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2016年6月の65件の記事

2016/06/30

「てつがくのさる」渡辺 眸(写真)

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「てつがくのさる」
渡辺 眸(著) 2003/12 単行本(写真集)ナピポ 渡辺眸関連リスト 
 
No.3740★★★★☆

1)同じ写真家によるさるシリーズ。 「西方神話」1997/09中央公論社)につづく一冊。この方、よっぽど猿に魅入られたと見ゆる。

2)テキヤ、新宿、全共闘、インド、とテーマを変遷してきた彼女は、後年、どうも猿に大いなる哲学の道を見つけたようだ。

3)こちらは前著より小型本で、写真数もすくない。おそらく前著が好評だったので、6年後にダイジェスト版のような形で出版されたのかもしれない。

4)いずれにせよ、彼女のモチーフは一貫して、白黒の世界だ。

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<12>

<11>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<12>業務と趣味

1)仕事仲間が遊びに来る。よもやま話の中でも、やはりパソコンにも話題が飛ぶ。あれこれわが惑いを話してみると、友人とはいうものの、他人にとってみれば、まぁ、笑いごとのひとつとなる。

2)友人に言わせれば、仕事はWin、趣味はMacでいいじゃん、ということになる。まぁ、それはそうなんだが、オレに言わせればそうではないんだなぁ。どうも私の中では、すべてがゴチャゴチャになっている。

3)私にとっては仕事=趣味でなくてはならない。そして、WinもMacも、本当はその垣根を越えたい。そして、もっというなら、すっきり解決することがよいことではなくて、あれこれ悩んだり考えたりすることが、きっと、楽しいんだな。

4)友人に言わせれば、車2台持って、一台スポーツカーにする、というリスクに比べたら、パソコン2台持つくらい、なんでもないじゃないか、ということになる。そりゃぁ、そうだよ。実際、私だってパソコン3台持ってるし、家中のパソコンやIT機器を集めたら、結構な数になる。

5)しかしだ。まぁ、パソコン買い替え期に、あれこれ本気で悩まないことには、どんどんパソコン事情にも疎くなる。ここんとこは、本気で悩んで、本気でウロウロしてみよう(笑)。

6)現在のところ、なんとD社のI機がどんどん突出してきている。H社のH機も悪くはないのだが、ネットで見ていたらUSArmy御用達を強調していたので、あれ~、それはどうかなぁ、と考え込んだ。H社と同等なら、今ならD社のほうに一票が入る。

7)最近、展示処分ではあるが、P社のL機もアピールしてきた。おお、というような価格で、これなら手が届くよ、と思ったが、そう思えば思うほど、なんだかあの躯体がいまいちカッコ悪いんだよなぁ。性能はいいけど、だからどうした、と、またまたヘソを曲げる私がいる。

8)V社のV機も悪くはないのだが、どうもいまいちちゃんとした機体が登場しない。L社のT機も以前として候補ではあるが、はてさて、この一台、というところまで辿り着くか。

9)なんとまぁ、決断力のない男か、と他人は思うだろうし、いやいや、自分だってそうは思っているのだが、まぁ、悩んでみるのもいいんだよなぁ。みんな悩んで大きくなったぁ、オレもオマエも大物だぁ・・・・、てほどでもないか・・・・・トホホ。

<13>につづく

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2016/06/29

OSHO ZEN TAROT <13> 創造性(CREATIVITY)

Zen004creativity<12>よりつづく

OSHO ZEN TAROT <13>

 

3. 創造性(CREATIVITY)

 

 創造性とは、自分がしている行動にあなたがもたらす質だ。それはひとつの態度、内なるアプローチだ——あなたがものごとをどう見るかという……。誰もが画家になれるわけではない——また、その必要もない。

 誰もが画家だったら、世界はひじょうに醜いものになるだろう。生きることなどむずかしくなる。そして、誰もがダンサーになれるわけでもない。その必要はない。だが、創造主(クリエイター) には誰でもなれる。

解説:

 上から差し込む神の光の下にある火と水のアルケミーによって、このカードの人物は創造力に文字通り「乗っ取られ」ています。事実、創造性を体験することは、神秘へと入ることです。テクニック、熟練、知識は、ただの道具にすぎません。鍵は、万物の誕生を活気づけるエネルギーに自分をゆだねることです。

 

 このエネルギーには形も構造もありませんが、それでも、すべての形と構造がそのエネルギーから生じます。あなたの創造性がどんな形を取ろうとも、違いはありません——絵を描いたり歌ったり、庭に木を植えたり料理したりすることかもしれません。

 

 大切なのは、自分を通して表現されたがっているものに対して開いていることです。私たちは、自分が創造したものを自分のものとして所有することはない、ということを覚えておきましょう。それらは私たちのものではありません。

 

 ほんとうの創造性は、神性なるもの、神秘なるもの、そして知ることのできないものとひとつに結ばれることから湧き起こってきます。その時こそ、それは創造する者にとっての喜びであると同時に、ほかの人たちにとっての祝福でもあるのです。 Copyright © 2011 Osho International Foundation

<14>につづく

Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 4

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2016/06/28

「朝日ジャーナル」1971/09 ~1972/03 渡辺眸他

「朝日ジャーナル」1971/09 ~1972/03 カラーグラビア・もうひとつの国 
渡辺眸他 朝日新聞社 雑誌 編集準備中 渡辺眸関連リスト 
No.3740~5★★★☆☆

1971/09/03

1971/10/08

1971/11/12

1971/12/24-31

1972/02/04

1972/03/03

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「カメラ毎日」1979/01 「すぴりちゅある・ばいぶれーしょん」渡辺眸他<2>

<1>よりつづく

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「カメラ毎日」
1978-12「すぴりちゅある・ばいぶれーしょん」
渡辺眸他 1979/01 毎日新聞社 雑誌 p292
 渡辺眸関連リスト 
No.3739★★★☆☆ 

1)前回の対談のつづき。文章の中のことばとしては抜き書きしないでおくが、ここでもやはり、スピリチュアリティとシャッターを押すことの関係性が語られている。

2)語られてはいるが、明確なことばとはなっていない。すくなくとも、カメラマンマインドに対する私の躊躇は、実際にはカメラマンたちも持っているのだ、ということがわかった。

3)しかし、それでも、彼ら、彼女らは、結局シャッターを押し続ける。

4)インドVSシャッター。

5)時代を感じさせる対談である。

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「こころある旅 インド」 A spiritual guide 夫馬基彦・他(著) 渡辺眸(写真)<1>

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「こころある旅 インド」 A spiritual guide <1>
夫馬基彦・他(著) 渡辺眸(写真) 1977/11 エイプリル・ミュージック  単行本 326ページ 渡辺眸関連リスト
No.3738★★★☆☆

1)この本、かつてわが本棚にもあった。しかし、現在は見当たらない。おそらく、ある時期に手放したのである。しかも積極的な意味で。

2)ひとりの写真家を追っかける形で現在の当ブログは進行しているのだが、この本の写真も彼女の作品が含まれている。

3)この本はあらためてめくってみると、「A Pilgrim's Guide to Planet Earth」1975/06 Spiritual Community Publicationを元本としている(p326)。この元本については、私も現在も所有していて、ちょっと前に仲間たちと話題が再燃したことがある。

4)「こころある旅」というタイトルは、「ドンファンの教え」シリーズから取られたものである。

5)この本の著者は複数あるが、筆頭に夫馬基彦の名前がある。当時は、何かの賞をとった直後であったが、最近検索してみたら、どこかの大学教授とかになっていた。いつかこの方もちょっと追っかけてみようと思っている。

6)「装丁 真崎守 写真 渡辺眸」(はじめにp5)、「企画・編集--青山貢 上野圭一 高橋はじめ 吉福逸郎」(あとがきp326) などのクレジットが見える。

7)約10人ほどの「グル・アルバム」がついており、それぞれ6~7頁ほどの紹介文がついている。そもそもが原書の翻訳であろうが、意訳もあるだろう。

8)わがマスターOSHOも紹介されているが、個人的にはあまり納得のいくものではない。かつて私がこの本を所有していて、今は持っていないとすれば、このあたりがいまいち面白くないので、手放したのだろう。

9)この本がでた1977年11月こそ、私が最初のインドへ旅を始めた時であり、リアルタイムでこの本を読んでいるようだ。しかし、今読んでも、この本は、私なりの読み方をするならば、「混乱」している、と判断する。

10)当時のわたしも、そうとうな混乱の中にいたはずだが、今、この本を読むと、あの混乱の中にフラッシュバックしそうになるので、正直いうとあまり内容を再読はしたくない。つまり、書いている人びとが、「よく分かっていなかった」からだと、推定する。

11)この本の成立に関わらず、わがカメラウーマンのヒトミは、インドそのものを見つめていたのであり、彼女の作品はまた、都合のいいように使われてきたのだなぁ、とあらためて嘆息した。

<2>につづく

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2016/06/27

「インド巡礼日記」―インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー) <4>

<3>からつづく 

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インド巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー)<4>
山尾三省 2012/04 新泉社 単行本 504ページ 渡辺眸関連リスト

1)今回はこの本を、ひとりのカメラウーマン追っかけの中で手にとることになった。いずれは通読しなければならないのだが、さすがにこの三省コテコテの一冊は、よいしょ、と声をかけてからじゃないと、読み切れない。

2)この本においても、十数枚の写真が採用されている。この本が出版されたのが2012年だから、書かれてからすでに40年近い年月が経過し、またこの写真群もまた、それと同じほどの年月が経過している。

3)今、この本の文章や写真に触れることの、どのような意味を見つけるべきであろうか。探せば、現在のインドでもこのような風景はあり、あのような旅をすることもできる。

4)しかし、インドという一面化した風景を見るだけで、本当に旅をしたことになるか。今2016年というインドはどうであるか、ということを対比して語らなければ、おそらく片手落ちになるだろう。

5)なにはともあれ、こうしてこの本を再び手にしたことにより、いずれ、近日中に、この二冊を通読する日が近いことを予感する。

6)しかし、それは三省ワールド、アルファ&オメガを意味し、別表現すれば、それは三省卒業の時となる可能性も大である。

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「アサヒグラフ」1970-7-3 特集テキヤの世界 渡辺眸他

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「アサヒグラフ」1970-7-3特集テキヤの世界 渡辺眸他
朝日新聞社 1970/07 写真グラフ誌 渡辺眸関連リスト
No.3737★★★☆☆

1)当ブログとしては、最寄りの公立図書館の一般開架棚の本を読むのを基本として、トンデモ本を歓迎せず、あまり深追いをしない、をモットーにしているのだが、時には、追っかけ過ぎて、トンデモないことになる時もある。

2)今回も、ひとりのカメラウーマン追っかけの途中、このようなグラフに出会うと、う~ん、とうなってしまいたくなる。おそらく、当ブログとしては、必ずしもマッチングするような内容ではない。しかし、ひとりの写真家の作品群の中に、なるほど、こういう作品があればこそ、全体がみえるんだなぁ、と、納得するしかない。

3)このような作品があればこそ、「東大全共闘」とか「天竺」とのメリハリがつくのだと思う。

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「高血圧の最新治療」 よくわかる最新医学 宗像 正徳(監修)

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「高血圧の最新治療」 よくわかる最新医学
宗像 正徳(監修) 2012/05 主婦の友社 単行本(ソフトカバー) 192ページ
No.3736★★★★☆

1)アラ還連中が集まると、すぐに話題になるのは、健康のこと。みんななにかかにかのビョーキを持っている。いや、実は、もう何年も前にこれこれのことがあって、と告白合戦になることもある。こうなってくると、俺のほうが重病だ、いやぁ俺の方が凄いだろう、と、ビョーキの自慢合戦w

2)その中でも一番入りやすいのは血圧の話。いずれ健康診断などでもアラ還以降は、医療機関もうるさく言ってくる。これがまずは一つの入口。

3)「血圧コントロールの基本。食生活チェック!」(p66)では20の質問。基本はつまり全部「はい」で満点なら「理想的」なのだが、そんな生活を送っている人なら、まずはこんな本は読まない。最近の私なら、まずまずの点数は取れるのだが「改善の余地あり」にランクされる。でも、満点をとる方法はもう分かっているんだよねぇ。ただ実行力が足りないだけだ。

4)「血圧を上げる? 上げない? 毎日の生活習慣をチェック」(p101)でも、結局は「改善の余地あり」。あれもこれも、って、結局はほとんど常識的なことでしかない。それらをひとつひとつできるのであれば、誰でも「理想的」の満点を取れるはずなのだ。実行力がないから、生活習慣病なんだよなぁ。わかっちゃいるんだよ、じいちゃんだって。

5)「高血圧の治療のために降圧薬を飲む場合は?」あたりもお勉強になる。とくにその種類。へぇ、そういうシステムになっているんかい、と納得の連続。ただ、いちいち覚えてはいられない。まぁ、お医者さんから出された薬を、素直に飲んでいくしかないよなぁ、シロートは。

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2016/06/25

「講座スピリチュアル学」 第3巻 スピリチュアリティと平和 (地球人選書)鎌田 東二(編集)<4>

<3>からつづく

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「講座スピリチュアル学」 第3巻 スピリチュアリティと平和 (地球人選書)<3>
鎌田 東二(編集) 2015/04 ビイングネットプレス 単行本 287ページ 「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト 
No.3735

1)This will be the new name. It means welcome. And the world of my sannyas welcomes everyone, with no barriers--barriers of caste, religion, natinonality, sex.  Sannyas believes in one earth and one humanity.  All the religions belong to us but we don't belong to any particular religion. So let that be the name for your center. OSHO p196 14Novevmber 1978「THE SACRED YES」OSHO

2)40年弱になるが、私のマントラは「one earth and one humanity」であり続けてきた。それ以外にないのである。

3)さまざまな道があるが、この40年、外見はどうあれ、内面的に、私はOSHOサニヤシンでありつづけてきた。そして、このマスターに出会えてよかたと思うし、この道こそが、私の歩き続ける道と思える。

4)この本は、おおむねOKである。なんの問題もない。あるとするなら、具体的に「私」は「日々どう歩いていく」のか、が書いてないだけである。しかしながら、私には私の道がある。私の道を、この本は後押ししてくれる。

5)編集者はどちらかというと日本的霊性に強い学者であるが、終章の「日本の平和思想」も見事である。

6)大国主命は「古事記」ではオオムナジとかアシハラシコオとかヤチホコとかウツシニタマなど五つの別称を持ち、スクナビコナの神と協力して「国作り」に励み、国土開発と「天下経営」を行なったが、最後には天から降りてきた天孫族(天皇家の祖先神)にその「国」を「立奉=献」じ「譲」った。

 日本はこの大国主の「国譲り」による天つ神々と国つ神々の協定によって成立した「国」である。p267 鎌田東二「日本の平和思想--『国譲り『』問題を考える」

7)当ブログは、静かにスクナビコナ追っかけを始めたところである。

<5>につづく

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「ネパール巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記2 (山尾三省ライブラリー)山尾 三省(著) 渡辺眸(写真)<3>

<2>からつづく 

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「ネパール巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記2 (山尾三省ライブラリー)<3>
山尾 三省(著) 渡辺眸(写真) 2012/4 野草社・新泉社 単行本: 500ページ 渡辺眸関連リスト
No.3734★★★★★

1)こちらの二冊組の本は、手にとったまままだ未読なのだが、なかなか読むチャンスに恵まれていない。今回は、写真家・渡辺眸おっかけの中でまたこの本を手にすることになった。

2)山尾三省については、3・11後にゲーリー・スナイダーつながりで、「全作品」を再読することとなった。ほとんど2011年中に再読し終ったあとに、この二冊の本はやってきた。しかし、書かれた月日としては、むしろそのリストの最も前にやって来るべき一冊であったのである。

3)私にとって、この二冊本を読むということは、山尾三省のアルファ&オメガの円環をあらわし、再々読をスタートすることを意味するのである。

4)そしてしかも、この日記集は、そもそも出版を意図したり、何か他の印刷物にすでに発表されたものではないので、ほとんどオリジナルな文章で、しかも分量や内容に歯止めがない。縦横に三省ワールドがひろがっている。

5)このコテコテの三省ワールドを、その章建てのカバー写真でしっかり支えているのが渡辺眸のヒトミである。三省の文章に挟まれて彼女の写真が10数枚、ほっとするオアシス的なタイミングで登場する。

6)三省は、カメラや三脚や交換レンズを抱えて旅をしただろうか。おそらくそうではないだろう。では、われらがカメラウーマンは、三省のような「しっかり」とした日記を書いていただろうか。おそらく、こちらも違うのではないだろうか。

7)いくらインドやネパールを旅したからと言って、カメラウーマンマインドがなければ、これほどシャッターを押すことはできないだろうし、詩人もまた、その魂を強く強く意識しなければ、これほどの文章を(日記という形にせよ)残すことは不可能でああろう。

8)三省という、「家族連れ」インドの旅がなければ、それから10年後とはいえ、私たち一家も、家族連れでインドに滞在しようとは思わなかっただろう。

9)向こうは5人家族、こちらは4人家族、向こうは1年間、こちらは4ヵ月、向こうは旅から旅への巡礼の旅、こちらはデカン高原プーナでの受講という目的、などなど、さまざまな違いがあれど、少なくとも私には三省のような文章を残すことはできなかった。質的にも、量的にも、あまりにも膨大である。

10)この稀代の詩人と、稀代のカメラウーマンのコラボレーションの成果のひとつが、この二冊組の本である。

11)この本、あまりに分厚い。今回あらためてパラパラめくっていたが、それだけでも1時間が過ぎてもめくることさえ終わらなかった。いずれ精読するチャンスがくるだろう。巻末の宮内某の長文の解説にも、いずれキックを入れたい。

12)ポンは三省を「三省教」と揶揄していたが、三省はポンについてほとんど書いていない。そう長いこと思っていたが、この本にはたくさんポンが登場する。そもそもの三省VSポン(山田塊也)について知りたければ、この本を使えばだいぶ分かるかもしれない。

13)この本に収録されている、われらがカメラウーマンのヒトミがとらえた風景は、おそらく「天竺」「西方神話」「猿年紀」などの写真集から抽出されたものであろう。どの写真がどの写真集にあるか。あるいはどの時期か、など、あとあとチェックする楽しみもある。

<4>につづく

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「天竺」渡辺 眸(写真)<2>

<1>からつづく

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「天竺」 <2>
渡辺 眸(写真) 1983/01 出版社:  野草社 単行本 渡辺眸関連リスト
★★★★★

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1)ネットで画像検索した時はタテ型の本だったのに、いざ手に取ってみると、ヨコ組みの写真集だった。これって、本当に同じ本なのかな?外箱と中身の違いでいいのかな?

