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2016年7月の47件の記事

2016/07/31

「賢治の学校2」「いじめ」を考える 鳥山敏子

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「賢治の学校2」「いじめ」を考える
鳥山 敏子   (著) 1998/05 サンマーク出版 単行本 230ページ
No.3763★★★★★

1)「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる 鳥山敏子(1996/03 サンマーク出版)の続編。

2)ちょっと不思議に思うのだが、この本の再販価格が異常に安いのだ。アマゾンの中古本に1円が並ぶ。もちろん郵送料がかかるので300円弱の出費にはなるが、それでもやはり異常である。もとの「賢治の学校」も1円だったので、すでに一冊入手済みである。

3)当ブログはすでに4000冊近くの本についてメモしているが、中古本としてもこれだけ安い本はそうそうない。なぜか。今のところ、なぜなのか私にはわからない。おそらく、この本「2」も面白いので、おそらく私用に一冊入手するかもしれない。

4)「賢治」ブームは、必ずしも反対するものではない。賢治は賢治で立ち上がっていくべきである。賢治をキーワードとして、多くの人々と共感しあうことはとても貴重な体験である。

5)しかし、いろいろ考える。賢治は賢治で素晴らしい。学べど、読み込めど、深い感銘を何度も何度も受け続けることになる。それなのに、いくつかの疑問もまた立ち上がってくる。

6)この夏、私は個人的に二つの大きな誘いに乗っていた。一つは60年代からのカウンターカルチャーの流れであり、もう一つは、日本の霊性に深く忍び込んでいるエソテリック・サイエンスの流れである。

7)私自身、強い関心を持っており、さらには人的に信頼できる友人たちの強い引き合いがある。今からでも私自身は参加するかもしれない。

8)しかし、このとき、「私」とは誰なのか? このときの私とは、どちらかというと「頭」である。思想性であったり、哲学的であったり、思考の流れにつよく同調しているレベルでの話である。

9)その「頭」に、強烈にストップをかけているのが、私の「体」である。この夏の大きなイベントの二つに、「私」は参加しないことを決めた。決めたというより、参加できるような「体」にはなっていない、ということである。

10)具体的には体力に無理がでているようなのだ。それを単に疲労とか事故とかいうレベルで片づけるのではなく、天からの啓示として受け取ることも可能なのだ。

11)ちょっと極端にいうと、私には、カウンターカルチャーへの関心も、エソテリック・サイエンスにも強い関心を持っている。だが、常に、それに対する疑問や違和感も持っている。心から100%OKと言っているわけではない。つまり、どこか好奇心的で、野次馬的で、覗き趣味的だ。そんなことでいいのか。

12)端折っていえば、私は、この二つの流れとの間に距離をおく必要を迫られたのだ。考え直せ。もっと大事なことはないのか。すでに体力も、時間も、持てるチャンスも減っているぞ。残されているチャンスを使うのに、そちらにどんどん流されていっていいのか?

13)結論から言えば、まもなく終わる当ブログの現行カテゴリを継ぐ形で、次なるカテゴリは「OSHO my love」にしようと思っている。

14)そうしてから、あえて賢治を見つめなおすと、私は私なりに賢治を批判的に見つめなおし、アンチテーゼを出しておく必要も感じることとなる。

15)・今生きていれば賢治は120歳だ。彼の時代と、私たちの時代の、その状況のすり合わせが、必要だ。
・農本的な産業構造が、これから日本のみならず、世界の地球上の基本となりえるのか。
・子供や教育という、そういうターゲットに絞りこむだけでいいのか。
・賢治の時代の科学は、むしろ黎明期にあった。現在の地球上の科学は、反省期、あるいはほっかぶり断行期に来ている。
・電力について、賢治はどう見ていたか?
・職業について、親について、地球的環境の危機について、賢治はどう考えている?
・そもそも、イメージを投影しやすい賢治を持ち出して、各人がそれぞれに自分のマインドやプロジェクトをまとわせることに、どうも悪辣な作戦を感じてしまうのだが。
・賢治、賢治のブームは、私は別段に邪魔ではない。わかりやすい。しかし、どうも私の「頭」に反して、「体」はそう考えていない、そのことを痛感する。

16)鳥山敏子の「賢治の学校」について、面白い、と思う。それは、鳥山が面白いのだろうか。賢治が面白いのだろうか。あるいは、鳥山+賢治、という取り合わせが面白いのだろうか。

17)「体」よりもどちらかというと「頭」志向性の強い私ゆえ、今後どうなるのかわからない。しかし、当ブログのかじ取りとしては、ここは、賢治に投影してきたエネルギーを、もともとの本筋であるOSHOへと回帰していくことにする。

18)そういった意味において、この本は当ブログのターニングポイントに位置する大事な一冊となった。

つづく・・・かも。

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Kenji's School; Ideal Education for All Toshiko Toriyama

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Kenji's School; Ideal Education for All 
by Toshiko translated into English by Cathy Hirano Toriyama (Author)    Be the first to review this item Paperback  – 1997 Paperback Publisher: International Foundation for the Promotion of Languages and Culture, Language: English
No.3762★★★★★

1)「賢治の学校」宇宙のこころを感じて生きる(1996/3 鳥山 敏子)の英語版。

2)あまりに内容がよいし、また内容的にも世界中に知らしめたい、ということで英語バージョンもできたのだろう。

3)賢治は世界的にどう評価されているのだろう。それだけ知られているのだろうか。
 
4)「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラは、英語に翻訳される時、そのイタリア人的な名前が誤解を生むかもしれないということで、KenjiとMinoruと名付けられているようである。

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<24>

<23>からつづく   

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<24>モバイルバックをゲット

1)今日も行く行く、モバイルバック探検隊。昨日は、大型文房具店やらショッピングモールやら、だいぶ探し回って、結局なかった。あちらが立てば、こちらが立たず。帯に短しタスキに長し。どうもいまいち、決まらない。

2)判断基準は大きく分けて3つ。まずはキチンと13.3インチPCが収まらなくてはならない。大きすぎてはいけないし、もちろん、小さくてはみ出すようでは役立たずである。

3)ポケット類なんてたくさんいらない。私は基本的にAll in Oneが大好き。大袋にポンとなんでもいれておくのだ。もちろん衝撃や梅雨あめからも守ってくれなくてはいけない。色もあんまり派手なものは使えない。できれば紺か黒だ。

4)二つ目は、肩掛け紐をつけることができること。中学校時代はズックの肩掛けカバンだったので、割とあれが好きなのだ。若い時分には測量士が使うような現場バックを肩にかけて、紐をながながと伸ばして歩くのが好きだった。

5)手持ち型も、リュック型も今回はパス。大体、それなら別に買わなくてもすでにある。今回は肩掛けモバイルバックで、PCを持ち歩くのだ。両手は自由に使いたいが、財布や手帳やコード類も一緒に入れておきたいし、すぐ使いたいので、リュックでは、ちょっと面倒すぎる。

6)あとは値段だなぁ。あれこれ見て、あんまり安いのも困るけど、一桁数字が違っているのも困る。いくら気に入っても妥当な値段でないと、納得感がない。長持ちもしてもらいたいし、あんまりケチるつもりはないが、おしゃれすぎるのも、ちょっと困る。

7)いやはや、単純に、この三つの条件なのに、まったくお気に入りが見つからない。デザインバックは、形がちょっと絞ってあったりして、角が収まらないこともある。アウトドアショップでは、リュック型が多い。家電店でもPCバックコーナーがあるのにも関わらず、どうもユーザーのことを考えていないのかぁ~、というような品揃えである。

8)今日も歩いた歩いた。ヘトヘトだ。

9)そういえば思い出した。前のPCを買ったときも、業務用でPCを持ち運ぶためにレザーのカバンを買ったのだ。あのときもだいぶ探し回った。結局町中のカバン専門店オリジナルの商品だった。なるほどオリジナルであるだけあって、なかなか考えられている。いまでも愛用している。欠点と言えば、あまりにもビジネス用すぎて、ちょっと遊びにいくようなカジュアルな環境には似合わない。

10)数年前にiPadを使うようになった時も探し回った。いつでもiPadを持ち歩いて、客先でプレゼンできるように。あのときは、結局、アウトドアコーナーで、ちょうどうまい具合にぴったしサイズのカバンが見つかったのだ。

11)あれもこれも、自分なりに吟味したから、今でも飽きることはないし、壊れていない。今でも十分使えるし、これからも環境が変われば、またすぐ復活してくるだろう。

12)しかし、今回の注文は、ビジネスシーンだけではなく、カジュアルにも趣味にも、ちょっと近所の買い物にいくにも、違和感のないものがほしい。

13)そして、ちょうどうまいサイズに13.3インチPCが収まってほしいのだ。あまりプカプカでも困る。入らないのは、もっと困る。多少の衝撃にも耐えるように。ある程度の周辺機器も収まるように。

14)ああ、それなのに、それなのに。いくら探してもない。どうもいまいちだ。色が赤いや黄色では困る。何万もするようでは、PC代を節約した意味がない。ポケットなんかいらないが、ケースの蓋の部分がカットされているようでは、雨天のとき困る。

15)縦型なのか、横型なのか、どちらでもいいが、デザイン重視で、一方がしぼんでいて四角いPCを台形のスペースに入れなくてならないのは、やはり困る。コード類も入れたいしなぁ。

16)スポーツ店。無印良品店。文房具店。楽器店。ユニクロ。電化店。カバン専門店。革製品店。ブランド店。いやはや、どれもこれも、いまいちである。あちらが立てば、こちらが立たず。ああ、今日もだめか。

17)疲れ果てて、腹も減ってきた。そろそろ飯だな。

18)ああ、今日もだめだ。飯食って出直そう。最後のあの店を覗いて、あとは後日出直しだな。

19)そう諦め顔で最後に入ったお店に、実は、上の私の要望三要素がぴったりはまるカバンがあった。大きさ、色、機能、価格、ほぼ私の希望ぴったりである。若干残っていたポイントも使って、ようやく希望の品をゲット!!

20)う~~ん、これはいいや。探し回ったかいがあった。これで、明日からは、いよいよモバイル本番だぞ。

<25>につづく

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「修羅」から「地人」へ 物理学者・藤田祐幸の選択─ 福岡 賢正 (著)

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「修羅」から「地人」へ ─物理学者・藤田祐幸の選択─
福岡 賢正 (著) 2014/05 南方新社 単行本(ソフトカバー)183ページ
No.3761★★★★★

1)藤田祐幸さん。私の場合は、自らの立場を考え、尊敬と感謝を込めて、藤田祐幸先生、とお呼びすべきであろう。

2)1986年、私は慶応義塾大学の通信教育の学生として、大学キャンパスのスクーリングで一般物理の講義を受講した。その時の講師が藤田先生だった。私の専攻は文学部の哲学や心理学を中心とするコースだったが、カリキュラム上、物理の授業や実験を受講する必要があった。

3)私は先生の講義を積極的な意味において選択したのではなかったが、実に印象深い授業だった。

4)1986年4月、当時のソ連の原発チェルノブイリで大変は事故が発生し、世界中が恐怖の中に突き落とされていた。本来、一般物理の地味な授業のはずだったが、先生は昇段するなり、チェルノブイリの話を始めた。

5)私はもともと反原発派ではあったが、ここでいきなり原発の話になるとはまったく想像していなかった。虚を突かれただけに、二時間だったか三時間だったかの先生の講義には釘づけになって、聞き入った。

6)先生は、その中で、チェルノブイリとはロシア語で「苦がヨモギ」を意味し、さらにそれは、聖書の中の不気味な予言書「ヨハネ黙示録」にある「苦がヨモギ」と同じであることを語られた。私にとっては、驚愕の講義であった。

7)放射能の現場をさまよう「修羅」から、循環型社会のあり方を地に根を張って示す「地人」へ。自らの選択を藤田さんは宮沢賢治の言葉を使ってそう語る。彼はなぜ原発反対に人生をささげ、その末に「地人」として生きることを選んだのかp12 福岡 賢正「市民側に立つ科学者へ」

8)この本は、そもそも2012/04~2013/03まで毎日新聞西部本社版に連載された記事に、加筆修正、記者だった福岡賢正が一冊にまとめ、2014年05に刊行されたものである。

9)1942年、千葉県生まれ。反原発学者として知られる小出裕章氏は1949年生まれだから、そのさらに7歳上。時代としては60年安保世代の一人となる。二人とも未来に輝く原子力の夢にひかれて物理学を学び始めたものの、原発の本質を知り、大学に残って、反原発の研究・啓蒙に一生をささげた人々である。お二人とも助教、助教授という立場に、あえて甘んじた潔さが際立つ。

10)定年まで1年を残し、慶応大学助教授の職を辞して下したその選択を「『修羅』から『地人』へ」と宮沢賢治の言葉を使って語るように、藤田さんの人生の背骨になって支えてきたのは賢治の生き方への共感だ。その賢治に『ボラーノの広場』という作品がある。p159「宮沢賢治を生きる」

11)藤田先生、小出氏を初め、宮沢賢治を語る人は多い。すべての人々が賢治につながっていくような感じさえする。特に3・11後においては、すっきりと賢治が畑に立っているイメージがさらにさらに強くなる。

12)先生は今年2016年7月18日、お亡くなりになった。衷心よりご冥福をお祈りいたします。合掌

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2016/07/30

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<23>

<22>からつづく  

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<23>街にPCを持ち出してみる

1)今日で三日目か四日目か? おそらく一週間も使えば、だいぶわかるだろうが、まずは、毎日毎日、新しい体験の連続だ。

2)今日はまずバッテリーがどのくらい持つかが気になった。一晩コンセントが抜けていたのだが、それを補充しないで外出してみた。半分くらいだったが、別におどおどしないでも済んだ。そもそも、車には100V電源を取ることができるようにしてあるし、バッテリーコードも持参した。

3)フル充電で8時間半、というのは、すこし短いように思うが、これがずっと続くならおそらく問題はない。それとテザリング。スマホから飛ばしているのだが、契約内の接続容量で十分なようだ。

4)喫茶店とか公園のベンチなどでは音など気にならないが、図書館の閲覧コーナーでは少し音が気になる。キーボードなどは何の問題はないが、なんとマウスのクリック音が気になる。別段にクレームをつけられたわけではないが、新聞をめくる音などに比べれば、図書館においては、不連続に続くクリック音は、自分でも気になる。

5)調べてみれば、無音のサイレンスマウスというのも存在するようなので、そのうち準備することにしよう。ほんの数千円の商品である。私はタッチパネルでもなんとかできるが、やはりマウスがあったほうが、ストレスは少ない。

6)さてと、モバイル環境を整えるには、モバイルバックが必要である。今日はなんとそのバックを求めて彷徨った。まずは近くの文房具店。いろいろパソコンバックはあるのだが、どうも帯に短しタスキに長し。いまいち気にいらない。

7)大きすぎる。小さすぎる。重すぎる。肩掛け紐がつけられない。ポケットのカバーがない。高すぎる。ポケットが多すぎる。

8)それから近くのショッピングモールへ。普段はあまり気にもとめないのだが、実にあちこちにカバンコーナーがあるものだ。ビジネスバック、スポーツバック、旅行用バック、アウトドアバック、デザインバック。女性用、男性用。金属製。ビニール製。布製。レザー製。どれもいまいちだなぁ。

9)今日はまったく気にいらないものばっかりだったので、歩き回ったうえで、手ぶらで帰ってきた。ああ疲れた。というべきか? いいウォーキングになった、と感謝すべきか。

10)とにかく私はモバイルでブログを書きたいのだ。

11)あらためてPCを準備して持ち歩くのではなく、普段からチョコンとPCをつねに常帯して、いつでも使いたいのだ。自宅と出先で区別のない通信環境を常に準備しておきたいのだ。

12)SSDだから静かではあるが、やはり熱を持つ。放熱についてもこのV13機はそれなりに考えられている。性能に影響がでてくるほどではないだろうが、熱はキチンと放熱される必要がある。

13)私が本当にモバイルで仕事をするなら、ファックスとプリンターが必要となる。プリンターはおそらくモバイルプリンターで間に合う。小さなプリンターを車に積んでおけば、いつでも印刷できる。バックで持ち歩くなら、電源関係も必要になるので、これはちょっと大事だ。

14)ファックスはいずれすたれる技術であろうが、今はとにかく必要だ。日本のビジネス慣習ではファックスは必需品である。現在のモバイル環境でもファックス送信は可能になるようではあるが、当オフィスでは、まだそのようなものを導入する余裕はない。でも、いずれ考えるぞ。

15)完全に充電するには1時間くらいで大丈夫のようだ。

16)そういえば、もうすたれたサービスなのかもしれないが、そのうちセカンドライフをバーチャルゲームで試してみよう。

17)スイッチのオンオフは、ほんの数秒でOKだ。私はこれで大満足。

18)OSが変わったからと言って、PCの利用技術はそれほど大きく変わることはない。しかし、そもそもがビジネスストレスフリーのうたい文句通り、まったく気にならない環境で、仕事に、ワークに、作業に、趣味に集中できることはすごい。これはいいなぁ。

19)明日以降、またまた歩き回ってみよう。

<24>につづく

 

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2016/07/29

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<22>

<21>からつづく  

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<22>新PCで何をしたいの?

