「修羅」から「地人」へ 物理学者・藤田祐幸の選択─ 福岡 賢正 (著)
「修羅」から「地人」へ ─物理学者・藤田祐幸の選択─
福岡 賢正 (著) 2014/05 南方新社 単行本(ソフトカバー)183ページ
No.3761★★★★★
1)藤田祐幸さん。私の場合は、自らの立場を考え、尊敬と感謝を込めて、藤田祐幸先生、とお呼びすべきであろう。
2)1986年、私は慶応義塾大学の通信教育の学生として、大学キャンパスのスクーリングで一般物理の講義を受講した。その時の講師が藤田先生だった。私の専攻は文学部の哲学や心理学を中心とするコースだったが、カリキュラム上、物理の授業や実験を受講する必要があった。
3)私は先生の講義を積極的な意味において選択したのではなかったが、実に印象深い授業だった。
4)1986年4月、当時のソ連の原発チェルノブイリで大変は事故が発生し、世界中が恐怖の中に突き落とされていた。本来、一般物理の地味な授業のはずだったが、先生は昇段するなり、チェルノブイリの話を始めた。
5)私はもともと反原発派ではあったが、ここでいきなり原発の話になるとはまったく想像していなかった。虚を突かれただけに、二時間だったか三時間だったかの先生の講義には釘づけになって、聞き入った。
6)先生は、その中で、チェルノブイリとはロシア語で「苦がヨモギ」を意味し、さらにそれは、聖書の中の不気味な予言書「ヨハネ黙示録」にある「苦がヨモギ」と同じであることを語られた。私にとっては、驚愕の講義であった。
7)放射能の現場をさまよう「修羅」から、循環型社会のあり方を地に根を張って示す「地人」へ。自らの選択を藤田さんは宮沢賢治の言葉を使ってそう語る。彼はなぜ原発反対に人生をささげ、その末に「地人」として生きることを選んだのか。p12 福岡 賢正「市民側に立つ科学者へ」
8)この本は、そもそも2012/04~2013/03まで毎日新聞西部本社版に連載された記事に、加筆修正、記者だった福岡賢正が一冊にまとめ、2014年05に刊行されたものである。
9)1942年、千葉県生まれ。反原発学者として知られる小出裕章氏は1949年生まれだから、そのさらに7歳上。時代としては60年安保世代の一人となる。二人とも未来に輝く原子力の夢にひかれて物理学を学び始めたものの、原発の本質を知り、大学に残って、反原発の研究・啓蒙に一生をささげた人々である。お二人とも助教、助教授という立場に、あえて甘んじた潔さが際立つ。
10)定年まで1年を残し、慶応大学助教授の職を辞して下したその選択を「『修羅』から『地人』へ」と宮沢賢治の言葉を使って語るように、藤田さんの人生の背骨になって支えてきたのは賢治の生き方への共感だ。その賢治に『ボラーノの広場』という作品がある。p159「宮沢賢治を生きる」
11)藤田先生、小出氏を初め、宮沢賢治を語る人は多い。すべての人々が賢治につながっていくような感じさえする。特に3・11後においては、すっきりと賢治が畑に立っているイメージがさらにさらに強くなる。
12)先生は今年2016年7月18日、お亡くなりになった。衷心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
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