2)数ある著者写真集の中で、この写真集が「東大全共闘1968‐1969」2007/10新潮社)とともに彼女の「代表作」とされる理由が、実際の写真集を手にしてわかった。この本には、カメラウーマン一人の作品という枠を超えて、たくさんのアーティストや著述家や編集者の「意図」が隠されていたのである。

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3)1983年という時代性を考えれば、ほぼ「ゴールデンキャスト」とちょっと皮肉さえ言いたくなるほどの人々が名前を連ねている。

4)カメラや写真集、出版、あるいは「東京の事情」にまったく疎い私としては、「たかが」一冊の写真集を出すだけで、これだけの「陣容」が必要であったのだろうか、不審に思う。

5)たしかに、「売れるか売れないか」分からないような写真集を出版するにあたって、あらゆることを考慮して、できるだけ万全の態勢を整えたいのはわかる。それはそうでなければならないだろう。しかし、一読者として、しかも「遅れてやってきた」読者として見た場合、これはあまりに大げさだ、と感じるのも事実である。

6)同じ作者のインドの旅の写真集なら、私にはむしろ「西方神話」のほうが「素直」だと思う。もっとも「天竺」のほうは大型ヨコ組みで、写真そのものが十分に生かされているし、原作に近いに違いない。「西方神話」は通常の縦組みの小さな本だ。アートとしては「限界」があるだろう。

7)1983年と1997年という発行年代の違いも、そうとうに大きいだろう。それら全体を勘案して、総合的に判断しなければならないが、私個人としての感性に従えば、やはり、彼女の代表作に加えるとすれば「西方神話」のほうとなる。(ちょっと、ひねくれているがw)

つづく

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2016/06/24

「やさしいかくめい1」 リアリティ<4>OSHO「猿は樹から降りる」

<3>からつづく

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「やさしいかくめい」 シリーズ(1)リアリティ <4>
プラサード編 1978/07 草思社 ムック p126

1)この雑誌が発行されてから、すでに40年弱の月日が経過しているわけだが、当ブログとしても、この雑誌を紹介しようとして、まだまだ本質に迫れないできたことに忸怩たる想いがある。

2)今回、敢えてここに転写させていただいた部分は、後々の展開を考える時、極めて原点的なテーマを抱えていると考えてきたので、あえて本文をそのままにしておきます。

3)当ブログとしての意見は、後で書きこむとして、まずはこのようなやりとりがあったのだと、この雑誌を持っていたり読んだことがある人は思い出してほしいし、持ってなかったり、世代が違っている人は、虚心坦懐に、まずは目を通していただきたい。

4)この雑誌には他にも興味深い部分が多く、この部分だけを抜き書きするのは、ちょっと不公平だが、まずは、このような形で口火を切っておきます。

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つづく

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ガリ版ミニコミ雑誌『時空間』12 <3>まがじん雑学「存在の詩」

<2>よりつづく

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雀の森の住人たち 1975/11 ガリ版ミニコミ 104P

1)このところ古い友人たちと会話していて、これまた古い話題に集中した。そんな中、私の中では、OSHOを日本で紹介した文章としては、割と早目に属すると思う、わがミニコミ「時空間」12号を思い出した。(本心は、もっとも早いうちの一冊なのでは、と自負するw)

2)この1975年に日本で発行された「存在の詩」(1975/08 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 編集スワミ・プレム・プラブッダ)については、すでに当ブログにおいて、全頁、転写させていただいている。

3)そもそも、青春時代の1頁であった、この雑誌12号のことは、書いた私本人が長い間忘れていて、ごく最近二三年前になってようやく思い出したような、実に不確かなものとなっていた。21歳当時に書いたもので、拙い文章ではあるが、個人的には大事な1頁である。

4)現在あらためてめくってみて、ナニはともあれ、あれから40年が経過して、はてさて、お前の人生、どうだったかね、と問われた場合、なるほど、ここにこの一冊が存在していたなぁ、ということで、すでに掲載済みの文章ではあるが、記念碑的に再掲しておく。

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「存在の詩」

 数年来、ぼくらの友達の中からインドに渡って様々な体験をして来たり、人生上の価値観についていささかの転換をし始めた人達が増えて来たが、その人数に比較して、それらの本質を説得力を持って書かれたものはそれ程多くはない。

 瞑想とかトリップについて、グルとかパイロットとか言われるものとの出会いは大切であるし、また貴重な体験であると思われる。そんな意味でみんなに紹介しておきたいのが「存在の詩(うた)」というかなり吟味された雑誌だ。

 オフセット印刷B5版70頁の誌面は、然(ぜん)が昨年12月から5ヶ月間そのもとで暮らしたインド・プーナに住むバグワン・シュリ・ラジネーシというグルとの出会いとその講義、あるいは講義によく引かれる処のチベット仏教タントラの始祖ティロパの詩などに大半を費やされている。

 ラジネーシの説く処の深淵な内容に比して平易な文体で綴られているのでとても分り易い。また動的瞑想法とかクンダリーニ瞑想法と言った特色ある興味深いことどもについても紹介されている。この8月に創刊されて現在2号目であり、これからは月刊ペースで進めるそうで、そのエネルギーに期待されている。

 然(ぜん)とはぼくはまだ一回しか会ったことがないのだけれども、3・4年前にぼくが日本一周トリップをした時の途中だった。当時、彼らは熊本の花園神社(だったと思う)の境内の中で、神にささげる食事という意味の「神饌堂(しんせんどう)」という自然食堂を中心にコレクティブ「虹のブランコ族」を組んでいた。

 ラビシャンカールが流れ香が焚き込まれた床の間にカラスがちょこねんと座っていると云う落ちついたムードも良かったが、そこを目指して階段を登っていく時、目的のいささか古びた二階屋の雨戸に大きな白文字で書かれた”LOVE”が輝いていたのが、印象的だった。

 ここ二・三年ちょっとニュースが途絶えていたのだけれども、また出会えてうれしい。p98「まがじん雑学連載第12回 雑誌らんだむ 阿部清孝」Jk1202_2

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季刊「ザ・メディテーション」 3号 1978/04 21世紀の実験場 <2>

<1>からつづく 

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季刊「ザ・メディテーション」3号 21世紀の実験場 シュリ・ラジネーシ・アシュラム <2>
1978/04 平河出版社 季刊誌 p162
No.3733★★★★★

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2016/06/23

「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」 <1>

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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」 <1>
生長の家 2016/06 日本教文社 小冊子 p66
No.3730~32★★★★☆

1)最近、日本会議という団体がメディアに取り上げられることが多くなってきた。漠然とだが、この団体の成長の基盤には、一宗教団体が関わっているらしいことは、漠然と知っていた。

2)この宗教団体、おおよそのところ保守的な極右団体で、あまり関わりたくない位置にあったのだが、他の潮流と思われる人々が「マジカル・チャイルド育児法」(1984/1 日本教文社)なんて本を、関連出版社から出した時、へぇ~、変な出版社から出すもんだな、と、眉をひそめたものだった。

3)続けて、1991年の環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」の後、主宰者のジェームズ・スワンの著書「自然の教え 自然の癒し」(1995/05 日本教文社)が出た時には、うわぁ、ここから出すのかよ、とちょっとたじろいだことも思い出した。

4)しかし、この本は一般的にはあまり流通しておらず、近くの関連施設の売店にならある、と聞いたので、しかたなく(笑)、たった一度だけ、この関連施設に入って購入したことがある。

5)この施設は私が日々ウォーキングするコースにあり、それとなく目に入ってくるのだが、太陽光パネルを早々に設置し、その効果を示すパネルを掲示していたばかりか、ハイブリッド車の駐車位置を優遇したり、電気自動車の充電設備などを設置しているなど、ふ~~んと思わせるポイントがいくつかあった。

6)この度、あらためてこの団体をネットで検索して、すでにこの団体は、いわゆる極右的な政治活動から脱却し、エコロジカルな団体として模様替えをしているのだ、ということが少しわかってきた。しかもその傾向はすでに30年ほど前からあったのだという。

7)いつも通りすがりに無料パンフレットが置いてあるのだが、どうせ見てもしょうがないな、と、無関心を装っていたのだが、今回はちょっと気になったので、三冊まとめて頂戴してきた。

8)この小冊子群を見る限り、いろいろな面においてエシカルな路線を堅持しているのは、それほど変わらないとして、「自然と人との調和をめざす」とか、「地球を愛する心美人たちへ」などというキャッチフレーズを見ても、かなり現代的にイメージチェンジしているのだな、ということに、正直感心した。

9)One Earth One Humanityをキャッチフレーズとする当ブログとしては、かなり親和性の高い位置までこの団体が変貌していたことに、あらためて驚いた。脱原発、森の中のオフィス、ノーミートライフ、エシカルコンシューマー、大自然の経済、モノの命、などなど、そのまま素直に読んでもタメになる文章は多い。

10)しかし、ここまで来ると、ふと気になることがある。私の身の回りには、未だに原発で働いている知人もいるし、決して脱原発を素直にとらない人々も多い。トリウム発電に夢を持ち続ける人もいないわけじゃないのである。

11)かつて環境派だと思われていた「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランドの、ごく最近になってからの原発擁護派への転向などを見ていると、あれまぁ、と思うくらい、立ち位置が逆転してしまっているのではないか、と思う時さえある。

12)そうして、もう一度、この団体を見直して見た場合、過去の活動を糊塗して、最近になっての受けのいい、きれいごとを並べ始めたのかな、と、揶揄したくなる。

13)しかしまぁ、人間そこまでひねくれなくてもいいだろう。ここは素直に、ああ、この団体は、このように変化していたのだなぁ、とあらためて確認した。この雑誌でいろいろ目についたところはあったけど、一番なるほどと読んだのは「俳壇」w。最近、五七語を始めた私は、季語さえもまだ操れない初心者の初心者だが、なるほど、俳句とはこう作るのか、と、投稿者たちの作品を、ゆっくり読ませていただいた。(爆笑)

14)今度、通りかかったら、次の号も貰ってくるかもな。

<2>につづく

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「やさしいかくめい1」 リアリティ<3>

<2>からつづく 

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「やさしいかくめい」 シリーズ(1)リアリティ <3>
プラサード編 1978/07 草思社 ムック p126 渡辺眸関連リスト

1)別な文脈でこの雑誌を取り上げようとは思っていたのだが、その前に、カメラウーマン渡辺眸おっかけの中で、メモしておくことになった。

2)出版された1978年当時の、同世代的な仲間たちが同時的に関わった雑誌だったので、関係者は多岐にわたる。彼女のヒトミはどこに注がれていたかは確定できないが、すくなくとも「猿は樹から降りる バグワン・シュリ・ラジニーシ 人類の未来と彼のワークを明かす」プラブッダ訳には写真として彼女の名前が見える。

3)しかし、アングルやタイミング的に、必ずしも彼女の作品と推定しかねる部分もあるので、今回は画像転写を控えておくことにする。少なくとも彼女はこの時代からすでにOSHOとともにあった、ということを確認すれば、今回の用は足りるであろう。

4)最近、とみにこの時代の友人たちとの復縁が続いている。

<4>につづく

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「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として 山尾三省<2>

<1>からつづく

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「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として<2>
山尾三省(著) 渡辺眸(写真) 1981/11プラサード書店/めるくまーる社 箱入り単行本 p387 渡辺眸関連リスト
★★★★★

1)今回は、写真家・渡辺眸追っかけの中で、この本を引っ張り出してくることとなった。

2)今の今まで、この本に彼女が関わっていたことに対して、実に無頓着な私がいた。自分はカメラマンマインドがない、という自称をいいことに、カット写真などは、刺身のツマくらいにしか考えてこなかったのではないか。

3)特にこの三省の本のように、テキストモードの中にあっては、ついぞ忘れさられてしまいがちな写真画像である。

4)この本に採用されている写真も決して多くない。ほんの数枚、章建ての扉に使われているだけである。

5)しかしながら、もしこの本意まったく写真がなかったら、違った意味で殺風景になっていただろうし、ほんの数枚の写真からだけでも、三省ワールドの世界が広がっていくのだから不思議である。

6)屋久島の沢辺に佇む写真、草をついばむヤギの写真、屋久島の三省宅であろう神々が祀ってある祭壇、長くつを履いて作業中の三省、山中にしゃがみ一服している男性らしき写真。

7)おそらく一枚一枚は、リクエストによって撮影されたものではないだろう。同時進行的に撮りためられた写真の中から選ばれた貴重な数枚ということができる。これは挿入画像というより、同時代の作家と写真家の大きな流れの中の、貴重なコラボレーション、ということができるだろう。

8)少なくとも、この記念碑的な一冊にも、キチンと、渡辺眸の名前が刻印されているのだった。

9)この本をあらためて当ブログにメモしたのは2011/06/19。ちょうど5年前のことであった。あれからもう5年が経過したのか。この5年。震災後の、復興に向けての取り組みや、原発事故への高まる不安などの中で、個人的には、当ブログを中心として進行してきた、精神生活は、それなりに豊かなものであったと記憶する。

10)震災後だけではなく、わが人生の読書人生の中においても、記念碑的に輝き続ける一冊である。

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「NO NUKES ONE LOVE」いのちの祭り’88 Jamming book <2>

<1>よりつづく 

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「NO NUKES ONE LOVE」―いのちの祭り’88Jamming book <2>
ONE LOVE Jamming(著) 1990/07 プラサード書店 星雲社 単行本: 173ページ 渡辺眸関連リスト 

1)88年8月に八ヶ岳で行なわれたこのイベントを知っている人も多いが、知らない人も多い。今だに語られるその伝説の祭りを一冊にまとめた本。ほとんど写真集と言ってもいい。これをまとめたのがプラサード書店主キコリであり、写真を提供した人々は10人にも及ぶ。

2)その中に、写真家・渡辺眸の名前も見える。しかし、一冊の出版物になっているので、どの写真が誰の作品なのかキャプションがひとつひとつついているわけではない。だから、これがあの彼女のヒトミに写った映像なのだ、とは言えない。

3)それでもやはり、この時、この場所に、彼女がカメラを携えて参加していた、という圧倒的な事実は残る。

4)このお祭りは前年から、だいぶ大きなプロジェクトとしてその計画が伝わってきていた。私も参加の準備をしていた。しかし、出発当日になって、車が故障した。家族全員でワンボックスのワゴン車でと思っていた私は出鼻をくじかれ、結局は参加しなかった。

5)だが、正直言えば、私は参加するかどうか、悩んでいた。本当に、心から参加したいのかどうか、そこんとこが、私には分からなくなっていた。

6)前年私たち家族は4ヵ月ほどインドに滞在しており、ほとんど手持ち資金を使いはたしていた。新たなる収入源を模索しながら、それでもまだまだ新しいスタートを切れていなかった。そして、大きくいえば、サニヤス・ムーブメントと、いわゆる日本のカウンター・カルチャーとのあいだに存在する、ちょっとしたギャップに、私はかなり煩わされていた。

7)1988年8月は、Oshoのニュースが後のシャルノとなる石田女史へと伝わったタイミングである。あとあと、この時期については歴史家が考察するだろう。もちろん、私の知る限り、かなり多くのサニヤシンもこのイベントに積極的に個人として参加している。

8)2015~6年において、国会前のシールズなどの活動を中心としたいわゆるカウンターカルチャルな動きに対して、私はそのマルチな活動を、一括してマルチチュードというネグリ&ハートの概念で包んで理解している。