1)ゆっくりやろうと思っていたのだが、今日は設定がわりとスムーズに進んだ。フリーオフィスをインストール、業務用ソフトをインストール、アンチウィルスソフトをインストール、モバイル環境をインストール。とにかくほとんど、これでメインPCの環境がほとんどできあがったことになる。

2)逆にいうと、今までの環境と同じような内容なので、あまり変わり映えがしない、というぜいたくな悩みもあるが、それは逆にいうと、今後それなりに新しいカスタマイズに挑戦していけばいいのだろう。

3)いつまでも、とどまってはいられない。この新PCの設定がちゃんと整うのであれば、ほかの古いPCの再設定が残っている。

4)ネットワークDVDドライブ、iTuneの再点検。モバイル・ノマドの推進、バッテリーの持ちの確認、バックの準備。実際に使いこなしていくことで、さらなる設定の熟成ということになるだろう。

5)今回は、このPC選びが今回の把不住カテゴリの大きなイベントになったが、他の流れでは、カウンターカルチャーとエソテリックの流れの横波があった。それとシンギュラリティ。

6)でもなぁ。メインはやっぱりOSHOだよ、当ブログは。そういうことを再確認したカテゴリだった。

<23>につづく 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<21>

<20>からつづく 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<21>ただいま設定中

1)いろいろ設定中。家人に言わせれば、DVDドライブもなく、オフィスもついていないPCにしては高すぎるのではないか、と言う。本当にそうだろうか。

2)まずはDVDドライブに関していえば、たしかにまったく不要ということではないのだが、いずれは不要になる過去の技術のように思える。実際、プリンターもオンラインでソフトをダウンロードし、WiFiつながりで印刷できるようになったし、オフィスも使えるようになった。

3)そうそう、オフィスもいろいろ考えた。しかし、仮に100KYのPCに40KYのオフィスは高すぎるだろう。それに特定のオフィスでなければならないなんてことはない。私はむしろ、文章を書くときに、表計算ソフトを使って箇条書きに書く癖があり、そのような用途で使えれば十分なのである。文章作成ソフトなんてほとんど使わない。面倒すぎる。

4)ところで、このOOoつまりオープン・オフィス・オーグは、長いこと関心を持っていなかったが、だいぶ名前も変わったようではあるが、実際には簡単にダウンロードできて、インストールも完了した。つながったプリンターで試し印刷も終わったので、これはかなり使えるPCになってきた、といえる。

5)昨日、ついたばかりのPCではあるが、だんだんわが身に身についてきた。これからはいくつか重要なことが待ち構えている。

・アンチウィルスソフトはどうするのか。
・仕事と連動するのはいつからにするか。
・iTuneなどの引っ越しがうまくいくか。
・かつての古いアプリ類のソフトのインストールと動作確認。
・モバイル環境の確認。どこまで耐えてくれるのか。
・容量の確認。外付けSDDなどが必要となってくるのか。
・マウスは新しいのを準備すべきかどうか。
・アップル類との連動はどうか?
・画面のカスタマイズ
・などなど

6)バッテリーはフル充電の状態で8時間半の稼働残り時間であるようだ。もう少し長くてもいいはずだが、省電力モードなど、設定をいろいろ工夫してみよう。ちょっとしたモバイルなら、電源コードは不要だろうが、だんだんバッテリーの寿命も短くなってくるだろうから、その時になってみないとわからないことがある。

7)キーボードの使い勝手は非常によい。音も静かだし、ちゃんとした打鍵感がある。キーボードのバックアップランプがつくのもなかなかよい。もっとも、光らなくても私はタッチタイピングができるので、これを消すことができるなら、あとで消そうと思う。

8)PC本体の重量だが、例えば、iPad3と専用カバー、それに物理キーボードを持ち運ぶよりも、こちらのモバイルPCのほうが軽い。だから、私の場合は、iPad3はベッドサイドのネット閲覧専用となり、客先へのプレゼンは、こちらの新PCで十分ということになろう。

9)もっとも、大きさはiPadより大きくなるので、モバイルバックを新しく買わなくてはならないが、どっちみちパンフレットや書類がA4判中心なので、新しいバックは必要だったのだ。とにかくこのPCを常に持ち歩けるような環境づくりをしてみようと思う。

10)なにはともあれ、滑り出しは順調だ。

<22>につづく 

 

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2016/07/28

「Tarzan(ターザン)」 2016年 7月14日号 [自律神経 チューニング術]<2>

<1>からつづく

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「Tarzan(ターザン)」 2016年 7月14日号 [自律神経 チューニング術]<2>
マガジンハウス; 月2回刊版 (2016/6/23) 雑誌
★★★★☆
 
1)おっと、当ブログで「ターザン」を書くのは初めてなのか? 昔、というか、かなりダイエットにこだわっていたとき、そうそうかれこれ20年近く前のことだが、あの頃は、結構この「Tarzan」愛読していたんだよなぁ。
 
2)バックナンバーも結構とっていた。
 
3)だが、いつの頃か、この雑誌は見限った。なぜか。
 
4)ダイエットは効果があったのだ。たしかにそれはちゃんと効果があったのだ。しかし、何度もリバウンドした。何度も何度もリバウンドしたのだ。だから、あきらめた。自然体がいいだろう、そういう悟りを得たのだ。
 
5)しかしだ。やはりダイエットは必要だ。
 
6)ということで、最近、割とダイエットは成功しつつあるのだ。そうそうつまり20年ぶりになんとか形になりつつある。そうなると、どうもこの雑誌も気になるようだ。
 
7)今回の特集も「自律神経チューニング術」。なんとなく怪しくていい。いやいやこの雑誌はあまり怪しくないのだ。結構科学的で、知性的。決して雑誌のタイトルのごとく野生的ではない。
 
8)そしてだね、本当は、第二特集のほうがもっと気になっていたのかも。
 
9)「ビジネスエリートも注目の瞑想術 マインドフルネス入門」!! 最近、これが流行なんだよね。いろいろ意見はあるが、こういう流行は私は好きです。
 
10)というか、ほんとは中身まだ読んでないんだよね。もう買って1か月くらいになるのに。その辺にぶん投げておけば、そのうち暇をもてあまして、読んでみようかな、なんて思うときもくるかもな。
 
11)それまでは、表紙だけ眺めながら、中身をすこし想像することにしよう。
 
12)それにしても、ターザンが当ブログ初出だったとは。この雑誌も出しておきたいよね。
 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<20>

<19>からつづく 

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<20>新PC到着!\(^o^)/

1)新しいPCが届いた。

2)思うところはたくさんある。まずは軽い。静か。早い。いいことはたくさんある。だが、まだ味わい尽くすというところまでは、当然いかない。これからすこしづつやっていこう。

3)PC本体は、これだけ悩みに悩んで選んだのだから、当然、納得感は高い。しかし、問題はOSである。同じWinでも、長い間なじんだ環境がそれなりの必然性があったのだから、いままでの環境は懐かしい。

4)新しい環境は、どうもいまいち使いにくい。余計なものがたくさんある。あれもいらないし、これもいらない。必要なのはほとんど限られているんだよなぁ。

5)そういえば、この雑誌には、「Windows10の使い方を学ぼう! Windows10超入門」というページがあった。わずか10ページほどだが、それでもWin10超ビギナーの私には、たぶん役に立つんじゃないかな。

6)なんせ10年ぶりの新しいWin環境である。まぁ、ここもいよいよ文句ばっかり言っていてもしょうがないだろう。楽しんでいくしかないな

7)今後は、いろいろ設定しなきゃいけないことはたくさんある。とにかくなれるしかないよなぁ。

8)ということで、今後もこの新V13機で書き続けることにする。

<21>につづく

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2016/07/24

「スピリチュアリティと芸術・芸能」 講座スピリチュアル学 <7>

<6>からつづく 

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「スピリチュアリティと芸術・芸能」 講座スピリチュアル学第六巻<7>
鎌田 東二(著), 佐々木 健一(著), 高橋 巌(著), 篠原 資明(著), 梅原 賢一郎(著), & 4その他    2016/04 ビイング・ネット・プレス 単行本(ソフトカバー): 244ページ 「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト  
No.3760★★★★☆

1)この講座シリーズの読み方は、まずは企画・編集者である鎌田東二の「はじめに」と「終章」を読み、あとは10人程度の文章の中に、どれかひとつお気に入りを見つければ、それで十分、というものであろう。

2)このシリーズと同時に刊行されていた角川インターネット講座との違いは、こちらはどうしても鎌田カラーを逃れることはできないのに対し、角川講座のほうは、各巻それぞれに編集者がいるので、かなりの幅をもつことができる、というところにある。

3)ところがどっこい、この巻は、高橋巌のシュタイナーを初めとして、それぞれに面白い。独立した論文としてなら、それはそれで興味深い。

4)しかし、それらをこのシリーズのこの巻に収める、というところに、逆にどうしても編集者の個人的な出会い的なカラーが垣間見えてくる。

5)このシリーズもいよいよあと残すところ第七巻のみ。全巻を見通したあとに、もう一度再読するチャンスを狙うものである。

<8>につづく

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「星の街仙台」 ベールを脱いだ呪術都市 稲辺 勲

W2343da5be8「星の街仙台」 ベールを脱いだ呪術都市
稲辺 勲 1999/11 IPO B5パンフレット p30
No.3759★★★★★

1)いかにも月刊雑誌「ムー」から切り出したような作りの小冊子である。デザイン、写真、文章、どれを取っても「一流」である。このまま市販本の人気ランキングに入ってもおかしくないような一冊である。

2)しかるに、どうも解せない点がいくつかある。通常であれば、まずは著者紹介がある。写真と簡単な略歴があってしかるべきであろう。せめて何年生まれで、現在の所属とか・・・・。まぁ、すでに17年前の出版であれば、変更点も幾つもでてきて当たり前だが。

3)私は、たまたま数日前ネットで検索していてこの小冊子があることを知って図書館から取り寄せたのだが、ネットでこの本のタイトルを検索して行けば、内容の全体がほとんど分かってしまう。ただ、もともとはこうして一冊の本として存在していたのであり、ここまで出来上がるまでのエネルギーに敬服するものである。

4)ここからは単に個人的な推測にすぎないが、作者は50年配(ということは出版当時30代半ばか)の男性。仙台市近郊で出生し、あるいは育って、県内の高校を卒業し、現在はどうやら街中で「居酒屋」か「バー」のようなものを経営されている方、というイメージがある。

5)この本の骨子は、400年前に伊達正宗がこの地に街を築くにあたり、神社仏閣やその他施設を意図的に配置した、というものである。中世都市国家の建設にあたり、風水のようなグランドスコープを持ちいたことは、なかば当然化されているのであり、それは多いにあり得ることだ。

6)しかしまた、仙台に住まう人々や正宗に関心を持つ人々にとって、じゃぁ、それではどこがどうなっているのか、という視点は、実に新しいものと思われる。

7)仙台城本丸、愛宕神社、榴ヶ岡天満宮、仙台東照宮、青葉神社、大崎八幡宮、亀岡八幡宮。仙台に住まう私たちにとってはなじみの深い社名だが、これらがひとつひとつの繋がりを持って、しかも全体として大きな意味を持っていたとしたら。しかも、おおやけには知られずに、秘密裏に物事が進められていたとしたら・・・・・。

8)このレベルの関心になると、おそらく雑誌「ムー」などを「愛読」しているような愛好の志にとっては、もはや当たり前の内容なのかもしれない。あるいは、もともと密かに語り継がれてきたことが、今回なにかのきっかけで浮上し、あるいは「解き明かされ」、あるいは意図的に「流布」されている、と見ることもできないわけではない。

9)その他、白虎、朱雀、青龍、玄武などの四獣をどこに見るか。東西南北をどこに見るか、どこに交差させるか、させいないか。角度、鬼門、柔術・・・・などなど、無責任に野次馬根性で見る分には、なるほどね、仙台も「ちゃんと」風水していたね、ということになる。

10)しかしまた、もうすこし突っ込んで関心を持ったとして、じゃぁ、それがどうした、ということになる。それらが「呪術都市仙台」の証拠であったとして、だからどうした、現代に生きている私たちにどう関わってくる? という問題意識の変換がある。

11)面白い「発見」ではあるが、そこんとこが「弱い」。

12)ただ、そこまで言ってしまっては、あまりにつっけんどんである。少なくとも、身近な自分たちの街に、少なくともこれだけ多くの施設があり、これだけの歴史があり、いままで何の繋がりも感じず通り過ぎていた施設やポイントが、これだけの意味を持っていた「かも」という可能性を持って、散歩し、ウォーキング、散策、見物、参拝、再考するのは、とても面白いと思う。

13)すくなくとも、漫然とポケモンGOなどをやるよりは、はるかに面白い!!❤と、還暦はるか越えの私なら思う。

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「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる 鳥山敏子<2>

<1>からつづく

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「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる <2>
ハードカバー– 1996/3鳥山 敏子(著) 1996/03 サンマーク出版

1)不思議な本である。ネット通販では、この中古本が1円で売られている。たまにそういうこともあるが、この本はたくさんの本が1円で売られている。もちろん通販で買えば送料がかかるのでまるで1円ということはないのであるが、それにしても、1円とは。

2)しかも気になるのは、1円で売られているのは1冊だけではない。たくさん売られているのだ。どうしてだろう~~。

3)いくつかのことが考えられる。①内容が悪いので人気がない。②初版時たくさん売れたので、再流通の供給量が多い。③発行された時点と現在では、評価にかなりの差がある。④現在は類書が台頭して埋没している。⑤出版者が在庫を大量に再販ルートに流した。⑥みんなに読んでほしいと、再販店が出血サービスをしている。などなど・・・?

4)なにはともあれ、私も一冊この際だから、入手することにした。

5)賢治については、私の場合は3・11後だが、だいぶいろいろな本を読み、いろいろな感想を持ち、いろいろ書いてきた。まとめようにもまとまらないが、なにはともあれ、拙い私と賢治の接触場面をリストアップしておく。

6)賢治の雨にも負けずには、小学校の時から聞いているが、決してあの時から、という記憶はない。暗証するほどではなかったが、身近にあった。

7)中学校になって、石川裕人と一緒のクラスだった中一の時、国語の時間に「永訣の朝」を読み、あめゆじゅとてちてけんじゃ、が頭に刷り込まれた。

8)当時、新聞部でよく使っていた図書館には、賢治が畑の中でコートを着てうつむいている例のあの写真が、何の説明もなく、ポンと窓の上に飾られていたことが、ひどく目に焼きついている。

9)私たちの共同体で作っていたミニコミ雑誌「時空間」に、私より二つ年配の史歩さんが「春の修羅として」という文章を書いた。私はそれだけで彼女がすごく大人に見えた。

10)20過ぎて、1975年ミルキーウェイキャラバンの帰り道、途中の宿泊設備として使われた、私たちの共同体の廊下に、誰のものとも判明つかない小さなテープレコーダとテープが一本残されていた。私はその中の一曲「雨にも負けず」を何度も何度も繰り返して聞き、すっかり覚えてしまった。あれは誰の作曲だったのだろう? おそらく北海道でのコンサート風景だ。

11)25才になって、インドから帰り、ふたたび学校にもどって農業を学ぼうとした時、口にの悪い古い友人が、今から賢治になるのか、と冷笑した。その時、私はひどく反発したのだが、おそらく友人の見方は正しかった。

12)加藤哲夫さん達が「センダードマップ」 もうひとつの生活ガイド〈仙台・宮城版〉(1987/09 カタツムリ社)を出した時、センダードとは、イーハトーブの隣町仙台のことだと知った。みんな賢治が好きなんだ、と気づいた。

13)おそらく、この本がでた1996年頃になって、M氏より賢治についての感想を聞かれた。私は、あまり深い感想を持っていなかったし、正直言ってあまり関心がなかった。おなじ「東北人」としての共感する部分が多すぎ、あまり距離を置いて、意見を述べるようなことはできなかった。

14)ずっと年月が経過して、「足に土」 原人・アキラ  須貝 アキラ 追悼集(やまびこ編集室 1998/9)に短い文章を寄せた時、私はアキラに対して「賢治」という形容を二度使っていた。

15)この頃、畏友・石川裕人は盛んに芝居のモチーフに賢治を用い、また賢治そのものを上演していた。私の中には、この具象化された賢治の姿が強くインプットされている。

16)その後、花巻の賢治記念館を尋ねたのは3・11東日本震災のあとだった。その後については、当ブログの賢治の項に詳しい。

17)3・11後、各方面から賢治が立ちあがった。石川裕人は、すっかり賢治と同化したような経過をたどった。そのプロセスで私の賢治像はますます肥大し、また石川の演劇も成熟した。

18)この度、ふたたびみたび、賢治の里を訪ねる。M氏たちと同行する。待ち遠しい。

19)この本には英語版もあり、続編もある。

つづく

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「ミニ・ビオトープでメダカを飼おう!」 ビオトープで楽しむ小さな生き物の飼育 小林道信

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「 ミニ・ビオトープでメダカを飼おう!」 ビオトープで楽しむ小さな生き物の飼育
小林 道信 2009/04 誠文堂新光社 単行本 159ページ
No.3758★★★★☆

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1)通りを走っていたら、「メダカあります」の表示。ふむふむ何やら気になるなぁ。たしか他でもたしか見たぞ。ひょっとすると最近これってブーム? あるいは、前からあったのに、私自身が最近気になりだしたので、こういう表示が目に入るようになったのだろうか?

