「『障害』ってなんだろう?」 バリアフリーの本10 「障害」のある子も“みんないっしょに”渡辺眸他
「『障害』ってなんだろう?」 バリアフリーの本10 「障害」のある子も“みんないっしょに”
藤田 雅子(著),
湯汲 英史(著), 折原 恵星川 ひろ子渡辺 眸平井 伸造 2000/03 偕成社 大型本: 31ページ渡辺眸関連リスト
No.3721★★★★★
1)渡辺眸の名前で検索すると、わが最寄りの公立図書館では、このシリーズ2冊がヒットする。このシリーズ本の制作にあたり、カメラ(ウー)マンとして参加しているらしい。ただし、使われている写真は4枚のみ。しかも、被写体の持つ意味が大きく、カメラ(ウー)マンの姿がクローズアップされることはない。
2)この本が編集出版されたのは2000/03。私もまた当時、別な形で、このような運動とほんのすこしだけ関わりを持っていた。
3)90年代から10数年に渡り、わが子たちの成長に伴って、私はPTA活動に引っ張り出された。現役時代に学校に通うのが少なかったカルマで、親になってまで学校に通わなければならないのかな、なんて冗談をいいながらも、私はあの種のボランティア活動を楽しんだし、仲間活動も楽しかった。
4)その中で、いわゆる障害のある子供たちを支える、地域団体横断の活動というものがあって、それなりにいろいろなことを学ばせていただいた。細かいことは割愛するが、あの当時のひとつの仲間内の議論を思い出す。
5)その議論とは、書類を作成するにあたって、障害を「持つ」と表現するのか、障害が「ある」と表現するのか、と言うテーマがあった。今考えても、どうでもいいことで、当時考えても、どうでもいいことだったのだが、当時は結構口角泡を飛ばす仲間たちもいて、私は唖然として、その議論に加わっていた。
6)たしかにテレビや新聞、当時の論説を聞いていると、「持つ」と「ある」では半々で使われているようだった。一方を多用するメディアもあれば、折衷的に使うメディアもあり、どちらがどちら、ということはなかった。
7)ここで議論になったのは、障害を持つ、と表現するけれど、別に当人たちは積極的に、「持っている」わけではない。持っている、と表現すれば、それを手放してしまえば、障害者ではなくなるのではないか。持っているのではなく、属性として「ある」のだ、と主張する人が一方にいたからだ。
8)方や他方は、その障害を乗り越えていくという意味で、「持っている」と自覚し、それを積極的に克服していくことに手を貸すべきなのではないか、と主張した。
9)集まりがあるたび、この議論は蒸し返されたが、結局は一年間結論のでない議論であった。
10)今思えば、いわゆる障害と言われるものは一様ではなく、様々な様態があるのであり、一概に言えるはずがないのである。当たり前のことなのだが、身近に身障者がいなかったり、何らかの活動に関わらないと見えてこないような問題であったことは確かである。
11)別段に、大きい声で、こういう運動に参加してますよ~~と宣伝するような問題ではない。ボランティアとは、自分が活かされるからこそ参加する意義のある活動なのだ。だから、もしチャンスがあって、自分でもやれるかな、と思ったら、私はぜひ参加すべきだと思うし、すくなからず私もそのようにやってきた。
12)この本は、決して難しい本ではないし、情報がいっぱい詰まっている本でもない。しかし、この本は、人間として、とても大事なことに気づかせてくれるように思う。このような視点がないと、人生、大きな何かを見落とすことになる。深みのない、薄っぺらい人生をおくるようになってしまう。
13)私たちのカメラ(ウー)マンのヒトミを通じて、このような実に身近な、今日的な課題を、もういちど見つめ直そうかな、と思えたことは幸いであった。
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