすることができるのではないか。

10)一晩考えたのは、結局、6万円台のDVDドライブつきオールインワン15インチにするか、DVD外付け13インチモバイルにするか、ということである。常時使うものではないDVDドライブのために、わずか数千円から一万前後のために、15インチという非モバイル機を並べておくのか、ちょっと気の効いたDVD外付けモバイル13インチにするか、ということである。

11)通常の用途なら、スマホ+タブレットで、外出中のデモも、まずまず可能である。細かい作業は無理だが、この半にで仕事をすることはできる。だが、この組み合わせも、いつどうなるか分からない。2ウェイで、緊急用にバックアップ体制は取っておきたい。そういう意味では、強力なモバイル性も確保しておきたい。

12)さて、ここまで来ると、にわかに現実味を増すのがマックである。10万円を切るAir機にWin10OSをプラスしても、価格的にはほぼ横並びになってくるのである。もちろん、ケアとか、外付けDVDドライブなどで、かなり差がついてくるが、まったく歯がたたない、というわけではない。

13)すくなくとも、ここでの割り切りは、13インチ堅持のために、DVDドライブを外付けにして、予算を10万前後に挙げて、モバイル性を高め、もっと共感できる、多少、所有する喜びも感じられるようなセットに、するかどうか、というところである。

13)本命シンクパット、対抗VAIO、穴馬マックAir。もうすこし煮詰めてみよう。

<5>につづく

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2016/05/11

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<3>

<2>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<3>家電店探検隊

1)ということで(またまた、どういうことじゃ)、行ってきました、大型家電店2店。それぞれに特徴があり、まぁ、こんなもんだろうという対応を受けてきた。

2)業界最安値を歌うL店は、うるさいくらい店員が対応してくるが、こちらは見ているだけだから、あまりつきまとわれたくない。まぁまぁの品ぞろえだが、HP社の商品はない。その分DELL社などの商品は揃っている。

3)他方Y店は、これみよがしにあちこち見て回るのに、店員は一切声をかけてこない。こちらのスタイルがいかにもオタク爺さんのようだから、敬遠しているのか。見て回るほうとしては、こちらのほうが楽。こちらはHP社の商品もあったが、基本的にHP社の商品は、少ないのだろう。

4)そして、結論から言ってしまえば、今日も「結論はでなかった」ということになる。いやいやそれよりも症状は悪化している。今日、雑誌を見て、取りあえずの本命、対抗、穴を作っていったのだが、それ自体が全部ひっくりかえされた、と言っていいだろう。

5)お目当てのHPはあったが、とにかく白と青の色がとにかく気に食わない。普段、あのようなカラーが私の世界に入ってくることはない。それに、沢山あるなかの選択肢、というわけでないところが、どうも納得しない。押しつけられたような気分になる。

6)廉価版のそれぞれのメーカーも見たが、それはそれなりであり、それ以上のものではない。どうしても、今すぐ、という限定つきなら、どれでもいいのだが、私はどうも、パソコンに対する思いこみがあるようなのだ。

7)80年代初半に死のベットにいた時、生きていこう、と思えたのはトフラーの「第三の波」を読んだことが大きかった。市場での瞑想となっても、ネットでOSHO繋がりができる、ということがとてもはげみだった。1995年の麻原軍団の悪業からの脱出も、パソコンへの夢があればこその未来だったのではないだろうか。

8)21世紀になったあとも、街の人並みに紛れていこう、という時代になって、SNSつながりができて、未来への夢を持ったことも事実であった。ブログサービスで、ますます世界が広がっていったことも大きかったではないか。

9)今回こわれてしまったが、いままで使ってきたPCだって、バーチャルリアリティ・サービスを享受しようとした結果ではなかっただろうか。パソコンやIT、ネットワークは、常に夢を与えてくれたではないか。

10)スマホだって、タブレットだって、未来へ、未来へと、引っ張ってきてくれたように思う。

11)しかるに、今回のパソコン選びは、どうも現状維持、あるいは保守的、「まぁ、こんなもんだろう」という諦めが漂っている。LINUXをいじっていた時でも、夢があったではないか。iMacを子供たちにあたえ、さらにはMac+Linuxのダブルブートにして遊んだのも、夢があったからだった。

12)今、私に不足しているのは「夢」である。「未来」である。可能性、挑戦、そういったことが、すっかりわすれさられている。

13)店頭を見て歩いて、VaioとThinkPadブランドがまだ生きていることに気づいた。すでに昔日の威光はないにせよ、そしてすでにサードパーティに売却されてしまったとは言え、そのブランドのなかに、輝きを見つけられないわけではない。そして、具体的に、それらのブランドの商品を見つけることができた。

14)そして、そうなればなるほど、いよいよ、Mac+Win10のダブルブートも視野に入ってきた。

15)最小の組み合わせはMacBookAir+13インチ+256GB+Win10である。これにマックケア(最初にしかつけられないが)やDVDドライブ、マックのマウスなどはあとで考えてもいいだろう。

16)で、マックでお仕事、って、それは本当に「夢」なんだろうか。マックがiPhoneやiPadに連携するのは楽しいだろう。しかし、ハードは確かにマックだが、そこにWinを入れただけで、それがそんなに「夢」なのだろうか。そこんとこが、いまいち納得がいかない。

17)ということで(また出たぞ)、今日のところは、ThinkPad本命、Vaio対抗、MacAir穴、な夕方であった。

<4>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<2>

<1>からつづく 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<2>いよいよPC新調か

1)ということで(どういうことじゃ?)、買ってきましたこの雑誌。本気になってパソコンを買い替えるなら、やっぱりこの手の雑誌は一回は見ておきたいよね。

2)最新とはいうものの、発売はもうすでに二カ月前のことだった。店頭にはこの雑誌一冊しかなかったので、ひょっとすると売れ残りかもなぁ。

3)店頭では、お、これは読まなくては、と思うのだが、いざ購入して自宅に戻ると、なんだか読む気がなくなる。なんでなんだろう。店頭では「可能性」が限りなく広がっているものの、自宅に戻ると「限界」がミエミエで、余計なところを読む必要がなくなるからだろうか。

4)いずれにせよだ。悶々と葛藤していることは間違いない。

5)最近やったことのひとつに、天井階から、古いパソコンのダミー機を引っ張り出してきたこと。いままで故障した時に、ネットオークションで、古い同機種を落として部品取りをしたパソコンたちである。ちょっと直せば使えそうなものだが、やはり追加修理と部品が必要だ。そんなことをするなら、もはやローエンドの最新型を買った方がいいのではないか、ということになってしまう。

6)今、パソコンを買うとしたら、大型家電店が3店舗。どこかで買うに違いない。あるいは、機種がしっかり決定すれば、価格ネットで最安値店を見つけるかもしれない。しかし、それは、絞り込んだあとの話だ。今はそこまでいかない。

7)方向は3つ。①ローエンドをとにかく安く買う。②マックを買ってウィンドウズを入れる。③ほどほどのウィンドウズを買う。どれもそれぞれに魅力的でありつつ、また、短所もある。中古や型落ちOSは考えない。

8)①ローエンドが一番現実的なのだが、どうもローエンドで成功した体験がない。ローエンドはローエンドなのだ。そこまで自分を落とし込めていいのか、という罵声が頭のなかに響く。②マックが一番魅力的なのだが、仕事との融合ができない。③ほどほどのウィンドウズしかないのかなぁ、と思いつつ、中途半端で、ますますマックが遠のく。

9)ああ、またまた前回と同じことを考えているようだ。全然進歩がないぞ。

10)ということで(どういうことじゃ)、まずはこの雑誌に沿ってパソコン選びをしてみる。

 使用シーンと作業目的に合わせて必要なパソコンのタイプを判別する。p5
・オールインワンノート
・モバイルノート
・タブレットPC
・タワー型デスクトップ
・モニタ一体型デスクトップ
・省スペース型デスクトップ
・超小型PC
・ステッィク型PC

 と、この8種から選ぶとするなら、オールインワンノートモバイルノートしかない。タブレットPCは、おそらく仕事のメインとしては使えない。

11)オールインワンノートで紹介されているのは、約20種、パナソニック、富士通、バイオ、エイサー、東芝、アースス、NEC、HP、レボノ、エイサー、などなど。実勢価格帯は32万~5万円代とあまりにも幅広い。狙いは実勢10万程度であり、それ以上ならマック+Winのダブルブートを狙う。本来は、バイオで揃えたいところだったのだが、いまやバイオもいわくつきメーカーになってしまった。紹介されているS15も18万円代と、お手頃とは思えない。これほどのハイスペックはいらないのである。

12)では10万円以下となると、アスースX555UA-6500F、HPの15-ab200、レボノ80M30015JP、おなじくレボノ80E301KRJP、エイサーE5-573-H14D/W、アスースX756UA-6200Sなどなど。ターゲットはこのあたりにしかならないのだが、どうもブランドに馴染みがない。というか偏見がある。できればHPの15-ab200あたりが狙い目なのか? この価格帯にDELLがあれば、それも注目なのだが、この雑誌では紹介していない。販売方法が違うのかも。

13)さてHPの15-ab200、スクエアでメタリックな外観は好みなのでOKだが、どういうわけか、この雑誌では二回紹介されていて、実勢価格が9万円台と6万円台と二通りに紹介されている。スペックが違うのか、誤植なのか。あとでチェックしよう。価格コムでは、6万円台が正解。(よく見ると、CPUの違いであった。私はCPUに今さらこだわらない)。

