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2016/09/01

「流血の魔術 最強の演技」すべてのプロレスはショーである ミスター 高橋

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「流血の魔術 最強の演技」すべてのプロレスはショーである
ミスター 高橋   (著)2001/12  講談社 単行本 p221
No.3776★★★★☆

1)手品師たちのネタをすべて暴露してしまうような、内幕暴露の決定版。手品師を本当の錬金術師か魔術師か、と思っている観客はすくないだろうが、実際はどうなっているのだろう、とそのネタを考えるのがまた楽しみではある。

2)しかし、プロレスはネタがあったり、八百長があったりしてはいけない、と思っているファンはたくさんいる。そのタブーに挑戦するのが、そもそもプロレスのリングにレフリーとして挙がっていた人物が、自分のネタも含めて、すべて(かどうかは不明)を明かすのだから、面白くないはずはない。

3)ユリゲラーの超能力はすべてネタありの手品ですよ、と言われているようなものだ。そこまで仮に演技しているのだとすれば、ユリゲラーの演技力も相当なものだと思う。だからプロレスだって、仮にネタがあったとしても、それを演技できる力は相当なものだ。

4)反語的だが、ここまでくると、唐十郎の「特権的肉体論」(1997/05 白水社)を思い出す。肉体から演劇へと移行するのか、演劇から肉体に移行するのか。どっちもどっちであろう。肉体的演劇、演劇的肉体、出発点は違っても、結果的に、観客は同じようなものを見ていたことになる。

5)唐十郎の紅テントの場合、演劇ですよ、と言われながら、その迫真のテント空間で、観客は真実を見たような気分になる。プロレスは、真剣勝負の真面目なスタイルをとりながら、実は観客もその演劇性を気づかないふりして、そのショーを楽しむ。いずれにしても、興奮の一夜を過ごすのである。

6)しかしまぁ、よく書いたものだ。ここまで書けば、どの世界でも「刺されて」しまうのではないか、と心配になる。例えば芸能界での内幕暴露ものも相当ある。政治の世界でも、後日談というのがある。あとで真実はわかるにしても、その時はそれぞれにみんな「だまされる」。あるいは「だまされてもいい」と、してその「ショー」を楽しむ。

7)自動車の燃費なんてのも、みんな「ネタ」があることを知っている。だけど、その「演技」をみんな楽しんでいる。楽しんでいるうちはいいが、そのうち仲間割れが発生する。そして、あらたなる「真実」は、あらたなる「勝者」と「敗者」を創出する。

8)考えてみれば、私はプロレスは面白いとは思うが、どうやら圧倒的なプロレスファンから見れば、ビギナーのビギナーだ。ある一時期、釘付けになってテレビのブラウン管を見つめていた程度だ。実際にリングを見に行ったことはない。それでも、プロレスラーってすごいな、と今でも思う。

9)私は、いわゆるガチンコというかセメントというか、そういう「真剣勝負」が好きではあるのだが、例えばフィギュアスケートのように、どうせ転ぶのなら、最初から転ばない演技をすればいいのにと思う。私の好みはどっちなのだろう。

10)ミスター高橋は、プロレスの繁栄を願っている。そしてその演劇性に目覚めてしまっている観客に対して、新たなるプロレスの在り方を提案している。その意見が、実際この本のでたあと、どう反映されたのか知らない。少なくとも、プライドとか、K-1とか言った「真剣勝負」のガチンコ格闘技がもてはやされたのは事実だ。しかし、それもまた、「ビジネス」であってみれば、私ごとき一個人が、中身うんぬんなどということは知りえない。

11)そういった意味において、ミスター高橋の内幕暴露本は面白い。それは、プロレスの面白みとはまた違う。こういう暴露があったとしても、観客は真剣勝負として見ることも可能だろうし、ショーとして見ることも可能だろう。金を出して、自分の好みで見る限り、お好きにどうぞ、というしかないだろう。

12)しかし、これがプロレス以外の世界、例えば別なスポーツや政治、経済などの場面で行われていたとしたら、やはり噴飯ものだろう。あるいみ徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選び」も、内幕暴露本の一種ではあるが、自動車業界を革新することに役立ったのではないか。

13)このミスター高橋の本も、プロレス界やプロスポーツの世界を改革する意味で、有効であっただろう、と推測しておく。そうだったのかどうかは、私には理解しかねるが。

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