9)そのマルチチュード達の動きと、私自身の本来求めている精神世界がどのように関わるのかのテーマは、実は、この88年8月のイベントから現在まで、ずっと続いている。

10)そのような葛藤の中、新宿、東大全共闘、インド、Osho、反原発、カウンターカルチャー、身障者、など、多くの時代のシーンとあり続けてきたこのカメラウーマンは、どのように考え、どのように生きてきたのか、今さらに、知りたいな、と思い始めた。

11)少なくとも、多面的な活動を多くの仲間たちと共有してきた同時代の写真家として、この写真集にも名前を記していることを、ここにも再度記しておきたい。

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2016/06/22

「アサヒグラフ」1979-1-19 インド瞑想法の大導師 バグワン・シュリ・ラジニーシを訪ねて 渡辺眸他

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「アサヒグラフ」1979-1-19 インド瞑想法の大導師 バグワン・シュリ・ラジニーシを訪ねて
渡辺眸他 1979/01 朝日新聞社 グラビア誌 106ページ 渡辺眸関連リスト 
No.3729

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「アサヒカメラ」1979-5 特集・精神世界への旅1 アシュラム 渡辺眸他

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「アサヒカメラ」1979-5 特集・精神世界への旅1 アシュラム
渡辺眸写真 1979/05 朝日新聞社 雑誌 p366 渡辺眸関連リスト
No.3728★★★★★

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「カメラ毎日」1978/12 「すぴりちゅある・ばいぶれーしょん」渡辺眸他<1>

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「カメラ毎日」1978-12「すぴりちゅある・ばいぶれーしょん」<1>
渡辺眸他 1978/12 毎日新聞社 雑誌 p292 渡辺眸関連リスト 
No.3727★★★★★

1)カメラとインドと、カメラマンの心象について語られている。なおp81~84は久保元幸氏撮影。p85~89は渡辺眸氏撮影。

2)蛇足ながら、この季節、私は1年滞在したインド・スリランカから帰国、瞑想センターを立ち上げようとしながらも、東北日本の寒さに震え上がっていた。

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<2>につづく

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「講座スピリチュアル学」 第1巻 スピリチュアルケア 鎌田 東二(企画・編)<2>

<1>よりつづく

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「講座スピリチュアル学」 第1巻 スピリチュアルケア (地球人選書 講座スピリチュアル学)<2>
鎌田 東二(企画・編) 2014/9 ビイングネットプレス 単行本: 285ページ 「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト

1)このシリーズが刊行されていることを、ごく最近になって、その第4巻の新刊案内でようやく知ることとなった。すでに2014年から発行されていたのだから、二年弱、知らなかったことになる。全7巻ということだが、おそらくまだ完結していないのだろうが、それでも、実に大変な事業だな、と敬服する。

2)このシリーズを知った時、一瞬、「角川インターネット講座」(村井純・他多数2014/10~2015/10)の存在を思い出した。発刊された時期も似ていたし、個人的に大変関心の高い分野のデータベースとしての講座の成立には、大いに興味がそそられるところである。

3)それにしてもこの講座、スピリチュアルという単語と、地球人という単語が並んでいてゾクゾクする。友人の新刊の表紙の帯に「地球人としての精神性(スピリット)の目覚めの時」というコピーを見つけた時もびっくりしたし、「地球人のためのスピリチュアルレッスン」という頁をネットで見つけた時も、へぇ~~、と思ったものだった。

4)10年前に当ブログがこの「地球人スピリット・ジャーナル」に落ち着いたのは、いくつかの経緯があった。結局、自分が一番ネットに期待することであり、また人間として基本的なこの辺にあるだろう、という読みがあった。

5)検索条件にもよるだろうが、「地球人 スピリット」で検索すると、当ブログがヒットする確率は高い。10年前も何度か検索して、ありそうでなさそうなタイトルだったので、最終的にこれに決まったのだが、特段に私の発明でも、独占すべきなにかでもない。大いに、このフレーズが一般化することを願う。

6)それにしても「講座スピリチュアル学」が「地球人選書」から出る、という企画も相当思い切ったものだと思う。特に、企画・編が鎌田東二となっているのも、斬新である。氏とは、1991年の環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」の打ち上げで、隣に座って話したことがある程度の、一期一会である。

7)あの時、氏は空き時間を見て、牡鹿半島の金華山神社を参拝したのであった。

8)ただ、こちらも講座シリーズも、「角川インターネット講座」と似て、個人的には、これから新たに学ぶ、ということではなくて、今まで学んできたことの、大雑把なまとめのようになっているので、事後的に検証する意味では大いに役立つだろうが、はてさて、「学」となると、やや縁遠くなるのが、当ブログのスタイルである。

<3>につづく 

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「1968年の世界史」 渡辺眸他

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「1968年の世界史」
渡辺眸他 2009/10 藤原書店 単行本 326ページ 渡辺眸関連リスト
No.3726★★★★☆ 

1)2009年になって発行された本だが、おおよそ40人ほどの人々がそれぞれに40年前の日々を振り返る、という趣向である。当ブログは現在、ひとりのカメラウーマンを追っかけ中なので、他の人々は今回割愛する。

2)この本、あいうえお順ではないし、われらがカメラウーマンは、渡辺だから、というわけでもないのだろうが、最後の頁に登場する。デモのなかで、大島渚と遭遇したことなどが描かれている。

3)68年「10・21国際反戦デー」を機に、スチューデントパワーのうねりに対峙し、友人の縁で東大闘争の撮影に導かれていく、ターニングポイントの季節であった。p326 渡辺眸「わたしの68年」

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4)彼女の作品として掲載されているのはこのp324の画像のみ。

5)1968年と言えば忘れもしない、私にとっては初恋の日々である。もの想いに耽り、言葉数少なく、ひたすら部屋にこもることの多くなった季節であった。 田舎の中学三年生にとって、東京の、大学生たちの、政治活動など、ずっとずっと遠い世界のことであった。

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2016/06/21

2016年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2015年下半期よりつづく

2016年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位
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「インナーラビリンス」 自分という名の迷宮
ナルタン(日家ふじ子)(著) 2016/3めるくまーる 

第2位
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「シンギュラリティは近い」 エッセンス版―人類が生命を超越するとき
レイ・カーツワイル 2016/04 NHK出版(編集)

第3位
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「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書
金子 啓明(著), 岩佐 光晴(著), 藤井 智之(著), 能城 修一(著), 安部 久(著) 2015/12 東京美術

第4位
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「民主主義ってなんだ?」
高橋 源一郎(著, その他), SEALDs(著, その他) 2015/09 河出書房新社

第5位
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「51歳からの読書術」 ほんとうの読書は中年を過ぎてから
永江 朗(著) 2016/2 六耀社

第6位
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「ふるさとの星 和名歳時記」
千田守康(著) 2015/12
河北新報出版センター

第7位
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「Googleが仕掛けた罠」 
杉浦 隆幸(著) 2016/04 小学館

第8位
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「週刊 仏教新発見 改訂版」創刊号 01 法隆寺再建の謎に迫る
朝日ビジュアルシリーズ 2015/12 朝日新聞出版

第9位
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「SEALDs」民主主義ってこれだ!
SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)(編集) 2015/10 大月書店

第10位
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「グーグルのマインドフルネス革命」 グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端のプラクティス
サンガ編集部

次点
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「今すぐ使えるかんたんmini Instagram インスタグラム」はじめる&楽しむ ガイドブック
アライドアーキテクツ株式会社(著), 藤田 和重(著), ナイスク(著) 2016/2/20 技術評論社

2016年下半期につづく

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「シンギュラリティは近い」エッセンス版―人類が生命を超越するとき レイ・カーツワイル<3>

<2>よりつづく

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「シンギュラリティは近い」エッセンス版―人類が生命を超越するとき<3>
レイ・カーツワイル 2016/04 NHK出版(編集)  単行本(ソフトカバー) 256pNo.3725

1)おっ、カーツワイルの新刊が出た!、と大変楽しみにしていたのだが、これは「エッセンス版」と称する「ポスト・ヒューマン誕生」2007/1 NHK出版) のダイジェスト版である。前著がでて9年、原書がでて11年、シンギュラリティという単語はようやく市民権を得たようである。

2)今回、通読することはしなかったが、大変気になる一冊である。前回はタイトルにシンギュラリティという単語を含まなかったので、あまり話題になることも少なかった。ポスト・ヒューマン誕生、というタイトルはいかにも日本的であったというべきだろう。

3)今回は、エッセンス版を出すにあたって、原題のTHE SINGULARITY IS NEAR : WHEN HUMANS TRNSCEND BIOLOGYにより近い表現のタイトルとなった。おそらく数年内には、一般的にシンギュラリティという言葉は耳慣れた言葉となるだろう。 

4)今日は夏至である。「2016年前期に読んだベスト10」を選出するにあたって、関連本が半分を占めるに至った。これはまずいと、急きょ、この本を一冊加えることによって、むしろ総括的にシンギュラリティ「理論」に敬意を表することにしたものである。

5)もっとも、当ブログとしては、シンギュラリティで全てが足りるもの、あるいは恐れるべきもの、とは捉えていない。むしろこの概念は、コンシャスネスとともにこそ思考されていくべきだと思うので、現在、「コンシャス・シンギュラリティ」という造語で、「パーソナル・コンピュータ」や、「ソーシャル・ネットワーク」の次のステップを模索しているものである。

6)「コンシャス シンギュラリティ 夏至る」 把不住

<4>につづく

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2016/06/20

「猿年紀」渡辺 眸(著)

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「猿年紀」
渡辺 眸(著) 1994/01 新潮社 大型本  渡辺眸関連リスト
No.3724★★★★☆ 

1)著者の住んでいたスワヤンプは、ネパールの首都カトマンズから西へ歩いて30分ほどのところにあったという。ヒンディ教と仏教が混在する寺院にはたくさんの猿が群棲していて、人々はそのお寺をモンキーテンプルと呼んでいた。

2)著者はこの猿たちに啓発される形で、猿を姿をそのヒトミで追いかけ続ける。岩場や樹木の中にいる猿もおれば、川や水とともにいる猿もいる。時には、日本風の寺院や多重塔も見えたりするので、かならずしも一か所の猿だけを見ていたのではなさそうだ。

3)宇宙旅行で、「母なる地球」をはじめて見たんは、猿でした。

う~ん、たしかにそうでしたね。ソ連の宇宙船だったかな。

4)見ざる 聞かざる 言わざるよりも 思わざるこそ 勝さるなりけり --- 無住法師

おっしゃるとおりでございます。

5)白黒写真の中で猿たちが棲息している。

ひとり来て ひとり返るも 迷いなり --- 一休

五七語もぴたりとはまる。

6)1971年はじめて天竺に旅立ち、以来ガイアをベースに異郷を遊行し続けている。 巻末<略歴>

1994年発行ながら、ここにこそこの一冊、というべき写真集である。

7)「猿といい ネアンデルタールといい 人といい」 把不住

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「知的障害のある子といっしょに」(バリアフリーの本 「障害」のある子も“みんないっしょに”)渡辺 眸(写真)

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「知的障害のある子といっしょに」(バリアフリーの本 「障害」のある子も“みんないっしょに”)
渡辺 眸(写真)石井 葉(著), 湯汲 英史(著), 2000/01 偕成社 大型本: 39ページ 渡辺眸関連リスト
No.3723★★★★☆

1)このシリーズには数十冊の単行本があるが、その中のこの7と10に、われらがカメラウーマンは参加しているようである。シリーズ10「『障害』ってなんだろう?」(2000/03)には4人の写真家が関わり、彼女の写真は4枚だけだったが、こちらの本は、写真家としては彼女一人の名前があるだけである。

2)この本を見ていて思い出したことがある。障がいのある子といっしょに、というテーマで考えれば、実は、私の家のすぐそばに、知的障害者(が中心と思う)のディサービスの施設がある。通常の二階建ての民家なのだが、独り暮らしになった女性が家族と一緒に暮らすことになり、数年空き家だったところである。

3)3・11震災の前の年、ここに誰か引っ越して来るらしいよ、という噂とともに、若い男性が隣近所ということで挨拶にきた。なにやら施設になり、時々大きな声がするかもしれませんが、大丈夫ですので、よろしく、とのことであった。

4)数日して、近所の元町内会長から召集がかかった。この施設は問題なのではないか。この町内には必要ないのではないか、とのことである。隣近所数軒と、その施設の代表が、一晩話あった。

5)80も越えた元町内会長の意見ももっともなところがあった。この小さな町内は、実はこの大きな団地の草分けで、何もないところからだんだんと大きくしてきて、これだけ注目されるような団地になったのだ。その歴史あるこの町内を大事にして、調和のとれた団地にしていきたい。その流れにこの施設は沿っているのか。

6)元会長がいうのももっともだが、実は、すでに世代はどんどん交代していて、今は新しい世代や住み方が進行中である。古い住宅は取り壊されたり、空き家になることもある。変に空き家になって火事などの心配をするよりは、誰かが利用するのは、家というもののもともとの目的にあっているのではないか。

7)私は、両者の話を聞きながら、その施設の実態もよくわからなかったが、誰かがお世話しなければならないのなら、その施設がここにあることはそんなに不思議ではないのではないでしょうか。別に私は反対ではありません、と話した。

8)それを後ろで聞いていた、これもまた町内会の重鎮だが、いや、じつはほれ、うちの親戚の誰々の子供も、まぁ、こういう形で世話になっていて、といろいろな話もでた。結局、まずは何かあったら、お互いよく話し合いましょうね、という了解を得て、この施設はスタートしたのだった。

9)思えば、この施設の関連の公的施設は、もともとは県北部のキャンプ場の近くにコロニーとしてあったのだが、県政の方針が変わったのだ。、ノーマライゼーションということで、どこかにまとめて収容する、という姿勢ではなくて、街の中で、みんなと同じに暮らしていこう、というのである。

10)それからもう数えて見れば6年が経過している。3・11も一緒に体験し、地域にすっかりなじんだ施設と言える。わたし的には、特段にお手伝いしているわけでもなく、別に迷惑を受けているわけでもない。お隣さんとして一緒に暮らしているのである。

11)特徴と言えば特徴になるか、この泊りを含むディサービス施設からは、たしかに「大きな声」が聞こえてくる。叫ぶ声も聞こえるし、ガタガタ賑やかな音がでてくることもある。休みの日の朝など、その手の音で目が覚めてしまうこともある。まぁ、しかし、それは朝寝坊している私の、一種の目覚まし時計になっている、と言ってもいいのかもしれない。

12)この本もまた、いろいろ考えさせてくれる。私のような割と無関心な者に比べれば、身内や親戚などにそのようなテーマを抱えて、真実そのテーマに直面し、葛藤しながら生きておられる人々も多くいらっしゃるに違いない。そのような人々が声を飲み込んでしまうのではなく、時には、声として出していただき、私たちの耳に届くことは、とてもバランスのよいものであると、思われる。

13)これを書いている今さっき、我が家の窓の外を、利用者の子供たちが、何人か連れ添って歩いていった。賑やかなものである。見ていて楽しい。駅から歩いて10分足らず。ひとりひとりについては、よくわからないけど、私は、町内は賑やかなほうがいいと思う。

14)カメラウーマンのヒトミは、決して好奇の目でもなく、ノーマライゼーションといった堅苦しさもなく、ネパールの女の子モヒタを見つめるように、健人くん小学三年生をも、静かに見つめる。

14)「賑やかに 通り過ぎていく 子らのある」 把不住

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「天竺」渡辺 眸(写真) <1>

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「天竺」 <1>
渡辺 眸(写真) 1983/01 出版社:  野草社 単行本 
No.3723★★★★★

渡辺眸関連リスト

1970/7/3 「アサヒグラフ」 テキヤの世界 朝日新聞社

1971/09~1972/03  「朝日ジャーナル」 カラーグラビア・もうひとつの国

1977/11 「こころある旅 インド」 エイプリル出版

1978/07 「やさしいかくめい1」 リアリティ プラサード書店

1978/12 「カメラ毎日」 小屋ーインドのアシュラム 毎日新聞社

1979/01  「カメラ毎日」 毎日新聞社

1979/1/19「アサヒグラフ」インド瞑想法の大導師 バグワン・シュリ・ラジニーシを訪ねて 朝日新聞社

1979/05 「アサヒカメラ」 特集・精神世界への旅1「アシュラム」 朝日新聞社

1981/11 「聖老人」 百姓・詩人・信仰者として 山尾三省 プラサード書店

1983/01 「天竺」 野草社

1986/03 「ネパール モヒタの夢の旅」 世界の子どもたち 偕成社

1990/08 「NO NUKES ONE LOVE」いのちの祭り’88 Jamming book プラサード書店

1994/01 「猿年紀」 新潮社

1997/09 「西方神話」 中央公論社

2000/01 「知的障害のある子といっしょに」 バリアフリーの本7 偕成社

2000/03 「『障害』ってなんだろう?」 バリアフリーの本10 偕成社

2003/12 「てつがくのさる」 ナピポ 

2007/10 「東大全共闘1968‐1969」 新潮社

2009/10 「1968年の世界史」 藤原書店

2012/04 「インド巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー) 野草社

2012/04 「ネパール巡礼日記」インド・ネパール巡礼日記1 (山尾三省ライブラリー) 野草社

2014/08 「1968新宿」 街から舎

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<2>につづく

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「講座スピリチュアル学」 第1巻 スピリチュアルケア 鎌田 東二(企画・編)<1>

