「喜多郎」 主婦と生活社 CD付き

「喜多郎」
喜多郎(著) 2007/01 主婦と生活社 大型本: 132ページ CD付き 喜多郎関連リスト
No.3754★★★★☆
1)大型カラーページ付き、CD一枚付き、ライフストーリー付きの、喜多郎ファンには垂涎の一冊と思われる。出版社も主婦と生活社。なんともやわらかい路線の一冊である。
2)カラー写真集は例によっての喜多郎コンサートのイメージそのままのシーンが並ぶ。
3)これまで読んだ 「喜多郎-マインド・ミュージックの世界」(1981/06 講談社)や「癒される旅」―極道(ヤクザ)の娘が自分探し( 田岡由伎 1999/10 講談社)で、おおよその前半生は語られていたが、この本においては2007の段階での人生振り返りである。喜多郎54歳。
4)ボルダーでのコンサートの時に、楽屋にすしを届けてくれあ日本人がいた。なんと昔の友人ではないか。10年ぶりに会う友人はボルダーに「寿司三昧」というおすし屋さんを開いていた。その彼に「ボルダーが気に入った。是非住んでみたい。このツアーが終わったらまた戻ってくる」と伝え、次のコンサート地に向かうバスに飛び乗った。
後にボルダーに戻り、自分の住むべき土地を求め、友人と一緒に、いろいろと見て歩き、ついに「ここだ」といいう場所を見つけた。p84「アメリカに住む」
5)これは「古事記」制作中だったというから、1990年の頃だろうか。
6)この「古事記」は、「シルクロード」に続く、僕の分岐点に位置した作品だと思う。そして分岐点をもうひとつあげるならば、01年についに受賞できたグラミー賞作品「シンキング・オブ・ユー」だ。p85 同上
7)以上が、この時点で喜多郎自身の自己評価である。グラミー賞はこの時点でも10数回ノミネートされてはいるが、実際に受賞したのは一回だけのようだ。
8)瞑想こそが、暴力的なものを平和のうちに解決してしまうものだ、と確信している。だから、僕は、人が瞑想してもらえるような音楽を作ることで、世界の平和に役立ちたい。わずかな力かもしれないけれど。暴力は絶対になくならないから、僕もまだまだたくさんの音楽を作らないといけないのかもしれない。p101「環境問題への関心」
9)ところで、今回もともと喜多郎おっかけの再燃のきっかけとなった喜多郎とタンジェリン・ドリームとの接触については、それほど多く語られているわけではなかった。
10)バージンレコードのリチャード・ブラウソンさんが食事を用意してくれたり、ロンドンを案内してくれたり。ブランソンさんはジャーマン・プログレの代表格バンド、タンジェリン・ドリームのプロデューサーでもあった。バージンは、ロンドン繁華街ピ化でリーサーカスに一店舗持っていて、ここでロンドンの音楽事情をかいま見ることができた。p56「ロンドンでレコーディング」
11)これは1975年のことであるから、喜多郎もまだまだ20を過ぎたばかりの若者であった。
12)この録音期間中には、英国以外の欧州各地にも足を伸ばした。ドイツ・フランクフルトで、僕たちは、タンジェリン・ドリームのドラマー、クラウス・シュルツに会った。シュルツはシンセサイザーと使った楽曲にも詳しくて、アンビエント音楽、テクノポップにも影響を与えた人。いろいろとシンセサイザー音楽の話も聞いたっけ。そして、何と、シュルツが「多次元宇宙への旅」の録音ミキサーとプロデュースを買ってでてくれた。これは感激した。p56同上
13)宮下富実夫 たちと行動していたファー・イースト・ファミリー・バンド時代のエピソードである。
14)76年3月に出された「多次元宇宙への旅」は、とても難しい作品になってしまった。今までやってきたことを全部捨てて取り組むような作品になった。何故って、インプロビゼーションまみれの作品だったから。
何を、どうしているのか分からない状態でえ演奏している感じ。前衛的と言えば、そうだけど、超問題作。即興の積み重ねが、メンバーの絆をかえってゆるめてしまって、バラバラな方向に向かわせてしまった。
アルバムのジャケットもすごくて、白装束に長髪のメンバーが和船に乗り込んで宇宙空間を航行している写真。完全にトリップしてしまっている感じだし、白装束に長髪というのも謎の新興宗教みたい。
結局、空中分解して、僕はバンドを脱退。その後、ベスト盤も出たり、ほかのバンドに入ったけれど、すぐに解散したりで、「どう進んだらいいのか」とちょっと迷い始めた。p56 同上
14)この本もまた、喜多郎が語ったことを編集者なりゴーストライターなりがまとめたものであろうし、純粋なライフストーリーと取ることはできないが、それでも、おおよその経緯は把握できる。
15)この本を持って、今回の喜多郎追っかけも一段落したので、当面お休みになるが、ここまで読んだり聞いたりしてきて、はてさて、喜多郎の魅力とはなんだろう、と改めて考えた。
・まずは直接のつきあいはないが、常に二次の繋がりの、すぐそばにいた存在であること。
・若くしてNHKシルクロードという発表の場を与えられ、早くからメジャーになったこと。
・その生活スタイルが、原寸大で、いわゆる我らが時代のひとつのシンボル的であったこと。
・もちろん、その音楽の質による。ある種のパターンに陥ったとしても、その独自性、喜多郎節は、実にユニークであり、またポピュラーである。
・直接は語られないにせよ、時代の流れに実に敏感であり、つねに正当性を持っていること。
などなどであろうか。
15)彼の存在なくして、この時代を生きた我々世代の風景は、もっと貧しいものになってしまっていただろう。私は、時折、また彼のことを思い出し、聞いてみようと思う。
| 固定リンク
「12)把不住」カテゴリの記事
- 「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<25>(2016.08.02)
- 「人工知能ガイドブック」 (I・O BOOKS)(2016.08.02)
- 「賢治の学校2」「いじめ」を考える 鳥山敏子(2016.07.31)
- Kenji's School; Ideal Education for All Toshiko Toriyama(2016.07.31)
- 「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<24>(2016.07.31)



コメント