14)シンクパットも紹介されているが、いまやレノボになってしまったシンクパットは、ブランドだけでは購入できない。ましてや、ブランド代を買わせられるのでは、最初から願い下げである。

15)さて、次は、モバイルPC。こちらもバイオ、NEC、レノボ、パナソニック、HP、東芝、HP、アスース、エイサー、富士通、マックなどが紹介されている。しかし、10万円以下となると、ブランドが大きく変わる。イーブック、アスース、エイサー、レノボ、などなど。オールインワンとモバイルPCの違いは、画面が小さくなるのと、DVDドライブが付かなくなることである。私は13インチがベストなのだが、DVDなしは困る。ここは、痛し痒しだが、オールインワンに軍配を上げる。

16)MacBook Air 1600/11.6 MJVM21J/Aも紹介されていて、実勢価格9万円代で、わがターゲットには入るが、いくつも問題がある。これまで書いてしまったので、繰り返さないが、とにかくローエンドWin+マックという組み合わせが、私の場合はいいようだ。ダブルブートは面倒だし、トラブルも多そう。マックケアにも入らなければならないし、いろいろ周辺機器も気になり始める。

17)タブレットPCも気になるところではあるが、すでにスマホ+タブレット単体で稼働している限り、不足はあれ、いまさらタブレットを強化する意味はない。タッチパネル、キーボードを分離する、いろいろあるが、まずはここもパス。

18)さて、これからは「パソコン選びの大原則」p48。

19)「CPUだけで判断しない」。それはそのとおり。HP15-ab200にもCorei3とCorei3の違いがあるようだが、ここはこだわらない。「高価だから使える!はまちがい」。そのとおりだろう。3万円の差はおそらく私には体感できない。

20)「スペックで決めるのではなく用途で決めるのが常識」。これもそのとおりだろう。おそらく通常のPCであれば、私が要求している内容は、そのスペック内に十分含まれている。あとは用途だ。デスクトップに常駐するのか、時にはモバイルに出張するのか。ここは問題だが、モバイル出張はもうスマホ+タブレット単体にお任せする。時にはモバイル出張もいいが、バッテリー時間ももはや問題なし。画面の大きさや、重さも、年に1~2回程度なら、がまんがまん。

21)「ノートPCが携帯性をもっとも重視」。これもそのとおりだね。私もベストは13インチ。だけど、本当に「ひんぱん」にモバイルするか??? 15インチでも妥協はできる。むしろ、11インチだと、仕事ユースで不満がでるだろう。

22)「次モデルの発売前後の型落ち機がお手頃」。なるほどそうであろうが、数年に一度のPC買い替えなのに、常時PC情報に目を配っているわけにはいかない。今回、この雑誌を買ってきたのは、そういう意味もあったのだが、こんなPC雑誌を買って考慮するなんて、私の場合はめったにない。機種が決ったら、1~2年落ちなどの「中古」でなければ良しとする。数ヶ月の差で、値崩れなどを待っているなんて、上等なことはしなくていいだろう。価格帯も限られている。

23)「キーボードの打ちやすさや、外部端子の位置も」。そうそう、これは重視なんだよね。だから、ネット情報だけでネット購入は私にはできない。すくなくとも家電店で現物を確認して、すくなくともキーボードだけは打ってみないと納得できない。車ならハンドルを握って、試乗しないとね。

24)「ディスプレイの外しやすさ」。これは、今回無視する。タブレットPCを買う訳じゃないのだから。

25)「メモリの種類と規格を知り自分のパソコンに合ったメモリ」。う~~ん、ここは問題だなぁ。少なくとも、現在私が使っているパソコンよりはいいだろうと思うが、実際にOSにあったアプリがグレードアップしていて、より高性能のメモリが要求されることもある。ここは問題あり。自分ではよくわからない。いままでは拡張性のあるPCを使ってきたし、可能な限りメモリを増量して使ってきた。今現在はどうなの??? これは店員かPCグルに聞くべし。

26)「HDDとパソコンの接続方法や内臓型と外付け型の違い」。これは大事。もちろん外付けはどの機種もできるだろうが、経費も保存場所も必要になる。机上備え付けで、15インチ画面なら、最初から内臓型があたりまえだから、気にすることもあるまい。

27)内臓型HDDの場合、もはやメーカーを信頼するしかない。総合的な評価において、問題なければ、ここは特に大きな選択部分ではないだろう。

28)「ノートPCも一体型も、モニタがあれべ作業がはかどる」。それはそうかもしれないが、私は外づけのモニタは邪魔になる。13インチあれば十分なのだが、15インチもあれば、もう十分と思う。解像度やビジュアルな感覚は、もちろん高解像度のほうがいいに決まっているが、それは、あとで、もうけた、というプラス感覚で十分。

29)「プリンタはこうして選べ」。プリンターもなぁ、問題なのだよ。いざという時のために、2台用意してあるが、どちらももはや旧機種。そろそろ買い換えたいが、まぁ、今回は考えない。

30)「ルータはこうして選べ」。ルータについてはもはや思考停止。備え付けて、もう何年にもなるが、替える気はまったくなし。実際はルーターよりも先に、回線や契約状況を確認することが先だ。

31)「パソコンの性能比較と安値の調査をするなら価格コムを活用」p62 まぁ、そういうことになるね。価格コムで一度はチェックする必要がある。でも、それって、かなり絞り込んだあとでもいいだろう。

32)「検索・絞り込み方法と複数製品の比較方法を覚える」p63。それもそのとおりだね。私の場合は絞り込みができずにボーっとしてしまったり、あまり早目に絞り込み過ぎたりする。本命、対抗、穴馬。それぞれに準備し、比較する必要を感じる。私はどうもDELLが気になるので対抗。マックは穴馬扱い。

33)「型落ちパソコンベストバイ」p72。ここは気になるが、割と型落ち、ってのは苦手だったりする。探すの面倒だったり、「新品」を「買った」という「達成感」が薄いのである。ローエンドであっても「新品」を買いたい。それでも、ここで紹介されているHPの 11-k000TU x360あたりは、対抗馬として出しておいても悪くない。実勢価格4万円台中ごろ。ただ、いろいろな意味において不足感は否めない。MSオフィスなしでは、やはりいろいろ不都合が・・・・。

34)型落ちでも、用途に向かないモノや高価のものは、やはり目に入らない。あとブランドだなぁ。ローエンドでもブランド名が気に入っていると、なんだか、それだけで良い気分。

35)「中古パソコン選びのツボ」p82。中古は嫌いじゃないけど、今回は新品狙い。型落ち程度ならまずまずだが、中古は今回パス。

36)その他、他の情報を含めて、この本の活用はほぼ終わり。あとは、また家電店のパソコンコーナーをウロウロすることにする。

<3>につづく

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2016/05/10

オバマ大統領がヒロシマに献花する日<4> 相互献花外交が歴史的和解の道をひらく

<3>よりつづく  

オバマ大統領がヒロシマに献花する日 (小学館101新書)
「オバマ大統領がヒロシマに献花する日 」 <4>
松尾 文夫 (著) 2009/8 小学館 新書 224p

1)すでに布団に入ってまどろんでいたところ、誰かが、以前に私が書いたツイッターをリツイートしたことで、「オバマ大統領がヒロシマに献花する日」が決ったことを知った。この本が書かれたのは3・11より以前の、今から6年前のことである。

2)これはオバマ大統領だからこそ起こり得たことであろう、と思う。ヒラリー・クリントンでも、ミスター・トランプでも、起こらない可能性が高い。

3)私は今日のこの速報を聞いて、すぐにこの著者のあのコメントのことを思い出した。

4)同時に、日本側は、このアメリカ大統領の「広島の花束」に対応して、首相が「真珠湾の花束」でこたえねばならない、というのが私の提案である。場所は、アメリカ人にとって、あの戦争のシンボルとしての彼らの記憶から消え去ることのない真珠湾攻撃の現場、今もアメリカ兵1177人の遺骨が眠り、油が浮き出す戦艦アリゾナ残骸上に建つアリゾナ記念館しかない。p9 松尾 文夫

5)日本に住んでいる私たちは、核兵器を「絶対悪」として、アメリカは日本に謝罪するのは当然だと思っている節がある。しかしながら、今回の米国大統領予備選のトランプ候補の発言にも表れているように、決して、米国民の感情は、日本人のそれと軌を一にしたものではない。

6)オバマ大統領の、その英断に答えるべく、日本の総理大臣や、それに匹敵する人々は、著者松尾文夫氏が提案するように「真珠湾アリゾナ記念館への花束」で答えなければならないだろう。

7)戦争のない世界。核兵器のない世界。核兵器の材料をつくる原発のない世界。それが、21世紀の地球に住む私たちみんなの共通の願いである。

<5>につづく

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「MonoMax(モノマックス) 」2016年 06 月号 特別付録アーバンリサーチ本皮Wファスナーキーリング付き財布<1>

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「MonoMax(モノマックス) 」2016年 06 月号 「特別付録アーバンリサーチ本皮Wファスナーキーリング付き財布」<1>
2016/5/10 宝島社 雑誌 月刊版

No.3697★★★★★

1)地下書庫入りした古書ばっかり読んでると、ますますジジ臭くなるぞ。というわけで、重い腰を上げて、たまには若者向けの雑誌屋へ。

2)いろいろ見ているうちに、いやでも目に飛び込んでくるのが、平積みしてあるオマケ付き雑誌。何だこれ? あらら、キーホルダーだなぁ。

3)実はこれ、半年ほど前から欲しかった。以前使っていたのは1万円ほどして10年以上もった。いよいよ壊れて、3000円ほどのものを買ったら、確かに3年ほどで壊れてきたのだ。とくにキーホルダーの金具部分が弱くなる。それとファスナーが甘くなって金がおちる。