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「講座スピリチュアル学」 第1巻 スピリチュアルケア (地球人選書 講座スピリチュアル学)<1>
鎌田 東二(企画・編) 2014/9 ビイングネットプレス 単行本: 285ページ 目次
No.3722★★★★★

「講座スピリチュアル学」リスト

第1巻「スピリチュアルケア」 2014/09

第2巻「スピリチュアリティと医療・健康」 2014/11

第3巻「スピリチュアリティと平和」 2015/04

第4巻「スピリチュアリティと環境」 2015/07 

第5巻「スピリチュアリティと教育」 2015/12 

第6巻「スピリチュアリティと芸術・芸能」 2016/04 

第7巻「スピリチュアリティと宗教」2016/08

<2>につづく

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2016/06/15

「『障害』ってなんだろう?」 バリアフリーの本10 「障害」のある子も“みんないっしょに”渡辺眸他

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「『障害』ってなんだろう?」 バリアフリーの本10 「障害」のある子も“みんないっしょに”
藤田 雅子(著), 湯汲 英史(著), 折原 恵星川 ひろ子渡辺 眸平井 伸造 2000/03 偕成社 大型本: 31ページ渡辺眸関連リスト
No.3721★★★★★

1)渡辺眸の名前で検索すると、わが最寄りの公立図書館では、このシリーズ2冊がヒットする。このシリーズ本の制作にあたり、カメラ(ウー)マンとして参加しているらしい。ただし、使われている写真は4枚のみ。しかも、被写体の持つ意味が大きく、カメラ(ウー)マンの姿がクローズアップされることはない。

2)この本が編集出版されたのは2000/03。私もまた当時、別な形で、このような運動とほんのすこしだけ関わりを持っていた。

3)90年代から10数年に渡り、わが子たちの成長に伴って、私はPTA活動に引っ張り出された。現役時代に学校に通うのが少なかったカルマで、親になってまで学校に通わなければならないのかな、なんて冗談をいいながらも、私はあの種のボランティア活動を楽しんだし、仲間活動も楽しかった。

4)その中で、いわゆる障害のある子供たちを支える、地域団体横断の活動というものがあって、それなりにいろいろなことを学ばせていただいた。細かいことは割愛するが、あの当時のひとつの仲間内の議論を思い出す。

5)その議論とは、書類を作成するにあたって、障害を「持つ」と表現するのか、障害が「ある」と表現するのか、と言うテーマがあった。今考えても、どうでもいいことで、当時考えても、どうでもいいことだったのだが、当時は結構口角泡を飛ばす仲間たちもいて、私は唖然として、その議論に加わっていた。

6)たしかにテレビや新聞、当時の論説を聞いていると、「持つ」と「ある」では半々で使われているようだった。一方を多用するメディアもあれば、折衷的に使うメディアもあり、どちらがどちら、ということはなかった。

7)ここで議論になったのは、障害を持つ、と表現するけれど、別に当人たちは積極的に、「持っている」わけではない。持っている、と表現すれば、それを手放してしまえば、障害者ではなくなるのではないか。持っているのではなく、属性として「ある」のだ、と主張する人が一方にいたからだ。

8)方や他方は、その障害を乗り越えていくという意味で、「持っている」と自覚し、それを積極的に克服していくことに手を貸すべきなのではないか、と主張した。

9)集まりがあるたび、この議論は蒸し返されたが、結局は一年間結論のでない議論であった。

10)今思えば、いわゆる障害と言われるものは一様ではなく、様々な様態があるのであり、一概に言えるはずがないのである。当たり前のことなのだが、身近に身障者がいなかったり、何らかの活動に関わらないと見えてこないような問題であったことは確かである。

11)別段に、大きい声で、こういう運動に参加してますよ~~と宣伝するような問題ではない。ボランティアとは、自分が活かされるからこそ参加する意義のある活動なのだ。だから、もしチャンスがあって、自分でもやれるかな、と思ったら、私はぜひ参加すべきだと思うし、すくなからず私もそのようにやってきた。

12)この本は、決して難しい本ではないし、情報がいっぱい詰まっている本でもない。しかし、この本は、人間として、とても大事なことに気づかせてくれるように思う。このような視点がないと、人生、大きな何かを見落とすことになる。深みのない、薄っぺらい人生をおくるようになってしまう。

13)私たちのカメラ(ウー)マンのヒトミを通じて、このような実に身近な、今日的な課題を、もういちど見つめ直そうかな、と思えたことは幸いであった。

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「ネパール モヒタの夢の旅」 世界の子どもたち 渡辺 眸

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「ネパール モヒタの夢の旅」 世界の子どもたち
渡辺 眸(写真・文)1986/03 偕成社 大型本 38ページ 渡辺眸関連リスト
No.3720★★★★★

1)この写真集は、ガイドブックでもなければ心象風景でもない。敢えていうなら「教科書」だろう。数十冊あるフォト・ドキュメント「世界の子どもたち」シリーズの中の一冊である。当然だろうが、これは旅していて偶然出会った風景を撮りためたものではない。最初に企画ありきで、最初からキチンと申し入れをしてしっかり作られた一冊であろう。

2)この本には、他書にないような形で著者のプロフィールが書いてある。

3)渡辺 眸(わたなべ ひとみ)
1942年、東京に生まれる。明治大学文学部卒業後、東京綜合写真専門学校に学ぶ。
1972年はじめてインドに旅だち、以来、東南アジア、韓国、アメリカ、イギリス、日本と、異文化を遊行(ゆぎょう)しつづけている。
カメラ雑誌、月刊誌などのグラビア撮影、随筆なども仕事もしている。
写真集に「新宿コンテンポラリー」 「東大全共斗」 「天竺」などがある。 
p40(あとがき)

4)なるほど、そうであったか。とすると、1968年に東大全共闘の内部に「侵入」した時は、すでに26歳になられていた、ということである。

5)こちらの写真は撮影された時期は明確ではないものの、1986年以前としても、すでに彼女は中年のこの子供たちのお母さんと同じ世代になっていたはずである。

6)小学生のころ、おそらく10歳くらいの時なのだが、図工の時間に、観光地のポスターを作りましょう、という授業があった。有名な観光地はさまざまあるが、当時まだ東京オリンピック直前のことでもあり、テレビ番組もまだまだ多くなかった。テレビさえ普及率が低かった。

7)あの時、私が選んだ観光地はチベットだった。地名だけは覚えているのだが、私が何を書いたのかは覚えていない。ただ、チベットという文字が大きく描かれて、おそらく飛行機や旅行鞄を抱えた人間の姿が二三人描かれて終っていたのではないだろうか。

8)それにしても、当時私にとってチベットという地名がでてくること自体不思議な感じがする。どこかでなにかが刷り込まれていたのかも知れないと、今なら、ジョークを込めてそう言う事にしている。

9)3・11の後に、さまざまな潮流がでてきたけれど、一貫してあった言葉は、子供たちのために、子供たちを守ろう、子供たちとともに生きよう、というフレーズだった。

10)私は今生において、チベットにもネパールにも、モンゴルにも、ブータンにも行けなかった。一時期強く行きたいなと思ったこともあったが、今はまぁ、行けなかったんだな、と、わりと諦めている。

11)いやいやまだまだ機会があるだろう、という声もあるが、今の私は敢えて遠くまで旅するようなチャンスを望んではいない。むしろ、郷土史的な、自分の足元を、え~~~、そうだったのぉ~~、というような大発見とともに散歩するほうが、身の丈にあっているようである。

12)この写真集においては、モヒタという少女が主人公になっている。

13)モヒタは9才。カトマンズのダルバール広場のそばに住んでいます。両親と、3人の兄さんのラジャス(25才)とディーネシュ(22才)とスデェーシュ(18才)、ふたりの姉さんのサンギータ(14才)とヨギータ(12才)、そしてモヒタの8人家族です。

朝8時すぎ、モヒタが学校にいく時間です。スクール・バスの待っているカンティパス通りまで、毎朝、お母さんが送ってくれます。旧王宮前を通って大通りにでると、いつもの顔ぶれがそろっています。

「ナマステ!(おはよう)」バスは、いくつかの集合場所で生徒たちを乗せ、3キロほどはなれたスワヤン寺院の裏にあるアーナント・クティ、スクールにむかいます。p8「アーナンド・クティ・スクール」

14)9才の子供からみたら、世界はどこも観光地のように、輝きにみちた新しい世界なのではないだろうか。このモヒタからみるネパールは遠く離れた観光地としてのネパールではない。そこに展開されるのは、一人分の世界であり、どこに住んでいる子供の世界ともつながる、世界だ。

15)子供たちの目からみたばあい、自分の生きている世界に違いなどない。目の前にある世界が唯一の世界なのだ。別段に比較したり、珍しがったりするようなものではない。すべてがあたらしく、すべてが真実だ。

16)でも、人間は9才や10才に、とどまってはいない。12才になり14才になり、18才、22、25となり、やがて中年となり、老年となり、老いて、死んでいく。

17)もし、人間だれもが9才でとどまるとしたら、世界大戦なんか起きないのではないだろうか。生きている自分の世界が当たり前のものだと思い、分かち合い、楽しみあい、仲良くしていたら、世界はもっともっと平和になるのではないだろうか。

18)人間だれしも子供だった。子供でなかった大人なんて一人もいない。もし、人間だれもが、大きくなっても9才や10才の時の、あの新鮮な驚きの感性をもって生き続けることができたら、おそらくこの世はもともと浄土なのだ。

19)子供たちのヒトミからみた場合、世界はどこもおんなじだ。世界の子供たちに、違いはない。そして、子供たちのヒトミを持ち続ける地球上のおとなたちにも、なんの違いはない。

20)「地球に愛と平和を」。これがこの「世界の子どもたち」シリーズのサブタイトルである。

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「西方神話」渡辺 眸(著)

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「西方神話」
渡辺 眸(著) 1997/09 中央公論社 単行本(写真集)渡辺眸関連リスト
No.3719

1)タジマハール宮殿のある町に一週間滞在したことがある。何の目的があっていたわけではないが、旅に疲れて、ただただ美しい宮殿とその町に滞在していたのだった。

2)ある時、白亜の宮殿を離れて見ることができる池のほとりに、それらしく坐っていると、旗を翻したガイドについて、JALパックの団体旅行さんが来ていた。ぼーっと何気なく見ていたら、そこの中の若い女性が、こちらに走り寄ってきて、言った。
 「すみませ~~ん、日本の方ですか・・・? 一緒に写真撮ってもらっていいですか」

3)もちろんですとも。別段減るものじゃなし、肖像権を登録されている芸能人でもあるまいし。そこで私も考えた。私の旅も長い。すでに日本の日常からはかけ離れた姿をしているのだ。しかし、どう見ても私は日本人なのだ。

4)すでに体はすっかり痩せて、ほとんど裸のうえに、腰にルンギを巻き、マルーン色のチョッキを着て、首から数珠を下げたりしているのを見ると、もう異国情緒たっぷりであったのであろう。

5)まもなく40年にもなろうとする昔のことではあるが、あの時のことを考えると、なんだか一人でに笑いたくなる時がある。あの時、あの女性も私と同年輩かちょっと上くらいだったか。あの年齢でインドに旅する(と言っても数日から数週間)というのもなかなかの冒険だったはずだ。彼女にとって、あの旅はどのような意味を持っていたのだろうか。

6)そして想う。あの時、撮影した数枚の写真は今でも残っているのだろうか。彼女の古いアルバムの中の旅の思いでとして、痩せて坐り込んだ私とのツーショットの画像が、いまでも残されていたら、愉快だな、と思う。まだ残っているのなら、私にも一枚分けてほしい(爆笑)。

7)って、本気で、ネットで訪ねてみようかな。あの当時タジマハールに行って、現地でこういう写真撮った人、いませんか、って。残っていたら、キッとそれは私の人生の本当に貴重な一枚になるだろうな。

8)私にとっては、どうも写真というものはアリバイ工作であるようである。少なくとも、この時期にここにいましたよ。アングルも、画質も、光もまったくいい加減ですが、少なくとも、これは私で、ここはあそこだから、だから、私はあの時あそこにいたんです。アート性など二の次だ。

9)この写真集「西方神話」の西方とは、どこのことを意味しているのだろうか。西方浄土というからには、中国やインドなどを表しているのだろうと察する。しかしながら、この写真集においては、キャプションがほとんどついていないので、どこなのかは、はっきりわからない。そのかわり著者の手になると思われる詩ともエッセイともつかぬ文章が時折挟まれている。

10)バラナーシーの写真も含まれているので、まちがいなくこれにはインドが含まれている。バラナーシーにも一週間ほどいたことがある。あの時も一人だった。ガンジス河のほとりには、本当に死体が転がっていた。路上に死体があっても、だれ一人驚かない。犬さえまたいで歩くほどだ。

11)生死を越えたインドの聖地バラナーシーで、私は自分の股間のことがやたらと気になっていた。一泊何十円の安宿に泊まっていたせいか、私の体、つまり男性器に腫れものが出来てきたのだ。多少の痛みを伴ってはいたが、病院にいくわけにもいかず、ただただおそれおののいていた。別にあぶないところで遊んできたわけでなし、ブラフマチャリアな男の一人旅なのに、いやはや困ったものだ。日本から持っていった抗生物質の錠剤を飲み、軟膏を刷り込んでは、なんとかやり過ごした。

12)インドにいると、いかにもインドインドした風景がいつの間にか、ごくごく当たり前の風景になっていく。別段に珍しくはないのだ。当たり前といえば当たり前の風景が続いていく。

13)この写真集は、ここがインドで、ここがネパール、と言った「説明」がない。つまり「観光写真」ではない。さぁこれがインドですよ~~、という写真はほかでも沢山見てきた。しかし、それってホントかな。

14)ガイジンから見れば「フジヤマ・ゲイシャ」が「JAPAN」なのだ。フジヤマとゲイシャを見なければ、何のために日本にきたか分からない(笑)。でもそれって本当かぁ・・・? 毎日フジヤマ・ゲイシャで暮らしている日本人なんていない。日本人の視線になれば、もっともっと別な日常がある。

15)この写真集、インドの「フジヤマ・ゲイシャ」が写っていない。つまり、観光客や旅人の視線より、より現地の人の日常の視線になっている。目に映るひとつひとつが珍しいわけじゃぁない。ただ風景として記録している。そんなサバサバとした割り切りがある。

16)つまりこの写真集に収められている写真は、おそらくほとんどコマーシャル・フォトとしては使えない。人々に訴える「意味」が違うのだ。暴力的につかみかかるようなギトギトしたエネルギーはむしろ抑えられている。

17)さぁ、取材旅行だぞ、ロケハンだぞ、と言った視線がない。カメラの向こう、ヒトミの向こうにある風景が目的ではない。日常や旅そのものが主体なのだ。そして、その日常や旅の中にあったよ、という著者の「アリバイ」証明のためになら、この写真集は多いに役にたちそうだ。

18)「神話」はヒトミの向こうにはない。その風景を見ているヒトミの内側にある。

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2016/06/14

「東大全共闘1968‐1969」渡辺 眸

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「東大全共闘1968‐1969」
渡辺 眸(著)  2007/10 新潮社 単行本(写真集) 182ページ 渡辺眸関連リスト
No.3718

1)今年(2016年)も、この所、恒例となった福島川内村獏原人の真夏の「満月祭」コンサートへの参加が実現しそうだ。福島第一原発から30数キロの農業コミューン。そこに一貫してこの40年住まい続ける人たちがいる。

2)そこに今年は、ひとりのカメラ(ウー)マンが参加する予定だという。私に何か手伝え、と言ってくれたのは、プラサード書店主のキコリ。何ができるかわからない(おそらく何もできない)が、とにかく行くことは約束した。

3)眸さんと書いて、すぐにヒトミさんと読める人はどのくらいいるのだろう。私はことあるごとにこの方の名前を拝見してきたように思うが、すぐにヒトミさんとお読みしたことはない。なんどか逡巡したうえに、結局、わからないままにしておいてきた。

4)しかし今回図書館から数冊写真集を借りだしてきて、そうかそうなのか、カメラ(ウー)マンだからヒトミさんなのか、と膝を打った。これってペンネームかな、とも思ったが、巻末の山本義隆氏の文章で、それは本名らしい、と推測することにした。

5)私自身は、カメラマン・マインドはない、と自称している。カメラとまったく縁がなかったわけではないが、「まずは」シャッターを押す、ということはできない。

6)私は77年にインド・スリランカを1年かけて旅したが、ほとんど写真をとらなかった。かなりの数のフィルムを持っては行ったのだが、現地で欲しい人に上げたりほんの少し売ったりもしたが、半分ほどは未開封のまま持ち帰ってきた。

