「プロレス至近距離の真実」レフェリーだけが知っている表と裏 ミスター高橋
「プロレス至近距離の真実」レフェリーだけが知っている表と裏
ミスター高橋 1998/11 講談社 単行本 p284 のちに文庫化 2002/4 講談社プラスアルファ文庫
No.3784★★★☆☆
1)のちのいわゆる高橋本の決定版「流血の魔術 最強の演技」すべてのプロレスはショーである(2001/12 講談社)の前駆となる一冊。すでにここまで「暴露」しているのだから、なにも後日あれほど周囲が驚かなくてもよかったのだろうが、この程度ならまだ許されていた、というべきか、著者としては、これで味をしめたというべきか。
2)中途半端なプロレスファンでしかない私などには、馴染みのレスラーの部分は面白いが、5分の4くらいをしめる名前すらわからないレスラーたちの話題は、ちょっとマイナー過ぎて、かならずしも面白いとは言えない。
3)それでも、これだけのインサイダーが書くことだけに、ひとつひとつの説得力があり、ひとつひとつの年代は書いていないが、割とプロレスというのは同時進行的に私の青春じだいから中年時代まで、ずっと側で伴走していた文化だっただな、と今更ながらに思う。
4)私は中学と高校はバスケット部に属していたが、もともとは体育会系ではないので、高校では2年生から新聞部に転部してしまった。バスケットボールはもともと身体的接触をしないスポーツなので、格闘技とはまったく別な世界観をもっている。
5)そんな私でも、本当は中学校時代、新入生の時、一か月だけ柔道部で体験入部していた。自宅に帰ってきても、畳のある和室で、何度も何度も転がって、受け身の練習をしていたことを思い出した。
6)一か月後に、なぜに柔道部からバスケットにテンブしたのかは、正確には覚えていないが、それでも、柔道という和の個人技の世界と、バスケットという海外のチームプレーの差、ということについて考えたことは覚えている。
7)そのテーマは、ずっと後まで、何度か思い出しては考えてみたが、一向によい解釈はできなかった。そもそも、私の中での「和」としての柔道は、イメージとしての和なのであって、身体的なぶつかり合いは、どうしても自分の道とは思えなかったのだろう。喧嘩も弱かったし。
8)かたやバスケットではあるが、中学校では市内で優勝して県大会に出場したし、高校では県内優勝のインター杯出場高に入学したのであるが、結局は身長も170cm台半ばだったので、レギュラーには残れないな、という読みがあったのか、結局は新聞部に転部した。
9)もっとも、その新聞部も女子高との交流会が目的のようなヤワな連中だったので、結局、新聞部に属しながら、自分ひとりで個人ミニコミを作るような流れを作っていった。そこからが私の人生の始まりだったわけだ。
10)いずれにせよ、体育会系や格闘技、あるいはチームワークというのは、割りとヘタなほうなのだと思う。あえていうなら、静かに孤独を楽しむ、というタイプなのかもしれない。
11)そういうことだから、プロレスのようなエンターテイメントには、外野として、通りがかりの野次馬としては、目を奪われることもあるが、自分の道と行った場合には、なかなか身近に感じることはできない、というのが本音のところである。
12)この高橋本にしても、あと数冊残っているようだし、他のプロレス本は数限りなくあるようだ。ここにハマっていくのは、ちょっと当ブログとしては外れすぎなので、そろそろ終焉に向かうことを考えている。
13)次もまた高橋本「マッチメーカー」を読み始めているが、ちょっと、斜め読みになりつつある。
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