4)そんな下地があったから、この雑誌を見て、迷わず購入。なんてたって、税込760円。あまりに安すぎでしょう。表は本皮だとか。ホントかな。中身はフェイクレザー。

5)スーパーのワゴンセールでも1000円以上するし、あるいは500円くらいだったとしたら、むしろ見向きもしないだろうな。それが、雑誌の付録で、雑誌本体価格が、この値段。嘘でしょう。

6)最近、この手のオマケで「スマホ用レンズ三種類セット」 つき雑誌という奴を購入した。今後どれだけ活用するかは分からないが、一度使ってみたかったので、これも面白い体験だった。

7)こちらのキーホルダーも、値段からすると、どれだけ使えるかは未知数だが、まぁ、一年も使えれば元は取れるというもの。

8)それにしても、こんな雑誌どこでだしてんだよ、と思ってみたら、宝島社か。なるほど、こういう時代なんだな。普段なら、絶対に手にとったりしない雑誌だが、付録につられて購入してみれば、本体記事もなかなか面白いぞ。

<2>につづく

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「中空構造日本の深層」 河合隼雄

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「中空構造日本の深層」 
河合隼雄 1999/01中央公論社 文庫 274ページ
No.3696★★★☆☆

1)この文庫本は1999年にでているけれど、元本は1982/01に同じく中央公論社からでている。しかも収められている文章の初出は70年代末の文章なので、時事問題を洒脱に取り入れる著者の文章は、2016年現在読むとやや冗漫を通り過ぎて、まと外れにさえ思えるところもある。

2)しかしながら、こちらも、ターゲットを絞りこみ、特に新潮CD「古事記」に肉声として録音されている文章の言質をとる意味で、文章を探っていくと、重要なポイントはいくつも見つかる。

3)男性原理と女性原理という点から見れば、そもそもイザナキ、イザナミの結婚の儀式が印象的である。天の御柱を回るときに、イザナキは左より、イザナミは右より回ることになるが、イザナミが先に「あなにやし、えをとこを」と言い、イザナキがその後に「あなにやし、え娘子(をとめこ)を」と言う。 

 ところが、このとき女性が先にものを言ったのが悪く、ヒルコが生まれる。このヒルコはこのましくない子としえ、葦舟に入れて流してしまう。このヒルコに対する解釈はいろいろとあるが、アマテラスがオオヒルメノムチと呼ばれるところから考えると、ヒルメに対するヒルコという対立が考えられる。p44「『古事記』神話における中空構造」

4)この本と対となる姉妹編「母性社会日本の病理」は、さらにこの本よりも5年も遡るらしい。う~む、いまいち古色蒼然としてくる。

5)「古事記」神話において中心を占めるものは、アメノミナカヌシ----ツクヨミ----ホスセリ、で示されるように、地位あるいは場所はあるが実体もはたらきもないものである。それは、権威あるもの、権力をもつものによる統合のモデルではなく、力もはたらきももたない中心が相対立する力を適当に均衡せしめているモデルを提供するものである。p47 同上

6)五重塔の模型を作っていて思ったことは、五重塔とは曼陀羅である、ということである。

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 しかも、中空で、空間に構築されている構造体なのであった。

7)するどく中心統合的構造物でありながら、実は中心が固定されていないという逆説。そして、五重塔を日本人が好んできた、ということが、どこかで繋がっているように思う。

8)その他、この本をめくっていたり、ネットで観連をしらべているうちに、直感的に感じてしまったことはいろいろあるが、今はメモすることもはばかれるようなものが多し。

9)ヒルコ=縄文遮光器土偶=アラハバキ=スクナヒコ、などなど、極めてとりとめもない発想となるので、このあたりについては、だれか、キチンとした解説者に、納得のできる説明を受けたほうがいいようだ。

10)下手な妄想は、つつしもう。

つづく・・・かも

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「古事記」全3巻 中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説)<2>

<1>からつづく

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「古事記」全3巻 <2>
中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説) 2006/02新潮社 CD 9枚組 
★★★★★

)調べて行ってみると、松岡正剛オヤブンの「千夜千冊」に河合隼雄の「中空構造日本の深層」に触れた文章があった。なるほど、そうであったか。さらにこの本の姉妹編に対となる「母性社会日本の病理」というものもあるらしい。近日中に手にとってみよう。

2)松岡オヤブンは例によって、綺麗にダイジェストしてくれているので、もうすでに読んでしまったような気分になるが、また、加えて、批判的視点や、親分独自の視点も提示する。よいかな、よいかな。

3)しかしながら、当ブログもまた一気性、見ている地点が、もうひとつちょっと違っている。

4)最近、トリップ気味なのが、1300年と、薬師瑠璃光如来、というキーワードなのだが、これは個人的な嗜好というより、そういうキーワードに、リアル社会で巻き込まれている、ということが先行する。

5)樹齢1300有余年のかやの木があり、それにまつわる薬師瑠璃光如来坐像、というものがある。これは一体なにか。なぜに、私にこれらのことが関わってくるのか、ということをひとつひとつヒモ解いてみているのである。

6)そして、そこから辿っていくと、だんだんと時代がさがり、現代まできてしまう。それだけだと、なんだか面白くない。

7)もうひとつ、リアル世界で、私に大きく関わっているのが3・11という事象である。詳しくはここで繰り返さないが、結局は、飯沼史観に共感し、教わり、やがてホツマや縄文の世界へとの繋がりを感じているのである。

8)こちらもまた、発展形としては、さらにさらに過去へ過去へと遡りえるのだが、はてさて、どこまでが、どう、という果てしもない話になりがちである。

9)端折りに端折って、浅読みながら、直感的に要点だけメモしておく

・アマテラスは女性ということになっているが、ホツマでは男性ということになっている。イザナミ、イザナギから生まれた最初の子、ヒルコは男の子であった。だから、ホツマでアマテラスを男性と読みこもうとするのは、それなりの理由があるのではないか。

・アマテラスは太陽神でありながら、中心統合タイプとしないために女性と見なされてきた。

・飯沼史観におけるアラハバキの神は太陽崇拝の一神教である。

・ヒルコは、男性神であり、足が立たなかったという。

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・少なくとも、古事記における神代の世界において、さらにリアリティをもたせようとすると、このホツマを当てはめていくのは、なるほど、かなり面白い。ヒルコの復活。

・しかしながら、ホツマやアラハバキを復活したからと言って、それを絶対化するような傾向があれば、それはそれですぐに限界がやってくる。

・ということは、少なくとも日本の歴史、これまでの1300年の天皇制をキチンと評価し、受け容れ、自らの史観とさえする必要がある。

10)そうして、もう1つのリアリティ。それは21世紀の現代で、ありこれからわが子孫が生きていくこの地球の未来である。

11)私のリアリティは、こうして生きているOshoサニヤシンである、ということである。

12)縄文アラハバキ→1300年薬師瑠璃光如来→Oshoサニヤシン→七代先の子子孫孫の未来。これらのリアリティの繋がり、思想の枠組み、ビジョンの共有、そういうことのなかに、どうやら古事記、なかんずく、この河合隼雄の古事記観が、大きく関わってきそうである。

つづく

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2016/05/09

「古事記」全3巻 中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説)<1>

61f3zx4ci3l「古事記」全3巻 <1>
中村吉右衛門(朗読) 河合隼雄(解説) 2006/02新潮社 CD 9枚組 
No.3695★★★★★ 

1)古事記は避けて通れないのだが、いざ読み始めると長続きしない。荒唐無稽である。いずれ天皇制肯定へと続いていく。日本書記との差異。ホツマ読みもあるでしょう。仏教との関係は? いろいろ理由はあるが、読んでいく時の方向性、柱、というものを設定することが、なかなか難しいからである。

2)もう、文献として読む気力は残っていないので、ここはCD文献で、ラジオを聴くように古事記を学ぶ方法があるのではないか。そう思って調べてみたら、わが図書館にCD古事記が存在したのだ。

3)しかし、さすがに大冊である。所要1時間のCDが9枚組。上つ巻、中つ巻、下つ巻、それぞれ3枚づつCDがついている。つまり、ひととおり耳にいれるだけで、9~10時間かかることになる。つまり、おそらく一日で聴ける範囲ではない。

4)それでも、なにか可能性がありそうだ、と取り寄せてみると、なんと、上つ巻、中つ巻は、他の人に借りだされていて、借りられたのは下つ巻だけ。開けて、とにかく聴き始めてみたら、なんと各天皇の物語である。う~ん、なんだかなぁ。古事記って、こういうものだっけ・・・?

