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2016/07/19

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<24>

<23>からつづく
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「ネグリ、日本と向き合う」
<24>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

★★★★★

1)夏のうだるような日差しの下で、昼寝をしようとおかずを探していて、またこの本を引っ張り出してきた。半年前に、自分なりに「精読」したつもりではいるが、それは、文中にでてきた書籍なり人物、概念を補完するためにあちこち支線をさ迷いながら、数週間、この本と戯れていた、という姿にすぎない。

2)そういう経過があったから、今日は、一気にこの小さな本を通読することができた。例によって、複数の人々が、それぞれの立場から書きこんでいるので、意味ととしては一冊通貫した主旨を持っているわけではないので、分からない部分は分からないし、気にいらないところは気にいらない。

3)それでもやっぱり、この本は、「あの」ネグリが、「この」日本と「向き合った」、という意味では貴重な一冊として残されているものである。

4)<帝国>とマルチチュードは、截然(せつぜん)として区別しうるものではない。というのも、マルチチュードの頭上に聳(そび)え立って、マルチチュードを服従させているように見える<帝国>もまた、その源流にまで遡って成り立ちを説明すれば、マルチチュードの構成的な力の産物であり、その痕跡であると見なされることになるからだ。

 <帝国>があって、マルチチュードの抵抗があるのではなく、逆に、マルチチュードの抵抗が、<帝国>の柔軟な支配を招き寄せているという訳だ。

 <帝国>は、マルチチュードに寄生している、とさえ言われる。<帝国>とマルチチュードは同じ素材、同じ生地からできあがっているのだ。p212大澤真幸

5)このタイミングでまたまたこの本を開いたのは、おそらく参議院選挙が終わり、それに続いて東京都知事選が始まっているからだ。都合21日の立候補者がでているとのことだが、マスメディアはほとんど3人の候補者に限って報道を続けている。今のところ、ほとんど三つ巴の様相だ。

6)増田候補は、元岩手県知事の官僚あがり。自民公明その他保守層の組織票をバックに登場してきた。立候補直前まで東京電力の外部役員をしていたというあたりから、結局は原発ムラの一味であるし、ネグリ流にいえば、原子力国家としての<帝国>のパシリである。

7)片や、ジャーナリストを肩書にしてきた鳥越候補はすでに76歳。いまさら「政治家」に転身などはかる必要はないのだが、みかけはマルチチュードのひとりにすぎない。あるいは、マルチチュード的なうねりを統一できるだろうという自負と期待によって登場してきている。しかし、その背景には、民進・共産・社民・生活など4党の組織に支えられての立候補だ。

8)それに対する小池候補は、女性でありながら、かつては自民党の総裁選にもでたような、極めて上昇志向の強い人物である。自民党の他にも、なにやら怪しげな組織票も裏でチラチラしながらも、今回は自民党の推薦を受けず、あるいは自民党を割る様な形での立候補ということで、ある意味マルチチュード的な捉えかたもされるし、組織的ではない、という意味では、その後援者たちはマルチチュード的である、とも云える。

9)これらの構図の背景には、直前にあった参議院選の結果があり、選挙フェスの三宅洋平や、シールズの奥田、あるいは、今回は都知事選の立候補を取りやめ、鳥越支持に回った宇都宮弁護士のような姿がチラチラする。

10)これらの様相をネグリたちのいうような<帝国>VSマルチチュードの図式の中に当てはめようとすると、それなりに面白い整理はできるのだが、結局は、本当の意味でネグリのいうような、「生政治」的な図式にはなっていないのだと思う。

11)そう思い出すと、本書の中では、概念やアカデミズムから離れた形で、社会における女性たちの活躍や、介護などの新しい形での社会的な参加を具体的にとらえた上野千鶴子の「日本のマルチチュード」は、あきらかに、もっともっとマルチチュードをうき立たせてくれているようだ。

12)個人的には、前回の舛添VS宇都宮VS細川のような都知事選より、ずっと覚めた目で、今回のうごめきを見ている。おそらく、「誰がなっても同じようなものだろう」。

13)そして、今回、万が一鳥越が当選して都知事になった場合、その人気中に東京直下型地震が起き、大混乱がおき、リスクマネジメントの不備さから、またまたいい加減な「ジャーナリスト」あがりの都知事は失笑を買うことにさえなるのではないか、などと危惧する。

14)おそらく、ネグリ達が語る政治を通しての<革命>と、私が愛するマスターOSHOの語る<革命>には大きな隔たりがあり、まったく別次元の営みなのであろうが、私個人はどうも、このような世事にもわずかではあるが関心を持ち続けている。

15)それは自らの内面的な直感力の弱さを示してもいるのであろうし、社会の中でしか生きられない自分の不確かさの証明でもあるだろう。内面にこもるつもりはないし、外面に関わり過ぎない、という意味ではバランスが取れている、とも言えるかもしれない。

16)いずれにせよ、今回はこの小さな新書一冊ではあるが、ネグリの本としては、かなりスムーズに通読できたので、ああ、すこしは読めるようになったなぁ、と自分なりにホッとした。

17)続いて、ネグリ&ハートの「コモンウェルネス」や「叛逆」も再読したくなった。

つづく

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