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2016/06/23

「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として 山尾三省<2>

<1>からつづく

Photo
「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として<2>
山尾三省(著) 渡辺眸(写真) 1981/11プラサード書店/めるくまーる社 箱入り単行本 p387 渡辺眸関連リスト
★★★★★

1)今回は、写真家・渡辺眸追っかけの中で、この本を引っ張り出してくることとなった。

2)今の今まで、この本に彼女が関わっていたことに対して、実に無頓着な私がいた。自分はカメラマンマインドがない、という自称をいいことに、カット写真などは、刺身のツマくらいにしか考えてこなかったのではないか。

3)特にこの三省の本のように、テキストモードの中にあっては、ついぞ忘れさられてしまいがちな写真画像である。

4)この本に採用されている写真も決して多くない。ほんの数枚、章建ての扉に使われているだけである。

5)しかしながら、もしこの本意まったく写真がなかったら、違った意味で殺風景になっていただろうし、ほんの数枚の写真からだけでも、三省ワールドの世界が広がっていくのだから不思議である。

6)屋久島の沢辺に佇む写真、草をついばむヤギの写真、屋久島の三省宅であろう神々が祀ってある祭壇、長くつを履いて作業中の三省、山中にしゃがみ一服している男性らしき写真。

7)おそらく一枚一枚は、リクエストによって撮影されたものではないだろう。同時進行的に撮りためられた写真の中から選ばれた貴重な数枚ということができる。これは挿入画像というより、同時代の作家と写真家の大きな流れの中の、貴重なコラボレーション、ということができるだろう。

8)少なくとも、この記念碑的な一冊にも、キチンと、渡辺眸の名前が刻印されているのだった。

9)この本をあらためて当ブログにメモしたのは2011/06/19。ちょうど5年前のことであった。あれからもう5年が経過したのか。この5年。震災後の、復興に向けての取り組みや、原発事故への高まる不安などの中で、個人的には、当ブログを中心として進行してきた、精神生活は、それなりに豊かなものであったと記憶する。

10)震災後だけではなく、わが人生の読書人生の中においても、記念碑的に輝き続ける一冊である。

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