1)固定電話のベルが鳴る。めずらしい。最近は、すでに私用も仕事用も、ほとんどケータイ番号に移してしまっているので、家電にくるのはほとんどがセールスの電話だ。今だに電話帳には載せているので、まぁ、しかたない。それにまだまだ、家電(事務所用)がないと、信用は低いので仕事がしずらい。
2)「もしもし」・・・ 仕事用の名前で出る。プツプツプツン、と切れる。もう一度ベルが鳴る。面倒臭いので、黙っていると、「あの~・・・OSHOさん、じゃないですか?」 聞き取りにくい声だ。接続が悪いのか、発音が悪いのか、プツプツの音質だ。
3)はいそうですが・・・・・。「近くのセンターの連絡先、わかりませんか?」 要約すると、どうやらそういう問い合わせらしい。彼女は「内なる~~」とかいう本の巻末リストを見て電話をしてきているのだ。それはたしか四半世紀以上前に出た本だろう。当時の電話リストでつながるのは、なるほど、わが家電ぐらいだろう。
4)回線の音質が悪いのと、電話口の女性の滑舌が悪いので、うまく内容が聞き取れない。私としては、とにかく彼女の近くのセンターの電話番号を調べて伝えればいいんだな、と納得。ちょっと時間をください、と伝える。
5)ネットで検索する。メールアドレスは出てくるのだが、電話番号は出てこない。探すのが大変だ。今どきインターネットの時代、電話番号はちょっと後回しということが多い。大企業であれば、なおさらそういう体験をさせられることが多くなった。
6)ようやく探して、着信履歴の番号に連絡する。これで私の仕事は終わり。そう思った。
7)しかし、もう一度、家電のベルがなる。「あの~、つながらないですけど~~」。ああ、ひょっとすると今外出中か、長期にインドに行っているのかもしれないですね。ちょっとお待ちください。
7)自分でダイヤルしてみる。あれ~~、もう使われていない、というアナウンスである。もういちどネットで再検索。あれこれ調べてみる。ファックス番号も見つかったのでダイヤル。しかし、こちらもつながらない。もう使われていないのだ。
8)普段はSNSでもつながっているし、いざとなれば第三者を通じて、すぐにその動向がつかめる仲間たちではある。だが、お互い家電で連絡というのは少なくなった。それにしてもだ、もう使われていない電話番号を、ネット上に長期に掲載しているのはコンプライアンスの上からも問題あるなぁ。
9)おそらく、この年配の女性は、一冊の本から、どこかに連絡をしようとしているのだ。インターネットは使ってますか? 「いやぁ、わたしは全然だめで~、娘にやってもらおうかなぁ」。何歳くらいの方だろう。おそらく感じとしては私より年配、70代かひょっとすると80代か・・・・?
10)回線の音質がもっと良ければ、私がもっと積極的に話の内容を聞いて、更に適切な案内もできたかな、と後で反省はしたが、なんせよく聞き取れない。10音があったら、そのうちの3~4音は聞き取れないのだ。虫食い電報みたいなしゃべり方だ。
11)結局は、他のセンターの番号を伝え、まぁ、コトなきを得たが、私はその電話が終わった後に、いろいろ考えた。
12)・今時、店頭にも並んでいないような古書を、彼女はどのようにして手にいれたのだろう。もっと別な本は読んでいなかったのだろうか。新しいリストに当たればいいのに。
・それに、彼女はいまから瞑想をするのだろうか。いままでそのような道との出会いはなかったのだろうか。もっと彼女にふさわしいアプローチの仕方があったのではないだろうか。
・今から彼女がOSHOの道を歩み始めるとして、まずはダイナミック瞑想、なんて、勧められるのだろうか。
・それにしても、私も含めて、この道の案内の仕方は、これでいいのか? 道路標識になっているか? キチっと、伝えるべき人に伝わっているか?
・Mindfulness in the Modern World
・ズバリ言うと、現代世界において、インターネットを使っていない、というのはちょっとミスマッチなのである。電話でつながる社会は、そろそろ旧社会になりつつある。ネット社会のほうが、むしろリアル社会になりつつある。よくも悪くも。家電は、むしろヴァーチャルになっているのではないか。
・あの電話回線の音質はなんだ? ひょっとすると外国から掛けてきたのかもしれない。そういえば、着信履歴に残った番号はケータイ番号にも使われている桁数だ。
・それとも、わが家電の子機の電池が切れかかっていたのかもしれない。いやぁ、それはない。掛け直しの時は、ちゃっと本機から発信したぞ。
・ひょっとすると、彼女の滑舌の悪さは、病気のせいかもしれない。なんらかの薬剤を投与されている時には、いわゆる呂律が回らないときもある。そのような状態では、瞑想より前に、もっと大切な対処方法も必要だ。まさか、なにかの依存症ではないだろうな。
・あっちでも、こっちでも、マインドフルネス、の単語が飛び出す現代世界である。スタンフォード大学などの講義では、どこかエリート臭の強い取り上げ方である。グローバル企業における取り入れ方は、どこか成功哲学風でもある。
・私は今のところ、マインドフルネスという単語は、私なりに瞑想という単語に置き換えて理解している。それにしても、その本質の奥は深い。その道は実に開放的で、誰もが通れる道ではあるが、その門なき門を見つけることができない人も多くいる。
・道なき道を歩く。
・瞑想は、エリートのものもなく、成功哲学でもない。ましてや病気直しでもなければ、悩み解消の道でも、もちろんない。最後に駆け込むセーフネットのような逃げ道でもないのだ。積極的に探し、主体的にかかわって、より本質的であろうと常に務めることこそが肝要だ、そう思ってはいるのだが。
13)Mindfulness in the Modern World
14)自律の道なのか。それとも、弥陀の心におすがりするしかない世界なのか。
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