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2016/11/19

「講座スピリチュアル学」 第7巻 スピリチュアリティと宗教 (地球人選書 講座スピリチュアル学) 鎌田 東二 (編集) <11>

<10>からつづく  

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「講座スピリチュアル学」 第7巻 スピリチュアリティと宗教 (地球人選書 講座スピリチュアル学) <11>
鎌田 東二 (編集) 2016/08 ビイングネットプレス 単行本: 277ページ 「地球人選書 講座スピリチュアル学」リスト  
★★★

1)一読者としての最近の私は、どうもマインドの働きが衰えており、このまま朦朧としていけば、なんとか症候群とやらへとつながっていくのかも、と、やや心配ではあるが、まぁ、これもよからん、と思う。

2)このところの体調の不良により、風邪薬類似の副作用があるのかもしれない。

3)だから、せっかくのこの本だが、あちこちに目くばせをしながら、あれこれ思考することはできない。できないのも残念だが、ちょっとはしたくはない、という思いもある。

4)このシリーズでは、編者の鎌田東二本人の文章と、一冊の中に、だれか一人の文章を読み込めばそれでいいだろう、という体制で接してきた。いずれ、一気に再読するチャンスもあるだろうが、概観を知る上では、それで十分だろうと思う。

5)この第7巻においては、「ポスト世俗化時代のスピリチュアリティ」 マインドフルネス・ムーブメントを手がかりとして 伊藤雅之(p176)が、適切なテキストとなってくれている。

6)このムーブメントと1970年代から90年代前半に欧米や日本で発展した「ニューエイジ」とを比較している。

 ニューエイジと対比した今回のマインドフルネス・ムーブメントの特徴は、それが意図的に「スピリチュアリティ」との関連についての言及を避けていること、また疑似科学的性格をもつニューエイジと異なり、大脳生理学、心理学などの正統派科学に裏づけられていることだとしている。p177伊藤雅之「マインドフルネス・ムーブメントの到来」

7)仏教に起源をもつ瞑想法が、医療、心理療法、教育現場でも宗教の文脈を離れて活用されている状況は、まさにスピリチュアリティ文化の主流文化化を示している。

 スピリチュアリティ文化として明らかに捉えられる実践を、意図的に「スピリチュアリティ」という語を避け、科学的に実証されて方法であることを強調するところに、ポスト世俗化時代のスピリチュアリティのあり方を示しているようにも思われる。p177伊藤 同上

8)仏教瞑想の一つの形態としてのマインドふるネスは、新しいスピリチュアリティ文化の発展のなあで欧米社会に広がっていった。このマインドフルネスが医療、心理療法という非宗教領域に広がる大きなきっかけとなったのが、カバットジンの存在である。p180「伊藤「仏教からストレス緩和としてのマインドフルネスへ」

9)いくつもの社会領域においての急速なマインドフルネスの増大には、現代社会の直面する問題やそれに対応するための社会政策の変化が明らかに関連している。

 世界保健機構(WHO)によれば、現在、うつ病は心臓病、がんに続く第三の主要な健康を害する問題となっているが、2030年には第1位となることが予想されている。

 うつ病をはじめとする精神疾患は、先進諸国においてはとうに深刻な問題であり、国家にとっても大きな経済的負担となっている。p183伊藤「対症療法としてのマインドフルネス」

10)現代のマインドフルネスへの第一の批判は、それが仏教の正当な伝統に基づくものではなく、修行体形全体のごく一部分を抜き出し、アレンジしたものにすぎないとするものである。このなかには、倫理性の軽視に関する問題も含まれる。p184伊藤「正統派の仏教瞑想からの逸脱」

11)20世紀前半の仏教改革運動と21世紀のマインドフルネス・ムーブメントは多くの共通店がある。いずれも、僧院での出家生活に関心をもたず、仏教経典にほとんど馴染みのない一般の人たちを対象としていたことは偶然ではないだろう。またこれらの運動は、驚くほど即効性のあることを約束している点でも共通しているという。p186伊藤「仏教における改革運動」

12)こうした個人の意識変容がきわめて多くの人たちの共有する体験となったとき、社会全体は何らかの変化を遂げることになるのだろうか。もし明らかな社会的変化があるのなら、マインドフルネスを現世順応的なものとしてのみ扱うことはできなくなるだろう。p191伊藤「仏教の現実と個人の内的変容の可能性」

13)「スピリチュアリティ革命」と呼ばれるような事態は今後ますます進展していくのか、それとも一時期の流行にすぐないのか。

 少なくとも、マインドフルネス・ムーブメントの過去50年以上の展開を見る限り、一時の流行をこえた大きなうねりが社会全体でえ起こっていうるように考えられる。

 宗教、スピリチュアリティ、科学という明確に区分された領域の境界が薄れてきていることは明らかであり、ここにポスト世俗化時代の有力な特徴の一つが現れていることはまちがいないだろう。p194伊藤「薄れゆく宗教・スピリチュアリティ・科学の境界」

14)伊藤には「現代社会とスピリチュアリティ」(現代人の宗教意識の社会学的探究 2003/03 渓水社)というOSHOムーブメントのフィールドワークを基礎とした著書がある。

15)一読者としては、角川インターネット講座と、この地球人選書「講座スピリチュル学」が、ともに最終巻において「マインドフルネス」でつながったことに、強い関心を覚える。

<12>につづく

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