7)この度の2011年の3・11に際しても、私の身の回りは「被写体」であふれかえっていた。どの角度を見ても「絵」になる風景だけだった。だけど、シャッターは押せなかった。押すことを拒否さえした。だから当時の写真は、ごくごく限られている。

8)1970年、私たちの高校でバリケード封鎖事件があった時、学校新聞部として駆け付けた私は、手に持ったカメラのシャッターを一枚も押すことなく、私服刑事たちにはがいじめにされてしまった。

9)1969年1月、それは私の中学三年生の高校受験の正月だった。こたつにあたりミカンの皮をむきながら、テレビを見ていた。延々と放映されていたのは、東大安田講堂の「攻防」。それは「東京」というずっと遠いところで起きている、「学生」というずっと上の人たちの出来事で、「理解」するもしないも、ただただ「風景」としてだけ、そのブラウン管を見つめていた。しかし高校に入学して、それは遠い出来事ではなかったことを、すぐ理解した。

10)この「有名」なカメラ(ウー)マンが、実はマ・サナンドという名のOSHOサニヤシンだと知ったのは、いつのころだったのか覚えていない。おそらく1977年にでた「やさしいかくめい」あたりですでに、そうだったのではなかろうか。

11)幸なのか、不幸なのか、私はこの方といままでお会いする機会がなかった。少なくとも沢山の支線の中での「二次のつながり」なのだが、私の中では「実像」が結ばれることは、今までなかった。

12)この写真集について、今の私は、それなりにメモしておきたいこともいろいろある。しかしながら、このヒトミさんにはたくさんの写真集がある。私が住む地方の公立図書館にも、必ずといっていいほどどの図書館にもある。それらをまずはひととおり拝見しながら、この方のヒトミには何が映っていたのかを想いつつ、もうすこし時間が経過したら、この写真集にもどってこようと思う。

つづく

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2016/06/13

「スペクテイター」<29・30号> ホール・アース・カタログ篇

前からつづく

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「スペクテイター」<29号> ホール・アース・カタログ<前篇>
エディトリアル・デパートメント (編集) 2013/12 幻冬舎 単行本: 191ページ

「スペクテイター」<30号> ホール・アース・カタログ〈後篇〉
エディトリアル・デパートメント (編集) 2014/05 幻冬舎 単行本: 191ページ

1)訳あって再読してみた。30号はかなり詳細に精読したので、今回は29号を中心に読んだ。特にこの雑誌は当ブログ「10年間で読んだ本ベスト10もっとありのままに編」にもしっかり残っている雑誌である。

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2)特に今回は29号の「70年代、日本の若者雑誌になにが起こっていたのか?」p072あたりをあらたな感慨で読んだが、なお一層興味深かったのは「ヒッピーたちは、なぜパソコンに魅せられたのか?」あたりだった。

3)細かくは書かないが、今さらながらに「はじめてのMacBook入門」今すぐ使えるかんたん 2016/04 技術評論社)てな本に目を通している自分が可笑しかった。いやいや、これははじめてのMac、じゃなくて、はじめてのMacBookだからね、などと言いわけしながらも、やはり、なんともカマトトぶってしまっている自分に大笑い。

4)ヒッピー、という言葉にひっかからない訳じゃない。カウンターカルチャーに関わっていた流れをヒッピーというならそれでもいいのだが、当時私自身はヒッピーという言葉は好きではなかった。

5)当時の私の基準でいえば、ヒッピーというのは、私よりもうすこし髪がながくて、私よりもっとロックに精通していて、私よりもっとドラッグ通で、そして私より無責任で、私より非社会的で、私よりもっとせつな的な存在、と規定していたように思う(笑)。だから、私はヒッピーといいう肩書は嫌いである。

6)しかしながら、あのマッキントッシュから、シンギュラリティが語られる現代までの流れにあって、パソコンというものは私たちの世代にはかかせないものである。決してヒッピーが切り開いてきた地平ではないが、それなりに時代的に溶けあっていた、というべきなのだろう。

7)思えば、当ブログも「ジャーナル」という名を借りた「カタログ」ではなかっただろうか。100部発行ではないけれど、すでに100万アクセス以上を越えているのであり、それなりに読まれている可能性はある。

8)この雑誌は他の号も面白い。欠点は図書館から借りだして読めないところだが、本当のことを言えば、この雑誌の記事が面白いのではなくて、その編集主体のライフスタイルが面白いのだ。だから記事よりも、本当はそのライフスタイルに学ぶべきなのだ。

9)地方都市において、ゆったりとしたペースで自分たちの好きなテーマでゆっくりと編集し続ける。とても魅力的な雑誌である。

<後>につづく

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「杷不住述懐」<4>Vol.単位で三分割してみる

<3>よりつづく

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「杷不住述懐」
<4>Vol,単位で三分割してみる    目次

1)当ブログにはVolという概念があった。スタートした地点では考えもしなかったが、あまりに続きそうなので、そういう概念も必要かな、と途中から登場したものだった。しかし、それも途中で、おそらく必要がないのだ、と分かったので、それは1~3で廃止された。

2)しかし、こうして過去ログを俯瞰して見ると、Volという概念も悪くない。過去を大きく3つ、ないし4つに分けて、分析してみることも面白いかもしれない。

3)
Vol.1 No.0001 2006/03/14「ウェブ進化論」(梅田望夫 2006/02)

         No.1024 2008/03/02「The Zen Manifesto; Freedom from Oneself」(OSHO 1993/01)

Vol.2  No.0001 2008/03/02「禅宣言」(OSHO1998/03)

    No.1024 2010/04/03「精神の哲学 肉体の哲学」木田元他 2010/03)

Vol.3  No.0001 2010/04/13「シリコンバレーから将棋を観る」(梅田望夫 2009/04)

         No.1023 2013/06/16「アティーシャの知恵の書」チベットの覚者を語る(OSHO 2013/06) 

以降 No.3073 2013/07/22「恐竜の世界へ。」ここまでわかった!恐竜研究の最前線(ペン編集部/編 2011/07) 

現在 No.3717 2016/06/13「はじめてのMacBook入門」(小原 裕太 2016/04) 

4)ざっと見てみたが、当ブログはVol.区分けで俯瞰することはかなり難しい。そういう基本が出来ていない。単に時期を区切っているだけである。

5)しかしながら、どこから始まってどこで終るのか、ということを意識しているわけだから、始まりと終りを見つめることは興味深い。

6)それぞれの区切りにOSHOが登場するのはある意味当然としても、梅田望夫が二回でてきていたのには驚いた。

7)またVol.3 No1024は発見できなかった。すでにこのVol.分けに意義を見失っていたのかもしれない。だからこのリストにはVol.3 No1023を貼りつけておいた。

8)Vol.3の後半においては、「こころでからだの声を聴く」 ボディ・マインド・バランシング(OSHO2007/11)のベタ写しの作業にはいっていた。 ある意味、この本がVol.3の結論部分である、とするならば、Vol.2の結論が「精神の哲学 肉体の哲学」木田元他 2010/03)であったことを考えると興味深い。

9)敢えて短縮するなら、科学、肉体、精神、の三つの要素が、たくまずして表現されていた、ということもできる。

つづく

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2016/06/12

「はじめてのMacBook入門」今すぐ使えるかんたん 小原 裕太

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「はじめてのMacBook入門」今すぐ使えるかんたん
小原 裕太(著) 2016/04 技術評論社 大型本 256ページ
No.3717★★★★★

1)この手の本の中では最新のものとなろう。なれど、私が本当に必要とするのはほんの最初2頁ほど。つまり、Macって、どんなラインナップになってるの、てなあたりである。

2)ノートあるいはラップトップといわれる範疇だが、やはりメインは13インチ画面が中心となる。重さは軽い方はいいのだが、まぁ2キロまでは我慢だろう。1キロを切るためにコスパを悪くするのもどうかと思う。

3)画面は綺麗なほうがいいので、ラティーナモデルなどは気になる。というかラティーナモデルでないとだめだろう。あとは、Mac単体、という選択肢は私にはないので、内臓ディスクは256GB以上。となると、次第に絞られてくる。

4)MacBook Pro 13インチモデル i5 2.7GHz  8GB 256GB~ 1.58kg 148800Y~

MacBook CoreMデ゙ュアルコア 1.1GHz 8GB 256GB~ 0.92kg~ 148800Y~

MacBook Air i5 1.6GHz 4GB 256GB 1.35kg~ 112800Y~

 このあたりがスタートラインということになる。ましてや、また近日中に新製品のラインアップが発表される見込みという情報もあり、なかなか流動的ではある。

5)重さはおそらく問題なし。本当に常時持ち運ぶわけではなく、たまに、という程度なのだ。CPUもおそらく体感的には個人的にはあまり違いは感じないだろう。感じるのはラティーナかそうでないか。そして内臓ディスク、メモリ、あたり。そしてコスパだろう。

6)パソコンなんてこんなもんだ、と投げやりになるなら、他OSの廉価版で十分だ。それに対して、二倍のコストをかけて「やっぱりMacだなぁ」といいたいかどうか。勝負はここんところだ。

7)国内産の他社PCも、決して安くはない。別段見る気はないが、それでも結構な値段である。おなじ価格帯なら今の私ならMacでデュアルブートする。まだまだ心は決まっていない。結論まであと半年。

8)「ラインナップ 模様ながめの PC選び」 把不住 

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「今すぐ使えるかんたんmini Instagram インスタグラム」 はじめる&楽しむ ガイドブック

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「今すぐ使えるかんたんmini Instagram インスタグラム」 はじめる&楽しむ ガイドブック
アライドアーキテクツ株式会社(著), 藤田 和重(著), ナイスク(著) 2016/2/20 技術評論社 単行本(ソフトカバー): 192ページ
No.3716★★★☆☆

1)「今はやる インスタグラムって なんだろう」 把不住 

2)SNS流行もここに来て一段落ということだろう。mixiだろうがFBだろうが、陰りは見えてきている。そこに新手のインスタグラムが浮上を狙って雌伏中、ってところだろうか。

3)私は今回このサービスにはあまり深入りせず、したがって友達や交流の枠を増やさず、ひたすら、ビジュアルで、五七語に徹してみようかな、と思っている。しかも可能ならば、五七語を英文と併記する。

4)「ビジュアルと 五七と英文 インスタグラム」 把不住

5)とかいいつつ、このガイドブックを一頁もひらかないまま、こんなことをつぶやいてしまった。w

6)今はやりとはいうものの、本質的は、インターネットが始まり、パソコン通信が始まった時の基本構造と変わってはいない。互いに端末を持っており、情報を交換する。それだけだ。だから、むしろ感動としてはインターネットが始まり、パソコンどころかワープロで会話した時のほうが、感動ははるかに大きかった。

7)スケールが大きくなり、画像も綺麗になり、誰としらぬ第三者との交流も始まるという可能性も、それほど大きな魅力とはなっていない。もはやそれらの試みはだいたいしつくされているのだ。

8)インスタグラムの特徴は、ヴィジュアルに特化していることだろうが、その特化はまだまだ甘いなぁ、と思う。というか、今から若い人たちがSNSを始めようというなら、ここあたりから始めるのもいいのかもね。

9)「新手なる SNSにも 重い腰」 把不住

10)「絵を撮りて 一句したため インスタグラム」 把不住

11)「腕あげて 調子でてきたら 増やすトモ」 把不住

12)「もういいや ITばなれの アラ還世代」 把不住

13)「ばれている ネットつながりの 奥の奥」 把不住

14)「スマホでも 畑の風景 アップロード」 把不住

15)「最新の アプリをネタに はい一句」 把不住

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2016/06/11

「今日から使える MacBook Air & Pro」 OS X El Capitan 対応

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「今日から使える MacBook」 Air & Pro OS X El Capitan 対応
小枝 祐基(著), 古作 光徳(著), 岡安 学(著) 2015/11 出版社: ソシム 単行本 319ページNo.3715★★★★★

1)私はそもそもモノを選ぶ時、どんな行動をとるのだろうか。

2)車を選ぶ時もそうとうに逡巡する。まずは雑誌を見る。そして具体的にディラー巡りをする。ローンの残債を確認し、見積もりを取る。数社取ったあとはしばらく放置する。あれこれ考えて、諦める。

3)しかし、諦めきれないのがモノ選びである。結局、エコ減税があり、ライバル社登場により、廉価版がでた、そのチャンスをものしたのだったが、実は、ちょうどその時、ついに古い愛車がエンコして修理が必要になったことが最後の決断のきっかけだった。

4)携帯からスマホに移った時もどうだっただろう。O円スマホをかなりあれこれいじりながら、ガラケーを長く使っていた。仕事でタブレットが必要になったことがきっかけになり、結局iPhone6+になった。

5)あの時も、丁度、長いこと拒否されていたドコモがついにiPhoneを扱うようになる、というタイミングだった。しかも大型画面で、老眼がすすむ私にはちょうどタイミングがよかった。

6)太陽光パネルを選ぶ時もそうだった。いろいろ調べて結局放置しているうちに、付き合いのある会社がパネルを扱うようになり、しかも、私が一番狙っていたパネルの代理店になったのだった。

7)こうしてみると、おそらく誰もがそうであるのかもしれないが、私のモノ選びのパターンは見えてくる。
・とにかくいろいろ調べる。
・そしてかなり絞り込む。
・そこで放置する。
・しかし、トンデモない朗報(時にはバッドニュース)が。
・はい、即決定!

8)そういえば、先日メモしておいたが、家づくりの時もそうだったなぁ。

9)どうもこのパターンなのだ。今回のPC選びもこのパターンになるのだろうか・・・・?

10)今回のPC選びも、いろいろ調べ、絞り込み、そうして「放置」という段階になりつつある予感がする。あとは「トンデモ」ニュースがどのようにハプンしてくるかだ。

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「MacBook完全ガイドブック」今すぐ使えるかんたん MacBook/MacBook Air/MacBook Pro対応版

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「MacBook完全ガイドブック」今すぐ使えるかんたん MacBook/MacBook Air/MacBook Pro対応版
柴田 文彦(著), 広田 稔(著), 外村 克也(著) 2015/06 技術評論社 大型本 320ページ  No.3714★★★★★

1)この本には、私が知りたかったことがたくさん載っていた。
Windowsのブックマークを一気に取り込もう p124
「テキストエディット」の文章をWindowsでも開ける形式で保存しよう  p210
Windowsから「どこでもMy Mac」を利用しよう  p260

2)うん、たしかにこのへんの断片的な記事も気になるところだが、巻末のp298から約20頁に渡って記述されている、「MacBookで自由自在 Windows連携テクニック」だ。

3)
共有設定 p298
Windows用iCloud  p300
DVDまたはCD共有  p301
Boot Camp p302
パラレルス p306
VirtulBox p310

4)いざ本当に共存関係をつくることになれば、この本はおおいに役立つに違いない。今は、あまりにもバーチャルな構想なので、いちいち細かいことを聞いても、リアリティがない。

5)ここまで来ると、一安心というか、また原点に返って、いろいろ考え直してみることになる。
・そもそもPCってなに?
・どうしてWinはいやなの?
・そもそもPCを仕事で使う、というその仕事ってなに?
・仕事の本質を見極めないままPCを論じるの?
・仕事を解決せず、PCを解決せず、Winを解決せず、Macに逃げたとて、それってなに?
・そして、人生において仕事ってなに?
・人生ってなに?

6)いやはや、Macを考える旅はトンデモないところへと繋がっていたのである。

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「Macはじめよう」 MacBook Air & Pro, iMac対応 OS X Yosemite版

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「Macはじめよう」 MacBook Air & Pro, iMac対応 OS X Yosemite版
Mac書籍編集部(著)  2015/02 出版社: マイナビ 単行本 272ページ
No.3713★★★★☆

1)いまさらこのような本を読んでどうするのだ、という声と、いやいや、ここからはじめるのだ、という声、の二通りが内にあり。

2)メールやネットやという単体でPCを使う、ということでなら、敢えてこの本にお世話になることもないだろうし、そもそもこの手のガイドブックは完読されることはないだろう。

3)最もこの本で気になったのは1頁のみ。

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4)ブートキャンプでパーティーションを切って他OSインストールという方法しかないかな、と思っていたが、Parallels DesktopとかVMWare Fusionというアプリを使う手も浮上してきた。これはわたし的には台発見。

5)他の部分に関しては、iPod iPhone iPatとMacの連携が気になるところだが、いろいろと疑問が湧いてきた。いろいろ連携ができるからMacファミリーはいい、と思いつつ、本当はあんまり連携したくない場面も多くあるのだ。

6)まず、iPadで電話なんか受けたくない。電話はiPhoneで十分だ。あるいはiPadは横になった時にネットの画面が見れればいいので、あまり容量が大きくないものを選んでいる。iTuneなどで同期されると、どっちみちオーバーフローしてしまう。

7)そもそもiPodはiPhoneで足りるので、ほとんど使わなくなってしまった。たしかに連携が深まれば今は気づかない良い点はたくさんあるのだろうが、私自身は本当は連携を心の底からは喜んでいないのではないか・・?