5)でも、悪いことばかりではなかった。下つ巻から始まったのは、むしろ良かったかもしれない。朗読は中村吉衛門だったが、巻末の巻末で、河合隼雄が「解説」しているのである。これは、私にとっては、とてもラッキーだった。最後の最後に見つけるより、最初の最初からこの「解説」を聞くことは本当によかった。

6)と言いつつ、ラジオを聴くように、他の作業をしながら、ながら視聴だったので、聴き落としたところもたくさんあるので、これから何回も聴くことになるだろう。いずれにせよ、なるほど、そうなのかい、と思ったところを、箇条書きしておく。

・河合隼雄ですら、若い自分は古事記が嫌いだったという。
・でも、現在(解説時点)では、無人島に持っていくなら、まずは古事記一冊を持っていくだろう、というくらい好きだという。
・日本書記よりは古事記が好きだという。
・古事記の中でも、上つ巻が一番おもしろく、中つ巻はまあまあ、下つ巻は、あんまり、というレベルのようである。
・となって、上つ巻のストーリー解説を聴いていると、なるほど、私でさえ知っているようなストーリーがほとんどである。それでも、それらをどう読むのか、どう取り上げるのかは、ちょっと微妙である。

7)ヒルコ、ツクヨミ、ホスセリ、天之御中主神を代表とする中空均衡構造と、リーダーシップ重視の中心統合、この二つの拮抗の話は面白い。

8)ここまで聴きとったことは、かなりアバウトな内容なので、今後、もうすこしキチンと聞いて、しかも、河合隼雄の本などにもあたり、もうすこし正確な内容を書きとめることとする。

9)それにしても、非常に大事なポイントに差し掛かっており、当ブログとしては、全体性を取り戻す意味において、このCDは相当重要な資料となりそうである。

<2>につづく

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2016/05/08

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<1>

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
No.3698★★★★☆ 

<1>パソコン不調( ノД`)

 エラくパソコンの調子が悪い。滅茶苦茶である。もうやりたくない。ストレス溜まり過ぎである。ぶん投げてしまいたい。

 って、そんなこと、ずっと前から分かっていたのだった。特段に最近に来て急に悪化したのではない。ずっと少しづつ悪化を辿っていたのだ。それが、ここに来ていよいよ、なのだ。

 さて、そろそろ、とパソコン店を歩きまわってみる。だが・・・・・。さしたる解決策もない。暗欝な気分の春である。

 このパソコンのことを、車の状況に代えてみようか。人はなぜに車を買い替えようとするのだろうか。

・古くなった。どこが?
・調子悪くなった。本当に?
・飽きた。うん、確かに。
・使う用途が変わった。家族が増えた?
・事故った。残念でしたぁ・・・。
・車検が近づいた。確かにまた金がかかる。
・前回あまりケチりすぎた。選択を誤ったね。

 こうして見ると、車とパソコンの買い替えの動機は比較的似ている。

・古くなった。たしかにもう10年も使ってるしなぁ。
・調子が悪くなった。焼酎をこぼしたり、コーヒーをぶっかけたりしたしなぁ・・・。
・飽きた。たしかに飽きた。もうメーカーもブランドもパソコンから撤退してるぞ。
・用途が変わった。最初はVRをやろうとしたのだが、今はブログ中心。
・事故った。どうもOSのアップデイトに失敗しているようだ。
・車検が近づいた。いやいやOSのサポートの終了がまもなくなのだ。
・前回ケチらず、ハイエンドのパソコンを買ったことが、結局失敗だったかも。

 今、解決策をいろいろ練っている。だが・・・・

・大体において、ウィンドウズをもう使いたくないのだ。
・しかしながら、仕事ではウィンドウズしかサポートしないという。
・マックにウィンドウズを入れて使うことを検討中。
・だけど、それって、調べてみると、所詮、HDのパーティーションを切ってウィンドウズのOSをインストールし、ダブルブートにするだけじゃん。
・これって、もともと危険な行為で、Win+Linuxでさんざんやって、もう飽きている。切り替えて使うくらいなら、最初から二台を同時に立ち上げて使ったほうがいい。

 で、マックショップの兄さんに相談したら、

・出来ます。128Gじゃなくて256Gにして、11インチじゃなくて13インチにして、ワイヤレスマウスもつけて、アップルケアに入って、HDドライブも外付けで用意して、ウィンドゥズOSを別売で買って、ってやってたら、あっと言う間に20万、じゃないですか。
・なんだかなぁ、こんなことまでして、パソコン使わなくてはならないのかねぇ~~~。
・マックもいいんだけど、結局、そんなにしてまでマックの奴隷にならなくてもいいんじゃないか。
・今、パソコン3台、スマホに、タブレットもあって、これ以上また機器を増やすんですか。
・たしかに、どこかがトラぶった場合、どこかがすぐバックアップできるような状態は作っておかなければならないので、とにかく、2系統だけは確保しておく必要がある。
・それに、仕事用とはいうものの、本当に必要とするスペックはそれほど高くないのだ。

 そんなこんなを考えているうちに、今日も結局「すべてがムダであることについて」気がついてしまったのだった。

 解決策は、特段にないものの、車ライフを延命するのと似たような結論がでたようではある。

・今ある環境を延命させる。
・OSをバージョンアップしてみる。
・ウィルスソフトをバージョンアップする。
・内部の不要はソフトを徹底クリーンナップする。
・放置してきた不具合を徹底調査して、修復する。
・要るものと、要らないものを峻別する。
・他の外部環境、通信費とか、機器類、を再確認し、経費ダウンを徹底する。
・多少の不具合では、逃げない、めげない、あきらめない。

 そんなところかなぁ。

<2>につづく

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「小倉百人一首」 任天堂


No.3694★★★★☆

 孫たちが「犬棒かるた」で遊び始まった。それをみていた老妻が、そういえば百人一首もあったわねぇ」と、古いカードを出してきた。古いと言っても、すでに成人した子供たちが、小学生や中学生時代に教材として揃えたものだ。

 幸いにまだ100枚、読み札と取り札が揃っていた。

 ひとつひとつを見ていくと、それなりに意味深い。面倒くさそうではあるが、詠んでいることは、いちいちが共感を呼ぶものばかりである。

 法隆寺の1300年前を遊ぶに及んで、当時をしのぶに、歌を読むのも役にたつ。ホツマツタエを習う前に、まずは百人一首で、五七調、七五調を習う必要があるのでは・・?

 歌枕のひとつとなっている、「末の松山」などは、わが飯沼史観にも関わってくるところ。一元的な早急さばかりではなく、多層な「教養」も必要とされる。

 たまに百人一首の遊びにこうじるのも、よいかな、よいかな。

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「はじめての仏像彫刻」 「やさしい仏像彫刻」 「かわいい仏さまを彫る」「彫刻刀を使ってらくらく彫れるかわいい仏さま」



No.3690~3★★☆☆☆

 最寄りの公立図書館でも、検索キーワードを違えて見ると、これからももっともっと新しい本が、出てきそうである。どれもこれもかわいく、いとおしいのではあるが、わが創作意欲をかきたててくれるかどうか、となると、ちょっと違う。

 準備や基本を無視して、高見へ急ごうとするのは、世間知らず、常識知らずの、無謀なやり方であることは分かっているのだが、あまりに、やさしく、かわいい、のは、やはりどうかなぁ、と思う。

 こういう本があって、こういう道具や知識、練習、心構えが必要なのだ、と心に銘じつつ、私はやはり先を急ぎたい。

 そもそも、仏像彫刻を「趣味」にするなら、それもしかるべきなのだが、わが旅路においては、それが「趣味」というほどまでに昇格するかどうかは定かではない。

 創作意欲が失せないうちに、しかも材となる間伐材などがなくならないうちに、わが胸のうちにある仏様を現出させることに情熱をかたむけたほうがいいようだ。

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2016/05/06

「植物男子ベランダー」 ~俺のウインタースペシャル 

「植物男子ベランダー」 ~俺のウインタースペシャル ...
No.3689★★★☆☆

1)春になったのに、わがボタニカル・スピリットはまだ始動しない。ああ、このまま夏になり、秋になってしまうのかぁ!

2)去年はあれだけ楽しかったのに、今年はなぜか、この番組を見ても、どこか心が躍らない。去年のあの楽しかった体験をより期待してしまうからか、それとも、制作側がマンネリしているのか。定番のジョークが、うまくわがハートに届いてこない。

3)今年は正月からタナトスのほうに傾き、エロスのほうにもどってくるのが遅れているのか。このまま夏になり秋になり、冬になってしまうのかぁ・・・・?!

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「般若心経」OSHO、色即是空を語る <1>

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「般若心経」 OSHO、色即是空を語る <1>
1980/1 OSHO(著), スワミ・プレム・プラブッダ(翻訳) 1980/01めるくま-る社  単行本 590ページ
No.3688★★★★☆

1)五重塔40分の1スケールの模型を作りながら、般若心経を唱えて、毎日を過ごした。かつてシャルノの指導で写経をしたこともあったな。そういえば、OSHOにも「ハートスートラ」があったはず。自分のブログを検索して、びっくりした。私はブログ10年間の間、この本について、まったくメモしていなかった。

2)ある意味、OSHOの最高峰、この一冊を何度も読んだのは、そうか、ブログが始まるずっと前のことだったのだ。1980年、OSHOの本はそれほど多くなかった。「翻訳者」プラブッダも「活躍中」。

3)私は読んだ本に傍線をひく習慣はないが、この本をめくってみると、一か所だけ、鉛筆で囲んであるところがあった。

4)あなたが瞑想にはいってゆくにつれて
あなたは日一日と自分がなくなってゆくのに気づくだろう
そして、自分自身を見出すことが少なければ少ないほど
その同じ割合であなたの祝福が、あなたの天恵が
あなたの至福が育ってゆく 
p386 第七話「<無>に帰依する」

5)おそらく、OSHOワードにあって「天恵」という単語が珍しかったから、チェックしておいたのかもしれない。

6)しかしながら、この章のタイトル「<無>に帰依する」と、現在の当ブログ進行中のカテゴリ「すべてがムダであることについて」と、やや繋がりがあるのだ。

7)もはや、現在進行形でこの本をふたたび読むことは、そうそうありえないだろう。すでに40年近く前にでた本で、すでに何度も何度も開いた本である。

8)懐かしくもあり、要所要所が、ピッカピッカに光る一冊である。

<2>につづく

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2016/05/05

OSHO: The Mystery School 「垂直に生きることを学ぶ」

OSHO: The Mystery School 「垂直に生きることを学ぶ」

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」<29>多賀城廃寺跡

<28>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」  <29>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