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2)最近そう言えば、わがガレージオフィスでも、水槽で水草を浮かべてみたり、盆栽崩れの鉢植えに池らしきものを加えて、ビオトープなるものを試みたりはしている。しかし・・・・

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3)さしたる成果がないばかりか、もう個人的な閑古鳥が鳴くようなブログにさえメモするのも恥ずかしいような結末がもうすぐやってくるのである。ショボン

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4)とにかくだ。いつかミニ・ビオトープでメダカを飼う日がくるかもしれないので、その足掛かりだけでも作っておこう。

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5)このお店では、メダカ一匹二匹ではなく、ボトルとセットで数匹のメダカを売っているようだ。1000~2000円程度。安いのか高いのか、そういうところから分からない。

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6)メダカの飼い方というメモがつり下がっていたので、一枚もらってきた。う~~ん、それなりに研究は必要ですなぁ。

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7)我が家ではずっと昔から数匹ではあるが、金魚を飼っている。もっぱら奥さんの担当で、その世話をする姿をたんに見ているだけだが、それなりに手間はかかる。しかし、ふと目が行く時、なかなかいい風景ではあるのだ。

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8)いつか、我が家にも、メダカが共存するように、なるのだろうか・・・?

つづく・・・・?かも

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2016/07/23

「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる 鳥山敏子<1>

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「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる<1>
ハードカバー– 1996/3 鳥山 敏子(著) 1996/03 サンマーク出版
No.3757

1)確かに90年代後半に鳥山敏子の「賢治の学校」のことについて聞いたことがあった。ちょっとは関心を持ったが通り一辺だった。必ずしもタイミングではなかったのだろう。

2)今回ようやくこの本を読むことになったのは、あの時、私にこの本をすすめたM氏がふたびSNSで紹介していたからだ。M氏たちとは、夏過ぎに賢治のふるさと花巻などを20人程度の一行と一緒に巡行する予定だ。

3)この本は、前半が徹底した賢治論で、後半はその賢治を、自分は、自分たちはどう生きるのか、の実践論である。

<2>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<19>

<18>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<19>ネットで発注

1)この数ヶ月、迷いに迷って、もうこれしかない、とついに決断し、それこそ清水の舞台だか、スカイツリーだかから飛び降りるつもりで、ネットで発注しようとしたら、なんと、今度は受付窓口が混雑していて、機能を制限しているという。

2)ああなんというタイミングか、と思いつつ、今日はなんと週末の午後、誰もが私と同じような試みをしているとすれば、なるほど、ここで混雑するのもしかたないか、と、あと数時間したら、もういちどチャレンジすることにしよう。

3)今日、ここまでで、さらに分かったり解決したことをランダムにメモしておく。
・osV機①からはとりあえず主要なデータを取り出した。手元に転がっていたUSBステッィクに救出。限りなく不要ファイルを削除した。
・osV機①は、今後、1)初期化して再起させる。2)このまま0s10を上書きする。のどちらかの方法を講じる予定だが、今のところ一時休止。
・osV機②は、とりあえずこのままサポート期限までこのままで行き、このグレードではないと作動しなアプリなどのために温存予定。場合によってはos10を上書き。

4)さて、V13機すっぴん号は、ネットで発注するとして、まぁ月末までは間に合いそう。今回はカードではなく、ストア指定のローンを組むことになるが、24回までは金利1%とか。あまりカードは使ったことないが、手元のカード会社に金利を確かめると、24回払いなら金利14.5%だとか。

5)他のカード会社は確かめなかったが、いずれにせよ、今回はストア指定のローン会社を通したほうがお徳のよう。

6)osV機のバージョンアップだが、osVからos7に行くための手段は、もうすでに限られているとか。すくなくとも量販店の店頭には商品としてはない。あるとすれば中古販売店などで、しかも価格も3~40KYするというから驚き。しかも正常作動しない可能性もあると(涙)

7)そこでosV機からos10にアップするには16KYほどかかるらしいが、まったくの不可能ということではなさそう。ただし、CPUのレベルにより動作しない可能背もあると。この辺りは、担当や立場によって返答がかなり違う。今後、もうすこし確認する必要がある。

8)今日の収獲は、販売を担当しているS社のカスタマリンクというとこに、生声でのサポートを依頼したわけだが、この対応が極めて◎だったこと。これならS社だろうがV機だろうが、わたし的にはOKである。問題なし。

9)方針はほぼ固まりつつある。すこしでもはやく正常化して、業務も趣味も少しづつ軌道に戻していかなければならない。

---------------

10)とかなんとかいっているうちに、窓口もすき、なんとか発注が終了したようだ。今さらながら、メーカーVS販売会社VSクレジット会社VS銀行の連携に驚く。かつてこのような連携で物を購入したことはなかった。

11)あとは各ポイントでの確認作業が終了すれば、おのずと来月末あたりには商品が届くであろう。届いたら届いたで、さまざまな設定を繰り返さなければならないし、戸惑うことも多くなるだろう。残されたosV機①の処遇も気になるところである。

12)さて、かなり散らばったPC関連のパンフレット類を片づけるとするか・・・。

<20>につづく

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「Pen(ペン)」 2016年 7/1号 人気クリエイター100人の愛用品。<2>

<1>よりつづく

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「Pen(ペン)」 2016年 7/1号 人気クリエイター100人の愛用品。<2>
CCCメディアハウス 2016/6/15 雑誌 月2回刊版
★★★★☆

1)はてさて、二度目のメモを書こうとして、本当に以前この号のメモをしただろうか、と気がかりになるような、そんな号である。確かめてみればなるほどメモだけは残している。通常なら、それで終わりである。なのに、何故にまたメモするのだろう。

2)この号の不思議さは、そこのところにある。

3)通常、この雑誌は、何かお気に入りの特集やばっちりハマった記事があればこそ購入するのである。そしてそれらは保存版となる。しかるに、この号は、実に、特にお気に入りの特集でもなければ、気になる記事があったわけでもない。

4)であるのに、ほとんど駐車場料金の対価として付録でもらったような号だったので、今、こうして手元にあるのだが、今すぐ読み返そうという気分にはならないのである。それだけの緊急な訴求性はない。

5)そこのところが味噌である。何気なく身近にある。さりげなくある。あるからと言って別段に個性を主張しているわけでもなく、かと言っていつかなくなっていても、すぐには気づかないいっさつであろう。

6)でも、なにかのきっかけで、さりげなく手元にあるこの号を手にとると、その中には、小粒とはいえ、小さな窓があり、そこから、さりげなく大きな世界がひろがっているような、可能性がつながっている。

7)そうそう、そうなのだ。この雑誌は、私の「愛用品」、つまり「愛読書」なのだ。

8)さりげなく傍らにあり、邪魔になるでもなく、主張するでもなく、しかし、しっかりあなたと一緒に生きてますよ、という安心感がある。

9)この号で、私は、この雑誌全体の、新たなる魅力を発見した。

10)小物がザックリ並んでいて、どれが本命ということはない。だがしかし、ひとつひとつが、本当はいわくありげなのだ。ひとつひとつがそこにあることの由来がある。けっしておろそかにしない感性がある。必然性がある。

11)この号で、私は、本当に、私の愛読書のひとつは「Pen」です、と自称することができるようになった。

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2016/07/21

「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<18>

<17>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<18>実機再確認

1)近隣の大型家電量販店の4店舗のうちの残り2店舗も攻めてきた。これで、実機をみるチャンスはもうない。4店舗というものの、目指すV社V機はすでに1店舗にしかなく、しかも先々月あたりまでは、V社カスタムコーナーがあったのだが、もう店舗展示モデルしか残されてはいない。

2)V13機はY店推奨の固定モデルだけである。しかしながら、全体の雰囲気、立ちあがりの時間、キートップの感触、打鍵感、打鍵音、モデル表面の光具合などは、十分確認することができる。

3)心はすでに決まっているのだが、これまで誘惑し続けてきた他社他機の前を、わざと通り過ぎたりしてみる。チラっと横目でみたり、触ったりしてみるが、もうほぼ決断した我こころは、そんなに揺れるものではない。

4)目指すわが「愛機」を前にして行ったり来たりして、何度も触って確かめる。その都度、入れ換わり立ち替わりで店員が声をかけてくる。そして、違った店員に同じ質問をしたりして、それぞれの色合いの違ったレスポンスに、その幅を味わったりする。

5)V機にはこだわる強いファンがいらっしゃいますよ。フンフン、なんとなくうれしい評価。V機はS社から離れてむしろ良かったですよね。余計なアプリが亡くなったりして、むしろすっきりしました。ああ、やっぱりそういう感想は多いのだ。物足りない、とおっしゃる古いファンもいらっしゃいますが。うん、確かにね。

6)私が欲しいのは店頭モデルではない。こちらでカスタマイズしたモデルを入手するには通販ショップでしか売っていない。そこまでいうと店員も諦めたように、さらに正直に本音を吐いてくる。私もすこしは、PC初級者ではなく、古株の中断者のはしくれのように扱われる。

7)それでもやはりドシロートのような質問もするので、店員もまごつく。いろいろ分かったことをメモ書きしておく。

・本体は通販ショップでしか入手できない。今月いっぱいならキャッシュバック10KYがある。決めるならこのチャンスを逃す手はない。
・DVDドライブは、グレードにもよるがおそらくは5KY程度で別途入手可能。ネットワークPCのDVDドライブを有線で繋いで使うということも可能は可能であるが、店員レベルでも、出来るかなぁ、という程度の上級技術かもしれない。
・店頭展示モデルでもオンボードメモリは4GBなので、これでまったくダメということはなさそうだ。通常ならこれでいける。
・SSDなのか、二世代目SSDなのか、という迷いは、たしかに速度としては3分の1ほどの所要時間に短縮されているらしいが、もともとがHDDとの比較でSSDはそうとうに早くなっているので、世代間SSDの差はほとんど感じられないだろう、という。ただし、将来的なことを考えれば、アプリなどの立ち上げ時間が違ってくる可能性はあると。余裕があれば、だが、必需というほどではないという。
・店頭モデルでは、オンオフにかかる時間は15秒くらい。もちろん実践ではどんどん伸びてはいくだろうが、これまで3~5分が経過してもまだまだHDDがくるくる回っていてスタンバイできない状態から考えれば、もう十分である。
・CPUもcorei3レベルでも、決して見劣りするものではない。
・オフィスについては店員と多少の意見の違いはあったが、手持ちのソフトもあるし、ネットのフリーソフトもあるし、とにかく最初は付属なしで行ってみる。

8)おおよそのことを決めれば、あとは期日に間に合うように、明日以降、まずは業務ヘルプデスクからのお達し内容を確認し、電話で再確認。そしてメーカー直販サイトへの問い合わせ。私はまず電話で確認して、それからネット上から申し込もうと思う。

9)ようやくここまで来たので、このシリーズも通常ならここで終了、ということになるのだが、今後の記憶のためにも、もうすこし、本体を入手したあとの、使用感や、それぞれの付属情報の顛末についてもここにメモし続けることにする。

10)このV13機だけではなく、残る手元のV機二機のグレードアップ問題もあるし、OS問題もある。私としては今回のV機を10年使う気でいるのだが、本当にそれは可能であるかどうか。10年後のV社は一体、どうなっているのだろう。

11)そもそも10年後のネット社会はどうなっているだろう。シンギュラリティの進行具合やいかに。そんなことも考えながら、まずは、今回のPC選び騒動を、もうすこし楽しんでいってみようじゃないか。

<19>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<17>

<16>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<17>機能細部の確認

1)いみじくも、離れて暮らす親族から、PCトラブルの電話が舞い込んだ。あちらはどうやら、OSの勝手アップデイトに困惑しダウングレードしたところ、だんだん不具合がでてきた、というような内容だ。それは詳しくは分からないから、そもそものヘルプに電話で連絡だね、と話した。幸いまだ保証期間が僅かに残っているようだし。

2)長々とお互いのPC状況を話しながら、ええ~~まだやってんの~~、と驚かれる。そうだよなぁ。もうすでに3ヵ月が経過しようとしている。なんとかしなければ。自分で、この書き込みの過去レスを読んで、まぁ、ながながとよくやっているもんだ、とあきれた。

3)ホント、そろそろだよな。ということで、近くの大型家電店4軒のうち、2軒を覗いてみた。この間何度も覗いているので、店内にそれほど大きな違いはない。たしかに店舗改装もあり、M社のコーナーが拡大したり、品ぞろえが変わったりしている。そしてキャンペーン商品もそれぞれ品代わりしている。

4)されど、こちらもまた何度も顔を出しているので、キョロキョロするところはなくなった。お目当てのPCと、競合しているPCと、質感やら実際の使用感を確認する。競合するだけあって、それぞれになかなかに手ごわい。

5)まずはA社のM機はやっぱりいいね。本来ならこの機だったが、仕事ができないので、今回は見送り。しかたない。そして、軽量かつタッチパネルなどの競合社の製品も眺めてみる。

6)タッチパネルについては、あればあったで面白かと思ったが、実際にパネルに触って操作すると、パネル自体がガタガタと揺れ動き、全然素敵じゃない。これは、はっきり言って見限ることはできるだろう。

7)メモリーについては、4GBで現在使っているPCで十分な使用感であるし、これからもっと重いソフトを使う予定はないので、4GBで十分であろう。もちろん、増量も可であるがそれに伴って、価格が2~50KYプラスになるのは痛い。どんどん天井知らずになる。

8)ただ、SSDか第二世代SSDかは、まだ検討の余地がありそうだ。128GBで容認した場合、その差額は5KY。このくらいの増額はありだろうが、実際に、第一世代のSSDで満足できないものか。

9)数字的に目に見える容量の比較は、必ずしも性能の比較にはならないだろう。むしろ今回は、軽量、堅牢性、バックアップライト、コネクターなどの拡張性、など、単純に比較できない部分のベーシックな部分を買った、と思えば、納得もできるだろう。

10)ということで、SSDの部分だけ残して、わが胸の内は、ほぼ固まったのであった。残る家電店2店に出かけ、実機に触ってみて、そして実際にもう一度店員に質問をし、店頭購入とネット購入の差を確認した上で、今週中にも、大決断、しよう。

11)あはは、こんだけのことで「大決断」なんて、自分ながら、笑ってしまう(爆笑)。

<18>につづく

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2016/07/20

「原爆と原発の間に横たわる闇」藤田祐幸講演会@北九州市立大学

偶然、藤田祐幸氏が7月18日亡くなったことを本日知りました。

1986夏、チェルノブイリ原発事故についての講義を慶応大学スクーリングで受講したことを思い出しました。

大変感動的な講義でした。

感謝しつつ、ご冥福をお祈りいたします。合掌

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「創られながら創ること 身体のドラマトゥルギー」真木悠介, 鳥山敏子<2>

<1>からつづく

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「創られながら創ること」 ―身体のドラマトゥルギー <2>
真木 悠介 (著), 鳥山 敏子 (著) 1993/07 太郎次郎社 単行本 176p
★★★☆☆

1)今回、鳥山敏子「賢治の学校」を読むに当たって取り寄せた4冊のうちの一冊。まずは発行年代順に、と思って読みだしたが、あれ、これは前に読んだなぁ、と思い出した。

2)ざっと目を通してから、前回の自分の書き込みに目を通し、まずは初読と再読では、ほとんど感想は変わらないものだなぁ、と痛感。

3)前回から隔たること6年、この間に、3.11や賢治の再読、古い友人の葬式で共に弔辞を読むことになった吉岡友治氏の経歴から竹内敏晴演劇研究所のレッスンなどや、今回「賢治の学校」を読む契機となったM氏の書き込みなど、いろいろな経緯があって、再読することとなった。