8)そもそもMacに関心を持っているのは、シンギュラリティを積極的に理解するにはMacのほうがいいかな、と思っていたのだが、はてさて、そんな思いもどうだろう。

9)それぞれのOSや機種の性能や可能性はともかくとして、私自身は、私自身の個的情報を不用意に吸い上げられてしまうことは、とても不都合に感じる。売買にカードは使いたくないし、LINEなんて若向きのアプリはインストールしたまま放置してある。個的情報をかるがると扱われるのは、どうもいやだ。位置情報なんてのも使わない。

10)であるなら、シンギュラリティなんて程遠いじゃないか。無視したら、ということになるが、それでは全くシンギュラリティの孤島になってしまうので、最小限の情報を流し、取り込み、全体と繋がっていたい、という欲望もある。

11)であるなら、Macにかぎらず、最新のPCなんて必要なくて、むしろ型落ちの最小限設定のセットで十分真にあるのではなかろうか。

12)そして最初のそもそも論にもどって、なんで仕事なんかするのだろう、というところから始めなくてはならない。Macに遊びを期待していて、Winに仕事を期待している、って、どこか分裂している。それほど二分化する必要があるのか。いっそ、仕事を捨ててしまったらどうか。

13)どうも最近の私は、一台のPCが調子悪くなったことをベースとして、物事を難しく考える癖がついているようである。この感じ、しばらく続くかな・・・?

14)「PCこわれ 仕事も人生も 見直し中」 把不住

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小出裕章氏講演会「あれから5年 私たちの選択〜福島原発の今をみつめて〜」

小出裕章氏講演会
「あれから5年 私たちの選択〜福島原発の今をみつめて〜」

2016年6月10日(金) 宮城県岩沼市民会館 中ホール18:30~ 主 催:小出裕章講演会いわぬま実行員会
No.3712

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1)会場の近くで整体院を開いている友人と行ってきた。会場内にはあちこちに見知った顔があってなごやかな雰囲気。会場は中ホールということですでに予約で満員。電話予約しておいて本当によかった。

2)主催者の代表の方は、小出氏と大学時代に同じ大学で学んで、いまは近くの総合病院の院長先生をされている方。この岩沼市は福一原発から約70キロ地点だが、風向きにより放射線汚染が云々される地域。津波においても3分の2ほどが冠水した。

3)前回、小出氏の講演会を聞いたのは2011年8月5日(金)だった。あの日、原発事故以来初めて原発に最接近し、戻り足で講演会に参加したのだった。

4)氏の著書もかなりの数を読ませていただいている。原発問題については、数多くある論客たちの中にあって、もっとも信頼でき、かつ親密感を持てる方である。

5)まず、科学者であること。原発専門であること。反原発の立場を最初から最後まで明確にされていること。巨大な悪に対して、ひとりひとりの個人が、ナニをどうすればいいのかを常に明示されていること。そして自らが実践されていること。

6)氏の説明は分かりやすく簡潔である。わずか数時間の中で説明するには、十分な準備をされておられるのだろうし、プロジェクターを使った画面も実に分かりやすい。使われる資料は、実際の法律だったり、政府発表の資料が基本になっている。決してトンデモ資料や、類推解析などではない。

7)今回、会に参加して、一番の収獲は、まずはあれから5年が経過したのだ、という確認であり、そのことを忘れないでいる人びとがまだまだこれだけいるのだ、という実感だった。もちろん未解決のままなのだから忘れることなどできない。

8)お隣の席の方が氏を呼び止め握手をされていたので、ついでに(笑)私も握手をしていただいた。

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2016/06/10

「解き明かされる日本最古の歴史津波」<31>閖上・日和山

<30>からつづく


「解き明かされる日本最古の歴史津波」  <31>
飯沼勇義 2013/03 鳥影社 単行本 p369 飯沼史観関連リスト

閖上・日和山
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<32>につづく

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2016/06/09

「特集=人工知能 -ポスト・シンギュラリティ」 「現代思想」 2015年12月号

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「現代思想」 2015年12月号 「特集=人工知能 -ポスト・シンギュラリティ」
新井紀子(著), 小島寛之(著), 石黒浩(著), 茂木健一郎(著), 竹内薫(著), 西垣通(著), その他 2015/11 青土社 ムック: 229ページ
No.3711★★★★☆

1)最近、シンギュラリティを冠する出版物がちらほら見えるようになってきてとても嬉しい。10年前当ブログがスタートした時点では、この言葉の提唱者レイ・カーツワイルの「ポスト・ヒューマン誕生」 コンピュータが人類の知性を超えるとき(2007/1 NHK出版)と、チャールズ・ストロスのSF小説「シンギュラリティ・スカイ」(2006/6 早川書房) がある程度だった。

2)他に断片的にこの単語を使っていた書籍もなかったわけではないが、絶対的な少数派だった。読書を始めたばかりの私は、この言葉をキーワードにしてさまざまな探索をしたが、まとまった情報にはぶつからなかった。

3)あえていうなら、ネグリ&ハートの一連の著作のなかにこのシンギュラリティという単語を見つけて、そのマルチチュードの「マルチ」と、シンギュラリティの「シングル」を概念的に対比させてみたりしただけで終っていた。

4)今回は、「日経コンピュータ」シンギュラリティ前夜--AIと共に歩む人類--(2015/12/01号)に取り上げられたり、「WIRE」誌などでも盛んに論じられる時代になってきたことを、すなおにうれしく思う。10年経過していよいよ現実化してきたか、という感を持つ。

5)その現象のよしあしはともかく、「進化」の過程では避けて通れないものとして「予測」されてきたものだから、それは敢えて受け容れ、通過していくしかないだろう。

6)「日経コンピュータ」ではシンギュラリティ「前夜」といい、こちらの現代詩手帖では「ポスト」シンギュラリティ、というが、これはどちらも詩的表現なのであって、どちらも厳密な「前夜」や「ポスト」ではない。むしろそれはずっと以前より始まっていたということも可能だろうし、すでにポストなのだ、と傲弁することも可能は可能だろう。

7)しかしながら、ウィンドウ95が登場したことを持ってインターネット時代突入と言ったり、21世紀になってスマホが登場したことを持ってソーシャルネット時代ということも可能なように、このシンギュラリティにおいても、これこそはそのアイコン、シンボルというものは、いつかは登場するだろう。

8)私個人的には、ユビキタス社会の提言や、ビッグデータの活用、あるいは超高速ネットワークのほとんどの無償化、スマホ端末の普及率などから考えて、すでにシンギュラリティ時代に突入していると見る。そしてそう遠くない未来において、その「アイコン」は登場するだろう。

9)しかしながら、当ブログの関心は、シンギュラリティそのものへの関心よりは、その時、生身の人間はどう生きて、どのような一生を送ることになるのか、というテーマのほうにより多く集まっている。

10)これまで、「パーソナル+コンピュータ」時代から、「ソーシャル+ネットワーク」時代へと変遷してきて、当ブログにおいては、これからは「コンシャス+マルチチュード」の時代となるのではないか、と予想を立てた時があった。

11)あるいは、「グローバル+コンシャスネス」という言葉を造語してイメージを膨らませてきたところだが、これだけシンギュラリティという単語が普及するなら、むしろここは「コンシャス+シンギュラリティ」と言い直したほうがいいのではないか、と思うようになってきた。

12)パソコンがあの箱を連想するように、そしてSNSがポケットのなかの端末を連想するように、「コンシャス・シンギュラリティ」も、目に見える形で象徴が現われてくるだろう。おそらくそれは、より小型化されたチップのようなものと、座禅を組んでいるような、瞑想中の人間のシルエットが使われることになるのではないだろうか。

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<11>

<10>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<11>旧機メンテナンス一時休戦

1)いやはや、まだまだ終わらない今回のわがパソコン選び。この本を読みだしてからすでに一ヶ月が経過した。それでもなお、終わらない。迷いに迷う。もうどうでもいいや、と思う。だがしかし、あと一年以内には確実に何かの対応が必要なことは分かっている。

2)しかしながら、一ヶ月前の、すぐにでも、という緊急性は失われてしまった。数台あるパソコンのうち、まずまず現状維持でなんとやれる体制は復活したのだ。だから、いますぐでも、というエマージェンシーな気分が失われてしまったことが大きい。

3)この本があまり適切ではないのではないか、と書店を覗いたが、まぁこの本あたりは妥当なガイドなのだ。当分この本と付き合っていくしかないだろう。

4)いろいろ選択基準があることは分かるが、まずは、実用性、経済性、趣味性、の三つから考えてみる。

5)実用性。これは明らかにあと一年以内に何かの手を打たなければならない、というのは確実だ。しかし、本当に実務的に必要なのは範囲が狭い。基本、今使っているセットのOSをグレードアップすれば、それだけでいいのだ。経費1万数千円で済む。

6)ただし、私の場合、どんな場合であっても、PCは二台必要だ。調子が悪い時、緊急にバックアップ用のPCが必要になる。今回の場合、二台ともOSのグレードアップが必要になったということと、一台が致命的なダメージを受けていて、やはり最低一台は購入しなければならないだろう、という状況にある。

7)ところがである。実務的に言えば、いままではPCでしかできなかった業務が、実はスマホやタブレットでできるようになってきているのだ。つまり、緊急用のバックアップは必ずしもPCでなくてもいいのではないか、という地点に来ているのである。

8)さらに言えば、これから10年先を見越せば、おそらくPC本体は要らなくなる可能性もゼロではなくなってきているのだ。

9)つまりだ。実用性ということで言えば、まずはOSグレードアップと、新規2台購入の間に巾のゆれがあるのだ。

10)さて、経済性。安いことはありがたいことではあるが、必ずしも安価な一台を得ればよい、という問題ではない。必要十分な一台をどのように経済的に得るかという問題と、その経費をどこから捻出するか、という問題である。

11)この一ヶ月間、とにかく通信費を見なおした。私はずさんに管理してきたために、この10年の間、月々数千円多く経費を払い続けてきたことが判明した。さっそく回線やプロバイダを見なおしたのだが、思えば、数年に一台はお好みのPCをゲットするくらいはあったのである。いやはや実におしいことをした。

12)今後もこの面から見直しをつづけることが必要であるが、まずは購入経費を10万という水準線においてみる。この基準だと、かなりのPCが範疇にはいる。しかしながら、周辺機器や増設機能、あるいはソフトや他の端末との連合性ということを考えると、必ずしも、全部の一列に並べることができない。

13)5万を切ろうとするなら、中古もありなのだが、どうも私は中古はいやだ。せいぜい型落ち新古機あたりでおさえたい。だからまずは7~8万スタートは覚悟しなければならない。

14)そしてまた、機能や性能のグレードで、どんどん10万のラインは突破されていく。ホント、そこまで必要か、という周囲の声に反論できなくなっていく。実用性だけなら今のPCを。新機種を買うなら、夢を、と、むずかしい選択がまっている。

15)そして、その夢である趣味性の問題が登場してくる。言ってみれば、ごく最近は、ここが一番問題になっている部分であろうと思われる。

16)たしかにP社のL機は良い。ある意味理想である。しかし、それでいいのかという声が必ず聞こえてくる。まずは20万前後以上の価格帯は、やっぱ異常であると、私には思える。堅牢性、実務性、ドライブ内臓、長時間バッテリー内臓、など有り余る特徴ではあるが、私の手は届かない。

17)元S社のV機は、本当は私はこれで事務所を固めているわけだが、そのS社にもV機にも陰りが見えている。V機の映像や音声重視の姿勢が、本当にわがPCスタイルにあっているのかどうか。たんに気分の問題だけなのではないか。もちろん、この気分、というのが趣味性のいわんとするところなのだが。

18)L社のT機も悪くない。ポインティングデバイスがお気に入りだ。しかしだ、しかしだ。そこまでだ。だからどうしたというのだ。他の機種を凌駕するほどの魅力があるのか。趣味性といいつつ、結局、おざなりな一台におさまっているだけではないか。

19)そこでやっぱり登場するのが、A社のM機である。まず欠点を言えば、M機は高い。同レベルの他OSに比較すれば1.5倍から2倍の感覚になる。だから手がでないとも限らないのは、その使い勝手や、スマホやタブレットとの連動性にある。

20)経済性に逆戻りするが、実は、半年ほど前より医師の勧めにより血圧剤を服用し始めたところである。保健師さんに言わせれば、止めることのできる薬だそうだが、医師のほうは必ずしも簡単に許可はしない。

21)この診療代と薬代で、ゆうに二年でPC一台を買い替える余裕がでてくるほどの金額になる。実は、ここんとこが現在の問題なのである。通信費を抑え、血圧剤を停止することができれば、私はA社のM機にしようと思う。

22)さぁ、そうとなれば話が早いのではないか、と思われるが、まぁまだまだそこまではいかない。M機シリーズのどの機種にするのか。どのスペックにするのか。結果的に20万に達しようという経費なら、他のOSのハイエンド機も見えてくるのではないか。

23)欲は欲を呼ぶのである。

24)ナニはともあれ、M機メモリ増設、他OSインストール、ディアルブート、ドライブ外付け、って実際に「実用性」「経済性」そして「趣味性」に本当にかなっているだろうか。

25)「PCや OSめぐりて 夜もすがら」 把不住 

<12>につづく

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2016/06/08

「今日の風景」todays one scene<1>

「今日の風景」 todays one scene
<1>「ひと息に 幾千年の かおり立つ」   把不住

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A breath Thousand years Fragrance flow. Bhavesh

to be continue

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2016/06/07

「死ぬまでに行きたい世界の図書館」ようこそ『ハリー・ポッター』魔法の世界へ (SAKURA・MOOK 50)ムック

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「死ぬまでに行きたい世界の図書館」ようこそ『ハリー・ポッター』魔法の世界へ (SAKURA・MOOK 50)ムック
2015/11笠倉出版社 ムック: 129ページ
No.3709★★★☆☆

1)たしかに、ある一時期、あちこちの図書館を訪問することが楽しみな時があった。それぞれに特色があり、また郷土資料や、本の配列で、トンデモない本を発見することもあった。

2)しかし、最近では、ほとんどがネットで検索でき、地元の図書館に取り寄せることができるようになったので、あまりその土地土地の図書館をめぐる、という楽しみはなくなった。

3)これが世界レベルなら、それはそれで楽しい旅となるであろうが、図書館をめぐる旅、というのはちょっと発想にない。むしろ図書館をめぐる旅なんて、ちょっと貧困すぎないか。

4)そう思って、サブタイトルをみたら、「ようこそ『ハリー・ポッター』魔法の世界へ」ときた。なるほどね、そういえばあの場面は図書館だったのか。ハリー・ポッターは、とりあえずチラチラ映画のレベルではのぞいたが、もう夢中で観れるようなものではなかった。

5)最近は、TUTAYAと公立図書館がコラボするということで、近くの図書館を訪ねてはみたが、まぁ、面白くないわけじゃないが、だからと言って、どうした、という気分になったのは本当。

6)建物やシステムが変わっても、基本となる蔵書がそれほど変わらなければ、まぁ、それほど何回もいくものでもない。私なら、読みたい本を取り寄せて、自宅で転がって読むのが一番である。

7)死ぬまで行きたい、とは、思わないな、残念ながら。

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「週刊金曜日」 2016年 5/27 号「特集 日本会議 『戦後憲法』を敵視する保守運動」

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「週刊金曜日」 2016年 5/27 号 「特集 日本会議 『戦後憲法』を敵視する保守運動」雑誌– 2016/5/27 出版社: 金曜日  週刊版
No.3708★★★☆☆

1)個人が運営する生身のブログとしては、あまりに露骨な政治的な発言や宗教的な吐露はふさわしくない、と常々思っているので、この雑誌のことについてや、この特集にあるような団体については、まったく無知でもなければ、無関心でもないが、必ずしも積極的に取り上げることはしないできた。

2)先日たまたま古い友人と自転車同士ですれ違い、しばし立ち話になった。100あった話題の内のひとつふたつは、この雑誌についてだったので、あまりにトトカマぶってもいられないな、と、とりあえず自分の持っていた知識をブラッシュアップする意味でも、この雑誌を開いてみた。

3)出口王仁三郎の弟子筋であった谷口某が、その師の顛末を身近にみていた立場から、むしろ反権力を翻したような迎合的な思想に転換していった背景をそれとなく察知していて、これまでも、あまり好きな流れではなかった。

4)かと言って、近くに関連施設はあるし、知人関係者にも、それとはなしにその筋の人もいるようだし、まぁ、いろんなバリエーションがあっていいのかもな。つかずはなれずの無関係をよそおうのが一番かも。

5)当ブログとしては、このようなテーマには過敏に反応しないでおくこととする。

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「Mac Fan」 2016年2月号 Macでウィンドウズ

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「Mac Fan」 2016年2月号
マイナビ出版 2015/12 [雑誌]Kindle版フォーマット ファイルサイズ: 99149 KB 販売: Amazon Services International, Inc.
No.3707★★★☆☆