多賀城廃寺跡

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 多賀城遺跡群のなかに廃寺跡に、いにしえの五重塔の痕跡を求めて訪問。

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 ここにもかつて、このような三重塔か五重の塔が建っていたはずなのである。

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 その痕跡は確かにある。近寄ってみれば、一辺の長さはそう大きいものではないが、その心柱が建っていただろう敷石を見ると、相当に迫力がある。

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 ここに五重塔が建っていたとすれば、それはそれは、たしかに素晴らしい眺めであったことだろう。

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 以前にも、なんどか訪ねたところではなるが、あらためて訪ねることによって、当時の面影がしだいしだいにクリアになるような気がしてくる。

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 この遺跡が発掘調査されているのは明治以降だから、それまでは、多賀神社がこの上に建っていたのだ。

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  明治以降、この地が、とんでもない意味深い土地であることが判明してから、多賀神社は、後ろに移設された。

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 時間とともに経過する、さまざまな流動性のなかで、空間軸と時間軸が、縦横無尽に錯綜する。

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 明治以降の、寺なのか、神社なのか、という分離政策のなかで、神々、仏様たちは、人間どもの彷徨を、どんなふうに見つめていたのだろうか。

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 このお社に、3・11直後に、野草社のI氏や、友人のH女史などとともに参拝したのだった。あれからでさえ、もう5年が経過するのか。

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<30>へつづく

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多賀城市立図書館+TUTAYA+α

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1)公立図書館+TUTAYA、って、どうよ。 ということでさっそく行ってきました。3月20日、3・11から丁度5年で多賀城市立図書館がオープンしました。

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2)なんにせよ、新しいというのはいいよね。ピッカピッカ。駐車場も2時間まで無料。

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3)図書館という看板はともかくも、入った瞬間、そこはTUTAYA。そこから隣の図書館に入って行く感じ。

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4)三階まであって、階段を上り下りするのも楽しい。

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5)館内は撮影禁止なので、遠慮しました。

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6)さっそく図書館カードを作成。TUTAYAとの合同カウンターでTカードで登録して貰う。それを持って図書館専用カウンターで借りることになる。

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7)最初、どこからが図書館なのかよく分からないが、30分ほどウロウロしているとだんだんわかってくる。次回から迷うことはないね。

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8)思ったより天井は低いが、全体的にゆったりと作ってあり、ソファー類も充実。近くの人は、すっかりハマるだろうなぁ。

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9)店内を飲み物を持って歩くのも自由というのは、かなり斬新。飲み物販売コーナーもあるが、ちょっと高め。コーヒー、ジュースの自販機があるので、そちらでお茶を購入。勿論自前の水筒を持ち込むこともOK。

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10)ただ、結局、図書館の書籍は、ここでしか借りられない、というものはない。郷土資料などは、ネットで検索して最寄りの図書館まで転送してもらう、というスタイルに変わりはないだろうなぁ。

11) これまでの経験上、県内で多賀城市立図書館にしかなかったのは、千葉富三「日本の誕生」「日本の真実」の二冊組。でも、危機感を持ったので、この二冊は購入して手元にあり、当面、多賀城図書館蔵書にお世話にならなくても大丈夫。

12)図書に限らず、何かイベントとか企画展とかあったら、 また是非行ってみたいですね。

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2016/05/04

「無伴奏」 小池 真理子

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「無伴奏」
小池 真理子/著 1990/07 集英社 単行本 275p 
No.3687★★☆☆☆

1)映画を見たからには、原作を見ようと取り寄せてみた。イントロの数十ページはなんとかこなしたが、途中でイヤになった。その視線、細かいディティール、冗漫な余談。もしこれがノンフィクションなら、私は読むだろう。事実を書こうとして、どうしても小説やフィクションという形でしかないものであるならば、私は、真実探しに誘われることになるだろう。

2)しかし、この小説は、「半」自叙伝といいつつ、実は「ウソ」を書き連ねた文字の羅列なのである(失礼)。実在の都市の名前を語り、数名の実在のモデルをモチィーフにしながらも、書き連ねられている文字列は、いかに読者を「騙す」かにエネルギーがそそがれている。

3)25年前に出た本で、しかも、それはさらに20年前のことを追想した形で書かれている。もはや45年、50年の昔の世界を舞台にしている。いまさら、ムサい老人がしゃしゃり出て、どうのこうの、と言いだすのは、おそらく、かなり滑稽なことだ。

4)だから、あれこれ長々と書くことはやめておこう。ただ、同時代に同じ空気を吸っていただろう作家の、実在の知人たちをモデルにした小説の、その中に、私なりの「真実」を見つけられないのは、悲しいことだ。

5)登場してくる二人の女の子・・・・ジュリーとレイコ・・・には、実在のモデルがいる。二人とも私にとって、大好きな友達だった。二人がこの小説を読んで、当時のことを思い出し、懐かしんでくれればいいと願っている。

 だが、その他の登場人物については、言うまでもなくすべて作者の想像の産物である。そのことはここで改めてお断りしておく。p274「あとがきにかえて」

6)このレイコのことは私にも記憶がある。そしてそのレイコがリアル世界で付き合っていたのが、私をデモにさそったW氏であったりすれば、私は、いきおい込んで、この小説のなかに突進することになる。しかし、そこには物語ワールドがあるだけだ。

7)本書のタイトルにもなった「無伴奏」という喫茶店は、今はなくなってしまったが、当時、実際に仙台にあった店である。もし、「無伴奏」の経営者だった方が、どこかで本書を目にしていたら、この場を借りて、心から感謝の意を申し上げたい。あの店がなかったら、私はこの物語を作り出すことができなかった。p274 同上

8)物語ワールドに突入するのなら、徹底的に架空の都市の架空の人物たちを登場させるべきではなかったのだろうか。もし実在の都市や人物たちを書くのなら、もっともっとリアルな世界を描くべきではなかったのか。

9)別段に、作られた架空の世界を消費せずとも、私なら生きていける。架空と書いてくれれば、それは嘘でしょう、なんていう必要もない。嘘は嘘として遊べばいいのだから。しかし、私の住んでいる町や、私が知っている人びとが絡んでいるとしたら、私は、何処までが本当で、何処から嘘なのか、その境界線に敏感にならざるを得ない。

10)正直言って、途中から、この小説は斜め読みとなり、あっと言う間に頁めくりは終わってしまった。実に、小説読みが下手な男よな~~~、と自戒する。

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2016/05/03

今日の気分はこの3冊 <20>「彫刻刀で楽しむ仏像」 「続・彫刻刀で楽しむ仏像」 「続・やすらぎの仏像彫刻」 「古代一木彫像の謎」

<19>からつづく

今日の気分はこの3冊
<20>

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「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲他

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」 釈迦如来・聖観音菩薩 関侊雲他

「続・やすらぎの仏像彫刻」 実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松拾文

 本当は、これにもう一冊加えたい。

「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書 金子啓明他

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<21>へつづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<12>「再読したいこのカテゴリこの3冊」からの選出

<11>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<12>「再読したいこのカテゴリこの3冊」からの選出  目次

1)各カテゴリ108の書き込み記事のなかには、おおよそ50冊ほどの書籍が含まれている。そのうちの3冊をピックアップし、「再読したいこのカテゴリこの3冊」として残してきた。

2)最初は、面白そうだが、面倒くさそう、というコーナーだったし、決して当ブログの根幹に位置するような本たちではなかった。

3)しかしながら、「再読したい」と銘打つだけあって、面白い本が多い。今でも、ぜひ再読したい本が山積みである。しかし、それぞれが分厚く、面倒くさそうなのは当然である。

4)後半になると、むしろ後回しにしたい、という意味ではなく、このカテゴリの代表の3冊、という意味合いも濃くなってきた。だから、他のリストと重なる部分も多くなっている。

5)例によって、同じ著者による本や、あまりに当ブログからかけ離れたテーマ、あるいは、類似本などを排除して、敢えて、暫定的にベスト10候補のリストを作ってみる。

「足に土―原人・アキラ   須貝 アキラ 追悼集」

「上弦の月を食べる獅子」 

「郡山遺跡 日本の遺跡35 飛鳥時代の陸奥国府跡」

「五重塔  」 幸田露伴

「哲学者たちの死に方」 

「世界の葬送」125の国に見る死者のおくり方 

「甦る古代 日本の誕生」ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩

「覚醒の舞踏」グルジェフ・ムーヴメンツ 

「お産の学校」  私たちが創った三森ラマーズ法

「ツォンカパの中観思想」  ことばによることばの否定

「藤沢周平と<海坂藩>を旅する」 日本と日本人の原風景

「フラワー・オブ・ライフ」

「ブログ・ジャーナリズム」 300万人のメディア

その他、いろいろ多数

6)うわ~~、さすがにこちらは約150冊ほどの中からわずか10冊を選ぶというのは無理。選び切れない。

7)でも、と考える。今、当ブログベスト10、というものを、敢えて作成しようとしているのは、何故か。当ブログの始まりであり、中心であり、また結論である。それらを明らかにしようと言うのだ。その時、似通った本は避けるとして、はて、始まり、中心、終わり、全てを10冊で表現することなど出きるだろうか。

8)ここで改めて、ベスト10の選出基準を考える。おそらく、10年目の今、ベスト10を作成しようというのは、やはり「終り」に関わる部分が多いのだ。結論であり、可能性があり、未来に繋がる本たち。そういうことになる。