4)今回もここは抜き書きしなければならないだろう、と思った部分は初読時とまったく同じだった。(笑) この本の限界なのか、一読者としての私の限界なのか。なにはともあれ、再読した。

5)今回の感想だけど、結局、この日本における1980年代というのは、高度成長やバブル経済に支えられた社会構造の中で、ひとりひとりの人間の思考は、「お花畑」状態になっていたのではないか、ということ。

6)例えば、少子高齢社会、長期低迷経済社会、改憲勢力台頭時代である今日において、この本に書かれているような「お花畑での自分探し」など、まともに読まれないのではないだろうか。1993年、というタイミングだからこそ、1980年代の懐古という形でこの本は出版され得たのではないか。

7)はずれているかもしれないが、まずは、次回への繋ぎのために、またまたこの程度のメモを残しておくことにする。

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2016/07/19

「ネグリ、日本と向き合う」アントニオ・ネグリ他<24>

<23>からつづく
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「ネグリ、日本と向き合う」
<24>
アントニオ・ネグリ(著), 市田 良彦(著), 伊藤 守(著), 上野 千鶴子(著), 大澤 真幸(著),  その他 2014/03新書 NHK出版 新書 240ページ 目次

★★★★★

1)夏のうだるような日差しの下で、昼寝をしようとおかずを探していて、またこの本を引っ張り出してきた。半年前に、自分なりに「精読」したつもりではいるが、それは、文中にでてきた書籍なり人物、概念を補完するためにあちこち支線をさ迷いながら、数週間、この本と戯れていた、という姿にすぎない。

2)そういう経過があったから、今日は、一気にこの小さな本を通読することができた。例によって、複数の人々が、それぞれの立場から書きこんでいるので、意味ととしては一冊通貫した主旨を持っているわけではないので、分からない部分は分からないし、気にいらないところは気にいらない。

3)それでもやっぱり、この本は、「あの」ネグリが、「この」日本と「向き合った」、という意味では貴重な一冊として残されているものである。

4)<帝国>とマルチチュードは、截然(せつぜん)として区別しうるものではない。というのも、マルチチュードの頭上に聳(そび)え立って、マルチチュードを服従させているように見える<帝国>もまた、その源流にまで遡って成り立ちを説明すれば、マルチチュードの構成的な力の産物であり、その痕跡であると見なされることになるからだ。

 <帝国>があって、マルチチュードの抵抗があるのではなく、逆に、マルチチュードの抵抗が、<帝国>の柔軟な支配を招き寄せているという訳だ。

 <帝国>は、マルチチュードに寄生している、とさえ言われる。<帝国>とマルチチュードは同じ素材、同じ生地からできあがっているのだ。p212大澤真幸

5)このタイミングでまたまたこの本を開いたのは、おそらく参議院選挙が終わり、それに続いて東京都知事選が始まっているからだ。都合21日の立候補者がでているとのことだが、マスメディアはほとんど3人の候補者に限って報道を続けている。今のところ、ほとんど三つ巴の様相だ。

6)増田候補は、元岩手県知事の官僚あがり。自民公明その他保守層の組織票をバックに登場してきた。立候補直前まで東京電力の外部役員をしていたというあたりから、結局は原発ムラの一味であるし、ネグリ流にいえば、原子力国家としての<帝国>のパシリである。

7)片や、ジャーナリストを肩書にしてきた鳥越候補はすでに76歳。いまさら「政治家」に転身などはかる必要はないのだが、みかけはマルチチュードのひとりにすぎない。あるいは、マルチチュード的なうねりを統一できるだろうという自負と期待によって登場してきている。しかし、その背景には、民進・共産・社民・生活など4党の組織に支えられての立候補だ。

8)それに対する小池候補は、女性でありながら、かつては自民党の総裁選にもでたような、極めて上昇志向の強い人物である。自民党の他にも、なにやら怪しげな組織票も裏でチラチラしながらも、今回は自民党の推薦を受けず、あるいは自民党を割る様な形での立候補ということで、ある意味マルチチュード的な捉えかたもされるし、組織的ではない、という意味では、その後援者たちはマルチチュード的である、とも云える。

9)これらの構図の背景には、直前にあった参議院選の結果があり、選挙フェスの三宅洋平や、シールズの奥田、あるいは、今回は都知事選の立候補を取りやめ、鳥越支持に回った宇都宮弁護士のような姿がチラチラする。

10)これらの様相をネグリたちのいうような<帝国>VSマルチチュードの図式の中に当てはめようとすると、それなりに面白い整理はできるのだが、結局は、本当の意味でネグリのいうような、「生政治」的な図式にはなっていないのだと思う。

11)そう思い出すと、本書の中では、概念やアカデミズムから離れた形で、社会における女性たちの活躍や、介護などの新しい形での社会的な参加を具体的にとらえた上野千鶴子の「日本のマルチチュード」は、あきらかに、もっともっとマルチチュードをうき立たせてくれているようだ。

12)個人的には、前回の舛添VS宇都宮VS細川のような都知事選より、ずっと覚めた目で、今回のうごめきを見ている。おそらく、「誰がなっても同じようなものだろう」。

13)そして、今回、万が一鳥越が当選して都知事になった場合、その人気中に東京直下型地震が起き、大混乱がおき、リスクマネジメントの不備さから、またまたいい加減な「ジャーナリスト」あがりの都知事は失笑を買うことにさえなるのではないか、などと危惧する。

14)おそらく、ネグリ達が語る政治を通しての<革命>と、私が愛するマスターOSHOの語る<革命>には大きな隔たりがあり、まったく別次元の営みなのであろうが、私個人はどうも、このような世事にもわずかではあるが関心を持ち続けている。

15)それは自らの内面的な直感力の弱さを示してもいるのであろうし、社会の中でしか生きられない自分の不確かさの証明でもあるだろう。内面にこもるつもりはないし、外面に関わり過ぎない、という意味ではバランスが取れている、とも言えるかもしれない。

16)いずれにせよ、今回はこの小さな新書一冊ではあるが、ネグリの本としては、かなりスムーズに通読できたので、ああ、すこしは読めるようになったなぁ、と自分なりにホッとした。

17)続いて、ネグリ&ハートの「コモンウェルネス」や「叛逆」も再読したくなった。

つづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<16>

<15>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<16>これでいこうか

1)PCレビューをあちこち見て回っていると、さまざまな紹介がある。価格コムや売れ筋ランキングでは決して目立たないが、V13機は、わりとクロート好みのノマド風味であることが解ってきた。これはまずまずよい兆候だ。

2)どこかのレビューに思い切った紹介があった。もうV13機ならすっぴんでもいい、と割り切っているのだ。各人それぞれにこだわりがあり、また見栄もある。必要性もあり、拡張性も無視できない。

3)オフィスについては、互換フリーオフィスがあるのだから、と割り切ることを進めている。メモリーやローカルディスクについては、自分が現在使っているものを確かめて実感したらどうだ、と書いてある。

4)そこで早速手元にある二台のPCを調べてみると、2GBと4GBのメモリー、そしてディスク容量は共に256GBであるようだ。CPUの比較などはまるでドシロートの私にはできないが、9年前のモデルと同じ容量というのは、なんとも歯がゆい気がする。

5)それなら、むしろOSをグレードアップして現在のまま使えばいいじゃないか、となってしまう。もちろんそうなると、ディスプレイの解像度とか、本体の重さ、さまざまな拡張性についての不満は残ってしまうことになる。

6)もちろんそれらの不満を解消することも可能なのだが、それには資金が必要となる。どうせそうなるのなら、と今回は思い切って、新PCを検討しているのだった。

7)だから、ここはまずメインターゲットはV13機として、メモリーは4GB以上8GB目標、ローカルディスクは256GB以上512目標。オフィスはなお検討、ということになる。タッチパネルについては、あまりお勧めと書いてあるものはないが、サービス期間でもあり、つけてもいいかな、と思う。

8)となると、結局、価格は110KYから160KYあたりということになる。オフィスを付ければさらに20KY程度は+になる。

9)ここは、これから10年使うと考えても、多少の余裕を見ておくべきなのか。あるいは、見切り千両で、さっさと素っぴん路線に舳先を向けるべきなのか。

10)ここまで絞り込めれば、あとは多少類似の、L社のT機や、A社のM機、H社のI機や、D社などの同等機と並べて、その価格の差と、やっぱりなぁ、という満足感の差異の確認ということになろう。

11)ちなみにディスク258GBの使用率は10年間で60%くらいのものだが、不要な画像や動画が多くあり、これを外付け媒体に移せば、余裕はある。メモリーは2GBではやはり不満。最低4GBだ。あるいは4GBで我慢できるか、と言えば、出来る、と言えるだろう。

12)一番我慢できないのは、立ちあがりの遅さだろう。二分も三分もかかって、なおHDDがくるくる活躍している姿は、ちょっとかわいそうでもある。キーボードの音も気になるし、もちろん重さはこれ、苦渋の原点である。

13)さてそろそろこの探検シリーズも最終に近づいてきただろうか。結論を出すとしたら、この一週間だろう。今月だけの割引サービスがある。10KYの差は大きい。

14)この辺で、手を打つことはできるであろうか・・・?

<17>につづく

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2016/07/15

「人工知能とは」 監修:人工知能学会

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「人工知能とは」
(監修:人工知能学会)  松尾 豊(著, 編集), 中島 秀之(著), 西田 豊明(著), 溝口 理一郎(著), 長尾 真(著), 2016/05 近代科学社 単行本: 264ページ
No.3756★★★★★

1)2016年の日本において、実に誠実で信頼のおける一冊だと思う。しかしながら、タイトルからして、人工知能なのか、人工頭脳なのか、というあたりから、問題は山積している。そもそも「人工知能とは」という問い掛けでは、本文の頭初から言及されるように、百論百出で、実にまとまりのないものとなる。

2)学者や研究者、アカデミズム、専門家などのレベルではこのような議論も大切であろうし、またこのような議論からしか到達し得ないことも多いが、一般のエンドユーザーでしかない当ブログのような立場では、いかんとも手が伸びない世界である。

3)少なくとも、ああ、今、専門家たちの世界ではこのような議論がされているのだなぁ、ということを遠巻きに確認しておくことに留まる。

4)人工知能、人工頭脳、AI、などと言われる世界においては、限りなく身体化の問題が登場するだろうし、いずれは身体を獲得しなければ、いわゆる人工頭脳は存在し得ない、というのが、以前からの当ブログの結論である。

5)その身体とはいかなるものか、という問い掛けになるが、結局は、私たちが持っているこの体にひたすら近いものにならざるを得ないだろう、というのが、また当ブログの読みでもある。

6)いくら世界中の人々と繋がりを持つことができるとしても、一般的な生活をするうえでは、おそらく200人前後の友人知人、あるいは家族などの人間関係を基礎とする以外にはないのである。いくらSNSでの繋がりやフォロアーなどを数え上げたとしても、そこには人間関係など構築しようがない。

7)いくら世界中の音楽を聞くことができるとしても、そこにお気に入りの曲を見つけてしまえば、世界中の音楽を聞く必要もなければ、聞いている時間もないだろう。一個の人間としての限りない制約がある。

8)視力、聴力、感知力、すべてにおいて、人間サイズが基本ということであれば、いくらビッグデータや画像解析度、演算速度や、それぞれの能力を競ったとしても、一個の人間以上のものになる必要がないし、もし完成形を予測するとなれば、このサイズが一番いい、ということになる。

9)この本においては「意識」についても、さまざまな角度から言及されている。その意味では、実に信頼における読むに足る記事は多い。しかし、まだまだ決定打はないし、また、どのような他力的に確定されてしまったとしても、私の意識には何の益もないだろう。

10)学会や学者、研究者、専門家たちにおいては、このような議論が続けられ、共有されるということは実に大切なことであろう。

11)しかしながら、一ユーザー、一人間、一地球人でしかない私という存在においては、その存在として利用し得るものへと提供されるまでは、ほとんど役に立たないものとなってしまうだろう。

12)この本は、近年の研究を、多数の研究者の意見なり成果を、並列的に掲示したものであり、大いに興味をそそられるものではある。いずれ再読しても価値はあるだろうが、もう、それほど当ブログにおいては許容量は残っていないと思われる。

13)「身体と 頭脳と意識 一人分」 把不住

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「小さなビオトープを楽しむ本」  趣味の教科書 平野威

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「小さなビオトープを楽しむ本」 趣味の教科書
平野 威(著) 2008/07 エイ出版社 単行本: 175ページ   
No.3755★★★★☆

1)友人がSNSでアップした動画が、私の中の何かのスイッチをオンにした。

2)実はこのところ、ちょっと気になっていることがあった。去年から始めた盆栽とも箱庭ともビオトープとも云えないある試みが挫折しかかっているのである。昨年の9月では、まだ見られる風景はあった。

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 しかし、現在ではこのザマである。

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 これは失敗なのか。それともここから再生していく道はあるのか。まだ生き延びている部分もあるし、あらたに伸び始めた「雑草」もある。枯れてしまったものは処分するとして、生き延びている部分を生かしながら、再生する道はあるのか。

3)それともう一つ。最近、園芸ショップの店頭で100円で買ってきたホテイアオイが調子悪い。ほぼ全滅寸前である。これもまた助かるのか、すでに終りなのか。

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 余っていた金魚鉢に水を張り、ただただ浮かべただけだから、これも仕方ないのかもしれないが、なにか他に方法があるというのか・・? 確かに日光があたる時間は短い。だが育て方は簡単だというではないか。ああ、それなのに、すでに枯れ葉が目立つ。

4)今回は、と、あらためては見るが、どうもあらたまらない。いままでとそう大きな違いはない。結局放置プレイなのだが、池を作り、水草を少し浮かべてみて、コケ類やトグサをすこしつけ足してみた。さて、どうなるかな。

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5)ビオトープとは、ギリシャ語の生命(Bio)と場所(Topos)を組み合わせた造語で、「多様な動植物が生息・生育する環境空間」と訳されます。

 広い意味でとらえれば、豊かな自然環境のすべてがビオトープといえますが、一般的には人間が生活する場所に集約され、多様な生物環境を修復することによって形成された生態系を指すことが多いようです。

 本来のビオトープは周囲の自然環境を取りこんだ大規模なものです。しかし、小さな睡蓮鉢や鉢植えでもチョウやトンボなどを呼ぶことができ、ビオトープの一部として楽しむことができます。p009「大切な自然 大好きな自然 ビオトープを考える」

6)「箱庭に 池を加えて ビオトープ」 把不住

つづく

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2016/07/14

「喜多郎」 主婦と生活社 CD付き

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「喜多郎」
喜多郎(著) 2007/01 主婦と生活社 大型本: 132ページ CD付き  喜多郎関連リスト
No.3754★★★★☆

1)大型カラーページ付き、CD一枚付き、ライフストーリー付きの、喜多郎ファンには垂涎の一冊と思われる。出版社も主婦と生活社。なんともやわらかい路線の一冊である。

2)カラー写真集は例によっての喜多郎コンサートのイメージそのままのシーンが並ぶ。

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3)これまで読んだ 「喜多郎-マインド・ミュージックの世界」(1981/06 講談社)や「癒される旅」―極道(ヤクザ)の娘が自分探し(  田岡由伎 1999/10 講談社)で、おおよその前半生は語られていたが、この本においては2007の段階での人生振り返りである。喜多郎54歳。

4)ボルダーでのコンサートの時に、楽屋にすしを届けてくれあ日本人がいた。なんと昔の友人ではないか。10年ぶりに会う友人はボルダーに「寿司三昧」というおすし屋さんを開いていた。その彼に「ボルダーが気に入った。是非住んでみたい。このツアーが終わったらまた戻ってくる」と伝え、次のコンサート地に向かうバスに飛び乗った。

 後にボルダーに戻り、自分の住むべき土地を求め、友人と一緒に、いろいろと見て歩き、ついに「ここだ」といいう場所を見つけた。p84「アメリカに住む」

5)これは「古事記」制作中だったというから、1990年の頃だろうか。

6)この「古事記」は、「シルクロード」に続く、僕の分岐点に位置した作品だと思う。そして分岐点をもうひとつあげるならば、01年についに受賞できたグラミー賞作品「シンキング・オブ・ユー」だ。p85 同上

