「無伴奏」 小池 真理子
「無伴奏」
小池 真理子/著 1990/07 集英社 単行本 275p
No.3687★★☆☆☆
1)映画を見たからには、原作を見ようと取り寄せてみた。イントロの数十ページはなんとかこなしたが、途中でイヤになった。その視線、細かいディティール、冗漫な余談。もしこれがノンフィクションなら、私は読むだろう。事実を書こうとして、どうしても小説やフィクションという形でしかないものであるならば、私は、真実探しに誘われることになるだろう。
2)しかし、この小説は、「半」自叙伝といいつつ、実は「ウソ」を書き連ねた文字の羅列なのである(失礼)。実在の都市の名前を語り、数名の実在のモデルをモチィーフにしながらも、書き連ねられている文字列は、いかに読者を「騙す」かにエネルギーがそそがれている。
3)25年前に出た本で、しかも、それはさらに20年前のことを追想した形で書かれている。もはや45年、50年の昔の世界を舞台にしている。いまさら、ムサい老人がしゃしゃり出て、どうのこうの、と言いだすのは、おそらく、かなり滑稽なことだ。
4)だから、あれこれ長々と書くことはやめておこう。ただ、同時代に同じ空気を吸っていただろう作家の、実在の知人たちをモデルにした小説の、その中に、私なりの「真実」を見つけられないのは、悲しいことだ。
5)登場してくる二人の女の子・・・・ジュリーとレイコ・・・には、実在のモデルがいる。二人とも私にとって、大好きな友達だった。二人がこの小説を読んで、当時のことを思い出し、懐かしんでくれればいいと願っている。
だが、その他の登場人物については、言うまでもなくすべて作者の想像の産物である。そのことはここで改めてお断りしておく。p274「あとがきにかえて」
6)このレイコのことは私にも記憶がある。そしてそのレイコがリアル世界で付き合っていたのが、私をデモにさそったW氏であったりすれば、私は、いきおい込んで、この小説のなかに突進することになる。しかし、そこには物語ワールドがあるだけだ。
7)本書のタイトルにもなった「無伴奏」という喫茶店は、今はなくなってしまったが、当時、実際に仙台にあった店である。もし、「無伴奏」の経営者だった方が、どこかで本書を目にしていたら、この場を借りて、心から感謝の意を申し上げたい。あの店がなかったら、私はこの物語を作り出すことができなかった。p274 同上
8)物語ワールドに突入するのなら、徹底的に架空の都市の架空の人物たちを登場させるべきではなかったのだろうか。もし実在の都市や人物たちを書くのなら、もっともっとリアルな世界を描くべきではなかったのか。
9)別段に、作られた架空の世界を消費せずとも、私なら生きていける。架空と書いてくれれば、それは嘘でしょう、なんていう必要もない。嘘は嘘として遊べばいいのだから。しかし、私の住んでいる町や、私が知っている人びとが絡んでいるとしたら、私は、何処までが本当で、何処から嘘なのか、その境界線に敏感にならざるを得ない。
10)正直言って、途中から、この小説は斜め読みとなり、あっと言う間に頁めくりは終わってしまった。実に、小説読みが下手な男よな~~~、と自戒する。
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