9)そして、今、敢えて10年のベスト本を選ぼうとするのは、もちろん自分のためであり、自分がこの10年間、ナニをしてきたのかを、自らに明らかにするためのものである。それは当然のことである。

10)しかるに、敢えてブログという形で公開している限り、読む側に立ってみて考える必要もあるだろう。何故にその人々に進めるのか。何故にその人々に支持されているのか。

11)そして、未来の人々、わが子子孫孫を含め、若い人、まだ生れぬ人へのメッセージですらあり得ると、誇大妄想的に、拡大解釈することも可能だ。

12)そうとなれば、おのずと、選択基準もきつくなるのは当然だ。

13)上のあまりにもアバウトなリストのなかから、敢えて選出するとすれば、「足に土―原人・アキラ   須貝 アキラ 追悼集」「お産の学校」  私たちが創った三森ラマーズ法「藤沢周平と<海坂藩>を旅する」 日本と日本人の原風景、などが、かなり気になるところである。

14) 「上弦の月を食べる獅子」 「五重塔  」 幸田露伴「ツォンカパの中観思想」  ことばによることばの否定、などは、敢えて当ブログで取り上げなくても他の評価が高いものだが、かなりのめり込んだ本たち、とは言える。

15)いずれにせよ、このジャンルは、ベスト10を作る作らないに限らず、再読すべき本が多くある。

<13>へつづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<11>新刊本ベスト10からの選出

<10>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<11>新刊本ベスト10からの選出  目次

1)当ブログスタート次点より、半年間の「新刊本」ベスト10を記し続けてきた。10年間に次点を含めると、読んだ新刊本のなかから約200冊をメモしたことになる。

2)しかしそれは、その年にマーケットに登場した新刊本すべてのなかから選んだということではまったくない。そもそも新刊本を追いかけ続けることにあまり意義を感じてはいなかった。しかしそうなると、過去の良本ばかりを再読することになり、当ブログはジャーナルといいつつ、次第に時代とのズレがますます大きくなるような気がしたのだ。

3)だから、敢えて、「新刊本ベスト10」を作成しなければならないから、新刊本も読んでおこう、というモチベーションを高めるために作られた企画とも云える。

4)新刊本といいつつ、締めの地点からおおよそ過去一年間に出版されたものであれば、新刊本と呼ぶことにした。また、途中から、かならずしも書籍ばかりではなく、映画や音楽、演劇やコンサート、イベントなども「新作」などの言葉を苦使しながら、なんとかかんとかベスト10を作り続けてきた。しかし、近年はネタ不足ということもあり、有名無実化している面もある。

5)また、このベスト10にアップしたからと言って、当ブログの根幹に直接関わらないテーマの本も少なくなかった。今、当ブログ全体3000有余冊のなかからのベスト10と言った場合、「新刊本」という意味の価値はあまりない。

6)だから、ここでリストを作ったからと言って、全体を揺るがすことにはなりにくいのだが、敢えて、ここで、アバウトに次ぐアバウトな形ではあるが、新刊本ベスト10のなかからのベスト10を、暫定的に作るとすれば、次のようになるであろうか。

7)「新刊本ベスト10」からの選出

「反哲学入門」
「哲学者たちの死に方」The Book of Dead
「現代人のための『チベット死者の書』」
「月面上の思索」The Way of the Explorer
「裸形のチベット」
「反密教学」改訂版
「増補 チベット密教」
「ポスト・ヒューマン誕生」
「原発ゼロ世界へ」 ぜんぶなくす
人生を癒す百歳の禅語」 
「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する

8)同傾向のものや、同じ著者の本は省いた。もっとジャンルは幅広く読んできたつもりではいるのだが、結局、当ブログの傾向はこの方向にあるようだ。

9)ここから「10年間ベスト10」入りするのは相当に難しいが、あえてここから1~2冊選出しておくことも良いかもしれない。「月面上の思索」The Way of the Explorer、や、「人生を癒す百歳の禅語」 、「東北を歩く」 小さな村の希望を旅する、など、類書が少ないのでかなり特徴的だ。だが、当ブログが今後も「愛読」していくかどうか、当ブログの根幹となっているか、未来を切り開くのか、という点では、はてどの程度の力があるだろう。

10)なにはともあれ、自分自身の傾向性を見る思いがする。

<12>につづく

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2016/05/02

「10年間で読んだ本ベスト10」<10>第一原案

<9>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<10>第一原案  目次

「ウェブ進化論」

「銀河鉄道の夜」

「インナーラビリンス」

「私が愛した本」

「聖なる地球のつどいかな」

「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」

「ネグリ、日本と向き合う」

「愛する地球(テラ)へ」

ネットで進化する人類」

「OSHO ZEN TAROT」

「ガラス玉演戯」

「すべてがムダであることについて」 

以上、順不同。

これをベースにもう少し考察を加えていく予定。

<11>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<9>あれも、これも

<8>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<9>あれもこれも  目次

1)個人別で、作家の全作品を読み込んだこともおおくあった。思い出すのは、ヘルマン・ヘッセなど。ヘッセからは「ガラス玉演戯」だろう。私は勝手に、レムリアの古老と呼んで、私淑している。

2)ネグリ&ハートもだいぶ読み込んだな。最初の最初から魅惑されてきたが、結局は、マルチチュード概念は、扱いきれなかった。当ブログとしては、「ネグリ、日本と向き合う」(2014/03新書 NHK出版)がベストチョイスだった。

3)そうそう、宮沢賢治から選ぶなら、「銀河鉄道の夜」しかないだろう。私の手元にあるのは、手書き原稿のコピーを賢治記念館が編集出版したものだ。賢治と言えば、私は畏友・石川裕人を連想するので、彼の遺作集を選出しても良かったのだが、彼への弔辞にも「銀河鉄道の夜」を引用したから、もう、こうなったら、どちらでもいいや。

4)角川インターネット講座からも一冊いただきたい。そうとなれば、15巻目のネットで進化する人類」ビフォア/アフター・インターネット MITメディアラボ所長、角川アスキー総研主席研究員 伊藤穰一 監修 (2015/10 角川)しかない。

5)ここに伊藤穰一監修のこの一冊を加えるなら、10年前の梅田望夫の「ウェブ進化論」はこの一冊に吸収してしまってもいいのだが、まぁ、そうもいかんかなぁ。

6)ここまで来て気付くことは、これまでリストアップしてきた中に、女性に関わる本がほとんどないことだ。女性作家、女性問題、子供や、その未来について。その辺がまだ甘い。

7)そう言えば、これまで、当ブログはこの問題について、じっくり考えてきただろうか。どうしても男子優先で考える傾向があったかもしれない。ここは反省して、いずれ、女性関連ベスト10を作って、考察を加える必要があるだろう。

8)最近なら「インナーラビリンス」 自分という名の迷宮 ナルタン(日家ふじ子)もいいが、「愛する地球(テラ)へ」(羽倉久美子)もいい。とにかく再考を要す。

8)さて、いよいよ、仮の原案をリストアップしてみようかな・・・。

<10>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<8>当ブログはネットでどう読まれているのか 

<7>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<8>当ブログはネットでどう読まれているのか 目次

1)それでは、当ブログに来る人たちは、何をどう読んでいるのだろう。そこのところについての情報がほしかったから、楽天ブログの<1・0>から、こちらのココログの<2・0>に移動してきた理由であった。

2)アクセスログ解析の結果をみることは興味深い。ただただトップの最新ページにたびたび訪れてくれる人もあれば、単にネットで検索結果のままアクセスして、ほとんど何も読まずに引き返していく人もいる。

3)来訪者は決して多くない。まぁ、決して少なくない、とも言えるのだろう。数百で、ほとんど安定した数字となっている。その中で、とくに最近、確定的にトップを走っているのは、「OSHO ZEN TAROT」の目次のページである。

4)最初は、自分のために、一日一枚ずつ占って、ひとつづつコピーしていたページ群だが、79枚全部めくり終わったあとに、自分でもわかりやすいようにリストを作っておいた。類似のページはほかにもあるのだが、なぜか当ブログのリストに来られる人も多い。

5)もし、OSHOの二冊目を含めるとしたら、このタロット・リストもベスト10の中のひとつとして加えておく必要があるだろう。

6)ブログの作成者としては、自分の文章ではなくて、自分のマスターとは言え、他人の文章を加えることは、ちょっと歯がゆい面もあるのだが、私はOSHOインフォメーション・センターのレターももらっているので、これはこれでいいのかもしれない。

<9>につづく 

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「10年間で読んだ本ベスト10」<7>あんな本、こんな本

<6>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<7>あんな本、こんな本 目次

1)さて、そろそろ、読書ブログらしく、あれこれ、本のことを考えてみる。まずはベスト10リストを作成するとしたら、当ブログの場合は、まずは「ウェブ進化論」(ちくま新書 2006/02)からスタートしたので、この本を上げざるを得ないだろう。

2)本当はその前に先行するところのアルビン・トフラーの「第三の波」(1980/10 日本放送協会出版局)を上げないわけにはいかないし、その他いろいろある。だけど類書を上げ続けたら、あっという間に10冊を超えていく。ここは、まずは「ウェブ進化論」をマークする。

3)当ブログをちょうど10年とした場合、偶然にも、その中間に東北大震災3・11が存在する。3・11以前と3・11以後、と分けることができる。その中間の3・11に属する本も数多い。しかし、私としては、たったひとつ象徴的に提出しておくとしたら、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」(飯沼勇義1995/09 宝文堂)しかない。

