<1>からつづく

「AI時代の勝者と敗者」 機械に奪われる仕事、生き残る仕事<2>
トーマス・H・ダベンポート (著), 2016/06 日経BP社 単行本: 400ページ
★★★★☆
1)この本をめくりながら、私はずっと、「フーテンの寅」を思い続けていた。寅の世界が古いとか新しいとか、特別だとか、いや、実はあれが普通だった、などというつもりはない。しかし、昭和の戦後の時代において、時代の波は着々とながれ、人々は生き、また、ひとりの時代人としての寅も、一生懸命生きていた、ということ、は間違いない。
2)平成の御代において、そして今上天皇の生前退位のお気持ちをいただきながら、仮に新しい名前の新しい時代が到来するとしても、時代は常に流れているのであり、その世相の中に生きながら、人々はそれぞれに生き抜くはずなのである。
3)AI時代などと、もっともそうなラベリングはともかく、一貫した過去から未来への流れの中の現在として、人はその中で生きていくのである。
4)「AI時代の勝者と敗者」 機械に奪われる仕事、生き残る仕事、などというタイトルは、いかにも日本的であり、ガラパゴス的である。このようなフォーカシングでは、勝ち組と負け組があるのであり、人はすべからく勝ち組に行かなければならない。機械に奪われない、生き残る仕事につかなければならない、というような、二価値判断の、きわめて皮相なテーマにしか受け取られらないのではないか。
5)これは出版元の日経BPに限らず、日本的価値観の狭く薄い読書界を反映するような、きわめて貧弱な翻訳語でしかない。
6)Only Human Need Apply。これが原書のタイトルである。ネイティブでもビジネス英語習得者でなくとも、このタイトルの中に、勝者とか敗者とかの二価値は表現されていない。あるいは、奪うとか、生き残るとか、そのような悲惨な風景も描かれていない。
7)Applyをどう翻訳するかではあるが、適用とか、適合とか適当な翻訳が可能であろうが、すくなくともそこにあるのは、分離化されていない一塊の存在としてのHumanという表現である。
8)車寅次郎を、勝者とか敗者とか二価値に判断するならば、あの映画があれだけ支持され、愛され、いまだに放映され続けている意味は理解できないだろう。
9)小さな寺社のお祭りの門前で、喧嘩バイという寅のビジネスが、何かから奪われていく商売なのか、生き残る仕事なのか、などと今更評論しても、あの映画の魅力は、ちっとも深まらない。
10)この時代において、工業化の波は、次なる情報化の波としてAIの時代到来を告げているのであり、それを今更覆すこともできないし、さからう意味もない。その時代の中にあって、ひとりひとり、私はどう生きていくのかを問い、生きていけばいいのだ。
11)当ブログでは、かつて、現代的な職業として、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラー、というスタイルについて考えることが多かった。
12)AI時代、と言えば、やはりプログラマーというスタイルが一番馴染みやすいだろうな、という思いに反して、この10年の流れを見ていると、必ずしもそうではなかった。かつて花形とみていたSEやIT技術者たちは、時代の流れで、その労働は疎外され、やがて職場を奪われていった。
13)かつては半端な仕事とみられていたジャーナリストも、現代にあっては、ひとつのステータスとして見られるようになってきた。が、こちらもまた情報があふれる時代となって、ひとつひとつの生み出される情報は相対化され、矮小化され、特に独立系のジャーナリストたちは、その行き場を失いつつある。
14)一言でカウンセラーと呼んでいる心理職、あるいは臨床職もまた、この三つのモデルの中では最も価値をもっていそうに期待されながら、実際は独立したものではなく、何かの付属品のように扱われて、実際の価値を理解される時代には至っていない。
15)生き残るIT企業の中に自分の立ち位置を見つけるとか、大手メディアの中で自説を曲げながら中途半端な記事を書き続けるとか、あるいは、病院や学校、介護施設などの中で、専門職として働きつつも、実際は単なる肉体労働に終始してしまっている、という状況がたくさん生み出されている。
16)IT技術、情報リテラシー、心理開示力などは、どれも切り取って専門化することを急ぐのではなく、どの分野においても、それらを十分に取捨選択しながら、今ある自らの業務を進化させていくことで、誰もが人間として生きていける時代としなければならない。
17)翻って、自らが関与している業務を考えてみる。まずはIT環境については、つねにリニューアルしつつ、自分サイズのツールを整えていく必要を感じる。だが、それは、決して深く大きなテクノロジーの理解を意味しない。早い話、使える道具があればいいのだ。
18)ジャーナリズムとは、つまり常に新鮮な情報を取り入れていくことであり、お仕着せの既成概念に落とし込めていくのではなく、可動性、移動性を高め、常に柔軟な行動力を維持することである。
19)三つめである心理や魂の分野における理解力は、ひとそれぞれに深められていく世界でありながら、逆に言えば、それは他の人にとっても独自の世界なのであり、それぞれに多様性があるのだ、ということを理解し、思想を深めていくことである。
20)私は自分の業務を、この三つの要素から逆算してみる。プログラマー的であるか。ジャーナリスト的であるか。カウンセラー的であるか。もちろん、今現在の自分が十分適応できていると断言できるものではない。しかしながら、対応しつづけることは当然可能であり、私自身が勝者になるとか敗者になるとか、という判断はまったく不要である。
21)仕事は奪われてしまうのか、生き残れるのか、という問題提言も、正直言えば、まったく的外れとしか言いようがない。人は、生き残るしかないのであり、奪われない仕事を自ら生み出していくしかないし、生み出しうるのである。
22)いわゆる人工知能がどんどん発達した時代、AI時代の到来を、シンギュラリティという言葉に一元的に表現されるとして、私はその時代の到来を大いに歓迎しているものである。当然そこにはそれぞれの問題意識があってしかるべきである。でも絶望したり、過大に恐れたりする必要はない。
23)Only Human Need Apply。基準を人間に置き、自らを地球人として規定する限り、どんな時代であっても、生きていくことはなんら問題はない。むしろ、生き延びるからこそ人間なのである。
24)私はすでに還暦を過ぎた初老の男である。今更職業選択の幅があるわけではないが、生涯現役として働き続けることをすでに選択した身として、今後も、決して安定した領域ではないにせよ、なんとでも適応しながら、生きていけるはずだと、AI時代をにらんでいる。
つづく、かもね。
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