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2016/06/15

「西方神話」渡辺 眸(著)

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「西方神話」
渡辺 眸(著) 1997/09 中央公論社 単行本(写真集)渡辺眸関連リスト
No.3719

1)タジマハール宮殿のある町に一週間滞在したことがある。何の目的があっていたわけではないが、旅に疲れて、ただただ美しい宮殿とその町に滞在していたのだった。

2)ある時、白亜の宮殿を離れて見ることができる池のほとりに、それらしく坐っていると、旗を翻したガイドについて、JALパックの団体旅行さんが来ていた。ぼーっと何気なく見ていたら、そこの中の若い女性が、こちらに走り寄ってきて、言った。
 「すみませ~~ん、日本の方ですか・・・? 一緒に写真撮ってもらっていいですか」

3)もちろんですとも。別段減るものじゃなし、肖像権を登録されている芸能人でもあるまいし。そこで私も考えた。私の旅も長い。すでに日本の日常からはかけ離れた姿をしているのだ。しかし、どう見ても私は日本人なのだ。

4)すでに体はすっかり痩せて、ほとんど裸のうえに、腰にルンギを巻き、マルーン色のチョッキを着て、首から数珠を下げたりしているのを見ると、もう異国情緒たっぷりであったのであろう。

5)まもなく40年にもなろうとする昔のことではあるが、あの時のことを考えると、なんだか一人でに笑いたくなる時がある。あの時、あの女性も私と同年輩かちょっと上くらいだったか。あの年齢でインドに旅する(と言っても数日から数週間)というのもなかなかの冒険だったはずだ。彼女にとって、あの旅はどのような意味を持っていたのだろうか。

6)そして想う。あの時、撮影した数枚の写真は今でも残っているのだろうか。彼女の古いアルバムの中の旅の思いでとして、痩せて坐り込んだ私とのツーショットの画像が、いまでも残されていたら、愉快だな、と思う。まだ残っているのなら、私にも一枚分けてほしい(爆笑)。

7)って、本気で、ネットで訪ねてみようかな。あの当時タジマハールに行って、現地でこういう写真撮った人、いませんか、って。残っていたら、キッとそれは私の人生の本当に貴重な一枚になるだろうな。

8)私にとっては、どうも写真というものはアリバイ工作であるようである。少なくとも、この時期にここにいましたよ。アングルも、画質も、光もまったくいい加減ですが、少なくとも、これは私で、ここはあそこだから、だから、私はあの時あそこにいたんです。アート性など二の次だ。

9)この写真集「西方神話」の西方とは、どこのことを意味しているのだろうか。西方浄土というからには、中国やインドなどを表しているのだろうと察する。しかしながら、この写真集においては、キャプションがほとんどついていないので、どこなのかは、はっきりわからない。そのかわり著者の手になると思われる詩ともエッセイともつかぬ文章が時折挟まれている。

10)バラナーシーの写真も含まれているので、まちがいなくこれにはインドが含まれている。バラナーシーにも一週間ほどいたことがある。あの時も一人だった。ガンジス河のほとりには、本当に死体が転がっていた。路上に死体があっても、だれ一人驚かない。犬さえまたいで歩くほどだ。

11)生死を越えたインドの聖地バラナーシーで、私は自分の股間のことがやたらと気になっていた。一泊何十円の安宿に泊まっていたせいか、私の体、つまり男性器に腫れものが出来てきたのだ。多少の痛みを伴ってはいたが、病院にいくわけにもいかず、ただただおそれおののいていた。別にあぶないところで遊んできたわけでなし、ブラフマチャリアな男の一人旅なのに、いやはや困ったものだ。日本から持っていった抗生物質の錠剤を飲み、軟膏を刷り込んでは、なんとかやり過ごした。

12)インドにいると、いかにもインドインドした風景がいつの間にか、ごくごく当たり前の風景になっていく。別段に珍しくはないのだ。当たり前といえば当たり前の風景が続いていく。

13)この写真集は、ここがインドで、ここがネパール、と言った「説明」がない。つまり「観光写真」ではない。さぁこれがインドですよ~~、という写真はほかでも沢山見てきた。しかし、それってホントかな。

14)ガイジンから見れば「フジヤマ・ゲイシャ」が「JAPAN」なのだ。フジヤマとゲイシャを見なければ、何のために日本にきたか分からない(笑)。でもそれって本当かぁ・・・? 毎日フジヤマ・ゲイシャで暮らしている日本人なんていない。日本人の視線になれば、もっともっと別な日常がある。

15)この写真集、インドの「フジヤマ・ゲイシャ」が写っていない。つまり、観光客や旅人の視線より、より現地の人の日常の視線になっている。目に映るひとつひとつが珍しいわけじゃぁない。ただ風景として記録している。そんなサバサバとした割り切りがある。

16)つまりこの写真集に収められている写真は、おそらくほとんどコマーシャル・フォトとしては使えない。人々に訴える「意味」が違うのだ。暴力的につかみかかるようなギトギトしたエネルギーはむしろ抑えられている。

17)さぁ、取材旅行だぞ、ロケハンだぞ、と言った視線がない。カメラの向こう、ヒトミの向こうにある風景が目的ではない。日常や旅そのものが主体なのだ。そして、その日常や旅の中にあったよ、という著者の「アリバイ」証明のためになら、この写真集は多いに役にたちそうだ。

18)「神話」はヒトミの向こうにはない。その風景を見ているヒトミの内側にある。

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