OSHO 現代世界のマインドフルネス 「Mindfulness in the Modern World」 <12>
「Mindfulness in the Modern World」 How Do I Make Meditation Part of Everyday Life? <12>
OSHO 2014/04 Griffin 英語 ペーパーバック 254ページ (Osho Life Essentials) 目次
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1、多くの病、たった一つの薬
瞑想とは何だろう? それはマインドを単に側に避けることだ。マインドなしでほんの数瞬間あることこそ瞑想だ。そして、そのほんの少しの瞬間を知れば、あなたは鍵を掴む。必要な時はいつでも、あなたは内なるものに入っていける。それはまるで、息を吸い、息を吐くようなものだ。あなたは世界に出ていく、息を吐き、あなたは入ってくる、息を吸うように。
瞑想は、内側への呼吸だ。
だから、あなたの問題は忘れなさい。ただ瞑想へと入っていきなさい。そして深く入っていけば、さらに多くの間違った事柄が消えていくだろう。
瞑想とはなんだろう?
それは私が知る限り最も重要な問いかけだ。瞑想は私の努力全体のもっとも中央に位置する。それはあtらしい宗教性が生まれつつあるまさにその子宮だ。しかしそれは言葉にするのはとても難しい。瞑想についてなにか言葉にすることそのものが矛盾である。
それはあなたが持ち得るもの、あなたが成り得る何かではあるが、しかし、その本質からそれが何かをあなたは言うことができない。それでも、なんらかの方法でそれを伝える努力をすることはできる。それはおそらく小さな断片だ、部分的な理解がそこから湧き上がってくるだろう、それは人が期待できる以上のものだ。部分的な瞑想の理解であっても一つの種になることはできる。それはあなたの聴き方による。ちょっとあなたが聴くだけで、わずかな部分は伝わるだろう。しかし、あなたが聴くことが出来ればだが・・・・。この二つの違いを理解しようとしてみなさい。
聞くことは機械的なものだ。あなたは耳を持っている、それであなたは聴くことができる。もしあなたが聾唖者なら医学的な治療が聴くための助けになるだろう。あなたの耳は音を受信するめの機械に過ぎない。聞くことはとても単純だ、動物達は聞くし、耳を持っているものは誰も聞くことはできる。しかし、聴くことはもっと高い次元のことである。
聴くということは、あなたが聞くということ、あなたが何もせずに単に聞いている、心の中に何の考えもなく、あなたの内なる空を何の雲も通り過ぎず、何であれ語られるものが語られるものとして届くということである。それはあなたのマインドに干渉されず、あなたにも干渉されず、あなたの先入観やら何かの曇りに邪魔されない時、その時初めてあなたの内側に届く。なぜなら、それはすべて誤解の元だからだ。
通常は難しくはない、あなたは聞き続ける、というのもあなたが聞くものは、ごくありふれた通常の事柄についてだからだ。もし私が家のことや、ドアや、木々、鳥などを話す時、難の問題もない。ごくありふれた事柄なら聴く必要はない。しかし、私達が瞑想のような何かについて話そうとする時は、聴く必要がある。それは何か外在的なものではなく、主体的な地平だからだ。私達は単にそれを指し示すことができるだけだ。あなたは注意深く、敏感であるべきだ、その時、意味ある何事かが、あなたに届く可能性がある。 17/198
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コメント
いずれにせよ、この記事がベスト記事ランキングに登場することはうれしい。もっと上位に上げてくれ。本格的に翻訳再スターとする気になるぞ。
投稿: Bhavesh | 2018/08/30 12:56