7)以上が、この時点で喜多郎自身の自己評価である。グラミー賞はこの時点でも10数回ノミネートされてはいるが、実際に受賞したのは一回だけのようだ。

8)瞑想こそが、暴力的なものを平和のうちに解決してしまうものだ、と確信している。だから、僕は、人が瞑想してもらえるような音楽を作ることで、世界の平和に役立ちたい。わずかな力かもしれないけれど。暴力は絶対になくならないから、僕もまだまだたくさんの音楽を作らないといけないのかもしれない。p101「環境問題への関心」

9)ところで、今回もともと喜多郎おっかけの再燃のきっかけとなった喜多郎とタンジェリン・ドリームとの接触については、それほど多く語られているわけではなかった。

10)バージンレコードのリチャード・ブラウソンさんが食事を用意してくれたり、ロンドンを案内してくれたり。ブランソンさんはジャーマン・プログレの代表格バンド、タンジェリン・ドリームのプロデューサーでもあった。バージンは、ロンドン繁華街ピ化でリーサーカスに一店舗持っていて、ここでロンドンの音楽事情をかいま見ることができた。p56「ロンドンでレコーディング」

11)これは1975年のことであるから、喜多郎もまだまだ20を過ぎたばかりの若者であった。

12)この録音期間中には、英国以外の欧州各地にも足を伸ばした。ドイツ・フランクフルトで、僕たちは、タンジェリン・ドリームのドラマー、クラウス・シュルツに会った。シュルツはシンセサイザーと使った楽曲にも詳しくて、アンビエント音楽、テクノポップにも影響を与えた人。いろいろとシンセサイザー音楽の話も聞いたっけ。そして、何と、シュルツが「多次元宇宙への旅」の録音ミキサーとプロデュースを買ってでてくれた。これは感激した。p56同上

13)宮下富実夫 たちと行動していたファー・イースト・ファミリー・バンド時代のエピソードである。

14)76年3月に出された「多次元宇宙への旅」は、とても難しい作品になってしまった。今までやってきたことを全部捨てて取り組むような作品になった。何故って、インプロビゼーションまみれの作品だったから。

 何を、どうしているのか分からない状態でえ演奏している感じ。前衛的と言えば、そうだけど、超問題作。即興の積み重ねが、メンバーの絆をかえってゆるめてしまって、バラバラな方向に向かわせてしまった。

 アルバムのジャケットもすごくて、白装束に長髪のメンバーが和船に乗り込んで宇宙空間を航行している写真。完全にトリップしてしまっている感じだし、白装束に長髪というのも謎の新興宗教みたい。

 結局、空中分解して、僕はバンドを脱退。その後、ベスト盤も出たり、ほかのバンドに入ったけれど、すぐに解散したりで、「どう進んだらいいのか」とちょっと迷い始めた。p56 同上

14)この本もまた、喜多郎が語ったことを編集者なりゴーストライターなりがまとめたものであろうし、純粋なライフストーリーと取ることはできないが、それでも、おおよその経緯は把握できる。

15)この本を持って、今回の喜多郎追っかけも一段落したので、当面お休みになるが、ここまで読んだり聞いたりしてきて、はてさて、喜多郎の魅力とはなんだろう、と改めて考えた。

・まずは直接のつきあいはないが、常に二次の繋がりの、すぐそばにいた存在であること。
・若くしてNHKシルクロードという発表の場を与えられ、早くからメジャーになったこと。
・その生活スタイルが、原寸大で、いわゆる我らが時代のひとつのシンボル的であったこと。
・もちろん、その音楽の質による。ある種のパターンに陥ったとしても、その独自性、喜多郎節は、実にユニークであり、またポピュラーである。
・直接は語られないにせよ、時代の流れに実に敏感であり、つねに正当性を持っていること。
などなどであろうか。

15)彼の存在なくして、この時代を生きた我々世代の風景は、もっと貧しいものになってしまっていただろう。私は、時折、また彼のことを思い出し、聞いてみようと思う。

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今日の気分はこの3冊 <21>「人工知能は私たちを滅ぼすのか」、「パソコン購入ガイド」、「もっと上手に市民農園」

<20>からつづく

今日の気分はこの3冊
<21>

「人工知能は私たちを滅ぼすのか」、「パソコン購入ガイド」、「もっと上手に市民農園」        今日の気分はこの3冊 目次

1)「人工知能は私たちを滅ぼすのか」 計算機が神になる100年の物語児玉哲彦2016/03 ダイヤモンド社)を閉じて考えた。もうここで書かれているシンギュラリティは、ブラックボックスというより、まったく手の届かない別世界のような気がしてきた。

2)その反面、「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ(2016/05 晋遊舎)を読みながら、自分が使いきれるパソコン選びをしていたりすると、おなじITの世界ながら、なんと遠く隔たった世界になってしまったのだろう、と愕然となる。

3)それはまるで、自転車で月どころか火星やアンドロメダまで走っていこうとするかのような、絶対的な断絶間と、ある意味の絶望感を持つ。

4)それに比して、同じ技術と言いながら「もっと上手に市民農園」4.5坪・45品目 小さな畑をフル活用 (コツのコツシリーズ 斎藤進 2012/3 農山漁村文化協会)のDIY感覚は実に身近で手に取ることができる嬉しさがある。

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5)ここにある差は何なのだろう。このDIY感覚は必要だ。自分の手で作る。自分のサイズで測る。自分の体験で理解する。

6)そんなこと考えながら、ふと庭に咲いたヘチマの花を眺めていた。いつかヘチマを作ったことあるけど、何故か今年も作ってみた花屋の店頭にあった苗が、突然今朝花を咲かせた。

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7)凄いなぁ、綺麗だなぁ。びっくり。自分で庭に植えた小さな苗に大きな花がさいた。当たり前と言えば当たり前のことなのだ。DIY感覚と言えば、まさにそのとおり。

8)しかしだ。この花は、確かに苗を買ってきて植えたのは私ではあるが、この花を咲かせたのは私ではない。この花が咲くシステムを作り上げたのは私ではない。この花のバックには自然があり、大きな大自然の神秘がある。

9)ここでちょっと考えた。私の市民農園は、たしかに自分サイズの小さなものだが、その向こうには手の届かない大きな神秘がある。その大きな宇宙へと繋がっていくところを実感したいからこそ、今日もまた畑にいくのだろう。

10)だからここでさらに考えた。私のパソコンは、実は限られた機能に留まるだろう。出来ること、やれることなど、実にちょっとした世界でしかない。しかし、そこから向こうに大きな世界が広がっているのだ。

11)シンギュラリティから更に神秘の世界へと繋がっていく。その窓口として、私の使う小さなパソコンが手元にあれば、それで十分なのではないか。

12)なんかそんなことを考えていた今朝だった。

<22>につづく

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2016/07/12

「人工知能は私たちを滅ぼすのか」 計算機が神になる100年の物語 児玉哲彦

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「人工知能は私たちを滅ぼすのか」 計算機が神になる100年の物語
児玉 哲彦(著) 2016/03 ダイヤモンド社 単行本(ソフトカバー): 328ページNo.3753★★★☆☆

1)AIや人工知能、シンギュラリティについての情報がいよいよ乱立してきた。しかし、あちこちでボンボンと打ち上げられる花火の、どれがどう本命なのかは、いまだ不明である。

2)この本は1980年生まれの(ということは現在36歳だから、決してもう若者とはいえない)若い世代の、コンピュータ歴史のまとめと展望である。

3)かつて当ブログがスタートした地点で、独自の検索を続けた結果、コンピュータが意識を持つとすれば、それは身体を獲得するからである、という結論に達している。

4)この本においては、「心」という用語が多用されていて、「意識」という言葉使いはされていない。この辺は恣意的なものであり、用語の統一はいずれ図られるであろう。

5)人工知能は、人間の赤ちゃんのように体を獲得し、体を使った家事や肉体労働や介護や農業などの仕事をこなせるようになります。ペッパーの例のように、人工知能はロボットに搭載されることで、物理的な仕事もこなせるようになるのです。p251「体を持って生まれ落ちる人工知能」

6)コンピュータにとっての身体とは、必ずしもロボットといわれるような五体をもった人間型であるとは、必ずしも確定していない。また大きさもまた決して人間サイズとは決まってはいない。最終型に至るまで、その身体は、さまざまな意味においての「身体」となるだろう。

7)しかし究極的に、人間の「意識」を生み出そうとするならば、当然のように人間サイズの人間型の「ロボット」になるのは必然であろう。

8)この本、最初の90%はこれまでの歴史のまとめであり、当たり前でちょっと飽きがくる部分も多いが、残り10%は、ある意味独自性のある想像的でSF的で、物語的でもあり、まぁ、留意すべき点も含んでいる。

9)ただし、本のタイトル「人工知能は私たちを滅ぼすのか」とか「計算機が神になる100年の物語」とか云う部分は、あまりイカさない。どこかこれまでの日本的なドメスティックでガラパゴス的な発想に繋がっていき、どうも発展性がない。

10)もうちょっとイメージを全面的に開放し切った大きなステージの上で、意識なり、身体なり、頭脳なり、を再構築してほしいものだと思う。

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<15>

<14>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<15>夢から現実、そして必要十分

1)仮にV13機を本命とした場合、さらに細部を決定していく必要がある。もちろん高機能にすれば高額になる。いくらパワフルでゴージャスでプレミアムで、所有する喜びを感じるとして、あまりに機能が余り過ぎていたら、それではフィット感はない。

2)かと言って何にもなしのすっぴンというのもちょっと困るし、不便である。すっぴンなら、114800円+税。なんでもありありで言った場合、なんと324800円+税。3倍の開きがある。これではハイエンドというより、究極の無駄遣いということになる。

3)本当に必要な範囲で決める必要がある。

4)まずオフィス。実際は、OOoのようなフリーソフトの互換オフィスでいいのだろうし、そもそも文章を書くために表計算ソフトを使い、文章ソフトなどほとんど使わないのだから、なしでもOKだ。しかしなぁ、そこまで言い切れるか。後付けはできないのか。取りあえず、ここはオフィスの18000円プラスは仕方ないか・・・。

5)次、メモリー。今回は4GBだが、仮に8GBまで増量するとなるとオンボードでプロセッサーもグレードアップするので、+22000円。これは大きいなぁ。ここまで増量する必要があるのか。自分はそこまで必要なのか、確認する必要がある。

6)あとストレージ。これもギリギリではなんとも心元ないので、SSD256GBくらいまでアップしてしておいたほうがいいのであろうか。ここでまた15000~25000円の増額となる。

7)ここまでですでに169800円+税。一万のキャッシュバックがあったとしても17万円をすでに超えている。これは、まともに使わないのにカッコ付けてもっているモバイルパソコンとしては、ちょっとオーバースペックのように思える。

8)これにセキュリティーやらタッチパネルを付けたりすると187800円+税だとすでに20万を軽く越えていく。うーむ、これではいかん。

9)ここはオフィスなし。メモリ4GB、ストレージ128GBでいいのではないか。そういう割り切りもあっていいのではないか。114800円+税ーキャッシュバック1万円で113984円。これってなかなかリーズナブルではないか。高級そうに見えていて、実はすっぴン。これって、なんだかカッコ付けの「所有する喜び」につながるんじゃなかろうか(爆笑)。

10)これもありだな。

<16>につづく

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「講座スピリチュアル学」第5巻スピリチュアリティと教育<6>

<5>からつづく

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「講座スピリチュアル学」第5巻スピリチュアリティと教育 <6>
鎌田東二(著), 西平直(著), 上田紀行(著), トマス・ジョン・ヘイスティング(著),  その他 2015/12 ビイング・ネット・プレス 単行本: 261ページ  「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト 
No.3752★★★☆☆

1)全7巻のうちの第5巻まできた。ここまでくれば、大体この「講座」の性格もはっきりしてきたというべきだろう。

2)「地球人選書」といい、「講座スピリチュアル学」といい、「地球人スピリット・ジャーナル」を標榜する当ブログとしては、とても気になるシリーズである。しかしながら、一読書子として対応する場合、必ずしもグッドタイミングの読書とはなっておらず、いちど目を通しておいて、後で再読精読かな、と思う程度である。

3)例によってこのシリーズは、各巻、巻頭巻末の編集者である鎌田東二の文章に目を通して、あとはひとつふたつ気に入った論文を見つければ、それで十分という流れである。

4)このシリーズ、せっかくこのようなチャンスがあったのなら、むしろ編集者一人による論旨の展開でもよかったのではなかろうか。そして「学」ではなく「道」としてまとめることはできなかったのだろうか。

5)当然、編集者一人の論旨であるならば、絶対的なものにならず、常に相対的にしか読まれはしないが、それでも、その7つのテーマにおける一貫性がより際立って、やはりそこには、相対を越えたた、ひとつの生きざまが、もっとまざまざと浮き上がってきたに違いない。

6)少なくとも、ここまで読み進めてきた限り、当ブログとしての評価は★3がギリギリである。よくぞやった。こういうシリーズを待っていた、とは思うけれど、その成果は、少なくとも一読書子としては、割とひややかで、若干むなしい気分が残る。

7)スピリチュアルと教育で思い出すのは、わが小学校5・6年生の時の担任だった越前千恵子先生のことである。彼女は実に生徒たちに慕われた先生だった。彼女についての思い出は、当ブログですでにいくつか書いているが、ひとつエピソードをくわえておく。

8)いつの頃か、私たちの教室では瞑想が始まった。帰宅時間になると、机と椅子を前方半分に押しやって、後ろ半分を残し、そこから掃除を始めるのであるが、その前に、先生は教室の全員を床に座らせ瞑目させた。

9)あの時、胡坐や結跏趺坐ではなく、正座、いわゆるお座りであったが、どのくらいの長さだったのだろう。30秒くらいだったかもしれず、あるいは1分だったかもしれない。ひょっとすると5分くらい続いたのかもしれないが、もうそのことについては覚えていない。

10)それは「反省会」というネーミングであったと思う。あの当時、あるいは今日においても、このような形の「反省会」というものはあるのだろうか。単に瞑目して反省するだけなら、机と椅子に坐ったままでもいいのだろうが、何故か彼女は、フラットに子供たちを正座させて瞑目させた。

11)5,6年の担任だったが、おそらくあの反省会があったのは6年生になってから、しかも一学期くらいの間だったのではないだろうか、と思う。何がきっかけだったのかは、当時も今も定かではないが、彼女が反省会を思い立ったのは、クラスがいまいち落ち着かない時期があったからではないか、と思う。

12)いずれにせよ、私が自分の人生の中で、いわゆる後から考えて「瞑想」というものに出会ったのは、あの時が最初だったのではないだろうか、と思う。彼女は学校の教育学部を出てまだまだ20代の新任教師でしかなかった。後で御父上はある教団(金光教)に関わる方であると知ったが、その影響もあったのかもしれない。

13)あの時期、あのような形で、瞑想を体験したことは、私のライフストーリーにとっても、とても素晴らしいタイミングであった。そんな体験から、この本との関係を解きすすめてみようと思ったが、今回はやや時間不足であった。

14)このシリーズ、なにはともあれ一度目を通してから再読しようと思っていたが、全巻近くの図書館にあるわけではないので、再読はうまくいかないだろう。しかし、それもいたしかないと思う。ただ、こういうシリーズがあったぞ、ということは、近年としては角川インターネット講座と並んで重要な記念碑的な出版になるだろう。

<7>につづく

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「こころある旅 インド」 A spiritual guide 夫馬基彦・他(著) <2>

<1>からつづく

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「こころある旅 インド」 A spiritual guide <2>
夫馬基彦・他(著) 渡辺眸(写真) 1977/11 エイプリル・ミュージック  単行本 326ページ
★★★☆☆

1)カメラウーマン渡辺眸おっかけの中で再会することになった一冊。他の資料と併読していたので、借りだしてからあっと言う間に二週間が経過してしまった。返却期限が近付いたので、通読しようと思ったが、通読するにはちょっと重すぎる。

2)近くの図書館に所蔵してあるのだから、読みたいとなればいつでも読めるのだし、一旦返却しようと思う。しかしながら、この後ろ髪引かれる想いはなんだろう。「A Pilgrim's Guide to Planet Earth」1975/06 Spiritual Community Publicationを元本にしているとはいえ、実に当時の日本的カウンターカルチャーの「混乱」を如実に現わしているような一冊と言える。

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「Pilgrim's Guide to Planet Earth」 Traveler's Handbook & Spiritual Directory<1>
Paperback: 288 pages Publisher: Imprint unknown (June 1975) Language: English ISBN-10: 0913852074

3)翻訳本と言いながら、実に日本人執筆陣が「充実」している。真崎守、渡辺眸、室矢憲治、片岡義男、横尾忠則、夫馬基彦、北中正和、宮田雪、斎藤司郎、山尾三省、プラブッダ、佐保田鶴治、松原泰道、中村元、吉福逸郎、青山貢、上野圭一、などなどの面々の名前が、各所に散見される。

