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2016/07/20

「創られながら創ること 身体のドラマトゥルギー」真木悠介, 鳥山敏子<2>

<1>からつづく

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「創られながら創ること」 ―身体のドラマトゥルギー <2>
真木 悠介 (著), 鳥山 敏子 (著) 1993/07 太郎次郎社 単行本 176p
★★★☆☆

1)今回、鳥山敏子「賢治の学校」を読むに当たって取り寄せた4冊のうちの一冊。まずは発行年代順に、と思って読みだしたが、あれ、これは前に読んだなぁ、と思い出した。

2)ざっと目を通してから、前回の自分の書き込みに目を通し、まずは初読と再読では、ほとんど感想は変わらないものだなぁ、と痛感。

3)前回から隔たること6年、この間に、3.11や賢治の再読、古い友人の葬式で共に弔辞を読むことになった吉岡友治氏の経歴から竹内敏晴演劇研究所のレッスンなどや、今回「賢治の学校」を読む契機となったM氏の書き込みなど、いろいろな経緯があって、再読することとなった。

4)今回もここは抜き書きしなければならないだろう、と思った部分は初読時とまったく同じだった。(笑) この本の限界なのか、一読者としての私の限界なのか。なにはともあれ、再読した。

5)今回の感想だけど、結局、この日本における1980年代というのは、高度成長やバブル経済に支えられた社会構造の中で、ひとりひとりの人間の思考は、「お花畑」状態になっていたのではないか、ということ。

6)例えば、少子高齢社会、長期低迷経済社会、改憲勢力台頭時代である今日において、この本に書かれているような「お花畑での自分探し」など、まともに読まれないのではないだろうか。1993年、というタイミングだからこそ、1980年代の懐古という形でこの本は出版され得たのではないか。

7)はずれているかもしれないが、まずは、次回への繋ぎのために、またまたこの程度のメモを残しておくことにする。

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