「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<3>
「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<3>
喜多郎(著) 1981/06 講談社 単行本 222ページ 喜多郎関連リスト
★★★★★
1)前回の記事について、信頼すべき畏友M氏より、次のような書き込みをもらっていたので、こちらに再録しておく。
2)坂本龍一のコメントは、興味深い。
実は、音楽も幾多郎のは好きじゃないし、今は、ウォンさんの曲をよく流してます。
喜多郎の曲、最新のは分からないけど、初期のものは第四身体内部に自閉してるから、
デバカントの曲もそう、
よく似たところがあるけど、カルネッシュの曲は、彼方を指してるところあるので好感あり、
(私「Deuterはどうですか?」)
ドイターはいいです。
アヌガマは、もっといいけど、SNS上でのM氏からのレスポンス
3)このレスについて、私も感じるところがあったので、SNS上で会話を試みたのだが、どうも私はSNS上での会話は苦手である。ひとつに、相手によく思われたいために媚を売ることもあるし、相手の言葉の真意をつかむのに時間がかかってしまうこともある。誤解が誤解を生んで、バトルや炎上まで行かなくても、なんとなく不燃焼な想念を抱える時もないではない。
4)M氏の言葉にすぐにレスポンスできなかったのは、ひとつには、私はあまり音楽自体を必要としない人間であることによる。深く聞いてもいないし、まとまった感慨をもってもいない。ただ、そういう音の世界がある、ということだけは知っている、という程度にとどまる。
5)今回のこの本をきっかけとして会話を発展させようとすれば、いくつかのテーマが出てくる。
・喜多郎というアーティストについて
・坂本龍一というアーティストについて
・坂本隆一VS喜多郎というエピソードについて
・彼らが登場してきた1980年代初頭の文化状況について
・例えば、シンセサイザーとか、ロックとか、カウンターカルチャーとか。
・クラウス・シュルツ、タンジェリン・ドリーム、イエローマジック・オーケストラ、富田勇、喜納昌吉、グレイトフル・デッド、ファーイースト・ファミリーバンド、宮下富実夫、その他、などといった、当時の並び称されたアーティストたちとの比較。
・喜多郎の辿った、アーティストとしての変遷。
・瞑想音楽としての必要なもの。
・実際の瞑想に使われた音楽たち。あるいは楽器。
・世界。
・オリエンタリズムとは何か。西洋文化とは何か。アメリカとは何か。
・瞑想とは何か。音楽とは何か。エンターテイメントとは何か。
・コマーシャルとは何か。ビジネスとは何か。
・パーソナルと何か。ユニークとは何か。オリジナルとはなにか。クリエイトとは何か。
・ウォン、デバカント、カルネッシュ、ドイター、アヌガマの音楽とはどんなものか。
・「第四身体内部に自閉」とは、どういう意味か。
・瞑想音楽にふさわしい具体例。
・瞑想とは何か。
・音楽とは何か。
・人間とは何か。
・私は誰か。
・それについての自分自身の感じているもの。
・そして、それについての、世界の反応。
・などなど。
6)テーマとしてはどれも面白そうである。
7)しかし、当ブログの進行上、喜多郎というアーティストのこの50年の歴史をまずは追っかけてみることも面白いと思う。実のことを言えば、私は喜多郎の音楽は嫌いじゃない。聞くけど、正直いうと、すぐ飽きる。同じテーマ曲が繰り返されるから。だけど、何かの拍子に聞くのはいい。
8)パフォーマーとしての喜多郎についてはよしあしあるが、時代の流れの中で、音楽で生きていこうとした場合、あのような生き方があってしかるべきだったのだろう、と理解はできる。
9)「あざといオリエンタリズムが気色悪い」という評価があることは分かったが、じゃぁ、それを誰が誰に対して言えるのか、という疑問が湧く。少なくとも、坂本龍一自身が、喜多郎に対して言えるのかどうか、は疑問である。
10)少なくとも、ファーイースト・ファミリーバンドと、イエローマジック・オーケストラの、80年前後のヨーロッパにおける活動や反応をキチンと整理しておく必要を感じる。
11)坂本の発言は、あれこれ検索してみると、複数のテレビ番組で発言したことになっており、少なくとも4~5の番組名が登場している。これは坂本があちこちで言っているのか、あるいはネット上のネタが輻輳して歪曲されて面白がられているのか?
12)反面、喜多郎のほうは、シンセサイザーの使い方を、クラウス・シュルツや細野たち以外の方法で使いたい、と、割と冷静に反応しているように見受けられる。
13)ネット上では、この喜多郎VS坂本龍一は、面白ネタとして、多くの音楽ファンに楽しまれているようだ。これはこれで、炎上ネタとして貴重なものであろう。
14)ちなみに、喜多郎ネタはネット上で山ほどある。追っかけ切れないであろう。当ブログとしては、あと数冊あるらしき喜多郎本をカバーし、もう少し最近までの活躍をフォローしたら、その時点で、とりあえずフェードアウトしていこうと思う。
15)正直言えば、私個人の喜多郎おっかけは、彼が80年代初めに結婚した段階で、終わっていたのだ。一リスナーとしてさまざまな誤解を持っていたとしても、一パフォーマーに対する一人のリスナーとしての好き好みで言えば、それはそれ以上でも、以下でもない。
つづく・・・・かなぁ。
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