1)iPod、iPad、iPhoneと来たからには、いよいよパソコンもMacでしょう、といきりたつものの、なかなかそうはいかない。そもそも業務でウィンドウズを使う必要がある以上、Macの世界にどっぷり、という訳にはいかないのだ。

2)1990年代末のあのiMac騒動以来、私は割とMacは好きにはなれないでいたのだ。今だってどうかと思うが、選択としてはウィンドウズよりはまし、という感じか。

3)そんなわけで、現在は、廉価ウィンドウズ+初級Macか、中級Mac+ブートキャンプでウィンドウズ併存か、という分岐点におり、結論がでない。

4)そんなわけでこんな雑誌を手にとってみるのだが、まずは表紙で腰がくだける。孫みたいな女の子たちが歓迎してくれているが、なんだかなぁ・・・・。

5)アラ還のばあさん二人が歓迎してくれるのもどうかと思うし、もちろんアラ還じいさんの歓迎もいまいちだろうなぁ。

6)なにはともあれ、スティーブ・ジョブズに敬意を表して、パソコンもマックを検討していますよ、というポーズだけは示しておこう。

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「縄文のイエとムラの風景」御所野遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)高田 和徳

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「縄文のイエとムラの風景」 御所野遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)
高田 和徳(著) 2005/4 新泉社 単行本 93ページ
No.3706★★★★☆

1)飯沼史観において、ヒタカミ初代とされる三内丸山遺跡から、北上川、ヒタカミ国へと繋がる途上にあったとされる、何代目かのヒタカミ国とされる遺跡。

2)この遺跡の発掘もわりと最近と聞いているが、さっそくそれを取り入れるあたりは、飯沼史観の進取の気性に目を見張らされる。

3)岩手県内とはいうものの、ほとんど青森県寄りであり、宮城在住の私としてはそうそう行ける位置にはない。三内丸山を訪ねたあとの帰り足でどうか、などと思うが、それも簡単ではなさそう。

4)むしろ寺山修司記念館などとともに、付近のいくつかのポイントにしぼって、いずれ訪問の機会に恵まれることを祈ろう。

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「新しいLinuxの教科書」 大角祐介

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「新しいLinuxの教科書」 
大角 祐介(著) 2015/6/6 SBクリエイティブ 大型本: 440ページ
No.3705★★☆☆☆

1)一ヶ月間手元においても、なにごともなしえなかった一冊。離れ島にたった一冊この本を持ちこんだとて、私になしえることはなにもないだろう。

2)30年間、万年携帯コンピュータ4級資格で一生を終えるのである(涙)。

3)しかし、と思う。若くしてこの道を歩み、この道にて生計を立てていた同輩たちも、実は、もうすでに早々と引退している。必ずしもこの道で生きているわけではない。

4)アメリカの一部のカウンターカルチャーの人間たちは、プログラムを「書く」ことで、創造性を維持し、また生活をも維持しているようだから、そもそも心構えが違うというか、才能のあるなしにおおいに関わる世界なのであろう。

5)今回、ここには、まだ、こんな本にも未練があるなぁ、ということを記しておけばいいだろう。

6)「Linux Programming Shutdown」 把不住

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「読書は格闘技」 瀧本 哲史

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「読書は格闘技」
瀧本 哲史(著) 2016/4 集英社 単行本(ソフトカバー) 160ページ
No.3704★★★☆☆

1)なるほどこれも、いちいちごもっともとうなづきたくなる一冊である。名は体を表すというが、まさに格闘技ファン垂涎の書であろう。

2)しかしながら、格闘技ファンでもなければ、格闘技はやるものではなくて見る物、時には、観なくてもいい、と決めつけている私などには、ちょっと的がはずれていくところがある。

3)そしてもし格闘技ファンであったとしても、肉体エリートであったとしても、闘うことに異常な情熱を持てる時代は決して多くない。

4)気分が変われば、再読するかもなぁ、という一冊ではあるが、自らの内から、そのような「体力」がもう湧いてこないだろう、という見込みを持っている最近である。

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「51歳からの読書術」ほんとうの読書は中年を過ぎてから 永江朗

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「51歳からの読書術」―ほんとうの読書は中年を過ぎてから
永江 朗(著) 2016/2 六耀社 205ページ 単行本
No.3703★★★★★

1)この本読んでいて、なるほど、いちいちごもっとも、と言いたくなる。1958年生まれで私より4・5学年下だから、まだ50代だと思われるが、「別冊宝島」などのライターもしていたというから、どこか私好みのセンスのある人なのだろう。

2)思えば、当ブログも「51歳からの読書」だった。術とまではいかないまでも、それなりにコツもつかんだ。面白い10年だった。

3)・和歌と漢詩をしみじみと
・新書は最高の発明品
・哲学書は51から
・文学全集は意外といける
・少年文庫を読む
・絵本に涙する
・かつて買えなかった写真集
・電子書籍は中高年の味方だ
・本を売る
・散歩のコースに古本屋を
・文学館への旅
・図書館を使う
・メモ帳と探書リスト 

4)などなど、いちいちごもっともと言いたくなるところが満載だ。本当は当ブログのレインボー評価にしてもいいくらいなのだが、残念ながら、私は51歳ではない。そこからすでに10年が経過してしまった。

5)つまり、ここまで綺麗に整理できなかったとしても、この本は読書ブログとしての当ブログの結論とさえ言える一冊である。でかした!◎ だが、今の私は、この結論を通り越して、62歳からの読書術、という本が必要になっているのである。

6)いやいや、おそらく「読書」ではないかもしれないし、「術」でもないかもしれない。アラ還以降は、別な方法が必要になる。現在の私が置き換えようとしているのは読書ではなく瞑想であり、術ではなく道である。

7)なにはともあれ、この本はヒントに満ちている。中高年にさしかかろうとする読書氏が、しゃくに触ることも書いてはあるだろうし、こんな本に世話になるか、と思うかもしれないが、一見の価値はある。

8)ただ、当該の年齢の時の私は、こんな本はうっとうしくて、読まなかったと思う(笑)。

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2016/06/03

OSHO ZEN TAROT <32> TRAVELING(トラベリング)

Zen046traveling_2前よりつづく  

 

 

 

 

OSHO ZEN TAROT <32>

 


 

45.TRAVELING(トラベリング)

 

 

 

 生はつねに、つねに、連続したものだ。それは最後の目的地に向かって進んで行くのではない。巡礼そのもの、旅そのものが生なのだ。どこかの地点に行き着こうとしているのではなく、ゴールはなく——ただ踊りながら、巡礼の内にあって、どんな目的地も気にせずに楽しく進んで行く——。

 目的地にたどり着いたところで、あなたはなにをしようというのかね? これまで誰もこんなことをたずねた者はいない。誰もが生に目的地を設けようとしているからだ。
だが、それが暗に意味するのは……。
 
 もし、あなたがほんとうに生の目的地に着いたとしても、そのあとは? あなたはとても困ってしまうだろう。どこにも行くところがない……あなたは最後の目的地に着いてしまったのだ——しかも、その旅の途中で、あらゆるものを失ってしまった。

 

 だから、あなたは最後の目的地に丸裸で立ち、まるで馬鹿のようにあらゆるところを見回すことになる。いったいなんだったのだ、と。あなたは必死になって急いでいたし、次々と心労が絶えなかった。それなのに、その結果がこれなのだ。Osho Rinzai: Master of the Irrational Chapter 7 

 

解説:  

 

 この素晴らしい風景をぬって道を歩む小さな人影は、ゴールのことなど気にしていません。彼、あるいは彼女は、旅そのものがゴール、巡礼そのものが聖地だということを知っています。道を歩む一歩一歩、それ自体が大切なのです。

 

 リーディングでこのカードが現われたら、動きと変化の時期を示しています。それは、ある場所から次の場所への物理的な動きかもしれませんし、ひとつの在り方から別の在り方への内なる動きということもあるでしょう。

 

 しかし、どんな場合でも、進むのはたやすく、冒険し、成長しているという感触がもたらされることをこのカードは約束しています。余計な苦労や計画は必要ありません。この「トラベリング」カードは、新しいものを受け容れ、抱擁することを思い出せてくれます。ちょうど、私たちが日頃慣れ親しんでいるものとは違った文化や環境をもつ別の国を旅しているときのように——。

 

 開き、そして受け容れるというこの姿勢は、私たちの生に新しい友人と体験を招き入れます。Copyright © 2012 Osho International Foundation 

 

<次>へつづく

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「杷不住述懐」<3>ダイジェストを俯瞰する

<2>よりつづく

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「杷不住述懐」
<3>ダイジェストを俯瞰する    目次

1)二ヶ月前に、単に「述懐」としてスタートした当企画は、最近行なわれた友人たちとの旅の土産に、杷不住という名をお借りすることによって、装いも新たに「杷不住述懐」として再スタートすることになった。最初の意趣はそのままであり、より具体的な姿を持ち始めた、というべきであろう。

2)時あたかも、当ブログ10年を振り返り、「10年間で読んだ本ベスト10」なるものを、いくつかの角度から企ててみたところ、結局、最後に残ったのは、当ブログのダイジェスト版、一冊であった。当然といえば当然の帰結であり、もちろんわが意を得たりの結論ではあった。

3)しかし、と思う。生涯三つの記述とする「物語」や「スートラ」に比較してみると「ダイジェスト」はあまりに冗漫に過ぎるのではないか。もっとも前二文をも含むのであるから、当然のことといえば当然である。しかし、冗漫さにおいては、実に目にあまる状態である。ここは、時あたかも到来した杷不住の五七語の力を借りて、もう少しコンパクトに濃縮して見ることとする。

4)先日、意図せぬ準備も兼ねてダイジェストを一読してみたのだが、これはこれで面白い一文であった。前半部分は後日加筆訂正を繰り返しているので、よりつなぎは良くなっている。中盤から後半にかけても、今後同作業をくわえればr、より良いものになるだろう。さりとて、それは、杷不住極意の簡潔さにおいて、全く用に足りていない。結局、一言で、なんなんだ?

5)「物がたり スートラどっこい ダイジェスト」杷不住

6)さて60に及ぶカテゴリ名を見ていると、同じ傾向のものをまとめることができる。2とか3とか連続を語っているものもあれば、5にまで届いているカテゴリもある。類語を使っている場合もあるし、発展語を使っている場合もある。これらを圧縮すると、およそ40ほどのカテゴリにまとまる。これをさらに敢えて三つのジャンルに分類してみる。科学、芸術、意識。

7)「サイエンス アート驚く コンシャスネス」 杷不住

8)科学分野において、当ブログに見えているのは、PCやITを含むインターネットであり、もう一つは原発核問題である。地球を一つの生命惑星と見ることはできたが、宇宙計画や宇宙の構造などに深い関心を持ち続けることはできなかった。

9)芸術とは言え、当ブログにおいてはどの程度のアートを追いかけることができただろう。文学作品だったり、絵画だったり、あるいは織物だったり、時には仏像だったりした。しかし、いわゆる芸術と言われる部分の、ほんのひとかけらを拾ったにすぎなかった。

10)意識といい、哲学と言い、宗教といい、思想といい、さまざまな言われ方をするエリアにおける究極の単語は「瞑想」である。ZENと言ってもいいだろう。そのマジックキーワードを握ってしまっているために、逆に、自らの道を狭くしてしまっているともいえる。

11)しまった。この述懐を始めてしまって、本当の気持ちは、しまった、だ。いやはや、これは、またまた長旅になるぞ。

「旅なかば 道はてることなし わが庵」 把不住

「把不住述懐」地球人スピリットジャーナル・エッセンス版につづく

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「杷不住述懐」<2>目次

<1>よりつづく

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「杷不住述懐」
<2>目次

1)はじめに
2)目次 
ダイジェストを俯瞰する

<3>につづく

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「把握述懐」地球人スピリットジャーナル・エッセンス版合流しました。(2017/0619)

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2016/06/02

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<60>「すべてがムダであることについて 」カテゴリについて

<59>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」
ダイジェスト版

<60>「すべてがムダであることについて」カテゴリについて

1)あっという間に駆け抜けたカテゴリであった。書かれたのは2016/04/5~2016/06/02の間。当ブログのなかでも最も短期間で走り抜けたカテゴリではなかっただろうか。

2)エコビレッジの中で聞いたラジオ番組から「ねぇ、ムーミン」カテゴリがスタートし、そのムーミン谷に棲息するキャラクターとして選びとったのが、「じゃこうねずみ」カテゴリだった。そのじゃこうねずみの愛読書が「すべてがムダであることについて」である。

3)そこからのカテゴリ名だったが、まったく無関係だったわけではなく、書かれた記事もかなりニアミスを起こして、一体化しそうになったことが何回もあった。

4)当ブログにおいては「すべてがムダであること」というのはネガティブ要素よりも、ポジティブ要素のほうが大きいカテゴリ名なのであり、敢えて今後「すべてが役に立つことについて」と反語せずとも良い状態ではある。

5)色即是空 空即是色。

6)もうすでに当ブログは、自らの「終り時」を探して、ずっとさ迷い続けている状態だ。いつサドンデスしても可笑しくないのであり、毎回毎回が最終回のつもりで、続けていこうと思う。

7)そのような意味において、このダイジェスト版もちょうど(60)に達しており、一つの区切りになったようである。次回のカテゴリ名は「把不住」と名づけた。ムーミン谷ならぬ松島湾に浮かぶ雄島に住んだ禅師のタイニーハウスの名前がこれである。

8)私はこの把不住(元は、はふじゅう、と読む)を「ばべしゅう」と読んで、自らの五七語の号とさせていただくことにした。ムーミン谷はヒタカミにある島になり、じゃこうねずみは把不住となった。さて、「すべてはムダであること」は、おそらく五七語の言葉として吐かれて続けていくことになる。

9)「把不住や すべては無か 空なるか」 把不住

10)「再読したいこのカテゴリこの三冊」

「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲他

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」 釈迦如来・聖観音菩薩 関侊雲他

「続・やすらぎの仏像彫刻」 実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松拾文

 加えて

「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書 金子啓明他

の4冊だった。これは、この期間の丁度真中の5月3日に書かれた今日の気分はこの3冊とまったく同内容だった。

<61>につづく

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再読したいこのカテゴリこの3冊「すべてがムダであることについて」編

前からつづく

再読したいこのカテゴリこの3冊
「すべてがムダであることについて」

Unnamed

「彫刻刀で楽しむ仏像」 弥勒菩薩・薬師如来 関侊雲他

「続・彫刻刀で楽しむ仏像」 釈迦如来・聖観音菩薩 関侊雲他

「続・やすらぎの仏像彫刻」 実物大で作る小仏 小仏阿弥陀・小仏薬師・小仏観音を彫る 岩松拾文

 プラス

「古代一木彫像の謎」仏像の樹種から考える―成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書 金子啓明他

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<後>へつづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<24>最後の一冊

<23>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<24>最後の一冊  目次

1)最初この企画を思いついた時に、ここまでくるとは考えていなかった。もっとアバウトに終わるだろうという読みだった。しかしよくよく考えてみれば、こうならざるを得ないのだ。じゃぁ、最後の1冊はナニ?

2)いやはや意表を突かれて、私はびっくりしたよ。そうそうそうか、そうだよな。最後の一冊・・・?

3)で、窮鼠猫をかむ、という喩えもある。あまりにびっくりしちゃうと、どんな弱い奴だって、トンデモない手を考え出して、窮地から飛び出してやろうというエネルギーが湧くものである。

4)ジャンジャカチャーン、当ブログ、10年間の結論、最後の最後の一冊は、これだ!