4)勝手に飯沼史観と名付けて、氏のけっして多くない著書を愛読している。できれば全部リストアップしたいが、こちらも、全部あげたら、ベスト10はそれで埋まってしまう。こちらも、象徴として、この一冊に絞っておく。

5)同じような意味において、私はOSHOサニヤシンなので、こちらもリストアップしたい本は山ほどある。あれもこれも、全部だ。しかし、読書ブログとして当ブログが一番読み込んだのは「私が愛した本」(OEJ 1992/12)だったから、まずはこの本、ということになる。

6)それと、ゲーリー・スナイダーや山尾三省をはずすわけにはいかない。この二人は友人関係でもあるし、共著もある。「聖なる地球のつどいかな」(1998/07  山と溪谷社)。この本をはずすわけにはいかないし、ある意味、この本をあげることによって、ある範囲のことを象徴させることができる。

7)さぁ、これですでに4冊。

8)スタートで一冊、中間で一冊。3・11以前で一冊、3・11以後で一冊。それでは、このブログは、一体、どんな本をゴールとしたのであろう。

9)ここがなんとも悩ましい。

10)当ブログがスタートして10年目だった、そして3・11後、5年が経過した今年2016年3月に、私が熱中していたのは、廃材で五重塔40分の1の模型を製作することだった。

11)あるいは、樹齢1300有余年のカヤの木の間伐材で薬師瑠璃光如来を彫ることだった。

12)その時、走っていたカテゴリは、ムーミン谷の住人、じゃこうねずみの愛読書「すべてがムダであることについて」であった。もちろん、この本は架空の一冊であるが、どうやらドイツの哲学者の本がモデルになっているらしいが、当ブログとしては未読である。

<8>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<6>ブログという機能について

<5>よりつづく 

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<6>ブログという機能について 目次

1)そもそもブログとはなんだろうか。ほかのインターネット・サービスに比較して、どの様な特徴があるのだろうか。

2)ホームページは、一人でのんびりゆっくりできるし、自由に階層的な展開もできるのだが、読者に対する告知機能が弱い。いずれ検索機能で来てくれる人々に向けての内容になるので、更新する面白みが少なくなる。

3)ツイッターは、あまりに断片的で、思想の積み重ねができにくい。フェイスブックは、それなりに今風だが、ネットワークに誰がいるかによって、かなり意味合いが変化してくる。

4)LINEはそもそもあまりにリアルタイムすぎて、うっとうしくさえなる。2chは、その無名性がよくも悪くもネックとなる。

5)それらに比べると、ブログの使い方はさまざまあれど、私にとっては、自分なりの使い方ができるので、ブログはなかなか自分のスタイルにフィットしている。

6)ただ、欠点も多い。やはり告知機能が弱いこと。アクセスログが分かりにくいこと。過去にさかのぼることがなかなか面倒なこと。できれば最新の記事を、ある特定の人に読んでほしい、と思うことがあるのだが、それがなかなかできない。

7)当ブログは、雑談の種類も多いので、毎回読んでほしいとは思わないが、若干ニュース性のある場合は、ある特定の人々に読んでほしいと思う。そんな時は、通常の記事を書いたあと、そのURLをツイッターやフェイスブックに張り付けておくことも多い。

8)その他、いろいろあるのだろうが、なんだかんだ言っても、ブログ、って形態がすきなんだろうな。なんでかなぁ、と思うが、よくわからないこともあるが、いずれ、この点については後でもうすこし考えてみよう。

<7>につづく

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2016/05/01

「10年間で読んだ本ベスト10」<5>さまざまな企画について

<4>よりつづく 

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<5>さまざまな企画について 目次

1)最初はベタに、ただただ乱読しまくっていたわけだが、だんだんと自分でもかなり乱雑な書きなぐりで、何を書いているのか、分からなくなることもあった。かつて、自分は何を書いていたのだ、と振り返ることも多くなった。

2)自分の書いた記事を検索するのにGoogleを活用するようになった。「Bhavesh + (本のタイトル)」で検索すると、大体傾向性のある自分の書いた記事がまとめてでてくるようになった。

3)何度も繰り返し検索するのも面倒くさいので、ある時から、「~~関連リスト」とまとめて一覧を作るようになった。それも現在では、かなりの数になってきたので、次の次元のまとめが必要になってきている。

4)ところで、それぞれの記事のタイトルをどうするか、がかなり問題なのだが、結局は、ネット上の検索ヒット率を挙げるために、本のタイトルだけを頭に付けることを徹底してきた。途中でサブタイトルをつけたこともあったが、自分でもうっとうしい感じがしたので、やがてやめた。

5)それと、その時、その本を読んで、どれほどの感動があったのかを一瞥できるように、★マークをつけるようになった。最高は★5つ。最低は★1つ。大体は★3つから4つで落ち着いた。ただあまりに感動したものは と記して、「レインボー評価」と名付けた。

6)★ゼロはほとんどないが、まったくないわけではない。その本はまったく無価値である、ということではないが、よほどこちらの感情を害した場合など、冷やかしや、怒りを込めて★ゼロの場合もあったが、あとで訂正していることが多い。勿論、これらの評価はまったくの独断であり、再読時に次第に変化したものも多い。よくなった場合もあるし、下った場合もある。

7)108の記事の各カテゴリを終了する時点で、どうも読み足らないと思えた本や、印象深かった三冊を遺して、「再読したいこのカテゴリこの三冊」を記しておくことにした。そう書いてはあるが、今のところ、なかなか過去に振り返って再読することは少ない。

8)だいぶ過ぎてから、このカテゴリはどんな内容だったのか忘れてしまうことを恐れて、そのカテゴリについて最後にまとめておくことにした。それらをひとまとめにしたのが、「ダイジェスト版」である。かなり雑に簡単にまとめてある。

9)最初は本を読んだ感想をまとめたものであったが、やがて本から離れて、雑文を連続で綴ることもでてきた。その時その時のアイディアで、定番企画になることもあったし、あっという間に終わってしまったものもある。

10)本来、ブログ機能は、読書ブログというより、そちらの企画記事のほうが大事なのだと思うが、プライバシーや個人情報の無制限な拡散になりやすいので、まずは読書ブログという縛りの中で続けていくほうが、人に説明する時は楽だと思う。

11)最初は文字だらけのブログだったが、途中で画像を使いたくなった。当時は、デジカメを活用することが億劫だったので、あまり活用しなかった。せいぜい、それぞれの本のカバー表紙を提示することにとどめた。

12)著作権の問題もあるが、大体はアフェリエイトのために本のカバーを添付する程度は、許されているようだ。

13)アフェリエイトはブログの大きな売りだったが、我がブログにおいては大した効果はない。換算してみると、平均して一日あたり5~10円の利益がでているようだが、労力から考えれば、まったくゼロに近い。

14)でもまったくゼロでもないので、得られたポイントは、ほとんど書籍を購入する時の足しにしている。欲しい本をやや割安で買える、という感じである。

15)これまでのところ、アクセス数は全部合わせても百数十万PVだから、ブログとしては、おとなしい数である。でも、まったく無視されている、というブログではない。それなりにヒット数を集める記事もある。

16)階層的に表現できるホームページではなく、一線的なブログの機能は、受け取り手にとっては、分かりにくい部分もあり、なんとか機能を改革したいな、と思う時もあるが、今のところは殆ど不可能である。このままいくしかない。

17)せっかく自分で書いたものだから、キチンと保管しておきたいのだが、今のところはそれができていない。何らかの理由によって、当ブログの全記事が、一瞬にして失われてしまうこともあり得るので、なんとかしたいと思っている。

18)そのうち、ひとまとめになった記事を「地球人スピリットじ・ジャーナル・プラス」としてKindleのような形でまとめておきたいな、という想いがあるが、これも今はできていない。

<6>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<4>読書ブログという形

<3>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<4>読書ブログという形      目次

1)当ブログが、結果として読書ブログを標榜するようになったのは、大きく言って二つの理由があった。

2)ひとつは、奥さんが図書館の仕事をするようになったこと。そして、他の図書館にいくためにアッシー君を務めるようになったこと。最初はアッシー君だけのはずだったのだが、自分でも借りるようになった。それまでは、だいぶ読書という習慣からは離れていたのだ。なんだか久しぶりの感覚がうれしかった。

3)二つ目は、図書館のシステムが、インターネット時代になって、実に便利になり続けたこと。そして各地の図書館がどんどん開放されていったことだった。このような時代にあり、このようなシステムを利用しない手はないだろう。

4)最初は、冊数を数えることもしなかったが、どんどん読み進めると、これは100冊くらい読めるかもな~~、と思えるようになった。そして、割合その目標はアッという間に達成してしまった。それからも冊数は伸び続けた。

5)最初は、とにかく目につくものは何でも手を出した。奥さんが借りてくる本にも目を通した。それまで自分で所有していても結局ツンドクになってしまっていた本も引っ張りだすようになった。

6)でもやっぱり、自分の好きな本はある領域の本なのだ、ということが分かってきた。少なくとも奥さんが好きな現代の流行小説は、私のジャンルではないのだ、ということが分かった。

7)じゃぁ、自分の好きなジャンルとはなんなのだ。ブログ・ジャーナリズムという流行語が気になった。小さい頃、ジャーナリストになりたい、と将来の夢を描いていたことがあった。そのジャーナリズムへの夢が、インターネットを通じて、一番ちいさなジャーナリズムを、自分だけのジャーナリズムを持てるのではないか、という可能性に気がついた。