4)発行されたのは1977年11月。実にこの年、この月のタイミングでインドに旅立ったのだった。実にあの混沌としたインドに飛び込んでいくには、この混沌としたガイドブックでは、おそらくなんの役にもたたなかったのだ。

5)長期間に渡ってこの本を所蔵しておきながら、いつの日か、この本を手放していた自分の意図はよく理解できる。今でもまだこの混乱した一冊を再読できない。なにか元の黙阿弥にもどる様な、不快な気分になる。

6)しかしながら、いつの日か、この本を、当時の状況を振り返りながら再読しておくのもいいかなぁ、と、一冊古本を取りそろえておくことにした。いずれ全体を俯瞰し、精読するタイミングも来るだろう。

7)実は、この本には渡辺眸氏の写真ばかりではなく、文章も所蔵されていた。

8)なにはともあれ、あまりこなれた素晴らしい紹介文とは言い難いが、わがマスターOSHOの紹介文だけピックアップしておいて見る。

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つづく

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2016/07/09

「スピリット」 Into the heart of the rising sun Newage picture book 喜多郎/プロデュース

04888499_main_l_2「スピリット」 Into the heart of the rising sun Newage picture book
喜多郎/プロデュース 1987/11 小学館 ページ数 96p Touch books 喜多郎関連リスト
No.3751★★★★☆

1)喜多郎追っかけの中で見つけた一冊。

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2)約100枚弱に及ぶカラー写真の写真集。対象は風景や植物など。関わった写真家は数十人に及ぶ。コンセプト・ディレクションに、喜多郎と並んで北山耕平の名前が見える。

3)アルバムTHE LIGHT OF THE SPIRIT のイメージ戦略の一冊のようだ。

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<14>

<13>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/05 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<14>ターゲット絞り込み

1)この雑誌、2016/05発行とはなっているが、実際に店頭に並んだのはその一ヶ月ほど前。さらに取材編集されたのはさらにその前だから、もうこの雑誌の情報は古いのではないか。もっと新しい類似本はないのか。

2)そのような目で書店に行ってみると、あった類書が。だが、それはさらにこの雑誌より3ヵ月前に発行されたものであった。あとは断片的な情報のみである。さらによくよく見ると、この雑誌はまだまだ現役で、平積みしてあるところ見ると、売れてもいるようだ。

3)さらにだ、よくよく見ると、ごく最近の当ブログの「仮の結論」V社のV機、実はキチンと1頁を使って紹介されているのだった。

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4)これまで、この雑誌ではあまり見ていなかったが、よくよく見ると、キャッチコピーが泣かせる。「スタイリッシュなデザインが所有する喜びを実感させる」。いいですねぇ、所有する喜び。どこかのドイツ車のスポーツセダンのコピーだっけか。すくなくとも、「ビジネスストレスフリー」よりはよさそう。

5)「ゴージャス」でもなければ、「パワフルプレミアム」でもない。「所有する喜び」である。

6)で、本当に「所有する」だけで「喜び」が湧いてくるのであろうか。

7)この雑誌で紹介されているノートパソコンは40台。注目度によって、1頁、1/2頁、1/4頁と紹介されているスペースにランクがある。1頁を使って紹介されているのはV機を交えて4機種。

P社のL機「デスクトップ並の使い勝手を実現するキーボード。」「ビジネス向けに特化した高性能ノートPC」。実勢価格262600円。

A社のX機「一般的な厚さと重量を角のないデザインですっきり見せる」「性能で妥協しない高性能が手に入る。」実勢価格96500円。

H社のS機「ポップなデザインが強く目を引くボディ」「気楽に持っていける軽さと最低限の性能」実勢価格29900円

そしてV社のV機「スタイリッシュなデザインが所有する喜びを実感させる」「ビジネスシーンを想定した高剛性なボディ」実勢価格161700円。

8)当然と言えば当然な4ランクの格付けである。まずP社のL機に関しては、5~6年前に「仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?」(山田祥平 2009/01 朝日新聞出版)なんて本を読んで鼻白んだが、うーん、なんだかなぁ。数ある選択肢の中では、私個人は、この機種には手が伸びない。高価だし、それだけビジネスに特化するほど、ビジネスしていないからなぁ。

9)そして、H社のS機のように、あまり安価な機種も、どうも興ざめするのである。実用に足りてはいるのだろうが、どうも納得しないものがある。どこかが削られていて、納得感がない。二台目や、奥さん用なら、まぁいいかもしれないが、自分にとっての一台、ということであれば、まぁ、これはないわな。

10)となると、A社のX機かV社のV機か、という選択になる。実際実勢価格で言えばA社X機で足りるだろうし、無理がない。だが、同レベルで言えばL社のT機とか、H社とか、D社とかが並列していて、今一つ頭に伸びがない。

11)そう言った意味において、やはりV社のV機は、若干背伸びしたい私の好みにフィットしてくるようである。

12)1/2頁や1/4頁で紹介されている他社の機種には、V機と競合する機種もある。とくに国産メーカーの機種が目白押しだ。だが、どうしてもブランドでは、私にはV機が勝るところがあるようだ。

13)そのV社にしたところでブランドは相当に棄損している。昔の栄光を引きずってはいるが、今後はどうなるのか、分かったものではない。しかし、これまでもV社のユーザーであった以上、やはり、このブランドは心揺さぶるところがある。

14)さて「所有する喜び」をテーマにする限り、余りに手がでない高機種とか、あまりに廉価機種も番外になるが、若干背伸びというレベルでいくと、こまかく性能選びにも影響してくるようだ。

15)実際にV社のV機の該当型式をトッピングしていくと、仕上がりに巾がでてくる。ここでもギリギリの廉価ラインを狙うのではなく、あまりにハイトップを狙うのでないけれど、値段もそれなりに張るのであった。

16)性能、機能、容量も、ギリギリではなく、おそらく使わないだろうけれど、このくらいあると余裕だよね、というあたりまで狙って行かないと、「所有する喜び」にはならないだろう。

17)所有する喜びが湧いてくるような組み合わせを、これから少し考えてみようではないか。

<15>につづく

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2016/07/08

モバイルでブログを書こう。

1)モバイル環境でブログを書くことが一つの目標だった。そのために、タブレットも用意し、専用のキーボードも買った。しかし、これがなかなか日常化しなかった。なぜか。それには、いくつかの理由があった。

2)まず、タブレットとPCには、大きな違いがある。それはOSだ。私の場合、ウィドウズとマックをまたいだために、環境が一変するのである。つまり、タブレットマックではマウスが使えない。ここんところが大きく違った。ついついマウスがあることを前提として手がうごいてしまう。

3)そして、選んだキーボードがちょっとちゃちかった。打ちにくいし、ミスタッチも多い。苦手意識をもってしまったから、使わないし、使わないからなお使いにくくなる。その循環であった。

4)これではいかん。反省して、現在、タブレットと後足しのキーボードでうちこんでいるところである。実際、肩が凝る。この世の中に、このシステムしかないのであれば、これはこれで活用するのであろうが、どうも楽なほう楽なほうに体が動く。

5)でも、これではいかん。思い直して、すこし新しい環境でブログを書くことを決意した。

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「瞑想―祝祭の芸術」 Osho<5>

<4>よりつづく Ma .

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「瞑想―祝祭の芸術」 <5>
OSHO スワミ・アナンド・ヴィラーゴ 1981/03 めるくまーる 単行本 440ページ 喜多郎関連リスト

1)喜多郎追っかけをしながら、この本が話題になった。この本が出る時、めるくまーる社の担当編集者が、当時のプラサード書店の店長きこりとともに喜多郎のもとに訪れ、ほんの紹介文を書いてもらうことを依頼したとこのことである。

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2)私が”瞑想”について考えるとき、それは本来の人間として生きてゆく「道」であると思います。瞑想とは瞬間瞬間を意識し感じてゆくことであり、本や人などを通して入り込んでくる知識ではありません。瞑想を通して実際に自分に起こる状態は、誰も否定はできません。そこに「体験」ということが必要になります。 

 私はまだ、瞑想における深い意識を言葉でどういうふうに表現したらよいのかわかりませんが、日常の生活の中で、一人で山仕事をしているとき、あるいは気を入れて精一杯音楽の仕事をしていて言葉がなくなったとき、そんなときの状態ではないかと思います。そして、そういう状況に私を置いてくれている宇宙の働き、バグワン・シュリ・ラジニーシの存在、その他私をとりまいているすべてに感謝します。 

喜多郎=スワミ・デヴァ・セトゥ(作曲家・シンセサイザー奏者) 腰巻紹介文より

<6>につづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ<13>

<12>からつづく

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「パソコン購入ガイド」 2016 100%ムックシリーズ
2016/03 晋遊舎 ムック: 95ページ 目次
★★★★☆

<13>PCセールスコピー

1)PC探検隊は今日も行く。

2)今日の結論は、V社のV機。13.3型で1.06kg。なかなかスタイリッシュであるし、軽い。これでオフィスも入っているし、キーボードのバックランプもついている。難ありと言えば、ドライブが外付けで、メモリが4GB、というところか。SSDなので立ちあがりが早い。

3)本日のところはこれで決定だ。なんせ過去10年くらいはS社のV機しか使ってこなかった。S社はV社となってしまってはいるが、おそらく今までのDNAは継続しているだろう。日本社というのも、警戒感が必要なくてよい。

4)このV機、キャッチフレーズは「ビジネス・ストレス・フリー」である。ビジネスでモバイル使用の場合、これだけは必要でしょう、という部分とこれで十分でしょう、という割り切りがある。堅牢性、必要性、静粛性。なかなかいいと思うが、まぁお値段も張る。

5)しかし、競合する機種を見た場合でも、必要なものを追加していくと、おおよそ似たような価格帯になるのである。あとは多少の凸凹は、笑って済ませる器量が必要だ。とにかくメーカー良し、スタイル良し、機能まぁまぁ、価格おっとっと、というところ。

6)競合機種としては、H社のI機。こちらは「ラグジュアリーPC」と来た。余りに武骨なチープなPCも嫌だが、ラグジュアリーまで、求めるだろうか。トップモデルの女優さんが、じっと見つめるようなイメージは、悪くはないが、本当に私のライフスタイルにヒットするだろうか。価格帯はV機と同等だが、オフィスが抜けている。ゴールド(金色)と黒を使った豪華版だが、どうもいまいちだ。ただ、スペックは8GB、SDD256と、なかなかなもの。

7)それに対抗するところのL社のT機。グレードはいろいろあれど、機能を揃えていけば、結局、大体同等の価格帯となる。こちらのキャッチフレーズは「MILスペックなPC」。MILとはミリタリーのこと。つまり米軍で必要とされる機能を標準装備していますよ、ということだ。

8)わたしゃぁ、反軍反戦の思想の持ち主だから、MILスペックはどうかなぁ、と思うけど、イメージとしては市民農園やクラインガルテンで作業をしながら、風の中、あるいは小雨の中、汚れた指先でブログ更新なんて機会もあるだろうから、ひょっとするとライフスタイル的には、こちらが有利かも。機能は揃えることができる。

9)D社のI機も悪くない。そもそも廉価なPCのイメージではあるが、機能を揃えれば、それなりになる。今まで使ったことのないメーカーではあるが、面白い。ただオフィスをつけて、画像解像度も上げていくとなると結構な価格となり、はてさてこのメーカーでこの価格を購入して大丈夫か、といささか心配にはなる。こちらのキャッチフレーズは「プレミアムなボディ、パワーフルな性能」である。

10)さぁ、ここまで来ると、4つのキャッチフレーズが並んだことになる。
・「ストレスフリー」
・「ラグジュアリー」
・「ミリタリー」
・「パワフルプレミアム」

11)もちろん、ナニとナニを比較するのか、ということになるが、同じ価格帯なら、ラグジュアリー、とかパワフルプレミアムとかいうのは、その機種の基準がやや下なのであって、それを基礎にややグレードアップした機種ということになる。

12)この価格帯を基準としているなら「ストレスフリー」とか「ミリタリー」とかの表現のほうがより近いだろう。

13)そして使う場面であるが、ビジネスなのかアウトドアなのか、という違いが出てくる。私の場合は、オフィス80%、客先10%、アウトドア10%程度、ということになるだろう。「ビジネス・ストレス・フリー」とはいうものの、その堅牢性はミリタリーに負けてはいない。ミリタリーに特化して、重さが倍あるのであれば、モバイル性に欠けるというものである。

14)本当にモバイル性を優先するのであれば、11インチモデルも頭に入れなければならないが、老化のすすむ視力には、ちょっと耐えきれないところがある。価格やドライブを考えて15インチを選ぶと、まずモバイル性が無視されてしまう。

15)ここは堅牢な13インチ、1キロのV社のV機で決定、であろう。というのが今日の結論であった。

<14>につづく

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2016/07/07

「わがボタニカルライフ」<28>人畑一体

<27>からつづく 

「わがボタニカルライフ」

<28>人畑一体

1)市民農園+クラインガルテンも二年目である。昨年の試行錯誤は超ビギナーのかわいい取り組みとして、二年目の今年は、あまり自分の失敗談をオープンにするのは、気が進まない。なんだか、全然進歩がないじゃないか、という感じがする。

2)それでもやはり、二年目は二年目らしい、試行錯誤というものがあるようだ。

3)ひとつに作物の選び方。昨年うまくいったから、ことしも同じ様に、と思うと、実はそこに大きな落とし穴がある。まず連作障害。同じ土地に同じ作物を毎年植えると、必要な微量要素が不足して不作になるらしい。

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4)わが畑の場合、今年はナスがそれに対応している。分かってはいたのだが、作付の順番や狭い面積をやりくりしていると、あれ、ひょっとすると昨年も・・・・、反省。今のところ茎は見事に成長しているが、はてさて、キチンと根を張り、実をつけてくれるだろうか。

5)二つ目は、キュウリ。台木の葉っぱが大きく伸びすぎて、それがキュウリだと思っていたら大間違い。そちらに栄養を取られて、本体が小さく遠慮がちになってしまった。これは昨年も同じことをやった。今年は成長しないうちに次々と切り落としている。

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6)ジャガイモにつくテントウムシ。去年は他の畑のニジュウヤホシテントウムシが気になったが、今年はわが畑にジャガイモを作ったので、大発生。ひとつひとつ手で潰しているが、今年は、自家製霧状虫退治液体は使わないでいる。手でつぶすしかない、と諦めている。

7)去年は、どうやら肥料のやりすぎだったようだ。土づくりとしてボカシ肥料などを中心にはしたのだが、他の牛糞や鶏糞、貝殻石灰なども、どうやら多すぎた。今年はすこし少なめ。だけど、888などの化成肥料も導入したので、ナスやキュウリは二週間に一度くらい追肥予定。

8)トウモロコシは昨年失敗して、今年はクラインガルテンにアメリカインディアン原種のグラスジェムコーンなるものを作付している。スイートコーンのように甘くはないので、ハクビシンやカラスの被害は少ないと思われるが、どうなるだろう。

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9)トマトやメロン、スイカの類は、昨年うまくいかなかったので、今年は作らなかった。期待値ばかりが大きすぎると失敗した時の落差が大きい。

10)しかし、それにしても、二年目の今年の失敗としては、一年間の畑のサイクルと、自分の身体のサイクルをうまく合わせることができなかったことである。1月2月の雪に埋もれた畑に何度足をはこんでも、やることはない。

11)ところが、3月4月の農繁期に向けての体調づくりが出来ていなかった。他の仕事で体がクタクタになり、畑にいく気力が失われていたのである。4月には契約更新に一回行ったきり。5月だって連休は体がクタクタで寝てばかりいた。

12)畑にようやくでるようになったのは5月後半から6月になってからだった。これはマズイ。キチンと畑と自分の体調を整えていく必要がある。人畑一体、というべきか。

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12)そんな体調不良な私を救ってくれたのが、ニンニクである。夜寝る前に醤油に付けたニンニクを一粒の半分づつ食べている。サイクル的には、これが良かった。だんだん体力が回復してきて、なんとなく毎日、毎週、畑にでる体力と気力が戻ってきているようだ。

13)さて、このニンニクは、自分で作ったものではない。他から貰ったものだ。自分の畑では、実は失敗した。失敗した理由はまだよく調べていないので分からない。おそらく石灰かなにかが不足していたのだろう。

14)二年目だから、あまり失敗談ばかりあれこれ書き連ねることはできないが、失敗しないことには成功もできない、というのも真実だから、まぁ、今後も、人畑一体を目指して、楽しんでいこうと思う。