「地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版」
意識をめぐる読書ブログの軌跡

5)やったね。

6)これしかないでしょう。いくら読んだって、他人の本は他人のもの。他人の本だって、ちゃんと読んで身に付ければ、それは私のもの。私が私のために4000冊の本を読んで、そのもっとも濃縮した部分をまとめたものは、これしかないのだ。

7)って、それって本になってないじゃないか。

8)いいじゃないか、いずれ本になるかも知れないし、そもそも本になどならなくていいのだ。棺桶に他人の本など入れてもらってもあんましありがたくない。私は、この「ダイジェスト版」を一冊、自分で勝手に持って、あの世に行く。

9)無人島に本など持っていったって仕方ない。そんなの読む必要などないのだ。読書の極意は、最後の最後は、本を忘れることだ。

10)本にはなっていなくても、なんだかダラダラとした文章の羅列を、Bhaveshから脱皮した把不住が、五七語に、切りつめていくだろう。

11)乞うご期待

<25>につづく

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「宮澤賢治 魂の言葉 」 宮澤 和樹 (監修)<2>

<1>からつづく 

宮澤 和樹 (監修)  2011/06 ロングセラーズ 新書 218ページ
★★★★★

1)3・11後の賢治の評判はますます高まった。あちこちから賢治が立ち上がった。もはや賢治しかいないのか、というほど期待が集まる。マイトレーヤーかメシアか、救世主のごとくだ。ひとり賢治におっかぶさっていいのかどうか。そろそろ再検討が必要だろう。

2)当ブログとしては、すでに100冊をゆうにこえる賢治作品を記録してきた。そして、かなり拙速ぎみに「ちょっと早すぎる賢治再読リストベスト10」(2012/01/17)なんて記事を書いていたが、まぁそろそろ再読する季節でもあるだろう。もう5年も経過したのだし。

3)すでに自分で作っておいたこんな図式や(2011/10/16)

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4)こんな図式も気になり始めてきた。(2011/11/06)

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5)さて、この「宮澤賢治 魂の言葉 」 宮澤 和樹 (監修)は、賢治ゆかりの著者が花巻に経営する林風舎を訪問した時に求めた一冊である。発行時期や血筋から考えて、こちらも大事にしておきたいが、実は、当ブログとして大いに肩入れしたのは「宮沢賢治祈りのことば 悲しみから這い上がる希望の力」(石寒太2011/12 実業之日本社)のほうであった。

6)今となってはタイミングの違いとだけメモしておくが、今後、この二冊を並べて検討してみるのも面白いかもな、と思う。

7)それと、どうせ賢治論を再発熱させるなら、賢治の出自論もきになるところである。「宮沢賢治幻想紀行」 新装改訂版 畑山博他 2011/07 求龍堂)には

賢治の両親は、ともに姓を宮沢という。父方も母方も宮沢家である。祖先をたどってゆくと、一人の人物にで行き当たる。つまり遠縁の一族なのだ。その人物とは誰か。江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻にくだってきたといわれる、公家侍の藤井将監(しょうげん)である。この子孫が花巻付近で商工の業に励んで、宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった。(中略)

 いずれにしても、賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている地は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。p106「生涯」

 などというコメントも残されている。他にはまだ見つけていないコメントなので、この辺あたりも、しっかり把握しておきたいものである。

8)スティーブ・ジョブズにも似て、我らが愛す賢治アイコン、そろそろまた活動時期がきたようである。

つづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<23>さらに3冊にしぼる

<22>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<23>さらに3冊にしぼる  目次

1)河合隼雄は「無人島に持っていくなら、まずは古事記一冊を持っていくだろう」という。無人島に何をしにいくのか、どのくらいいくのか、どのような環境なのか、など気になることはたくさんある。いちがいに言えることではない。

2)しかしながら、当ブログも敢えて、その無謀なシュミレーションに挑戦する。もし今、無人島に3冊の本を持っていくとするなら、何を持っていくのか。無人とは言え、電気はあるのか、電波は届いているのか。食糧はあるのか。外敵はどうか。それらを加味しなければならないが、あえて今ならこの3冊だ。

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3)まずは「OSHO ZEN TAROT」。わがマスターOSHOの智慧の詰まった一冊、というかひとつのシステム。無人島のサバイバル・ゲームのなかで遭遇する危険な事態は次々とやってくるに違いない。そのひとつひとつに対処する智慧が見つかるかもしれない。

4)それは陸の孤島の無人島に限らず、都市文明の孤島に迷い込み、まったくの援助なしのサバイバル生活であったとしても有効であろう。生き延びるためには、このカード一式をポケットに忍ばせて行くのは悪くない。

5)二つ目は、千葉富三「日本の誕生」だ。ホツマツタヱ―大和言葉で歌う建国叙事詩「甦る古代 日本の誕生」 。私はこの数年、この本を読み解きたくてうずうずしているのだが、集中できない。そもそも集中力がないのが私の売りであるが、それにしても、この1200頁を越す大冊を読みこなす体力と気力と、時間がない。

6)河合隼雄が、まずは古事記、というなら、私は彼にならって「ホツマツタエ」を持っていこう。そしてそれは行きがかり上、千葉ホツマとなる。予備知識もたくさん必要になるだろう。併読すべき他の本も多かろう。本書に誤謬を見つけることも可能だろう。好き好きでしかたない、という本ではない。しかし、今、機会に恵まれるなら、この大冊を一冊、読みくだいてみたい。

7)そして三冊目は「新しいLinuxの教科書」だ。実はこの本、この二週間ほどずっと手元にあるのだが、当ブログとしては未記録である。そもそもそう簡単に読める本ではないし、読む本でもない。辞書的に用途に合わせて、あちこち見ながら活用すべき一冊である。そして、なお、私にはほとんど理解できない一冊なのである。

8)プログラミングLinuxについての本は、当ブログにおいてもすでに何冊も読んできた。プログラマーという職業や仕事の形態、あるいは存在様式を、私は実に現代的だと思う。無人島にいくなら、Linuxの入ったモバイルパソコンを持って行きたい。そしてちょっとはプログラマー的なポーズを取ってみたい、万年携帯コンピュータ4級の私は思うのだった(涙)。

9)三冊と限るなら、今はこの辺を考えておけばいいだろう。別段に棺桶に入れてくれ、というわけではない。無人島に「レジャー的」に遊びに行くなら、そして、キチンと今ある存在様式まで戻ってくることができるなら、これら3つのアイテムは、なかなかいいんじゃないかな。私的には○である。

<24>につづく 

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日高見国を訪ねて 「北上川散歩」鈴木 文男<3>

<2>からつづく

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「北上川散歩」日高見国を訪ねて <3>
鈴木文男1991/05 あづま書房 新書版 p153

1)昨日、著者を訪ねた。我が家から著者のお宅までは実に数キロの距離である。実に示唆に富んだ本なので、以前より出版社やら著者に関心があったのだが、本は本として、ご自宅に押し掛けたり、出版社に問い合わせたりしたりするのは、どうもハシたない、と思う癖があったので、そのままになっていた。

2)しかし、どうもいても立ってもいられなくなり、昨日は、わずかな手掛かりを手に外にでた。出版社はすでに引っ越しているかと思ったが、まだ現存し、なんとその出版社の表札の上には、著者のフルネームの表札がでていた。1920年生まれの著者、まだ御健在であったのである。

3)この方がどういう方なのか知らない。どういう経歴で、どういういきさつでこの本ができ、今現在、どういう状況にあるのか。そんな中で、突然の訪問は失礼だろう。もちろん、失礼すぎる。

4)しかしながら、この恥ずかしがり屋の東北生まれの私にも、蛮勇をふるうエネルギーが腹の底から湧いてくる時がある。太平洋をはるかに見はらす高台にあるお宅は、おそらく3・11の波の動きをつぶさに観察できる位置にあっただろうとさえ思われる。

5)逡巡したが、勇気を掻き集めインターフォンを押した。おそらく二回押した。しかし、残念ながら、ご不在のご様子である。残念。出直そう。綺麗に片づけられたお庭にはなにやら著者のボタニカルライフを思わせるような風景が。

6)車にもどって、ふと考えた。そういえば電話をかけてみるという方法もあったよね。自動案内音声が「もうありません」と伝えてきた。そうだろうな、と思いつつ、掛け間違えていたことに気づいて、再コール。そこでようやく私は著者と直かにお話しすることができたのであった。

7)「北上川散歩」の残部がありましたら譲ってほしいのですが。最近ヒタカミ国に関心を持ち始めた友人にこの本を一冊プレゼントしたいので・・・。ご高齢の方なので、電話の音声の聞きとりがむずかしいこともあったかもしれない。だが、しっかりされた声でお答えいただいた。

8)すでに残部は一冊もないこと。再販の声もあるが、まだそれには至っていない、ということ。読者の方々に関心を寄せていただくことは大変ありがたいことだ、と。そういうお答えのなかに、しっかりした著者のエネルギーに触れたようで、こちらの背筋もピンとした。

9)残念ながら、電話だけで、実際にはお会いできなかったが、いずれお手紙で読後感想などをお伝えいたします、とお話させていただきました。

10)実は、著者のご本は巻末のリストを見るだけでも数十冊あるのである。しかもその多くは近くの図書館に入っている。著者を直接訪問する前に私にはやるべきことがまだ残っていたようである。

11)現行カテゴリもまもなく終り、次期カテゴリは「把不住」という名前でスタートしようというところである。次のスタートは、ひょっとするとこの方の本を読むところから始まるのではないだろうか、という予感がしてきた。すくなくとも「把不住」カテゴリ一冊目はこの本できまりでしょう。

つづく

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「わがボタニカルライフ」<27>もっと上手に市民農園

<26>からつづく 

「わがボタニカルライフ」

<27>もっと上手に市民農園

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 こちらの記事は、書きかけのまま二週間ほど放置されてしまっていた。今となっては何を書きたかったのかは忘れてしまったが、その間、「もっと上手に市民農園」についての記事を書いているので、おそらくダブってしまって、こちらは意味を失ってしまたのだろう。

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 市民農園やクラインガルテンの記事を統合してこちらの「わがボタニカルライフ」に一本化したために、やや混乱気味ではある。しかしながら、分離したままの煩雑さより、統合してしまうほうが、より意味論的には深まるようなので、とにかく現在の流れを大事にしよう。

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 おそらく当ブログにおけるボタニカルライフという意味は、そこに技術的な研究や、事態的な事実の記録、あるいはより詳しい発展形を望んではいないのだ。むしろ漠然としたもので、VSコンピュータとか、VS読書とか、VS都市文明とか、あるいはもちろんVS原発とか、そういうことを意味している。その象徴として当ブログのなかで育っていってもらえばそれでいい。

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<28>につづく

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「10年間で読んだ本ベスト10」<22>5冊にしぼってみる

<21>よりつづく

「10年間で読んだ本ベスト10」 

<22>5冊にしぼってみる  目次

1)10冊にしぼるのもむずかしいのに、5冊にしぼるなんてできるだろうか。至難の苦しみを味わうかと思えば、これが割とうまくいく。何故か。もう、そうなると、諦めをとおりこして、むしろ何の未練もなくなってしまうからだ。

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2)もうぶっちゃけ、このブログは「ウェブ進化論」がなかったら始まらなかったのだから、まずはこの一冊を選ぼう。そもそも若い時分に死のベットで読んだアルヴィン・トフラー「第三の波」は、苦境にあった私をして「生きよう」と思わせてくれた一冊だった。その後継、発展形がこの梅田望夫の「ウェブ進化論」であった、と言える。

3)関連の本も沢山読んだ。反論、類本、最新情報、プロ向け、アマ向け、沢山読んだ。いずれにせよ、当ブログの出発点であり原点は「ウェブ進化論」

4)二冊目はOSHO「私が愛した本」だ。OSHOは今世で師事した唯一のマスターである。当ブログは、わがマスターOSHOとそのワークにささげられている。すべてはそこに繋がっていく。たくさんの業績を残したわがマスターの全業績をクローズアップしたい。しかしながら、当ブログとしては、たった一冊OSHO「私が愛した本」にとどめよう。

5)インターネットの発展がすさまじかった。図書館システムがオープン化した。その背景を受けながら、当ブログは「ウェブ進化論」でブログとして始まり、「私が愛した本」で「読書ブログ」という性格付けを明確にした。

6)三冊目は、「仙台平野の歴史津波」だ。この10年間の丁度真中に位置し、「前」と「後」をはっきりと明確に分けることのできるポイントが3・11東日本大震災である。そのど真ん中にあって、明確にその警鐘を鳴らし続けた男、それが飯沼勇義氏だ。彼の関連書籍もある。3・11についても、さまざまな言説がある。しかしながら、当ブログにおける鼻祖であり、白眉なのはこの本「仙台平野の歴史津波」だ。

7)ここから派生するバイオ・リージョン、日本神話の見直し、地球環境への痛い提言。さまざまなビジョンを展開して行く中で、人生をかけて、一個の人間として生き切った個性豊かな著者に敬服する。この一冊も欠かすことはできない。

8)ここまでの三冊は割と簡単にしぼることができる。しかし4冊目となるとやや難しい。私はここで敢えてヘルマン・ヘッセ「ガラス玉戯曲」を選ぶ。今回絞った本のなかでは、読書体験としては一番古い。若い時分にインドをバックパッキング旅行し、外れた安宿に残された文庫本一冊、それがこの本だった。

9)ヘッセはこの作品でノーベル賞作家になり、その後、大きな作品は書かなかった。最高最後の作品と言っていいだろう。私は、ここに理想郷を見、人間としての昇華の最高形態を見る。そしてそれは、乗り越えられていくべき小乗のカルマを明確に示す。

10)そして、5冊目はさらに難しい。難しいが、現在の私の存在様式に合わせてザックリと割り切ってしまえば、「もっと上手に市民農園」を選ぼう。実に象徴的な一冊である。3・11の当日、私はビル・モリソン「パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン」を読んでいた。 そして3・11後しばらくして、私の読書はゲーリー・スナイダー「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」から再スタートした。

11)地球を思い、ガイアに夢を馳せ、エコビレッジ構想を練り、クラインガルテンも始まった。ボタニカルライフに、エコロジー、さまざまな支線はあれど、実に地道に足元を見させてくれる一冊は、この本であろう。関連本はたくさん読んだ。もっともっと学ぶべき本はある。しかしこのコンパクトな一冊を今選ぶことができるのは喜びである。

<23>につづく

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2016/06/01

「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用 (コツのコツシリーズ)斎藤 進<5>

<4>よりつづく 

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「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目  小さな畑をフル活用(コツのコツシリーズ)<5>
斎藤 進(著) 2012/3 農山漁村文化協会 単行本 103ページ

1)畑を始めた去年と、二年目の今年で、違うことはいろいろある。

・どうも手を抜くことも必要だ、ということがわかってきた。
・有機無農薬、という縛りをすこし緩めて、除草マルチや888などの化成肥料も受け容れた。
・去年つくったボカシ肥料が今になって効いてきた。
・面積がひろがって、適地適作がなんとなくわかってきた。
・昨年仕込んでおいたものが収獲できるようになった。 
などなど。

2)なんと言っても、昨年の「失敗」が今年の「コヤシ」になっている、というのがなんともいい。

・タマネギ 六月に収獲したら、トマトの雨よけの下で2~3日干したあと、ベランダで乾燥させて保存します。p84

・エダマメ 施肥は少肥タイプです。元肥は春先の全面元肥のみ、追肥は行ないません。肥料過剰にすると過繁茂になって莢(さや)がつかない。莢がついても実が入らない、ということになってしまいます。p74

・サトイモ 追肥はコンスタントタイプです。(中略)ナスと同様に水も好み、乾燥は大敵です。晴天が続いたら条間にたっぷり水をやります。p72

・キュウリ 根が浅いので、ワラやビニールマルチで乾燥から守ります。(中略)乾燥するとうどんこ病が出やすいので、表面に白い粉のようなカビがついた葉は早めにとってください。(中略)施肥はコンスタントタイプです。追肥は収獲が始まったら二週間に一度、化成肥料を半握り、マルチをめくって畝の肩に施します。p66

・ジャガイモ 施肥は少肥タイプです。肥料が多いと樹ボケするので、全面元肥だけで十分です。p61

・ナス 一番果が着いたら、そのすぐ下の側枝と主枝とを畝の左右に誘引します。一番果も枝の成長に養分を使いたいので撮ってしまい、一番果より下のわき芽は葉を残してすべて摘み取ります。(中略)施肥はコンスタントタイプです。ナスは大食いの大水飲みです。肥料をよく吸って水も多く必要とします。追肥は、果実の収穫が始まったら化成肥料を半握りずつ、二週間に一回収獲終了まで続けます。p62

3)昨年は、狭い畑を最大限利用しようとして、何種目にも挑戦したが、それが災いした面もあり、また、失敗談としての良い経験になっている部分もある。ことしは、サボりにサボって、空っ畑にならないように、ほとんど言いわけ程度の作付だが、それでもやるべきことは多く、学ぶべきことも多い。

4)五月 園芸店には春先に作っておいた菜園マップを持って行き、買いすぎには気をつけましょう。p93
 六月 ジャガイモやツルなしいんげんの他、前年秋に植えたタマネギやソラマメ、エンドウも収獲期を迎えます。ただし、雑草も野菜以上にぐんぐん伸びて驚かされます。(中略)刈った雑草は捨てずに、黒マルチや畝間に重ねておきます。梅雨が明けて気温が上がったときの直射日光を和らげ、地温が急上昇するのを防いでくれます。(中略)
 下旬にはキュウリやナスなどの果菜類の収獲が始まりますが、初収獲はなるべく早いほうがいいでしょう。初収獲が遅れると実に養分を奪われて樹勢が鈍り、その後の生育にひびくようです。
p94

5)やりたいばかりの情熱が先走り、ひとつひとつのマニュアルもよく読んでもみないで、暴走するのが、私の良い点(爆笑)でもあり、大きな弱点(当然だろう)でもある。今年は、小品種にしただけに、ひとつひとつにもうすこし学びのチャンスを設けよう。

6)なんにせよ、スーパーの野菜たちと競争するような「野心」を持たず、ただひたすら、科学者のような心を持って、小さな「事実」の積み上げから、身に着いた「知識」を重ねていこうと思う。質も量も、「自分」なりでいいと思う。

7)そして、今年は、庭と市民農園とクラインガルテンの三位一体なので、シームレスに繋がっていくことを期待する。

<6>につづく

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