「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる 鳥山敏子<2>
「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる <2>
ハードカバー– 1996/3鳥山 敏子(著) 1996/03 サンマーク出版
★★★★★
1)不思議な本である。ネット通販では、この中古本が1円で売られている。たまにそういうこともあるが、この本はたくさんの本が1円で売られている。もちろん通販で買えば送料がかかるのでまるで1円ということはないのであるが、それにしても、1円とは。
2)しかも気になるのは、1円で売られているのは1冊だけではない。たくさん売られているのだ。どうしてだろう~~。
3)いくつかのことが考えられる。①内容が悪いので人気がない。②初版時たくさん売れたので、再流通の供給量が多い。③発行された時点と現在では、評価にかなりの差がある。④現在は類書が台頭して埋没している。⑤出版者が在庫を大量に再販ルートに流した。⑥みんなに読んでほしいと、再販店が出血サービスをしている。などなど・・・?
4)なにはともあれ、私も一冊この際だから、入手することにした。
5)賢治については、私の場合は3・11後だが、だいぶいろいろな本を読み、いろいろな感想を持ち、いろいろ書いてきた。まとめようにもまとまらないが、なにはともあれ、拙い私と賢治の接触場面をリストアップしておく。
6)賢治の雨にも負けずには、小学校の時から聞いているが、決してあの時から、という記憶はない。暗証するほどではなかったが、身近にあった。
7)中学校になって、石川裕人と一緒のクラスだった中一の時、国語の時間に「永訣の朝」を読み、あめゆじゅとてちてけんじゃ、が頭に刷り込まれた。
8)当時、新聞部でよく使っていた図書館には、賢治が畑の中でコートを着てうつむいている例のあの写真が、何の説明もなく、ポンと窓の上に飾られていたことが、ひどく目に焼きついている。
9)私たちの共同体で作っていたミニコミ雑誌「時空間」に、私より二つ年配の史歩さんが「春の修羅として」という文章を書いた。私はそれだけで彼女がすごく大人に見えた。
10)20過ぎて、1975年ミルキーウェイキャラバンの帰り道、途中の宿泊設備として使われた、私たちの共同体の廊下に、誰のものとも判明つかない小さなテープレコーダとテープが一本残されていた。私はその中の一曲「雨にも負けず」を何度も何度も繰り返して聞き、すっかり覚えてしまった。あれは誰の作曲だったのだろう? おそらく北海道でのコンサート風景だ。
11)25才になって、インドから帰り、ふたたび学校にもどって農業を学ぼうとした時、口にの悪い古い友人が、今から賢治になるのか、と冷笑した。その時、私はひどく反発したのだが、おそらく友人の見方は正しかった。
12)加藤哲夫さん達が「センダードマップ」 もうひとつの生活ガイド〈仙台・宮城版〉(1987/09 カタツムリ社)を出した時、センダードとは、イーハトーブの隣町仙台のことだと知った。みんな賢治が好きなんだ、と気づいた。
13)おそらく、この本がでた1996年頃になって、M氏より賢治についての感想を聞かれた。私は、あまり深い感想を持っていなかったし、正直言ってあまり関心がなかった。おなじ「東北人」としての共感する部分が多すぎ、あまり距離を置いて、意見を述べるようなことはできなかった。
14)ずっと年月が経過して、「足に土」 原人・アキラ 須貝 アキラ 追悼集(やまびこ編集室 1998/9)に短い文章を寄せた時、私はアキラに対して「賢治」という形容を二度使っていた。
15)この頃、畏友・石川裕人は盛んに芝居のモチーフに賢治を用い、また賢治そのものを上演していた。私の中には、この具象化された賢治の姿が強くインプットされている。
16)その後、花巻の賢治記念館を尋ねたのは3・11東日本震災のあとだった。その後については、当ブログの賢治の項に詳しい。
17)3・11後、各方面から賢治が立ちあがった。石川裕人は、すっかり賢治と同化したような経過をたどった。そのプロセスで私の賢治像はますます肥大し、また石川の演劇も成熟した。
18)この度、ふたたびみたび、賢治の里を訪ねる。M氏たちと同行する。待ち遠しい。
つづく
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