<29>へつづく

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2016/07/06

「癒される旅」極道(ヤクザ)の娘が自分探し 田岡由伎 <2>

<1>からつづく 

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「癒される旅」―極道(ヤクザ)の娘が自分探し <2>
田岡 由伎 1999/10 講談社 単行本: 241p
★★★★★

1)当ブログには、1.0+2.0で、都合10000に及ぶ記事がある。その中にあっても、ロングテールならぬ、トップヘッドともいうべきアクセ数が集中するページが存在する。さらに、そのトップ10の一冊に入るのが、この本についての前回の書き込みである。

2)なぜそのような現象が起きているのかしらないが、おそらくこの本に対するネット上の情報が少ないので、おのずと当ブログがリストの上位に上がってくるのだろう。それにしても、書き手としては若干複雑な気分だ。

3)前回書いた時の評価は、実は、最低レベルの★ひとつである。そんな感想を、多くの人が読むのは、ちょっと気の毒だ。だから、時には、このページにアクセスできないように隠したこともある。

4)しかし、時間が経過すると、いやいやそれはフェアではない。自分の気持ちを素直に正直に書いたのだから、それがどんな理由にせよ、目についた人が読むことを拒んではならない、と反省する時もある。

5)いずれにせよ、この本は喜多郎追っかけの中で読まれた本であり、ある意味、喜多郎の「実像」に迫るには、かなり重要な一冊ということになる。この本に書かれている内容が全部真実であるとはいえない。おそらく、この本もゴーストライターが書いたか、出版者のアドバイスがあるのだろうから、注意して読まなければならない。それでもなお、全体を見る場合、よきステレオ効果を期待できる一冊である。

6)今回、ゆえあって、またまた喜多郎追っかけが再燃した。それでまたこの本を手にとったわけだが、今回は、喜多郎だけではなく、著者である女性の立場をも、よく読みとってみようと、思い立った。

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7)「本を書くねん」と喜多郎が神戸に来たときに告げたら、一瞬、彼の顔は、ザザッとくもったが、即、気を取り直し、「どんな本?」と尋ねてきた。「エッセイみたいなもん」と答えると、それ以上追及してこなかった。きっと、これを読んだら、メチャメチャいやな気分だろう。

 昔の終った話を、しかも、別れた妻が書くのだから、一方的に自分が悪者になる役回りとなる。当然、彼が書いたら、また違う新しい物語となるだろう。

 これは、あくまで、私の目から見た風景なのだから・・・・。腹立ったら怒ってください。我慢せずに言ってください。

 とはいえ、書いてしまったので後の祭りですが・・・・。元夫をネタに本を書いたのは私であって、これがきっかけで、また息子との距離が遠のくのが私にとって何より辛いことなのだ。それだけは、やってほしくない一番恐いことである。(中略)

 元夫がどんな形であれ、幸せであって欲しいと強く願っている。

 この本で恨まれるかもしれないが・・・・。私の生き様の一部を曝け出しているに過ぎないのである。p132「結婚、そして別離」

8)ご本人様たちがそのように納得しあっているなら、一読者はもうすでにどうのこうのいう筋合いではない。

9)最初の出会いはどのようなものであったのか。それは新幹線の中の偶然な出会いということになっている。

10)喜多郎と出逢ったのは、1983年の春だった。神戸から東京に向かう新幹線の中である。(中略)

 そこに、新大阪から一人の男が乗ってきた。彼の顔を見て、「あ、喜多郎にそっくりだ」と思った。

 信州の長野県八坂村に暮らしている喜多郎は、スキーツアーでしっばしば信州に出かけるという私に向かって、ぜひ遊びに来るようにと誘ってくれた。喜多郎が名古屋で新幹線を下りる頃には、電話番号を交換し合い、遊びに行く日にちも決めていた。p56「赤い糸伝説の始まり」

11)1954年生まれの彼女は喜多郎の2学年下。お呼びではなかろうが、私は丁度その中間。昭和の戦後っ子の私たちもすでに還暦を迎え、孫子に囲まれて暮らす年代である。かつてのことをどうのこうのと言っても、すでにそれぞれの出来事を脚色なしには思い出すことも、語ることもできない年代となっている。

12)この本が出たのが彼女45歳の時、息子もまだ14歳ほどだった。あれから17年も経過すれば、その息子もさぞや大きくなったことだろう。我が家の子供たちも似たり寄ったりだ。

13)読めば読むほど、一般人には住んでいる世界の違いを感じさせる一冊ではあるが、自己開示して一冊ものしていることには、ここで素直に座布団一枚捧げておく必要があるだろう。

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2016/07/05

「1968新宿」 渡辺眸写真集

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「1968新宿」 渡辺眸写真集
渡辺 眸(写真)2014/08 街から舎 単行本(ソフトカバー): 160ページ 渡辺眸関連リスト 
No.3750★★★★☆

1)当ブログによるカメラウーマン追っかけもそろそろ終盤である。この本は彼女の作品の中では最近に属する一冊であろう。しかしながら、その最近作が最もデビュー時代に近い一作というのも、何やら面白い。

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2)私の手元に来たのは中身だけだったが、実際にはカバーケースが付いているらしい。腰巻に推薦文を書いているのは荒木経惟。「これは過去の写真ではない。現在の写真である。」

3)この本には、頁も、キャプションもない。ただひたすら1968年の新宿らしき風景が、白黒で続く。いきなり名の知れた人も登場する。なにやら演歌歌手、丸山(のちの美輪)明宏、加藤登紀子、浅川マキ?、山本コータロー?、なにやら状況劇場、赤テント? 唐十郎、四谷シモン? その他、いろいろ。有名無名の人々が、フラットに一枚一枚の風景に解けきっている。

4)ふと、見つけた一枚は、ひょっとすると、あの有名なお方ではないだろうか。一緒の女性はおそらく娘さんだろう。プライベートにこの距離でこの写真を撮ったというわれらがカメラウーマンは、どういうご関係だったのだろう。

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 5)まったく偶然だが、たまたま同じ日に図書館で受け取った別の本には、このような写真が掲載されていた。

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  「癒される旅」  田岡由伎(1999/10講談社)

6)上の写真は、タイトルどおり「1968年新宿」として、下の写真は「1971年神戸」ということになる。おそらく、この二枚に写っている人びとは、同一人物であるように、思えた。

7)この写真集、1968年とは銘打っているものの、「東大全共闘1968‐1969」2007/10 新潮社)とは一線を引いた世界である。ある思想的な嗜好性を排除して、ひたすら「新宿」を追っている。

8)荒木経惟がどう言おうと、これは1968年の新宿である。フーテンの新宿、フォークゲリラの新宿、だが、決してそこに拘泥しない。もう50年も経過した、あの時代の日本の風景である。

9)ところで、この写真集は「株式会社街から舎」というところからでている。発行者はあの「新宿プレイマップ」の本間健彦である。彼の本は二年ほど前に「60年代新宿アナザー・ストーリー」タウン誌「新宿プレイマップ」極私的フィールド・ノート(2013/06 社会評論社)を読んだ。

10)話はまったく変わるけど、本間はこの自著でマンジェロの「古新聞」に触れていて、なかなかに興味深かった(笑)。

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「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<3>

<2>からつづく

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「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<3>
喜多郎(著) 1981/06 講談社 単行本 222ページ 喜多郎関連リスト

1)前回の記事について、信頼すべき畏友M氏より、次のような書き込みをもらっていたので、こちらに再録しておく。

2)坂本龍一のコメントは、興味深い。
実は、音楽も幾多郎のは好きじゃないし、今は、ウォンさんの曲をよく流してます。

喜多郎の曲、最新のは分からないけど、初期のものは第四身体内部に自閉してるから、
デバカントの曲もそう、
よく似たところがあるけど、カルネッシュの曲は、彼方を指してるところあるので好感あり、
(私「
Deuterはどうですか?」)
ドイターはいいです。
アヌガマは、もっといいけど、SNS上でのM氏からのレスポンス

3)このレスについて、私も感じるところがあったので、SNS上で会話を試みたのだが、どうも私はSNS上での会話は苦手である。ひとつに、相手によく思われたいために媚を売ることもあるし、相手の言葉の真意をつかむのに時間がかかってしまうこともある。誤解が誤解を生んで、バトルや炎上まで行かなくても、なんとなく不燃焼な想念を抱える時もないではない。

4)M氏の言葉にすぐにレスポンスできなかったのは、ひとつには、私はあまり音楽自体を必要としない人間であることによる。深く聞いてもいないし、まとまった感慨をもってもいない。ただ、そういう音の世界がある、ということだけは知っている、という程度にとどまる。

5)今回のこの本をきっかけとして会話を発展させようとすれば、いくつかのテーマが出てくる。
・喜多郎というアーティストについて
・坂本龍一というアーティストについて
・坂本隆一VS喜多郎というエピソードについて
・彼らが登場してきた1980年代初頭の文化状況について
・例えば、シンセサイザーとか、ロックとか、カウンターカルチャーとか。
・クラウス・シュルツ、タンジェリン・ドリーム、イエローマジック・オーケストラ、富田勇、喜納昌吉、グレイトフル・デッド、ファーイースト・ファミリーバンド、宮下富実夫、その他、などといった、当時の並び称されたアーティストたちとの比較。
・喜多郎の辿った、アーティストとしての変遷。
・瞑想音楽としての必要なもの。
・実際の瞑想に使われた音楽たち。あるいは楽器。
・世界。
・オリエンタリズムとは何か。西洋文化とは何か。アメリカとは何か。
・瞑想とは何か。音楽とは何か。エンターテイメントとは何か。
・コマーシャルとは何か。ビジネスとは何か。
・パーソナルと何か。ユニークとは何か。オリジナルとはなにか。クリエイトとは何か。
・ウォン、デバカント、カルネッシュ、ドイター、アヌガマの音楽とはどんなものか。
・「第四身体内部に自閉」とは、どういう意味か。
・瞑想音楽にふさわしい具体例。
・瞑想とは何か。
・音楽とは何か。
・人間とは何か。
・私は誰か。
・それについての自分自身の感じているもの。
・そして、それについての、世界の反応。
・などなど。

6)テーマとしてはどれも面白そうである。

7)しかし、当ブログの進行上、喜多郎というアーティストのこの50年の歴史をまずは追っかけてみることも面白いと思う。実のことを言えば、私は喜多郎の音楽は嫌いじゃない。聞くけど、正直いうと、すぐ飽きる。同じテーマ曲が繰り返されるから。だけど、何かの拍子に聞くのはいい。

8)パフォーマーとしての喜多郎についてはよしあしあるが、時代の流れの中で、音楽で生きていこうとした場合、あのような生き方があってしかるべきだったのだろう、と理解はできる。

9)「あざといオリエンタリズムが気色悪い」という評価があることは分かったが、じゃぁ、それを誰が誰に対して言えるのか、という疑問が湧く。少なくとも、坂本龍一自身が、喜多郎に対して言えるのかどうか、は疑問である。

10)少なくとも、ファーイースト・ファミリーバンドと、イエローマジック・オーケストラの、80年前後のヨーロッパにおける活動や反応をキチンと整理しておく必要を感じる。

11)坂本の発言は、あれこれ検索してみると、複数のテレビ番組で発言したことになっており、少なくとも4~5の番組名が登場している。これは坂本があちこちで言っているのか、あるいはネット上のネタが輻輳して歪曲されて面白がられているのか?

12)反面、喜多郎のほうは、シンセサイザーの使い方を、クラウス・シュルツや細野たち以外の方法で使いたい、と、割と冷静に反応しているように見受けられる。

13)ネット上では、この喜多郎VS坂本龍一は、面白ネタとして、多くの音楽ファンに楽しまれているようだ。これはこれで、炎上ネタとして貴重なものであろう。

14)ちなみに、喜多郎ネタはネット上で山ほどある。追っかけ切れないであろう。当ブログとしては、あと数冊あるらしき喜多郎本をカバーし、もう少し最近までの活躍をフォローしたら、その時点で、とりあえずフェードアウトしていこうと思う。

15)正直言えば、私個人の喜多郎おっかけは、彼が80年代初めに結婚した段階で、終わっていたのだ。一リスナーとしてさまざまな誤解を持っていたとしても、一パフォーマーに対する一人のリスナーとしての好き好みで言えば、それはそれ以上でも、以下でもない。

つづく・・・・かなぁ。

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「Tarzan(ターザン)」 2016年 7月14日号 自律神経 チューニング術、マインドフルネス入門<1>

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「Tarzan(ターザン)」 2016年 7月14日号 自律神経 チューニング術、マインドフルネス入門 <1>
マガジンハウス  (2016/6/23) 雑誌 月2回刊版
No.3749★★★★☆

1)ということで(どういうことじゃぁ)、駐車場代を出す代わりに購入してきた一冊。動機が不純だけにすぐ読んでやろう、という気概がない。どうかすると表紙を見たまま、放り出しておいてしまう。

2)実は先日他の書店で長時間立ち読みしたので、大体内容は分かっているつもりだったのだが、私の関心を誘ったのは、交感神経と副交感神経の絡みの部分。先日、保健指導の人から、なんだかそのことを説明されて、ふ~~ん、と思ったきり、いつか調べようと思っていたのだ。

3)そして、実際に購入してきて目についたのが、第二番目の特集で「ビジネスエリートも注目の瞑想術 マインドフルネス入門」という奴がついていたことだ。

4)ああ、今はやりのマインドフルネスね、なんて、やや斜めに見ながら、パラパラとめくってみる。ビジュアルがよい。若い女性が目を閉じて瞑想していたら、やはり目がいく。説明の文章なんてどうでもよくなる。

5)それは、瞑想でもヨガでも、太極拳でも、おんなじだね。「ビジネスエリート」なんてところが味噌だが、実際、古い雑誌などをめくっていると、「成功する人は座禅を組む」みたいな本は、ずーと昔からゴロゴロしている。別段に珍しいものではない。少なくとも日本においてはね。

6)それがグーグルやアップルの社員たちが注目し始めたというマインドフルネスを日本に逆輸入しようとしている流れもあり、まぁ、痛し痒しだが、それはそれでいいのではないかなぁ。

7)先日「グーグルのマインドフルネス革命」(2015/5 サンガ編集部)なんて本を読んでいて、なんだかなぁ、と、やはり冷やかし気分であった。ソーヤー海という人物のガイド瞑想のCDもついていた。だが、それはそれ、よく考えてみれば、それはそれでいいことなのだろう。

8)最近、何かの拍子にこのソーヤー海の頁を見たら、「マインドフルネス(禅)」というような表現があって、ああ、やっぱり言い直しているか、と納得した。まぁ、とりようによってはまったく同じことなのだが、技法としては同じでも、方向性や、表現の仕方によっては、さまざまな違いは生まれる。

9)私はゆえあって、すでに人生の初期からOshoに縁があり、その瞑想にいそしむものであるから、その道の上にあるわけだが、他の道を排除するものではないし、他の道と交流や交差することを嫌うものでもない。 

10)短い人生だが、それぞれに機縁というものがあり、タイミングとネットワークで、さまざまな道が構成されるのである。

11)時間と空間のクロスするところ、自分という存在が、息づく。

<2>につづく

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2016/07/04

「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<2>

<1>からつづく

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「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界<2>
喜多郎(著) 1981/06 講談社 単行本 222ページ 喜多郎関連リスト

1)この本、リアルタイムで所蔵していたのだが、現在わが書庫には見当たらない。すでに10年以上も前から蔵書は増やさないことを心がけてきたし、不要になったものはチリ交に出してきた。でもこの本は本来保存版だから、どこかにあるか、ひょっとすると友人に貸したかして、そのままになったのだろう。

2)少なくともこの本の中の一枚の写真をミニコミ「ツクヨミ」版の「湧き出ずるロータススートラ」に借用しているので、1992年あたりまでは所蔵していたはずだ。

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        p206

3)今回、図書館から借りてこの本を一気に読んだ。わずかこれだけの小さな本にこれだけ沢山の情報が詰まっているのだなぁ、とあらためて再認識した。前回(と言っても30年くらい前)は、なにはともあれ喜多郎はサニヤシンだよね、という確認の「証拠固め」(笑)として保存していたのである。

 彼は、ラジニーシから「橋になれ」とさとされた。そして、橋という意味を含むヒンズー名、”スワミ・デバ・セトウー”という名前を授けられた。橋になれ、人と人とのかけ橋、人と自然とのとのかけ橋、すべてが結ぶ橋になれ--その教えは、彼にとってきわめて意味深いものだった。p200「シンセサイザーと旅と」

4)今回この本を再読しようと思ったのは、ずっと気になっていたクラウス・シュルツとの絡みや、ファーイースト・ファミリーバンドの「実体」。そして演出される喜多郎の音の世界だけでなく、それが生まれてくるバックボーンについて、もうすこし調べてみようと思ったからだった。

