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2016/07/31

「賢治の学校2」「いじめ」を考える 鳥山敏子

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「賢治の学校2」「いじめ」を考える
鳥山 敏子   (著) 1998/05 サンマーク出版 単行本 230ページ
No.3763★★★★★

1)「賢治の学校」 宇宙のこころを感じて生きる 鳥山敏子(1996/03 サンマーク出版)の続編。

2)ちょっと不思議に思うのだが、この本の再販価格が異常に安いのだ。アマゾンの中古本に1円が並ぶ。もちろん郵送料がかかるので300円弱の出費にはなるが、それでもやはり異常である。もとの「賢治の学校」も1円だったので、すでに一冊入手済みである。

3)当ブログはすでに4000冊近くの本についてメモしているが、中古本としてもこれだけ安い本はそうそうない。なぜか。今のところ、なぜなのか私にはわからない。おそらく、この本「2」も面白いので、おそらく私用に一冊入手するかもしれない。

4)「賢治」ブームは、必ずしも反対するものではない。賢治は賢治で立ち上がっていくべきである。賢治をキーワードとして、多くの人々と共感しあうことはとても貴重な体験である。

5)しかし、いろいろ考える。賢治は賢治で素晴らしい。学べど、読み込めど、深い感銘を何度も何度も受け続けることになる。それなのに、いくつかの疑問もまた立ち上がってくる。

6)この夏、私は個人的に二つの大きな誘いに乗っていた。一つは60年代からのカウンターカルチャーの流れであり、もう一つは、日本の霊性に深く忍び込んでいるエソテリック・サイエンスの流れである。

7)私自身、強い関心を持っており、さらには人的に信頼できる友人たちの強い引き合いがある。今からでも私自身は参加するかもしれない。

8)しかし、このとき、「私」とは誰なのか? このときの私とは、どちらかというと「頭」である。思想性であったり、哲学的であったり、思考の流れにつよく同調しているレベルでの話である。

9)その「頭」に、強烈にストップをかけているのが、私の「体」である。この夏の大きなイベントの二つに、「私」は参加しないことを決めた。決めたというより、参加できるような「体」にはなっていない、ということである。

10)具体的には体力に無理がでているようなのだ。それを単に疲労とか事故とかいうレベルで片づけるのではなく、天からの啓示として受け取ることも可能なのだ。

11)ちょっと極端にいうと、私には、カウンターカルチャーへの関心も、エソテリック・サイエンスにも強い関心を持っている。だが、常に、それに対する疑問や違和感も持っている。心から100%OKと言っているわけではない。つまり、どこか好奇心的で、野次馬的で、覗き趣味的だ。そんなことでいいのか。

12)端折っていえば、私は、この二つの流れとの間に距離をおく必要を迫られたのだ。考え直せ。もっと大事なことはないのか。すでに体力も、時間も、持てるチャンスも減っているぞ。残されているチャンスを使うのに、そちらにどんどん流されていっていいのか?

13)結論から言えば、まもなく終わる当ブログの現行カテゴリを継ぐ形で、次なるカテゴリは「OSHO my love」にしようと思っている。

14)そうしてから、あえて賢治を見つめなおすと、私は私なりに賢治を批判的に見つめなおし、アンチテーゼを出しておく必要も感じることとなる。

15)・今生きていれば賢治は120歳だ。彼の時代と、私たちの時代の、その状況のすり合わせが、必要だ。
・農本的な産業構造が、これから日本のみならず、世界の地球上の基本となりえるのか。
・子供や教育という、そういうターゲットに絞りこむだけでいいのか。
・賢治の時代の科学は、むしろ黎明期にあった。現在の地球上の科学は、反省期、あるいはほっかぶり断行期に来ている。
・電力について、賢治はどう見ていたか?
・職業について、親について、地球的環境の危機について、賢治はどう考えている?
・そもそも、イメージを投影しやすい賢治を持ち出して、各人がそれぞれに自分のマインドやプロジェクトをまとわせることに、どうも悪辣な作戦を感じてしまうのだが。
・賢治、賢治のブームは、私は別段に邪魔ではない。わかりやすい。しかし、どうも私の「頭」に反して、「体」はそう考えていない、そのことを痛感する。

16)鳥山敏子の「賢治の学校」について、面白い、と思う。それは、鳥山が面白いのだろうか。賢治が面白いのだろうか。あるいは、鳥山+賢治、という取り合わせが面白いのだろうか。

17)「体」よりもどちらかというと「頭」志向性の強い私ゆえ、今後どうなるのかわからない。しかし、当ブログのかじ取りとしては、ここは、賢治に投影してきたエネルギーを、もともとの本筋であるOSHOへと回帰していくことにする。

18)そういった意味において、この本は当ブログのターニングポイントに位置する大事な一冊となった。

つづく・・・かも。

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