8)それと、流行語というレベルではあるけれど、スピリット、あるいはスピリチュアリティ、というキーワードも外せなかった。私はOSHOのサニヤシンなのだ。その名前を明記しないとしても、それに関わる何事かを表現したかった。

9)そして、もうひとつ、地球、あるいは地球人、という単語がひらめいた。ガイアとか、グローバルとか、類語はあったが、ネットを検索すると、他ですでに使われていることが多かった。

10)、自然と、ジャーナリズム、スピリチュアリティ、地球、という単語をいじっているうちに、地球スピリット・ジャーナルというタイトルに行きついた。他ではまだこのタイトルは使われtいはいなかった。

11)しかし、どうも地球スピリットは、言葉として座りが悪かった。そこに地球「人」スピリット、と「人」を加えることにした。そこにさらにジャーナルをつけることによって、なんだか長々としたタイトルになってはしまったが、ブログの傾向を表現するのはこれでいいのではないか、そう思えるようになった。

12)読書を始めてみると、自分の嗜好性を見ていると、どうも一様ではない。あれこれバラバラだ。カテゴリーという区分けも気になるようになった。そこで、同時に進行できるのは、三つくらいのカテゴリーだろう、とあまり拡散しすぎないようにした。

13)ジャンル分けで、友人達の間では、「科学、芸術、精神」とい三位一体が語られることが多かった。サイエンス、アートはともかくとして、精神は、ソールとかスピリチュアリティとか、あるいは宗教などとか、バラバラに表現されていた。それらも含めて、結局は一番臭みがなさそうなスピリットという単語に落ち着いた。意識、と言ってもいいのだが。

14)分野分けでは、あまり膨大になると分類していることにならないので、書いていた時期を表わす意味でも、一つのカテゴリは108でひとくくりとすることにした。それは100でも200でもよかったのだが、どこかで108という数字が私を引きつけた。

15)100冊も及ばないだろうと思っていたところ、何時の間にか1000冊に届きそうになってきた。その時、あまり大きい数字もなぁ、と思って、Volとして1024冊で終わることにした。そして、Vol.1に続いて、Vol.2、Vol.3と続いていった。でも、だんだんとVol.分けすることにあまり意味を感じなくなった。

16)そこで、1024冊*Vol.3=3072冊以降は、No.3073、No.3074と続け始めた。現在はNo.3686まで来ている。これから、自分では、いつかは10000冊に到達するのではないか、などと、あらぬ目標を持ち始めている。

17)と、ここまで書いてしまったが、実は、三年が経過した時点で、2009年3月、楽天ブログから、ニフティのココログ・ブログに移ってきた。ジャンクなアクセスに悩んだり、動画が使えないなどの不満が募って来て、楽天ブログは、どうもキュウクツになってしまったのだ。

18)ニフティブログ=ココログは、10個の無料ブログの中から選んだ。一番納得したのはアクセスログ機能が優れていた点だった。告知機能が弱いのが難点だが、今のところは、まずまずであろうと思う。

19)楽天ブログを「地球人スピリット・ジャーナル1.0」とし、ココログブログを「地球人スピリット・ジャーナル2.0」とした。その後、他のブログやツイッターを活用して、「3.0」への「脱出」を図り続けているが、今のところ成功していない。私のブログは、この「2.0」で膠着してしまったようだ。

<5>につづく

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「アラバキ・ロック・フェスティバル2016」

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「アラバキ・ロック・フェスティバル2016」
2016/04/29~30 みちのく公園北地区 エコキャンプみちのく

 今年も我が家の若い衆はアラバキ・フェスに行った。私は名前ばかり気になって、一度も参加したことはないが、彼らが持ち帰ったパンフを見て、やっぱり、アラバキはアラハバキなのだ、と確認した。

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 パンフレット上のアラハバキの説明には、やや不満なのだが、こまかいことは言うまい。そもそも、本当のことは、今のところ誰も分かっていないのだ。

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 ホームページの説明のほうは、より細かく、より正しいように思う。

荒吐とは・・・

ARABAKI=荒吐

「荒吐族」は、この東北において勢力を伸ばし、
平和と東北の尊厳を守る為に君臨した部族だといわれている。

その最も有名な人物が、「アテルイ」である。
アテルイは時の中央である大和朝廷の征夷大将軍・坂上田村麻呂と戦った勇士として歴史に名を刻んでいる。
大和朝廷は全国を制し、各地の部族の敗北だけがいままで伝えられてきた。

しかし、アテルイ没後1200年を迎えた今、新たな見解として、
「アテルイ=東北」は時の中央に勝利した、という説が浮かび上がってきている。

アテルイの戦いに隠された謎は今になっては闇の中ではあるが、
この東北の歴史を照らす一筋の光がARABAKI ROCK FEST.の源流となっている。

このアラバキという言葉には、
平和と自分達が生きた地を心から愛した「荒吐族」の大きな想いが込められている。
歴史と文化そしてロックの融合の中から、郷土独自の文化や人間性を全国へ発信する為に
更なる未来へ向かって創造的な生き方を目指した『祭』をこの地東北に築く為に、
ARABAKI ROCK FEST.は生まれた。

「荒吐族」のロックなスタンスと、ロックから生まれる「ARABAKI」のエネルギーと共に。HPより

 いまさらロックフェスに長々と参加することはしないが、わたしはこの名前だけで、このロックフェス、いつまでも続くといいな、と思う。

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「10年間で読んだ本ベスト10」<3>そのスタートについて

<2>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<3>そのスタートについて      目次

1)2005年春、私は51歳。学生の子供たちはまだ独立前で、6歳下の妻のパートもあまり安定していなかった。私は仕事に精出し、ボランティア活動にも積極的に参加していた。

2)そんな頃、かつて若い時分に演劇活動を通じて知り合った同年輩の女性と、仕事を介して再会した。彼女は、両親の介護のために実家に戻り、趣味と実益を兼ねて、カモワン・タロットを勉強中だった。

3)雑談の折りに、彼女は私にタロットの練習台になれという。タロットなら私も一家言あるが、まぁ、彼女の成長のためならと、クライエントの練習台になった。テーマを決めろという。なにか今いちばん気になっていることを占おう、という。

4)当時の私は、それまで10年以上続けてきたボランティア活動真っ盛りであり、また、仕事にもますます精を出さなければならない時代だった。しかしながら、その頃ますます盛んになってきていたインターネットを通じて、古い友人たちのネットワークの誘いが、あちこちから来ていた。

5)パソコンやネットワークは大好き人間だが、その頃の私は仕事優先だった。業界団体の役員も積極的に引き受け、その団体を通してのボランティア活動もますます多忙となっていた。

6)本来私は仕事人間ではない。むしろ遊びに夢中になっていたいほうの人間なのである。現実と、自分の嗜好性の間で、実はそのバランスをどうするか、考えていたことは確かである。そこんとこは、他人の意見も聞いてもいいかな、と思った。

7)そのテーマで占ってもらった結果、仕事はそこそこにして、もっとネットワークの友人たちと一緒に連携していくことを選びなさい、という結果だった。私はあまり納得はしなかったが、まぁ、そういう結果がでた、ってことについては、気にはなっていた。

8)ちょうどそんな時、別な古い友人からSNSへの誘いがあった。緊急を要する内容であった。ある深刻な事態が発生していて、ほとんど強制的に参加することになったのである。

9)そもそもパソコンやインターネットは大好き人間だったので、すぐにハマった。緊急事態は数週間で収まり、仕事以外のネットワークへの復帰もまずまずな気分だった。だが、ネットへの自我の晒し方が、なかなかむずかく、ブログを登録してみたものの、話題がなかった。

10)そんなことしながら半年も過ぎて2006年になり、梅田望夫「ウェブ進化論」(2006/02 ちくま新書)についての書評を新聞で読んだ。かなり反感も感じたが、こんな若い人々の感覚についていけないと、いよいよ世の中の潮流と断絶するかも、という危機感を感じた。

11)それをきっかけに、この新書本を一冊購入、徹底的に読むことにした。そしてそれをとりあえず想いのままブログに書くことにした。これが、他の人に読まれたかどうかはともかくとして、自分の中を整理するすることに大いに役立たった。

12)そこから我がブログはスタートした。

<4>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<2>目次

<1>からつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」

<2>目次        目次

1)はじめに
2)目次
3)そのスタートについて
4)読書ブログという形
5)さまざまな企画について
6)ブログという機能について
7)あんな本、こんな本
8)当ブログはネットでどう読まれているのか 
9)あれも、これも
10)第一原案
11)新刊本ベスト10からの選出 
12)「再読したいこのカテゴリこの3冊」からの選出 
13)とりあえず第二案
14)もっとありのままに  
15)キーワードへの分解
16)コテコテOSHOサニヤシンとしての10冊第一案
17)「わが家の10大ニュース」からの10冊 
18)マスター別による10冊
19)今日の気分はこの10冊
20)転生魂多火手からの10冊
21)未来への提言10冊
22)5冊にしぼってみる
23)さらに3冊にしぼる
24)最後の一冊

<3>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<1>はじめに

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<1>はじめに                 目次 

1)当ブログが始まってちょうど10年が経過した。その間、3000冊以上の本を読んだわけだが、その中のベスト10を作ってみよう、という試みである。

2)ベスト10を拾い出すことはそう難しくはない。すぐにでもできそうだ。しかし、これは良い機会だから、10年間全体を振り返る意味で、あれこれ脱線しながら、ほぼ1~2ヵ月かけて、当ブログの中締めとしておくことにする。

<2>につづく

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