さとりサマディにて<5>さとりコンピュータ
さとりサーマディにて
<5>さとりコンピュータ 目次
1)彼女の身びいきはちょっと聞いていられないところがある。年の離れた二人の弟は、学年で一番だったとか、あれこれ、虚実の確かめようがないが、鼻つまみものの自慢話が延々と続くことがある。これにはさすがに息子である私でも辟易する。第三者が聞いたら、いくら95歳のおばあさんの繰り言とは思っても、嫌気がさすだろうなぁ。
2)ところが割りと自分自身のことになると自慢話は少し控えめになる。実際のところはどうだったのか、今となっては確かめようもないこともあるが、確かに彼女もまた、劣等生であったはずはなく、それなりに教育も受けていて、特に若い時に学んだことはかなりの記憶力で覚えている。
3)彼女が何歳になった頃だろうか、おそらく60歳とか70歳の頃だったと思うが、自分の子供や孫、そして親戚の子供や遠くの縁者たちの名前と誕生日を覚えているのが、実に正確である、ということが分かってきた。
4)最初は、身内の仏さんたちの命日を記憶していたのだが、だんだんと次々生まれる子供たちの誕生日を見比べて、ある一定法則を見つけたかごとくであった。あの子はあのおばあさんの生まれ変わりだとか、あの先祖とあの孫は同じ誕生日で、しかも名前まで似ているとか、彼女の世界は、ぐるぐると廻り始めた。
5)実際に、親戚のおばさんたちは、自分の孫の名前はともかく誕生日などはざっくばらんにしか覚えていないのに、彼女は実に詳しく覚えている。あの子は何年の何月何日生まれだから、今年は小学何年生だね、などと、身内さえ忘れていることをズバリズバリ言い当てることになった。
6)そんな彼女をいつの間にか、廻りでは、彼女の名前を取って、さとりコンピュータと呼ぶようになった。
7)70代、80代の時は、このコンピュータはフル回転して、人々を驚かせ続けた。つまり身びいきが半端じゃないのと、記憶力が素晴らしいのとが重なって、その精度はどんどん上がり続けたのだ。
8)だから、現在いくらホームに入った95歳のおばあさんとは言え、頭の方が呆けていなければ、記憶力が半端じゃなく、それが逆にいろいろなトラブルさえ生むことになる。いい加減呆けてくれればいいのに、なんて子供たちが陰口するが、いえいえまだまだその性能は衰えない。
9)ホームに入って、週に一回かの呆け度のテストがあるらしい。簡単な1~2桁の足し算、引き算、割り算、掛け算などなどだが、ペーパーテストはいつも花丸である。もっとも耳は遠くなり、目はほとんど失明状態だから、読み書きはできなくなっている。ひたすら頭の中の暗算である。
10)テレビも見ない、ホームに入ってからはラジオも聴かなくなった。でも、彼女のコンピュータは今日もカタカタ動き続けている。
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