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2016/07/01

「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<2>

<1>よりつづく
Si002

「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<2>
生長の家 2016/06 日本教文社 小冊子 p66 
No.3741~3★★★☆☆ 

1)ということで(どういうことじゃ)、またまた頂いてきました三冊。前回は、長い間の固定的な視点からの再突入だったので、へぇ~という驚きはあったが、正直言って、再突入第二弾となると、やや興奮は収まる。

2)エシカル、という単語の使い方は独特だが、昔、松岡正剛オヤブンあたりが「エチカル・アニマル」なんて本を出していて、まぁ、意味は分からないわけではない。これを露骨に日本語で「倫理的」などと表現すれば、それはどうかなぁ、と反発する向きが多くなるだろう。

3)とまぁ言っては見るが、最近義務教育の中の道徳教育とはいななるものか、と議論百出だが、私は現役時代には「道徳」の時間とか、「倫理・社会」の時間は好きだった。いろいろ考えさせてくれたし、特に点数も付けようのないところがよかったのかも。積極的に手を挙げて発言もしたように思う。

4)これが老荘思想に対抗する形での、孔子や儒教となると、おそらくあまり現代的ではないし、西洋にも、世界的にもあまり受けないだろう。現在は定型的な、こうあるべきとか、こうしなくちゃ、というような規範ではなくて、気づき、や、覚醒の上での行動、ということが好まれるだろう。

5)そういうえば、この雑誌のどこかにも書いてあったと思うが、人類光明化運動とやらの表現や具体的にナニを意味するかはともかく、自分たちの生き方在り方との親和性を図ることは可能であるように思われる。

6)しかしだ、もっとわが身に惹きつけて、この三誌を眺めた場合、たった一つの自分の道とは選択する可能性はない。というのか、私は私なりに、自分の立脚点を確かめるために、ひとつの道に属してはいるが、それが唯一だとは思わないし、逆に、自分が何かの立脚点を持っていないと、他の道も理解できないだろう、という意味なので、ここで、わが道を乗り換える必要はまったく感じない。

7)いろいろなセンスの違いがある。出会いもあり、人脈の必要性もあるだろう。道と出会う人生の年齢的なタイミングもあるだろう。

8)さまざまな施設があるのだろうが、この団体の代表的な県の施設が、町内にあるのだ、と知って、ほう、という感慨もあった。

<3>につづく

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