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2016/07/04

「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<2>

<1>からつづく

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「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<2>
喜多郎(著) 1981/06 講談社 単行本 222ページ 喜多郎関連リスト

1)この本、リアルタイムで所蔵していたのだが、現在わが書庫には見当たらない。すでに10年以上も前から蔵書は増やさないことを心がけてきたし、不要になったものはチリ交に出してきた。でもこの本は本来保存版だから、どこかにあるか、ひょっとすると友人に貸したかして、そのままになったのだろう。

2)少なくともこの本の中の一枚の写真をミニコミ「ツクヨミ」版の「湧き出ずるロータススートラ」に借用しているので、1992年あたりまでは所蔵していたはずだ。

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        p206

3)今回、図書館から借りてこの本を一気に読んだ。わずかこれだけの小さな本にこれだけ沢山の情報が詰まっているのだなぁ、とあらためて再認識した。前回(と言っても30年くらい前)は、なにはともあれ喜多郎はサニヤシンだよね、という確認の「証拠固め」(笑)として保存していたのである。

 彼は、ラジニーシから「橋になれ」とさとされた。そして、橋という意味を含むヒンズー名、”スワミ・デバ・セトウー”という名前を授けられた。橋になれ、人と人とのかけ橋、人と自然とのとのかけ橋、すべてが結ぶ橋になれ--その教えは、彼にとってきわめて意味深いものだった。p200「シンセサイザーと旅と」

4)今回この本を再読しようと思ったのは、ずっと気になっていたクラウス・シュルツとの絡みや、ファーイースト・ファミリーバンドの「実体」。そして演出される喜多郎の音の世界だけでなく、それが生まれてくるバックボーンについて、もうすこし調べてみようと思ったからだった。

5)喜多郎についての本は、それほど多くない。この本と、CD付写真エッセイ集「喜太郎KITARO」(2007/02 主婦と生活社 当ブログ未読未確認)、と、かつて夫婦だった人のエッセイ集「癒される旅―極道(ヤクザ)の娘が自分探し」  (田岡由伎1999/10 講談社)、それに「ファーラウト」から「ファーイースト・ファミリーバンド」までのバンド仲間だった宮下富実夫の三冊の著書あたりに限定されるのだろうか。

6)この本は1981年にでている。1953/02/04生まれの喜多郎28歳の時である。ちなみに私は一学年下なので、ほとんど時代体験は似ている。この当時、まだまだ喜多郎は、いわゆる土方とかコンクリートの穴開けとかのアルバイトも時にはしていたようである。

7)あの高度成長期からバブル期に向かっていた時代に青年期を送った我々には、このような生き方をしていた仲間たちは多かった。ミュージッシャンを志す仲間たちのこのようなライフスタイルも多かったに違いない。

8)今回この本を再読して、もう一か所、サニヤシンらしき形跡を見つけた。

 家には、二階に切り炬燵があって、ちょうどそこに茶釜を置けるようになっている。そこで、私は毎朝、囲炉裏でおこした火をそこに移すと、茶釜で湯を沸かし、一服の茶を点てる。

 それから、古ぼけた書見台にラジニーシの本などを載せて朝の読書にふける。一日のスタートからして、村の生活は快適そのものなのである。p144(長野--自然の恵みの中で」

9)この本、一人称と三人称が使い分けられていて、時には同じ状況について重ねて書いてあるところもあるが、いずれ、文章の達人とは思えない喜多郎からゴーストライターが聞き書きをしたのであろう。そのリフレイン自体は、相乗ステレオ効果があって、それはそれでなかなかいい。

10)「タンジェリン・ドリーム」やクラウス・シュルツとの絡みが気になっているのも、実は、Oshoの代表的な瞑想音楽は、チャイタニア・ハリというドイツ人がほとんど作っていて、彼(Deuter)はタンジェリン・ドリームに参加していた、と聞いているのだが、どうも確証が取れていないからだ。だれか詳しい人に聞けばすぐ分かることだろうが、ひとつひとつ辿って、調べていくのも、ボケ防止にはなる。

10)そう言えば、この本には、セブンやキヨシらしき人物たちも写真でゲスト出演している。(笑)

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   p142

11)今回検索していて、こんな記事を見つけた。

 坂本龍一がテレビ番組「テレビ探偵団」にゲスト出演した際、司会の三宅裕司から「嫌いなミュージシャンは?」と聞かれ、「あざといオリエンタリズムが気色悪い」という理由で喜多郎の実名を出して批判した。 Wikipedia

12)この坂本の発言はいつの時代のことかはっきりしないが、少なくとも、この本がでた1981年当時では、喜多郎が、自然に日本的なものや東洋的なものに回帰していった経緯はよくわかるし、「あざとく」演出されているかのような形跡はまったくない。

13)巻頭には当時の喜多郎のマネージャーとされる南里元子氏がコメントを寄せているが、そのタイトルは「マインド・ミュージックは80年代に生命を与えた」とある。

14)81年にでた本で、80年代を一喝しているのも見事だが、80年代にマインド・ミュージックは生命を与えられたのではなく、「マインド・ミュージック」が「80年代に生命を与えた」のである。

15)見事なコピーだ。

<3>につづく 

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