5)喜多郎についての本は、それほど多くない。この本と、CD付写真エッセイ集「喜太郎KITARO」(2007/02 主婦と生活社 当ブログ未読未確認)、と、かつて夫婦だった人のエッセイ集「癒される旅―極道(ヤクザ)の娘が自分探し」  (田岡由伎1999/10 講談社)、それに「ファーラウト」から「ファーイースト・ファミリーバンド」までのバンド仲間だった宮下富実夫の三冊の著書あたりに限定されるのだろうか。

6)この本は1981年にでている。1953/02/04生まれの喜多郎28歳の時である。ちなみに私は一学年下なので、ほとんど時代体験は似ている。この当時、まだまだ喜多郎は、いわゆる土方とかコンクリートの穴開けとかのアルバイトも時にはしていたようである。

7)あの高度成長期からバブル期に向かっていた時代に青年期を送った我々には、このような生き方をしていた仲間たちは多かった。ミュージッシャンを志す仲間たちのこのようなライフスタイルも多かったに違いない。

8)今回この本を再読して、もう一か所、サニヤシンらしき形跡を見つけた。

 家には、二階に切り炬燵があって、ちょうどそこに茶釜を置けるようになっている。そこで、私は毎朝、囲炉裏でおこした火をそこに移すと、茶釜で湯を沸かし、一服の茶を点てる。

 それから、古ぼけた書見台にラジニーシの本などを載せて朝の読書にふける。一日のスタートからして、村の生活は快適そのものなのである。p144(長野--自然の恵みの中で」

9)この本、一人称と三人称が使い分けられていて、時には同じ状況について重ねて書いてあるところもあるが、いずれ、文章の達人とは思えない喜多郎からゴーストライターが聞き書きをしたのであろう。そのリフレイン自体は、相乗ステレオ効果があって、それはそれでなかなかいい。

10)「タンジェリン・ドリーム」やクラウス・シュルツとの絡みが気になっているのも、実は、Oshoの代表的な瞑想音楽は、チャイタニア・ハリというドイツ人がほとんど作っていて、彼(Deuter)はタンジェリン・ドリームに参加していた、と聞いているのだが、どうも確証が取れていないからだ。だれか詳しい人に聞けばすぐ分かることだろうが、ひとつひとつ辿って、調べていくのも、ボケ防止にはなる。

10)そう言えば、この本には、セブンやキヨシらしき人物たちも写真でゲスト出演している。(笑)

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   p142

11)今回検索していて、こんな記事を見つけた。

 坂本龍一がテレビ番組「テレビ探偵団」にゲスト出演した際、司会の三宅裕司から「嫌いなミュージシャンは?」と聞かれ、「あざといオリエンタリズムが気色悪い」という理由で喜多郎の実名を出して批判した。 Wikipedia

12)この坂本の発言はいつの時代のことかはっきりしないが、少なくとも、この本がでた1981年当時では、喜多郎が、自然に日本的なものや東洋的なものに回帰していった経緯はよくわかるし、「あざとく」演出されているかのような形跡はまったくない。

13)巻頭には当時の喜多郎のマネージャーとされる南里元子氏がコメントを寄せているが、そのタイトルは「マインド・ミュージックは80年代に生命を与えた」とある。

14)81年にでた本で、80年代を一喝しているのも見事だが、80年代にマインド・ミュージックは生命を与えられたのではなく、「マインド・ミュージック」が「80年代に生命を与えた」のである。

15)見事なコピーだ。

<3>につづく 

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2016/07/03

「講座スピリチュアル学」 第4巻 スピリチュアリティと環境 (地球人選書 講座スピリチュアル学)鎌田 東二(編集)<5>

<4>からつづく

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「講座スピリチュアル学」 第4巻 スピリチュアリティと環境 (地球人選書 講座スピリチュアル学)<5>
鎌田 東二(編集) 2015/07 ビイングネットプレス 単行本: 265ページ  「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト 
No.3748★★★★☆

1)このシリーズも4冊目。ここまで来ると、この講座の読み方も分かってくる。早い話が、各冊、巻頭と巻末の編集者の部分を読んで、しかも、10人ほど寄稿している記述者たちのうちに一つでもお気に入りを見つければそれで、十分なのである。

2)この号では、田口ランディ「出羽三山巡礼 女の聖地を探す旅」p146が面白かった。田口と一緒に旅したレイラさんの描写も面白い。旅した先が沖縄や山形だったというのも面白いし、途中経過や結論もそれなりに面白い。しかし、こちらの想定を遠く超越したものではない。むしろ、その範囲内に、静かに収まる。

3)もちろん、編集者の部分も要注意なのだが、これは全7巻完結した時点でせめて「編集者」の部分だけでも通読してみて、結局この講座の意味が解ってくるだろう。

4)編集者は、イメージとしては日本的神話性・宗教性に極めて強い説得性のある研究者だと見てきたが、それこそが彼の個性でもあり、見どころでもあり、時には弱点ともなる。

5)「地球人」選書として、講座「スピリチュアリティ」学を唱えている限り、当ブログとの親和性は極めて高いように思うが、各論を書いている人々はほとんどが未知の人々だ。おそらく編集者の個的なネットワークから登場してくる人脈なのだろうし、その分、当然、編集者のカラーが色濃く反映されているはずだ。

6)そして思う。結局、地球人として問われているのはそこに関わる各人なのであって、この選書、この講座で言えば、編集者その人である。その人のスピリチュアリティが問われているのである。それは、研究成果でもなければ、著書や作品でもない。その人がどう生きているか、その存在そのものが問われているのだ。

7)もし、この選書、この講座抜きにして、この企画・編集者は、自らをどう見ているか、どう生きているか、そのことが浮き上がってくれば、もっともっとこの選書、講座は、メリハリのついた衝撃的で感動的なものとなろう。

8)逆説的ではあるが、研究者であるかぎり、このような著書や研究結果を提出するのは、彼の生き方に関わることであろうし、また、彼の生き方そのものがもっと激烈になれば、この選書、この講座も、もっともっと的を射たものとなるだろう。

9)そう言った意味において、通りがかりの一読者としては、なにかもう一つ足りないものを感じる。全7巻のうち、ちょうど半分を通り過ぎたところである。残り後半は、そのような視点から、もっと恣意的に読み進めてみようと思う。

<6>につづく

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「Instagramマーケティング」できる100の新法則

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「Instagramマーケティング」できる100の新法則
株式会社オプト(著) 2016/03 インプレス 単行本(ソフトカバー): 240ページ
No.3746★★★★☆

1)SNSもさまざまな進化を遂げ、あるいは淘汰され、残って定番化するものはそれほど多くない。新しい特徴を持ったアプリやサービスでなければ、注目もされない。それを目指して開発者たちはしのぎを削る。

2)当ブログとしてはこのサービスについてはこれまで、「今すぐ使えるかんたんインスタグラム」 (2016/2/20 技術評論社)を読んだきりである。こちらの「マーケティング」が二冊目。しかし、だからと言って大きく心動かされるものでもない。

3)この手の新たなサービスについて、5つのステージで言えば、私なぞは常に3のレベルにとどまっている。常に開発に加わるイノベーター・クラス(1)の友人もいないわけではないが、ごく少数。だが、いつもいつも(2)のアーリー・アダプターの仲間たちも、常に存在する。私は大体メジャー化する直前に加わる(3)のアーリー・マジョリティが定位置で、レイト・マジョリティ(4)とはタッチの差である。せめてやるきのないラガード(5)に堕することだけは回避しようとしているが、まぁ、サービスによっては、このラガード(不採用)者にあえて留まることもある。

4)そういうステージで言えば、このインスタグラムは現在、おおよそ2からようやく3になりかけているかどうか、という状況であろう。いつも早い人々はとっくに登録済みで、周囲の状況は把握している。私と同レベルの3の人々は、登録しようかどうか悩みつつ、様子見の段階。4レベルの人はその存在さえ知らない。

5)インスタグラムは画像や動画に特化しているとは言うものの、結局、人間は、どこまで多くの人々と関わり得るのか、というところを煮詰めていかないと、アプリやサービスをどれほど開発したとしても、本質的に人間社会を変革することにはならないだろう。

6)インスタグラムはフェイスブックと連動しているので、人によっては邪魔な支線が残ってしまう。また画像や動画を「検索」するだけなら、もはやgoogleやyoutubeで十分だろう。ただ、発信しようと言う場合、しかも目的を持って、しかも効率よく画像や動画を拡散しようというのなら、なにか新しい方法が必要となる。

7)その手の人々にはこの新しいサービスも悪くはないだろう。

8)というレベルで対応中の当ブログであるが、多少のメリットはあるが、大きなデメリットが顕在化してくれば、無視、撤退、削除もあり、という模様眺めの段階である。レベル3直前の現在だろう。

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「講座スピリチュアル学」 第2巻 スピリチュアリティと医療・健康 (地球人選書 講座スピリチュアル学)鎌田 東二(編集) <3>

<2>からつづく 

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「講座スピリチュアル学」 第2巻 スピリチュアリティと医療・健康 (地球人選書 講座スピリチュアル学)
鎌田 東二(編集) 2014/11 ビイングネットプレス 単行本: 263ページ  「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト 
No.3747★★★★☆

1)この講座シリーズの中には、仙台という文字が頻出する。当地に住まう身としては、いちいち気になるところだが、その理由がいくつかある。その一つは、このシリーズがいろいろと準備されていたことは伏線であったとしても、直接の出版のきっかけは3・11東日本震災にあったからである。

2)その災害からの復興をめざして、スピリチュアリティの研究をより進めようという意図が強く打ち出されたことにあった。

3)もうひとつは、関連団体としてしばしば「臨床宗教師」という資格認定について触れられうが、その発案は、東北大学に縁があった岡部健という方で、その存在でゆえに仙台の文字がでてくる回数が多いようだ。

4)その他、この号としてはホーリステッィク医学の上野圭一「代替医療から見たスピリチュアリティ」あたりが、当ブログとしては大変興味深く読み進めた。

5)巻頭、巻末は例によって編集者である鎌田東二その方が締めているわけだが、 なかなかに多岐にわたる研究分野であるので、この締めがないことには、実に取りとめのない研究分野になりかねないことになる。

6)当ブログとしては、これまで、現代的な職業の象徴として、プログラマー、ジャーナリストと、カウンセラーの三つを挙げておいた。しかもカウンセラーについては、自己の死、魂の転生についても対処し得るセラピスト的な存在を仮定しておいたのだが、この号、あるいはこの講座シリーズは、そのよりよき教材にも成り得るものである。

<4>につづく 

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「Pen(ペン)」 2016年 7/1号 人気クリエイター100人の愛用品。<1>

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「Pen(ペン)」 2016年 7/1号 人気クリエイター100人の愛用品。<1>
CCCメディアハウス 2016/6/15 雑誌 月2回刊版
No.3745★★★★☆

1)大好きな雑誌である。好きな雑誌はありますか、と問われたら、まずはこの「Pen」と「Wired」が出てくるに違いない。他にも好きなものはあるが、すぐにはでてこない。その中にあって「Pen」は気になる雑誌ではある。

2)しかし、毎号気になるわけではない。時には全然的をはずした特集にがっかり、見向きもしない時もある。しかし、年に何回かは、これは永久保存版でしょう、と納得の号も、ある。

3)その中にあって、この号を買ってしまったのは、特段に保存版にしようと思ったわけではなかった。たまたま買ってしまったのである。某電化量販店で1000円購入すると駐車場が一時間無料、という奴に引っかかったのである。600円P代に出すより、1000円で雑誌を二冊、というトリックに、たまには引っかかってみよう、と思ったのであった。

4)店を出る直前の数分間に二冊の雑誌をすぐ手に取ったのは、数日前に別な書店で立ち読みして、こういう雑誌っていいよなぁ、と思っていたからだ。目についたところをサッと選んできた。

5)この号、何処がどう、ということはないのだが、あちらこちらにポチポチと、気になる写真やら記事がある。う~~ん、いいよなぁ。さすが「人気クリエーター」たちの「愛用品」。特段に物に執着する性格ではないが、ほう「人気クリエーター」たちとは、こういう人種なのか、とやや冷やかしぎみに眺めてみる。

6)なるほど~、色調がいいよねぇ。質感もなかなかだ。家具、食器、自転車、カメラ、車、靴、鞄、文房具、時計、バッグ、焼き物、かっこいい人たちはかっこいいね。なかなか刺激的な一冊。

7)結局これも保存版になりそうだな。

<2>につづく

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2016/07/01

「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界 <1>

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「喜多郎」 マインド・ミュージックの世界
喜多郎(著) 1981/06 講談社 単行本 222ページ 喜多郎関連リスト
No.3744

Kr007             裏表紙見返し

1)1980年

 三月、仕事でヨーロッパへ向かう途中、インドに立ち寄り、デカン高原の都市プーナでアシュラム(道場)を開いているグル―(導師)、バグワン・シュリ・ラジニーシを訪れた。以前から心惹かれるものを感じていた彼は、どうしても一度会ってみたいと思い続けていたのである。

 「本当に会ってよかったですね。久々にキックを受けたというか、目を覚まさせられた感じです。マラ(数珠)をかけてくれて、ポンと軽く頭を触れられた時には、瞬間、ビーンと、なんとも表現のしようがないショックを感じたものです。

 彼は、ラジニーシから「橋になれ」とさとされた。そして、橋という意味を含むヒンズー名、”スワミ・デバ・セトウー”という名前を授けられた。橋になれ、人と人とのかけ橋、人と自然とのとのかけ橋、すべてが結ぶ橋になれ--その教えは、彼にとってきわめて意味深いものだった。

 なぜなら、彼の体を通して生まれるマインド・ミュージックは、まさに、その橋のような役目をはたすものに他ならなかったからである。事実、今、彼はその教えを「実践しているような感じ」もしているという。

 二週間、インドに滞在した彼は、デカン高原の奥地に入ったり、周辺の町を歩いたりして、旺盛にインドの自然、心を吸収していった。帰国してからの彼は、”自然からの愛”ということを強調するラジニーシの教えもあって、それまで以上に強く自然を求めるようになった。

 ”海もいい、しかし、もっと自然に包まれるために、山深い所に住みたい・・・・”---そんな思いを持つようになったのも、この頃からである。p200「シンセサイザーと旅と」

Kr101            p107


Kr009            p80

Kr02
        p206

<2>につづく

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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<2>

<1>よりつづく
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「いのちの環」 「白鳩」 「日時計」<2>
生長の家 2016/06 日本教文社 小冊子 p66 
No.3741~3★★★☆☆ 

1)ということで(どういうことじゃ)、またまた頂いてきました三冊。前回は、長い間の固定的な視点からの再突入だったので、へぇ~という驚きはあったが、正直言って、再突入第二弾となると、やや興奮は収まる。

2)エシカル、という単語の使い方は独特だが、昔、松岡正剛オヤブンあたりが「エチカル・アニマル」なんて本を出していて、まぁ、意味は分からないわけではない。これを露骨に日本語で「倫理的」などと表現すれば、それはどうかなぁ、と反発する向きが多くなるだろう。

3)とまぁ言っては見るが、最近義務教育の中の道徳教育とはいななるものか、と議論百出だが、私は現役時代には「道徳」の時間とか、「倫理・社会」の時間は好きだった。いろいろ考えさせてくれたし、特に点数も付けようのないところがよかったのかも。積極的に手を挙げて発言もしたように思う。

4)これが老荘思想に対抗する形での、孔子や儒教となると、おそらくあまり現代的ではないし、西洋にも、世界的にもあまり受けないだろう。現在は定型的な、こうあるべきとか、こうしなくちゃ、というような規範ではなくて、気づき、や、覚醒の上での行動、ということが好まれるだろう。

5)そういうえば、この雑誌のどこかにも書いてあったと思うが、人類光明化運動とやらの表現や具体的にナニを意味するかはともかく、自分たちの生き方在り方との親和性を図ることは可能であるように思われる。

6)しかしだ、もっとわが身に惹きつけて、この三誌を眺めた場合、たった一つの自分の道とは選択する可能性はない。というのか、私は私なりに、自分の立脚点を確かめるために、ひとつの道に属してはいるが、それが唯一だとは思わないし、逆に、自分が何かの立脚点を持っていないと、他の道も理解できないだろう、という意味なので、ここで、わが道を乗り換える必要はまったく感じない。

7)いろいろなセンスの違いがある。出会いもあり、人脈の必要性もあるだろう。道と出会う人生の年齢的なタイミングもあるだろう。

8)さまざまな施設があるのだろうが、この団体の代表的な県の施設が、町内にあるのだ、と知って、ほう、という感慨もあった。

<3>につづく

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